第10話 綻び
「よお、美湖」
放課後、下校しようとして校門の前で中年の男に呼び止められた。美湖は足を止め、その男の顔をじっと見た。
一緒にいた舞は思わす美湖の腕をぎゅっと掴み、本郷は一歩前に出て二人を守るように立ちはだかった。
男はよれよれのスーツを着ていて、タバコを咥えて突っ立っている。ボサボサ頭に無精髭。美湖たちより頭一つ長身の位置から三人を見下ろしている。その目は半開きで、とても眠たそうだった。
「坊主、いい心がけだな」
女の子を守る姿勢を見せた本郷に、男はニヤニヤしてそう言った。そして、ほらよ、と胸のところに何かを突き付けた。
「忘れもんだ」
それは昨日本郷が落とした定期入れだった。
「あ! え――なんで?」
「昨日俺とぶつかっただろ」
「ああ! もしかして、わざわざ届けに来てくれたんですか?」
「んーまあ、そういうことになるか」
本郷は、ありがとうございますと言って深々と頭を下げた。その中年男は、気にするなと言いながら、火がついたままに見えたタバコをスーツの内ポケットに入れたから、三人はぎょっとした。ポケットから煙が立って燃え出すんじゃないかと、しばらく男の胸の部分に注目した。その様子に気づいた男は笑いながら再びタバコを取り出した。
「これ、電子タバコね。火じゃない電池。ほら」
カチカチと火に見せかけた灯りを点けたり消したりした。三人の高校生は、そんなもの初めて見たという様子で感心していたようだ。
「ねえ美湖、知り合いなの?」
舞が恐る恐る尋ねた。
「――叔父さんよ、私の」
舞と本郷は驚いた様子で美湖を見た。次に男を見た。もう一度美湖を見た。交互に見た。何度も見た。
「うそでしょ!」
「うそだろ!」
二人は口を揃えて言った。
「おいおい、なんだそのリアクションは」
と、白々しく言う叔父の加山三行に美湖は冷たく言い放った。
「そんな恰好してるからよ。恥ずかしいんだから!」
「は、恥ずかしいってなんだよ」
「髭くらい剃ってから会いに来てよね!」
姪っ子に嫌がられて、叔父さんはしょぼんと肩を落とした。
「あ、あの私――稲沢舞です。美湖とは小学生から友達で」
と、舞が改まって挨拶をした。
「ああ、君が舞ちゃんか。美湖から話は聞いてるよ」
三行は握手をしようと右手を差し出したが、舞は警戒しているようだ。ふふっと笑顔で誤魔化された。
「えっと、僕は――」
「ホンゴウタモツ君だね」
舞に続いて挨拶しようとしたら、先に名前を呼ばれて目を丸くした。
「定期に書いてあったんだ、名前」
本郷ははっとして顔を引きつらせた。
――もしかして写真見たんですか?
三行は本郷と視線を合わせながら、さりげなく美湖を指さす。
――美湖とはそういう関係?
すると本郷はちぎれんばかりに首を振った。
――ち、違います!
