第3話 美湖の妄想癖
改めて校庭を見渡すと、あれだけ華やかだった桜がすっかりと葉桜に変わっていた。
新学期が始まってから、この一月は慌ただしく、特にあっという間に感じたせいかもしれない。桜の色が変わっていたのさえ気づかなかった。
「そんなんでよく持ちますねえ」
ハンバーグ弁当を掻き込みながら、横でサンドイッチをもそもそ食べる美湖に、本郷は言った。
校舎の片隅に設けられた休憩所。片隅とはいえ、かなりの人数が集える場所だ。そこからは中庭の様子がよく見えて景色がいい。
鏡市立南鏡高等学校は、県内唯一の市立高校で歴史も古い由緒ある学校である。
建物の老朽化を機に、市の活性化事業の一環として、公共スポーツ施設を併用する大規模高等学校への転換が実施された。市の外れの山を丸々一つ開拓した広大な敷地に、最先端の技術をもって校舎や、野球場、陸上競技場、テニスコート、柔道場など、その他諸々のスポーツ施設が建てられた。そのおかげで開校初年度の入学希望者は前年の倍になってしまい、受験生たちは跳ね上がった競争率に苦労するはめになった。
ついでに学校名も変わった。元は鏡中央高等学校だった。市のど真ん中にあるというだけの謂れで「中央」と名付けられていた。大規模高等学校に生まれ変わるのだから、さぞやカッコいい名前になるのだろうと誰もが期待したが、「中央」が外れた代わりに頭に「南」がついた。場所が市の南側に移った為であるが、他にアイデアはなかったのだろうかと、市民の誰もが思った。あまりにも安直で無難な選択だ。今後、再び学校が北へ移転するようなことがあれば北鏡、西へ移れば西鏡となるのだろう。「中央」と名付けた先人たちのセンスのなさは、今も脈々と受け継がれていた。おかげで学校改革一大事業の中で学校名の変更は、さほど語られるエピソードではなくなった。
美湖たちはそんな名誉ある「南」鏡高等学校の一期生である。
あれから二年が経つが、学校はまだまだ新品同然だ。学校名はともかく、校舎や施設は立派なものだ。
そんな真新しい匂いの残る休憩所のベンチに、美湖を挟むようにして、舞と本郷が座っていた。
「もしかしてダイエットですか?」
女子に向かってその言葉は禁句である。しかも、男子がそれを言い放つなど万死に値する。美湖は本郷に、これ以上ないどんよりとした軽蔑の眼差しを向けてやった。さすがの本郷も失言したかなと、口をへの字にして肩を竦めた。
思えば、この間抜けな後輩も、つい一月前までは名前も顔も知らなかったのだ。
――なんでいつも私の隣にこいつがいるんだろう。
「ホントなんでだろうね」
「うわっ」
ふいに頭の中で声がして、美湖は思わず変な声をあげた。
隣にいた舞が一瞬驚いたようだが、すぐに「ああいつものことね」と把握した。本郷がナニナニと首を突っ込んでくるが、美湖は相手にしなかった。説明したところで、理解してもらえるとは思っていない。
「美湖はね、頭の中にもう一人の美湖がいるのよ」
「え、なんすかそれ」
代わりに舞が話を始めたので、美湖は驚いて目を丸くした。案の定、本郷がわくわくとした顔で、話に食いついてくる。
「時々、もう一人の美湖ちゃんが話しかけてくるのよねえ。それに思わず声を出して答えるの。まあ、つまりは独り言なんだけど」
舞の説明を聞いて、「ああそういうことですかあ」と本郷が叫んだ。
「すると――え、もしかして二重人格ですか!」
本人が一番心配していることを、この本郷という間抜けは、ズバッと言うから腹が立つ。
実際のところ、美湖にもちゃんとした説明は出来ないのだ。
子供の頃から兄の声がすぐ傍で聞こえていたし、それが当たり前だと思っていた。兄の存在は今でも信じている。しかし、子供のうちは純粋に信じていられても、成長して常識が身についてくるとそうもいかない。兄というのは妄想か何か、もしくは自分のもう一人の人格なのではないかというのが、周りを説得出来そうな仮定だとは思う。だが、それを口にしたくはない。美湖自身はその仮説に納得していない。
「俺は美湖の存在を信じているからね」
こうして思い詰める度に、兄が声をかけてくる。決して美湖をひとりぼっちにしないから、そんな兄の優しさについ依存してしまうのだ。
「――ただの妄想癖よ」
最終的にそう強がることで、美湖は自分の内面と現実世界とに折り合いをつけている。というよりも、自分の中の、兄の存在を守りたいのだと思う。
「妄想は誰でもするわ、気にすることないよ」
舞が優しくそう言った。
「そうですよ、僕だっていつも妄想してますよ。ついさっきも妄想したのは――」
空気を読んだかどうかは定かではないが、舞に続いて同調してくる本郷も、たぶん根はいいやつなのだ。
「デートプランAとプランBのシミュレーション。僕はプランAがいいと思いました。だから、いつでも声かけてくださいね、加山先輩」
――前言撤回。
「本郷君の妄想は幸せでいいわねえ」
舞がくすくすと笑う。
釣られて本郷もヘラヘラと笑う。
美湖は顔を引きつらせた。
一つ分からないことがある。
もし仮に兄が妄想の産物だとすれば、見ている世界はまったく同じなはずだ。しかし、微妙に違うところがある。例えば弁当の中身だったり、テストの点数だったり、同じでないことに説明がつかない。だから、美湖には美湖の、兄には兄の世界が別々にあるような気がしてならない。さらに、二人の世界にはそれぞれ共通の人物がいる。舞や本郷といった友人達だ。しかし彼らも、同じであって同じでないようだ。
「ねえ、そっちの本郷は今何食べてる?」
美湖はこっそり、頭の中で兄に問いかけてみた。
「んーと、確かチキン南蛮食べてたな」
ほら。
「こっちの本郷、ハンバーグ食べてるんだけど」
「あ、そ」
兄はその差にはあまり興味がないようだ。
「俺がハンバーグ食べてる」
「ちょっと、まさかパンまで買ってないでしょうね」
「おう、さすが妹よ。よくわかったな」
「ねえ、無駄遣いしないでってあれほど――」
「俺は服とか化粧品とか、そういう高いもんは買わないし。昼飯で奮発して何が悪い。思春期男子の食欲なめんな」
その件に関してはぐうの音も出ない。
「これでトントンだろ?」
そうなのだ。微妙な差はあれど、どこかでその過不足を補っているのだ。
それが、同じであって同じではない――ところなのだ。
「あの――加山先輩、大丈夫ですか?」
気が付くと、本郷にまじまじと顔を覗き込まれていて、美湖は思わずのけぞった。
「あ、やだ、私……」
どうやら兄との会話に夢中になっていたようだ。控えめにしていたはずの声は、いつの間にか普段と変わらないトーンになっていたらしい。
美湖は困った顔をして二人を交互に見た。二人ともきょとんとしていた。
「こ、これが私の妄想癖よ、悪い?」
「悪くはないですけど――強烈っすね」
本郷の正直な言葉に、美湖は眩暈を覚えた。
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