第3話 私誘拐事件 02
母の声は聞こえない。
聞こえるのは荒い男の声。先に述べた通りに父親の姿は今まで見たことがないため、これが父親である確率は限りなく低いと思う。唯一の可能性として、私の知らない所で親権争いがあって、譲らない母親に対して父親が半強制的に奪い去った、という線も有り得る。
だが、それも違うというのはすぐに分かった。
私を攫った人間は人通りが少ない所――つまる所は赤子のおむつなどを変える時などにしようする共用トイレなのだが――そこに辿り着くと、私の身体を持ち上げた。男に対して後ろ向きのままなので顔などの特徴は分からない。
因みに胸のあたりを掴んで持たれている。
いくら趣味趣向があったとしても、流石に〇歳児の身体に欲情する人間はいないだろう。だからどこを触られようがセクシャルハラスメントではない。残念なことに泣き声を上げることしか出来ないので、一般OLのように「痴漢だ!」と叫ぶことは不可能なのだが。
では男は私を持ち上げて何をしたかというと――私には何もしていない。
私には何もしていないが、ベビーカーに対して何か動きはしていたようだ。あやふやなのは、私が専用の場所に後ろ向きで置かれて何も見えないからだ。……本当に置かれたと言っていいほどの雑さだった。
ふむ。
ということはこの誘拐の目的は私ではなく、ベビーカーということになる。
しかしこのベビーカーに何があるのだろうか?
このベビーカーは高級品なのではなく、むしろ寝づらくてデザインを変えてほしいとすら思っている有様である。誘拐犯に触れられたモノだから母親は気持ち悪がって買い換えてくれないだろうか。出来ればもう少しだけ奥行があるモノが欲しいのだが、残念ながらその要望を要求することは出来ない。恐らくは予算削減やなんやらで、良くて今と同じ、最悪値段低いモノにダウングレードすることになるだろう。流石に仕方ないか。
などと諦めている間に、男は私をベビーカーに戻す。
ふむ。寝た感触では変わらない。何かを仕込まれていたのならばかなり薄いモノを入れられたようだ。残念ながら赤子故に下のモノが何であるかを物理的に探ることは出来ない。他の場所にあっても同様に探れない。もどかしいものだ。
かといって、ベビーカーから何かがとられたかといえば、それもなさそうだ。母親はバッグを持っていたので、金目のものはベビーカーには何もないはずだ。
「……これでいいんだよな?」
いいんだよな?
何故に疑問形なのだろうか。
男は何をしようとしているのか。
色々疑問が湧いてくるが、状況は刻一刻と進行する。
男はベビーカーを再び押し、トイレから再び人通りの多い所へと戻る。
「……後は元に戻すだけ、か」
ぽつりと落とした言葉を私は拾い上げる。
彼は一体何をしたかったのだろうか?
そう考えている所で、
「……」
ふと彼は足を止める。
そして私を見る。
その表情はとても険しかった。
理由は分かった。
私はずっと泣いたままだ。
残念ながら自分の意志でまだ泣くのを止めることが出来ないため、泣き続けるしかない。
それが原因だろう。
「……うるさいなあ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます