243話 多数決をぶち壊せ

「さぁ。多数決を始めようか」


 俺の一声に、室内全体に嫌な空気が広がっていく。

 緊張感と嫌悪感。

 いい具合に混ざり合って、各々が各々を警戒している。


「誰か、机を整理してくれないか? あと、俺用の机を頼む。ほら、俺、議長だから」


 にこやかに言ってやると、憎々しげな表情ながらも、銀髪Eカップの給仕長が給仕たちに合図を出した。

 給仕たちがさっと駆け寄ってきて倒れたテーブル、汚れたクロス、零れた飲み物などを片付け、綺麗な物へと交換していく。


 そして、俺の目の前にテーブルを持ってきてくれたのは、その給仕長本人だった。


「ありがとう。名前は?」

「……答える義務はないです」

「聞く権利はあるだろう?」

「………………」


 鋭い瞳が無言で俺を睨みつける。


「多数決、採ってやろうか? 名前を教えるべきかどうか」

「愚かな真似はやめてください。多数決は神聖な儀式なのですよ」


 何言ってんだよ。

 化かし合いの道具じゃねぇか。


「…………イネスです」


 ぼそっと呟き、俺をもう一睨みしてから銀髪Eカップの給仕長――イネスは、ゲラーシーのもとへと戻っていった。


「ヤシロ様」


 イネスを見送った直後、ナタリアとギルベルタがそっと俺に近付いてきた。


「ナタリアです」

「知ってるけど!?」

「ギルベルタいう、私は」

「だから知ってるから!」


 なに張り合ってんだよ!?


「乳の大きな女性の名前を記憶しておきたい気持ちは重々お察ししますが」

「そういうんじゃないから!」

「デボラいう、二十三区の給仕長は、ちなみに」

「だから、巨乳の名前とか別に集めてねぇから! で、『ちなみに』の場所後ろ過ぎるからな、ギルベルタ!?」


 思いがけず、褐色Dカップ給仕長の名前までゲットしてしまった。

 ゲットしたかったんじゃねぇっつの。


「多数決の感触を知りたくてな」


 生の声というヤツだ。

 領主たちが決めるこの多数決。周りの連中はどう思ってるんだろうと思ったのだ。

 仮に、ここで俺が領主どもを丸め込んで、こっちに都合のいい条件を飲ませたとする。

 その際に、周りの連中が「多数決なんてくだらねぇ」という感情を持っているのであれば、領民たちからの不平不満、突き上げを喰らって領主が日和る可能性がある。

 領民たちの手前、意地でもこちらの条件を飲まない――なんてこともあり得るわけだ。


 だが。

 イネスは言った。「多数決は神聖な儀式」なのだと。

 多数決に対する領民の意識がそういうものであるなら、「多数決で決まったのなら仕方がない」という空気が出来上がることだろう。


 領民の意識が「くだらない」に向いていた場合、「領民のために」「領民が望んでいるのは」「領民を導けるのはお前たち領主だけだ」的な方向へ誘導しようと思っていたのだが、そうでないなら話は簡単だ。

