第4話「魔剣王」


 焦燥を胸に、昼の街道をハーフエルフの王女が馬に乗って駆けていた。

 可能な限り休息をしないようにしたせいで、三日も掛けて走った道のりを二日と半日にまで短縮させようかという程の勢いだ。おかげで疲労がたまった馬の速度は走り始めた頃と比べて格段に落ちている。彼女の慈悲魔法が無ければこの無茶は出来なかっただろう。それが分かっていながらしかし、ギリギリまで止まることを彼女は選択しなかった。レイチェルと移動した行程を短縮するには、そうするしかなかったのだ。


 駆け続けた間に募り続けた焦りの感情は旅の疲労を麻痺させる。手綱を握る手は当然として、全身は汗ばみ、疲労は更なる焦りを生みだして彼女の心を締め付ける。


 兵力差はもとより神剣という規格外の武器の差がある。そして頼みの綱のカリス・アーカイバの欠如。ほぼ最悪の状態での戦争がこれから始まる。いや、もう始まっているかもしれない。そう思えば、平静で居られる方がおかしい。休憩の間など、クリアはもどかしさで胸が張り裂けそうなほどだった。だが、その苦行もこれで終わりだ。


(見えた!)


 街道の向こう、見慣れた王都の姿があった。安堵の表情が自然と浮かぶも、煙が上がっているのを見て愕然とする。

戦争が始まっている。それは、王都が既に襲われているという最悪の状態であることを示している。けれどそれはありえてはならないのだ。


「馬鹿な、一体どうやったというのだ!?」


 アーカイバ方面なら十日。最短の西側からの山越えなら三日は掛かるという試算で考えていた。リスティン側の計算でいけば最低それだけ時間がかかるということだったのだ。


 だというのに、恐るべきことに帝国は予測よりも一日速く攻め立ててきている。どんな移動方を使えばそれが可能になるのかがクリアには分からない。しかも途中にある砦での戦闘はどうしたのだ。それさえも行ってこの電撃的な速度であったのであれば、それはもはや人知の及ばぬ力が働いたとしか思えない。


(これも神剣の力だというのか)


 ギリリと硬く奥歯を噛み締め、クリアはただただ馬を駆る。途中で東門から民間人らしき一団とすれ違う。様々な種族の者たちが一心不乱に王都から離れようとするその必死な姿を見て、彼女は覚悟を決めた。


「おい、アレって姫様じゃないか?」


「行っちゃ駄目だ! もう城下まで帝国が押し寄せて来てるんだよ!」


 何人かが王都に走る彼女に気づき引き返すように叫ぶのが聞こえたが、クリアはただマすぐに突き進んだ。彼らの言うことは正しい。たった一人では向かったところで大勢に与える影響など限りなく小さい。それが分かっていながら、それでも彼女は向かうことを選んだ。


 人々の列は次第に多くなっていく。その一人一人の顔が、恐怖に染まっていることが何よりもクレアには悲しい。近づくにつれ、悲鳴や武器を打ち合う音が聞こえ始める頃になると東の城門からあふれ出す人々で一杯になり馬を捨てるしかなくなった。人ごみをかきわけ、彼女は大声を張り上げながら民を逃がす門番の男に詰め寄った。


「ひ、姫様!? 戻られたのですか!?」


「状況はどうなっている」


「少し前に西門の向こうに帝国の大軍がいきなり現れ王都へと侵攻。既に西門が破られ、帝国軍の侵入されました」


「くっ、それで我が軍は」


「アーカイバ方面から進軍してきた敵に向かって宣戦布告と同時に出陣しています。そのせいで今王都にはあまり兵が残っていませんでした。奴ら、市民はほとんど無視してそのまま王城へと向かっています。制圧よりも先に城を落すつもりだと思われますが、ここにもいつ手が回るか……」


 王城は王都の中心に建造されており、堀と城壁で守られている。順当に城攻めをするならば、周囲の城下を占領し城を包囲してから攻めるのが打倒だろう。その際、当然のように補給を断つことで兵糧攻めを狙うのが定石である。だがこの場合は出撃した主力軍が引き返してくるまで持たせられればいいので守備隊は決死の覚悟で守り抜こうとするだろうことは相手も読んでいるに違い無い。その証拠にリスティン側に余計な時間を与えないためにも城下の完全占拠よりも城攻めを優先していた。


(アーカイバから攻めると見せかけてこちらの主力を陽動。王都から十分に引き離し兵力を手薄にしたところで西から強襲。完全に相手の策に嵌められたか)


 ようやく状況を把握したクリアは、門番に言う。


「貴方はギリギリまで民を逃がしてやってくれ。その後は臨機応変に脱出してくれて構わない。出撃した本体と合流すればまだ反撃の機会はある。命を粗末にはするなよ」


「姫様はどちらへ!?」


「王城へ向かう。私にはやるべきことがあるのだ」


 返答に絶句する兵士をその場に残し、クリアは再び駆け出した。その足は、迷うことなく王城を目指していた。



 悲鳴と怒号が錯綜する城下の只中を真っ直ぐに歩む一団が在った。帝国の不死皇帝アグラールが直々に率いるその軍勢は、正に破竹の勢いで王都の中を突き進んでいた。

先頭を行くのは当然のように皇帝だ。敵から放たれる矢や魔法を意に介せず神剣の自動障壁に任せて切り込んでいく。皇帝が神剣を一振りする度、鎧で身を守られたはずの王都守備隊の体が数人まとめて両断され血を撒き散らしながら地に臥していく。その圧倒的な強さは、敵軍に恐怖を植え付け味方の兵に安堵をもたらした。その後には皇帝に続けとばかりに後詰の兵士たちが一気に敵兵をねじ伏せていく。


「ドットレイ殿、足が止まっておりますぞ」


「むっ、グラ爺か」


 グラシャール・ミルゼン。人間にしては優秀な魔法使いであり、古代の魔法や歴史などを研究している学者でもあった初老の男だ。帝国ではその知識を振るい、この十年不死皇帝の極秘任務のために動いていた。研究者らしく痩せた体躯をしており、年のせいで衰えた視力をメガネで補っている。その手にある杖には神剣の欠片が埋め込まれており、神杖使いとも呼ばれている。神剣の量産にも一役買った男であり、皇帝が今最も信頼している男であった。


「若いのだからしゃんとしませんとな」


「そっちこそ働けってんだ。今なら魔法で一網打尽じゃねーか」


「ふむ。二万の兵を転移させるという大魔法を使ったこの老いぼれをまだ酷使すると?」


「何が大魔法だ。その杖の加護だろうがよ」


 疲弊した様子を見せない老人に、ドットレイは言い募る。神剣使いは自動障壁で守られているため、実質ほとんどの攻撃が効かない。しかし兵は違う。手を抜いている魔法使いを遊ばせておいていい状況ではないのだ。


「やれやれ、しょうがないですな」


 意図を理解しているグラシャールは、魔法を詠唱し最前列に向かって杖をかざす。すると、真っ赤に燃える特大の炎弾が放たれ皇帝の頭を超えて守備隊の作った隊列へと襲い掛かった。瞬間、爆音と悲鳴が敵陣で上がると同時に着弾した炎弾が兵士たちの服に燃え移り火達磨にした。血臭だけでなく肉の焼ける匂いが周囲に広がり、火を消そうとして転げまわっている兵士が無残にも帝国兵に止めを刺されていく。


 戦争だから仕方が無いとはいえ、その一方的な蹂躙に一瞬ドットレイの顔が歪む。視線を移動させれば、魔法が直撃して死んだ兵士の亡骸から民家に火がついたのが見える。戦争のために準備してきたとはいえ、ここまで一方的に攻撃が可能なのはリスティン王国軍の主力が出払っているからだけではない。間違いなく不死皇帝やドットレイたち神剣使いの影響だった。


