248話 作戦は突然に
快晴!
青空!
ドッぴーかん!
本日も雲一つない青空が広がっている。
「さぁ! 今日はガッシガシ稼ぐですよー!」
「……マグダのたこ焼き屋がMVP最有力候補」
「今日のあたいは最強だぜ! なにせ、ちゃんちゃん焼きだからなっ!」
妙に張り切っている一団がいる。
つか、新メニューどしたよ、マグダとデリア?
「ふっふっふっ……今日のあたしは一味違うのよ」
いつもなら、こういう場面で誰よりも張り切るパウラが、今日は大人な余裕を醸し出している。
それもそのはず。
今日パウラが店に出す商品は、陽だまり亭にもない完全新作なのだ!
「これが、オトナのケーキ、ブランデー薫るタルトタタンよ!」
薄くスライスしたリンゴをレモン水とブランデーに浸けて、生地とクリームにもブランデーを混ぜた、かなり香りの強いケーキだ。
ジネットにも教えたのだが、ジネットはもとよりあまり酒を飲まないので試食の時に顔をしかめていた。お酒に弱いベルティーナも、進んで食べようとはしなかった。
まぁ陽だまり亭には合わないケーキだよな、あれは。
で、酒場であるカンタルチカに譲ったのだ。
そしたらもう、パウラが張り切っちゃって――
「陽だまり亭にもないケーキ!? いいの!? やったぁ! あたし、これ、メッチャ売るね! 絶対ヒット商品にしてみせるから!」
――と、大はしゃぎだった。
いや、まぁ、好きにしてくれればいいよ。陽だまり亭には置かない商品だし。
「っていうか、パウラ。今日は『宴』で酒飲むヤツもかなりいるから、魔獣のソーセージも売ってくれよ?」
「もちろんよ! 任せといて! セット販売とか考えてるから! ソーセージとタルトタタンの!」
「そこはビールとセットにしとけよ!?」
お前の求めてる客層が分かんねぇよ!
今日は祭りではなく『宴』だ。
大いに飲んだくれてもらおうと考えている。
そのために、愛でる花も用意したし、地べたに座れる広いスペースも確保したし、会場中央に不法投棄されていた邪魔な蝋像も撤去した。
「なななぬっ!? 誰か、ここに設置しておいた英雄像を知らないでござるか!? 今日の『宴』のシンボルとなるべき『導く英雄』像なのでござるが!?」
犯人であるあのメガネヤロウはあとでじっくりことこと折檻してやる。
「ヤシロさ~ん!」
ジネットが満面の笑みを浮かべて駆けてくる。
頬に白い粉が付いている。
「準備完了しました! いつでも開店出来ますよ」
「お前の準備が終わってないぞ」
「え? ……ぁう」
頬に付いた白い粉を指で拭ってやる。
小麦粉か? どんだけ料理に夢中になってたんだよ。
「あ、の…………すみません。気が付きませんでした」
「あんまり鏡見るタイプじゃないもんな、ジネットは」
「そんなことは……、わたしも、ちゃんとおめかししたりするんですよ」
おや?
珍しく拗ねたようだ。
オシャレをしないと思われるのは心外な様子だ。まぁ、そりゃそうか。女の子だもんな。
「あの、でも……今は外で、鏡もありませんので、その……身だしなみのチェックをお願いしてもいいですか?」
身だしなみのチェックは、毎朝開店前にジネットが従業員に対して行っている服装のチェックだ。叱られはしないが、かなり細かいところまでチェックされるとロレッタが言っていた。
それこそ、エプロンのよれやシワ、寝癖や袖口にこびりついたご飯粒まで…………って、ご飯粒は取っとけよ、指摘される前に。
つまり、ジネットはそれを俺にしろと言っているのだ。
「じゃあまず、袖口のご飯粒確認を……」
「それはついてませんよ」
まぁ、さすがにないか。
「それじゃあ、下乳に危険物が挟まってないかの確認を……っ!」
「真面目にやってください」
笑顔で怒られた。
仕事でふざけると、こうしてたま~に怒られるんだよなぁ。
「それじゃあ、背筋を伸ばしてこっちを向け」
「はい」
「ゆっくり回って」
「はい」
「両手を上げて」
「はい」
「おっぱいを……」
「ヤシロさん」
「…………手を下ろして」
「はい」
「にっこり笑って」
「はいっ」
「うん。よし、完璧だ」
「ありがとうございます」
服装も笑顔も申し分ない。
陽だまり亭クオリティだ。
「では。はい、ヤシロさん」
「ん?」
手渡されたのは、エプロン。
胸のところに『オオバヤシロ』と刺繍が入っている。
……俺の?
「今日はヤシロさんも、お店担当ですからね」
そう。
俺は今回、出店の店員を申しつけられているのだ。
これまでこういうイベントの際、俺は大抵接待や案内役をやらされていたわけだが――
「『BU』の領主たちの、君に対する拒絶反応が凄くてね」
――なんてことを苦笑いでエステラに言われ、今回はこういう配置になったわけだ。
領主どもの接待はエステラとルシアがやってくれるらしい。
それに、マーゥルとトレーシーも協力してくれると言っているのだとか。
まぁ、そっちの方が楽が出来ていいかなぁ、とは思うのだが……なんだろう、この「外された」感は…………
……はっ!? 違うぞ! 俺は断じてジネットのような社畜魂などは持ち合わせていない!
責任のないポジション、バンザイ!
楽が出来て超ラッキー!
