第48話 贈り物
お屋敷に戻って、普段着に着替えて。部屋で二人きりになるなり、リリー・メイはお兄様にまとわりつきました。
「ただいま、お兄様! とっても楽しかったわ!」
「はしゃぎすぎだよ、リリー。顔が少し赤いけど大丈夫だった?」
「そうかしら。リリーは元気よ」
頬に手をあてると、確かに熱い気もします。でも、熱が出て具合が悪いのとは違うと思います。だるいとか寒気がするとかいうことは全然なくて、ただとても楽しくて、それをお兄様にも伝えたいのです。
「樅の木の飾りが綺麗だったの。お兄様が去年教えてくれた通りで。でも、あんなに大きいと思わなかったわ! お店で自分で選んでお買い物をするのも楽しかったの。
「リリー、分かったから、リリー」
言葉だけでなくて、手振りも使って説明しようとしたところでお兄様に止められてしまいました。何でだか少し困ったような顔をしています。
「落ち着いて、リリー。興奮しすぎると熱が出てしまう」
「そんなことないのに」
それでも額にあててくれたお兄様の手がひんやりしていて気持ち良いので、うっとりとして頭を預けてしまいます。
「お兄様、お土産もあるの。いつもリリーがもらうばっかりだったから、受け取って」
「リリーのことだからお菓子だろう。一緒に食べる?」
お兄様が笑って決め付けるので、リリー・メイは唇を尖らせました。
「お菓子もあるけど。でも、それだけじゃないのよ」
お兄様は好きなものを買っておいで、とお小遣いを持たせてくれたのですが、
申し訳ないとは思ったのですが、おかげでリリー・メイはお兄様にお土産を選ぶことができました。玉蓮も朱威竜も、迷っているリリー・メイを助けてくれました。気に入ってもらえるか、喜んでもらえるか考えながらあれこれと見比べるのは、大変だけどとても幸せな時間でした。
お兄様のために何かをするということは、どんなことでも嬉しいものです。お土産を見るなんて初めてだったからなおさらです。お兄様は今までこんな気持ちをひとり占めしていたのかと思うと羨ましいくらいでした。
「気に入ると、良いのだけど……」
お兄様の表情を上目遣いでうかがいながら、机にお土産を並べていきます。
まずはお菓子を幾つか。チョコレートやお酒の風味を利かせたあまり甘くないものです。お兄様は大人だからその方が良いかと思ったのです。それから――
「――カフリンクス?」
リリー・メイは食べたらなくなってしまうお菓子だけでなくて、形に残るものをお兄様にあげたいと思いました。ハンカチやピンも考えましたが、形も素材も色々なものが揃っていたカフリンクスが、とても可愛いと思ったのです。
中でもリリー・メイが選んだのは、銀色の、百合の花を象ったものでした。つや消しの仕上げで控えめな輝きですが、花びらの形が精巧で綺麗だったのです。
「宝石とかじゃなくても、気軽なのでもつけることもあるって聞いたから……。それに、
お兄様がカフリンクスを手にとってしげしげと眺めているところへ、リリー・メイは早口で説明しました。お兄様がつけていてもおかしくないものなのかどうか、リリー・メイには分かりません。象牙を彫ったものとか、宝石を嵌めたものとか、もっと高価なものは幾らでもありました。気に入ってくれるかどうか、だんだん不安になってしまったのです。
「ありがとう。とても、嬉しい」
でも、お兄様はにっこりと笑うとリリー・メイをぎゅっと強く抱き締めました。
「君から身につけるものをもらえるなんて。しかも、君の名前のものを。私は君のものだと、宣言しているみたいじゃないか?」
「そんなこと……」
そんなつもりはなかったので、リリー・メイの頬は赤くなってしまいました。今度こそ熱があるような気もします。胸もどきどきしてきました。そこへお兄様が耳元にささやくので、もっとどきどきしてしまいます。