 人知を超えた力による一点突破。その勢いは留まるところを知らなかった。これは事実としてそれが目の前に横たわっている光景なのだ。


「爺さん、少しは手加減しろよ。占領後は帝国のモノになるんだぞ」


「ふぉっふぉっふぉ。そういう台詞は完全にリスティーナを制圧してから言うんじゃな」


 悪びれもせずに魔法使いは言うと、歩を進めて皇帝を追う。


「戦争……か」


 彼としてもこれで二度目に体験する戦争である。一度目はアーカイバ、そして二度目が十年越しのリスティン。かつてと違い、神剣がある今ドットレイに恐怖はない。だが、それでも慣れぬものはあった。


 断末魔の叫び声に漂う死臭。鍛えた力を行使できる愉悦。戦場での命の価値の小ささなど上げていけばきりがない。兵士だとて人間だ。武勲を上げる喜びはあれど、それとこれとはまた違う感慨が去来することもある。ましてやこうも一方的では、余裕がありすぎて余計なことを考えてしまう。


「どうした。剣の動きが鈍っているぞ」


 前線で剣を振るう皇帝に並び、神剣を振るう。その最中に感じた迷いを言い当てられ、一瞬ドットレイは答えることができなかった。口をつぐんだ彼を見て、皇帝はしかし返り血で汚れながら諭すように言ったのだ。


「馴れろとは言わん。だが、帝国が世界を支配すればそれで終わる。そのためであることを忘れなければそれでいい」


「陛下、俺は怖気づいたわけでは――」


「良い。ためらわない人間などよりも、ためらいを覚える人間であれ」


 それは、まるで息子に父親が言うようだった。


「だが時と場合は選べよ。でなければ取り返しのつかないことになることもある」


「はっ――」


 戦争の最中に、敵兵を殺しながら言う言葉ではない。自身で言っておいてその矛盾が可笑しかったのか、皇帝は豪快に笑いながら突き進む。ドットレイは増産されていく死体を超えながら自らもその手助けに併走した。何十、何百の屍を超えていく。迷いが晴れたわけではない。そもそも、どうしてそんな余計なモノを感じるのかが不快でならない。迷う理由がそもそもに無いのだ。そう、ドットレイにはないはずだった。だが、それでも朧気ながら理解できるほどの余裕が彼にはあった。その余裕が彼にその正体を看破させた。


(そうか。俺自身が必死ではないからか)


 敵兵の死に物狂いの様相とは違い、安全な場所からそれらを蹂躙しているという事実にこそ感じた戸惑いだったのだ。間違いなくそれは驕りであり、唾棄すべきものである。神剣の巨大な加護が生み出した惰弱な心。それにハッと気づいたドットレイは、皇帝に負けないほどの咆哮を上げながら兵士を屠り始める。大盾に障壁を展開して受け止めようとした兵士を障壁ごと叩き斬り、自身の矮小さを恥じるかのように立ち回る。皇帝ほどとはいかずとも、それは正に鬼神とも呼べるほど苛烈なものだった。


「ふはは。良い、良いぞ。やればできるではないか!」


 喜色を浮かべながら追随してくるドットレイを見て不適に唇を吊り上げると、皇帝は難題を与える。


「よしドットレイ。連中の城を守る城門を次は余の代わりに貴様が打ち破ってみせよ」


「――御意」


 命じられるままにドットレイは頷き、疑問を差し挟むことなく城を目指した。







 いくつかある秘密の抜け道を使い、クリアは城へと侵入した。

 古都でもあるリスティーナには魔法で作られた古い地下道が張り巡らされている。有事の際の脱出路であり、王族と近衛などしか知らない抜け道だ。東門近くにある民家に偽装されている入り口から侵入し、城の中庭に設置されている庭園の噴水へと続く道を踏破したクリアは、ずぶ濡れ姿で城の中へと急ぐ。


 すれ違う兵士たちがその姿に気づくも、すぐに己の仕事をこなすべく走り去る。庭園の敷地内では篭城するために兵が武装し、門の上から城下を眺めて逐次報告をしているところだった。状況が分からない今、無闇に口出しするほど彼女は愚かではない。邪魔することなく謁見の間へと向かい合流を果たす。そこには王や臣下、守備隊の騎士団長やケニスや王妃も居た。


「ただいま帰還しました」


「クリアか!? 良く戻ったな」


 指示を飛ばしているリスティン王が強張った顔を一瞬緩める。しかし、すぐにその顔を顰めた。クリアが一人で帰ってきたことを見て取ったのだ。


「申し訳ありません父上。カリス・アーカイバの探索は失敗に終わりました」


「そうか。望みは絶たれたか」


 瞳を閉じ、運命を噛み締めるように呟く王のその言葉は、一抹の希望を抱いていた者たちの心を絶望で染めあげる。


「主力が戻ってくるまで耐えられませんか」


「無理だ。防衛戦の要である拠点を不死皇帝は単身で破壊できる。現に西の門は奴一人に破壊されたと報告を受けている。しかも奴には矢も魔法も槍さえも効かん。今は兵たちが進行を食い止めているが、奴はもうすぐそこまで迫っているのだ。彼奴の刃が届くのも時間の問題だ」


 純然たる事実を語る王の言葉は重い。誰もがもう理解している。城が落ちるのが確定しているのだと。


「しかしだ。このままただでこの城をくれてやるわけにはいかん」


「父上?」


「クリア、ケニス。我が妻クリスマウアと共に抜け道で王都から脱出しエルフの国に向かえ。同時に主力軍へと魔法通信で伝令を出し機を伺え」


「あなた!」


「すまん。私はいけそうにない。クリスマウア……二人を頼む」


「それしか、ないのですね」


「ああ」


 王と王妃が抱き合い、ケニスとクリアもまた抱擁を交わした。抱きしめる力強い腕が離れたとき、クリアはその手の震えに気がついた。しかし、それが恐怖ではないとクリアは察してもいた。強大な敵に恐怖を抱いているのではない。ただ純粋にこの別れが悲しいのだ。それは死を覚悟した者の未練であり、家族への愛の証だった。


「近衛兵は城に残っている戦えない者らを妻と一緒に頼む。残りの者は悪いが余と共に彼らが逃げるまでの足止めに付き合ってくれ」


「父上、私もギリギリまで残ります」


「何を言うのですか姉上!」


「心配するな。不死皇帝とやらの顔を拝んだ後、私は主力と合流するために南に抜けるつもりだ。上手くすれば奴らの目を引き付けられる。だから母上と国を頼むぞケニス」


「そんな……」


「こら。次のリスティン王がそんな情けない顔をするものではないぞ」


 泣きそうな弟の頭をクシャクシャと撫で、クリアは笑う。それを見上げたケニスは、無言で頷きそれ以上喚くことはしなかった。


「よし、行け」


 それぞれが動き出す。時間はもう残されていない。城内の者は腹を括り役目をこなす。無言で、ただただ早く。クリアはずぶ濡れの服を着替え、軽く装備を布で拭い水気を切る。濡れた衣服では戦闘に支障が出る。今できることに彼女はただただ没頭した。


「クリア、覚悟はできているのだな?」


「当然です父上」


 王妃クリスマウアはエルフとの架け橋であり、その息子ケニスは王の子だ。逃げ延びれば匿うぐらいはしてもらえる。クリアも逃げればそうだっただろうが、二人の逃げる時間を少しでも稼ぐために残ったことは誰の目にも明らかだった。その選択肢の危うさは、想像するまでもない。捕まれば二人の行方を追うための拷問にかけられるだろうし、滅ぼした国の王族など支配者にとっては邪魔なだけだ。始末されないとしても利用されることは間違いない。