 領民が多数決を神聖なものとして受け取っているのであれば、領主をそそのかしてやるだけでいい。

 目に見える形で損得を突きつけてやればそれでいいのだ。心に訴えかける必要もない。実にドライなビジネスだ。


 こいつは、やりやすいな。


「さて、そろそろ準備は整ったかな?」


 イネスたちの働きによって、会議室内は元通りになっていた。

 さて、まずは小手調べだ。


「確認するが、先程の多数決で、今回の多数決に参加出来ないのはドニスとトレーシー、それからゲラーシーってことでいいな?」

「……ふん」


 ドニスが鼻を鳴らしただけで、他の面々は口を開かなかった。

 お~お~、ゲラーシーが怖い顔で睨んでやがること。

 そう拗ねるなよ。ちゃんとお前の出番も作ってやるから。


 お前には、まだまだ踊ってもらわなきゃいけないからな。


「なぁ、お前ら。『BU』として考えろよ」


 何も言わなかった他の領主へと言葉を向ける。

 二十三区、二十五区、二十六区、二十八区の四領主だ。

 他人事だと油断していると、足をすくわれるぞ。


「議長は、公正な方法により、この俺に決まったわけだが――」


 二十三区領主が分かりやすく眉間にしわを寄せる。


「――お前ら、本当に四人でいいのか?」


 さながら魔王のように両腕を広げてみせる。

 不敵な笑みを浮かべ。


「四人がかりでなら俺に勝てる……本気でそう思っているのか?」


 四対一。

 多数決ならば絶対的に有利な条件だろう。

 だが、俺は議長だ。票を投じる立場ではない。

 場を支配する者だ。


「もう一度聞くぞ、よく考えろ…………お前ら四人で、本当にいいんだな?」


 ゴクリと、二十八区領主が唾を飲み込む。

 手堅く手に入れようとした小さな勝利すら危ういのではないのか? そんな強迫観念に襲われているのだろう。


「古株のドニスに、癇癪姫トレーシー……進行係を務める現リーダーのゲラーシーを欠いて…………『本当に』四人『だけ』で、いいんだな?」


 ところどころ強調してしゃべる。

 特に意味はない。

 おそらく、四人で意見を合わせれば不具合は生じないだろう。

 だが、意味不明な思考回路をした謎の男の正体不明の自信というのは、とにかく恐ろしい。

 まして、いつも場を律していたゲラーシーやドニスを欠いた今、こいつらには寄る辺もないのだ。


 四対一なら絶対勝てる――と、自信を持って言えるヤツは、この中にはいない。

 二十三区領主ですら、ここ一番では言葉を濁す。


 ドニスレベルの頑固ジジイがもう一人いたら、厄介だったろうけどな。


 二十五区の領主が落ち着きなく体を揺すり、ちらちらと隣のドニスを窺い始める。

 よし、引っかかった。


「返事がないってことは大丈夫なんだな。じゃあ、多数決を始めるか」

「あ……っ!」


 二十五区領主が横を向いたタイミングで話をまとめる。と、『思わず』二十五区領主が声を上げた。

 決めかねている時に急に締め切られると、人は思わず声を漏らしてしまうものだ。

 二十五区領主のように、言いたいことがはっきりと言えない優柔不断な男の場合は、特に。


「……なんだ? 何か意見があるのか?」


 しかし、その短い一言を、俺は聞き逃さない。決して逃がさない。

 声を上げてしまったという事実から、二十五区領主は知らんぷりを封じられた。

 全員の視線が集中した中で「なんでもない」とは、言えないだろう。

 もしそんなことを口にすれば、「意見がないのであれば、お前が抜けろ。それで奇数になる」と、言われかねない。それくらいの危機感は、さすがに持っているだろう。……と、信じたい。


「あ、いや……」

「特に意見がないなら、現在四人で偶数だから、あと一人は二十五区の……」

「いや、待ってくれ!」


 俺の言葉を慌てて遮る。

 よかったよかった。一応危機感は持っていたようだ。そこまで救いようのないバカってわけではないみたいだな。


「意見は……ある。ただ、……少し、待ってほしい」


 厳めしい顔で肩を上下させる二十五区領主。

 深呼吸しているのを隠したいのか、随分と細い息で呼吸を繰り返す。……バレてるっつの。


「ぎ……、議長がっ……ごほん。……失礼」


 話し始めた途端声がひっくり返り、二十五区領主は断りを入れてから水を飲む。

 一息ついてから、改めて口を開く。

 一言ずつ確認しながら、ゆっくりと。


「議長が、変わった以上、もう一度仕切り直すのがよいのでは、ないかと……私は思うのだが……み、皆はいかがだろうか?」


 結局、自分の責任にしないために周りに同意を求めてしまった。

 マーゥルのとこに面接に来た若者となんら変わらない。自分の言葉で話し始めた途端、責任の所存を有耶無耶にしようと躍起になる。そして、右に倣うんだろ?


「仕切り直すってのは、ドニスやトレーシーといった個人に言及して、一人一人信用出来るかどうかを話し合って決めていくのではなく、全領主が多数決に参加する形にしてしまおうと、そういうことか?」

「そ、そうだ。我々も暇ではないのでな。これ以上、本題とは違うところで時間を取りたくはないのだよ……みんな」


 最後にちょっと逃げたな、このヘタレ。

 どうせ、一人一人の信任不信任を問う流れになればまた面倒事が起こるのではないかと、それを避けたいと、腰が引けているだけだろうに。


「俺としては、一人一人を前に立たせて、俺とどんな関係があるのか、どんな会話をしたのか、そこら辺を根掘り葉掘り語って聞かせ、その上で信用出来る者だけを参加可能にしようかと、そう思っていたんだがな」

「時間が掛かり過ぎる! それに……そなたの話は耳に障る」


 平民相手には随分な口を利くじゃねぇか。


「ヘタレ領主」

「なんだと!? もう一遍言ってみろ!」

「腰抜け妖怪へなちょっこーん」

「変わってるじゃないか!」

「ムキになるな。アレは、そういう男なのだ」


 隣で、ドニスが二十五区領主を諫めている。

 もう一遍言えっつうから、ちょっとしたアレンジを加えて言ってやっただけなのに。

 知ってるか? 人気商品が再発売する時は、大抵余計なアレンジが加わっているものなんだぜ。「ご好評により、より多くのお客様にお楽しみいただけるように~」とかいう言い訳を笠に着たコストダウン。

 それに乗っかってみただけだ。怒られるようなことは何もしていない。あぁ、していないとも。


「ドニス。お前はそれでいいか?」

「なぜワシに聞く。議長はそなただろう。自分で決めよ」

「そう言うなよ、初心者なんだから。なぁ、ゲラーシー?」

「声をかけるな。不愉快だ」

「じゃあ……サラーシー」

「トレーシーです! さ、さすがに無礼ですよ!」


 いや、どうにもさらしのイメージが……

 そして、一瞬ゲラーシーが「俺のことか?」みたいな微かな反応を見せたことを俺は見逃さなかった。ピクッてしてやんの。ぷーくすくす。


 しかしながら、顔見知りが誰一人助言をくれない。……まぁ、助言したら疑われるって空気を作っておいたからな。当然だ。


 で、困り果てているヤシロ君は、ほんのちょっと投げやりな、「もう、よく分かんねぇなぁ……」みたいな態度で多数決を採ります。

 すると、あら不思議……ヤシロ君の願いが叶っちゃうのです。


 なぜって?


