第4話 依存症の双子

「ねえ、一つ聞いてもいい?」

 ベッドに身を投げて、美湖は天井を見ながら呟いた。

 市内の学校とはいえ、ほぼ郊外と言っても過言ではない。広大な敷地を確保するには市境ギリギリの山しかなかったのだろう。学校からバスに揺られて四十分、バス停から自宅まで徒歩十分。一時間弱の通学時間だ。しかし、二時間近くかけて通学している生徒もいる。一時間弱で音を上げていては叱られそうだ。

 ふわっとあくびが出た。

「本郷とはどうやって知り合ったの? 私の場合はあれだけど……」

「あれね」

 伝説となった例のエピソードを思い出して、兄はくすくすと笑った。

「まさか告白されたわけじゃないでしょ?」

 面白い冗談だなあ、と兄が笑う。

「保は稲沢にコクったんだよ」

「たもつって誰よ」

「本郷保だよ」

 あいつの下の名前なんて知らない。そんなこと、今はどうでもいい。

「はあ? 舞にコクったの? バカじゃない!」

「まあ玉砕ですよ」

「当然だわ!」

 憤慨しながら、頭にまたふと次の疑問がよぎる。

「――あれ? 舞のこと、いつから苗字で呼ぶようになったの?」

「ん、覚えてない」

「昔は舞ちゃんって呼んでたわ」

「そうだっけ?」

 明らかに白を切っている。

「なんかあった?」

 別に、と兄はぶっきらぼうに言った。

 はぐらかされたことに気づいて、美湖はむうっとむくれたが、すぐに気を取り直した。

「――そっか、舞の呼び方も違うのか。微妙に違うよね、色々と。私と兄さんの――世界というか、見ているものもちょっと違う」

「そうだな」

「てことは、兄さんはやっぱり、私の妄想じゃないんだよね?」

「そう思うよ。俺が感じる美湖の存在は、俺の妄想じゃない」

「うん」

 美湖は改めて確信して大きく頷いた。なんだか嬉しさが込み上げてくる。

「ねえ美湖、気づいてた? 美湖の声は、必ず俺の左の耳から聞こえてくるんだ。美湖には、俺の声が右の耳に届いてるんじゃないかな」

 美湖は思わずベッドから身を起こした。

「え、そうなの? 何か言ってみて」

 そう言われて兄は

 ――美湖

 と、名前を囁いた。

「ひゃっ!」

 本当に右の耳から、それもまるで唇が触れているかと思うほど、近くで声が聞こえた。

 美湖は思わず耳を押さえて顔を赤くした。

「近い近い、くすぐったいよ」

 まるで本当に隣に兄がいるようで、美湖はそこから距離を取るように少し体をずらした。

「もう――妹に甘く囁く必要ある?」

 ふふと兄が笑う。

「ね? 右耳だったろ?」

「うん」

「だから俺、左側に美湖がいるんだと思ってる」

 美湖は思わず自分の右側を見た。

「じゃあ私の右側に兄さんが……」

「手を伸ばしてみて」

「うん」

 伸ばした手は当然空を掴む。

「俺も今、手を伸ばしているよ。目を閉じてみて」

 言われた通りに美湖は目を閉じた。

「想像して。俺たち、今きっと手を繋いでる」

 感じる。

 隣に兄さんがいるのを。

 妄想なんかじゃない。

 兄さんは実在するんだ。

 美湖はそっと目を開けてみた。

 でもやはり兄さんの姿は見えない。

「兄さんに会いたいよ」

「俺も美湖に会いたい。この目で妹を見てみたいし――抱きしめたい」

 美湖は目頭が熱くなり、つっと涙が頬を伝い落ちた。

 当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃないと気がついた時から、ずっとそう願ってきた。

 声だけの兄妹。

 今日まで誰にも言えない秘密と共に、二人で支えあって生きてきたのだ。

 誰よりも一番自分を理解してくれている人に、会いたいと思うのは当然のことだ。

「泣かないで、美湖」

「どうしたんだろう――今になって、すごく会いたいと思うの」

「わかるよ」

 兄が頬を撫でてくれているような気がした。ほんのり右頬に温かみを感じた。

「いつだって声は聴けるのに、寂しくなんかないのに、兄さんの姿が見えないことがとても悲しいと思うようになったの」

「俺だって同じだよ」

「兄さん」

「ねえ、美湖。本当を言うとね――」

 美湖は涙を手で拭うと、兄の声が聞こえる右側を向いた。

「俺が兄だっていう確証はないんだ」

「え?」

 美湖は、言葉の意味を一瞬理解できなかった。

「兄妹じゃないってこと?」

「そうじゃなくて――俺たち双子だろ?」

 そう信じている。

「俺と美湖は、実際に双子として生まれてはいない。でも魂は双子なんだ。だって、こうしてお互いの声が聞こえるからね。だったら、どっちかが兄であり姉であり、弟で妹なわけだろ?」

「うん」

「とにかく、俺は可愛い美湖を妹にしたかった。美湖の兄さんになりたかったんだ。だから、俺が勝手に兄を名乗った」

「じゃあ、私がお姉さんだったかもしれないってこと?」

 ごめんねと謝る兄に、美湖は首を横に振って答えてみせた。そうしたところで、兄に見えはしないが。

「俺は、美湖を守りたい。ずっとそう思って来たし、今もそう思ってる。たぶんこれからも――」

 兄の優しい言葉を聞いて、美湖の目から再び涙が溢れてきた。ぽたぽたと膝の上に落ちる涙を、美湖はじっと見ていた。

「美湖? 俺、なんか悲しませた?」

 ぐすぐすと泣き声だけが聞こえてくるから、兄は不安になって訊ねた。

「――ううん、私、愛されてるなって……とても嬉しいの」

 ほっとした兄の吐息が右耳をなぞる。

「私も、兄さんが好きよ」

 ありがとう――と兄が囁いた。

「だからかな」

「ん?」

「本郷とか、周りの男の子がどうでもよくなっちゃうの」

「そこで保の話が出てくるか」

 出てきちゃったね――と、美湖は小さく笑った。

「依存してるとは思ってるよ。でも、仕方ないよ。今のところ兄さんが私の理想の人なんだもの」

 美湖は涙で濡れた膝を抱えた。

 何か慰めの言葉が掛けられるかと待ってみたが、その時に限って兄は何も言わなかった。

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