「覚悟ができているならば良い。すまんな、つき合わせることになった」


「いえ」


「しかし不幸中の幸いだな。お前が居ない間にケニスが売国奴をつるし上げて処刑させたおかげで、連中はすぐに追跡することができまい」


 城下の制圧のこともある。主力が戻ってくる前に帝国軍は王都を制圧しなければならない。捜索にかける兵の数が少しでも減れば王妃と王子が逃げ延びられる確率も上がる。無論クリアの命が大事ではないわけではなかったが、しかし現実として時間稼ぎになるかもしれない。ならばその決断を王として尊重した、


「せめて、孫を抱くぐらいはしたかったな」


 ぼそり、と呟かれた声にクリアが言葉を返す暇はなかった。大地が震撼するかのような一際大きな音が二人の耳朶を打ったからである。


「来たか不死皇帝――」


 それは一度では終わらず、兵たちの怒号などよりも圧倒的に大きい轟音だ。城の外へと向かい、城の中を全て閉じさせ死ぬ覚悟がある者たちと共に庭園へと布陣する。そして二人は、その出鱈目を垣間見た。


「城門が――」


 必死に門を抑えていた兵士たちが、まるで冗談のように吹き飛んだ。その向こう、グレートソードを振り下ろした筋肉男が路を開け一人の偉丈夫へと道を譲る。その男はフルプレートの鎧を着込んだ最強の神剣使い。当然のようにその背後に帝国軍を引き連れ乗り込んでくるその男を前にして、しかし王は毅然とした態度で歩を進めた。


「貴様が不死皇帝アグラール・ウルク・ラルガスか」


「お初にお目にかかる……とでも言えば良いかな。リスティン王よ」


「随分と派手にやってくれたな」


「そうでもない。この程度は児戯に過ぎぬよ。それより素直に降伏したらどうだ。無駄に血を流す必要はあるまい。既に大勢は決している。降伏し、貴様らの首さえもらえればそれで終わるぞ」


 その不遜な言葉は事実である。それが分かっていながらしかし、リスティン王は屈するという選択肢を選ばない。


「断る。例えそうだったとしても、貴様のような世を乱すだけの者に屈することなど私にはできん。私には分かるぞ。貴様にはそんな器など無いのだ。貴様はただ神剣を手に入れて見せびらかしているだけの小物よ。そんな程度の男に、何故屈する必要がある!」


「ふっ。余の前に立ちはだかった者が皆そう言う。全てはこの剣のおかげだとな。確かに、それは正しい。この剣の力は人知を超えている。それは確かに否定できぬ。しかしな、運も実力の内とも言うし、何よりも問題なのは力ではない。それを使う者の強き意思よ」


 神剣は持ち主に力を与える。決して、自らの意思で特定の誰かに力を与えるわけではない。故に神剣とはただの強力な兵器なのだ。ならば必然、その力を御する者の意思こそが重要になる。


「貴様らのような脆弱な人間とは違う強固な意志が余を突き動かすのだ。嗚呼、嗚呼、嗚呼!! 忘れもしないぞ。忘れられるものか。余は力弱き人間の代弁者なのだ。未だに目を瞑れば思い出せる、あの地獄のような光景を否定するため神に選ばれた人間の王なのだ!」


 今はもう過ぎ去りし過去が、皇帝の脳裏に浮かび上がる。想起されるのは原初の記憶。ただの小国でしかなかった時代の、多種族の猛威に晒された脆弱な頃に脳髄に刻まれたその忘れえぬ情景だった。


「この世界は地獄だ。何故ならば弱い者は強き者たちに淘汰され、家畜のように生きろと生まれた頃から強要されるように世界が強制しているからだ。誰が否定しようと変わらぬこの普遍の真理。変えようとしても誰も成しえることはなかった。だが、そうやって悲観するだけだった『俺』の元に神剣がやってきたとき思ったのだ。これは運命なのだろうとな。余はな、リスティン王。世界を支配し、この普遍の真理に挑もうと思っている。貴様らとは違ったやり方で、だ」


 独白のような言葉は紡がれる。リスティン王は一瞬怪訝そうに眉を顰めた。大陸を、世界を支配しようとする男のその呟きが余りにも真摯だったからだ。何時殺し合いが始まっても可笑しくは無いという場面で、その続きを聞きたいと思う自分が居たことに彼自身驚いていた。


「多種族との融和だったな。貴様らの政策は」


「そうだ。そこには争いなど必要ない。剣を振るう必要がないからだ。我々は知恵ある者だ。言葉を交わせる口と、言の葉を聞く耳がある。それだけあれば十分なのだ。何故それが分からん」


「ならばその先にある物はなんだ」


「共生による平和だ。力仕事は獣人が、魔法は魔族が、森のことはエルフが、鍛治ならばドワーフが、皆がその力を生かせば今よりももっと良い暮らしができるようになる。認め合い、補い合う。そうやって信頼を構築し理解していけば争いなど自然となくなる」


「はっ、冗談ではない。そんなことになるものかよ」


「なに?」


「それは共生ではない。得意分野の押し付け合いだ。補い合う? ならば、力仕事をしている人間は必要ないのか? 魔法を研究する人間の魔法使いは? 植物を研究する人間の学者は? 強気武具をと精進する人間の鍛冶師はいらないのか? その者たちはどうすればいいのだ? その分野での劣等感に苛まれながら奴らを見上げ続けて卑屈に生きろとでも言うのか!?」


「できることをすれば良い。それどころか、教えを請えば――」


「――黙れ。それはつまり結局は諦めて奴らの下に付けということだろう。融和による共生? ふざけるな。魔族に魔法で勝てるわけがない。純粋な力で獣人には敵わない。植物の声が聞こえるエルフに勝てるわけがないし、鍛治の腕で人間がドワーフに勝てるのか? 答えはノーだ。人間が勝てるのは精々が繁殖力ぐらいだ。おためごかしも大概にしろ! 貴様らのその思想は人間を劣等種にするだけだ。それでは今と何ら変わらない。故にこそ余が世に人間の力を知らしめるのだ! 無力だった人間の力を、誰も目を背けられない偉業を達成した種族としてこの世界に刻みつけるために! 人間の可能性を示すために!」


 吐き捨てる皇帝は神剣を掲げる。通常の剣を凌駕するその巨大な威容は、皇帝の覇気と相まって停滞した戦場の空気を破壊する。問答はそれで終わりだった。互い対極であるが故に混じることなく対立するのだ。もはや誰にも、その構図は止められない。


「――あの世で見るがいい。人間が劣等種ではないと我らが証明するその瞬間を」


 掲げられた神剣の切っ先が敵勢へと降ろされる。そして戦争が、再開された。








 ――空。


 雲にも届くほどの高高度で、二人の魔族が飛翔していた。追い風を受ける魔剣王の飛翔翼は、荒れ狂う暴風に翻弄されることなく空を縦横無尽に駆ける権利を与えた。


 何度か地上に降りて休憩と訓練を挟みながら空を飛び続けたカリスは、その間に完全に自分の力の扱い方を理解していた。その背中にしがみついているレイチェルはというと、飛翔翼を使わずに全てを彼に任せていた。ただ、その代わりにカリスが知らないブラッドスミスとネクロスミスしか知らないだろう伝説を語り聞かせ、何も知らなかった彼を驚かせた。


