第4話

 淡いオレンジのパーカーに、三段フリルのベージュのキュロットスカート。昨日買ったグレーのニーソックスに、黒いバスケットシューズ。インナーの紺の濃淡ボーダーのカットソーが今日の陽気にはちょっと重たい感じだけど、髪を後ろでキュッと結んで、とてもキュートで快活そうだ。ニーソックスを履いた足がいっそう長く見える。何度見てもそのきれいな足に目を奪われるけど、今日はキュロットとソックスの間に見えているふとももに、つい目が行ってしまう。

 インナーに着るものもいろいろ揃えなきゃなと考えながら、改札口の脇に立つ彼女に近付いて「おはよう」と声を掛ける。

「あ、先輩、おはようございます」と彼女の顔がパッと輝く。

「早めに来てた?」

「えっと、十五分くらい前です」

「そっか、そんなに早く来なくてもいいのに。っていうかさ、ナナカちゃんが歩いてくる姿を見たいんだよね」

「え〜、そうなんですか?」とクスクスと笑う。

「歩く姿なんて、いつでも見れるじゃないですか」

「ぼくに向かって駆けてくるみたいな、そんなのがワクワクするんだよ」

「あ、そうか。私も今、先輩を待ちながらずっとドキドキしてました。じゃ、今度からは交代で先に来ることにします?」

「あ、いいね。うん、そうしよう」

「でも、言ってくれれば、いつだって先輩のところに駆けて行きますよ」

「それじゃあ、あの階段のところからこっちに走ってきてくれる?」

「はい」と走って行く。

 くるりと振り返ると、横切る人が途切れるのを待ってから、笑いを堪えるような顔で小走りに駆けてくる。

「どうでした?」

「うん、なんか思った以上にワクワクする。すごく可愛いよ。じゃ、今度はぼくがやってみようかな」

 大げさに「お〜い」と手を振って彼女のところに走ってみる。

「ほんとだ! なんだかすごく嬉しいものですね」と二人でクスクス笑う。

「もう、先輩といると思ってもいなかったことばっかりで楽しすぎます」

 ホームに降りて、端っこのベンチで電車を待つ。

「今日、この格好でよかったですか?」

 座っている彼女の前に立って、改めてその姿を眺める。

「うん、すごく可愛いよ。昨日とは雰囲気がぜんぜん違うね。それもよく似合ってる」

 彼女が嬉しそうに笑窪を作る。

「あ、だけど今日みたいな天気がいい日は、中のシャツはもっと明るい色のほうがいいよね。またうちの店で探してみようよ」

「はい」

「もうちょっと髪を結ぶ位置を高くしてみたらどうかな?」

「えっと、こうですか?」

「もっと前髪から後ろに持って行ってポニーテールにするの」

 持っていたトートバッグから小さなヘアーブラシをとり出して髪を梳く。鏡がないのでちょっと苦労している。

「ぼくがやってみてもいいかな?」

「あ、はい。お願いします」とブラシを手渡して横を向く。

 ちょうど肩に届くくらいの彼女の髪は、手に取るとすこし赤みがかっていた。そしてすごく細くて柔らかい。いわゆる猫っ毛というやつだ。毛先はバラバラだけど、前髪も横も後ろもほとんど同じ長さなのでポニーテールにしやすい。全体をギューッと後頭部のてっぺん近くに集めてゴムで括る。

「どう、痛くない?」

「このへんが引っぱられる感じがします」と生え際のあたりを手で揉む。すぐに馴染んだようで「あ、平気です」と笑う。

「メガネを外すと、何も見えない?」

「いいえ、遠くがちょっとぼやけるくらいで。外した方がいいですか?」

「そうだね、ないほうがいいかも」

 メガネをバックにしまい、小さな四角い手鏡を出して覗き込む。

「目がつり上がってません?」

「うん、ちょっとだけ。でも、その方が活発そうに見えて今日の服に合ってるよ」

 そう言いながら、前髪を留めていた昨日のヘアピンも必要なくなったので、パーカーの襟元に付けてあげる。

「ありがとうございます。先輩って、なんでもセンスがいいんですね。私がセンスないだけなのかも知れないけど」

「ただ自分の好きなようにさせてもらってるだけだから。イヤなことがあったら、ちゃんと言ってよ」

「はい。でもすごく嬉しくて……しあわせ……」

 最後の言葉を、俯いてつぶやくように言う。

 電車に乗ってしばらくすると席が空いたので、並んで座る。抱えたトートバッグで絶対領域が隠れてしまうのが残念だったけど、きちんと揃えたニーソに包まれた膝小僧が小さくて可愛らしかった。座った膝の高さが、ぼくの膝とそんなに変わらない。身長差が十五センチくらいあるのに、膝の高さはこぶし半分くらい違うだけ。やっぱり膝下が長いんだな、と感心してしまう。

