245話 ヒントはあったんだぞ

 多数決が終わり、七領主の中にはどこかほっとした表情を覗かせる者もいた。

 自区のお荷物だった豆が劇的変化を遂げた美味い料理に舌鼓を打ち、それらがもたらすであろう未来の利益を皮算用する。


 だが。

 まだ、早いんじゃないか。気を抜くのはよ。


「エステラ」

「……うん」


 名を呼ぶと、エステラの表情が引き締まった。

 連中を罠に掛けるための大根芝居とは違い、ここからは本気の交渉だ。楽しんでアドリブで――というわけにはいかない。


「『BU』の領主諸氏にお話があります」


 改まったエステラの物言いに表情を強張らせたのは、意外にもドニスだった。

 他の連中は、どこかもうすでに終わった感を滲ませて「なんだ? まだ何か話があるのか?」くらいの面持ちだ。


 やはり、ドニスだけが気付いている。

 あいつがリーダーやってりゃ、もっと別の手を考えなきゃいけなかったろうな。

 もしくは、あいつがリーダーでさえあれば、こんな面倒くさいことには巻き込まれなかったかもしれない。


 そう。

 俺たちは『巻き込まれた』のだ。


「『BU』から四十二区への制裁は、その一切を行わないということで完全に決定が成されましたね?」


 その問いかけに答える者はいない。

 それは同時に、反論もないということだ。


「反論がないものとして続けます」


 お前らは賛同したのだと暗に認めさせ、エステラは本題へ切り込む。


「ですので、その次のお話を致しましょう」

「その次……だと?」


 ここへ来て、ようやく不穏な空気を感じたらしいゲラーシーが呟く。

 他の領主も表情を強張らせ始める。

 大体想像がついたようだな。


 まぁ、そうだよな。

 だってよ、俺たちは『巻き込まれた』んだ。

 お前らの勝手な都合のせいで、結構な時間を浪費させられ、金だって使って、金の種である新商品のレシピを他区へ伝授する約束までさせられ……損害は笑って済ませられるようなものではない。


 だから、だ。

 やるべきことはきっちりとやっておかなければいけない。

 今後、一切のしこりをなくすために。


 ケジメの言葉を、エステラが――四十二区の領主が告げる。


「四十二区は、『BU』七区に対し、損害賠償を請求します」


 ガタガタと机が鳴る。

 何人かが一斉に立ち上がり、勢い余ってテーブルが一つ倒れた。

 テーブル上の料理は、マグダが咄嗟に持ち上げ無事だった。さすがだな。


「な……なにを、言うのだ……」


 ゲラーシーの瞳孔が開いている。

 本気で戸惑っているようだ。


 なんだ?

 和解した気にでもなっていたのか?


「あなた方によってもたらされた損害は相当なものです。それで初志貫徹、制裁を科すのであれば納得は出来なくとも最低限の理解は示せましたよ。けれど、全領主が揃いも揃って『制裁撤回』に手を上げるとは…………」