「まさか、ブラッドソードが神に与えられた神剣の秘術だったとは……」


「大昔の話じゃ。創造神は天地創造の後に己を善神、悪神、中庸神の三つに細分化なされた。しかし、分割されるや否や善神と悪神が争った。その争いに巻き込まれる生き物たちを哀れに思った中庸神は全ての種族に試練を与え、耐え抜いた唯一の種族である魔族の者に、命を糧に神に抗うための力を与える秘術を授けたという」

 今は伝承さえ失われた最古の神の争い。その渦中に生まれた三つの神剣の伝説。それが、今に伝わる神剣を定義する原型となったとレイチェルはカリスに語った。即ち――


――神を封じた神剣『封神剣エグザバリー』

――神の亡骸で作った神剣『邪神剣イーブルラスティ』

――神が与えた神剣『秘術剣ライフソード』


「悪神は善の神に討たれた後その死体は秘術で神剣に変えられた。そしてその後に戦いで疲弊していた善神は中庸神と秘術を与えられた魔族によって神剣に封印されたというわけじゃ。やがて封神剣と邪神剣は中庸神によって封印され、ライフソードはその余りの力の強大さ故に分割されて継承された。いつか、封印された神剣が世にでることがあれば、再びそれらを封印するそのために」


「だが、封印されていたはずの神剣が一本この世界ジェイデックに出てきた」


 アーカイバの先祖が神剣使いと戦ったという話がある。カリスの言葉にレイチェルは頷き、更に続ける。


「封印を解いたのは古代の人間だという話じゃ。ブラッドソードの使い手が今は失われた古代の大陸でそこに住む国民の大半を犠牲にし、ブラッドソードで大陸ごと神剣使いを抹殺した。それで神剣が失われたはずじゃったが、その神剣はボロボロになり海に沈んだにも関わらず再び現世に戻ってきた。当時ただの小国の王族でしかなかった不死皇帝に拾われることによって」


 何故皇帝が海底に沈んだはずのそれを手に入れることができたのかはレイチェルにも分からない。そもそも当時は魔族方にとっては偽物であり、ブラッドスミスが残したブラッドソードだろうと言われていたからである。しかし実際には違った。やがて勢力が強大になった帝国を見て、それが本物の神剣ではないかと囁かれた頃にはアーカイバが落ちた。そこで魔族の国マギルレイクは慌てた。


「アーカイバの魔剣王はのう、マギルレイクと違って無限にブラッドソードを保管することを義務付けられていた。それは全て神剣に対抗するためじゃ。そのためのアーカイバ。そのための魔剣王なのじゃ。実際、どこかに封印されていたはずのそれが一本出てきてしまった。ならば二本目が出てくることが予想される。じゃからこそアーカイバの一族は国を作ったわけじゃが……しかしカージスはこの話をあまり信じてはいなかった」


「そもそもが忘却していたみたいだったぞ。神剣の話も、不死皇帝と一度やりあった後に思い出していたぐらいだ。親父にとってはもう、眉唾な存在だったのだろうよ」


 御伽噺や胡散臭い英雄譚とでも思っていたに違い無い。カリスが知っている父親とはそういう男だった。


「他にも理由が在るのじゃよ。例えばワシじゃ。不死皇帝の神剣を本物だと疑ったことは何度かあったのじゃが、その対策の一環でライフソードを復活させようとしたことがあった。しかしその試みは失敗した。口伝によれば『神剣が世に現るとき、生命剣もまた復活する。脅威を前に秘術を重ねよ。されば再び神の秘術がこの世に目覚めるだろう』とあった。ワシはそのためにブラッドスミスの父とネクロスミスの母を持つ。じゃがワシにはライフソードを作ることができなかった。そのため帝国の神剣はブラッドソードだろうと思われた。アーカイバが陥落するまではのう」


「口伝が出鱈目だった?」


「さぁ? それを証明することはもう、今の者にはできまいて。気になるなら試してみるかえ? ワシはネクロスミス。そしてお前さんはブラッドスミスじゃ。魔剣王直系のお主とワシの子なら途絶えたはずの完全な秘術に届くやもしれぬぞ」


「はっ。面白い冗談だ――」


 楽しげに言うレイチェルの言葉を一笑し、カリスは更にシルウィンで操る風の速度を上げていく。突風は飛翔速度を更に上げ、魔族単体の飛翔速度を大幅に引き上げる。


 既に目標である王都リスティーナが見えていた。そしてそこに、仇敵である神剣使いがいることをカリスはなんとなく察知していた。それは間違いなくブラッドソードと化したラシールの加護だ。おかげで今のカリスには神剣がどの方角にあるのかなんとなく感知ことできる。その中でも特に強大な神剣がリスティーナに存在することが感じられた。


 その持ち主は誰か? 考えるまでもない。それは最強の神剣使いである不死皇帝だ。だからカリスはそこへ向かうことに後悔はなかった。


 ブラッドスミスの一人として、アーカイバの王子として、ただの男として、その男に勝利し、野望を粉砕し、その根源となった力を簒奪し尽くす。それができて始めてカリス・アーカイバは己の中にふつふつと湧き上がる憎悪と決別することができるのだ。例えそれがただの私怨と呼ばれようとも構わなかった。


 奪われてしまった者の価値を思えば、それでもまだ足りない。帝国は既に彼にとって取り返しのつかないことをしてしまったのだから。


「おおっ。話をしていたらもう到着する頃合いじゃ。しかも戦争中かえ。くくっ、お主が怒り狂って参戦する気になったことに気づいたら帝国の連中、必ずや慌てふためくぞ」


「そうでないと困る。それより、逃げるなら今のうちだぞ」


「まさか。お前さんの直感が確かなら、あそこに皇帝がいるのじゃろ? なら露払いが必要じゃろうて。何人たりとも邪魔はさせん。お前さんは全力で戦うとええ。借りた五十本分程度の働きはして見せよう」


「覚悟があるならばいい。……ところで、最後に生き残ったはずの中庸神とやらはどうなったんだ? 仮にも神だ。神剣が世にでたことを知らぬわけではあるまい。何故、取り上げるために顕現しない」


「口伝では神剣を封印した後、再び己をいくつにも細分化し加護魔法を与える神として眠りについたとされておる。元々争いが嫌いだったという話も残っておるが……何せ神じゃ。何を考えておるかなど誰にも分からん。或いは我らを試しているのかもしれんな」


「自分たちの住む世界のことは、自分たちでケリを付けろというわけか」


 皮肉交じりの言葉を吐き出し、カリスは期待することを止めた。

 神の奇跡は平等で、誰にも与えられない代わりに誰のものにもならないというだけのことだと理解したからだ。そこに神の私心が無いのなら、この先の行く末は自らが切り開く未来だけがあることになる。だったらそれだけで十分であり、それ以上は望外というものだった。何故ならカリス・アーカイバはブラッドスミスの血族であり、魔剣王の一族だからだ。


 数日前まではその名を継ぐことを放棄してきたし、その力に違和感を覚え拒みもしてきた。逃げ続けるだけの日々を選び、逃亡生活のなかにあったささやかな幸せに拘泥した。けれど今となってはそうであることにカリスは感謝してさえしていたのだ。


――溢れるほどに内に眠る魔剣の力を使えば、自分の手で決着を着けることができるかもしれない。


 この誘惑に彼は抗うことができない。我慢することができない。そもそも、それを抑制することをカリス自身が放棄していた。もはやカリスの逃げ続けるだけの日々は終わってしまったのだ。ならばもう、ただ前へ走り続けるだけだった。


「降りるぞレイチェル」


「うむ」


 眼下で起こる戦争のただ中へ、大儀も無く私心のみで乱入する。果たして、それをダークエルフの侍女が望むかどうかはもう、カリスにもわからない。けれど彼女の喪失は、彼のあり方を百八十度変えてしまった。もはやこの先、何があろうともカリスは止まることはないだろう。今はただ、激情に身を焦がすだけで彼には精一杯だったから。