「今日はたくさんの屋台を掛け持ちですから、頑張りましょうね」
「…………ん?」
ジネットの背後には、会場をぐるりと取り囲む複数の、いや、無数の屋台。
……あれを、切り盛りするのか? 俺が? ジネットと二人で!?
「ロレッタさんのご弟妹が店番をしてくださっていますので、定期的に様子を見に行って、料理の補充やお釣りの管理、あと、トラブルがあった際のサポートをお願いします」
……前言撤回。今回のポジション、地獄だ。
全然楽出来ないじゃん、これ!?
やっべー。社畜の片腕、超やべー。
「HI! てんとうむしさん! 僕たちも手伝いに来たZE☆」
「HEY! なんだって手伝うから、やってほしいことを気軽に言ってくれよNA☆」
「じゃあ、全部」
「「HAHAHAHAHA! ワンダフルな丸投げDA・NE☆」」
いや、冗談じゃなく、全部やってくれるならやってほしいんだがな。
アリクイ兄弟ことネックとチックも応援に駆けつけてくれた。
こいつらは、ミリィと一緒に会場の花を豪勢に飾りつけてくれた功労者であり、飾りつけが終われば暇になるのでアゴで使ってもいい人材というわけだ。
功労者? 労い? 知るか。
『近くにいる者はアゴで使え』ということわざもあることだし。
「ハム摩呂ー!」
「はむまろ?」
「おぉ、そこにいたか」
「いたー! スタンバイ済みー!」
「こいつらに出店の仕事を教えてやってくれ」
「それが人に物を頼む態度かー!」
イラ。
ハム摩呂の小さな頭を鷲掴みにし、よい子に分かりやすく、ゆっくりと、適度な力加減で言い聞かせる。
「どこで覚えてくるんだ、ん? ウーマロか? ヤンボルドか?」
「はぁぁあ、おにーちゃん必殺の、アイアンクローやー!」
解放してやると、こめかみを押さえて蹲る。
少しは反省しろ。
と、そこへアリクイ兄弟がすすすっと接近していく。
「教えやがれDAZE、ハムっ子!」
「HEY、ブラザー! それが物を頼む態度KA・YO!?」
「HAHAHA! イエスDA・ZE!」
「ならしょーがねぇーZE!」
「「教えやがれYO!」」
「ほぁぁああ、かっこいー!」
「憧れんな憧れんな! めんどくせぇから!」
真似すんなよ、絶対に。
数ヶ月に一回会えばお腹いっぱいなんだから、こいつらは。
「ナイストゥーミーチュー! 僕はネック。有名なテニスプレーヤーではありません!」
「言う必要あったか、その情報!?」
「僕はチック、以下ミートゥー!」
「以下同文みたいに略すんじゃねぇよ! なんだ『以下ミートゥー』って!?」
ハム摩呂にアリクイ兄弟の組み合わせで、本当に大丈夫なんだろうか……
「とにかく、てんとうむしさん、僕たちに任せてOK!」
「グレートシップにライドオンしちゃいなよ!」
「頼もしい新人さんに、丸投げの予感やー!」
「いや、ちゃんと教えろよ、ハム摩呂!? なぁ、分かってんのか? ちょっ、無視して行くな! 聞けぇぇー!」
一瞬で意気投合して、仲良く肩を組んで歩いていくハム摩呂とアリクイ兄弟。
……そんなシンパシーは感じんでいい。
あと、『大船に乗ったつもり』の『乗る』はライドオンじゃねぇだろう、たぶん。
「頼もしいですね」
「どこが!?」
ロレッタとマグダを定期的に派遣して様子を見させよう。不安過ぎる。
「ヤシロ。あ、店長さんも。ちょいとメニューの味を見ておくれな」
からんころんと下駄の音を響かせて、ノーマがお盆を両手で持ってやって来る。
お盆の上には小鉢が二つ。
片方には茄子の味噌田楽が、もう片方にはふろふき大根が入っている。
今日はドニスやリベカ、ソフィーも来る予定なので、味噌を使った新メニューを用意しておいた。
ブランデーのタルトタタンとは違い、こっちの試食はジネットとベルティーナにも好評だった。
こういうメニューであれば、陽だまり亭に置いておいてもいいだろう。
「とても美味しいですよ、ノーマさん」
「ん、落ち着いた味だ。さすがノーマだな」
「そ、そうかい? あんたら二人がそう言ってくれるんなら、安心さね」
ほっと胸を撫で下ろすノーマ。
手伝おうか? 撫で下ろすの。撫でるのとか、得意だし。
「きっと、お酒を嗜まれる方にも人気が出るでしょうね」
え?
どっちの話?
田楽?
おっぱい?
……田楽か。だよね。
ノーマの屋台は、お祭りの出店スタイルではなく、赤提灯が似合いそうな、腰を落ち着けて軽く一杯引っかけられる居酒屋風な造りとなっている。
カウンターがあり、その向こうでノーマが心に沁みる味噌田楽とふろふき大根を作って待っていてくれる……いいねっ!
「女将、いつもの!」
「なんで開店前から常連客になってるんさね?」
だって、もう、ノーマからは未亡人のような色香がむんむんと漂っているからよぉ……彼氏すらいた経験ないのに。一人もないのに! 浮いた噂すらなかったのに!
「ヤシロ……今なんか失礼なこと考えてなかったかぃね?」
「あはは。ばかだなーそんなわけないだろー」
くっ、鋭い!
やばいな……四十二区にエステラ並みに手強いヤツが増えつつある。
魔窟か、ここは?
その点、安心していられるのはジネットだ……け…………ん?
