246話 新たな通路を通って
二十九区領主の館を出ると、マーゥルはほっと息を漏らした。
「あぁ~。久しぶりだったわ、こんなに緊張したのは」
晴れやかながら、どこか恨みがましそうな顔でマーゥルが言う。
そもそもは、お前が望んだことだろうが。
館の庭をだらだらと歩きながら、マーゥルと二人で会話をする。
ジネットたちの片付けが終わるまでの時間潰しだ。
「欲しい物を手に入れるには、相応の代償が必要ということだな」
「相応かしら。なんだか、払い過ぎた気分よ」
「よく言うぜ。俺らはお前の何倍走り回ったと思ってるんだよ?」
「でも、見返りも大きかったでしょう?」
現在、あの会議室の中では今後のあれやこれやを領主たちが話し合っている。最終的な決定はもう少し後になりそうだが、エステラは好条件を引っ張り出してきてくれることだろう。
「ふざけたことをしたら、また遊びに来るから」と伝えたところ、連中、揃いも揃って嫌そうな顔してやがったからな。
ジネットたちの後片付けが終わり次第、俺たちは先に四十二区へ帰るつもりだ。
なぁに、新しい通路を通ればすぐそこだ。置いて帰っても泣きゃしないだろう、エステラも。
先に帰って、エステラが持ってくるであろう旨みのある儲け話を期待して待っているとしよう。
大小様々な儲け話が転がり込んでくるだろうからな。
なかでも、明確にメリットとなるのが豆だ。
外周区での豆の栽培は確実に行われるようになるだろう。
それに関する罰則的な課税は行われない。なにせ、今後は豆不足が予想されるからな。それに、余りそうなら別の豆を作ればいい。
豆と言ってもコーヒー豆やカカオは、大豆やエンドウとは根本的に異なる植物だ。
連作障害の心配もない……って、この街に関して言えば、年中無休で畑を酷使しても植物は立派に育ってくれるんだけどな。無敵かよ、この世界の土。
「それでも、お前の方がメリットはデカかっただろう?」
マーゥルがずっと欲していた物。そいつが完成したんだ。
欲しい物は手に入れ、手に入らない物もなんとか手中に収めようとあの手この手で画策し続けていたマーゥル。
持て余していた大量の豆の消費先を手に入れ、ずっと欲していた変わった新人給仕を手に入れ、そして、本来なら二度と手に入ることのなかった領主の権限の一部を手に入れた。
もっとも、マーゥルが望めば権限のすべてをゲラーシーからぶんどることは可能だった。それをしなかったのは、マーゥル自身の考えからだ。
こいつはもう、領主へのこだわりを持っていない。
いらないと思っているのだろう。
いや、それ以上に欲しい物があり、それは領主になるとますます手にしにくくなる。
だから、足枷になるような権限は受け取りを拒否して、領主の美味しいところだけをいただいたというわけだ。
スイカの一番美味いところだけを一囓りしたような感じだな。贅沢者め。
「でも、本当に素敵な物が出来たわね。アレがあるだけで、頑張ってよかったと思えるわ」
そんなマーゥルが、最も欲しかった物。
それが――
「これで、いつだって四十二区へ遊びに行けるわね」
――四十二区への直通の通路だ。
結局、こいつはこれを作らせたかったのだ。
もしかしたら、ハムっ子洞窟の存在も知っていたのかもしれない。
「どこまで知ってたんだ?」
「あら、なんのことかしら?」
すっとぼけるマーゥル。
今さら知らんぷりする必要もないだろう。怒りゃしねぇし、ただの興味本位だ。
「あの洞窟の存在や、アレを作ったのがハムっ子どもだってこと、そして、そいつらと領主を同時に納得させて動かせる可能性があるとすれば――それはたぶん俺だろうってこと……そこら辺の事情だよ」