 ドサリッと、リスティン王の体が地面に崩れる。

手にしていたもう一つのリスティンの至宝、青白く光る王剣こそ手放すことは無かったが、それでも目の前に突きつけられた神剣の刃を前にして動くことができなかった。


「勝負ありだなリスティン王」


 数合打ち合っただけでその様だった。周囲で始まっている戦いも、もはや一方的なまでに劣勢だ。次々と死の叫びがリスティン王の耳朶を打つたび、憤りと悔しさで彼は胸が張り裂けそうになった。


(――神よ。何故、貴方様はこの男に神剣などお与えになられたのか)


 リスティン王には分からない。もしそれが信仰されているどれかの神の意思であるというのなら、人間が多種族を支配する権利を神が与えたということになるからだ。そんな馬鹿な話は、彼には到底理解できるものではなかった。


 確かに造物主には造物を好きにする権利があるのかもしれない。けれど、生まれ出た命の価値に差などないのだと彼は思いたかった。現に伝わっている神々の中で多種族の地位の上下について明文化している神などいない。神の元に平等であると、そうであると認識しての融和政策でもあったのだ。だから心の底からそんな無情なる事実を否定してしまいたかった。だが、そんな彼の目の前にある現実はどうだったか。反対の意見を持ちながらも一矢報いることも出来ず、無様に地に伏せ命を握られて這い蹲っている。


 そう悲観する彼の脳裏には、薄っすらとこれから先も人々が感じるモヤっとした感慨が浮かんでいた。この先も、このような不条理な光景が世界を覆っていくのだろうか、と。


 侵略され滅び去る国。それ事体はさして珍しいものではない。事実リスティン王国も他国を滅ぼしてきたという歴史がある。だがもはや、そんなレベルは超えている。侵略者は神の如き力を手に入れて大陸制覇を、世界制覇を目論んでいるのだ。


 ギュッと剣を握る王の手が震える。この先にあるだろう大陸の未来を憂いる心に比例するかのように。それに耐え切れずリスティン王は吐露した。


「私は……私は恥ずかしい」


「ほう?」


「負けるしかない情けない私の姿を思うと、羞恥で死にたくなる」


 それだけではなかった。もっと他に感じていた違和感があったのだ。呟きながらそのことに気づいた王は、不死皇帝へと続ける。


「誰も目を背けられない偉業を達成すると言ったな不死皇帝。しかし、これではっきりしたぞ。それはお前には無理だとな」


「戯言を。帝国は既に不可能を可能にするところまで来ている」


「そう思うか? 確かに世界を統一、支配できればそれは偉業と呼ばれるモノかもしれん。だが貴様は、そのために人間の力だけではなく神剣の力を前面に押し出してしまった! これは失敗だ!」


 人間の力を誇示するために、神剣の力を笠に着る。その先に残るのは、人間への敗北感などではなく神剣への敗北感だ。敗北したリスティン王だからこそ分かった。彼は微塵も目の前の男に負けたなどとは思えなかった。それでは結局、神剣の力の証明にはなっても人間の力の証明にはなりはしないのだ。


「全ての偉業と功績はその神剣にこそ注がれる。決して帝国や人間の手には渡らないだろう。敗北者たちは後世にまで語り継ぐ。人間の力ではなく神剣の圧倒的な力だけを!」


 それは逃げ道でもあったし言い訳に過ぎなかった。けれどそれが人間の力ではない以上は一体誰が人間の力を認めるというのか? 


「私は敗北した。だがそれは貴様にではない! リスティン王たる我は、神剣に負けたのだ!! ふははははっ――」


「言いたいことはそれだけかぁぁ!」


 周囲に居た誰もがその怒号に動きをとめ、その光景ただ見つめる。リスティン王は激昂する皇帝を見上げながら笑い続ける。皇帝の顔には、初めてはっきりとした怒りが浮かんでいた。その顔だけで王には痛快だった。負けはしても、口先だけで小さな勝利を手に入れたのだ。リスティン王にとっては最後にできるちっぽけな意趣返しである。もはや、不死皇帝は躊躇しないだろう。それが分かっていながら空を見上げ、彼は更に大声を出して笑った。


「くはははっ。なぁ、不死皇帝よ」


「黙れ。余はお前とこれ以上問答をする気はない」


 剣を掲げ、止めを刺そうとする皇帝をしかし、リスティン王は無視して言った。


「――お前は神の存在を信じるか?」


「今更、神に祈りを捧げる時間が欲しいとでもいうつもりか」


「私は貴様の持つ剣を見て神の意思がお前と共にあるのだと錯覚し、つい今しがたまで悲観していたのだがな。どうやら、そうでもないらしいぞ」


「何を馬鹿なことを。神剣が余の手にあるのだぞ。ならば必然、神の意思は我と共にあるに決まっている」


「では、アレはなんだ」


 リスティン王の視線は、皇帝の顔を超えて更に高い空へと向かった。


「下らん。悪あがきのつもりか。見え透いた小細工を」


「陛下、空の上です!」


「グラシャール? ちぃ――」


 ドットレイの驚愕の声に空を仰ぎ見ようとした瞬間、その隙をついてリスティン王が剣を振るった。それをバックステップで避けると同時にその眼前に暴風が落ちてきた。それはまるで皇帝とリスティン王を分かつかのように両者の間を仕切っている。その風の向こうに目を凝らす皇帝は、そこで始めてその乱入者の正体を察した。


「まさか、カリス・カーカイバか!?」


 ドットレイから伝え聞く人相と一致するその乱入者は、その背に一人の少女を背負っていた。それは、確かに彼が捕まえ暗殺に差し向けたはずの魔族の少女だった。


「くくく、久しいのう不死皇帝」


「レイチェル・グレイブ……生きていたのか!?」


「おうとも。おかげで意中の男と合流することができたわい。そのことについては感謝するぞ。じゃが、お主は運が無いのう。貴様が恐れた男がほれ、余計な姦計のせいで目覚めてしまいおった。お前は自分で最もやってはならんことをしてしまったのじゃ!」


「陛下!」


 その言葉に、ドットレイとグラシャールが反応して駆け寄ってくるも、皇帝は答えずにただ少年を睥睨する。二人が邂逅したことはこれまでない。だが、皇帝にはその男がカリス・アーカイバであるということが不思議と理解できていた。


「確かにカージスの面影がある」


 体格はともかくとして、顔つきに雰囲気が酷似していた。そして何よりも、その身から放たれる特異な感覚には不死皇帝も覚えがあった。


「あんたが不死皇帝か」


「如何にも」


「貴様のせいで俺の侍女が死んだ。一体どうしてくれるつもりだ」


「――は?」


「世界一の女だった。ガキの頃から面倒を見てくれて、美味いスープを作ってくれる俺にとってはかけがえのない人だったんだ。この意味が分かるか?」


「……仇討ちというわけか。せっかく生き残った命をドブに捨てるとは愚かな奴よ」


「お前たちの下らない戦争なんかよりもよっぽど有意義さ。論議するまでもないことだ」


 カリスはその手を開き、ブラッドソードを武器庫から取り出す。その剣は既に青白い燐光を纏っており、いつでも神剣と戦える状態にあることは明白だ。その背からレイチェルが飛び下りると同時に、カリスは動いた。もう、我慢するつもりはなかった。




 カリスと不死皇帝が剣を交える。神剣と魔剣が交差する度、大気が悲鳴を上げるかの如く振動する。余波で生まれた風は、充満していた死臭と王国側の諦観を吹き飛ばす。その後ろでは、両軍が呆気に取られたまま停滞した。