「君が大きくなったら指輪を贈るよ。愛していると、ずっと一緒だという証に。受け取ってくれる、リリー?」
ブローチや髪を結ぶリボンなんかをもらったことはありますが、リリー・メイはまだ指輪を持っていませんでした。初めての指輪がお兄様からもらうものだというのは、とても素敵なことだと思います。
「ええ、もちろん!」
「君には教えなかったかもしれないけど、結婚式では指輪を交換して永遠を誓うんだ。――
「……結婚?」
リリー・メイの顔が少し曇ったのを心配してくれたのでしょう、お兄様は額にキスをしてくれました。
「ベアトリスとの婚約は必ず破棄するから安心して。私は君のものだから。絶対に、何もかも大丈夫なようにするから」
きっとお兄様は――悪い気持ちからではないのでしょうけど――また嘘をついているわ、と思ってリリー・メイはお兄様から身体を引き剥がすと唇を尖らせました。
「でも、前にジェシカが言ってたわ。お姉様は商会のお仕事の助けになるって。お姉さまとの結婚を止めたら、お兄様は大変ではないの?」
「……君は心配しなくても大丈夫。ベアトリスには申し訳ないことをするが、私のせいなんだから。私が責任を取る。仕事なら私だけでも――」
「お兄様」
お兄様が大体想像したようなことを言ったので、リリー・メイは高いところにあるお兄様のお顔を睨みました。
「リリーに甘えても良いって言ったじゃない。お兄様だけが頑張るなんておかしいわ。リリーにも頑張らせて!」
リリー・メイは朱威竜と玉蓮に教えてもらったのです。租界と華夏は全く別の世界なんかではありません。お兄様のお仕事も、租界だけで終わるものではなくなっていくそうです。
リリー・メイは租界で育ったけれど華夏の血も流れていて、
お母様の
「ベアトリスお姉様が分かるのは租界のことだけでしょう? リリーは華夏の人とのお仕事のお手伝いができるようになりたいの。だからまず華夏語のお勉強が必要ね。後は何を勉強したら良いの?」
「リリー……」
お兄様は大きく目を見開きました。そしてまたリリー・メイを抱き締めたので、リリー・メイは息苦しくなってしまいました。
「お兄様、苦しいってば」
「だって、あまり嬉しいことを言うから。いつからそんなことを考えてくれていたんだ?」
やっと腕の力が緩んだのでお兄様を見上げると、とても嬉しそうに笑っていました。最近のお兄様はおかしくなってしまうくらいに大げさにリリー・メイの言うことを喜んでくれます。リリー・メイはそれほど凄いことを言っているつもりではないのですが、お兄様がこんなに笑ってくれるとやっぱり嬉しくなってしまいます。
「だって、お兄様がリリーのせいで大変なのは嫌だもの。お留守番しているだけよりお兄様のために何かしたいわ」
そういうとリリー・メイはそっと手を伸ばしてお兄様の髪を梳きました。
「香蘭奥様がリリーも頑張って、って言ってくれたし。今日は、
ねえ、そうなったらリリーがお兄様と一緒にいてもおかしくないかしら」
「私は本当に今まで何をしていたんだろう」
お兄様は髪に触れているリリー・メイの手を握ると、しみじみとつぶやきました。
「君が可愛いから閉じ込めようと思っていた。外に出して傷つけさせてはいけないと思っていた。
でも、こんな短い間外に出ただけで、君はどんどん成長してますます美しく魅力的になっていく。それに、決して
なのにまだ私と一緒にいたいと言ってくれる。ずっと君を愛していたはずなのに、すぐまたもっと愛しいと思うようになる。
――とても、不思議だ」
確かにとても不思議なことです。リリー・メイもずっとお兄様が大好きで、ずっと幸せだと思っていました。でも、お兄様を支えてあげることができて、お兄様の役に立てるかもしれないと思い始めた今の方が、お兄様をもっと大事だと感じるのです。大事に守られるだけでなくて、好きな人のために何かできるということがとても幸せだと思うのです。
