第12話 記憶
「え、加山先輩もう帰っちゃったんですかあ?」
本郷が残念そうに肩を落とした。
「調べものがあるから図書館に行くって」
「んじゃ俺も!」
「やめなさいよ、邪魔しないの!」
舞は本郷を叱った。
昨日は、美湖の叔父さんが突然現れて楽しみにしていた放課後を邪魔された。今日こそはと、終業のチャイムが鳴ってすぐに美湖のクラスまで走ってきたのだ。
「あなたも本当――真面目というかなんというか。よっぽど美湖が好きなのね」
「いやあまあ、そうです」
本郷は照れながら頭を掻いた。
「私も今日は美湖にふられたし――どう? 途中までだけど一緒に帰る?」
「え、いいんですか? 嬉しいです!」
「あ、でもこういうのは浮気になっちゃう?」
「浮気以前に付き合ってないですし」
「そっか」
舞と本郷は、学校近くの商店街まで一緒に歩くことにした。舞が本郷を誘ったのには理由があった。美湖がいないから好都合だとも思った。
「ねえ本郷君。昨日、あのカフェの前に居たでしょ」
「あのカフェって? いえ、知りませんけど」
「おかしいわ。間違いなくあなただと思ったのに」
「それって――俺が先輩方の後をつけてったって言いたいんですか?」
そうね、と舞ははっきり言った。
「いやいやいや、見くびってもらっちゃ困りますよ! 俺、たしかに加山先輩のストーカーですけど」
「あ、自称した」
「ですけど! あんなシリアスっぽい状況、さすがに遠慮しますって。それに、皆さんと別れてから友達呼び出してカラオケ行ったし」
本郷は必死に身の潔白を証明しようとした。
「そりゃね……心配で、やっぱついて行こうかなあとは思いましたけど」
「じゃあその友達に聞いてみるわ。どの子? 教えて」
「ちょっと稲沢先輩、勘弁してくださいよお。信じてくださいって」
嘘をついている感じではなかった。仕方ないわね、と舞は折れた。
「――わかるでしょ? 美湖の妄想癖」
「ていうと?」
「本郷君はどこまで気づいてるの?」
何が言いたいのかさっぱりですよ――と、本郷は肩を竦めた。
「何も気づいてないならいいのよ。私から勝手に色々言うわけにはいかないし」
「――誰かとしゃべってる的な? 見えない誰かと」
舞はそうねと頷いた。
「美湖には悪いけど、私は妄想だと思ってる。でも美湖は――本当にその『誰か』が存在してると信じてるの。叔父さんも美湖を信じてる。二人はその『誰か』を探そうとしてるわ」
「その『誰か』っていうのは、加山先輩はわかってるんですか? 稲沢先輩も聞いてるんですか?」
「――ええ」
そうですか、と本郷が呟いた。
「妄想の世界にのめり込んでしまうんじゃないかと心配で。私だって信じてあげたいけど、どうしてかな――今は信じてあげられそうにない。それよりも美湖たちを止めなきゃって思うの。妄想から目を覚まさせなきゃって」
本郷はうーんと唸って空を仰いだ。
しばらく二人は黙り込んでいた。どれくらいそうしていただろうか。気がつくと二人の歩みは自然と遅くなっていた。このまま話を終わらせることは出来ないと感じたせいだ。
赤信号で止まっている。この横断歩道を渡れば商店街だ。
「妄想ってやっぱまずいんですかね」
「どういう意味?」
舞は本郷の方を向いた。
「俺も時々あるんですよ」
本郷は辺りの景色を見回した。ぐるっと一周見渡して、舞の方を向いた。舞より少し高い目線。彼女を見下ろしながら、
「俺――本当はこの世界の住人じゃないような気がして」
と、本郷は真面目な顔をして言った。
「え?」
舞は思わず聞き返した。
「なーんてね!」
と、お道化る本郷。
「何よもう、冗談なの? やめてよ、びっくりするじゃない」
舞は胸を撫で下ろした。ちらっと本郷の表情を窺えば、彼は目を細めて笑っているが、その笑顔はどこかしら寂しげだ。しかも、
「半分冗談で半分本気――かな」
などというので、舞はまた不安になった。
「異世界ってのがあるんじゃないかって」