 それ以外に取るべき手段が無かったとも言うかもしれない。剣戟の瞬間に生まれる破壊敵なまでの衝撃波が、二人への接近を禁じているのだ。近づけば消し飛ばされる。そうと理解できる者が、その場所へと足を踏み入れることなどできやしない。結果として二人の周辺では巻き添えを食らわないために距離を取るしかなかった。


「どうやら間一髪のようじゃな。ここでこの前の借りを返させてもらうぞクリアよ」


 立ち上がったリスティン王と彼に寄り添うクリアへとウィンクする。突然の二人の乱入で逃走のタイミングを逸したクリアは、その言葉に安堵したがすぐに違和感を感じた。視線の先には人外の力を振るうカリスが居る。あの恐るべき神剣の主と平然と切り結ぶその横顔は、ただただ険しく静かな怒りに溢れていた。


「彼に一体何があったというのだ」


 何があそこまでカリスを変えてしまったのかが、クリアには分からない。


「ワシが会ったときにはもうあんな感じじゃったよ。最愛の侍女殿が死んだから八つ当たりしているんじゃろうなぁ」


「ラシール殿か。そうか……そう……なのだな」


 ダークエルフの侍女。数日前に会っただけの彼女の死がそこまで変えた。そう言われても実感が持てず、ただ呆然とすることしかできない。人の死が悲しいことは分かっても、それにしたって性格が様変わりしすぎているように見えていた。まだ他人であると言われたほうがしっくりくるほどの変貌なのだ。


「ま、詮索は生き延びてからにするんじゃな。それより、王都から奴らをたたき出さなければなるまい」


 飛翔翼を展開し、カリスと同じく二本の剣を取り出すとレイチェルは瞳を閉じた。その体から、薄っすらと光が零れる。それは闇色をした冥府の色だ。光は戦場を包み込むどころか透過して城壁の外まで広がっていく。


「おうおう、さすが戦争。それでこそマギルレイクを飛び出した甲斐があるというものじゃ。とはいえ、妙に両軍の数が少ないのが気になるが……さて、見せてやろう。ネクロスミスの秘術をな」


 透過した闇の光が、集束して地面に幾何学的な模様を描く。光を削る、闇の陣。その闇に触れた全ての死体がいきなり闇に分解されたかと思えば、ネクロブレイドと呼ばれる魔剣に変わる。形状は多種多様。ブラッドソードと同じく素材に合わせた獲物に変化するのだ。それは敵味方問わずに行われ、両軍の兵士たちを動揺させる。


「――きししし。さぁ、ワシの元に跪け死霊の剣!」


――ネクロリリース〈死霊開放〉。


 魔剣と化した死体の半分が、再び魔剣から死体に戻って起き上がり剣を執る。手に取ったのは死体から生まれた躯の剣。それはリミットリリースが出来ないただの魔剣だ。しかしその加護はブラッドソードに劣らない程の力を持っていた。


「なんだ、何をしているレイチェル!?」


「帝国兵を皆殺しにする手はずじゃよ。さぁ聖剣を執れクリア・リスティン。このワシと、新たに生まれた魔剣王カリス・アーカイバが居る限りこの場で帝国に勝利はない!」


 レイチェルが軍配のように剣を振り下ろす。瞬間、死者の葬列が進軍した。手当たり次第に周囲の帝国兵に襲い掛かり、ほとんど勝敗が決していた戦場の流れを強制的に変化させる。


 帝国兵が今度こそ動揺した。仲間の顔をした兵士や倒したはずの敵兵が剣を振るい、自らに襲い掛かってくる。それは未知の恐怖を呼び覚まし、彼らを恐慌のどん底に陥れるには十分だった。


「グラ爺!」


「分かっておる!」


 ドットレイとグラシャールの二人が、戸惑う兵士たちの矢面に立って神剣と神杖で死者を狩る。だがどれだけ殺しても死者は死者。肉片に変えたところで剣の残骸に戻り、闇色の光に分解されたかと思えばレイチェルに取り込まれてすぐさま射出されていく。それらは再び剣の姿から変化。死者の姿を取り、何度倒されても敵に襲い掛かっていく。


 死者は生者を殺し、仲間へと引きずり込む。それはまるで、この世が一時的に地獄の底と入れ替わったかのような有様であった。


 これこそがネクロスミスが戦争でこそその力を発揮するという所以だ。神剣とは戦えずとも、大軍との戦争ではとてつもない力を発揮する。それはブラッドスミスの対神秘術とは違う、もう一つの対神秘術。破壊力ではなく、物量による継戦能力に特化した死者を冒涜する外道の業だ。


「落ち着いて応戦しろ。所詮は死人だ。帝国軍人の力をここで見せないでいつ見せる!」


「戦いはまだ終わっていないぞ!」


 恐慌にきたした兵隊を沈めるには神剣使いの二人でも足りない。かといって周囲を無視して戦い続ける皇帝にも余裕はなかった。新たな魔剣王は先代と同じく不死皇帝と互角に戦っているのだ。相対することができる者など存在しないはずの最強の神剣使いと戦える。それはまるでかつてのアーカイバでの戦いと酷似していた。


 衝突する。

 衝突する。

 衝突する。


 煌く残光を閃かせ、極限の力を持つ刃が幾度も衝突し凌ぎを削る。神剣とブラッドソードの衝突が終わらない。数合では終われない。


「ええい、忌々しいものよ! また余の覇道を邪魔するというのか魔剣王めが!?」


 数度剣を打ち合っては投げ捨て、体から瞬時に魔剣を取り出しては戦い続けるカリスは周囲の状況を気にすることなく剣を振るった。それはまるでブラッドソードを使い捨てにするかのような贅沢な戦い。その初撃から続く渾身の力の応酬は、制限があるはずの限定解除の一撃は膨大な年月を経て溜め込まれた魔剣の在庫を消耗させていく。カリスは回数を消耗しきる前に投げ捨て、剣を取り出して叩きつける。延々とひたすらに。


 帝国の兵士が投げ捨てら得た剣を拾おうとするが、所持者を選ぶブラッドソードに拒まれことごとくが弾かれる。かといって破壊しようにも生半可な攻撃では魔剣を破壊することは困難で、投げ捨てられていく剣が次第に結界となって二人と周囲を隔離していく。討ち捨てられた剣の戦場。常人には侵入することさえできないその中で、周囲から帝国兵の姿が加速度的に消えていく。


「さすが戦争じゃ。死体には事欠かんのう」


 死体はそれこそ無数に在った。彼ら自身の同胞と、斬り捨ててきたリスティン王国兵士たちのそれがここまで来るまでの間に無数に。それがレイチェルのせいで死霊の軍団となったことで全域にいきなり兵が生まれた。それには隊列も陣形も関係がない。ただひたすらに暴れまわり、死体を量産してさらに膨れ上がる。その勢いは、既にもはや誰にも止められない。同時に死霊たちはカリスと皇帝の一騎打ちの邪魔するものを優先して排除にかかる。


「くっ、被害が拡大するか。ドットレイ、グラシャール、魔族の小娘を狙え!」


「「はっ!」」


 損害を嫌って皇帝が命令を下す。だが当然カリスもまた一騎打ちに専念するために指示を出す。


「レイチェル!」


「おうとも。お前さんはさっさと皇帝を始末するがいい。雑魚はワシらが抑える!」


 死霊を振り切り、死霊の女王を叩こうと迫る神剣使いを見据え、レイチェル自身もまた魔剣を構える。だがそこに、二人の親子が庇うように割って入った。


「父上、ここは我らで!」


「うむ。これは元々我らの戦争だ。全部彼らに任せるわけにもいくまい。――聞け、我らが誇り高きリスティンの軍勢よ! 反撃の時は来た! この世界の行く末はこの一戦にある! 新たなる魔剣王と共に剣を振るえ! 驕り高ぶった帝国の痴れ者共に、我らの種族を超えた力を知らしめるのだ!!」


 リスティン兵の生き残りが、王の号令を受けて果敢に戦場の流れを盛り返す。二人の魔族の参戦の意味を全て理解している者は一人も居ない。けれど彼らは声を張り上げた。


 理解してはいなくとも、彼らは漠然と感じていた。この好機を逃してはならないと。求めるは勝利の栄光。目指すのは祖国の勝利。そのために、今一度王の号令の下に武器を振るう。


 最強の神剣使いを押さえ込まれ、死人の群れに戦線を崩壊させられ、その上で生き残りの王国軍が決死の覚悟で攻めてくる。勝利を目前にしていたというのもあっただろう。全ての要因が重なって否が応でもその事実が帝国の士気を下げた。士気が下がれば死体も増える。それはレイチェルに新しい兵を献上する行為に相違ない。


(戦場の流れが傾いている。このまま押し切れれば勝てる!)