おそらく、このような会話が二人のジェスチャーで交わされたに違いない。そこは男同士だ。デリケートなところはそっとしておく。メンツを崩すようなことはしない。
「オーケー」
三行は頷いた。
さて――と、柏手を打って美湖にこっちに来るように手招きをした。
「何?」
「聞きたいことがあるんだ、いいかな?」
「これから舞とスイーツ食べに行くんだけど」
素っ気なく言う。
「お父さんのことなんだけど」
「それなら昨日お母さんと話したんでしょ?」
「話したよ。でも、美湖にも話を聞きたいと思ってね」
「嫌よ!」
突然美湖が大声を出したから、皆驚いて一瞬動きを止めた。
「私、何にも覚えてないって言ってるじゃない!」
美湖は舞の腕を掴むと、行こう――と言って早足で歩きだした。
「わかってるよ。何も美湖を責めようってんじゃないさ」
「そうやってしつこく聞いてくるのが嫌なの! 責めてるのと同じだわ!」
「わかったわかった。じゃあ、お前の『兄貴』のことを聞こう」
二人ははたと足を止め、顔を見合わせた。
「なんで――」
「知ってるかって? 知ってるさ。カズが言ってたからね」
カズとは、美湖の父親
「でも美湖には何も言うな聞くなって、君のお母さんに止められて」
「お母さんが」
「まあ、言う通りにしたよ。君がまだ子供のうちはね。でももう違うだろう?」
「――お母さんが聞いていいって言ったの?」
「いいや」
「ふうん、だから校門の前で待ち構えてたわけね。お母さんにバレないように」
まあそういうことかな――と、三行はとぼけた顔をしてみせた。
「とにかく、美湖の兄貴ってのに興味があってね。しかも双子だってんだろ?」
美湖は溜息をついた。
最近おかしい、自分も含めて。
ずっと内緒にしてきたことが、周りにバレていく。
みんな見て見ぬふりをしていたのに、急に構ってくる。
なんで。
「ごめん、舞。今日は――」
「私も一緒に話を聞くわ。聞きたいの。ダメ?」
舞は言った。
「叔父様、私も美湖の話が聞きたいです。一緒に居ても――」
構わないよ、と三行は答えた。
「美湖さえよければ、俺はね」
美湖にとって分が悪い状況になった。
いっそこのまま逃げてしまおうか。けれど、それでは心配してくれている舞の気持ちを傷つけることになる。はっきり言って叔父の都合などどうでもいい。けれど、舞を味方につけて判断を私に委ねてくるなんて卑怯だと、美湖は憤った。
「――でどうするんですか? 加山先輩」
返事を促したのは、他でもない本郷だったことに美湖は驚いた。なんであんたが急かすのよ、と言わんばかりに睨んだ。けれど、他の二人も同じ気持ちのようで、美湖の返事をじっと待っている。
「もう、わかったわよ……」
溜息交じりに美湖は答えた。
「まさか、あんたも来る気?」
「いえ僕は遠慮します」
「――そうよね」
珍しく本郷が遠慮して、美湖は少し意外に思った。どんな時も金魚のフンのようにくっついて来ると思ったからだ。真面目なところもあるじゃないと、感心した。
じゃあと、三行がもう一度パンと手を鳴らした。
「静かに話せる場所に行こうか。カラオケボックスがいいと思うけど、どうかな?」
「やだ。ケーキが美味しいカフェがいいわ」
「へいへい」
この場合は姪っ子の我儘を聞くしかない。
話が纏まったところで、じゃあまた明日ね――と、舞が本郷に向かって手を振った。美湖はちらっと見ただけで特に何も言わなかった。
「はい、また明日!」
本郷は笑顔で手を振り、そこで皆と別れた。
その場から遠ざかっていく三人の姿を、見えなくなるまで眺めていた。遠慮をしたというより、自分は行ってはいけない気がした。美湖に嫌われるから――そうかもしれない。けれどそれ以上の理由があるような気がしてならない。なのにそれが何なのか思い出せない。必死で思い出そうとすると、頭にモヤがかかったようになる。そのうちどうでもよくなって、考えるのを止めるのだ。
すっと背筋が延びた憧れの人――加山美湖の後ろ姿を見つめる。セーラー服の襟から伸びた白いうなじ、揺れる黒髪――本郷はふんわりとした感覚に襲われて目を閉じた。
彼女の姿や声をもう一度イメージする。
しかし、なぜだかうまく思い出せない。たった今見たはずなのに。僕は彼女が大好きでいつも見ているのに、どういう理由かその声も姿も全く別人のそれと重なってしまう。
すっと伸びた背筋。長い手足、ふんわりとした黒髪が歩くたびに揺れる。彼女――いや、彼は恰好よくて、男前で、男の僕も憧れてしまう。
――ああそうか、僕は何をぼんやりしていたんだろう。
このイメージは加山美月先輩じゃないか。
本郷はゆっくりと目を開けた。
遠くに見える三人の姿。
稲沢舞と加山美月、その叔父の加山三行が並んで歩いている。
――うん、何も変わっていない。同じ景色だ。
本郷は安心して反対方向に歩き始めた。
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