第59話 山田太郎殺人事件 12

  ◆





『幻の塔』が爆破された。


 そう述べたが、容易に想像する爆弾とか、そういうレベルではないだろう。

 ――低い方で。

 本当に発破工事とかに用いる爆発物であれば、これだけ至近距離にいた私達の被害も耳と目だけでは済まなかっただろう。もしかするとあの一瞬で全員吹き飛ばされて死んで、今の思考する私は死後の別世界でのカタリ、などという戯言ではない限りは。

 だが、私をはじめとして呆然と立ち尽くしたり耳を塞いでしゃがみ込んでいたりする人はいるが、ひどい怪我をしている人がいないのが現状である。

 恐らくは塔の向こう側にあった爆発物により、塔の反対側に被害が発生した。奇しくも塔により、爆風がこちらに来なかったのだと推定する。またその爆発物の威力が小さかったために、塔を吹き飛ばすまでは至らなかったと推定する。

 しかし、爆発物は爆発物だ。

 高温を伴った威力は、こちらとは反対側の建造物を焼いたようだ。

 見るからに火はどんどん広がっていく。


「消火設備はないんですか!?」


 老警部が叫ぶ。

 ニイは首を横に振る。


「簡単な消火器などはあるのですが、ここまで大規模な火災を消すとなると……」


 消防署も何もない島では当然だろう。

 いきなりここまでの火災になることも想定外だろう。


「皆さん避難してください!」


 ニイが叫ぶ。


「あの塔の中に引火物はないはずですが今だ爆発が起きらないと限りません! なのでなるべく遠くへ離れてください!」


 その声でようやく呆然としていた人もハッと意識を取り戻したようで、全員が本館に戻る方向へと駆け足になっていく。母親がベビーカーをひっくり返さないレベルで走っているので、最後方に付いているニイを除けば私達が一番後ろである。兄も何とかついていっているようだ。良かった。