「この靴下、すごく可愛いですね。一度こういうの履いてみたかったんですよ」と嬉しそうに言いながら、裾をキュッと引っぱり上げる。

「あ、黒い方がよかったですか? いちおう持ってきてますから、どこかで履き替えましょうか?」

「いや、そのままでいいけど。じゃあ、せっかくだから帰り道は黒にしようか」

「はい」と笑う。

「ナナカちゃんは、今まではあんまりファッションに興味がなかった?」

「う〜ん、特には……。というか、もっと可愛い子のものだと思ってて、自分とは違う世界のような気がしてました」

「充分可愛いけどな」

「そんなこと言われたの、先輩が初めてですよ。なんか、そう言われるたびに、まだ全然信じられなくて。昨日からずっと自分じゃないみたいな気がしてるんです」

「そう言えば、帰ったら服装が違ってて何か言われなかった?」

「いいえ。すぐに部屋に入って着替えたから。あ、でも、夜にまたいろんな組み合わせで着てみたりしちゃいましたけど」

「どうだった?」

「どれも、すごく可愛いくって」

「また、組み合わせた服装を見てみたいな」

「……私も、先輩に見てもらいたいなって、思いました」

 ギュッと抱き締めたくなる。

「昨日の本を見てたら、ぜんぶナナカちゃんに着せたくなってきたよ」

「そんな……。お金もかかっちゃうし……」

「新品はあんまり買えないけどさ、うちのものなら安いから。まあ、いいのを見つけるのに苦労するけどね」

「あ、あれから、お姉さん何か言ってました?」

「いや、それがさ、根掘り葉掘り聞かれて冷やかされるかと思ってたら、なんかニヤニヤしてるだけなんだよね。かえって不気味だったよ」

「そう、ですか……」

「だけどナナカちゃんをすごく気に入ったのは間違いないよ。また連れて来いってうるさいし。たぶん、着せ替え人形みたいに遊ばれるかも知れないよ」

「うふふ。ちょっと楽しみ、かも」

 そんな会話をしながら、海に近い駅に着いた。

 ドーム型のガラス張りの植物園の中には、見上げるような熱帯植物や極彩色の花が咲いていた。上の方では派手な模様の鳥たちが鳴いていた。家族連れに混じって、のんびりと広い園内を巡る。彼女はひとつひとつに「うわ〜」と声をあげながら楽しんでいる。ピョンピョンと揺れるポニーテールが可愛らしい。

 出入り口に戻ると、その横にお土産ショップがあった。手のひらサイズの植木鉢や植物を象ったキーホルダーや南国っぽい小物や絵はがきなどが置いてある。その中にTシャツもあった。真っ白で、首元に小さなピンクのビーズでヤシの木のシルエットが描かれている。シンプルでちょっとおしゃれなTシャツ。

「これ、どうかな。これならどんな服にも合うと思うよ」

「あ、可愛い」

「じゃ、買ってちょっと着替えてみようよ」

 ついでに、色とりどりの小さな花が並んだ携帯ストラップを色違いで二つ買う。

「あの、私、携帯持ってないんです」

「あ、そうなの? でもカバンとかに付ければいいよ。デートの記念ってことで」

「はい。じゃあ、私が先輩の分を買いますね」と満面の笑顔で言う。

 彼女がさっそくトイレで着替えてくると、ぐんと爽やかな雰囲気になっていた。

「サイズは大丈夫だった?」

「はい、ぴったりです。なんだか体も軽くなった気分。でも、ここがちょっと……」

 大きく開いた丸い襟首から、ブラの肩ひもが少し覗いていた。そして可愛らしい胸の膨らみをさっきよりもはっきりとさせていた。

「気にしなくていいんじゃない? ファッションの一部だと思えば。それに、ちょっとセクシーで可愛いよ。パーカーでそんなに見えないしさ」

「先輩がそう言ってくれるなら、これで平気です」

 そういう彼女の右の鎖骨に、小さなほくろがあるのを発見する。それもまたキュートでセクシーで、ドキリとしてしまう。

 外に出ると、野外ステージでサルサバンドが陽気な曲を演奏していた。椅子に座りそれを聞きながら、さっきのストラップを携帯に付ける。彼女はトートバッグの持ち手につけて嬉しそうに微笑む。手をつないで、しばらくステージを眺めた。

 広々とした芝生の中の遊歩道を、海の方へ行ってみる。浜辺では子供たちが砂遊びをしていて、その向こうには釣り人が何人か膝まで海に入って糸を放っていた。

 眩しくきらめく海を見ながら、ベンチでお弁当を広げる。ふたりの間にたくさんのサンドイッチが並ぶ。水筒にお茶まで持ってきていた。遠慮なく次々と口に入れる。どれも美味しい。彼女はサンドイッチを小さく齧りながら、眩しそうに目を細めてぼくを見ていた。

