第2話 友達

 「またぼーっとして」

 稲沢舞に肩を揺すられ、美湖ははっと我に返った。

「美湖の妄想癖にも困ったものね」

 妄想じゃないわ――と言いかけて、美湖はその言葉を飲み込んだ。

「妄想してる時おもしろい顔してるのよ。動画撮って見せようか?」

 舞はスマホを美湖に向けた。

「おもしろい顔は生まれつきよ。失礼ね」

「そういう意味で言ったんじゃないわよ」

 舞はとても穏やかな女性である。笑うとなくなる垂れ目が特徴的だ。美湖より小柄で可愛らしい。けれど、長い髪を左側で一つに結んで胸元に垂らしていたり、爪が長くて綺麗だったり、美湖より随分とふくよかな胸が、舞をぐっと大人に見せた。美湖の理想とする大人の女性の魅力を、彼女は持っているのだ。舞の魅力に惚れ惚れする度に、美湖は自分の容姿を嘆いた。一六七センチの薄っぺらいお子様体型を。

 舞は柔和な雰囲気と同様に、性格ものんびりしていた。

「美湖はかわいいわ」

「ありがとう。よく言われるの、もう一人の私に」

 ――つまり兄に。

「その妄想癖さえなければ、周りの男子だって放っておかないのに」

 しかし、たまにこのような辛辣なことを言う。

 舞が言ったことはまんざら冗談でもない。自己評価はさておき、美湖はなかなかの美少女なのだ。憧れを抱いている男子も実はいたりする。しかし、美湖の様子をじっくり観察できる状況の男子――つまり同じクラスの男子達はというと、

 ――あいつ、ちょっと変だな。

 と、このような印象になってしまうのだ。

 特に驚くのが美湖の独り言だ。とにかく、気がつけばぶつぶつ呟いている。呟いていたかと思えば、今度は電池が切れたようにぼうっとする。先ほどのように、舞が声をかけて美湖が我に返るなんてことは日常茶飯事だ。

 ああ、彼女は少し変わった人なんだ、と認識されるようになる。美湖としてみれば不本意でしかない。独り言も、突然呆けるのも、十中八九兄が頭の中に邪魔しに来ていて、そうなったのだから。

「それで、今日はもう一人のあなたと何で揉めてたの?」

 舞が言う。美湖の扱いにも慣れたものだ。

「お昼ご飯。パンを買うか、お弁当を買うかで喧嘩してたわ」

「あら、今日はママのお弁当じゃないのね」

「忘れたのよ」

 忘れないでねと、念を押した母の言葉が思い浮かんで、きゅうっと鳩尾の辺りが痛くなった。とても母に申し訳なく思う。

「それで結論は?」

「私はパンにするわ。だってお弁当高いんだもの」

 美湖は母と二人暮らしである。家庭の懐事情はやはり気になるところだ。なのに兄はその気遣いがない。パンじゃ足りない、弁当がいい、むしろ両方食べたいというので、少しは家庭の状況も理解しろ、と叱ったところだったのだ。

「いつも大変ね」

 舞はとりあえず同情した。

 四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、学校では壮絶な戦いが始まる。下足棟の広場に弁当屋さんが並ぶのだ。もちろんパンもある。生徒たちが一斉に走ってそこへ詰めかけるのだから、それは大変な騒ぎになる。けれど、のんびり行ったところで、今まで売り切れたことはないのだから、慌てる必要はない。ただし余り物であるから選ぶことは出来ないが。

 美湖と舞は、のんびり弁当売り場へ向かった。

「加山先輩! 加山センパーイ!」

 群衆にもみくちゃにされながら、一人の男子生徒が美湖たちに近づいてきた。その手にはハンバーグ弁当がしっかりと握りしめられている。

「げ、本郷、今日こそは会わないと思ってたのに」

 美湖が少し意地悪に言うと、本郷保はえへへとなぜか嬉しそうに笑った。

「今日は先輩方も売店ですかあ? ダメですよ、そんなのんびり来てたんじゃ、なくなっちゃいますよ、ハンバーグ弁当」

「別にハンバーグ弁当を買いに来たんじゃないわよ」

「あ、よかったら僕のどうぞ」

「いらないったら」

 蓋がべこべこになっているハンバーグ弁当を渡されそうになって、美湖は思わず両手を後ろに隠した。

「どれがいいですか? 僕、突撃してきますよ」

 本郷が群集を指差した。

「いいわよ。私は――」

「あら、行ってもらったら? 今日はなんだか人が多そうだし」

「舞!」

 余計なことを言うなと、美湖は舞に目配せをした。

「ですよねえ、僕もそう思います。ナイス、稲沢先輩!」

 本郷がパチンと指を鳴らして、奇妙なポーズで舞を持ち上げた。

 お調子者の典型みたいなやつだ。

「加山先輩、何がいいですか?」

 美湖は諦めたように財布から五百円玉を出して、じゃあサンドイッチ、と本郷に渡した。そして、本郷の手からべこべこのハンバーグ弁当を取り上げた。

「持っててあげるわ」

 本郷は右手を掲げて敬礼をしてみせると、蠢く群衆の中にまた入っていった。

「ホントいい子よねえ」

「どこが!」

 ムキになって反論する美湖を見て、舞が楽しそうに笑った。

 本郷保は一年生の後輩である。この春、南鏡高等学校に入学してきた。全校集会で見かけた三年生の美湖に一目惚れして、無謀にもその場で告白したのだ。その度胸と勇気に誰もが驚いたし、そして見事に散ったその雄姿は、学校の伝説となった。本郷は「勇者」というあだ名がついてたちまち有名人になり、同時に美湖も吊るしあげられる形で、全校生徒に顔が知られるようになった。

「ねえ、これって私が本郷に買わせてる感じじゃない?」

「そうね」

 周りが伝説の勇者と女神とのやりとりを興味深く見て、そして笑っている。

 美湖は軽く頭を抱えた。

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