 それは、ここにいる連中がみんな俺よりも『目上』だからだ。

 事実かどうかはともかくとして、連中はそう思っている。

『目下』のヤツが投げやりに起こした行動を、余裕のある『目上』の人間は警戒しない。

 警戒が解けた時、人の心には油断が生まれる。


 はっきりと言っておく。

 人間は、どんな状況に追い込まれても、何度騙されても、どれほど疑心暗鬼にかられていても、わずかな余裕を見つけるとすぐに油断する生き物だ。

 詐欺に遭った直後に「二度と騙されない」と固く誓ったヤツほど、詐欺にはかけやすい。

 バラエティのどっきりに何度も何度も引っかかる芸能人を見て「なんで引っかかるんだ?」と疑問に思うかもしれない。だが、それが人間という生き物なのだ。


 人間は、警戒という緊張状態にそう長い時間耐えることが出来ない。

 もって一時間。ただし、一時間も緊張しっぱなしだと、人間は心身ともに疲れ果ててしまう。正常な思考すら出来ないほどに。

 通常は、ほんの数十分で緊張は途切れる。


 そのきっかけは、警戒していた相手のミスや弱った顔、そして、困っている様子などだ。


 だから、俺がこんな顔をして罠を仕掛けると――


「じゃあもうめんどくせぇから、二十五区の領主が言った通りでいいと思うヤツは手ぇ上げろ」


 ――こうしてまんまと引っかかってくれるわけだ。


 挙手をしたのは四人。

 ドニスとトレーシー、そしてゲラーシーの「現在多数決に参加出来ない三人」を除く全員が手を上げた。


「お前らにも一応聞くけど、どうだ?」


 ドニスたちにも聞いてみると、


「仕切り直しが必要だという意見には賛同出来る」


 と、ゲラーシーが静かに手を上げた。

 それに続いてトレーシーが挙手をし、ドニスだけは手を上げなかった。


「反対か?」

「棄権だ。参加資格が戻るまでは意地でも参加せん」


 意固地なジジイだこと。


「じゃあ、賛成六票、棄権一票ってことで……」


 俺は振り返り、エステラたちと笑みを交わす。


「ここにいる『全領主』九人での多数決を行うものとする!」

「なっ!?」

「待て!」

「どういうことだ!?」

「話が違うぞ!」


 ばたばたと立ち上がり、『BU』の連中が騒ぎ出す。

 トレーシーも盛大に慌てているし、ゲラーシーはもはや顔芸の域に達しそうな怒り顔だ。

 さすがのドニスは「……なるほど、そう来たか」みたいな顔をして座っている。


「『BU』の神聖なる多数決に外周区の領主を参加させるなど、出来るものか!」

「いやいや。お前らが満場一致で決めたんじゃねぇかよ、『全領主参加』って」


 目配せをすると、用意のいいエステラが『会話記録カンバセーション・レコード』を呼び出し、該当する言葉を表示させてくれていた。




『仕切り直すってのは、ドニスやトレーシーといった個人に言及して、一人一人信用出来るかどうかを話し合って決めていくのではなく、全領主が多数決に参加する形にしてしまおうと、そういうことか?』

『そ、そうだ。我々も暇ではないのでな。これ以上、本題とは違うところで時間を取りたくはないのだよ……みんな』



会話記録カンバセーション・レコード』を突きつけ、エステラが二十五区領主を問い詰める。


「『全領主が多数決に参加する形にしてしまおうと、そういうことか?』というヤシロの言葉に対し、あなたは『そうだ』と答えましたね?」

「いや……それは…………そういう意味では」

「答えましたね?」

「…………答えた……だが」

「次に、こちらを見よ」


 二十五区領主に反論を言わせず、今度はルシアが『会話記録カンバセーション・レコード』を展開させて見せつける。




『じゃあもうめんどくせぇから、二十五区の領主が言った通りでいいと思うヤツは手ぇ上げろ』




「そうして、議長の言葉通りに多数決は行われ、賛成多数で可決されたのだ。これのどこに反論の余地があるというのだ……えぇ、『BU』の面々よ?」


 ルシアの言葉に、誰も反論出来なかった。

 たいしたものだ。七人の領主を前にして一歩も引けを取らないその態度。

 今回ばかりは、お前が味方でよかったよ。いてくれるだけでこちらのペースに持ち込みやすい。

 堂々とした人間の言葉っていうのは、それだけで信憑性が増すからな。


「まぁ、そう深く考えるなよ。お前らに不利な提案を俺がしたとしても、七対二で否決出来るじゃねぇか」

「しかし……」


 ゲラーシーがドニスをちらりと見やる。

 先程棄権を選択したドニス。やはり、一人だけ違う行動を取っても痛痒を感じていない様子だ。

 そんなドニスだからこそ、ゲラーシーは危惧しているのだろう。

「裏切るのではないかと」

 もちろん、トレーシーに対しても。


「なぁに。ドニスとトレーシーが裏切ったとしても、まだ五対四だ。そんな悲愴感を漂わせるような状況じゃないだろう。もっとも……お前が裏切れば四対五で逆転だけどな」

「誰が……っ!? ………………ちっ。さっさと始めろ」


『誰が裏切るか』……と、言いかけて、自分もドニスやトレーシーに同じ事を思っていたのだと気付いたのだろう。ゲラーシーは言葉を止めて憎々しげに舌を鳴らして、そっぽを向いた。