マーゥルは、通路を作らせるために四十二区に協力を申し出た。
セロンから聞かされていた『英雄様』の話に期待を寄せて。
「セロンを使って俺に接触を試みたあんたは、まんまと自分の望むルートに俺たちを乗せたんだ」
タイミングよく新人給仕のオーディションを開催して、それを俺たちに見せたり、ゲラーシーと自分の関係を教え『自分は動けない』という点を強調し、俺たちだけで行動させたり……その辺がもう仕込みだったのだ。
「トレーシーとドニスにだけ会わせたのも、今となっては納得出来るんだ」
俺たちが日和見の二十六区領主や、目先の利益を欲する二十八区領主に会っていれば、おそらく各個撃破して味方に引き込むことは出来ていただろう。
それも、ドニスを味方にするよりももっと簡単に。
だが、それをさせなかった。
二十三区領主と会談前に会っていれば、本格的に流通の話で折り合いをつける算段をしていただろう。
それこそ、湿地帯を外して三十区へのルートを模索したかもしれない。
だが、それをさせなかった。
「トレーシーとドニスは、純粋にこちらの味方になってくれる人材だった。利益の共有という打算的な利害関係ではなく、金の向こうにある信頼関係を構築出来る、パートナーに打ってつけの……甘ちゃんどもだった」
「うふふ。DDが聞いたら腰を抜かすかもしれないわね。『甘ちゃん』だなんて」
「いや、お前に『DD』なんて呼ばれる方が腰を抜かすだろう、あいつは」
「じゃあ、『ドニぴっぴ』にしようかしら?」
「やめろ……サブイボが出る」
全身鳥肌だ。
ドニぴっぴは金輪際封印してくれ。
「あの二人でなけりゃ、多数決を操って制裁を撤回させるだけで終わっていたかもしれない……まぁ、可能性の話だから、なんとでも言えちまうんだが……おかげですげぇ面倒くさい目に遭わされたってことは確かだな」
まさか、豆板醤を以前から知っていたってことはないだろうから、麹工場を理由にドニスを俺たちに紹介したのは偶然なのだろう。
麹工場がなくとも、『BU』最大の豆の利益を上げる重鎮となれば、紹介する理由はいくらでもある。
「豆の生産量と、偏った流通路による通行税の大小……上手いこと『BU』の欠点を俺らに知らせて目を背けられなくしたってわけだ」
「うふふ。買い被り過ぎじゃないかしら。そこまで上手に人心を操れるかしら、私に」
「操る必要はねぇさ。ダメならダメで、また次の機会に――それで十分なんだからな、お前は」
何がなんでも勝たなければいけなかった四十二区とは、絶対的に立場が違った。
お前はただ、いつか来るチャンスを虎視眈々と狙っていればいいだけだ。
それが今回、思いの外上手くいったというだけのことだ。
二十五~二十八区辺りを各個撃破しておけば、多数決はこっちの勝ちだった。
だがそれでは、マーゥルが望むような改革は出来ない。
結束を壊され、形骸化させられ、『BU』は一層弱く、貧しくなるだけだった。
「だから、情に訴えかけようとした。『微笑みの領主』なんて呼ばれている、新参の甘ちゃん領主に」
「それは違うわ」
エステラを利用したのではないと、明確な否定を寄越すマーゥル。
その目は真剣だった。
「期待したのよ。望みをかけたの。……これまでには存在しなかった、新しいタイプの領主様に」
エステラほど甘い領主は存在しない。
あんなに甘ちゃんじゃ、領民に食いものにされ、統率を失うのが常だ。
きっと、四十二区の連中が軒並みアホでお人好しだから成り立っている関係なんだろうな。