 シルウィンの加護がカリスに漠然とした事実を伝えれば伝える程に、カリスは果敢に攻め立てた。彼は若い。その若さが、仇を前にして老獪な皇帝の剣に翻弄される原因にもなりかねるという危険はあった。事実、純粋な剣技だけではカリスは皇帝には届かない。けれど、憎悪の炎に身を焦がし気負うこともなければ冷静さを失うこともなかった。


(この場に存在する、俺の意思に同調する全てのブラッドソードよ――)


 剣を遮二無二叩きつけるようにして全身のバネをフルに使う。魔剣を振るう腕の回転速度は限界超え、遂にはカリス自身でさえも感覚が追いつかないほどにまで加速する。それは加護による多重強化の産物だった。


(この俺に力をくれ――)


 ブーストされている身体能力とリミットリリースによる破壊力の二乗が、青白い命の輝きを燃やしながら席巻する。城壁を一撃で破壊するだけの破壊力を有する神剣を、手数でもって封殺する。決して長大な神剣の間合いには逃がさずに追いつめていくその姿は、目にした王国軍には希望を、帝国軍に絶望を与えた。


「くっ、神剣の外装が!?」


 皇帝が呻いたその瞬間、度重なる攻撃を受け続けていた肉厚の刃がひび割れ、その下から更にひび割れた刀身が姿を現す。兵士の誰かがそれを指摘した次の瞬間、眼前で飛び散る金属の破片をカリスは目視した。それは、神剣を覆っていた偽の刀身のその残骸だ。強引に神剣の上から被せられていたダミーであり、神剣がアーカイバで折られたことを隠すためのものである。通常ならドットレイの神剣と同じく神剣の加護を超えるダメージを受けなければ破壊されず、こうして姿を現さないはずだった。しかしブラッドソードの破壊力が遂に神剣の防御効果を超え始めたせいで露出されたのだ。それを見た帝国軍から悲鳴が上がる。そして遂に、皇帝の握る神剣がその真の姿を露にした。


 ひび割れ、そして先端部分が折られたその剣がある。この世に三本しかないはずの神剣の内の一振り。邪神剣イーブルラスティ。カリスはカージスの記憶で見たそれと比べ、ある一つの確信を抱いた。


「やはり、親父に折られたせいで神剣の力がかなり落ちているようだな」


「舐めるなよ小僧。折れていようと神剣には変わらぬわ!」


 錘でしかなかったダミーを剥ぎ取られたことで、神剣を振るう皇帝の手が見違えるほどに加速する。咄嗟に両手の剣を十字に添えて受け止めるも、それだけでカリスの体が衝撃で後方に押しのけられた。庭園の地面を削るかのように両足が轍を作る。ビリビリと痺れが奔る両腕を無視しながらも、カリスは剣を仕舞いこみ新しい剣を取り出した。


「ふぅぅぅ」


 仕切りなおしの一呼吸。侮りと慢心を捨て、全力になった皇帝を見据えながらも、空に浮かびながら死霊の軍勢を指揮しているレイチェルを見つける。


 嫁にもらえ云々はともかくとして、カリスはレイチェルに感謝していた。邪魔が入らないように外野を完全にシャットアウトしてくれているからだ。ネクロスミスの秘術があったとはいえ、彼女が居なければカリスは皇帝に全神経を注いで戦えやしなかった。


 今もそうだ。

 ドットレイと名も知らぬ神剣使い、そして有象無象の帝国兵たちに邪魔させることなく維持している。それは非凡な力があったとしても並大抵の労力ではすまないことだ。とはいえ、長く続くものではないだろう。ならば長期戦はカリスとしても望めない。次の一撃で決めるつもりでタイミングを計るカリス。高まるその殺気を前にして、しかし皇帝がふと口を開いた。その声色には場違いなほどに懐かしさのようなものが込められていた。


「こうして対峙していると、本当にカージスと戦っているようだ」


「嬉しそうだな」


「あ奴は余の神剣を折ったのだぞ? これから貴様を葬り去ることで、あのときの屈辱を拭い去れることを思えば嬉しくもなろう。そもそもだ。魔剣王として覚醒しなかったお前を殺すことなど簡単だったとは思わんか? たった一本のブラッドソードだけで逃げ続けられるほど我が帝国は甘くはない。生かしていたのはあの日の恥辱を晴らすためよ」


「そんな一時の戯れで貴様は首を取られる羽目になるわけだ。安心しろよ不死皇帝。お前も、残りの神剣使いも何れは全員同じ地獄に叩き落としてやる」


 それ以外に憎悪の火を消す手段など存在しない。ラシールを完成させるためにも、どのみち彼らと戦う運命は避けられない。


「それで、その果てにどうするのだ? 今度はお前が、その特異な力で神剣使いを倒し、神剣を手に入れて私に成り代わるとでもいうつもりか?」


「冗談じゃない。誰がお前のようになるものか! 考えるだけでもおぞましい!」


 そんな未来などカリスは求めたことはない。求めていたのは小さな幸せであり、たった一人の女性との暖かな未来だ。今はもう遠すぎる、たどり着けない結末なのだ。それを簒奪した要因とも言える神剣で世界支配を企むなど、カリスには到底できるものではない。


「言うに事欠いておぞましいときたか」


「それはこの世界に必要ない、存在してはならない禁忌そのものだ!」


「ならばお前たちはどうなのだ? ブラッドスミスにネクロスミス。神に与えられたその秘術を使うお前たちこそ、存在してはならないのではないか?」


「力をただ見せびらかせたいだけのお前と一緒にするな!」


 カリスは言った。


「少なくともアーカイバは必要以上に戦端を開いたという記録はない! これだけの力だ。確かに強力すぎるかもしれない。だが、それを自覚して使わなくても良いように静かに生きてきた。これを使わせているのはお前たち侵略者だ!」


「これでも余は世界平和を望んでいるのだがな」


「意志を問わず、力で強引に作られた仮初の世界だろう。しかも人間に都合が良いだけの世界だ。そんなのは多種族は誰も望んじゃいない。妄想するなら夢の中だけでやれ。他人を巻き込むんじゃない。迷惑だ!」


「誰かがやらねばならんのだ! でなければ何も変わらん。それは力を持つ者の義務だ」


「違う! 誰もそんな義務なんて押し付けちゃいない! 貴様は結局自分に都合が良い世界を神剣の力で正当化して押し付けているだけなんだ」


 誰だって突き詰めればそうなのかもしれない。利害と打算が世界を回す。弱肉強食も何もかもが、結局は利益に集約されることをカリスだって知っている。けれどそれでも、それに抗おうとして神剣の力に頼り、それを成すのは間違っている。