 ここ一番で、エステラが冷たい視線を連中に向ける。


「……ボクたちは、なんのために振り回されたんです?」

「そ、それは……」


 ごくり……と、いやに大きな音を立ててゲラーシーが唾を飲み込む。



 真剣に、こういう冷たい表情を見せるエステラは――ぞっとするほど美しい。



 ルシアはただ黙ってエステラの後ろに控え、同じく七領主を睨みつけている。

 今回、ルシアには口を出さないでもらっている。

 三十五区も同様に時間と金を浪費させられたのだが……その損害分を四十二区がすべて被るという条件で四十二区のサポートに回ってもらった。

 当然、損失分の補填プラスアルファも見込める条件だ。


「俗っぽい言い方ですが、ご容赦くださいね」


 あごを引き、ほんの少しだけ俯いて息を吸う。

 すっ――と、音を立てて呼吸を止め、顔を真っ直ぐ正面へと向ける。それと同時に非常に俗っぽい言葉がエステラの口から飛び出す。




「ボクたちにケンカを売って、ただで済むと本気で思っていたのかい?」




 それは、これまでエステラが発したどんな言葉よりも低く、迫力のある声だった。


 ……あぁ、いや。

 ヤップロック一家と初めて会った時――俺が連中を見捨てるって言った時にも、こんな低い声を出していたっけな。

 要するに、エステラの本気の怒りの声だ。


 ま、今回はハッタリだが。――そのハッタリが出来るようになって、初めて一人前の領主だといえる。

 雑魚相手に練習するには、打ってつけだな、『BU』は。


 効果は覿面なようで、エステラの怒りは正しく七領主に伝播したようだ。


「こ、これ以上、何をしようというのだ?」


 果敢にも反論を試みる『BU』の現リーダー、ゲラーシー。

 お前じゃ話にならねぇんだよ。


「『これ以上』とは、不思議なことを言うね、ゲラーシー」


 あえて名を呼び捨てにする。

 反発を誘うが、ゲラーシーは反応しない。いや、出来ずにいる。

 エステラを恐れた証拠だ。

 下手な反発は状況を不利にすると、あの思慮の浅いゲラーシーも理解しているってわけだ。


「君たちの話は終わったかもしれないけれど、ボクたちの話は、まだ何一つ始まってもいないんだよ?」

「いやっ、だが……さっき……」

「四十二区への制裁が科されないと決まったからね、港や三十区への通路を作る大義名分がなくなってしまったんだよ」


 あくまで『報復』だと、エステラはこの場で言っている。

 制裁が科されないと決まったのに『報復』を行うのは筋が通らない。


 だから、このまま終わられると四十二区は大損なのだ。

 根回しに使った時間と金、まぁ、主に食料費なんだが……それらが無駄となる。


 それに、焚きつけてその気にさせちまったあのギルド長ども――メドラにハビエルに、マーシャ、ヤツらがこのまま大人しく引き下がるとも思えない。

 特にマーシャは食い下がるだろう。


「君たちのつまらないプライドのせいで、こっちは大ギルドのギルド長を三人も引っ張り出してしまったんだ。『なくなりました』で済む話じゃないことくらい、理解してもらえると思うけど、どうかな?」