なんか、ジネットがぼーっとしている。
「おい、ジネット。どうした?」
「…………」
「ジネット」
「え? あ、はい! なんですか?」
「いや、大丈夫か? ぼーっとしてるけど」
「は、はい。少し、考え事を」
考え事…………あぁ、そうか。
「ジネット」
小声で呼んで、手招きをする。
近付いてきたジネットの耳に、こそっと伝える。
「『料理上手な未亡人オーラが出てるけど、お前彼氏いたことないじゃねぇーか』とか、本人が気にしてるかもしれないから言ってやるなよ」
「そんなこと、考えてませんでしたよ!?」
「なんだ、違うのか?」
「ち、違いますよ」
「お揃いだと思ったのになぁ」
「……そんなこと、考えないであげてくださいね。そういうのは、あの、ご縁ですから」
バカ、お前。
運や縁に任せてたらいつになるか分かんねぇじゃねぇか!
「ヤシロ……煮えたぎった煮汁の味見もお願いしていいかぃねぇ……」
「とりあえず、煮汁が煮えたぎっているのはまずいな。今すぐ屋台に戻って火加減を調整してきてくれ」
「まったく……少しは考えていることを隠す努力をするさね」
コツンと、煙管が俺の額を叩く。
ひんやりとした金属の感触が肌に伝わってくる。
最近吸ってないのかねぇ。
尻尾をわさりと揺らして、ノーマが屋台へと戻っていく。
遠ざかる背中がなんとも色っぽい。
ただまぁ、ちょっと怒ってたけど。
「もう、ヤシロさん」
「あとで謝っとくよ。…………謝るのって、逆に失礼か?」
「そうですね。何かでお詫びの気持ちを示した方がいいですね」
「んじゃ、そうする」
今度ケーキでもご馳走するか。
「あの、ヤシロさん。……変なことを、聞いてもいいですか?」
「ん? 上から90・75・92だぞ」
「ヤシロさんの3サイズが聞きたかったわけではありませ……結構、がっしりしているんですね……」
もっとひょろひょろだと思ったか?
平均値くらいはあるんだよ、俺も。……この世界の人間と付き合ってると、どうしてもな。
「そ、そうではなくてですねっ」
やや頬を赤らめ、ジネットが自身の周りの空気をかき乱すように両手をぶんぶん振り回す。
そして、きゅっと結んだ唇を解いて、本当に変な質問を寄越してきた。
「味噌田楽には、どんな思い出がありますか?」
「思い出?」
ん~……思い出つってもなぁ…………
「ウチじゃあんま出なかったから、店で食ったような記憶しかねぇんだよなぁ。親方は晩酌の時にたまに食ってたけど」
「そうなんですか?」
「ほら、ガキにはちょっと難しい味だろ? 味噌とかナスとか」
まぁ、人にもよるんだろうが、あぁいうのは大人の方が好きな傾向にあるだろう。
俺も、中学時代にはそこまで美味いとも思わなかったしな。今は好きだけど。
「あ、ジネットが試作で作ったのは美味かったぞ」
「へ……そう、ですか?」
「あぁ。俺には出せない味だな、アレは」
「では、また今度作りますね」
「白米と一緒に食いたいもんだ」
「はい。炊きます」
そう言うと、くるりと反転して嬉しそうに弾む足取りで屋台へと向かっていった。
何がしたかったんだか。
「あっ!」
結構進んでから、急に何かを思い出したように立ち止まり、慌ててこちらへ引き返してくる。
「ヤシロさんの服装チェックがまだでした! 着てください、エプロン!」
「えぇ……俺もやんの、チェック?」
「はい。陽だまり亭のルールです」
初耳なんですけども、そのルール。
そんな店長からのプレッシャーに押され、今以てなお気恥ずかしさの残る俺専用のエプロンを身に着ける。
……なんか、誕生日のことを思い出して背骨がむずむずするんだよな、これを着ると。
「前、よし。後ろ、よし」
俺の周りをぐるっと一周し、服装の乱れをチェックしたジネット。
そして最後に正面に戻ってきて、笑顔のチェックに入る。……やるんだろうな、もちろん。あぁ……やれやれ。
「では、ヤシロさん」
「はいはい……」
「パイオツ!」
「ごふっ!」
「はぅ!? だ、大丈夫ですか!?」
「…………『笑顔』って、言ってくれるか?」
「あ、すみません。ヤシロさんに馴染みのある言葉の方がやりやすいかと思ったんですが」
やりにくいっす。
この上もなく笑顔になりにくいっすわ、それ。
「では、今日もパイオツカイデーで頑張りましょうね」
「……へ~い」
『パイオツカイデーで頑張る』が出来るのは、陽だまり亭ではお前だけだけどな。
その後、各屋台を回ってハムっ子たちに軽く指示を出しつつ、提供するメニューのチェックを終え、会場の準備は整った。あとは、やって来る領主たちを迎えるだけだ。
「というわけで! 一足先に始めるぞ!」
「いいんですか? エステラさんたちを待たなくて」
開会宣言を聞いて疑問を呈してくるジネット。
前にも言ったろ?