「あなたがいたから、彼女は優しいままでいられるのね。今回のことで、それがよく分かったわ」
穏やかながら、確信を持った声で、マーゥルが言う。
「あれは、お前のせいだ」と。……濡れ衣だ。
「ヤシぴっぴ。改めて言わせてね」
歩みを止め、俺の方へと体を向けて、ゆっくりと腰を曲げる。
マーゥルが俺に、頭を下げる。
「『BU』を救ってくれて、ありがとう」
そんなつもりは毛頭なかったが……まぁ、生きながらえてくれた方が儲けは出そうだからな。精々吸い尽くさせてもらうぜ。どうやら俺は寄生虫らしいからよ。
「それからね」
シワが少々目立つが、細くて長い指を揃えて、マーゥルが甘えるように言う。
「もし腕のいい大工さんを知っていたら紹介してくれないかしら?」
「大工? まさか、四十二区に別荘でも建てる気か?」
「まぁ、それは素敵な提案ね。……でも、違うの」
ニュータウン辺りに、また濃いヤツが越してくるのかと一瞬ヒヤっとしたが、そうではないらしい。
「私の家からなら、四十二区はすぐそこだもの。それに、引っ越しちゃったら、あの素敵な洞窟を通れなくなるでしょ? それは惜しいわ」
洞窟ってのは、四十二区と二十九区を繋ぐ新しい通路のことだ。
ハムっ子洞窟の先は全方位が土と岩に囲まれた、ダンジョンのような状態になっている。まさに洞窟と呼ぶに相応しい場所だ。距離は短いけどな。
「俺らはあれを『トンネル』って呼んでんだけどな」
「あら、トンネルくらい知っているわよ。うふふ」
いや、レールが伝わらなかったもんでな。
お前らが何を知っていて何を知らないのか、ちょっと不安なんだわ、ここ最近。
「そうじゃなくてね。そのトンネルの出口が、私の家の敷地内でしょ?」
最悪の結果を避けるために、『マーゥルの土地』に出口を作った。
公道はさすがにやばいと思ってな。
「だから、私の館を少しズラしたいのよ」
「ズラす!?」
「だって、あのトンネルは、多くの人が使用することになるでしょ。出入り口にもそれ相応の建物を建ててきちんと管理しなきゃ。……それに」
そうして、このオバハンは最後の最後に至極まっとうなわがままを口にしやがった。
「知らない人が大勢、私の庭に出入りするのは嫌だわ」
そんなわけで、館を東へとズラしたいのだそうだ。
館の西側は川だからな。
「それじゃあ、腕のいいヤツを紹介してやるよ」
「楽しみにしているわね」
トンネル作りで不満を垂らしていたあのキツネも、これで機嫌を直すだろう。
ベッコは引き続き、ハムっ子洞窟とトンネルの工事を続けてもらい、通路をより快適なものへと仕上げてもらう。
ウーマロ率いるトルベック工務店の連中には、マーゥルの館を任せる。
ノーマはとりあえずとどけ~る1号の歯車直しかな。
もう、必要なくなるかもしれないんだけどな、とどけ~る1号。
まぁ、小さい荷物なら、通路を通らなくてもとどけ~る1号でやりとりした方が早いか。
……で。
俺は何をしようかな……
「ヤシロさん」
後処理について考えていると、館の中からジネットたちが出てきた。
料理を運ぶ台車はコンパクトにたたまれ、残った食材と一緒に大きな荷車に積み込まれている。
あんなデカい荷車でも、マグダにデリアにノーマがいれば余裕で持ち運べるんだから、この街に文明なんか必要ないんじゃないかと思っちまうね。
「お待たせしました。準備が整いましたよ」
「おう。じゃあ……」
帰ろうか――と、俺が言う前にマーゥルがジネットたちへと言葉を向ける。
「みなさん、今日はどうもありがとうね。どのお料理も、とても素敵で美味しかったわ」
