第60話 山田太郎殺人事件 13
◆
サエグサの悲鳴に誘われてきたのだろう。続々と他の人もイチノセの部屋の前に集まってきた。
ミワ、ロクジョウ、ポンコツ刑事、山田。
ここまでが視認できた範囲だ。
彼らも一様に部屋の外からイチノセの生首を見ては絶句していた。
「イチノセさん……どうして……?」
ポンコツ刑事が口元を抑えて呟くが、誰もその問いに答えることは出来ない。
どうして殺されたのか。
首を切断される程の恨みを買っていたのか?
……その可能性はある。
そういうような性格に見えた。
そして昨晩の出来事。
真っ先に疑われるのは、あのラバーマスクの男。
山田太郎。
と、その男が素早く左手でタッチパッドを打っている。今の気分を表現しようとしているのか――などと考えていたのだが、表示された言葉を読み上げたポンコツ刑事の言葉で、それが全くの見当違いであることを知った。
「えっと……『何か変な音が聞こえませんか?』……えっ?」
「……静かに」
ミワが口元に手を当てて周囲に静寂を促す。
その静寂で分かった。
――時計の音だ。
チッチッチッという音。
ただ、部屋に置いてある時計の音とは違う。
それよりも大きな音。
それを自覚した直後――
「『――残リ三〇秒デス』」
機械音声が部屋の中に響いた。
時計の音。
機械音声。
この二つがある状況。
加えて、先程『幻の塔』で起こった出来事。
それらを統合した結果、これらの音がどういう意味を持つのか。
それは誰の脳裏にも浮かんだであろう。
「爆弾よ! みんな逃げて!」
母親が叫んで扉を閉めた。ここまで必死な母親の声は初めてだ。
爆弾。
先の塔で起こった際と同じようなもの。
誰もが想像したことだろう。
そして同時に、このままここにいればどうなるかを理解しただろう。
顔を青ざめさせ、皆は同一行動を取った。
その場から離れる、という行動を。
私自身は動けないのだが、ベビーカーが物凄い勢いでエレベータとは逆の階段の方へと向かう。この速さは母親だろう。もしくは他の人が押しているのかもしれない。どちらにしろ、兄ではない速さだとしか言えない。前方を走るミワも表情に余裕がない。流石に爆弾が傍にある状況には出くわしたことがないのだろう。というか普通はそうだ。命の危険なのだから、我先にへと脱出を図ろうとするのは当然だ。その場で自分の部屋の窓から飛び降りようとする人がいなかったのがむしろ奇跡に近い。最大級に焦燥しているとはいえ、人間は正しい行動を取る様に出来ているのかもしれない。
――そんな風に。
現状がどういう心理かを分析できるほど私の心は落ち着いていた。
自分で走っておらず、必死な表情の他の人を見ているからかもしれない。
私の思考は、とある結論に至っていた。
イチノセの部屋に仕掛けられていた爆弾。
それは――この『幻想館』を破壊する程の威力はない。
恐らくは部屋の一室くらいは吹き飛ぶかもしれないが、館そのものを吹き飛ばす程の威力はないと推定する。
理由は二つだ。
一つは、この場でそうする意味がないということ。
爆弾を爆発させるのはどういう理由があるのか?
あの場に集まった人間を全て殺害する為だろうか?
違う。
それならば昨晩の内に本館を破壊すればよいのだから。
ならばどうしてなのか。
その理由が二つ目に繋がる。
威力がないと推測する二つ目の理由。
それは――カウントダウンを音声で行っていた、ということ。
残り三〇秒、という音声。
何故そんな機能を付けた?
普通に殺すためだったら残り時間を知らせる必要はない。むしろ音声を付けてしまったら、その場から逃げてしまうだろう。
そう、現状のように。
だから私はこう推察する。
この爆弾は、館を吹き飛ばすような威力はない。
皆をあの場から離れさせるためのモノだ、と。
「伏せろ!」
誰かが叫んだ。恐らくは先程から三〇秒くらい経ったからだろう。私はベビーカーごと下に運ぼうとしている母親が悪戦苦闘している所だったので、まだ階段上だった。母親も兄も傍にいる。母に限ってはベビーカーにしがみつくように私を覆っている。流石に見捨てて階下にいきはしなかったか。家族愛、泣けるねえ。先の推測通りだと茶番にしか見えないが、しかしそう推察しているのは私だけなので、これは本心なのだろう。ありがたい。
そんな少し冷めた思考をしていると、三〇秒が来たようだ。
……何の音もしない。
「……あれ?」
兄が疑問の声を上げる。
やがて一分経過し、二分経過し、五分くらい経過しただろうか。
それでも爆発音はしない。
階下に逃げた人達も疑問を持ったようで、徐々に階段を上ってくる。
私の予想通りだ。
ただ、小規模でも爆発すらしないのは予想外だった。でもよく考えたら部屋から遠ざける為で爆発させる必要すらないではないか。
私もまだまだだな。
そう反省して、部屋から離れた場所で待機している人々を眺める。
少し安堵を含んでいるものの、しかしまだ緊張感がある表情をしている。無理もない。まだ爆発しないとは限ったわけではないのだから。
