未来のために
第47話 幸せになります
中央大通りは降誕節を控えて華やかな装飾が施されていました。
建物は落ち着いた色の石造りで、日が短いこの季節では空も灰色になりがちなのですが、見上げるような樅の木を始め、色とりどりの飾りがお店の窓や扉や看板を飾っているので、通り全体がとても明るくて楽しそうな雰囲気に包まれています。
「素敵。違う国に来たみたい」
「リリーも初めて租界の外に出た時にそう思ったの。玉蓮は租界に来るのは初めて?」
「
「ええ、もちろん」
リリー・メイも初めてのお出かけの時は緊張してしまって怖いくらいだったのです。玉蓮の手を取るとぎゅっと握ってきたので、きっと玉蓮も同じように不安な気持ちもあるのでしょう。
「二人とも、はぐれないように。見たいものがあったら声を掛けなさい」
「はあい」
リリーはお兄様と似合っているかしら?
リリー・メイはさっき別れたばかりのお兄様の姿を思い浮かべました。朱威竜のお屋敷に行ってしまうかも、とはさすがにもう思っていないようですが、感冒を移されないようにとしつこいくらいに心配されました。
好きという気持ちは伝えられたけど、まだまだお父様代わりのようで、恋人とは少し違うような、不思議な関係だと思います。ベアトリスお姉様とは結婚しないと言ってくれていますが、お兄様とお姉様が並んでいるところは子供のリリー・メイよりもよほどお似合いです。思い出すだけでも嫉妬で胸がざわざわとしてしまうくらいに。
身体が弱いのも嫌になるくらいだし、恋人のキスもして欲しいし、早く大人になりたいのですが、すぐになれるものでもありません。
この前朱威竜のお屋敷で話したことも――お兄様とリリー・メイがずっと一緒にいるのはおかしく思われてしまうそうです――どうしたら良いか分からないままなので、リリー・メイは最近何かをやり残しているようなもやもやとした感じをずっと抱えているのです。
「莉麗? 何かあった?」
玉蓮に声をかけられて、リリー・メイはいつの間にかうつむきがちになっていたのに気付きました。繋いだ手が伸びきって、玉蓮に引っ張られるような形になってしまっています。
「ううん、急がなきゃね」
慌てて早歩きになりながら、リリー・メイは華やかに浮き立つような通りへ足を進めました。
今日、大通りに買い物に来たのは、ダニエルとのお茶会で身につけるための髪飾りなんかの小物です。ドレスはやっぱり既製品じゃなくて背丈や体格に合わせて仕立ててもらった方が良いということになったのですが、お買い物にも行きたいので、小物を中心に見ることにしたのです。
だから、リリー・メイも玉蓮がどんなドレスにしたかは知らないのですが、見ている小物の色から、大体想像ができました。
「やっぱり赤いドレスにしたのね」
「うん、母様の好み。でも、派手すぎないように……濃い桃色って感じかなあ」
玉蓮は赤や薄紫、桃色の花を束ねたような髪飾りを見ていますが、どうも気に入ったものがないようでした。一つ一つ、髪にあててはリリー・メイに尋ねてきます。
「どう?」
「うーん、もっと濃い色の方が似合うかも」
「やっぱり? 他の色はないのかしら」
ドレスを見た訳ではないけれど、玉蓮ははっきりした顔立ちだから、濃い色の方が似合うと思いました。
玉蓮は幾つかの髪飾りを見比べて難しい顔をしていましたが、やがて店の中を見渡して店員の人を見つけると、とことこと歩み寄りました。
「ねえ――」
でも、話しかけられた女の人の店員は、玉蓮を見て驚いた顔をすると、ふいと顔を背けて別の方へ行ってしましました。
「何よ!」
玉蓮は華夏語で何かつぶやくと、店員を追いかけようとしました。でも、その人は聞こえていないかのように他のお客さんのところへ行こうとしています。そこへ、朱威竜が声をかけました。
「娘が、探し物があるようなのだが」
「あ、あら。失礼いたしました」
丁寧な口調ではありましたけれど、いつもより少し低い声で、やっぱり怒っているのかしら、という感じがしました。店員も慌てたように謝って、在庫を探しに行ってくれました。
その後、玉蓮に似合う色の髪飾りは見つかったのですが、リリー・メイは聞こえないふりをされたことがずっと気にかかってしまいました。
一通り買い物を終えると、カフェで一休みすることになりました。通されたのは少し奥の方の席だったので、人が沢山いることに緊張していたリリー・メイは安心できました。
「何だったのかしら、租界のヒトはみんな耳が悪いの!?」
玉蓮が唇を尖らせて愚痴っています。さっきの店だけでなくて、話しかけたのに聞こえないふり――多分――をされたり、後回しにされたりしてしまったことが他のところでもあったのです。
朱威竜が宥めるように言います。
「言葉が分からないと思ったのだろう。租界にいれば
「ふうん。じゃあ、ねえとかちょっとじゃなくて文章で話しかければ良いのね。次からそうするわ」
玉蓮は納得したようにうなずくと、カップを口元に運んで美味しいわ、とつぶやきました。泡立てたミルクと砂糖をたっぷりと注いだココアです。租界の外ではまだあまり出回っていないそうなので、玉蓮が珍しがって頼んだのです。
「玉蓮は
「そうなの?」
「香蘭は、最初は
「そうなの」
感心したように朱威竜が言ったので、玉蓮は嬉しそうに得意そうに笑いました。
でも、リリー・メイは同じように笑うことができませんでした。黒い髪と黒い目をしていると、華夏人の見た目だと、租界の人と同じように買い物をすることもできないのです。お店の人だけでなくて、道を行く人もリリー・メイたちを見て振り返るのに気付いてしまいました。お兄様やダニエルと一緒の時はあまり気にしないでいられたけれど、リリー・メイはやっぱり租界では変わった子なのです。
「いつもこんな感じなんですか?」
「こんな、とは?」
思わず問いかけると、朱威竜は軽く首を傾げました。といっても、リリー・メイが何を言いたいかはちゃんと伝わっているようでした。その証拠に、リリー・メイが詳しく説明する前に応えてくれます。
「莉麗は屋敷の中ばかりで育ったから奇異の目は辛いかもしれないな。嫌なら一緒に出かけるのはこれで終わりにしようか。……屋敷に招くのは許してくれると嬉しいが」
「嫌なんかじゃないです!」
朱威竜が寂しそうな顔をしたので、リリー・メイは慌てて付け足しました。
「玉蓮との買い物は楽しいし。本当に、ちゃんと喋れるって伝えれば良いんだから、大丈夫です。
でも……でも、お兄様には迷惑なのかしら、って思って」
例えば一緒にいるのがベアトリスお姉様だったら、何も困ったことなんて起きないと思うのです。そう思うと、やっぱりリリー・メイはお兄様の傍にいてはいけない気がしてしまったのです。
「そんなことを考えているのではないかと思った」
朱威竜はちょっとだけ笑うと
「だが、エドワードは朱家とも商売を始めたぞ。下手だったが
「お兄様は……
そう言うと、リリー・メイの胸がちくちくと痛みました。嫉妬ではありません。翡蝶が可哀想だと思ったのです。本国の言葉も通じるのにわざわざ違う言葉で無理して話しかけられるなんて。きっと嫌だっただろうと思うから余計に、見た目で決めつけられるのが悲しいことだと思うのです。
「そうだったのか」
朱威竜も翡蝶のことを思い出したのでしょうか、悲しそうな顔になりました。でも、すぐにまたリリー・メイに笑いかけます。まだ少し辛そうではありましたけど。
「だが、それだけではないはずだ。世界も商売も、租界の中だけで成り立っている訳ではないと、気付き始めている者もいる。だからこそ私も玉蓮や息子たちに租界の流儀を習わせた。今は半端者の扱いでも、いずれ架け橋になれる日が来る」
「玉蓮も?」
リリー・メイは驚いて玉蓮を見ました。今はココアのカップを置いて、スコーンにクリームをつけて齧っていましたが、リリー・メイの視線に気付くと顔を上げてにっこりと笑いました。
「ワタシは
「そっかあ」
リリー・メイにとって、玉蓮は華夏の女の子でした。お友だちだしお姉様だけど、違う国の子だと思っていました。でも、確かに言葉も分かるしドレスも着ていて――リリー・メイと同じように租界と華夏の両方を行ったり来たりしているのです。
翡蝶と違ってリリーは一人じゃないのね、と思うと何だか嬉しくなりました。
「リリーも、お兄様のお手伝いができるかしら」
つぶやくと、朱威竜が大きくうなずきました。
「もちろんだ」
とてもしっかりと、自信を持った言葉だったので、リリー・メイはすがるような気持ちで重ねて問いかけます。
「何をすれば良いのかしら。お勉強はしているけど」
「社交も必要だし、経営についても学んだ方が良いかもしれない。エドワードに聞くのが一番だと思うが」
「……頑張るわ」
この前も同じようなことを言ったわ、と思います。朱威竜のお屋敷からお暇する時に、香蘭に呼び止められて頑張ってね、と言われたのです。
香蘭は、朱威竜はリリーのお手伝いをしてくれるつもりだと言っていました。これが、そうなのかしらと思います。リリー・メイがお兄様のためにできることを教えるために、今日お買い物に連れ出してくれたのでしょうか。
「あの」
今更だわ、とちょっと気まずく思いながら、リリー・メイはおずおずと口を開きました。
「何て呼んだら、良いですか?」
朱威竜は不思議そうに目を瞠りましたが、すぐににっこりと笑いました。
「お父様、などとはこちらからは望まない。エドワードに倣って
この人のことをお父様とはまだ呼ぶことはできません。でも、華夏の人に対して本国の呼び方を使うのも失礼な気がしました。
一瞬だけ考えた後、リリー・メイは言いました。
「老朱。今日はありがとうございました。リリーは租界では変なんだって、よく分かりました。でも、玉蓮が言うみたいにちゃんと話せば良いのね。それに、華夏の人ともお仕事をするって……どう頑張れば良いのか、少し分かった気がします」
「私は莉麗に幸せになって欲しいだけだ。残念なことに、今のところはエドワードのためにもなってしまうのだが」
相変わらずこの人はお兄様に対しては刺のある言い方をします。でも、口ではそう言っていても、とても優しい人だというのも分かってきました。だから、リリー・メイは笑って答えました。
「リリーはお兄様と幸せになります」
すると、朱威竜は嬉しそうに――どういう訳か、分かってしまうのです――顔を顰めました。
「莉麗を不幸にしたらエドワードを許さない」
そして、少し恥ずかしそうに続けました。
「菓子を食べなさい。終わったらもう少し買い物をしよう。エドワードに土産を見てやるのも良いだろう」
それはとても面白い考えでした。今まではリリー・メイがお屋敷でお留守番をしていて、お兄様にお土産をもらっていたのです。今日は、リリー・メイがお兄様の喜びそうなものを探してみるというのは素敵です。何だか大人になったような気分です。
「はい。お兄様を驚かせたいわ」
リリー・メイは微笑むと、スコーンにつけるジャムを物色し始めました。
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