マーゥルの言葉に、ジネットは心底嬉しそうににへらっと笑い、パウラとネフェリーも顔を見合わせてくすりと笑い合った。
だが、マグダとロレッタは……
「……ヤシロの知り合いと言われると、一瞬判断に迷う」
「そのお料理(各種豊富なサイズのおっぱいたち)もとても素敵で美味しそうだったって意味かもしれないと勘繰ってしまうです」
「おいこら、お前ら」
「まぁ、しょうがねぇよ。ヤシロの知り合いって、軒並み変なヤツばっかだもんなぁ」
「デリア……その発言、自分の首も絞まってるさね」
マーゥルの言葉に卑猥な意味合いは含まれてねぇよ。
まったく……
「マグダもロレッタも……どうしてこういう娘に育ってしまったのか……」
「自覚がないんかぃね? 諸悪の根源がいるんさよ……身近にねぇ」
「ノーマ。ここにいないウーマロの悪口はそのくらいにしてやれよ」
「存外ポジティブさよねぇ、ヤシロは」
煙管でデコをツンと突かれる。
最近、煙管をふかしている姿をあまり見かけなくなったのだが、やっぱり持ち歩いてるんだな。
煙管の匂いは、食堂的には気になるのだが……煙管の煙をくゆらせているノーマは色っぽくていい感じだ。
寝起きに吸っている姿とか、見てみたいものだ。
「うふふ。本当に楽しい人たちばかりね、四十二区は。羨ましい限りだわ」
「では、いつでも遊びにいらしてくださいね。もう、ご近所さんですので」
ご近所さん。
これまでは崖に阻まれて、近くて遠い隣区だった二十九区が、これからが徒歩ですぐの場所になった。
ほんの些細な、それでいて多くの区を巻き込むことになる改革的な、そんな通り道が一本出来ただけで、世界はがらりと変わる。
ジネットの何気ないそんな一言に、マーゥルはくしゃくしゃっと破顔し、嬉しそうな声を漏らした。
「本当ね。それじゃあ、頻繁に通わせていただくわ」
「はい。お待ちしてます」
随分と営業上手になったものだ。
マーゥルが通うようになれば、上客になるぞ。
陽だまり亭懐石とか、じゃんじゃん食ってくれるに違いな…………いや、マーゥルなら、値段や格式なんかより、「変わった」「なんか変な」料理を好むんだろうな。
ロコモコとか、ナシゴレンとか、下手したらねこまんまなんて物にまで食いつくかもしれない。
「ねぇ、ヤシぴっぴ。今後、二十九区と四十二区の会談は陽だまり亭で行うことにしましょうか?」
「他所でやってくれ」
あんな場所で機密情報盛りだくさんな会談なんぞされて堪るか。
気ぃ遣うわ。
「わたしは大歓迎ですよ。エステラさんとご一緒にお越しください」
「えぇ。そうさせてもらうわね」
……本当に来そうだからな、こいつは。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
「はい」
マーゥルとジネットが頷きを交わす。
そして、こちらへと向いて、にっこりと――いつもの太陽のような笑みを浮かべる。
「さぁ、みなさん。帰りましょう。四十二区へ」
マーゥルにシンディ。二人と並んで歩き、マーゥルの館へと向かう。
二十九区の中心部にある領主の館を出て、迷路のように入り組んだ通りを並んで歩き、区の南端、マーゥルの館へとやって来る。
綺麗に整頓された美しい花畑の向こうに大きな川が流れており、その先には落差30メートル級の崖が控えている。
「柵でも作らなきゃ、月に何人か落ちそうだな」
「縁起悪いですよ、お兄ちゃん!?」
「でも、確かに危険かもしれませんね」
「……店長の言うことには一理ある。ロレッタは危機管理能力が低過ぎる」
「なんか、あたし一人危機感ない人扱いです!?」