ミワはサエグサを慰めるように寄り添っているし、ニイは責任者らしく一番、部屋に近い所に立っており、傍にはヤクモもいる。ロクジョウは、こちらが見える位置で一番遠い踊り場に位置している。階下に逃げた人もいるのだろうか。それであればサエグサも上がってくるだけ従業員としての意識は高いなあ、と感心する。感心、といえば、ポンコツ刑事が「現場検証です!」と意気込んで進もうとしているのを老警部に止められている。あのポンコツ具合にどうしても目が向けられてしまう。この状況でポンコツに変化ないのは凄いと思う。
と、そんな人間観察をしていた所で。
「……煙?」
ミワが部屋の方を指差す。
皆が視線を向けると、イチノセの部屋の前に異常があることを認識した。
細い一筋の黒い煙。
ドアから漏れ出していた。
「か、火事じゃないですかっ!?」
ニイが真っ先に反応し、近くにあった消火器を掴んで駆け出す。おいおいおい。ちょっと流行りすぎではないのか。責任者故の行動だろうか。
他の人々もニイに連れられる形でイチノセの部屋へと向かう。私もベビーカーを押されて強制的に向かわされる。行く必要はないのに、本当に集団心理って怖いと思う。将来調べてみよう。なんなら研究してもいいかもしれない。夏休みの自由研究テーマにするのもありかもしれない。そんなテーマ出されても先生が困りそうな気がするが。
どうでもいい未来への構想を胸に秘めながら部屋まで行くと、恐らく先導していたニイが扉を開けていたので、煙の原因が分かった。
先の生首が置かれていたクローゼットが――燃えていた。
クローゼット自体はかなり轟轟と燃えており、既にほとんどが黒炭になって崩れていた。あまりに勢いよく燃えたのか、はたまたもともと無かったのか、防火装置は作動していなかった。建築基準法とかで引っ掛かるんじゃないのか? 知らないけど。
だがそれを責めている余裕はない。
ニイが消火器を火元に向かって吹き出そうとさせるが、その前に山田が布団をクローゼットだった黒炭部に掛けた。そして駆け足で風呂場に入ると洗面器に入った水を火元に向かって投げ始めた。火事というトラウマ的な要素なのに動けるのは立派だ。もしくはそういう経験をしているからこそ、消火に対して適切な処理が出来ているのかもしれない。間違っても布団で叩くような真似はしてはいけない。新鮮な酸素を送るのは逆効果なのだから。
そこでようやくニイが消火器を天井付近にかけ始める。
そこから大人達は消火作業を始めた。
皆は自分の部屋から水の入った洗面器を持ちだして、火に掛けては戻るということを繰り返していた。最初はその部屋の洗面台を使っていたのだがあまりにも人数が多かったので効率が悪そうだったが故の行動だ。
やがて数分後。
火は収まった。
大人達は全員息を切らしており、その部屋で腰を落ち着かせているのも何人かいた。
が、その中で、
「……」
無言で立ち上がり、部屋の中に歩き出す一人の人物。
山田太郎だった。
山田は肩で息をしながらも声を漏らさないようにしていた。いや、実際に漏らせないのかもしれない。そこは辛い所だと思う。
そんな彼が向かった先は、クローゼットがあった場所。
「や、山田さん?」
ニイが声を掛けたが山田は立ち止まらず、どんどん進んでいく。
そして彼は布団に手を掛けると、
「……」
その布団をはぎ取った。
そこに残されていたのは、黒いモノだった。クローゼットだったものが、ほとんど黒炭となって崩れていた。山田が足でその残塊を広げると、簡単にパキパキと音を立てて割れるし、完全に燃え尽きていると言えるだろう。金属のバーや内部にあったであろう割れた鏡の残骸も多数見えるが、もうほとんどぺしゃんこだった。
布団をはいだ後、山田はベッドの脇にでも置いてあっただろう、タッチパッドを左手に取ると、何やら数行文字を打ってこちらに見せてくる。
『完全に消火されたようで、良かったです』
ホッと安堵の息を吐く声が辺りから聞こえる。
布団で隠されていた燻っていた火がないかを確認しただけだったか。考えてみれば炭みたいに炎を上げないけれど熱源は持っている可能性があったわけだ。
何とか館の全焼までは防げたようでよかった。あの勢いは相当やばかったように思える。
「あれは爆弾の不発で発生したんですかねえ?」
ポンコツ刑事がそう疑問の声を発する。
それは違うと思う。
爆発音がせずに燃えたということは、最初から燃やすつもりでしかなかったということ。
ただ、その目的がどうなのかというのは、まだ分からず――
「……おかしくない、あれ?」
ミワが唐突にそう声を上げて、黒炭の塊だらけの窓際を指差す。
……あ。
その指先に視線を向けて私も理解した。
おかしい。
あの塊はおかしい。
先にも述べたが、あそこにあるのは、クローゼットだった木の燃えカスと、材料であった金属製のバーと鏡くらいなものだ。
無い。
あそこに無くてはいけないものが無い。
それが何か。
ミワが代弁してくれた。
「何でイチノセさんの首が――骨すら残っていないの?」
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