「皮肉なものだな。あんたはその剣でここまでのし上がってきたが、俺の力はその剣を否定するために存在している。それさえなければ、魔剣王に止められることも無かっただろうに」


 神剣の有無一つ、たったそれだけでこうも変わる。皇帝が人間の力だけで成すだけの構図が、魔剣王が否定する対抗馬としてぶつかることもなかったかもしれないのだ。それならばアーカイバも存在せず、カリスだって今頃は生まれてはいなかったかもしれない。


「俺は神剣が憎い」


「余からすれば貴様らの力こそがおぞましいわ!」


 だから、両者は共に互いを否定するために踏み出した。

 カリスの思考が加速する。脳から体へと伝達された意思は、ブーストされて天井知らずの力を振るう肢体を操作する。交差は一瞬。圧倒的な身体能力をバネにして振るわれた剣が瞬時に距離を詰め獲物を狙う。上段から一足飛びで振り下ろされる神剣を、カリスの渾身の右薙ぎが迎撃する。衝突の火花が裂いて散る。それに続くのは左手から伸びたカリスの突きだ。フルプレートで隠された皇帝の心の臓を抉るべく切っ先が疾駆する。


 皇帝はすぐさま反応した。神剣を引き、最小限の動きで剣先を左に逸らす。

 金属の擦れる高音が耳を叩く。その異音に眉を顰める暇はカリスにはない。突きをいなされた体が勢いで前に泳ぐ。それは致命的な隙だ。皇帝はそれを見逃さない。いなした剣を両手で握り、手首を返しつつ無防備な体を薙ぎ払う。外装を失った神剣のその速度は、今までで一番速かった。カリスの予測を大幅に超えるほどに。


(しくじった!?)


 脳裏に過ぎさるは諦観。恐怖を感じることさえできぬままに、ただ後悔の念が脳裏を埋め尽くさんとした。


――カリス!


 その時、誰かが遠くで叫ぶ声がカリスを無意識に突き動かした。咄嗟にその声に導かれるようにして迫りくる絶勝の刃に抗った。


 右手に握る剣から手を離し、未完の魔剣を逆手に抜く。体から洩れ出たその光の塊は、一際鮮烈な輝きとなって彼のためだけに加護を与える。


 甲高い音が鳴った。

 光で出来た不定形のその刃は、勝利を確信した皇帝の神剣を辛うじて紙一重で阻んでいた。


「馬鹿な!?」


 対処できるとは思わなかった皇帝の顔が、驚愕で歪む。カリスは迷わなかった。ラシールで神剣を受け止めたまま、左手の剣から手を離し叫びながら背中へと手を回す。

 それは、父親の名を銘に持つ魔剣だった。


「これで終わりだぁぁぁ!!」


 ブラッドソードの青白い残光が、逆袈裟に振るわれる。斬閃は神剣の加護である防御障壁ごと皇帝の体を両断。一刀の元に切り伏せた。


「――」


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 驚愕の表情でこと切れた皇帝の体が崩れ落ちる。

 吹き出た血を浴びながら息を荒げながらカリスは勝利の余韻を感じることもせずに右手を見下ろす。


 そこにある未完の魔剣は、ただ黙して語らない。

 けれどあの一瞬に聞こえた彼女の声は、確かに幻聴などではなかったように思えた。また助けられたのだと、カリスは忘れることはなくその事実を胸に刻み込む。だが、それでも感慨に浸るよりも先にやることがあった。


 ざわめきが歓声に変わるよりも先に、ラシールを皇帝の神剣に触れさせる。その瞬間、最も巨大な神剣の塊が抵抗もできずにラシールに取り込まれ、先に取り込まれていた神剣の欠片と融合した。カリスは戦場の中で大きく息を吸い込み、その未だ未完の剣を掲げながら宣言する。


「不死皇帝はこの俺! 魔剣王カリス・アーカイバが討ち取ったぁぁぁ!!」


 それは、確かに己が目を疑っていた者たちの頭に無理やりにでもひとつの事実を突きつけた。




 魔剣王の宣言は戦場を伝播し、ざわめきと共に広がっていく。それは当然、この場に残った二人の神剣使いの耳にも入っていた。


「陛下が……死んだ? そんな馬鹿なことがあるものか!」


「ええい、しっかりせんかドットレイ。兵を帰さねば成らぬ! 先陣を切開かぬか!」


 信じられない事実を認識するのを拒む筋肉男をグラシャールは無理やり叱り付ける。このままでは皇帝の後を追いかねない。果たして、それは一応の効果を発揮した。ドットレイは唇を噛み千切りそうなほど歯を食いしばり、体全体での鬼気を迸らせる。だが、それでも強引に己を律しながらグラシャールの叱咤の声に従い渋々に離脱を図る。


「くっ。このままでは終わらせん。終わらせんぞ坊主。いや、魔剣王!」


「逃がすか!」


 死霊と共に神剣使いを押さえ込んでいたクリアが追おうとするも、その背にリスティン王の声が飛ぶ。


「止めろクリア」


「しかし!?」


「今のうちに体勢を立て直し、城下を奪還するのが先だ」


 死霊の群れを蹴散らしながら、逃げ去っていく二人は帝国の兵を纏めながら撤退していく。その後ろからは、レイチェルの操る死霊が追い立てるように追撃に入っている。その勢いは止まる所を知らず、同調した王国の兵たちが鬱憤を晴らすかのように追い散らしていった。


「それに、奴らは逃げるぞ。ここには大陸最強の戦力がおるからのう」


「レイチェル? 確かにそう……だな」


 傍らに飛翔してきたレイチェルの言葉は正しい。最強の神剣使いを屠った魔剣王は今この戦場に存在するのだ。彼女がカリスに視線を向けると、彼は放り投げた魔剣を回収しているところだった。追撃に参加する気配はなく、どこか噛み締めるように魔剣を回収するその姿は、勝利者にしてはどこか暗い。


「勝利したというのに、彼は喜びを露にはしないのだな」


「この勝利に意味があったとしても、失った者は帰ってこない。嬉しくはあるだろうよ。じゃが、そう簡単に割り切れるものではないということかのう。ほんと、妬けるのう」


 少しだけ不機嫌そうに唇を尖らせて呟くと、レイチェルはクリアの肩へと手を置いた。


「まっ、しばらくそっとして置いてやってくれ。ワシらはその間に後始末じゃ」


「そう……だな。もうしばらくの間、助力を頼めるか?」


「うむ。任せるがよいぞ」


 王都を完全に取り戻すため、二人の少女もまた追撃に参加する。その場に残った王は、残った騎士たちに指示を出し終えると黙々と作業を続ける若い魔剣王の下へと歩み寄る。


「手伝いはいるかね?」


「不要だ」


「ならば終わったら会談の席を設けてくれぬか? 王として礼がしたいのだ」


 カリスは振り返らない。ただ、「分かった」とだけ返し、ブラッドソードを披露作業に没頭する。その救われぬ姿を痛ましく思いながら、リスティン王はマントの裾を翻す。


 この勝利はまだ、魔剣王にとっての終わりではない。

 それが故にまだ、喜べないのだろうと察していた。寧ろここからが始まりとなる。宣言どおり全ての神剣使いを倒すのであれば、所詮皇帝さえも通過点に過ぎない。若い王の心情を読み取って、王はただ好きにさせた。


 けれど、立ち去りながらも彼は祈ってもいた。

 救国の英雄となった彼に、いつか救われる日が来ることを。リスティン王は神に願う。皇帝が信じていた神ではなく、己が信じる公平な神に。

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