 そして、ゲラーシーが反論をやめたことで他の連中も反論しにくい空気になった。

 何かを言ってもオオバヤシロに丸め込まれる。もしくは、余計な一言を浴びせられる。

 誰も、痛くもない腹を探られるのは嫌なものだろう。

 藪を突いて蛇を出さないように大人しくしておく方が吉だ。――と、考えているのだろう。


 それよりも、多数決で結果を出す方が無難で、安全で、確実だ。

 そう思うのが、常識を理解している人間というものだ。


「それじゃあ、始めようか。正々堂々と、楽しい多数決を」


 その場にいる全員が注目する中、俺は高らかに宣言する。

 ここで拍手でも巻き起これば気分も高揚するというものなのだが、生憎とそんな気の利いたヤツはこの場所にはいないようだ。


「エステラ、ルシア。『BU』からの制裁内容は把握しているな?」

「……まぁね」

「私もだ。勝手に送りつけられてきた超大作の手紙に長々と書かれていたからな」


 四十二区、三十五区への制裁内容は、すでに手紙にて告知済みである。

 細かい数字は割愛するが、三十五区には相当な額の、四十二区はそれに輪をかけてあり得ないような額の賠償請求がなされている。


 おいそれと飲むわけにはいかない額だ。

 おそらく、法外な賠償金を突きつけることで、会談の争点を『減額』に向かわせようという魂胆なのだろう。

 ごねればごねるほど賠償金は増額する、制裁は厳しくなると脅しながら、わずかな譲歩で手打ちにしたいと目論んでいるのだ。

 日本の弁護士もよくやる手だ。落としどころを探るって方法だな。


 だが。

 そんな譲歩じゃ納得出来ないのが今回の一件だ。

 なにせ、俺たちには一切の非がない。

 こんなものを飲んじまったら、今後ことあるごとに難癖をつけられてしまう。


 徹底抗戦する。

 エステラとも、その意見で一致している。


「多数決の前に、エステラとルシア、言いたいことがあったら言っていいぞ」

「そのような時間は、『BU』の多数決には設けられていない!」


 ゲラーシーが反論するも、すかさず黙らせる。


「俺が議長だ。私語は慎め。出来ないなら退室してもらっても構わんぞ?」

「……ちっ」

「文句があるなら、俺を議長に選んだヤツに言えよ。お前を含めて七人もいるんだ、誰でもいいぞ。盛大にクレームを浴びせてやれ」

「………………やるならさっさとしろ」


 少しでも有利に事を進めたいなら、仕切り役には逆らわないことだ。

 もし俺が多数決を放棄すると宣言すれば、お前らは多数決すら採れないんだからな?

 理解してないようだけど。


 俺のゲラーシーへの対応を見たからか、ゲラーシーを擁護する者は出てこなかった。追撃はなし。先に進めてもいいということだな。


「じゃあ、エステラから」

「うん」


 会議室中央に、『BU』の七領主に向かい合う形で置かれた俺のテーブル。

 そこから退くと、代わってエステラがその位置へと立つ。

 七領主に向かって、言いたいことを告げる。


「穏便に済ませたいのであれば、今回の件からは速やかに手を引かなければいけないことを自覚するべきだ」


 室内がざわつく。


「こちらは、これ以上時間を浪費するつもりも、そちらの無謀で無恥な挑発行為を見過ごすつもりも持ち合わせてはいない。もし今後、今以上の妄言を垂れ流すようなことがあれば、この曖昧で薄い繋がりで辛うじて生きながらえている愚かな組織が雲散霧消する覚悟を各人が心に刻む必要が出てくるだろう」

「貴様、どういうつもりだ!?」


 立ち上がったゲラーシーに、エステラは静かな声で対応する。


「何が、でしょうか?」

「その口の利き方はなんだ!? あまりに無礼ではないか!」

「へぇ~……」


 そして、小憎たらしい笑みを浮かべてイヤミを吐き出す。


「では、会談の始めにボクたちに対して行った不遜な態度が無礼であるという自覚は持っているんですね。ならアレはわざとですか? 無礼などと、どの口が言っているんだい?」

「貴様……っ!」


 あぁ、そうそう。

 エステラってこういうヤツだったよな。

 最初の頃はずっとこんな感じで俺にイヤミ言ってたっけ。

 懐かしいわ、なんだか。


 しかし、俺のような心にゆとりのあるイケてる紳士ならばともかく、ゲラーシーのように目先のことでいっぱいいっぱいの小物にはそのイヤミを受け流す余裕などなく、直撃すればえげつない威力を発揮してしまう。