「四十二区へ着いたって第一の感動がさめる前に、第二の感動を与えるんだって」
だから、連中が四十二区へ着いた時には、ある程度盛り上がっていた方がいいのだ。
「というわけだ、ロレッタ! ニュータウン前に待機させている四十二区の客を入れてこい!」
「アイアイサーです!」
「ウーマロ! ガキどもが来たら、遊具の使い方を教えてやってくれ」
「はいッス! ヤンボルドとグーズーヤもスタンバイ出来てるッスよ!」
「ベルティーナ」
「はい。食べます!」
「その前に、ガキどもの整列とか規律を守って遊ぶようにとか、そういうのを教えてやってくれ!」
「それは寮母さんたちにお任せしていますよ」
「お前も!」
「…………ぷぅ」
「ビワのタルト、一番に食わせてやるから」
「やります! 私、実はそういうのが得意なんです!」
いや、『実は』になってねぇから。
お前の本職みたいなもんだろう、ガキの世話は。
「おぉっ、ヤシロ! ビワのタルトがあるのか!? あたいも食べたい!」
「あとでな」
「お客が来る前でなきゃ食べられないだろう!?」
「……マグダにも、あの感動を再び」
「しょうがねぇな……ロレッタの分、残しといてやれよ」
うはは~い、と寄ってくる連中に小さく切ったタルトを配っていく。
約束通り、ベルティーナが一番で。心持ち大きいタルトを渡しておく。
そうして、口の中をもっしゃもっしゃ揺らして、各々が持ち場へと着く。
それから数分後、四十二区の住民たちが会場へとなだれ込んできた。
大通りの向こう側の連中はもちろん、準備の間、ちょっと出ていてもらったニュータウンの住民も大勢含まれている。
「ゆーぐー!」
「おもしろそー!」
「ぅはははーい!」
遊具に殺到するガキども。
酒に群がるオッサン共。
ドーナツやピーナッツバターに興味津々のレディたち。
会場が一気に賑やかになる。
「お兄ちゃーん! 売り切れー!」
「そんなバカな!? ……マジじゃねぇか…………。ジネット!」
「はい! すぐに追加を作りますね!」
料理をじゃんじゃん作れるように、簡易キッチンも設けられている。
食材は、モーマットやアッスントから大量にぶんどっている。
他にも協力者は多数。そして金はすべて領主持ち!
ここでの出費はかなり嵩むだろうが、領主を接待しておけば、後々の利益に繋がる。――と、エステラを説得して出させた。
そして、俺たちは最低限の出資でおいしい利益を甘受するのだ。
儲けてやるぜ!
そのためにも、盛り上がれ、住民どもぉぉおおー!
「ゆーーーぐ、おもしろーーーーーーい!」
「きゃっきゃっきゃっきゃっきゃっ!」」
「うしゃしゃしゃしゃしゃしゃしゃ!」
「ぴぎゃーーーーーー!」
「ぎゃーすぎゃーす!」
……うん。盛り上がり過ぎだ。怪獣かよ。
「あらあら、賑やかねぇ」
「賑やか……というレベルを超えてるでしょう、これは……」
開始から数十分が経過した頃、マーゥルの楽しそうな声が聞こえてきた。
その後に聞こえてきたアホのゲラーシーの声は無視しておく。
自分基準で相手の行動を量るようなヤツの言うことなど、聞く価値がない。というか、ゲラーシーの言葉など聞く価値がない。
「さぁ、みなさん。四十二区がご用意した心ばかりのおもてなしです。心ゆくまでご堪能ください!」
両腕を広げて、エステラが領主たちへと言葉を向ける。
「あとは適当に過ごせや、ボケ!」という言葉に置き換えることも可能だ。
そう言ってやれば面白かったのに。
ぞろぞろとやって来た『BU』の一団は、七領主に各給仕長。
そして、麹工場からリベカと、二十四区教会からソフィー。
あとはどこぞの区の適当な要人らしき人物がチラホラという大所帯だった。
「ベルティーナさーん! お手伝いしますー!」
ソフィーが、来るや否や目聡くベルティーナを見つけて走っていく。
さすがウサギ人族。足が速いなぁ。
「リベカさん! 凄く賑やかですね!」
「うむ! それにあっちこっちからいい匂いがするのじゃ!」
「い、一緒にっ、見て回りませんか!?」
「う……うむ…………一緒、が、いい……のじゃ」
俯いて、そっと手を差し伸べるリベカ。
その小さな手を、何度も服で汗を拭ってからしっかりと掴まえるフィルマン。
「な、なんだか……デート、みたいですね」
「う、うむっ、デート……なのじゃ…………むきゅっ!」
「ノーマぁ! そっち、煮えたぎった煮汁があるんだっけー!?」
「お兄ちゃん、不穏な行動は慎むですよ!?」
たまたまそばにいたロレッタに邪魔をされた。
お前は俺とリア充と、どっちの味方なんだ!?
心清らかなる俺と、妬みと怨嗟を生み出し続ける悪の権化のようなリア充の、どちらが正しいと思っているのだ、まったく!
「おぉ、これはこれは! ミズ・エーリン。お久しぶりですな」
「まぁ、ミスター・デミリー。相変わらず……(チラッ)お元気そうで」
「ミズ・エーリンこそ。相変わらず正直な視線をしておられる」
思いっきり視線を頭皮へ向けられたデミリーが顔を引き攣らせている。
そして、真っ先にマーゥルに挨拶をしたデミリーに対し、ドニスが顔を引き攣らせている。
「ふん。毛根はまったく元気ではなさそうじゃがの」
「そちらも似たようなものでしょう、DD!?」
「『雲泥の差』という言葉を辞書で引くがよいぞ、デミリー」
「ではそちらは『五十歩百歩』という言葉を……!」
「まぁまぁ、お二人とも落ち着いて。ムキになることはないわ。だって、ほら。つるんとしているのは可愛らしいじゃないですか」
「わし、抜こうかな!?」
「早まるなDD! 『覆水盆に返らず』『後悔先に立たず』という言葉があるんですよ!」
なんか、仲いいな。あそこの頭皮コミュニティ。
あ、デミリーとリカルド、あとハビエルもすでに会場にいるんだけど、別に言及しなくてもいいよな? 興味ないだろ? いつも通りだし。
ただ、マーシャが遅いんだよな、マーシャが!
