終章

 工房で鍛造する音が聞こえる。


 俺は親方が奏でるその音を聞きながら、ぼんやりと墓を見下ろしていた。

 墓碑の証となった十字架に刻まれた名はラシールと言う。俺の愛した女性であり、侍女でもあったダークエルフの名だ。


 墓を作ることに意味はない。

 治められるべき亡骸はなく、そこに埋められたのは彼女が最後に纏っていた装備だ。態々あの洞穴まで飛んで持ってきたものだが、勝手に俺が出て行くとでも思ったレイチェルが、また背中に飛び乗ってきたために取ってくるのに少しばかり時間がかかってしまった。デッドウェイト分重くなった弊害だ。


 とはいえ、大した時間の浪費でもない。それを言えば彼女の墓を作るなどという行為そのものも浪費になるからだ。それでもこうして別れの儀式をしておくべきだと思ったからこそ、俺は親方に無理を言って工房の近くに作らせて貰った。


 本当は、アーカイバの領地を取り戻してからの方が良かったのかもしれない。このリスティンの地は彼女の生まれ故郷でもなければ縁もない国であり、そもそも彼女は俺の武器庫の中に在る。ここを選んだのは、一番静かに暮らせたからだ。これはただの感傷であり、俺の弱い心が一つの事実を受け止めるために必要だった作業に過ぎない。


「いつか君を完成させてから、もう一度ここに来るよ」


 それは、勝手な約束だった。答える相手のいない、独白の如き自己満足。けれどこうして言葉にしたことで、事実を刻んで望みを果たす誓いとなった。


「女々しいのう」


 退屈そうに墓碑の周りを囲んだ木の杭に腰掛けながら、レイチェルが半眼で見上げてくる。どこか拗ねたようなその瞳だったが、何も言わずに居るとすぐに肩を竦めた。


「いつまでも昔の女に現を抜かされるとワシの立場が無いではないか」


「ついて来るのは勝手だ、とは言ったがな」


「良いではないか。どうせワシぐらいしかおぬしの面倒をみてやろうなどという酔狂な女子はおるまいて」


 自信満々に言うその言葉を無視して、俺は親方の居る工房へと歩いていく。心なしか頭痛がしてくるのは何故だろうか。そんな俺の心境など知らぬ顔の女魔族は、飛翔翼をはためかせて俺の背中にへばりつく。まるで幼子におんぶをせがまれているような気分だ。それもまた無視していると、内包した魔剣の加護を開放して強引にしがみついてくる。


「相変わらず仲がいいな」


「夫婦じゃからな」


「事実無根だ」


 工房の前に立っていたクリア王女に憮然とした顔で答えつつ、工房へと入って親方へ出発の挨拶をする。


「親方、そろそろ出る」


「そうか。気が向いたらまたいつでも来い」


 相変わらず良い音をさせながら、親方は振り返らずに言う。簡潔な物言いだが俺にはそれで十分だ。戸口においてあったバックラーと、新しく用意しなおした荷物袋を背負う。その頃にはさすがにレイチェルも背中から降り、リスティーナで用意した自分の分を準備していた。


「もう行くのか?」


「ああ。やるべきことがあるからな」


 既にリスティン王国に神剣使いはおらず、残りのほとんどが帝国方面に分散しているように俺には感じ取れている。後は虱潰しに一人ずつ潰していくだけ。諸国に逃げだされては面倒だ。一気に片付けるためにも、皇帝の死で帝国内がドタバタしている間に動いておきたい。


「私もアーカイバ方面から進軍することになっているが、すぐに追いつこう」


「陽動されていた主力軍を再編成し、進軍するのだったな」


 ドットレイともう一人は転移魔法を使って兵と共に逃亡したが、その被害は甚大だ。また、陽動していた帝国軍は皇帝の戦死の報でも入ったのだろう。アーカイバ方面への完全撤退がこの一週間で確認されていると聞いていた。王都の復興作業もあるだろうが、この気に乗じて帝国へと攻め込み、帝国の野望に終止符を打っておきたいというのがリスティンの狙いだろう。


「一緒に来ればいいと思うのだがな。二人だけで帝国に行くのは危険だぞ」


「最優先は神剣使いだ。それ以外の相手は適当にどうとでもする」


「まぁ、二人であればヘマはしないだろうが……」


 俺を見て、そしてレイチェルへと視線を向けるクリアは苦笑していた。はたして、聖王女様はどういう意図でもって苦笑いしているのだろうか。問い詰めてみたい気もするが、過剰な答えが返ってくるような気がしてそれはやめておくことにする。


