神無月――不可知の物語 不安な夢から目覚めると



 グレゴール・ザムザのように虫や怪獣になった夢を見て、飛び起きることってない? 

 不安な夢から目覚めると、子供のころに読んださまざまなお話を思い出して怖くなることがある。私が小さな頃はけっこう残酷でやたら小難しい世界文学や翻案モノなんかを読まされて、この世の無常と非情を突きつけられたものだけど、さいきんはどうだろう?

 子供には、夢も希望もあるハッピーエンドの物語を手渡す必要はないような気がするね。「現実」という読み物はいつだって「虚構」よりもしたたかでこちらの裏をかいてくる。ネロは絵も見られずパトラッシュと別れて独りで冷たくなり、母を尋ねて歩くマルコは悪いひとに攫われて売り飛ばされ、最後の授業を母国語でする間もなく誤爆という名で爆撃されるのが、この世界の正しい読み方かもしれない。

 悲観的にいっているんじゃなくてね。

 日が高くなってから起きだして、たっぷりのお湯を沸かして紅茶を淹れる。大好きな推理小説家さんが、ダージリンで目覚まし中とHPに書いていたのを真似ている。ティーカップではなく、陶芸をしている友達が誕生日にくれたマグカップになみなみと注ぐ。こたつに入り、ファッション雑誌をひらきながらミルクティーを飲む。湯気が鼻の頭をくすぐるぬくみがたまらない。

 この世は手に負えない書物に似ていると思い始めたのはいつのことだろう。おはなしの途中でキャラクターの性格は豹変し、確たる目的もなく事態は暴走し収拾がつかなくなり、それはまさかないだろうという約束が破られ、信じられるべき前提や法則や世界観はあっという間に崩れ去る。

 晃と、そういう話をしたことがある。彼はあの調子で、それは順番がぎゃくだろと、何気なく言い切った。現実世界のほうが虚構より大きいのだ。たまさか、きちんと読みきれるおはなしだけを切り取ったのが小説だそうだ。なるほど、そうかもしれない。子供のころは、虚構のほうが大きいと信じていたのだけれど、晃のいうことはたいてい正しかった。その通り、私は小説や映画ならまずもって結末を読み違えることも騙されることも犯人をはずすことはない。虚構であるならば。

 けれど、現実には平気で裏切られ踏み躙られている気がする。そう、最悪のことを想像しているはずなのにそのさらに上を容赦なく覆いつくすのが現実というやつだ。

たまに思う。自分がもしも小説のキャラクターだとしたら、私はもっと賢くふるまいたい。せめて張ってある伏線くらい拾うし相手役の気持ちくらい気づいておきたいのだ。

 けれど主人公に限っては、賢明さは不要みたい。全知全能の主人公というのは一般小説にはむかないと思う。小説というのは謎解きゲームの一種でもあるから、因果応報が原理原則としてまかりとおっているものだ。一応、主人公は小説世界を生きることで何かを学び最後には変わってくれないと読者は困ることになるから当然だろう。

主人公には、あたりまえに動機がいる。もちろん、「太陽が」などといってアラブ人を殺したりする主人公もいるのだけど(カミュの『異邦人』のムルソーという男)、それでもこれは「文学」なんだとすれたふりをして、不条理とか生きるとか考えてなんとなく安心したりする(なにせ読んで二十年も経ってるから忘れてしまった。こんど読み返そう)。

 でも、とうの殺された本人は嫌じゃないかしら? 私は嫌だって宣言しておく。殺されるのが嫌なのは当然で、じゃあせめて虚構のなかでくらい「理由」があって殺されたほうがまだましってこと。殺された事実に変わりなくても、まだ、人間としての尊厳まで奪われていないっていう気がしない? 