「ダァァァアアアーーーーリィィィーーーーン! アタシが来たよー!」
「やほ~☆ ヤシロく~ん、遅れてごめんね~☆」
マーシャが来た!
おぉっと、不思議なことがあるもんだ。水槽付き荷車がひとりでに動いている!
「……ヤシロ。メドラママのオーラをスルーするのは、現存するいかなる生物にも無理。不可能」
「……分かってるよ。どこに視線を逃がしても視界に割り込んでくるんだよな、あいつの巨体とオーラ」
たまたま通りかかったマグダに突っ込まれ、俺は現実を受け入れる。
「珍しいな、メドラがマーシャの荷車押してくるなんて」
「契約したの~☆」
契約?
メドラに荷車を押させるなんて、相当な暴挙と言える。
それを承諾させるほどの契約……どんな見返りを?
「私の荷車を押してくれると、ヤシロ君がメドラママに『あ~ん』してくれるよ、って☆」
「なんで俺だ!?」
ふざけんな、なんで俺が!?
「うぅ……ヤシロ君がやってくれないと、私、カエルになっちゃう…………そうしたら、折角動き始めた港の計画も、四十二区へ格安で譲ろうと思っていた魚介類もみんなパーになっちゃうよ~ぅ……しくしく……」
……こいつ………………ズルい……なんてあざとい女なんだ。
マグダとは方向性の違うあざとさだ。悪女だ悪女。
「え~んえ~ん……チラッ……めそめそ……チラッ」
「……分かったよ」
「ホントかい、ダーリン!?」
「………………一回だけだぞ」
「やったよぉおおお! 人魚の言うこともたまには信じてみるもんだねぇ!」
「勝負下着が効力を発揮したのかもねぇ☆」
「あぁ! 穿いてきてよかったよ!」
「何を入れ知恵したんだ、マーシャ!?」
「オンナノコの、お・ま・じ・な・い☆」
嘘だ!
確実に遊んでやがる!
メドラを手玉にとって腹の中で笑い転げているに違いない!
なんて女だ……マーシャ、恐ろしい娘。
「じゃあ、甘い物でいいか?」
「うん! ダーリンに食べさせてもらったら、四十区の激辛チキンも甘いお菓子になっちまうよ」
いや、それはない。
さっさと終わらせるべく、俺は手近にあったビワのタルトを一つ手に取り、メドラに向けて差し出した。
「あ……あ~ん」
若干、ヤンキーが因縁を付ける時の「あぁ~ん?」っぽいニュアンスになっちまったが、そこはガマンしてもらおう。俺のせいじゃない。
「あ、あ~ん…………んっ!? んんっ!?」
俺を一飲みに出来そうな大きな口が近付いてきて、器用に小さなタルトを奪い取っていく。
そして、タルトを咀嚼するや、体をビクンビクン震わせ始め……最終的に地べたへとへたり込んでしまった。
「こ………………恋の味が、したよ…………ぽっ」
「お~い、誰だ。こんなところにこんなもん不法投棄したの?」
「たぶん、それねぇ~、ヤシロ君だと思うなぁ☆」
はっはっはっ、冗談やめろよ。
俺はこんなもん、一瞬たりとも所有した記憶はないぜ。
「お、おい……あれ」
「う、うむ……まさか、オオバヤシロ……」
「魔神も裸足で逃げ出すという狩猟ギルドのギルド長を……」
「完全に手懐けているというのか…………勝てぬはずだ。勝てる道理がなかったのだ」
「「「「う~む……」」」」
と、ゲラーシー他、二十三区、二十六区、二十八区のアホ領主たちがぶつくさ言っている。
誰が手懐けてるか、こんなもん。
勝手に懐いてんっだっつの。
手懐けるっていうのはだな……
「エステラ様、このドーナツ、とても美味しいですよ。半分こいたしましょう」
「あ、あのトレーシーさん。別に半分こでもいいんですけど、一つずつ食べればいいのでは?」
「そんな、私とエステラ様の間でそんなこと、水くさいです」
「水くさくはないと思うんですが……」
「では、私がこちらから食べますので、エステラ様はそちらから」
「えっ、割らないの!?」
「端っこからもぐもぐ食べ始めて、もぐもぐもぐもぐ……ちゅっ……きゃっ!」
「ネネさぁーん! 大至急来てー! お宅の主が大変なことにー!」
……あぁいうのを言うんだよ。
くそ、エステラめ。上手い具合に隠れ巨乳を手懐けやがって、羨ましい。
「おにーちゃーん!」
不意に、俺を呼ぶ声がした。
幼い妹の声。
その声の出所を探って視線を向けると……鉄板の前に一人で立つ妹がいた。
あそこは、ちゃんちゃん焼きの屋台だ。
え?
デリアは?
辺りをぐるっと見渡すと――
「はっはっはっ! 下手だなぁ。こうやるんだよ、それっ!」
「「「ぅぉおおお! お姉ちゃん、すげぇー!」」」
なんか、デリアがガキどもの中心で竹とんぼを飛ばしていた。
何やってんだよ、デリア!?
お前、ちゃんちゃん焼きどうしたんだよ?
あ~あ~、妹が鉄板の前でおろおろしてんじゃねぇか。
しょうがねぇな!
