私誘拐事件

事件編

第2話 私誘拐事件 01

 あの頃は若かった。


 そう今なら言える。

 そんな私は今、生を受けてから半年が経った地点に立っている。

 まだ二本の足で自分の体重を支えるレベルの筋力は身についていないのだが。

 赤子というのはこうも不便なのか。

 毎日嘆いて、その嘆きが泣くという行為に繋がっていた。

 そう。

 だから今泣いているのは、悔しいから泣いているのだ。

 何故まだ言葉を口にすることが出来ないのか、と。

 頭の中ではいくらでも言葉を紡ぎ出せるのに、それを伝える手段がない。筋肉もない。

 辛くて。

 辛くて。

 泣きそうだ。

 泣いているけれど。

 ここまで悔しいことは無かった。


 ――半年しか生きていないけれど。


 苦節半年。

 生まれた瞬間からこの日までの記憶を保持している私が、自ら偽りではなく泣いているのは、もしかすると生まれた瞬間以外にはないのかもしれない。

 さて。

 先程からこう述べているが、勿論、私の口から発せられている訳ではない。

私の口は相も変わらず「おぎゃーおぎゃー」という鳴き声だけだ。まだ発声する器官が育っていない。

 だが、こうして思考は穏やかだ。

 私は所謂赤子だ。

 だが、始めから知識だけはかなりの量を持っている。

 目の前の事象が何であるか。

 母の言葉が何を示しているのか。

 周囲の大人の会話の中身。

 一般常識ならば何でも入っていると言っても過言ではないだろう。

 だからといって前世の記憶とかそんなものがあるわけではない。経験則に関することはすっかりと抜けている。

 ただ単に知識が詰め込まれているだけ。

 何故そうなっているかは理解不能である。

 私という存在を考えるには、まだ情報が足りな過ぎる。

 情報が欲しい。

 渇望。

 これだけの知識が既にある私ですら、まだ情報を欲しがっているのだ。最初から知識がない人間はどれだけ損なのであろう。

 ……いや、そうネガティブに考えるモノではない。

 私は人より考えられる時間が長いのだ。無為な時間を過ごすことが少なくなる。

 大人になってからの一年間と、子供時代の一年間の体感時間は異なるという話を聞いたことがある。いや、知識として持っていないと言った方が正しいであろう。――話が逸れた。つまり私が述べたいのは、それは知識が合ってルーチンワークを実施する大人期間と、毎日が日々めまぐるしく変化する子供時代では差があるということであり、知識を持っている分、どちらに振れても出来るという思想を持っている私は、それだけ有利であるということでもある。

 ……まあ、ただの気持ちの問題であり、体感時間含め本当は変わっていないのだという結論付けも既にしているので、これはただの妄言ではあるのだが。

 話が逸れに逸れた。

 結局言いたいことが何かというと、それが私という存在である、ということを述べたかった、というだけである。



 ――さてさて。

 ここまで存分に語ってきた私だが、ここでようやくを説明しよう。



 生後半年。

 ここまで大きな事件もなく、普通の赤子として過ごしてきた。厳密に言えば父親の姿を見たことが無いからその辺は複雑な家庭なのかもしれないが、裕福でも貧しくでもない、普通の母子家庭であることはほぼ間違いがない。

 だから尚更疑問に思う。

 今日は母親に連れられてベビーカーに揺られながら、自宅から歩いて五分程度という非常に利便性が高い場所にある大型モールに買い物に来ていた。

 最初に服売り場に来たのだが、母親は私の服のついでに自分の服を買う為に、ベビーカーをすぐ傍に置いて試着室に入った。


 その一瞬の隙を突かれた。


 あっ、という間もほとんどないくらいの手際であったという体感はあった。

 急速にベビーカーが意志を持って移動を始めた。





 端的に言うと、私は――

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