第5話 お茶会にて
結局リリー・メイが選んだのは、花模様の入った
仕立て屋さんは出来上がりのデザイン画も持ってきてくれていました。最近の流行りはスカートの後ろを膨らませた意匠だそうです。たっぷりと
新しい服ができるのが待ちきれなくて浮かれているリリー・メイを見て、お兄様もご機嫌を直して笑ってくれました。
そういう訳で、最初はあまり乗り気ではなかったお茶会ですが、リリー・メイはすっかり楽しみになったのです。
そして、今日はとうとうお茶会の日です。真新しい服を着せてもらったリリー・メイは、ベアトリスお姉さまのお迎えを待っています。
「お兄様、似合う?」
リリー・メイはお兄様の前でくるりと回ってみせます。この服を仕立てるには何ヤードもの布が必要なのだそうで、とりわけスカートは重みがあります。回るのにつれて裾も踊ってリリー・メイはよろけてしまいそうになりました。それを優しく抱きとめて、お兄様はリリー・メイの耳元に囁きます。
「とても似合っているよ。髪型も。綺麗にしてもらったね。夜会なら首飾りを探してあげたんだが」
今日の髪型は、二つに分けた髪をそれぞれ三つ編みにして、高い位置で
「本当に?」
「誓って本当だよ、お姫様」
耳を隠す髪がないからでしょうか、お兄様の声が変に近くに聞こえてリリー・メイはくすぐったくなってしまいます。真っ直ぐに褒めてもらったのに嬉しいというより恥ずかしくなってしまって、リリー・メイは腕を突っ張ってお兄様から離れました。
「それなら安心。待っていてね、お兄様。リリーはちゃんとお行儀よくしてお友だちを作ってくるから」
「……そうだな、土産話を楽しみにしていよう。でも、くれぐれも無理はしないように」
そう言うとお兄様はまたリリー・メイをぎゅっと抱きしめました。くすぐったくて恥ずかしくて、リリー・メイは身をよじります。お姉様が言っていたように、お兄様は過保護なのかもしれません。ほんのひと時お出かけするだけなのに、随分心配しているようです。
「もう、お兄様ったら。大丈夫よ、リリーは大人なんだから」
「そう、そうだな。リリーはもう大人だな。夕方帰ってくるのをじっと待っていよう」
「…………?」
お兄様の表情を何て呼べば良いのでしょう。寂しがっている? いじけている? そんなはずはありません。いつもお仕事でリリー・メイを置いて行くのはお兄様の方です。今日だって、お茶会の間はお仕事があるはずではないですか。
「お兄様――」
「まあ、リリー・メイ! 素敵に仕上げてもらったのね!」
何か言おうと口を開いたリリー・メイですが、興奮した高い声に遮られます。お姉様が到着したのです。
「もっと近くで見せて。ああ、本当に華夏のお人形みたいで可愛いわ。ね? 綺麗に着飾るのも良いものでしょう?」
お姉さまはお兄様の腕から奪い取るようにリリー・メイを抱き締めます。
「え、ええ。とてもうきうきしているの。雲の上を歩いているみたい。ビーお姉様がお招きしてくださったおかげよ、ありがとう!」
お姉様は良い匂いがして柔らかくてお菓子みたい。リリー・メイはそんなことを考えながら答えます。少し吃ってしまったけれど、それは強く抱き締められて息が詰まってしまったから。お礼を言ったのは心からのことです。
お姉さまはふふ、と花が咲くように微笑みました。
「そう、良かったわ。リリーったら、こんなに顔色が良いところは初めて見るみたい。閉じ篭っている方が身体に障るんじゃないかしら」
最後の方はお兄様に向かって悪戯っぽく。お姉様も何だかはしゃいでいるようです。
「なら良いんだが。リリーにも言ったがくれぐれも無理はさせないでくれ」
お兄様はまた苦そうなお顔です。でも、お姉様に顔色が良いと言ってもらえたので、リリー・メイは顎をちょっと持ち上げて勝気に宣言しました。
「大丈夫って言ったら大丈夫なんだから。お兄様、いってらっしゃいのご挨拶はくださらないの?」
苦笑したお兄様から頬にキスをいただいて、リリー・メイは馬車に乗って意気揚々とお姉様のお屋敷に向かったのでした。
召使たちに迎えられたリリー・メイは、お姉様と一緒に広いテラスでお客様のお