こういう場所は、慣れてないヤツが足を滑らせたり、好奇心の塊みたいなガキが下を覗きに行ったりして危ないのだ。
「柵なら、ノーマの出番だな」
「なんでアタシなんだぃ、デリア?」
「だって、お前。川に柵作ったじゃねぇか。子供たちが川に落ちると危ないからって」
「あら。とても優しいのね、ノーマさん……だったかしら?」
デリアの話を聞いて、マーゥルがノーマを称賛する。
ノーマは細かいところにまで気が利く、デキる女なのだ。
「ノーマって、子供とか動物とか、植物に凄く優しいよね」
「そ、そんなことないさね……普通さね」
「え、それ、ロレッタの前でも言える?」
「どういう意味です、パウラさん!? あたし、普通じゃないですよ!」
「ノーマは過保護なんだよなぁ、親バカっていうかさぁ」
「……自分の子供は一人としていないのに」
「うるさいっさよ、マグダ!」
「……訂正。…………相手すらいないのに」
「もっとうるさいさよ!」
「……いた試しがないのに」
「突き落としてやるさね!」
「も~う、やめろよなぁ、ノーマ。年甲斐もなくさぁ」
「デリアもうるさいさね! デリアが一番うるさいさね! みんな敵さね!」
ノーマが弄られ倒している。
その中でちょっとだけ弄られていたけれど、全然目立ってないぞロレッタ。お前、そういう地味な扱い多いよな。
「優しくて気が利いて、お顔も綺麗でスタイルもよくて……あなた、ノーマさん。おモテになるでしょう?」
「それが全然なんです!」
「なんであんたが答えるんさね、ロレッタ!?」
「ノーマさんは、お料理も家事も完璧なんですよ」
「店長さんだけが味方さね……」
「まぁ、そうなの。なら、お嫁さんにしたいって人は大勢いるでしょうね」
「……残念ながら……涙を誘うほどに…………皆無っ」
「あんたもうるさいさよ、マグダ!」
「あら、そうなの……じゃあ、性格面かしらねぇ……」
「黙るさね、マーゥル!」
「ノーマッ!? それはダメよ!?」
「相手は領主様のお姉さんで貴族なんだよ!?」
テンポよく突っ込んだノーマに、ネフェリーとパウラが泡を食う。
いや、それを狙ってのボケだ。盛大に突っ込んでやればいいんだよ。
見ろよ。嬉しそうな顔しやがって、マーゥルのヤツ。
「なぁ。もういいから早く帰ろうぜ」
そして、貴族を前に一切自分を曲げない、そんな素振りすら見せないデリア。
デリアは肝が据わり過ぎ。いや、座り過ぎだ。あぐらをかいてる様が見えるよ、肝が。なんならもう、寝転んでるレベルだな。
「どうせ、またすぐ会えるんだからよ。来るんだろ、『宴』?」
「うたげ?」
「なんだ、ヤシロ。誘ってないのか?」
「他所の区の貴族を誘うのはエステラの役目だ」
堅苦しい言い回しの手紙でも書くんだろ、そのうち。
「あぁ、そういえば。四十二区でも『宴』を開くと言っていたわね。前にそのお話をした時に誘ってもらったのよね」
「口約束だがな」
「それで十分よ。私なんて、ただの貴族だもの」
ただの貴族が『BU』の運営を担う七人の領主を萎縮させたってのか?
怖い世界だなぁ、貴族の世界って。
「では、お待ちしていますね」
「えぇ。是非、参加させていただくわ」
「シンディさんも」
「ありがとうございます。素敵なお嬢さんですねぇ……私の若い頃にそっく……」
「「「『精霊の……』」」」
「やめるさよ、ヤシロ、マグダ、ロレッタ!」
シンディが大嘘を吐こうとしていやがったからな。
まったく、図々しいにもほどがある。
あの爆乳は、加齢ごときでは縮まないように出来ているんだよ! ……そうだといいなという願いを込めて!