「し、しかし、それはそちらが勝手にやったことで、我々は別に……」

「『勝手に』……ねぇ」


 それは悪手だ、ゲラーシー。

 おのれの生殺与奪の権を握っている相手の神経を逆撫でするような言い訳は、自殺志願者でもない限りは控えるべきだろう。


「そうさせたのは誰だい?」

「それは……」

「それとも君は、『お前らは何もせず、大人しく自分たちの食い物にされているべきだったのだ』……とでも言いたいのかい?」

「そういうわけでは……と、とにかく、落ち着かれよ。今一度話し合いを……」

「そのつもりだったけれどね……」


 エステラがくるりと反転し、七領主に背を向ける。


「この期に及んで、こうまでコケにされるとね……話すだけ無駄だと思わざるを得ないよね」


 吐き捨てて、エステラが歩き始める。

 出口へと向かって。


「まっ、待て!」


 慌てて立ち上がるゲラーシー。

 邪魔なテーブルを退かし、蹴り飛ばして、一直線にエステラへと向かって駆け出す。

 その前に、マグダとデリア、そしてノーマが立ち塞がる。


「……ウチの領主に何をするつもり?」

「指一本でも触れてみろ。テメェ――」

「――容赦はしてもらえないものと、覚えておくさよ」


 武闘派獣人族三人の気迫に、室内に緊張が走る。

 給仕長のみならず、護衛の兵士たちまでもが身構える。


 完全無欠に交渉決裂。


 誰もがそう思った時だった。

 室内へ、のんびりとした声が流れ込んできた。


「あらあら。やっぱりダメだったのねぇ、ゲラーシー」


 幾人かの者は、その声に背筋を伸ばし、または驚愕に目を見開き、知らぬ者は何事かと出入り口のドアへと視線を向けた。


 ゲラーシーは、困惑が色濃く表れた顔をさらしている。


「あなたは、人の心を理解していないのね」

「あ…………姉上……」


 ゆったりとした足取りで室内へ入ってきたのは、給仕長のシンディを引き連れた、マーゥルだった。


「指南書通りに事が運ぶほど、世界は単純ではないのよ?」


 にっこりと微笑んだマーゥルは……あれほどの怒気を目一杯放出してみせたエステラの迫力を、軽く三十倍ほど高く飛び越えていた。

 ……本物、ハンパねぇな。


「エステラさん、ありがとうね」

「え、あ……はい」


 怒りモードのことなんかすっかり忘れて、いつものエステラに戻っちまっている。

 まぁ、しょうがないか。

 ルシアを手本に迫力だのオーラだのを出そうと頑張っていたエステラだが、そのルシアをも軽く凌駕する恐ろしいオーラを見せつけられたらな。素にも戻るだろう。


 領主になるために人生のすべてをかける覚悟を決め、そのためだけに生きてきたマーゥル。

 その迫力は本物だ。

 いくつになっても、領主への道が絶たれた後も、身に付けた迫力は衰えていない。


「少し人数が多いわね。給仕長――イネス、だったわね」

「……はい」


 銀髪Eカップが萎縮している。

 ゲラーシー相手には余裕すら見せていた給仕長が。


「給仕と兵を退かせなさい。もう荒事は起こらないわ」

「しかし……」

「二度も言わせないで」

「……かしこまりました」


 ゲラーシーに確認を取ることなく、イネスが指示を出す。

 この館の主であり、現領主のゲラーシーをスルーして出された指示。

 そんなとんでもないことが起こっているというのに、ゲラーシーはなんの言葉も発せないでいるようだった。


 兵と給仕が退室し、室内には領主と給仕長、マーゥルとシンディ、そして陽だまり亭の面々だけが残った。


「とりあえず、ご着席ください」


 七領主たちは、言いたいこと、聞きたいことが山のようにあるだろう。

 マーゥルの言葉に反応する者はいなかった。


 ただ一人、ドニスを除いて。


 誰も動かない中、威風堂々とおのれの席へと戻りどっかと椅子に腰を下ろす。

 腕を組んで真っ直ぐにマーゥルを見つめる。


「…………」

「…………」


 マーゥルは、少しだけドニスと視線を合わせ、微かに笑みを浮かべた。

 瞬間、ドニスの一本毛がぴっこぴっこぴっこと揺れ動く。……冷静な表情のまま奇妙な感情表現してんじゃねぇよ。つか神経通ってないだろ、その一本毛。非常識なジジイだ。


 ドニスが座ったのを見て、他の領主たちも追随する。

 給仕がいなくなったために、給仕長たちがテーブルをもとへと戻す。

 各領主が自分たちの席へと戻っていく。


「みなさんお気付きのように――」


 そんな、「自分は与り知らないことだ」という逃げの言葉を封じる言葉から、マーゥルの話は始まった。

 その場にいる領主に現在の状況を明確に理解させるための話が。


「『BU』は、非常に愚かな選択をしました。雨不足による、おのれの区の損失を他所様の区に被らせようという非情な選択です」


 まぁ、今なら分かる。

 プライドだけがやたら高くて、解決能力のない領主が集まり、独自の意見も出せないままにふと浮かび上がった解決策を、さもそれが最善であるかのように取り上げて、そうなった後は疑問も持たず議論もせず実行に移したのだろうことが。


 誰かが言ったんだろうな。

「外周区に不穏なことを行っている者たちがいる」と。それを生意気だと感じていた連中が他にもいれば、同調圧力の強いこいつらなら「なら、そいつに損失を補填させよう」という結論にたどり着くのは容易に想像出来る。


「四十二区と三十五区へ制裁を科そうと決まった日の会話記録カンバセーション・レコードを見せていただきたいところだけれど、追求するのはやめましょう。過去に費やす時間は、今はないものね」


 そう言って、「お前があの時ああ言ったからだ」「いや、お前が」という責任のなすりつけ合いを封じる。

 逃げ場を少しずつ奪われ、七領主の多くは、ただマーゥルの話を聞くことしか出来なくなっている。


「ゲラーシー。現リーダーのあなたに聞くわ」

「…………はい」


『現』リーダー。

 それは、「少しでも選択を誤れば、即座にその座から引き摺り下ろすぞ」という脅しのように聞こえた。


「今、『BU』は四十二区に生殺与奪の権を握られていることを、正確に理解していますか?」

「それは……大袈裟なのでは……」

「彼らは最近、新たに街門を作ったのよ? そして、新たな港を作る下地まで出来上がっている。ねぇ、ゲラーシー……あなたの見ている敵は、本当にあなたが思うような小さい存在なのかしら?」