 知っての通り、この世で人間くらい安いものはなく、代わりのきくものはないからだ。逆説なようなふりをしてるけど、たぶんきっと真実だと思う。私たちはいつのまにか、そういう世界に生きるようになってしまったのだ。うそだと思うなら、新聞を読むといいよ。平気でそう書いてある。

 誰が一体、ゴシップやポルノとしてでなく、殺されたひとや殺すひとの人生を受け止めるだろう。また、同じ地平の彼方の虐殺や戦争に想いを馳せるだろう。満員電車でひととぶつかって謝ることもない大人たちを見ていると、否、飛び込みで遅れた車内で舌打ちするひとが多くいるのに気が付くと、他者などというなまやさしい言葉はこの世にはほんとにはなくて、きっと「名もなきヒトガタ」ではないかしら? それってきっと、小説のキャラクターみたいなものかもって、思わずにはいられない。誰が死のうが生きようが、自分の知らないひとなら関係ないのだ。  

 どこかで栗本薫ヘンヘイ(あくまで敬称だ!)が、いや、中島梓が作品中で殺した人間の重みは背負いなさい、みたいなことを書いてたけど、実は難しいことじゃないのかな。

 昔から不満なんだけど、『中世の秋』という書物でホイジンガという偉い学者さんがあっさりとおっしゃるには男が文学を作ってきたせいなのだろうけど、たまには女性が「他者」の役目をふられていない小説が読みたい。「女子高生(とりもなおさず美しくなければならないらしい)」が死ぬと悲劇という文脈は、理解に苦しむ。

そりゃあ、他人はいいよ。虚構だからといっても、かつて一度はそうであったものにとっては、自分の同類が「殺される」話に思えてしょうがない。

 もちろん、すでにあまたある小説や物語のなかでは恋愛と死(かっこつけていうとエロスとタナトスとかになるのかしら?)、それしかほとんど書いてないにもかかわらず、「決定版」みたいなものはできないんだから、ネタはそれだけなのだ、きっと。

 ひとさまの娯楽のために供される「愛と死」。

 トリスタンとイゾルデの美しい死――。

 で、朝からなんでこんなこと(つまりはなんだ、自分が何者であるかとかこの世はどうなっているのかとか、生と死はとか、恋愛とはなにかとか、まさにマサニ文学的なこと?)を延々と考えているかというと、昨日、実はアサクラ君にコクられてしまったのだ。

 まったく、後先考えずに……。

 変わらない。まったくもって変わらない。すこしは成長するべきじゃないだろうか? 再会して次の日に言うかな、ふつう。今回もまた誤解というか気をもたせるようなことをした私も悪いけど、でもさあ、もうちょっと探りを入れてから告白しない? 私、お店のイラストの仕事うけちゃったからこれからだって顔あわせなきゃならないのに、どうしてもう、気まずくなるようなことをしちゃうのかなあ。まったくっ。

 あのとき名刺渡されるまで、アサクラ君の苗字がどういう字だったかも思い出せなかったんだよ? 「浅倉」だった。そういえばそうだと納得したくらい。だって、女の子みたいな丸文字で「アサクラ」って書類にサインしてたのしか覚えてないんだもん。ソコツ者めと思いながらあんまり字が可愛いんでそのままにしておいた。書記してもらうと読みやすくまとまってて、よくやってくれたのだ。

 あ、ミズキさんは謎。玄関には「桂」と墨痕麗しく木の表札がかかっていたから、もしかすると桂ミズキなのかもしれない。それじゃ、名前と苗字がかぶりすぎている気がするけど彼、名刺くれなかったんだよね。ひとには作れっていったくせに。携帯ナンバーとアドレスはその場で交換だし、そんなものかも。彼は私に、恵比寿に二店舗目を出す十月までに個展しろとかいって、さっさとひとの人生にレールをひいてくれたよ。押し付けがましいを通り越した命令口調に、思わず頷きそうになってしまったわ。お店のポイントカードに5000円分の得点をつけて渡してくれたけど。

 おばあちゃん子は三文安いを地でいく浅倉くんと違って、ミズキさんは三文どころかもっと高い。まず身につけている物が恐ろしく高価だ。たたきにあった靴はタニノ・クリスチー。どうせ雨だと傷だらけのブーツを履いてきたことが恥ずかしくなる。キアヌ・リーブスに着せたら似合いそうな黒のロングコートのブランド名は見えなかったけど最高級のカシミアで、思わず触りたくなったほどだ。ファッション・セレブめ。