「じゃあ、ロレッタ。荷台に乗せてもらえ」
「え? あたしは全然平気で――」
「つん」
「ぎゃぁあああああっ!?」
全身筋肉痛のロレッタ。
背中を軽く突いてやると、大袈裟な悲鳴を上げてその場に倒れ伏した。
凄まじい筋肉痛だな。
「……わ、分かったです。乗せてもらうですから、突かないでほしいです……」
そうして、荷台にロレッタを乗せ、マーゥルとシンディに一先ずの別れを告げ、俺たちは出来たばかりのトンネルへと入っていく。
入り口は、なんの飾り気もなく、雨水の浸入を防ぐための扉が取り付けられている。
まだまだ簡素ではあるが、そのうちこの出入り口も豪勢な物に変わるのだろう。
イメルダにベッコ、そしてウーマロがいればな。
「ここからどう変わっていくのか、楽しみですね」
未完成の出入り口を見て、ジネットがわくわくとした表情を見せる。
変わっていく課程は、見ていて楽しいものがある。
「なら、ちょこちょこ見に来ればいい。近所なんだから」
「うふふ。そうですね」
「……お弁当を届けるついで」
「いいですね! きっと工事関係者には陽だまり亭が賄いを出すことになるですし」
なんだろうな、その悪しき風習。
なぜ陽だまり亭が身銭を切らねばいけないのか……1Rbたりともまけずにエステラに請求してやる。
荷車を曳くデリアのために、ドアを大きく開いて支えておく。
ドアが開くと、中からほのかな柔らかい明かりが漏れてくる。
壁の高い位置に等間隔に埋め込まれたレンガが光っているのだ。
「セロン、よく間に合わせたもんだな」
これは、ウェンディがここ最近ずっと研究していたという『集光レンガ』だ。
地盤を下手に脆くしないために、入り口付近はトンネルになっている。ドアを閉めれば光は入ってこない。
四十二区側が大きく開かれているから、酸素は十分に流れ込んできているのだが……ろうそくやランタンを灯すのは危険だと判断した。
酸素不足は、気付いた時には手遅れってことがあるからな。
その点、集光レンガはいい。
闇の中に存在する微かな光を集め、淡い光を放つ。
「まだまだ数が足りないって、今も必死に焼き続けてるんだって。ウェンディが言ってた」
パウラは、ここに来る前にウェンディに会ったらしい。
俺宛てに「よろしく」という伝言を預かってきたらしい。
……って、それは「よろしく言っておいてください」ってヤツで、本当に「よろしく!」って伝えるヤツはそうそういねぇぞ。
「まだ、少し暗いですので、これを使ってください」
ジネットが差し出してきたのは、陽だまり亭の前にも設置されている、もはやお馴染みの蓄光レンガだ。
存分に日の光を浴びさせていたのだろう。眩いばかりに光り輝いている。
そんな蓄光レンガの光が、暗いトンネルの中を光で満たす。
そして、打ち払われた闇の向こう側に……
「あぁ~、薄暗ぉて、じめっとしとって……引きこもりが捗るわぁ……」
――レジーナがいた。
「……もはや妖怪だな、ここまでくると」
「……引きこもり妖怪・ジメーナ」
「なんやのん、会ぅてそうそう、失礼なやっちゃなぁ」
「何やってんだよ、こんなところで、一人で」
「ウチが一人なんは、いつものことや」
いつものことと、話をはぐらかすレジーナだが……いつものお前なら、こんな人が通るって分かりきっている場所に出てきたりしないだろうが。
「レジーナ」
「なんやのん?」
「……上手くいったからな」
「へぇ、せやのん。そら、めでたいなぁ」
陽気におどけてみせるレジーナ。
こいつがこういう行動をする時ってのは……
「だから、もう気にすんな」
……自分の行動を後悔しそうな時だ。
自分が手を貸した物のせいでトラブルが起こった。そんなことを考えている――と、思っていたんだが。
こいつはそんな単純な性格じゃないよな。
もう一歩退いて、レジーナという人物を俯瞰で見つめてみた時、あるひとつの仮説が浮かんできた。
レジーナは薬剤師として薬品を調合した。
そしてこいつは、いつものように――これまでずっとそうしてきたように、人々に喜ばれるものを生み出した。その明晰な頭脳と、尽きることのない探究心によって。
それが、貴族の目に留まり――トラブルが起こった。
貴族とのトラブルなんてのは、得てしてろくなことにはならない。
ヤツらは根暗でしつこく、いつまでも根に持つ性根の腐ったような連中だからな。
プライドの塊で、そのくせ嫉妬深く、誰かを腐していないと気が済まない。
そんな連中がもし、レジーナの故郷にいたとしたら……
レジーナは故郷で素晴らしい薬を生み出し、それは多くの人々を救い、もっと多くの人々に感謝され、称賛されて……貴族に目を付けられた。
レジーナ本人への攻撃であれば、こいつはいくらでも耐え抜いただろう。
だがそれが、自分に近しい、自分以外の人間に向けられたら……
こいつはきっと、自分の地位も名誉も称賛も、すべてをドブに捨ててでもその誰かを守ろうとするんじゃないだろうか。
こうして、気になって気になって、らしくもなくこんな場所で俺たちを待ち伏せしてしまうくらいに、心配性なこいつなら。
だから……な?
