第14話 家出のあとで

 「まあ、美湖ちゃん」

 祖母は驚いたように、でも少し嬉しそうな顔をして美湖を迎え入れた。

 「わかったわ、お母さんと喧嘩して飛び出したのね」

 祖母はそう言ってすぐに、連絡しておくわねと電話機の受話器を手にした。

 バスに飛び乗ってから、どこへ行こうか考えた。

 まず思いついたのは舞のところ。

 だが、こんな夜更けに友だちの家を訪ねるのはあまりにも不謹慎だ。

 持っていたのは定期入れとわずかなお金。ホテルに泊まることも出来ないなら、選択肢はそれほどに残されていなかった。

 兄が言っていた。お父さんの何かを知ることになると。おばあちゃんがどうとかとも。

 ならば、父方の祖母の家に行くのがいいと思ったのだ。

「ごめんなさい」

「いいのよ美湖ちゃん。お母さんと喧嘩して家出したくなった時はいつでもうちにおいで」

 と、祖母は笑った。

 そこへ、騒ぎを聞きつけて来た叔父の三行が二階から降りて来た。

 美湖を見て、どうしたと驚いた顔をした。

 風呂上りのようで、スウェット姿の三行を見た美湖が言う。

「よれよれのスーツより随分マシよ」

「髭も剃ったしな」

「あ、ホントだ。それでスッキリ見えたのね」

 電話を終えた祖母がやってきた。

「三行、美湖ちゃんを連れて車で家まで送ってあげて」

「え、おばあちゃん、私――」

 帰りたくない、今日は。

「着替えをとって来なさい。生憎うちには美湖ちゃんの着替えはないわ。むさくるしいおじさんと年寄りの服しかないのよ」

 それでも今飛び出して来たばかりの自宅に帰るのはなんだかバツが悪い。美湖は少し渋った。母にどういう顔をしていいのかわからないのだ。

 さあと三行に背中を押され、美湖は車に乗り込んだ。

 バスを乗り継いだりしたので、来るときは四十分はかかっただろうか。けれども車で戻ったら二十分程で自宅についた。

 三行が母響子と話している間、美湖は三行の背中に隠れていた。二人が何を話していたのかは、よく聞いていなかったから分からない。そそくさと部屋に行って荷物をまとめた。祖母は三日分あれば洗濯して着回せるから、足らないならまた取りに帰ればいいと言ってくれた。美湖はとりあえず三日分の着替えをボストンバックに詰め込んだ。忘れないように教科書も入れた。

「美湖、あまり迷惑かけちゃだめよ」

 そう母に声を掛けられたが、美湖は返事をしなかった。それどころか、車に戻ってるからと言って、さっさとその場を離れた。

「じゃあすみません。よろしくお願いします」

 と、響子は三行に頭を下げた。それから三行に二枚ほど紙幣を掴ませた。

「ああ、いいですって。お袋もそんなつもりはないですから」

「美湖の食費諸々です。ご迷惑かけるから――」

「お袋は嬉しいんですよ、美湖に会うの久しぶりで。しかも泊まりってそれこそ――カズが居た時以来じゃないですか」

 三行はお金を響子に返した。

 響子は申し訳なさそうに、もう一度頭を下げた。

「もしかして『兄貴』から連絡があったんじゃないのか?」

 車に戻って来た三行が運転席に座る。助手席に座っていた美湖が目を丸くした。

「そうよ、どうして――」

「分かったかって? 大方兄貴からの連絡に喜んでお前、大声あげたりしたんだろ。それをお母さんに聞かれて、まだ妄想してたのかって問い詰められて逃げ出した」

「ふうん――さすが元刑事ね」

「そのくらい誰でも推測出来る。今このタイミングでお前が慌てるといったら『兄貴』のことだろ」

 そう言い切られてしまうのも少し腹が立つ。

「まあ、タイミングがいいと言えばいいな」

「どういう意味?」

「しばらく一緒に行動出来るというこった。お母さん公認でね」

「あ――」

 そうだった。美湖は三行と調べものをしていることを母に内緒にするつもりでいたのだ。

 帰りの道中、美湖は兄が伝えて来たことを話した。

「――それでうちに来たってのか?」

「そうね、どこ行こうかって迷ったけど」

「ふうん」

 三行はそう唸ってしばらく黙った。

「きっと私、何もしないでも全てを知るようになるのよ。兄さんがやってくれてるみたいだし、兄さんが起こした行動は後から私にも起こるのよ」

「そうだとしても、だ。結局お前はお母さんと喧嘩して、泣きながら飛び出して嫌な思いして、ばあちゃん家に飛び込むはめになったわけだろう? お前の兄さんはもっとスマートな形でうちに来たと思うぞ。自分で考えて調べて行動した結果だな」

 振り回されるってそういうことだ、と三行は言った。

 だって――美湖は口を尖らせた。

「それが嫌なら、自分でも行動することだな。考えるのが苦手なら俺に任せろ。俺じゃなくたって友達もいるだろう」

「それが――」

 美湖は邪魔者について語った。

「誰に相談していいのか分からないわ」

「俺も邪魔者かもしれないわけか」

「そうね」

「でも、わからないなら防ぎようもないだろう。今わかってる範囲で行動するしかねえじゃねえか」

 スウェットのポケットから、三行はいつもの電子タバコを取り出した。美湖はそれを横目にして言った。

「それ、効果あるの?」

「ん? 吸ってる感じはする。でも肺に来るのはニコチンじゃない」

 そう言いながら口に咥えてふかした。

 赤い光が灯って、煙のようなものが立ち昇る。

「行動依存とニコチン依存だな。これで行動依存はなんとかなる気はする」

「ニコチン依存は? 病院で貰えるんでしょ? 禁煙するためのニコチンのシールみたいなのが」

 病院は嫌いだからなあ――と、三行は大人げないことを言った。だめじゃない、と美湖は三行を詰った。

「しかし、なんだその――世界ってのが理解できりゃなあ」

 三行は独り言のように呟いた。

 美湖の世界と兄の世界と、話の便宜上そう言ってはいるものの、実際どうなっているかは誰も理解できていない。

「世界に断ち切られる――って言ってたわ」

 三行は、ふうんと鼻を鳴らした。

「ファンタジーとか――SF? そういった類の小説とか映画はあんまり見たことがないからなあ。妄想が広がらんよ」

「妄想じゃなくて想像っていってよね」

「誰かそういう想像が得意なヤツいないかなあ」

「こないだ、お父さんはあっちの世界にいるんだ! って叔父さん言ってたじゃない。そういうの得意だと思ってたわ」

 得意なわけじゃないよ、あん時はなぜかそう思ったんだ――と三行は肩をすぼめた。

「兄さんは得意そう」

「そうみたいだね」

「男の子ってそういう想像膨らますの得意そう。あ――」

 美湖の脳裏に、一人のよく見知った男子の顔が浮かんだ。

「あいつ――あいつかあ」

 しかしすぐに美湖は残念そうにうなだれた。

「誰か思い当たったかな? もしかしてあの子か?」

「でもなあ、あいつ――ああ、やだなあ」

「この際誰でもいいと思うぞ。こういう話を打ち明けても大丈夫そうな人がいるのなら話してみたら?」

「協力してくれそうな子だけど――バカなのよねえ」

 と美湖は本郷保を思い浮かべながら言った。

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