「妹、俺と場所代われ!」
「おにーちゃん! 分かったー!」
急いで持ち場を代わる。
妹は、接客は出来ても料理はまだ無理だ。
特に、今回みたいなイレギュラーな場所での調理ともなれば、まだまだ勝手にやらせるわけにはいかない。食い物の扱いは細心の注意を払い、絶対安全に! これが飲食店の鉄則だ。
まかり間違って食中毒などが発生したらおしまいだ。
それ以前に「完璧ではない」食い物を客に出すわけにもいかないしな。
そうして、俺は熱々の鉄板と向かい合う。
そして、ふと――違和感を覚える。
なんだ?
『BU』関連の食材を使った新メニューを広めるためのお披露目も兼ねた屋台。
品数は多いが、ジネットがフルスロットルで動き回っているので料理の供給は間に合っている。
売り子にしても、もはやベテランの域に入りそうなハムっ娘年長組を筆頭に十分な数を揃えている。
領主の相手はエステラやナタリア、デミリーやルシアまでもが手伝ってくれているので問題はない。
あとは好き勝手に過ごしてくれるだろう。
何も問題はない、はずだ。
なのになんだ……何かが、引っかかる。
何かがおかしい。
まるで、何かに
あのデリアが、店を放棄してガキどもと遊ぶだろうか?
ジネットやマグダがいて、料理の出来ない妹一人に店を任せるだろうか?
そして――
「おぉ、ちゃんちゃん焼き美味そうだなー」
「あんちゃん、オレにも大盛りで一つ頼むぜ!」
「こっちには二人前だ!」
「おい、急いでくれ。腹が減ってしょうがないんだ!」
「ほらほら、休んでないでじゃんじゃん焼いてくれよ!」
――こんなに繁盛するか、ちゃんちゃん焼きが!?
新メニューが目白押しで、店の数も十分用意してあるってのに、なんでこの店に客が集中するんだ!?
なんで新しい物好きな四十二区の連中が、こんな食い慣れた料理に群がりやがるんだ?
わざとらしい。
こいつら……何か企んでやがるな!?
「おい、お前ら……!」
「ヤシロ! よそ見してると焦げるぞ! ほら、そこ! もやし! もやしが焦げてるぞ!」
「うっせぇ、モーマット! もやしなんかちょっと焦げてるくらいが美味いんだよ!」
「歯応えを楽しませろよ! 俺のもやしだぞ!」
「何をもやしごときで偉そうに、大体お前は……」
「あぁーっと、ヤシロさん。鮭の切り身が底を尽きそうですよ。早く捌かないと!」
「そう思うならお前もちょっとは手伝えよ、アッスント!」
「ほほほ。私は、料理は、ちょっと」
「かぁ、使えねぇ! 嫁に逃げられろ!」
「なんてことを言うんですか!? 縁起でもない!」
なんだか煽られている。
まともに前を向くことすら出来ない。
まさかこいつら、日頃の恨み辛みを今ここで発散させてんじゃねぇだろうな?
「つーか、デリア! ジネット! ちょっと手伝いに……」
「あぁーっと、兄ちゃん! 待った!」
突然、巨大なアライグマが現れて、俺の視界を防ぐように立ちふさがる。
何やってんだよ、オメロ!?
「実は俺、あの、い、今、親方に秘密にしてることがあるから、ちょっと呼ばないでくれ!」
「なんだそれ!?」
「呼んだら泣くぞ!」
「なんなんだよ、もう!」
気が付けば、俺は男どもにがっちりと取り囲まれていた。
店の前はもちろん、両サイドも、後ろまでも。
「お前ら、屋台の中に入ってくるんじゃ……」
「そんなことよりも、早く鮭焼けし、あんちゃん!」
「…………ネフェリーにチクる」
「な、ななななな、何をだよ!? 思いつきで脅迫とか、マジないんですけど!?」
「キツネの獣特徴出ろ」
「出るわけねーし! 俺、タヌキだし!」
パーシーまでもが邪魔をしてくる。
くっそ、こいつら……何を考えてやがるのか知らねぇが…………上等じゃねぇか。
なら、テメェらの腹をいっぱいに満たして、もう食えないって状況にしてやるぜ!
嫌でもそこを退かなきゃいけなくなるようにな!
「おほほほ。ご無沙汰ですね、オオバさん」
千葉方面の夢の国を思い起こさせるような甲高い声が聞こえた。
……嘘だろ。なんで、こんなタイミングでこいつが。
「私にも食べさせてくださいますか、そのちゃんちゃん焼きというものを」
暴食キング――狩猟ギルド所属のピラニア人族、グスターブが現れやがった。
「お腹が空いていますので、じゃんじゃん焼いてくださいね。ははっ」
……こいつを満腹にするのは、不可能だ。
くそ……こうなったら。
この手だけは使いたくなかったが…………しょうがねぇ!
「必殺――店じまい!」
「「「「「ふざけんなぁー!」」」」」
「「「「「ちゃんと働けぇー!」」」」」
くっそ、なんなんだよ!?
なんなんだよ、マジで!?
「お前ら、俺に怨みでもあんのか!?」
「「「「……………………まぁ、あると言えば……」」」」
「あるのかよ!?」
そりゃそーか! けっ!
テメェらの顔、全部覚えたからな!?
俺の中の『ちょっといじり過ぎても心が痛まないリスト』に追加してやったからな! どいつもこいつも覚えてろよ、ちきしょー!