「ナナカちゃんのことも、いろいろ知りたいな」

「どんな?」

「どんなことでも。そうだな、たとえば、好きな物、嫌いな物とか」

「ん〜」としばらく考え込んでから「なんだろう、自分でもよく分からないです……。そう言われると、なんかあんまり自分のことってちゃんと考えたことがない気がします」

「そっか〜。じゃ、中学の時はどんな子だったの?」

「あんまり今と変わらない、地味で目立たない子でした。あ、私、中学の時までは秋田の男鹿っていうところに住んでたんです」

「男鹿って、男鹿半島? なまはげ祭とかあるところ?」

「そう。八郎潟とかも近くて。海のそばだったから、冬なんかすごく寒くて……。こっちの海は明るくていいですね」と遠くを見る。

「へ〜、そうなんだ。じゃ高校からこっちに来たの?」

「はい。今はおじいちゃんとおばあちゃんの家に住んでて、まだ友達もいなくて……」

「でも、もう三カ月くらい経ったから、クラスに仲いい子もできたでしょ?」

「それが……まだあんまり馴染めなくて……友達って言える人いないんです。こんな性格だし、人見知りしちゃうし……」と学校で見るような少し陰鬱な顔になる。

「じゃ、ぼくが最初の友達ってわけだね」

「はい。友達っていうか、その……」

「友達でもあり、恋人でもある、ってことでいいかな?」

「はい、それがいちばん嬉しい。っていうか、ほんと夢みたいで」

 また笑顔に戻って頬を染める。

「中学の時は、誰かと付き合ったことはないの?」

 大きく何度も首を振る彼女。

「あの、こういうお付き合いって初めてだから、どうしたらいいか全然わからないので、いろいろ言って下さい」

「うん、わかった。でも、ナナカちゃんは何も気にしないでそのままでいいと思うよ。素直で可愛いし。なんか、知れば知るほど好きになってくな」

「あ、それは私も。ほんと楽しくて、びっくりしてばかりだし、先輩はすごく優しくて、こんな私をどんどん変えてくれるし……。朝起きるたびに、夢だったらどうしようって怖くなっちゃいます」

「ああ、前に変えてほしいって言ってたよね。なんだかもうすっかり変わって、きれいで明るい女の子になったと思うんだけど。さっきからすれ違う男は、みんなナナカちゃんを見てたの気付いた?」

「え、そうなんですか? 全然分からなかった……。ほんとにもう充分すぎるくらい変身させてもらって、こんなにすぐに変われるなんて思ってもいなくて……。でも、これってほんとに自分なのかまだ信じられなくて……」

「うん、ぼくもこんなに変わっちゃうとは思わなくてびっくりしてる。ちょっと急すぎたかな。まあ、ゆっくりとだんだん馴染んで行けばいいと思うよ」

「そうやって先輩は、いつもすごく安心させてくれるから……。もっと先輩に好きになってもらえるように頑張りますから。だけど、頼りっぱなしになっちゃいそうで、それもまた心配で……」

「あはは。まあ、あんまり頼りがいもないけど、ぼくもナナカちゃんの信頼を得られるように頑張るよ。いろいろ、ああしてこうしてって言うと思うけど、それはもちろんナナカちゃんのためを思ってだけど、基本、ぼくが楽しい、面白いって思える、自分のためだから。そんなんでもいい?」

「はい、先輩の思うように変えて下さい。でも、私がどうしてもできない時は……」

「イヤとかムリって言ってくれたら強制はしないから。その時はその時でいっしょに別な方法を考えればいいさ」

「はい」と安心しきった顔を輝かせる。

 お茶のおかわりを注いでくれながら「あの、ひとつだけ聞いてもいいですか?」と申し訳なさそうに言う。

「うん、何でも聞いてよ。ぼくも、なんだかナナカちゃんにはどんなことでも素直に言えちゃう気がするんだよね。素直さを分けてもらってるのかな」

「じゃあ聞いちゃいますけど、先輩は今までにこういうお付き合いしたことってあるんですか?」

「なるほど、やっぱり女の子ってそういうこと気になっちゃうんだね。うん、中学三年の時に、半年くらいかな、付き合ってたコがいるよ。って言っても、今考えるとただの仲のいい女友達ってだけだった気もするけど。ほんと、いっしょに帰ったり、夜に電話で話したり、たまに遊びに出かけたりくらいで。あ、エッチも何度かしたけどね……。その子は気が強くて、おしゃべりで、まあうちの姉貴みたいなタイプかな。独占欲も強くって、いつも引っ張り回されててさ、なんかちょっと鬱陶しくなってきて……。そしたらその子がだんだん機嫌悪くなっちゃって、ぼくもなんだか面倒になってきたんだよね。そんな感じのまま、高校が別々になって、最初は電話してきて学校のこととか話してたけど、そのうち電話もこなくなって自然消滅したみたいな……。聞いた話によると、どうやら新しい彼氏ができたみたいだよ」