「また花火を打ち上げてやろうと思うんだが、調合を任せていいか?」
「なんや、またやるんかいな? 誰か結婚するんか? まさかノーマはん……は、ないわなぁ」
「うるさいさよ!」
無理しておどけて、ころころ笑う。
そんなレジーナの帽子を取り上げる。
「ちょ……なにすんのんな。帽子の匂いでも嗅ぎたいんか? 相変わらず際どい性癖を……」
「お前の作った物は、人を幸せにするだけの力がある」
「……へ?」
「強烈で鮮烈で、きっと、他の誰にも出来ないことをやってのけちまうからだろうな……一部のアホがお前に嫉妬したり固執したりするのは」
「な……なんやのんな、急に。へ、変なお人やなぁ、相変わらず」
変におどけようとするレジーナの、無防備になった頭にそっと手を載せる。
「けど、ここには俺がいる。俺らがいる」
「…………」
細くて柔らかい髪を揉むように撫でる。
「お前の全力を受け止めてやれるだけの度量を、この街は持っている。だから、怖がるな」
「……自分、ズルいなぁ」
前髪に隠れた眼を、細い指でそっと撫でる。
いくつもの薬を生み出し、何人もの人々を救ってきた指だ。
驚くほどに白く、繊細で、綺麗な指だ。
「俺がやらせたことの責任は俺にあるからな。誰かが文句言ってきやがったら、『お門違いだ』って追い返してやれよ」
「……さよか。ほなら、今後はそうさせてもらうわな」
グイッと、今度は手の甲で目元を拭い、レジーナは顔を上げる。
らしくもなく、ニカッと笑った顔で。無理をするから表情筋がぴくぴく痙攣してやがる。
「ほなら、花火、またやろか」
「おう! じゃんじゃんやりまくって、この街の定番にしてやろうぜ」
「そしたら自分、儲けられるもんな」
「そういうことだ」
「ホンマ……かなわんなぁ」
トンッと俺の胸を押し、帽子を奪い取る。
そして、顔を隠すようにして帽子を被り……
「あ~ぁ、久しぶりに坂道歩いたから、脚痛いわぁ。こら、今晩あたりこむらがえり起こりそうやなぁ。ウチも乗せても~らお~っと」
誰に言うでもなく大きな声でそう言って、荷台の片隅に蹲り筋肉痛で苦しむロレッタの隣へ乗り込む。
その行動を見ていた誰もが何も言わず、誰もが、微笑んでいた。
レジーナが弱いところを見せるなんて珍しいからな。
けれど、誰も何も、そのことには触れない。
居心地悪いだろうな、レジーナにしてみれば。自分は受け入れられない、なんて思い込んでいるこじらせ過ぎたボッチには、な。
お前のことを仲間だと思ってるヤツは、結構いるんだぞ。
そろそろ、こいつもその辺のことをもっと理解するべき時期に来ているんだ。
過去がどうあれ、今のお前は――四十二区の住民なんだからな。
「レジーナさん」
四十二区のほんわかした空気の発生源といっても過言ではないジネットが、荷台で丸くなるレジーナに声をかける。
押しつけがましくなく、程よい距離感で。
「近々、四十二区で『宴』をやるんです。美味しい料理をたくさんご用意します」
「へぇ~、そら、また賑やかになるんやろうなぁ」
「はい。ですから、レジーナさんも。よろしければ」
「せやなぁ……」