「恋をしたから、かしら」
リリー・メイは腕を目一杯伸ばしてお兄様を抱き締めました。
「お姉様や翡蝶に嫉妬している間は恋はなんて苦いのかしら、って思っていたわ。でも、今はとても甘い気持ちよ。お兄様、恋って苦くも甘くもある、両方なのね。どっちもお兄様が好きだからそう感じるの」
「リリー」
お兄様はまた名前を呼ぶと、少しだけ体重を預けてきました。ほんの少し、リリー・メイが支えきれる程度に。
「君がそう言ってくれるのが、何よりのお土産で、贈り物だ。どうしよう、どうやってお返ししたら良いか分からない」
「お返しなんていらないわ。リリーはお兄様が好きなだけだもの。お兄様もリリーを好きなのでしょう? それだけで良いわ」
「そうはいかないよ」
身体を離したのは、今度はお兄様の方からでした。床に膝をついてリリー・メイに目線を合わせると、真剣な目で告げてきます。
「君は頑張ると言ってくれたし、甘えてしまうこともあると思う。君が仕事の支えにまでなってくれるなら、この上なく嬉しいことだ。
でも、私が責任を取らなくてはいけないことも、厳としてある。ベアトリスのことや、これからの君の立場のこと。老朱にも納得してもらえるように、何より私が誰にも恥じたり後ろめたく思ったりすることなく君の傍にいられるように。
だから、もう少し待っていて欲しい」
何を待てば良いのかしら、とリリー・メイは首を傾げます。時間が経てば何がどう変わるというのでしょうか。
「ベアトリスお姉様、怒ってるわよね……?」
リリー・メイは恐る恐る問いかけました。リリー・メイとお兄様が――表向きは――叔父と姪で結婚できないというのは変わらないはずです。そして、リリー・メイがお勉強してお兄様のお手伝いができるようになるには、待っているだけではダメなはずです。
お兄様が待ってというなら多分お姉様との結婚を止めることのはずで、そして、お姉様はきっとリリー・メイのせいだと思っているに違いないのです。いいえ、それは本当です。お兄様はリリー・メイを選んでくれたのですから。
でも、お姉様もお兄様を大好きだから、きっと辛いに違いないのです。
「仕方ない。私はリリーを愛しているから」
「リリーもお兄様を大好きよ……」
お兄様はリリー・メイの頭を撫でてくれました。
「ありがとう。だから仕方ない。こうなったのは私のせいなんだ。……彼女を君の母親か姉の代わりにしようとしていた。許してはもらえないだろうが、私が終わらせる」
「ダニエルも、怒るわね……?」
勝手なことを考えていると思って、リリー・メイの声は小さくなってしまいました。ダニエルはお兄様もお姉様も好きだから、二人が結婚して欲しいと思っています。リリー・メイのせいでそれがダメになってしまったと知ったら、嫌われてしまうでしょうか。
お姉様もダニエルも可哀想で申し訳ないと思うのに、友だちがいなくなってしまうと思うと自分が悲しくなってしまうのです。そんな自分は悪い子だと、リリー・メイは思いました。
「怒るかもしれない。でも、友だちでいてくれると良いね」
「ええ……」
「ベアトリスも彼女の両親も、ダニエルにはまだ何も言っていないみたいだ。だから、少なくとも玉蓮たちに会う日は何も心配いらないよ」
「うん……」
お兄様はリリー・メイの髪がくしゃくしゃになるまで撫でてくれました。
ダニエルとまだ仲良くできるのは嬉しいですが、結婚を止めることを黙ったままで笑っていなければいけないとしたら、とてもひどいことだと思いました。
それでもリリー・メイはお兄様に撫でてもらうと嬉しいのです。やっぱりお姉様と結婚して、なんて言えないのです。
この後ろめたくて気まずい気持ちも、きっと恋の苦さの一つなのでしょう。
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