「ふ〜ん……。付き合い始めたきっかけっていうか、どちらからだったんですか?」

「どっちっていうこともないな〜。なんとなく仲良くなって、よく話すようになって、そのまま付き合ってた、みたいな感じ。だから、自分からちゃんと言ったのってナナカちゃんが初めてだよ」

 少し不安そうだった彼女の表情が晴れていく。

「今の高校では?」

「いや、ぜんぜん。前の子がそんな感じだったからさ、付き合うとかすごく面倒くさく思えて、なんかあんまり興味なくなってたな〜」

「……私も、面倒くさい、ですか?」

「いやいや、そんなこと思ったら告白なんてしないよ。ナナカちゃんはまったく正反対のタイプだし、なんか予感みたいなものを感じて、ぼくのものにしたいって思っちゃったんだよね、なぜか」

「なぜか?」

「なぜかっていうか、正直に言えば、そのきれいな足に参っちゃったんだな、いちばん最初に」

 フフッと笑って「そんなにいいですか、私の足?」と前に伸ばして見せる。

「うん。いつ見ても、何度見ても、感動しちゃうくらい。自分ではあんまりそう思わないの?」

「そんなふうに思ったことないですよ。今まで褒められたこともなかったし。ずっと自分の足だから当たり前の足だなってしか思いませんし」

「そうなのか……。あんまりぼくが足にばっかりこだわると、だんだんイヤになってきちゃうかな」

「ううん、ぜんぜんそんなことないです。何回言われても嬉しいし、恥ずかしいけどドキドキして……」

「そっか、よかった。じゃこれからも遠慮なく言うからね」

「はい。あの……以前に帰りの坂で、前を歩いてみてって言われたことあったじゃないですか。それから、少しスカートを上げてみてって。家でそれを思い出したら、なんかすごく大胆なことしちゃったって急に恥ずかしくなって、ドキドキして、でもちっともイヤじゃなくて……。イヤどころか、褒められて、見られて、すごく嬉しかったなって……。他の人だったら絶対あんなことしないのに、なぜか先輩には自然に言われたことできちゃうみたいで……。きっと私、あの時から先輩のこと好きになったんだと思います。あ、こんなことも、先輩にはなんだかふっと言えちゃうし……」

 言った後に恥ずかしくなったみたいで、顔を真っ赤にしている。

「嬉しいな。それって最高の告白だよ。ぼくも普通は女の子に「ぼくは足フェチです」なんて言わないしね。でも、ナナカちゃんにはスルッと言えちゃう。変にカッコつけたり気取ったりしなくてもいいっていうか、すごく自然でいられるんだよね。たとえばさ、誰かといっしょにいて黙ったままだと、普通は気まずい雰囲気になって何かしゃべんなきゃとか思うでしょ。だけどナナカちゃんといると、黙ってても心安らぐっていうか、でも気持ちはときめいてるみたいな感じがして、なんか心地いいんだよね」

 彼女が言葉ひとつひとつにウンウンと大きく頷く。

「私が思ってることをそのまま言ってくれたみたい……。そんなふうに思ってもらえて、ほんとに嬉しくて、まだ信じられないくらい……」

 そう言いながら、彼女の瞳がみるみる潤んできた。

 こぼれ落ちそうになる涙に指を伸ばして掬い取ろうとする。その手を彼女の手が包む。そのまま彼女の頬に手を添えて少し上を向かせ、ほんの一瞬、唇を触れ合わせる。

 ふたりの顔の間を、涙がひとしずく滑り落ちた。

 そのまま固まっていた彼女が、ゆっくりと焦点の定まらない目を開ける。

「ほんとに? こんな私に?」

 朦朧としたような声で言う。

「うん。何度だって言うよ。ナナカちゃんがいいんだ。ナナカちゃんが好きなんだ。ナナカちゃんはぼくのものだよ」

 コクンとうなだれるように頷く。また涙がポトリと落ちた。

 ぼくは手を握ったままじっと待つ。寄せては引く波の音だけが聞こえていた。

 何度か大きく息を吸い込んでから、彼女は俯いたままお弁当を片付け始める。耳まで赤く染まっていたのが次第に元に戻ってきた。

「じゃ、少しそのへん歩いてみようか」と立ち上がって手を差し出す。遊歩道の道なりに当てもなく歩き始める。少し冷たい海風が彼女の火照りを鎮めてくれる。ポニーテールと柔らかそうな後れ毛が風になびいている。

 しばらく無言で歩くうちに、だんだんと彼女の歩調が弾んできた。とうとう、つないだ手を振ってスキップし始める。ぼくとは反対の方に向けた顔を見ると、ウフフと笑っているみたいだ。

「なに、どうしたの?」

「だって……。なんか嬉しくって、こうしてないと大声で笑っちゃいそうで」と、ぼくを引っぱりながらどんどん前に行く。ついには手を離して一人で先に行き、両手を広げてくるくると回りながらスキップしている。

 そうして「せんぱ〜い」と言いながらピョンピョンと戻ってきてぼくの前で止まり「大好きです」と小声で言った。今度は彼女が手を差し出す。その手を握っても、まだスキップしたまま。と思ったら、ぴたっと立ち止まり「この足、好きですか?」といたずらっぽく言う。「うん」と頷くと、また前の方に走って行き、振り返って足を広げて立つ。そして手を口に当て「う、れ、し、い」と声を出さずに叫んだ。

 まるで別の人格になったみたいに、あきれるほど陽気な彼女。降り注ぐ陽射しを浴びて、若々しい緑の中で屈託なく笑う彼女。その姿をスマホで撮影する。手元にはお揃いのストラップが揺れていた。

 それから、引き寄せられるように彼女の元へ歩いて行った。

 また手をつないで歩き出し、込み上げてくる笑いがようやく収まった彼女に言う。

「足も好きだけどさ、ナナカちゃんの顔も性格も好きだよ。まだ知らないことも多いけどさ、なんかどんどん全部好きになってくよ」

「嬉しい。私もです。でも、ちょっと褒めすぎじゃないですか?」

「ぼくがそう思ってるんだから、もうしょうがないと思って諦めなさい」

「そんなこと言うと、私どんどん舞い上がっちゃいますよ」

「さっき、充分舞い上がってたじゃない」

「うわっ、そうですね。またあとで思い出したら恥ずかしくなりそう」と弾みがちな歩みを緩める。

「でも、思い出すたびにしあわせな気持ちになれそう」

「さっきのキスも?」

 ビクンとして立ち止まる。そしてコクンと頷く。

「ちょっと突然すぎたかな。これでも何度も我慢してたんだよ。すぐに抱き締めたくなっちゃうし」

 驚いたように顔を上げて、ぼくの顔をまじまじと見つめる。

「ほんとに? こんな私を?」

「あ、また。もう「こんな私」っていうの禁止。もうちょっと自信を持った方がいいよ」

「……でも」

「ぼくが選んだナナカちゃんなんだから、自信を持って欲しいな、ぼくのためにも」

「あ、そうですね。分かりました。「こんな私」ってもう絶対言いませんから」

「うん、よろしい」

「……私も……抱き締めてもらいたいけど、まだちょっと心の準備が……」

「そんなにあわてることないって。ゆっくり、少しずつ、やっていこうよ。あ、でも、ぼくの衝動が押さえきれなくなるかも」

「そうんですか? じゃ、なるべく心構えしておきます」

「いや、構えてもらっても困るけどさ」

 フフフと二人で笑う。

 並んで歩きながら、彼女は時々ふと立ち止まってニーソックスの裾を引っぱり上げてたるみを直す。そして「ごめんなさい」と、その様子を見ているぼくの横に小走りで寄り添ってくる。

「ソックス、すぐに下がってきちゃう?」

「歩いてると、どうしても……」

「普通の靴下とかストッキングでもそうだけど、弛んでるとすごくだらしなく見えて、つい直してあげたくなっちゃうんだよね」

「あ、私も気をつけるようにします」と、歩きながらまた直そうとする。

「いや、ナナカちゃんはいつもきちんと履いてるから大丈夫だよ。そうやって直してる姿も可愛いし。その裾のところ、ゴムになってるんだよね。きつくはない?」

「慣れないからか、ちょっときつい感じはしますけど。それよりも、もものお肉がはみ出ちゃうのが、ちょっと恥ずかしいです……」

「ぼくとしては、それがいいんだけどな。ぷにっと柔らかそうで」

「え〜、そうなんですか?」と面白そうに笑う。

「あ、またちょっと聞いてもいいですか?」

「うん。さっきの質問の答えは、あれでよかったの?」

「はい、ちゃんと答えてくれたし、先輩の気持ちも分かったし、もう安心しました」

「そっか。じゃ、次の質問って?」

「先輩は足フェチって言うじゃないですか。そのフェチってどういうことなのか、あんまりよく分かんないんですけど……」

「あ〜なるほどね。女の子って、あんまりそういう興味は持たないのかもしれないな。フェチっていうのはフェティシズムのことで、そうだな〜、辞書的に言うと、異性の特定の部位や衣裳などに興奮を覚える性癖ってことかな。まあよく変態趣味とか言われるけどね」