「忠告として受け取っておこう」


 無難に言葉を返し、彼女から離れた位置まで歩くと飛翔翼を展開する。


「ではなクリア。神剣使いは大抵あ奴が先に叩いておるじゃろうが、そちらも気をつけるんじゃぞ」


「レイチェルもな」


 女二人の別れも確認し、俺はシルウィンの生み出す風に乗って空を舞う。


「こら待たんか! やっぱり案の定置いて行こうとしおって!」


 風に乗り損ねたレイチェルが憤慨しながら追ってくるので、少し速度を緩めて待ってやる。春の日差しが占有する空は気持ちがいい。まるで全ての柵から開放さえたかのような気分を味わえる。この最高の気分を〈彼女〉と共有できないことが残念ではあったが、この先はずっと一緒だ。それで我慢することにしようか。


――ブラッドソードは生きている。


 ふと、かつて親父とラシールが言っていたその言葉を思い出した。

 それは、ただそうだと信じておきたい者たちの幻想に過ぎないと思っていた。しかし皇帝を倒す寸前に俺の危機を救ったあの声の主は、間違いなく彼女だった。無論、確証は無い。実はそれは幻聴で、死に掛けたことで走馬灯でも見て彼女の声を咄嗟に思い出しただけだったのかもしれない。


 捻くれた者の見方をすればそうなる。

 けれど、俺は思うのだ。もしかしたら本当にブラッドソードは生きていて、その中に在る彼女の意思が俺を救ってくれたのではないだろうか、と。


 それはきっと妄想にも近い情念だ。だが仮にそうだったとしてもかまうまい。現実に俺は彼女の命で作られた魔剣に命を救われ、こうして今も生きている。だから俺もまた信じたい。


 ブラッドソードの中で彼女が俺を見守ってくれているということを。これは彼女だけに限ったことではないのかもしれない。親父も、顔も見たことも無い母や魔剣として身を投じた彼ら全てが俺を守ってくれているのだ。加護で、命の力で、その存在の全てで。


「くおらぁぁぁ! 待たんかカリス!」


 飛翔翼を目一杯羽ばたかせながら、魔族の少女が追いついてくる――かと思えば、再び俺の背にしがみついてきた。


「よっと。定位置確保じゃ」


「本当に俺の三倍は年上なんだろうな? なんでそんな餓鬼っぽいんだ」


 背中に感じた衝撃と、首に回された手の力強さに参りながら、俺は新しい旅の道連れに問いかける。振り返って疑いの眼差しを送るも、紅眼の主はこたえない。それどころか、反応することを楽しんでいる風である。


「なんじゃ、ワシの背におぶさりたいのか? だったら上と下を交代するのもやぶさかでは無いぞ」


「……」


「ええい、暴れるでないわ。落ちるじゃろうが」


 無言で振り落とそうと空を出鱈目に飛ぶも、しっかりとしがみついているレイチェルは離れない。それどころかがっちりとまわされた手でより強く俺の首をホールドしてくる始末だ。


「分かった、分かったよ。降参だ」


 素直に負けを認め、俺は安定した飛行に切り替える。目指すは南西。故郷であるアーカイバの、そこに居る神剣使いが二人目の標的だ。慢心などせず、確実に撃破して行くとしよう。


「レイチェル」


「ん?」


「速度を上げるぞ」


 シルウィンにより強い風を吹かせ、飛行スピードを増加させる。みるみるうちに眼下の光景が変わっていく。しばらくの間無言が続いた。だが、少しレイチェルが身じろぎしたかと思えば、耳元で囁いてきた。


「ラシール殿とやらに勝てるとは思わんが覚えておけ我が伴侶よ。いつか、ワシはその者と同じ場所に立ってやるからのう。じゃから、いつまでも寂しそうな顔をするでない」


「……そんなに、そんなに俺は参って見えるか」


「うむ。思わずこう、胸を貸してやりたいぐらいにはのう」


「それはありがたい申し出だ。が、ボリュームが少し足りない気がするな」


 誰かさんのことを思い出さされたおかげで、思わず言ってしまった。何が、とは明言しないし、別段じゃれてくるのが鬱陶しいから反撃したわけではない。だがさすがに意味を察したらしい彼女は、しかし怒るでもなく俺の頬に手をやると無言でその撫でてくる。


「試してみるかえ? これはこれで病み付きになるらしいぞ」


 どこまでも挑戦的な女だ。一歩も引く気はないらしい。正直、どこまで本気なのかは分からない。だが、そうだな。こんなわけの分からない女でも道連れが居るだけ幸せなことなのかもしれない。どこまでこの調子でいるのかは知らないが一人旅よりは賑やかになるだろう。


 いつかは、完全に『彼女』のことが過去になる日がやってくるのだろう。けれどまだ過去にならない間はこんな女が隣にいてもいい。春風に乗りながら、少しだけ軽くなった心を自覚した俺は、しばらくの間唇の端を吊り上げながら故郷を目指した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブラッドスミス T・S @torasu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