 まるで子供に言うように、マーゥルはゲラーシーの浅慮を責める。

 今降りかかってきている危機はすべて、「所詮四十二区」と見下し、その力を見誤ったことに起因している。


「あなたは何も見えていないわ」

「それはさすがに言葉が過ぎますよ。いくら姉上といえど……」

「彼女たちが、どうやってこの館へ入ってきたのか、理解しているの?」


 そう言って、ジネットたちを指差す。

 一瞬虚を突かれたような顔をさらすゲラーシー。

 こいつはそんなことを考えてもいなかったようだ。

 四十二区の、ただ食堂店員が、二十九区領主の館へと無断で入ってこられるはずがない。


「……あなたが手引きをしたのですか?」

「えぇ、そうよ」


 ジネットたちが入ってくる前に聞こえた「お待ちください」だの「困ります」だの言っていた声、アレはマーゥルへ向けられた給仕たちの声だったのだ。

 マーゥルが先導し、ジネットたちをここまで連れてきた。


 もちろん、その後この室内で行われたことはすべて、マーゥルも直に見ている。


「いい、ゲラーシー? 四十二区は現在、新たな通路と、新たな港、そして、新たな料理という武器を持って『BU』と対等以上の位置にまで上り詰めてきたのよ?」

「『BU』と対等とは、さすがに言い過ぎだ!」

「いいえ。これでも過小評価しているくらいだわ」


 マーゥルがエステラのもとへと歩いて近付き、肩に手を載せる。


「最初、四十二区は『BU』に――『制裁を科す』ようにと誘導しようとしていたのよ」


 ざわっと、室内の空気が波打つ。

 今と真逆の結末。

 確かに、俺はそうなるようにシナリオを組んでいた。


「あなた方が『最初から言っていたこと』を、『そのまま貫かせて』、四十二区が利益を得る方法を、彼は持っていたの」


 エステラの肩に手を置いているなら、せめて「彼女は」と言ってやれ。

 それじゃまるで、俺が黒幕みたいじゃねぇか。


「『BU』は多数決に勝ち、勝負に負ける――その路線自体は変わっていないけれど、もし、当初の予定通りの展開になっていたら…………『BU』は形骸化していたでしょうね。威厳も、誇りも失って」


