第10話 私誘拐事件 09

 警察であればモールス信号を理解できる人がいるかもしれない。伝える方法はまた考える必要があるが、今は他のことを考えよう。

 棚上げである。

 本当は警察が来る前に全てかたを付けておきたかったのだが、仕方がない。こういう時はどツボにはまってしまうことが多い。

経験は限りなく少ないから、また知ったかぶりにはなってしまうが。

 閑話休題。

 警察が来るまではまだ時間があるようだ。予想だと十五分といったところか。

 別なことを考えよう。

 今一度立ち戻り、思考を切り替えていく。


 犯人の行動の意味を考える、という方向に。


 とりあえず、矛盾点も含め、様々な方策で考えてみよう。

 有り得ないことも上げてから、否定の理論を組み立てる。

 ブレインストーミングだ。

 一人でやることではないのだから、正確な呼び名ではないが。

 まあ、いいや。

 似たような形のことを実行しよう。


 犯人の男は、私を攫った。

 正確にはベビーカーを奪った。

 ベビーカーに何かをした。

 その後、ベビーカーを戻そうとした。

 以上が事実だ。

 この事実はいくらかおかしい所がある。

 まず、ベビーカーを奪ったことだ。

 あのベビーカーは何処にでもある、普通のベビーカーだ。奪って得をするようなことは何もない。後にも述べるが、ベビーカーが目的だが、結局最後まで『奪う』ということはしなかったことから『ベビーカーを奪って戻すことが目的』という意味不明なことになる。

 続いて、ベビーカーを戻そうとしたことだ。

 先に述べたベビーカーを奪うこととの矛盾だ。

 折角奪ったのにどうして戻したのか。

 そこに特化して考えた時、一つの推論が真っ先に思いつく。


 犯人の目的は――『ベビーカーではない』。


 その可能性について言及する。

 犯人の目的は私を攫うことでもなければ、ベビーカーを奪うことでもない。

 では、何が目的か。


 それは――『ベビーカーにあった何かを奪うこと』。


 ベビーカーそのものが目的ではない。

 ベビーカーに何かを仕込むことが目的ではない。

 となると、既にベビーカーに何かが仕込んであった、ということになる。

 私が攫われてから――さらに言えば、更衣室の目の前に放置される前も含め、ベビーカーに何かを仕込むことが出来るのはただ一人しかいない。


 母親だ。


 そのことから、つまりは母親が犯人と共犯であるということになる。


 ――それは有り得ない。


 ただ単に家族を庇っているから、ということではなく、別方面からの思考で先の行動は否定される。

 もし先に仕込んであったのであれば、今は犯人がその『何か』を所持していることになる。

 何かを所持しているのであれば、なおさら私を連れる必要は無かったはずである。

 戻す、ではなく――元の『場所』に戻すことへの矛盾だ。

 必要がないからベビーカーを戻すのは別に考えられることだ。ただ大きいだけのお荷物になるのだから。だが、犯人は『ベビーカーを元の場所に戻す』という行為をする必要はない。その場に放置すればよいだけなのだから。

 では、何故に戻す必要があったのか。


 ……そこが分からない。


 どうしてもそこから先が進まないのだ。

 ただの誘拐事件ならば簡単だ。

 だけど、ベビーカーを何やらいじって、そして元に戻そうとした。

 これがどうしても引っ掛かってしまう。

 何故戻そうとしたのだろう。

 トイレに放置すればいいのに、わざわざ戻そうとする理由が不明だ。

 ベビーカーに何かを隠したのならば、それでミッション終了だろう。逆にベビーカーから何か取ったのならば、先にあげたように尚更戻そうとする必要はない。

 何かが、欠けている。

 情報が、ではない。

 私の思考が、である。

 思い込みが強い部分がある。多分、もう少し柔軟性を持たせる必要があるのだろう。赤子なのに硬いとはこれいかに、って感じだが、事実、私のような赤子はいないから対策が取れやしない。悔しい。

 また泣きそうになる。

 しかし抑える。

 泣いている場合ではない。泣いて体力を消費して、また眠るのは愚かだ。


 頑張れ私。

 考えろ。

 思考を回転させろ。

 柔らかくなれ。

 赤子の脳のように柔らかくなれ。

 赤子だけど。

 赤子のように単純な思考をしてみよう。


 犯人がおかしな行動をしている理由。

 その答えはこうではどうか?


 犯人は


 適当にやっているだけ。

 行動に意味などなく、戻すという行為は何となくやっただけ。

 戻す意味などそこは無い。

 そうしたら他の人が意味深に取ってくれるから。


 ……これも違うな。


 私は心の中で首を横に振る。

 元に戻す、ということを無意識に行うのは有り得ない。

 リスクが高い元に戻すという行為をすることは、心理学的にも考えられない。無意識なら尚更、そんな行動に出る理由がない。

 犯人が無意識に変な行動に出た、ということは考えられない結論だ。

 分かり切っていたことだ。

 すぐに切り替えよう。

 でも、この線はいい線もあると思う。

 そう思考を残し、私は次の可能性を探る。

 犯人が何も考えていない。

 だが、行動には考えられた意志がある。

 ――この場合はどうか?



 つまりは――『犯人は言われた通りのことをしただけである』。



 ……

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