「先輩も変態なんですか?」

「うわっ、直球で来るね。まあ、変態と言われればそうかも知れないけど、何にでも程度があるからさ。ぼくの場合は変態って言われるほどではないと思うよ。ほんとにそういう人って、それでなきゃ興奮できないってくらいだから。ぼくは、女性のきれいな足が好きで、ちょっとこだわりがある程度だから。たとえて言うなら、美しい芸術的な絵画を鑑賞するみたいな、っていうときれいすぎるかな」

「ふ〜ん、なんか面白い」

「女の子でも、きれいな足の人をみると、いいなって思わない?」

「あ、それはありますね。でも、細くて羨ましいとか、カッコいいなとか、そんな感じで、興奮はしないですよ」

「それはやっぱり、同性だからだよ。男から見ると、どうしてもセックスアピールを感じちゃうんだよね」

「先輩は、きれいな足をどうしたいですか?」

「そうだな〜。まずは眺めたいかな。いろんなポーズとか、いろんなスタイルとか」

「そのくらいなら、私もぜんぜん平気ですよ」

「逆にさ、ナナカちゃんは足をジロジロ見られると、どんな感じがする?」

「そんなに見られたことないですから。先輩だけですよ、私なんかの、あ違った、私の足に興味持ってくれたの」

「じゃ、ぼくに見られてどう思った?」

「見られてると思うと、恥ずかしくて、なんかムズムズするような、でもちょっと嬉しいみたいな……。だんだん、ちょっとじゃなくなってきてるかも。あ、それは先輩だからで、他の知らない人だったら、やっぱり気持ち悪いかな〜」

「そうか。とりあえず、ぼくがジロジロ見ても気持ち悪くはないんだね」

「はい。先輩はジロジロっていうより、なんか楽しんでくれてるような感じがして、それが嬉しいです。視線が優しいっていうか、そんなにいやらしくないし」

「え、そう? 充分いやらしい目で見てると思うんだけどなあ」と、わざとねっとりと彼女の足を見る。

「あ、今の目はなんかエッチっぽいです。だけど、あんまりイヤじゃない」

「どうしてかな?」

「それは……」とまた赤くなってしまう。

「好きだから?」

「はい」と明るく声に出して彼女が言う。

「足フェチと言ってもいろいろあってね、ハイヒールフェチとか、ストッキングフェチとか、ガーターフェチとか、素足フェチっていうのもあるかも知れないな。あと、棒みたいに細い足がいいとか、つま先だけに興味があるとか、タイトスカートのお尻がいいとか、もう人によって千差万別かも知れないな」

「へ〜、そこまでいくとほんとに変態っぽいですね。先輩は、どんな足がいいんですか?」

「それはもう、ナナカちゃんの足だよ。まだちょっと大人の足にはなってないけど、なのにそんなにきれいだし、これからもっともっときれいになると思うよ」

「また、そんな嬉しいこと言って……。先輩がきれいだって言ってくれてから、毎日おふろで一生懸命磨いて、クリームも塗るようにしてるですよ」

「足だけじゃなく、肌が透き通ってるみたいにきれいだから、全身ちゃんとケアした方がいいよ」

「はい、そうします。あ、だけど私、実は足にちょっと傷があるんですよ」

「え、そうなの?」

「だから、あんまり短いスカートは履けないんです。これもちょっと短いから少し見えてるんじゃないかな」と右のふとももの裏を手で押さえる。

「ちょっと見てもいい?」

「このへんから、このへんまで」と立ち止まって指を差す。そう言われて見ると、ももの裏のちょっと外側に、少しひきつれたような白い跡が三センチくらいキュロットスカートの裾から見える。それがお尻の真ん中くらいまであるそうだ。でも色白なので、言われてよく見ないと分からないくらい目立たない。