他所のお屋敷に招待されるのは初めてなので、お行儀が悪いとは分かっていますが、リリー・メイはきょろきょろと辺りを見渡してしまいます。お姉様のお屋敷には華夏人のメイドもいて、黒い髪に黒い目、黄色っぽい肌の小柄な女の人たちが白いエプロンのお仕着せを着ているのは不思議な感じがします。
リリー・メイも黒い髪と瞳をしていますが、肌の色はお兄様やお姉様と同じようなミルク色です。華夏人のメイドのように低い鼻でもありません。世の中には色々な人がいるのね、とリリー・メイは初めて実感したのでした。
「ごきげんよう、ベアトリス。今日はお招きありがとう」
「こちらこそ。来ていただいて嬉しいですわ」
そうこうするうちに、お客様が次々と集まってきます。
「まあ、可愛いお嬢さんね。親戚の方?」
「ラドフォード商会の令嬢ですの。ほら、エドワードの秘蔵っ子の。やっと連れ出すことができましたのよ」
初めて会う人たちの前で緊張しながら、リリー・メイはスカートをつまんで挨拶をします。
「初めまして、奥様、お嬢様。お会いできて光栄です。リリー・メイと申します」
「初めまして」
「ごきげんよう」
「素敵な服ね。ラドフォード商会のお品かしら?」
沢山の人に同時に話しかけられてリリー・メイは混乱してしまいました。心臓がぎゅっと縮こまって、首や背中に汗が吹き出すのが分かります。でも、お姉様の手を握って、お兄様のことを思い出して。レディとして振舞うのよ、と自分に言い聞かせます。
「はい。お兄様に商会の在庫を持って来ていただきました」
華夏風の生地を使った服を着ているのはリリー・メイだけで、瞬く間にお客様に囲まれてしまいます。高い声で奥様たちや令嬢たちが交わすお喋りはまるで小鳥が歌っているみたい。リリー・メイはついていくのに必死です。
「華夏のお姫様みたい。私も注文しようかしら」
「私も。被らないように一緒に作りましょうよ」
「黒髪だから映えるのよ。あなたたちは金髪じゃない。こういうのは合わないんじゃないかしら」
「そうねえ。残念だわ」
「もっと淡い色の模様はないのかしら?」
「えっと」
服の意匠を決めた時に部屋いっぱいに並べられた生地の数々、それぞれの色や模様をリリー・メイは一生懸命思い出しました。
「……華夏風でも淡い色合いのものはありました。桃色や水色、白磁色の生地に、刺繍も地の色に合わせて煙るような色で。艶々した
「まあ、そうなの。今度ラドフォードさんに聞いてみましょう」
問いかけてきた令嬢が喜んでくれたようなので、リリー・メイはほっとしました。お兄様に言ったらきっと褒めてくれるでしょう。
リリー・メイとお姉様、十人くらいのお客様で囲むテーブルは、お兄様とのお茶会よりもずっと大きくて、お菓子や飾りの花もずっとたくさん並べてあります。味もお屋敷でいただくものとは違うのかしら、と手を伸ばしたくて仕方ないのですが、次から次へと話しかけられてなかなか口にすることができません。
「ずっとお屋敷の中で過ごしているの? 本当に? お芝居もお買い物もなし? 退屈なさらない?」
「ええ、本を読んだりしているので」
「小さいのにお勉強家なのね。どんなものを読んでいらっしゃるの?」
子供扱いされて、リリー・メイはほんのちょっとむっとしました。レディなので表情に出したりはしませんが。でも、何て答えたら良いのでしょう。お伽話が好きです、なんて
言ったらますます子供っぽく思われてしまいそうです。
隣に座っているお姉さまをちらりと横目で見てから、リリー・メイはおずおずと答えました。
「色々と……でもなかなか面白いのはなくて。何かお勧めはありません?」
「それなら良いのをお貸しするわ。王様が身分を捨てて恋人と結ばれるお話よ。今度ラドフォード様にお渡ししましょう」
「お兄様のこと……?」
恋のお話は苦そうでつまらなそう、と思いながら、リリー・メイは首を傾げました。初めて会った令嬢からお兄様のことを言われるなんて。お兄様がお仕事で色々な方に会うのは知っているし、外の出来事を何もかも教えてくださる訳ではないと分かっているのですが。この方はリリー・メイの知らないお兄様を知っている、と思うと落ち着かない気分がするのです。