 ゲラーシーが俺を見る。

 だから、俺じゃなくてエステラをだな……


「一つ教えておいてやろう」


 話の切れ間に、ルシアが耳寄りな情報をもたらすようだ。

 耳に痛い、かもしれんが。


「この男は、組織を潰すような真似はしない。存続させ、そこで生まれる利益を吸い取るような男なのだ」


 人を寄生虫みたいに……


 生かしておいた方がうま味がある場合はそうしている。それだけだ。

 行商ギルドにせよ、街門の際に揉めた四十一区にせよ、組織を潰すとその揺り返しが凄いことになるからな。


 だから、『BU』も『BU』のまま、骨だけ抜き取ってやるつもりだった。

 そして、「よかったな。多数決が思い通りの結果になって」と言ってやるつもりだった。


 だが、それに待ったをかけたヤツがいる

 マーゥルだ。


「それを、私が変えてもらったの。多数決を否定して『BU』を一度崩壊させてほしいって。――もちろん、相応の報酬を約束してね」

「なぜそこまでして!? ご自身が領主になれなかった腹いせですか!? 復讐ですか、これは!?」


 わぁ、愚かだな、ゲラーシーは。


「愚か者」


 ドニスは俺と同じ意見を持ったようだ。


「復讐なら、もっと簡単な方法がいくらでもあるし、もっと以前に決行するチャンスはいくらでもあった。それをわざわざ、今、このような形で行った理由に思い至らんのか?」

「…………理由?」


 答えを出せないゲラーシーに、ドニスは重いため息を吐く。


「気付き、じゃ」

「さすがですわね、ミスター・ドナーティ」

「ん…………んんっ。……これくらいはな」


 マーゥルに名を呼ばれ、ドニスが目を泳がせる。

 いい歳して照れてんじゃねぇよ、一本毛。


「あなたには気付いてほしかったのよ。この、先のない『BU』という組織の、愚かなシステムに。それがもたらす絶望的な未来に」


『BU』のシステムは破綻している。

 生活に窮して、他区へ侵略まがいの難癖を付けざるを得なかったのが何よりの証拠だ。

 いくらドニスといえど、自身がそのシステムの中にいたのではシステムを変えることは難しい。壊すとなればなおさらだ。


 だからこそ、マーゥルが動いた。

 そして、俺たちをけしかけた。


「今、本気で四十二区と事を構えれば……『BU』は消滅。それだけではなく、それぞれの区は吸収合併される可能性すらあるわよ」


 経済が立ち行かなくなれば、近隣の区との合併、または他区への吸収ということになる。

 そうなれば、領主は廃業だ。


「それに、動き出した四十二区はもう止まることは出来ないのよ。振り上げた拳は、どこかに下ろさなければいけない」


 ゲラーシーがエステラを見る。

 どうやら、エステラの本気が恐怖として脳に焼きついたようだ。俺ではなくエステラを見やがった。あの目は本気だったと、ゲラーシーの脳が学習したんだろうな。


「私なら、この修復困難なほどにもつれてしまった四十二区との関係を、波風立てずに収めることが出来るけれど……どうする?」

「そ………………それは」


 何度か唾を飲み込もうとして失敗している。

 口の中が乾いているのだろう。

 イネスがそっと水を差し出すが、腫れ上がり変色し始めているゲラーシーの右手はコップを掴むことなく、わなわなと震えるばかりだった。


「私に…………領主を、辞めろと…………そういうことですか?」

「そうね。あなたには、壊滅的なまでに領主としての才能がないわ」


 断言され、ゲラーシーが唇を噛み締める。


「父が甘やかしてしまったのね。母が他界して、厳しく育てるのにも限界が来ていたのね……可哀想に、どっちも」


 その声は、本心からの同情に聞こえた。


「けれど、私は今さら領主になんてなりたくないわ。領民も戸惑うでしょうし、領主はあなたのままで――ただ、私に決定権を譲渡してほしいの。ごく一部、四十二区とのことだけでいいわ。その決定権をちょうだい。それで、すべてを丸く収めてあげるわ」


 領主は変わらずゲラーシーのまま、四十二区との窓口にマーゥルを置く。

 それだけで、この窮地を脱することが出来る。

『BU』の崩壊を防ぐことが出来る。


 もしこれでゲラーシーが渋れば、議長権限で多数決を採ろうと思っていた――どうせ、ゲラーシー以外の領主はマーゥルの意見に賛同するだろう。反対するのは領主としての力の一部を奪われるゲラーシーだけだ――だが、どうやらその必要はなさそうだ。


「分かりました、姉上…………よろしくお願いします」


 起立し、腰を曲げ、ゲラーシーが頭を下げた。

 真剣な表情を作っていたマーゥルが胸を押さえてほっと息を漏らした。


「あぁ、よかった」


 そうして、俺に向かって恨みがましそうな表情を見せる。

 頬を膨らませて、眉をつり上げて。


「まったく、ヤシぴっぴの提案だから信じて乗ったけれど、心臓が止まるかと思ったわ」

「いや、素で凄かったぞ?」

「順序が違うのっ」


 両手で拳を握り、発散しきれない腹の中のモヤモヤを振り払うように、マーゥルが両腕をぶんぶんと振り回す。


「萌ぉーーーーーえぇーーーーーーー」


 どこかで一本毛のジジイが鳴いたが、あえて盛大にスルーする。

 つか、どうせ言うなら表情変えろよ。ずっと厳めしい顔のまま、声も変えずに言うから、周りの領主どもも「何事だ!?」「聞き間違えか!?」みたいに戸惑ってんじゃねぇかよ。