「思い上がるな! 外周区ごときの領主が我ら『BU』の領主と肩を並べられるなどと考えるな! 思い上がりも甚だしいわ!」


 特に、自分自身で「負けている」自覚のあるヤツは、こうやってすぐにムキになる。


「なるほど……」


 涼やかな瞳でゲラーシーを見据え、エステラがぽつりと呟く。


「宣戦布告として受け取っておくよ。――君には容赦しない」


 それだけ言って、エステラはルシアに席を譲る。

 まだ言うべきことは残っているのだが、一旦下がるようだ。


『てめぇ、俺にケンカ売って後悔すんじゃねぇぞ』ってのをゲラーシー口調で言えとだけ伝えておいたのだが――ノリノリだったな、エステラ。

 エステラも相当腹に据えかねていたんだな。

 俺が指示したセリフに、かなりのアレンジを加えてきやがった。


 続いてルシアが七領主の前に立つ。

 こいつには簡潔に、上から目線で挑発するように言っておいたのだが――


「悪いことは言わん。さっさと謝るがよいぞ」


 ――簡潔過ぎだな。ある意味見事だよ。この短さでしっかりイラッとさせやがった。


「くだらない! 聞くだけ時間の無駄だ! 議長よ、さっさと多数決を採れ!」


 あおり耐性皆無のゲラーシーが限界を迎えて喚き散らす。

 ドニスはそんなゲラーシーを苦い顔で見ている。あからさまに足を引っ張っているからな、こいつは。


「聞かなくていいのか?」

「構わん!」

「多数決せずにお前が決めるのか?」

「これ以上の茶番は御免だ! みんなそう思っていることだろう! なぁ!?」


 ゲラーシーが周りの領主に声をかけるが、返事は一つもなかった。


「ほぅらみろ。これが我々の総意だ」


 無言を都合のいいように解釈してふんぞり返るゲラーシー。

 じゃあ黙っておくとしよう。

 お前の行動を見て、ドニスとトレーシーがそっぽを向いたことを。

 他の領主も、この件にはノータッチを決め込むつもりだってことを。

 万が一の際は全責任をゲラーシーにおっ被せるつもりだってことを。


「もっと重要な話があったんだけど……残念ですね、ルシアさん」

「あぁ。聞いておけばよかったと後悔するような話がな」


 エステラとルシアの会話を、ゲラーシーがテーブルを殴る音で遮る。

 そろそろゲラーシーの血管が切れそうなので、多数決に移ることにする。



 ……あ~ぁ。可哀想に。



「では、今回の一件に関し、きっちりと制裁を科し、賠償金を要求するべきだと思うものは挙手を」


 俺の言葉に、五人の領主が手を上げる。

 ドニスと、トレーシー以外の五人だ。


 ただし、トレーシーは中途半端な位置まで手を持ち上げ、上げるかどうしようかを考えあぐねている様子だった。


「トレーシー。お前どっちなんだよ、それ? はっきりしろよ」

「……分かって、います…………が」

「お前の利益になるように考えればいいんじゃないか?」


 そう言ってやると、ハッとした顔をして……トレーシーは手を上げた。

 これで、賛成が六票。


「ふん! やはり寝返ったか、ドニス・ドナーティ! 分かりきっていたこととは言え、貴公がそのような態度に出るのであれば、通行税や豆の税収の再分配、または撤廃も考えなければいけないな!」

「早計だな、お漏らし小僧。別にワシは反対だとは言っておらん」

「また棄権する気か!? 真面目に参加する気がないなら、今すぐこの場から立ち去るがよいぞ!」

「それを決めるのは、貴様ではなく議長だろう? ん?」

「………………老いぼれめ」


 憎々しげにゲラーシーが吐き捨てる。

 その罵声を軽やかにスルー……しないのが、ドニスなんだよな。


「しかし、税収の撤廃という案は面白いな。やれるものならやってみよ。こちらも好き勝手にさせてもらうぞ」


 大豆の利益は『BU』の一翼を担う大きなものだ。ドニスを敵に回せば、『BU』の存亡に関わる。

 ドニスの言うとおり、早計だったな、ゲラーシー。勝算もなくケンカを売っていい相手ではないぞ、あの一本毛は。


 おそらく、あいつは気付いているんだ。

 俺が、……この結果を待ち望んでいたことを。

 制裁を科すが、賛成多数で可決されることを、手ぐすね引いて待ち構えていたことを。


「賛成多数、か……」


 分かりやすく落胆してみせると、ゲラーシーが嬉しそうな顔をしていた。

 アレがロレッタなら、いじり甲斐のある可愛らしさもあるってもんだが……ゲラーシーだと、ただただ哀れだな。


「じゃあ、エステラにルシア。『例の件』は発動ってことでいいか?」

「仕方ないだろうね」

「あぁ。折角の機会を自らの手で潰したのだ、あとになって文句も言えまい」


 勝利の余韻に浸っていた領主たちの顔に緊張が走る。

 緩みかけていた空気が再び張り詰める。


「では早速、明日から発動ということで手配を始めるとするか」

「ボクの方も、すぐに工事に掛かりたいと思います」


 それぞれの給仕を呼び、差し出された紙に何かを書き始めるエステラとルシア。

 状況が飲み込めずに固唾を飲んでいる七領主たちに、俺は手向けの言葉を贈っておく。


「忠告しようとはしたんだぞ。こいつら、今回の会談に命がけで挑んでいるから、冗談や酔狂じゃないんだって。でも……お前らが話を聞かねぇんだもん。しょうがねぇよな」


 トンッ――と、紙の束を机に打ちつけ、エステラとルシア、それぞれが給仕長に書類の束を手渡す。

 そして、一切の感情を感じさせない事務的な声で通告する。


「そちらが不当な制裁を科すという結論を出されたので、こちらも報復措置を執ることにしました。内容は……あっと、話してはいけないんでしたっけ? では、後日文書でお知らせいたします。あぁ、大丈夫です。そちらに何かをしていただくつもりはありませんので」