そんなリリー・メイの耳元に、お姉さまが囁きます。
「いつもお引き立てありがとうございます、って言うのよ」
リリー・メイがその通りにすると、恋のお話を勧めてきた令嬢はにっこり笑いました。考え事で会話を途切れさせてしまっていたので返事を待っていたのだと、リリー・メイは初めて気付いて恥ずかしく思いました。
「エドワード様。素敵な方だわ。ベアトリスが羨ましい」
「でもあの人、仕事ばっかりなのよ。会ってもリリーのことばっかりで。皆さんが期待するようなことは、何も」
「ベアトリスは綺麗だから。照れているのではないかしら」
「だと良いけど」
今度はお姉さまが話題の主役になったので、リリー・メイは一安心です。やっとお菓子に手を伸ばすことができました。まずは小さなクッキーを一つ。甘さは控えめですがバターの風味がたっぷりです。次はナッツが乗ったやつ。ココア入りの茶色いのも食べてみたいです。
お菓子に夢中になってしまったリリー・メイの耳に、ある奥様がそういえば、と言うのが聞こえました。
「ラドフォード会長にお嬢さんもいたなんて知らなかったわ。ご子息だけと思っていたから」
「リリーの――私のお父様じゃないんです」
慌ててクッキーを飲み込んだので、つい自分のことをリリーと呼んでしまいました。また失敗です。粉っぽさにむせそうになっているのと恥ずかしいので、リリー・メイは涙目になってしましました。
「この子の父親はエドワードのお兄様なんです。ほら、アルバート様」
助けてくれたのはやっぱりお姉様です。それを聞いた奥様たちや令嬢たちは、不思議そうな方と納得した顔の方が半々です。
「アルバート様?」
「ご長男よ」
「かなり前に亡くなったのではなかったかしら」
そうです、リリー・メイのお父様はお兄様のお兄様なのだそうです。といってもお父様もお母様 もリリー・メイが小さい時に亡くなったので、何も覚えていないのですが。だから、お兄様は本当は叔父様なのですが、若くて格好良くていらっしゃるのでお兄様とお呼びしているのです。
「思い出したわ。確か、夜の蝶を追いかけていらっしゃった方ね」
「夜の蝶――
「ええ、ずいぶんと噂になったはず」
「お母様、めんじんるー、ってなあに?」
「あなたが知る必要のないことです」
「でも、得心しました。だから黒い髪に黒い瞳なのね」
「ああ、華夏人の蝶だったのですね」
リリー・メイは良く分からないのでただにこにこと笑っていました。「お父様」のことは皆さまご存知のようです。他所のおうちのことをどうやって知るのでしょうか。外の世界はリリー・メイの知らないことでいっぱいです。
そこへ華夏人のメイドがやってきて、お姉様に何か耳打ちしました。お姉様は一つうなずくと、お客様に向かって晴れやかに告げました。
「弟のダニエルがスクールから戻りましたの。皆さまにご挨拶させてくださいな」
お姉様に弟がいるということもリリー・メイは初めて知りました。現れた少年は杏色の髪にキャラメル色の瞳で、確かにお姉様と同じ色をしていました。十三歳ということなので、リリー・メイより少しだけお兄さんです。お屋敷の庭師や料理人は皆おじさんやおじいさんばかりなので、頬のつるりとした若い男の人を見るのは、お兄様以外では初めてです。
「初めまして、奥様。お会い出来て光栄です」
ダニエルの声は水晶みたいに澄んでいて何だか女の子みたい。お兄様の声とは全然違います。
「可愛いドレスですね。よくお似合いです」
ダニエルは次々とお客様に挨拶していき、ついに、リリー・メイの番になりました。お兄様に教えられた通り、スカートをつまんでレディらしく挨拶をします。
「ごきげんよう――」
するとダニエルは小さく鼻を鳴らしました。こんなことが起きるとは教わっていません。どうして良いか分からなくて、リリー・メイは挨拶を続けられなくなってしまいます。その様子の何がおかしいのでしょうか。ダニエルは唇を曲げて嫌な感じで笑うと言いました。
「召使みたいな髪と目の色だな。何で姉さんはお前みたいなのを招待したんだ?」
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