 まぁ、一本毛はさておき――


「自分が不利な立場での交渉って、本当に心臓に悪いのよ。……はぁ、まだドキドキしているわ」


 緊張が抜けたのか、マーゥルがふらつく足で空いた椅子へと腰を下ろす。

 シンディのナイスフォローで、マーゥルは危なげなく着席した。


「…………『これより先』って一文が入っていたら、私、破滅だったかもしれないわね」

「ないない。だってゲラーシーだし」


 俺とマーゥルの会話を聞いて、ゲラーシーが顔色を変える。

 なんの話をしているのかは分からないが、自分はまた担がれたらしいということだけは理解したようだ。


「き、貴様…………まだ……っ、まだ何かあるのか?」


 少し泣きそうな声で俺に詰め寄ってくるゲラーシー。

 あ~、こいつ今日で相当ストレス溜め込んだだろうなぁ……胃と頭皮に気を付けろよ。ストレスは怖いから。


「ヒントはあったんだぞ」

「ヒントなどいらん! 答えを寄越せ!」


 だからダメなんだよ、お前は。


「俺が折角話題に挙げてやったのに、お前ら全員『どうでもいい』って保留にした話があったろ?」

「え……?」


 ゲラーシーは振り返り、他の領主の顔を窺う。

 が、誰一人として気が付いていない様子だ。ドニスも。


「俺さ。今朝、エステラが馬車で出ていくのを見送ったんだよな」

「…………それが、なんだ?」

「でも、俺の方が先に着いてたろ? マーゥルのところに行って、兵士の格好をして、この館の警備に潜り込むだけの余裕もあった」

「…………ん? つまり、何が言いたいのだ?」


 分かんないか。

 じゃあ、ヒント2。


「こいつらは、四十二区の領民で、陽だまり亭って食堂からこれだけの量の料理を運んできたんだ」

「だからっ、……それがなんだと聞いている!」

「どうやって持ってきたと思う?」

「そんなもの……っ、ば、馬車……で?」


 そんなことしたら、この料理全部に通行税が掛かってこっちは大損だ。

 あくまで、材料費もほぼタダで、労働力の部分だけをサービスすればいいって状況じゃねぇと、ここまでの大盤振る舞いは出来ねぇよ。

 豆はマーゥルの通行税免除の許可証のおかげで、安く手に入ったしな。


「……『これより先』という文言がキーになりそうじゃな」

「お、ドニス! いいところ突いてきたな。ほれ、ゲラーシー、もう一息だ」

「つまり………………あぁぁ! イライラする! ……痛ぁ!?」


 イライラのあまり髪を掻き毟ったゲラーシーは、自分の右手の惨状を忘れていたようで、激痛に顔を歪ませた。

 お前はロレッタか。


 すげぇ筋肉痛で寝込んでいたくせに、「二十九区で一仕事する」って言ったら「あたしも行くです! ギリギリまで休めば体動くです!」って。

 でまぁ、朝のうちに激励の弁当を持っていったわけなんだが……ホント、プロだな。 でも、ちょっとつんって突くと「ぎゃあああ!」って言うけどな。


「要するに、もうすでになんらかの契約を四十二区と交わし、なんなら履行されているものがあると、そういうことだな」


 そんなドニスの言葉に、マーゥルが「まぁ!」と感心した表情を見せる。


「さすがね、ミスター・ドナーティ。私、あなただけは敵に回したくないわ」

「ごふっ! ごほっごほっごぉーっほごほっ!」


 ジジイが死にかけている。

 おい、誰か。トドメを刺してやれ。


「…………ワシもじゃ」


 さりげない告白は、残念ながらさっきむせたせいでノドが飛んで声になっていなかった。はい、やり直し~。

 つか、「ワシ、もじゃ」って。お前は「もじゃ」じゃなくて「つるっ」もしくは「ぴよん」だよ。

 ん? 髪の話じゃないのか?


「まぁ、要するにだな。もうあるんだよ」

「…………は?」


 素っ頓狂な声を漏らすゲラーシー。

 ドニスは今それどころじゃないようでこっちを見ていないし、他の領主どももピンと来ていない様子なので、正解を教えてやる。


「四十二区と二十九区の間に、でっかい崖があるだろ?」


 衝撃的な事実を、なるべく可愛らしく、愛嬌たっぷりに言ってやる。


「あそこに通路作っちゃった★」

「「「「「はぁっ!?」」」」


 野太い声が波のように押し寄せてきた。


「三十区に作ると言っていた通路は!?」

「あぁ、それ無理なんだって」

「…………はぁっ?」

「いや、四十二区のシスター――ベルティーナっていう隠れ巨乳なんだが――そいつにな、『湿地帯って潰していいの~?』って聞いたら、『ダメです』って。『じゃあ無理だなぁ~』って」

「さっ……散々っ、三十区との間に通路を作って通行税の妨害をするとか、流通路とか言っておきながらっ! 最初から無理だったというのか!?」

「うん、そう」

「はぁああっ!?」


 ゲラーシーが第二形態に変身しそうだ。


「そもそも、三十区の許可もなくそんなこと四十二区が独断で決められるわけないじゃん」

「あの、自信満々の態度はなんだったんだ!?」

「俺さぁ…………演技力、あるんだよね?」

「殴りたい……っ!」


 その右手じゃ無理だ。

 やめとけ。


「しかし、許可もなく独断でって…………はっ! そうか! 二十九区との間に通路を作る許可を、姉上が出したのだな!」

「正解!」

「姉上っ!」


 ゲラーシーの目がマーゥルに向くや、マーゥルは両手を胸の前で小さく振って抗議する。


「でもね、一応私の家の土地だし、私の所有地だし、緊急事態だったし…………あと、ウチの新しい給仕の娘がね、『四十二区に行きやすくなるのは大歓迎だぜです! 大将っ、ここは一つ女を見せやがれですっ!』って真剣にお願いしてきてね、可愛いお気に入りの給仕の言うことだから、ちょっとは無理してもいいかなぁ~って」