――と、俺が『無我の境地~ヤシロ、神の領域モード~』に移行しかけたまさにその瞬間。
「ヤシロさん!」
ジネットの声がして、それと同時に俺を取り囲んでいた暑苦しいオッサンの壁がモーゼの割った海のようにぱっかりと割れていった。
オッサンの壁の向こうにいたのは、見慣れた連中で――
「サプライズですよ、ヤシロさん」
――けれど、全員が全員、綺麗にドレスアップしていた。
ジネットにエステラにマグダにロレッタ、ナタリアにデリアにノーマにネフェリー、パウラ、ミリィ、イメルダ、そして驚くことに、レジーナまでもがドレスに着飾っていた。
「どうしたんだよ、お前ら……その格好」
「あの、ウクリネスさんに作っていただいて……」
いや、そういうことじゃなくて。
一体なんの催しなんだ、これは?
「ヤシロさん」
「ヤシロく~ん☆」
「英雄様」
「ダーリン!」
振り返れば、ベルティーナにマーシャにウェンディまでもがドレスアップしていた。
…………うん。もう一人、凄いのがいる。けど、言及してほしい? いいよね?
とりあえず、……凄いよ、いろんな意味で……とだけ、伝えておく。
「ぁ、ぁの……てんとうむしさん……」
「ヤシロ。あのな、あたいたちの話、聞いてくれるか?」
ミリィとデリアが進み出て、俺の前へやって来る。
お互いに視線を交わし、どちらが先に話すかを窺っているようだ。
「あのさ、ヤシロはさ……いつもあたいを、あたいたちを助けてくれるだろ?」
「今回も、ね……ぉ水がなくなった時にね、……すごく不安で、でりあさんとも、ちょっとケンカしちゃって……泣きそうになってたんだけど……そんな時に、ね、てんとうむしさんがね…………いつも、みたぃに……ね………………ぐすっ」
話の途中で涙ぐみ、言葉に詰まるミリィ。
そんなミリィの背をそっと撫でてやるデリア。
そういや、こいつらケンカしてたんだっけなぁ。水不足が原因で、用水路の水がなくなりかけた時に。
「……助けてくれて、ぁりがと……ね」
「あたいも、感謝してんだ」
「いや、まぁ……それなら、俺だけじゃなくてウーマロとか他にも……」
「それだけじゃないさね」
次いで、ノーマとイメルダが進み出てくる。
「あたいら金物ギルドも、いろいろ世話んなってんさよ。大きいことも、本当に些細なことも含めてね」
「木こりギルドも同じですわ。そして、それはここにいるすべての人が同じ気持ちですの。なぜなら、ヤシロさん。あなたが――」
両腕を広げて、イメルダが胸を張って言う。
「この街を救ってくれたからですわ」
いや、ちょっと待て。なんでそんな大きな話に……
「俺は別に……」
「何言ってんの、ヤシロ」
「何言っちゃってんのよ、ヤシロ」
ネフェリーとパウラがドレスを翻して前に出てくる。
「この『宴』だって、ヤシロが言い出したんじゃない」
「今、この瞬間がこんなに楽しいのって、ヤシロのおかげでしょ?」
いやいやいや。
それは交渉とか、後の流通のためのデモンストレーションとか、そういうのがだなぁ……
「自分、ウチに言うたやんか」
着慣れないドレスに戸惑いが隠し切れていない、そんな照れ顔でレジーナがずんずんと進み出てくる。
……近い、近いよ、レジーナ。お前、近付き過ぎだ。
「この街にはウチらがおる。自分の全力を受け止めてやれるだけの度量を、この街は持っとんねん――って、そっくりそのまま、返したるわ」
そして、俺の髪の毛を乱暴にぐしゃぐしゃっとかき乱し、その手を思いっきり嗅ぎやがった。
俺の真似かよ……俺は嗅いでねぇっつの。
「英雄様」
そして、ウェンディが俺の前に立つ。
「英雄様は『違う』とおっしゃってくださいました。今回のトラブルは、私たちの結婚式に責任はないと、『これは自分の責任だ』と。けれど、その言葉にどれだけ救われたことか……、知っておいてほしいのです」
結婚式ぶりに見るウェンディのドレス姿は、セロンなんぞにはもったいないくらいに見事で。
「私たちが、どれだけ感謝しているかを」
あとでセロンを爆発させてやろうと心に誓った。
「ヤシロさん。見てください。私も着てしまいました。……似合いますか?」
いつもの口調で、少しだけ恥ずかしそうにベルティーナが言う。
ベルティーナの控えめなドレス姿は、絵画が見劣りするくらいに美しく、見る者に呼吸を忘れさせるほどに魅力的だった。
「似合う、以外の言葉が思い浮かばねぇよ」
「うふふ。お上手ですね」
本心だっつの。
「四十二区を出ても、他の区でも、やはりヤシロさんはヤシロさんで……私は安心しました。いつも前を向いて進んでいるあなたを見て……私は、とても誇らしい気持ちになれたんですよ」
「……母親かよ」
「そのつもりですよ」
「じゃあ、ママ、おっぱい」
「うふふ……めっ」
なんだろう、ご褒美もらいっぱなしだな!?
これ、もしかしたら、押したらいけんじゃね!?