「がっかりさせちゃいました?」

「ぜんぜん。ほとんど目立たないから、気にするほどじゃないよ。どうしても気になる時は、コンシーラーをちょっと塗ればいいし」

「コンシーラー?」

「傷跡やアザやシミなんかを隠すための肌色のクリームがあるんだよ」

「へ〜、そんなのがあるんですか」

「うちの姉貴なんて、あちこちに塗ってたよ。今度もらっておこうか」

「あ、そんな、いいです」

「だけどナナカちゃんの肌の色のは持ってないだろうから、役に立たないか」

「先輩が気にならないならいいですから」

「うん、ぼくはぜんぜん気にならないよ。かえって、ナナカちゃんのトレードマークというか秘密の目印みたいで愛着が湧くな」

「そんなこと言ってくれたら……また泣きそうになっちゃう……」と、すでにちょっと目を潤ませていた。

「ぼくだって、そんな健気で可愛い姿をみたら抱き締めたくなっちゃうよ」

 彼女が微かに頷く。そっとその肩を抱き寄せる。木陰がそんなふたりを隠してくれていた。

 彼女の体は火照っていて、脆そうでいて、同時にしっかりしていた。そして不思議なほど柔らかかった。風に揺れるポニーテールの毛先が、ぼくの顎のあたりをくすぐっていた。

 ほんの十秒くらい。彼女がぼくの肩から額を離し、止まっていた時がまた動き出す。

「また、スキップしたくなっちゃいます」と照れ隠しのように言う。

「ぼくもだよ。じゃあ、あそこまで走って行こう」と少し先にある自動販売機を指さす。走り出したぼくのあとを、彼女が嬉しそうに追いかけてくる。

 自販機の前で笑いながら大きく呼吸して、コインを投入する。彼女は「私、炭酸がちょっと苦手なんです。まだ子供ですね」と、またヨーグルトドリンクを選ぶ。のどを潤すと、少し汗ばんでいるのに今さらながら気付いた。太陽はもう傾き始めているのに陽射しはいっこうに衰えない。

「暑かったらパーカー脱いじゃえば?」

「はい」と脱いだパーカーをバッグに入れる。

 Tシャツ姿は、また彼女の雰囲気を変えた。テニスを終えたあとのような、スポーティーな爽やかさ。肩に覗くブラのストラップさえ健康的に見える。

 飲み物を手に、また並んで歩き出す。心なしかふたりの距離が近付いたみたいだ。分岐点で「植物園」と矢印が書いてある方向へ向かう。

「足フェチの他には、どんなフェチがあるんですか?」

「え、まだその話続ける? こんな話題、面白い?」

「はい。この際だから、気になることはなんでも聞いちゃえって思って。だけど、先輩と話してると、どんな話もすごく楽しいんです。知らないことを丁寧に教えてくれるし、びっくりすることばっかりだし」

「そっか。ならよかった。あんまり語りすぎちゃったかと思って」

「ううん、どんどん話が広がって面白いですよ」

「えっと、足フェチ以外って言うと、まあなんでもありじゃないかな。思いついたまま並べてみると、まず胸でしょ、お尻でしょ、あと髪とか、指とか、脇とか、鎖骨とか、うなじとか、つま先はさっきも言ったか。物で言えば、靴に、下着に、メガネに、革の衣裳とか、制服フェチって言うのもあるな。まあ、とにかく身に付ける物ならなんでもあるんじゃないかな。程度の差はあれ、誰でもたいていは何かにフェティシズムを感じてるんじゃないかと思うよ、自分でも気付かないうちに。心理学的に見ると、けっこう奥深いのかも知れないな。セックスアピールって何なのか、なぜ男は女に惹かれるのか、女は男に惹かれるのか、ってことに行き着くみたいな」

「へ〜、なんかすごいことなんですね〜。そうすると女性にもフェチってあるのかな?」

「男みたいな、止むに止まれぬ衝動みたいなのはあんまりないのかも知れないけど、前に言ったように、声とか、あとは厚い胸板とか、胸毛とか、ヒゲとか、日に焼けた逞しい腕とか。そういえば、ピシッとネクタイを締めたスーツ姿にクラッとくるみたいな話も聞いたことがあるな」

「あ〜、そうすると、男らしさ、女らしさの象徴みたいなことですか?」

「そうそう、まさにそうだよね。すごいな、ナナカちゃん、ひとことでまとめちゃったよ」

「あ、すみません」

「いやいや、頭いいなって感心してるの」

「そんな……。私の成績なんて、ほんとに中の中ですから」

「頭の良さってさ、何種類かあると思うんだ。学校の勉強って、だいたい覚える頭の良さでしょ。でもその他に、モノの核心とか本質を見極める頭の良さとか、別々の物を組み合わせる頭の良さとか、ゼロから何かを生み出す頭の良さとか。だから成績がすべてじゃないって、ぼくも特別成績いい方じゃないからさ、そう言って自分を慰めてるんだけどね」

「あ〜なるほど〜。そう考えると、ちょっとホッとしますね」

「だけど、基本的な知識がないと組み合わせたり創造したりもできないから、そのために学校があるんだと思うけどね」

「……先輩って、ほんとにいろんなこときちんと考えてるんですね」

「そんなことないよ。これくらいはみんな考えてると思うけど」

「そうか。じゃあやっぱり私が何にも考えてなかっただけなんだな……」と少し肩を落とす。

「あ、その方がいいかも。自分は何も知らないって自覚して、もっといろんなことを知りたいって興味を持つ方が、私は頭がいいんだって思ってるより全然いいと思うよ。これからは、ふたりでいろんなこと話して考えて行こうよ」

