第2話 宵宮
ユリカは獲得型の遊戯に目が無い。私達がいるのは今年も当然のように金魚掬いの屋台の前だ。
「郁海さんは金魚を捕まえるつもりでやります? それとも、助け出してあげる感覚?」
明日の準備の手伝いを終え、巫女装束のまま合流した美魚が問う。
「うん?」
「これって、金魚を掬い取るから金魚すくいって言うんですよね。昔は水槽から金魚を救い出すから金魚すくいだと思ってました」
みゅうみゅうの言うことも少しわかる気がする。
「それじゃ競争ね。ビリは次の屋台で奢り!」
ユリカは狩る気満々で、救い出すって雰囲気ではないけれど。
言うだけの事はある。コツを心得ているのか、2匹、3匹と順調に椀に金魚を救いあげて行く。
「ユリカさん、その程度じゃダメ駄目です」
美魚がたおやかな手を差し伸べると、それこそ救いを求めるかのようにポイに吸い込まれて金魚たち。ギャラリーの子供達の歓声の中、水槽の端のほうにいる白い金魚が目に付いた。
弱々しく泳ぐ赤い目をした小さな魚は、私の差し伸べるポイにからかう様に寄り添い、戯れるようにすり抜ける。それでもなんとかポイが破れる前に掬い上げることが出来た。
「どうするんです、その金魚?」
8匹救い上げたユリカは、元気そうな2匹を持ち帰る事にしたらしい。27匹を椀に掬い上げた美魚は、交換を希望し風呂に浮かべるぜんまい仕掛けの魚のおもちゃを手にしている。
「んー……つれて帰る」
「すぐに死んじゃいますよ?」
どこか醒めた目付きで美魚が言う。
礼儀正しく気立てのいい子なのに、時々驚くほど冷徹な物言いをすることがある。特にここ最近になってから顕著な気がする。
初めから元気が無かった子だ。屋台に返しても、店を畳むまで生きていられるか分からない。的屋のおじさんにとっては商売道具でしかない以上、明日には処分されてしまうかもしれない。
「救っちゃったからね」
目線の高さに金魚を持ち上げた私は、ビニール袋ごしの美魚の視線に込められた冷笑に気づかない振りをした。
宮司の呼び出しで再び手伝いに戻った美魚と別れ、焼きそばのソースや綿菓子の甘い香りに気を取られながらふわふわと歩いていると、ユリカに浴衣の袖を引っ張られ引き止められる。
「待った。食べ物で手がふさがる前にもう一勝負やって行こう」
射的か。
安っぽいアクセサリーやブランド品まがいのライターが並んでいる。お金を出してまで欲しい物は無いはずなのに、祭りの雰囲気の中では何故だか少しだけ宝物めいて見える。
ユリカはこういった獲得型の遊戯が好きだ。一度火がつくとUFOキャッチャーには幾らでもコインを注ぎ込んでしまう。今回のお目当ては一番目に付く大きな熊のぬいぐるみ。でも、ああいうのは倒れないようになってるんじゃあ?
「ぐぬぬ……お兄さん、もう一回」
案の定、500円で交換した6個のコルクでは、僅かに位置をずらすに終わってしまった。位置を固定するような不正は無いようだが、かなりの安定感があって倒すのは無理っぽい。目玉の一つだから、簡単に取らせないつもりだろうけど。
手伝うつもりで500円を支払い弾のコルクを手に入れる。全ての弾をぬいぐるみに当てている友人と違い、私の弾は見当はずれの場所に飛んでしまう。2発目で隣に置かれた聞いたことの無いメーカのキャラメルを倒したけれど、狙ったのは熊のお尻のあたりだ。ソフトボールならピッチャーを任せられる事もあるくらいコントロールには自信があるのに。
「……狙い通り」
ユリカと視線を合わさないようにしながら3発目を詰めていると、ひょいと後ろから銃を奪われた。
「海斗!?」
いつの間にか、再従兄弟が寄り添うほどの近くに立っている。
私より頭ひとつ分高い彼は台から身を乗り出すと、片手持ちの銃で2発のコルクを使い、手際良く熊を棚から落としてしまった。
「ちょ……追い詰めたのは私!!」
「兄ちゃん、ちょっと身を乗り出しすぎなんじゃねぇか?」
「あぁん?」
1500円をつぎ込んだユリカの抗議を聞き流し、的屋のいちゃもんを唸り声だけで黙らせる。長身なうえ目付きが異常に鋭い。半袖のシャツからは空手の道場で鍛えた上腕が覗いている。彼が土地の実力者、拝島の長子だと気づいていなかったとしても、的屋の店主が愛想笑いで引き下がるのも無理は無い。
「…お前は?」