「ゲームのやりすぎだわ」
舞は少し呆れたように言った。
「ねえ、稲沢先輩はこんな風に思ったことありません? 今こうして二人で話してるじゃないですか。んで家に帰ったあとでこの場面を思い出してみるんですよ。そしたら、その記憶ってのは本当は夢だったんじゃないかなって気持ちがしてくるんですよ」
「そんな風に思ったことはないわ」
と、舞は言った。
「だって不確かじゃないですか。いちいち録画してるわけじゃないし。流れてった時間ってもう二度と戻ってこないわけですよ。その代わり記憶だけが残ってて。でもその記憶も曖昧じゃないですか、勘違いや思い違いなんてしょっちゅうあるし。だったら過去の記憶も、今朝見た夢と変わらないなあって思うんですよ」
「そんな――自分の記憶を信じなくてどうするの。記憶の間違いは気づいた時に正せばいいわ。記憶は曖昧で当たり前だわ」
「そうなんですけどね、僕の場合――勝手に記憶が書き換わってる気がして」
急に辺りがしんとなったと思ったら、横断歩道の信号が青に変わっていた。車道の車が一斉に止まったから静かになったのだ。
けれど本郷は歩き出そうとしなかった。
「本郷君?」
「昨日、僕が二人をつけてったんじゃないかって言いましたよね」
「ええ」
「僕はついてってないって思ってます。でも、本当は二人を尾行してて、その記憶がすっぱりなくなってたとしたら――」
「ちょっと待って本郷君。私、そんな風にあなたを追い詰めたつもりじゃないわ」
舞は本郷の制服の袖を引っ張った。だが、本郷は動こうとしない。
「ごめんなさい、謝るわ。疑って悪かったわ」
本郷は少し俯いたが、横断歩道の白線をじっと見ているようだった。舞が何度も袖を引っ張るが、なかなか歩き出さない。
もたもたしていると信号が点滅を始めた。
本郷が小さな声で呟いた。
「記憶が消えてしまったら、僕は誰かを愛していたことさえも忘れてしまうんだ」
「え? 何、よく聞こえな――」
本郷は思わず舞の手をぎゅっと握った。舞は狼狽えて本郷の目を見るが、彼の目は舞とは違うものを見ているような気がした。舞と視線を合わせるでもなく宙を見ていた。
きつく握りしめられた手をどうすることも出来ずに、舞も一緒に立ち尽くしてしまった。
そして信号は赤になった。
止まっていた車が一斉に走り出す。辺りは再び騒音に包まれた。
車の流れをぼんやりと見ながら舞は言った。
「そうよ、人は記憶に流されて生きてるの。記憶を経験に変えて、記憶に従って判断をしていくのよ。その記憶が曖昧だろうと、間違っていようと」
でも間違いに気づけば修正は出来るわ――舞は向かい合わせるように本郷の前に立った。本郷はゆっくりと舞に視線を落とした。
「心配しなくていいわ。本郷君が今思い出せる記憶を信じていればいいと思う。記憶が不確かで不安でいるのは、きっとみんなそうだと思うよ」
優しく本郷の手を摩る。
本郷は握り締めていた舞の手を慌てて離した。
「す、すいません! 僕――なんだか暴走しちゃったみたい」
「本郷君がそんな繊細なこと考えてるなんて驚いたわ」
本郷はへへへといつものように笑った。
「そういうキャラじゃないっすよね」
二人はもう一度信号が青に変わるのを待った。
「私が面白くないだけなのかな――」
舞がぽつりと呟いた。
「美湖も本郷君も、なんだか色んなこと考えて想像を膨らませてる。私はそういうのあんまりないなって。なんだか二人といると、私が面白味のない人間のように思うわ」
「そんなことないっすよ。稲沢先輩みたいな人がいないと、世の中めちゃくちゃになっちゃいますよ。ちゃんと言ってくれる人がいるってとても心強いです。――加山先輩も稲沢先輩のことそう思ってるはずです」
そんな風に本郷が言うから、舞は思わず目を潤ませてしまった。
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