「いかにも。我々で勝手にやることだ。そなたらはただ、『気にしなければいい』」


 ざわつく室内。

 領主のみならず、部屋を守る兵士や、冷静でいなければいけない給仕長たちもが息を飲んだ。


「じゃあ、帰ろうか。ヤシロ」

「うむ。交渉は決裂だ。実に惜しい……が、致し方ない」

「待て!」


 待ったをかけたのは、やはりゲラーシーだった。

 立ち上がり、退席しようと席を立ったエステラとルシアを呼び止める。

 呼び止めざるを得ないよな、両サイドから、仲間であるはずの領主たちにそんな圧力を掛けられちゃ。


 無言なのにひしひし伝わってくるぜ。

「お前が話をさせなかったのだから、責任を取れ」って感情がな。


「報復とは、なんのことだ?」

「…………話しても?」

「話せと言っている!」

「…………」


 エンジンのかかったエステラは生き生きしている。

「は? お前が命令出来る立場だと思ってんのか?」みたいな顔をして無言を貫いている。……怖~ぃ。敵に回したくな~い。


「先程はゲラーシーが無礼を働いた」


 しゃべり出したのはドニスだ。

 さっきの多数決で、賛成に手を上げなかったドニスだけが、今発言する権利を持っている。

 やっぱドニスは手強いな。よく先が見えているぜ。

 こんなにも分かりやすい罠なら、見破って警戒しちまうんだもんな。


「そなたら二人の言葉、自暴自棄とも売り言葉に買い言葉の浅はかな放言とも思えない。願わくは、そなたらの言う報復の内容をお聞かせ願いたい」


 ドニスが謝罪を述べる。

 だが、その謝罪はゲラーシーの非礼に対するものだ。

 つまり、ドニスはゲラーシーの代わりに謝ったということになり、泥を被ったのはゲラーシーだ。ドニスはノーダメージ。

「ごめんなさいねぇ、ウチのバカが……」という謝り方をするおばちゃんみたいなもんだ。「私は悪くないんだけど、このバカの代わりに謝っておくわね」ってヤツだ。


 ドニスにそうまで言われて、ゲラーシーが顔を真っ赤にしている。

 だが、反論など出来るはずもない。

 全責任はゲラーシーへ。


「では、お話いたしましょう」

「DDに免じてな」


 あくまで、「話してやる」という態度で、エステラとルシアが七領主の前に並び立つ。

 そして、今さっき、この場でサインしたいくつもの書類の束を持って、その書類の内容を告げる。


「これは、関係各所への許可証です」

「これを送付すれば、報復は行われ、二度とは止まることがない」


 GOサインってヤツだ。

 あの許可証を待ち構えてるヤツらが何人もいるんだぜ。とりわけ、四十二区の社畜どもが今か今かとな。


「もし、四十二区へ不当な制裁が加えられるようなことがあれば……」


 七領主の視線を一身に受けて、エステラが真剣な表情で言う。

 一切の冗談も、容赦も含まずに、きっぱりと。


「崖を崩して三十区への通路を建設する」

「「なっ!?」」


 声を上げたのは二十三区とゲラーシーだった。


 オールブルームで最も大きな街門を持つ三十区。

 そこから街へ入った人間は、二十三区か二十九区を通って街へと入ることになる。四十二区のような崖の下の外周区へ行くにも、一度『BU』を通過する者がほとんどだ。

 それを、横取りする。


「金銭的に苦労が絶えなくなるだろうからね。通行税なしの道を作って、少しでも物流を確保しようと思うんだ。多少は流れてきてくれるだろう」

「そ、そんな無茶がまかり通ると思っておるのか!?」


 青筋を立てて怒鳴っているのは二十三区の領主だ。

 これまでほぼ独占状態にあった通行税が分散する。致命傷とはなり得ないが、痛手は負う。

 まして、ゲラーシーのアホがドニスと揉めたせいで、通行税とマメの利権を見直そうという話が出かねない状況だ。

 ここでのマイナスがどんな不利益を生み出してしまうのか、想像もつかない。


「無茶を押し通したのはそちらでしょう? 花火で雨が降らなくなった? ……もし、本気でそう信じている人がいるなら、今ここで宣言してもらえますか? 精霊神様に誓って」


「精霊神に誓って」というのは、「嘘ならカエルにするぞ」よりも少し強い語調の脅しだ。嘘であるはずがないのだから『精霊の審判』を拒否することもないよな? ってことだからな。