なんて思っていると、ナタリアがズイッと俺の顔を覗き込んできた。
「ヤシロ様のその表情……分かりました、私でよろしければ軽タッチくらいでしたら――」
「ごめん、ヤシロ。今のなし。聞かなかったことにしてくれるかい?」
一瞬でナタリアが俺の視界から撤去される。
あぁ、お前らはいつも通りだな。
うん。なんかほっとしたよ。
そして、改めてエステラとナタリアが俺の前へやって来る。
「お疲れ様。君のおかげで、随分と助かったよ」
「なんだか、今日はやけに素直だな。エステラ」
「あはは。……正直、今回は危なかったからね。いい仕事してくれたよ、君は」
エステラのパンチがふんわりとみぞおちに入る。
「借りは返す……って言いたいところだけれど、貸しっぱなしにしたいタイプだよね、君は」
「いいや。きっちり取り立てるけどな」
「なら、まだしばらくは続きそうだね、ボクたちの腐れ縁は」
「……ふん。かもな」
そんなイヤミに、顔をくしゃっとさせて笑みを浮かべる。
何が嬉しいんだよ、お前は。
「ヤシロ様」
凛とした、涼やかな声。
彫刻かと見紛うほどに美しい姿勢でナタリアが立ち、そして優雅に礼をする。
ドレスのスカートをふわりと摘まんで。
「我が主をお救いくださったこと、心より感謝を申し上げます」
完全無欠の給仕長がそこにいた。
全裸で寝ている女とは思えないほどの気品と風格だ。
久しぶりに、ナタリア給仕長フルパワーだな。
見る者すべてが圧倒されている。
そんな中、小柄な二人組が可愛らしく駆け寄ってくる。
ロレッタとマグダだ。
「お兄ちゃん!」
「……お兄ちゃん」
「ちょっと待て、マグダ! お前はそうじゃなかったはずだ!」
「……おにぃたん」
「違う違う違う! 俺をそーゆー趣味の人に仕立て上げるのやめてくれるかな?」
油断してたから、ちょっと心臓痛くなったぞ。
「あたし、もっともっと頑張って、お兄ちゃんのお役に立てる人間になるです!」
「……マグダはまだまだパワーアップする」
「けど、まだまだもっと甘えたいです!」
「……マグダがヤシロに甘える権利は、未来永劫有効」
「だから」
「……ゆえに」
「「これからもよろしく」です!」
マグダとロレッタに手を引かれ、そのままジネットの前へと連れていかれる。
淡い桃色のドレスを着たジネット。
春に咲く穏やかな花のようなその佇まいに、鼓動が自然と高まっていく。
「ヤシロさん」
「……ん」
「驚かれましたか」
「……現在進行形でな」
「うふふ。では、大成功ですね」
くすくすと肩を揺らすジネット。
そうか。
男どもの暑苦しい猿芝居は、これの準備のための時間稼ぎだったのか。
「きっと、みなさん同じ気持ちなんだと思います。けれど、わたしはみなさんの代表が務まるような大それた存在ではありませんので、今の自分の素直な気持ちをお話ししますね」
そんな前置きをしてから、ジネットはゆっくりと頭を下げた。
「いつもありがとうございます」
様々な思いを含んだ感謝の言葉に続いて――
「ヤシロさんといると、とても楽しいです」
――持ち上げられた笑顔から実にジネットらしい言葉が発せられる。
そして。
「歌や踊りの練習をしている時間がありませんでしたので、お料理を作りました。みなさんで相談して、意見を出し合って、ヤシロさんのために作ったお料理です」
ジネットが腕を伸ばして、俺の後方を指し示す。
振り返ると、マーシャとメドラが大きな皿を二人で持っていた。
フランス料理でよく使われる鉄製の蓋・クロッシュが乗っかっていて料理は見えない。
「私たち、区が違うから話し合いに参加出来なかったのね。でも、こういう形で参加させてもらったの☆」
「感謝の気持ちは、アタシたちも同じってことだよ、ダーリン」
そんな言葉を口にして、俺を待ち構える二人。
そして、ジネットの声が俺の背中を押す。
「さぁ、ヤシロさん。蓋を取ってみてください」
言われるままにクロッシュを取ると、そこには小さな魚の唐揚げが載っていた。
これは……
「ゴリ……」
ヨシノボリという川魚で、俺の地元ではゴリと呼ばれていた、ちょっと不細工な小さい魚。
親方がよく獲ってきてくれて、女将さんがよく唐揚げにしてくれた、俺の大好物だ。
「そのお魚の唐揚げがお好きだと伺ったもので、みんなで探して獲ってきたんです」
ゴリの唐揚げが好きって、俺、誰かに言ったっけ?
デリアには言ったような気がするが……くそ、覚えてねぇ。
そんな、俺ですら忘れてるようなことを、なんでお前らが知ってんだよ。ったく。
「あのな、ヤシロ。ヤシロがいろいろしてくれて、川の水がなくならなくて済んでさ……こいつら、棲むところ失わずに済んだんだぞ。ヤシロのおかげだからな!」
川が死なずに済んだ。
だから、川魚を使ったお礼のサプライズを……って、ことか。
今回の水不足で、もしかしたら一番苦しんでいたのかもしれないデリアが、今はこんなにも笑顔でいられるようになった。
だとしたら、まぁ……今回駆けずり回ったのも、悪くなかったかもな。
「さぁ、召し上がってください」
花を愛でて酒を飲むための『宴』で。
ドレス姿の美女たちを眺めつつ食べる大好物。
こんなもん――
「お味はいかがですか?」
こんなもんがよ――マズいわけ、ねぇじゃねぇか。
「史上最強の味だな」
ふわっと空気が軽くなった気配がして……
「すげぇ、美味い! ありがとな、みんな」
「「「「「わぁぁああああ!」」」」」
歓声と共に、空へと昇っていった。
あぁ、くそ……にやけた顔が戻んねぇっつの。
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