「……もう、先輩はなんでそんなに人を喜ばせることばっかり言えるんですか? 本気にしちゃいますからね」

「もう思いっきり本気にしてよ。いや、ぼくがそうして欲しいんだよね。友達にちょっとこんな話すると、すぐに理屈っぽいなってウザがられるし、ちゃんと聞いてくれるナナカちゃんは、ぼくにとってすごく貴重な存在なんだよ。それにナナカちゃんと話してるだけで純粋に楽しいしさ。話すことによって自分が頭で思ってることが分かるっていうか整理できるし、自分でも思いも寄らないことが浮かんでくることもあるし。ナナカちゃんに質問されたり自分の意見を言ってくれたら、また自分以外の別の考えも分かったりするしね」

「違う感性が刺激になるっていうことですか?」

「そうそう。ほんと、その通り。やっぱりナナカちゃん、頭いいな」

「いえ、先輩の話を聞いるとすごく刺激されるから、そういうことなのかなって」

「それはきっと、ナナカちゃんがひとつひとつの言葉を真剣に聞いて、ちゃんと消化してるからだよ。あ、そういえば昨日、姉貴がナナカちゃんのことを真っ白いキャンバスみたいだって言ってたんだよね。ぼくも、まったくその通りだと思うよ」

「え、私そんなに純真無垢なわけじゃないですよ。けっこう心の中はドロドロしてるんですから」

「そうなの? そこんところもじっくり聞いてみたいな」

「……もう」

 そんな話をしているうちに、植物園のガラスドームがどんどん大きくなってきた。

「フェチの話が、いつのまにかこんな話になっちゃったね」

「もっと聞きたかったな。でもほんと、すごく楽しいです」

「じゃ、また続きは今度ね」

「はい。あ、私ちょっとおトイレに……」

「ぼくも」といっしょにドームの中に入る。

 トイレから出てきた彼女は、またパーカーを着て、黒いニーソックスに履き替えていた。見た目の重心が下がったからか、さっきよりもちょっと丈が長いせいか、足がいっそう細く長く見える。今度は可憐さを増していた。

 帰りの電車に乗ったのは、五時少し前だった。

「そういえば、ナナカちゃんの家は門限とかあるの?」

「特に門限の時間はないですけど、あんまり遅くなるとおばあちゃんたちが心配しちゃうし、できれば五時とか五時半くらいに帰って夕飯の支度したいです」

「そうか。この分だと家に着くのは六時過ぎちゃうな」

「あ、今日は少し遅くなるって言ってあるから平気ですよ」

「それならよかった。これからはぼくも気をつけるよ」

「すみません。でも、先輩といると、ほんとにあっという間に時間が過ぎちゃって……」

「そうだね。もっと話したい、っていうか、いっしょにいたいね」

「はい」レールの音にまぎらすように、そうつぶやく。

 それからしばらく黙ったまま、遠ざかって行く水平線を見ていた。

「あ、ねえ、明日の帰りにうちにこない? なにか用事がある?」と小声で尋ねる。

「いいえ、いつも図書室で一時間くらい本を読んでから、帰りに買い物をして食事の支度に取りかかるだけですから」

「じゃあ、読みたい本があったら借りてうちで読めばいいし、宿題があったら手伝ってあげるよ。五時半に帰るなら、一時間ちょっといっしょに過ごせるし」

「ほんとにいいんですか?」

「ぼくはいいけど、あ、でもナナカちゃんが警戒しちゃうか。ちょっと展開が早すぎるかな……」

「そんなことないですけど、別にヘンなことするわけじゃないですよね?」

「うん、そこんとこはグッと押さえるから。約束する」

「じゃあ、お邪魔じゃなければ、また行ってみたいです」

「うん。一度来てみて、なんか怪しいなって思ったらもう来ないようにすればいいし」

「怪しいもの、あるんですか?」とクスクス笑いながら言う。

「そういう訳じゃないけど……。あ、忙しい時は店を手伝わされちゃうかも、あの姉貴に」

「それは全然構いませんよ。私に出来ることあれば何でもやりますから」

「それじゃあ、うちの店でバイトしちゃう?」

「あ、それでもいいですよ。少しの時間でよかったら」

「まあ、そのへんはまた相談しよう。じゃとりあえず明日の放課後はそういうことで」

「はい、わかりました。楽しみが増えて、また今日も眠れなくなりそう」と顔をほころばせた。

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