無言で押し付けられたぬいぐるみを微妙な表情で受け取るユリカを尻目に海斗が問う。単語を放り投げるような話し方は、悪ぶってる訳じゃない。彼の素だ。いじめられっ子だった幼い頃とまるで変わっていない。
ユリカに付き合っていただけで、お目当てのものがあるわけじゃない。しいて言うなら、祭り気分で身に付けられるような――。
ふらふらさまよう私の視線を読んで、海斗は銃をアクセサリーの掛けられた台に向ける。射止めたのは緑のガラス球が嵌ったリングが、チェーンに繋がれたネックレス。ペンダントトップを外すとフリーサイズの指輪にもなるようだ。
不意に海斗が手を伸ばす。びくりと身をすくめる私に構わず、首の後ろに手を回しネックレスを掛けてくれた。
一部始終をにやにやと見守っていたユリカに威嚇めいた視線を投げ、幼馴染はポケットに手を突っ込んで立ち去った。
「おや? あんたもまんざらでもない?」
私が胸をかき乱されたのは、体温を感じるほどに近づいた海斗の胸や腕のせいだけじゃない。
「本宮には出るな。俺と逃げよう」
耳元で囁かれた言葉。
意味が分からなかったからじゃない。その言葉は私の抱くぼんやりとした不安に、形を与えるものだったから。
その夜ユリカとまわった屋台の食べ物の味は、どれもほとんど味を感じられなかった。
夢を見た。
場所は神社の境内だろうか。
私は海斗とおままごとをしていいる。
微笑ましい光景だけど、おわんを差し出す心は今の私。
もうすぐ日が落ちる。
いつまでもままごとを続けることは不可能で、そろそろ帰る時間だと海斗に伝えなきゃいけない。
きっと泣き出してしまうだろう海斗をどうなだめようか。
笑顔でおわんを受け取る海斗を見詰めながら、そんな事をずっと考えている。
寂しさを感じているのは、幼い私か今の私か。
もう少しだけ、付き合ってあげようか。
茜色に染まる景色の中、二人でおままごとを続ける。
目覚めたときには内容は覚えていなかったけれど、私の中にはただ懐かしさと寂しさだけが残っていた。
鎮守の森の奥には古い社がある。おばあちゃんがいた頃は毎日掃除されていたが、このごろは掃除もないがしろにされ、夏草に埋もれている。
海が見渡せる崖の側にあり、岩場の小道を降りると浜辺に行けるので、子供の頃にはいつも遊び場にしていた。泳げない――というか、海に入るのが怖い私は、泳ぐ事はなかったが。
昨夜は海斗が何か話があるようだったのを、おざなりにしてしまった。ユリカから、祭りの夜はそのまま木陰で初体験を済ませる子が多いという話しを聞かされて、意識してしまったというのもある。
「良い天気だね。いるかが泳いでるのが見える」
再従兄弟は立ち木に背を預け、海を眺めている。ふと、浜辺によたよた歩く白い人影らしきものが見えた。長い黒髪のその人物は、慣れないかかとの高い靴でも履いてるのか、すごく危なっかしい。しばらく目で追っていたが、岩場に入り見えなくなった。
「本宮には出るな。二度とここから出られなくなる」
背を向けたまま海斗が告げる。済し崩しに巫女として汐入に留まるしかなくなる事を心配してくれているのか。
「おばあちゃんもやってたことだし。進学を認めてもらうにしても、今年の参加は伯父さんの決めた条件だからね」
ちゃんと勉強もして結果を見せれば、学生のうちは夏休みに帰ってきた時だけ巫女を務めるって話でまとまりそうだし。ユリカと相談して出した結論だ。
「そうじゃない。お前がやらされるのは、ばあさんのやってた唄い巫女とはまるで別物で――」
口ごもる海斗。
「バイトして少しは金貯めてたよな? 身の回りのものだけ持ってここに来い。俺と逃げるんだ」
「え? あ……駆け落ちって事?」
思考が追いつかない。伯父は拝島に入り海斗の嫁にと考えていたんじゃなかったの? 巫女として汐入に残り、いずれ一緒になって欲しいという話だとばかり思っていた。「もうちょっと大人になるまで保留ね」という答えを、幼馴染のお姉さん分として出す心構えしかして来ていない。急に薄暗い林の中で二人きりという状況に気付き、今まで海斗に対し感じた事の無い不安と緊張を抱いた。
「まじめな話だ」
不意に肩を掴まれて、反射的に振り払った。
海斗の真剣なまなざしが怖くなり、慌てて逃げ出す。
暗くなる前に必ずだぞという、声を背中に聞きながら。
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