 私の絵を見てすぐに、洋服と小物はオリジナルですよね? と確認するための台詞は、前のお仕事はスタイリストかファッションプレスかな、というつぶやきへと続いた。あたらずといえど遠からず。プレス対応の、販促部だった。スタイリストは私には無理。あんなに几帳面で多方面に気を遣うお仕事はできません。

 彼は二店舗目出店の準備をかねて、お店のフリーペーパーを作って差別化を図りたいと思っていたところだそうで、女性客アピールの手立てを考え中だといっていた。たしかに、恵比寿や原宿あたりに山とあるサウンド・ショップの徹底したコダワリは、ミズキさんのお店にはない。前はひとのお店だといっていたとおり、現状維持に汲々としているというところなのかもしれない。メルマガより紙媒体重視というのはちょっと意外な気がしたけど、マテリアル尊重派のミズキさんを見るとそれもアリだろう。神秘主義者のような言葉がそこかしこにうかがえたけど、けっきょく触れられるものしか信じれない、実は物質至上主義者なのだ。

 その点、浅倉くんと正反対。ロンドンにでもふたりを立たせると、そりゃあ面白いことになるだろうっていう気がする。一見、けっして交わらない者同士だ。

よく聞いたらミズキさんは帰国子女でもあって、日本は住みづらいところがあるらしい。築地のあの家を、親族一同がビルを建てるというのをおしきって住みつづけているあたりに、彼の異国趣味を満たすなにものかがあるのかもしれない。

 それにしても、私のような貧乏人よりお金持ちほど金銭にシビアなのは世の中そういう法則なのだろうか? なんでそんなにお金があるのってきいたら、遺産、とあっさり言い切られてしまった。それから、それに僕、株で損したことないから、ともいわれた。今度ぜひ、ご教示願いますと深々と頭をさげてきた。

 それと、ミズキさんのセクシュアリティは自らカムアウトした通り、ゲイ、なんだろうね。ふつうに勤め人などしてしまうとこの世にはヘテロしか恋愛の形態がないと信じきっているひとたちで溢れかえっていて、たまに頭を抱えたくなる。というのもミズキさんの言葉だ。だけど、浅倉くんはどう見てもヘテロだよなあ。実はふたりはソウイウ関係じゃないのかと邪推する余地さえ残さずに、趣旨替えしてないことは告白された私という存在で立証されてしまった。

 浅倉くんは二股をかけられるほど器用ではないと、思っている。器用なら、もうちょっとやりようがあるのだ。いきなり、駅まで送る間に歩きながら突然、言い出しますか? 私だってそういう雰囲気になりそうになったらかわすとか、先に牽制するとか手立ては幾つも用意しているはずなのに、浅倉くんの呼吸はいつも読めない。あんなにいつも、こちらをじっと見て気を遣ってくれていると思うのに、まるで天からのお告げのように、本当に一切の前置きもなく、突拍子もなく言うんだもの。

 すこしは、どうにかしようよ。頼むから、とまた不覚にも泣きそうになってしまった。鰻屋さんの前で、ごめんね、などと謝らせないでほしい。お昼の値段に目を走らせながらその一瞬前まで、今度ここで泊めてもらった御礼にお昼をご馳走するね、などと言おうとしていたんだから。

 四捨五入して四十になろうというのに、なんでもう、こんなことで煩わされたり悩んだりしなくちゃいけないんだろう。十代二十代をぼんやり・うっかり・おっとりとすごしたせいですか? ただたんにオトナになれないせいですか? 

