第46話 お腹減った事件 15

 後ろから、ふわり、とした感触があった。

 少なくとも床ではない。

 一番下の段にぶつかったわけでも、奇跡的に一段目の中にあった布団に入ったわけでもない。

 それは後ろから誰かに支えてもらったような感触。

 先に述べた。

 私は目の前のことに集中しすぎて後ろを全く見ていなかった。

 それは物理的な意味でもそうだった。


 いつの間にか帰ってきていて。

 後ろにいつの間にか来ていた彼。

 その存在に。


、って」


 柔らかい笑みを湛えながら、兄が私の背部を支えてくれていた。



 お兄ちゃあああああああああああああんん!



 ドッと私の瞳から涙があふれてきた。

 何この救世主。

 かっこいいんですけど。

 私のお兄ちゃん、かっこいい。

 ありがとう。

 本当にありがとう。

 モールス信号で彼に伝えると、彼は「うん。大丈夫だよー」と頭を撫でてくる。

 ああ、落ち着く……


 ……。

 ……。

 ……いやいやいや。何を血迷った。


 正気に戻った。

 恥ずかしい。

 本当に恥ずかしい。

 本音をつい口にしてしまった。

 いや、本音ではない。

 混乱して心に無いことを口走ってしまった。うん。そうだ。

 これはその……そう。吊り橋効果だ。

 危険でドキドキしていたことが別のドキドキと錯覚したというだけだ。

 うん。危ない危ない。

 冷静になれ、私。

 深呼吸だ。

 すー、はー。

 ……よし。


「って、何をしていたのさー?」


 そうだ。

 そうだった。

 私の目的を忘れていた。

 泣きながら、兄にメッセージを伝える。


『ホニウビントッテ』


 哺乳瓶を取って。

 指差しながらそう伝えると、兄は「どれー?」と聞いてくる。なので『ダイドコロ』と伝えると、彼はどこからか低い椅子を持ってきて。台所の前に立て、その上に乗って哺乳瓶を手に取る。

 私は要望する。

 ようやく手に出来るのだ。

 食糧。


『ホシイホシイホシイ』


 泣き声で要望する。ジェスチャーでも要望する。

 そのミルクのためにどれだけ苦労したと思っているのだ。

 早く渡してくれ。


「え? いるの……?」


 兄は何故だか躊躇気味だ。

 あ、そうか。ぬるいから温めた方がいいんじゃないって意味か。

 大丈夫。

 もうぬるくてもなんでもいいからお腹に通したいのだ。

 腹の虫を収まらせたいのだ。

 いろんな意味で。

 だからジェスチャー激しく、兄を叩いてでも欲しいと抗議する。


「えっと、その、あのね……あっ!」


 兄の手が下がった直後に、私は勢いよく哺乳瓶を奪う。

 因みにプラスチック製だった。杞憂だったのだ。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 ようやく手に入った、ミルク。

 食糧。

 食欲よ、待たせたな。

 今満たしてやる。


 私は勢いよく、哺乳瓶に口を付けて、白い液体を飲んだ。


 途端に。


「……うぇ」


 思い切り可愛くない声を放って、私は顔を顰めながら、液体を口端から垂れ流した。


「やっぱり」


 兄が困ったような顔をして、ティッシュを持ってきて私の顔を拭く。


 ……はあ。

 最後の最後まで、後悔ばかりだ。

 私は考えなかった。

 考えも及ばなかった。

 まさか――




「それ、

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