 無論。誰も口を開かない。

 無理筋だってことは誰もが知っているのだ。

 ただ、それを貴族間の忌まわしい習わしに則り、遠回しな圧力と共に「証明してみせろ」と無理問答をしているだけで。


「狩猟ギルドや木こりギルドも、通行税を払わずに外へ輸出出来るようになれば利益が上がるだろうからね。相談したら乗り気だったよ」

「そ、そんなもの……認められない」


 ゲラーシーが呟くように言う。

 随分と腰が引けている。通行税ってのは、それくらい旨みがあるわけだ。


 だが、これだけじゃないぞ。こっちが用意している報復は。


「三十五区によからぬ企てをするのであれば、我が港で水揚げされたすべての物に税を課すことになる。輸出される物に税が課され、『BU』に入る際も税が課される。行商ギルドはどう動くだろうな?」

「こ、困りますぞ、そのようなことをされては!」


 二十五区の領主が顔面蒼白で立ち上がる。

 釣られるように、二十六区の領主も起立した。


「か、加工品は、関係ないのであろう? 水揚げされた後に、加工されているのだから!」

「三十六区へ移動する際も、大量の税を取るつもりだ。自ずと、生産量は激減するだろうな」

「バカな……っ! 中央区への輸出はどうするおつもりか!? 海産物の加工品を必要としているのは、外周区の者だけではないのですぞ!」

「知ったことか。我が区は、不当に与えられた損失を埋めるためにそのような措置を取らざるを得ないだけだ。あとは各々の区で領主が考えればいい」


 三十五区の港が使えなくなれば、隣接する二十五区、海産物の加工品の流通に頼る二十六区には相当な痛手となる。

 二十五区領主は、ドニスの顔色なんか気にしている暇もないし、二十六区領主にしてみれば、日和見主義を貫いてはいられないほどの大打撃となること間違いなしだ。


 ただし、三十五区が港に制限をかければ、もう一つの港、三十七区が潤うことになる。

 そして、その三十七区に隣接する二十七区も。


「私としては、むしろ喜ばしいことですね」


 トレーシーが悠然と言ってのける。

 これまで二十五区が得ていた利益を、丸々奪い取るチャンスなのだ。

 さぁ、トレーシー。自分たちの利益のために動くんだ。いいな? 自分の利益だけを考えろ。


「し、しかし……三十七区の港であれば、加工業の老舗である三十六区へ材料が集まり、我が二十六区への流通は確保されるか…………」


 ぶつぶつと、脳内シミュレーションの模様を口から漏らす二十六区領主。

 年を取るといろいろなところのしまりが悪くなるのか、自分が独り言を言っている自覚はなさそうだ。

 ドニスの方がジジイだってのに、しまりのねぇジーサンだ。


「あぁ、そうそう。四十二区にも港を作るから」

「「えっ!?」」


 ぬか喜びをしていた二十六区領主とトレーシーの顔が強張る。

 港の利益を甘受出来ると思っていたところへ、明後日の方向からの牽制だ。思考が止まるのも無理はない。


「海漁ギルドにも許可を取って、木こりギルドと狩猟ギルド全面協力の元、四十二区に港を作ることにしたんだ。水路も調査して、早ければ年内にも稼働出来る計算だよ」

「ちょっ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください、エステラ様!」


 すがるように、トレーシーがエステラへと駆け寄ってくる。


「港を……四十二区に?」

「そうだよ」

「…………本当、ですか?」

「もちろん」

「で、でもっ! 三十区への別ルートが出来て、木こりギルドや狩猟ギルドのみならず、海漁ギルドまでもが四十二区を通るルートを選択したら…………」


 これまでは、崖があるために大きく迂回していた流通ルートが、オールブルームの下半分だけで回り始めてしまう。

 迂回ルートの先に存在していた二十七区の収入は激減する。

 四十二区に集まった食材や部材は、外周区に回すよりも、外からの行商人に売った方が儲けが出るからだ。


「四十区以北の区は、流通が滞ってしまいます。そんなことになったら……」

「トレーシーさん」


 恐ろしい未来を想像して青くなるトレーシーの肩に、エステラが優しく手を添える。

 それだけで少しほっとした表情を見せるトレーシー。

 まさか、次に来る言葉がこんなものだとは想像もしていなかっただろう。


「知らないよ、そんなこと」


 完全に突き放す言葉。

 エステラの浮かべている笑みにははっきりと、「だって、あなたは敵でしょ?」と書かれている。

 これは、トレーシーにはかなりきつい。


 もちろん、流通網が滅茶苦茶にされて困るのはトレーシーだけではない。


 二十六区も、二十三区も、二十九区もだ。

 二十七区のおこぼれで肉や木材の流通の中継地点となっていた二十八区にも、多少は影響が出るかもしれない。


 つまり、四十二区や三十五区に制裁を加えると、利益を失うのは『BU』の方なのだ。

 当然それは、四十二区、三十五区にとっても諸刃の剣だ。

 三十五区は港からの利益が激減するし、四十二区に至っては、三十区をはじめ、ありとあらゆる区から敵対視されかねない危険をはらんでいる。