 はたして本当のところ、どうなのだろう。大人になるってなんだろう。それってやっぱり職について結婚して家庭をもって子供を育てるってことなのかしら。自分ひとりを食べさせられるってこと? 税金を払うとか法律を守るとか? 責任が取れるとか? 責任? それってなんの? うわあ、わからないよ。広辞苑とか引いちゃうよ。よいしょ。あれ、なんだやっぱりそういうことは書いてないね。安心したようながっかりしたような。ううん、二十歳になれば自動的に大人ってわけにいかなさそうなとこが問題だよね。アリエスの『子供の誕生』って本があったけど、大人の誕生はないのかしら。

 でもじゃあ、親元を離れたといいつつ転勤中従兄一家の3LDKのマンションに住み、お洋服を買い込み海外旅行ばかりしている私は、パラサイトシングルに分類されてしかるべきか。一生独りで働いて暮らすとか思い切らない限り、マンションなんて買えないよ。そういう友達もいるけれど、私はそこまで決められない。主義主張があって独身を貫いているわけじゃないんだから。

 それに年金生活者でありボランティアの父とパートとはいえ歩合制の母親たちのほうが、勤続二年目だけどまがりなりにも正社員の私より収入があるんだもの。そのかわり楽をさせてもらっている。転職して年収が下がるなんて嫌じゃない? ときいたひともいるけど、正直もうバリバリ働くのは疲れたよ。続けるなら「奥さん」が欲しいと心底思った。

 「主夫」ってやつか。レンジフードの掃除なんか疲れてると絶対にやりたくないよね。スーツをクリーニングに出すのでさえ面倒だ。朝早くから夜遅くまでやってるところっていいもの出すの不安なんだもん。性別はどうでもいいけど「文化女中器」は今現在も需要はあるのにできてません、とダニエルさんに伝言したい。ハインライン先生、あれってたしかもう三十年以上も前に発明されてる設定ですよね? 

 女性ファッション誌がさんざん恋愛を煽っても現実、この国でおおっぴらに恋愛してると言い切れるのはせいぜい二十代までで(ああ、それを思っても平安時代の色好み風俗というのはなんだか失われてもったいないんじゃないかしら)、窮屈な環境のなかに押し込められている気がする。というより、今さらちょっと好きだなんて話しを周囲にもらすと、結婚だ出産だと後がないことになるのが面倒なのだろう。だろうっていうのは、みんなそんな面倒くさいことにかかずらわずに楽しく生きているのだ。邪魔をしないでほしい。

 個人の幸福こそ、社会の幸福じゃないかと声を大にして叫びたい。このままいくと、仲良しの女友達と本気で老後は自分たちの家を作って住みそうだ。一級建築士の子に図面ひいてもらうかと真面目にいってるくらいだもの。

 ふう……。

 実は、会社の社長と婚約している。

 バツイチで四十歳、ゼミの教授の甥っ子だ。

 まだちゃんとした結納も何もしてない場合はそういわないだろうけど、あちらのご両親には会いにいって十月には京都と東京でお式をなどといわれ、結婚式場を探したりしないとならないんだろうかと考えている。

 今にして思えば、教授に謀られたのだった。甥の会社なんだけど人手が足りなくて困ってるらしいのだなんて言われて、渡りに船で面接してしまった私も私だ。たしかに事務の矢野さんがフィレンツェ永住計画を実行にうつすべく辞める直前だったのは事実だ。でも彼女はパートさんで、かわりに派遣社員を入れるつもりだったようなのに。

 ほら、私は現実を読み違える。

 正直なところ、結婚に現実感はない。周囲が盛り上がってしまっていて本人たちはおいていかれている。なにしろ社内公認だ。両親ははじめこそ複雑な顔をしたものの事情を説明し東大卒(京都生まれなのに京大じゃないんだよ!)ときた時点でなぜだか俄然やる気になるミーハーぶり。

 娘が嫁にいかないのがそんなに厭かときいたらすかさず頷かれた。ひどい。娘の幸せより世間体のほうが大事なのかと食い下がると、あっさり、そんなわけのわからない御託をぬかすなときた。どうせこたえなんてないんだから、それともよっぽどの主義主張でもあるのかと。こっちもうかうかと平々凡々と大人のふりをしているのでこたえに詰まる。反対なり反論なりされるから意見を開陳できるだけで、鷹揚にさあ聞きましょうとやられると、ふだん実は大したことを何も考えていないのがばれてしまう。困ったものだ。