 やがて本館近くまで辿り着く。仮に爆発したとしても、ここまで直には届かないだろう。

 だが遠巻きに見守るしかない。


「あそこスペース開いていたから、周囲に延焼しないように祈るだけだな……」


 老警部がそう呟く。

 現状はそうしかないだろう。

 母親がちょうどベビーカーを塔の方面に向けてくれていないので現状は分からないが、あれから火の勢いが伸びて、森へと火が移って館まで延焼することが懸念だ。

 他の人もそう思ったのだろう。

 真っ先に行動を起こしたのは、ゴミだった。


「ゴミ様、どこに行かれるのですか?」


 本館に入っていくゴミを見てヤクモがそう声を掛けると、彼は平坦な声だが少しイラついた様子で、


「決まっているだろ。荷物を取りに行くんだよ。帰るんだよ。こんな島いられるか」

「それって出来るのかなあ?」


 ミワが首を傾げる。彼女は先程から女子高生にそぐわない落ち着きを見せている。やはり探偵と名乗っているだけあってこういう状況に免疫があるのだろうか。

 その彼女は、だってさ、と次の句を告げる。


「船は明日まで来ないんじゃないの? 元々二泊三日だから予定では船来るの明日でしょ?」

「だったら緊急で連絡して船を寄越すべきだろう」

「そう依頼すればいいんじゃないですか? ねえ、ニイさん」

「あ、えっと、そうなのですが……」


 何故かニイは煮え切らない態度だ。


「ふざけんな!」


 ゴミがついに切れた。

 ニイの胸ぐらを掴み上げる。


「緊急連絡用の通信くらい持ってんだろ! それはどこにあるんだよ!」

「き、機器は私の管理室にありますが……」

「どこだ!?」

「ほ、本館の一階の、従業員のスペースの一番手前の部屋です」

「行くぞ」


 ゴミはニイを投げ飛ばす様に手を離すと、本館の中に駆け入って行った。その場にいても仕様がないので私達も全員その後ろを付いていく。集団心理というやつだろう。

 そして目的の場所に付くと、ゴミは勝手に部屋を開けると、手前にあった黒電話を掴む。

 だが――


「……繋がっていない」


 電話を耳に当てながらゴミがそう呟く。


「ど、どういうことですか?」


 ポンコツ刑事が絶望顔で訊ねると、同じように青い顔のゴミが首をゆっくりと横に振る。


「電話線が繋がる音がしないんだ……何の音も……」

「やはりそうでしたか」


 ニイが静かに大きく息を吐く。


「……どういうことだ?」

「緊急連絡用の回線や、テレビの放送波などの電波関係は全て、あの塔の一番上の階の管理を経由しているのです。なので、あの塔が燃えているとなると、それらが通じなくなっている可能性があると推定はしていました」


 そういうことは先に言え。――とは、少なくともゴミは言えないだろう。言い澱んでいたニイを急かして言動を止めていたのは彼なのだから。


「ということは、明後日までここにいなきゃいけないってことですか?」

「ええ。申し訳ないですが、そういうことになります」


 問うたポンコツ刑事が回答に対し「マジか……」と嘆く。マジです。

 それより火は大丈夫なのだろうか。

 私はそれが心配だ。


「あのぉ……とりあえずなんですけどぉ」


 おずおずと手を上げて甘い滑舌の女声。

 母だった。


「とりあえず塔から離れられるように準備だけはした方がよいと思うんですがぁ」

「そうですね」


 ニイが大きく頷いて肯定の意志を見せる。


「皆さん、いざとなったらこの館を捨て、もっと離れられる準備をお願いいたします。――サエグサさん、ヤクモさん。イチノセ様とシバ様にもお伝えしましょう。向かってください」


 サエグサとヤクモは首肯して、階段を使うルートで二階へと向かった。他の人々もそれに続く。そんな中、母はベビーカーを運ぶのが大変だからであろう、急いでいるのだろうが傍から見て少しのんびりとした様子で、エレベーターを利用して二階へと上がった。周囲からがたごとと音がする中、


「イチノセ様! イチノセ様!」


 ヤクモがイチノセの部屋のドアを叩いている様子が見えた。相当大きな声を上げているのでより目立つ。その横で焦燥している様子のサエグサに母親は訊ねる。


「反応がないんですかぁ?」

「ええ、その通りなんです。先程からずっと声を掛けているのですが……」

「どれどれ?」


 母親がベビーカーから手を離し、ヤクモの横に立ってドアノブを握る。

 ガチャリ。


「あ、開いていますよぉ」

「え?」

「ほらぁ」


 母親はそこで手を離し、ヤクモとサエグサに示す。同時に兄が横に来て、私が真正面から部屋の様子が見える位置までベビーカーを動かす。


「本当だ……」

「入ったらどうですぅ? 緊急時ですしぃ」


 そう言う母の間延びした声からは緊急性を感じないのだが。

 しかし確かに状況はその通りなので、ヤクモは決意した様に一つ頷いて再びイチノセの部屋の方を向く。


「イチノセ様! 無礼をお許しください!」


 ドアノブを捻り、入室を――


 ――だが。

 ヤクモの足が止まった。

 足が止まるどころか、一歩後退をする。


 躊躇する理由は私にも分かった。


 扉を開いた瞬間。

 私にも見えた。


 ――


 一目で分かる異常。


「きゃあああああああああああああああああああああっ!」


 サエグサの悲鳴が響く。

 彼女の気持ちも分かる。

 私だって叫びたい。

 叫べない。

 叫ばない。

 ここで赤ちゃんが泣いても、鳴いても、意味が判らないからだ。

 本当の赤ちゃんならば、目の前の光景に理解出来ないからだ。

 普通の人ですら、目の前の光景に理解出来ず混乱するのに。



 窓の近くにあるクローゼット。

 その上段部。

 暗くてよく見えなくとも、確かにそこにあった。

 よく見えないからこそ、その異様さが際立つ。


 金髪で軽薄そうな男。


 その口から女性を口説く言葉の代わりに、赤い液体が流れ。

 熱い視線を向ける双眸は閉じられ、

 暴力を振るう為の手足は、



 イチノセ。



 

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