「無理にもほどがありますよ! 二つの区の間に通路を作るなんて!」

「でも、四十二区とのことは、私が決めていいということになったから、……はぁ~、肩の荷が降りたわ」

「事後承諾じゃないですかっ!」

「それがイケナイって、言わなかったじゃない」

「言わなかったからって……っ!」


 ゲラーシーが急に元気になった。

 なんか変なスイッチが入ったのだろう。


「だからな、ヒントはあったんだから、気付くチャンスはあったんだぞ? お前がちゃんと気付いていれば、承認を得る前に勝手に通路を作ったマーゥルを追放することだって出来たんだ、領主権限でな。……ま、もう無理だけど」

「オオバァー! 貴様の入れ知恵だろう!?」

「……………………………………………………………………正解っ!」

「なんだ、その『溜め』はっ!?」 


 もともと、ニュータウンの崖にはハムっ子が掘った洞窟があり、その巨大な洞窟の壁に沿うようにらせん状に昇っていく階段を作ったのだ。

 そこからぐぐーっと穴を拡大させて、ニュータウンから二十九区の崖のそば――つまりマーゥルの管理する土地への通路を完成させた。二日で。ロレッタとハムっ子オールスターズ、そして、ベッコを使って。


 ベッコは、ただの洞窟に石の階段を作るために呼んだ。

 ヤツは彫刻が本業らしいので、石段用に石を切り出すくらい余裕だろう――と、無茶振りしたら、「石切りと彫刻はまったく別物でござるよ!? ……まぁ、やるでござるけども!」とか言っていたな。結局やるなら文句言うなっつうの。感じ悪いヤツ~。


 結局、我慢が出来なかったウーマロとイメルダも参戦して、階段や壁は、石と木で頑丈に加工された。

 思っていた以上に上りやすくてビックリした。傾斜も緩やかで、荷車を押せるスロープもあって。幅もかなり取ってあるから、渋滞も少なくて済むだろう。


 今後さらに改良して、もっと快適に使用出来るようにするけどな。


「それに、港も作るぞ。規模は小さいが、必要なんでな」

「あ、あのっ、オオバヤシロさんっ! それでは、私たちの区は……!?」


 トレーシーが泣きそうな顔をする。

 三十五区の港も健在で、四十二区に港と流通路が出来るのは、トレーシーにとって最悪の状況だ。

 だが、心配すんな。


「お前のことは、エステラが助けてくれる」

「エステラ様っ!」

「どぅわっ!? トレーシーさん、勢い! 勢いが凄まじ……っ!」

「嫁に行きます!」

「来られても困りますよっ!?」


 欲望のままにエステラに飛びつき、しがみつくトレーシー。

 サラシを巻いていても、エステラよりも柔らかそうに見える。並べると違いがよく分かる。

 天然のぺったんこと、偽物のぺったんこの埋めることが出来ない差が。


 流通は確かに分散するかもしれない。

 だが、利益を上げられるのは通行税だけじゃない。

 もっと他の儲け話をどんどん作っていけばいいのだ。


 豆と土地、そして欲している者と売りたい者がいれば、利益などいくらでも生み出せる。

 商売ってのはそういうものだ。


 まぁ、要するにだ。


「頃合いのところで手打ちにして、協力して互いに利益を生み出す関係を作ろうぜ」


 手を打ち鳴らし、やや置いてけぼり感のある他の領主共に言ってやる。

 通行税だ、豆の利益だと、これまでの収入に執着するんじゃなく、もっと新しいところから利益を引っ張ってくるんだ。

 協力体制が整えば、それも出来る。


 だから、な。

 仲直りをしようじゃねぇか。


 だってそうだろ?


「もうこれ以上いがみ合うのは疲れるからよ」


 俺のそんな寛容な言葉に、エステラに夢中のトレーシーとマーゥルに夢中なドニス以外の五領主が口を揃えて言いやがった。



「「「「「お前が言うな…………」」」」」



 心地のいい怨嗟の声をバックに、俺はぐぃっと伸びをする。


 さぁ、細かい商談はエステラに丸投げして、四十二区に帰ろう。

 早起きしたから眠てぇや。






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