ごろんと、荷車の上で寝返りを打ち、俺たちに背を向けたままでレジーナは言った。
「ほな、寄せてもらうわ」
照れくさそうに。
「ウチ、人の多いところ苦手やねん」でも、「考えとくわ」でもなく。
それは、レジーナの中の小さな変化を表す些細なことで――それでも、ジネットに満面の笑みをもたらせるには十分過ぎる言葉だった。
「はい! 是非」
ガタゴトと、荷車の車輪が音を鳴らし、俺たちは新しく出来た、いまだ未完成のトンネルを下っていく。
今後、何人もの人間が行き交うことになるであろうこの通路も、今は貸し切り状態だ。
誰も何もしゃべらず、それぞれが心の中で何かを思っている。そんな空気だけが流れる。
穏やかで、心地よい時間。
トンネルを抜けると、巨大な洞窟に出て、太陽の光がたっぷりと入り込んでくる。
巨大洞窟の壁をぐるりと回るように螺旋階段を降りていく。吹き抜けのホールにも、何か遊びを取り入れてやれば、ここは一大テーマパークにでもなりそうだ。
土産物屋でも置いておけば、しょーもない商品でも飛ぶように売れるかもしれない。
洞窟の中には――ただの勘違いでしかないのかもしれないが――四十二区の空気がたっぷりと流れ込んできていた。懐かしい匂いがした。
あぁ、帰ってきたなぁ。
あ~ぁ……疲れた。
「今回はしんどかったよなぁ」
思わず愚痴が漏れる。
と、隣を歩くジネットが肩を震わせた。
「では、元気の出るものをご用意しますね」
そんなことを、俺に言う。
なので――
「じゃあ、おっぱいを……」
「懺悔してください」
「あ、店長はん。ウチにもおっぱいを……」
「懺悔してください」
容赦なくぶった切られる。
つか、俺とレジーナを同類みたいに扱うの、やめてくれる?
洞窟を抜けると、そこはニュータウン。
陽だまり亭は目と鼻の先だ。
ここが本格始動したら、また陽だまり亭に客が増えるだろう。
しめしめだ。
出しっぱなしの屋台がそこかしこに放置されて、祭りの再開を心待ちにしているように見えた。
そうだな。約束だもんな。
ウーマロたちに遊具を作らせて、新しい料理のお披露目をして……
「盛大にやるか、『宴in四十二区』を」
「はい!」
「……うむ」
「やるです!」
「鮭だ!」
「タマゴ!」
「あたし、魔獣のフルーティーソーセージのフランクフルト作るね!」
「楽しみですねぇ、どのお料理も」
「「「「「シスター、いつの間に!?」」」」」
突如紛れ込んできたベルティーナに驚く一同。
まだまだ甘いな、お前らは。
ここで食い物の話なんかしたら……そりゃ来るに決まってんだろうが。
結構な大所帯になりながら、俺たちは陽だまり亭を目指した。
実に面倒であちらこちらへと走り回らされた今回の一件。
終わったのだから盛大に打ち上げをするべきで、そいつはエステラたちも含めた『宴in四十二区』に含めてしまって問題ないだろう。盛大に飲んで騒いで盛り上がろうじゃないか。
だが、その前に――今回の特別なミッションに参加してくれたメンバーを、軽く労うくらいはしてやってもいいだろう。
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