 好きなのかと訊かれても、困る。このマグカップをくれた留美ちゃんくらいには好きだ。彼女とは大学時代からのつきあいで今は仙台住まいなのでしょっちゅう会えるわけではないけれどメールと電話はかかさないし、親友だといっていい。

 実をいうと、私は「恋愛」をしたことがない。ここまで長々とひっぱってきた意味はソコにある。小説は虚構だとあんなにみんな声高らかにいうのだから、実は「恋愛」などというものもほんとうは虚構の世界にしか実在しないものではないのでしょうか? 気弱な姿勢で問うてしまった。でも、けど、ほんとに、あれって、嘘偽り、幻想、じゃないの?

 ちがう?

 現実の世界で犯人が予告状を出すことがないように、探偵は安楽椅子に座って推理しないように、悪の組織が事件の背後に実在しないように、あれもまた、おはなしのうえの出来事じゃないの? ちがいますか?

 もちろん、私だって友達が惚れたはれたで学生時代に一喜一憂していたことを知っているし、街を歩けばいちゃいちゃする恋人同士がそこかしらにいるし、熱愛だの浮気だのというどうでもいいゴシップ記事も見ているし、それがまるきり架空の出来事だというつもりはない。

 でもね、でもですよ。

 小説やドラマのようなものとは実際は違うんですよねえ? 誰も彼もが、あんなふうに選び、選ばれ、愛し、愛される「特権者」としてふるまえるわけではないんですよねえ? ああいうのは、姿形が美しかったり心が清らかだったりなにか他人と違う秀でた特性があるひとたちにだけ起こりうる「パッション(情熱)」という名の受難で、聖フランチェスコの聖痕ばりの、特別なしるしのあるひとにしか訪れない奇跡なんじゃないのですか?

 この世で私だけ、この私だけ、その特権を享受できない不幸でかわいそうなひとなわけじゃないんでしょう? 

 彼氏がいるじゃないかって言わないで。それとこれは違うのだと思う。恋愛じゃなくてもお付き合いができるくらいのこと、大学時代のキャンパスを見れば誰だってわかる。クリスマス前には、文化棟からメインストリートを見おろすと二人組が急増した。私が学生のころは、今は懐かしくも恥ずかしいバブル絶頂期だったのだ。

 そうじゃなくても、独り者では格好がつかない。社会人になって数年たつと、いつまでもひとりでいるとなにか欠陥があるとかやたら選り好みが激しいのかとか色々いうひとがいるのだ。

 その通り、開き直って言うけれど私は容貌のいいひとが好き。男も女も関係なくて、ともかく美しいひとが好きなの。とはいえ、そんな皮相で浅薄なことをひとさまの前で堂々といえないし(いや、言ってるか)、たぶんそういうのは私がちゃんと恋愛をしたことがないせいなんじゃないかっていう危惧もふくめて保留してある。 

 でも本当だろうか? すべての恋愛は一目惚れだとしたら、そこに「魂」は見えているのだろうか。ああ、そういうことを訊いてしまう自分って酷くイタイひとになってる気がする。ふだんクールに(?)仕事してるのに、そんなとこだけ未だに少女趣味だなんて恥ずかしい。いや、それともこの根っこがすべての独身OLの見えざる真実の姿なのかしら。

 まあ、いいや。

 どちらにせよ、私は敗北者だ。異性愛社会では好んで独りでいるのはなかなか根性がいるのだ。そう思ったこと、ない?

 あ。

 ああ。

 そうか、思い出した……。

 響子。

 響きの子とかいて、キョウコ。

 ああ、そうか、そうだ。そう……そうだった。そんなふうに思っていたのだ。昔、まだ制服をきていたころ、自分のほんとうに好きなひととしか一緒にならないと。

そして、翻訳者になりたいと口にした彼女がどんなに美しく見えたかも思い出した。 あのとき、どうして私はなにもいえなかったのかも。

 なるほどね、バク。あなたの夢売りは役に立つ。買うひとがいるわけもわかる。

じゃあ、忘れていたことを思い出した私は、生きるうえで大切な秘密を取り戻したのだろうか。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る