 だが。


 それでもいいと、そうなったとしても『BU』をぶっ潰すと、俺たちは結論付けたのだ。

 このチキンレース、先に音を上げるのは間違いなく『BU』だ。

 骨を切らせて心臓を握り潰す。

 そういう戦法なのだ。


「ただの脅しではありませんよ。なんなら、この書類に目を通してもらっても構いません」


 エステラとルシアが、手に持っていた紙束をテーブルへと置く。

 それは正真正銘、工事の許可証や、新制度の導入を許可する書類だ。

 これを交付すれば、今エステラとルシアが言ったことはすべて実現される。領主のサインを、今この場で入れたのだ。嘘偽りはない。


「死なばもろとも……ではないですよ?」

「あぁ、そうだな。貴様らが死に絶えるのを見届けた後で死んでやる」


 エステラもルシアも本気だ。

 それだけの覚悟を見せつける。


 流通に頼りきっていた『BU』の連中が焦り始める。

 だが、そんな中でほくそ笑んでいるヤツもいる。


 例えば……ドニスだ。


「通行税が従来よりも入らなくなるというのであれば、豆の利益も『BU』へは還元出来んな」

「なっ!? う、裏切るのか、ドニス・ドナーティ!」


 変な汗を浮かべるゲラーシー。

 ドニスの言葉に食らいつくが、まるで縋りついているような悲愴感が滲み出している。

 ここでドニスに見捨てられ、大豆の利益がなくなれば、本当に『BU』は崩壊してしまうだろう。


 だが、ゲラーシーの顔を一瞥して、ドニスは鼻を鳴らした。


「ふん! 裏切るなどという言葉を、貴様からは聞きたくもないわ。ワシやミズ・マッカリーを排除しようと画策し、相互利益を見直すとまで言い出したのは他ならぬ貴様ではないか! 今さら、どの面を下げて人を裏切り者扱いしておるのか」

「……ぐぅっ」


 唇を噛み、視線を下げるゲラーシー。

 完全に言い負かされたようだ。反論は出来ない。


「まぁ、落ち着け、ミスター・エーリン」


 落ち込むゲラーシーに、二十三区領主が声をかける。


「よいではないか。制裁を科せば」

「しかし……!」

「四十二区に港が出来れば、そこからの流通が新たに生まれる。我らの通行税を奪う三十区からの通路が、逆に海からの流通を運び込んでくれる」

「……あ」

「ならば、プラスマイナスゼロ……と考えることも可能であろう」

「…………なるほど」


 ゲラーシーの顔に、微かにだが血の気が戻ってくる。

 利益を奪う抜け道が、新たな利益を生み出す可能性。そこに気付くあたり、さすが二十三区領主だ。

 そこまで思い至れば……及第点だな。

 ようやく、俺の相手になれるってレベルだ。ゲラーシーは落第だ。精々、周りの領主の意見に耳を傾けて自分の居場所を探るんだな。


「うるさいですね」

「あぁ、見苦しいものだ」


 騒ぐ領主たちを眺めて、エステラとルシアが『聞こえるように』呟く。

 はは。俺がやらせていることとはいえ……お前ら、こういうの実は好きだろ?


 エステラとルシアの反撃によって、会議室内は騒然となっている。

 各々が、各々の立ち位置を再確認しているのだろう。



 二十三区と二十九区は、三十区と四十二区を繋ぐ新しい通路が出来ると損害を被るが、四十二区に港が出来ると利益はトントンに持ち込める。

 いや、海産物や木材、狩猟ギルドの肉などを考慮すれば、利益は上がるかもしれない。


 二十四区。ドニスは、流通が大打撃を受けると『BU』内の「通行税を振り分ける見返りに豆の利益を分配」というルールが崩れるので、自区で好きなだけ大豆が作れて利益は拡大する。


 この三区は、四十二区と三十五区に制裁を科すとメリットが得られる。


 逆に、二十五区と二十六区は、三十五区の港にかなり寄りかかった経済体質のために、三十五区を怒らせるわけにはいかない。三十五区の港が禁止されると死活問題になる。

 四十二区に港が出来ようが、三十五区の港が健在であれば、メインの港としての機能は維持出来る。

 よって、この二区は三十五区に制裁を科したくない。


 さらに面白いのが、二十七区。トレーシーのところは、三十五区が港を禁止すると、そばにある三十七区の港が活性化するのでメリットが大きくなるのだ。

 ただし、四十二区が港を作り、三十区へ抜ける道が出来てしまうと流通網から弾き出されてしまうため、四十二区には制裁を科したくない。


 同様に、崖の下の外周区からの流通のおこぼれで生きている二十八区も、二十七区と運命を共にしていると言える。



 さて、そろそろいいか。


 俺は大きく手を打ち鳴らし、全員の注目を集める。

 シンキングタイムは終了だ。もう十分考えただろう?


「多数決を行う」


 空気が凍る。

 まだ状況を理解しきれていない者も何人かいるので、親切な俺は説明をしてやる。


「先ほどの多数決で『制裁を科す』というのは決まっている。だから、次は『どこに制裁を科すか』を決めたいと思う」


 室内にざわめきが起こる。

 わずかに期待を含んだ、緊張の声が漏れる。


 誰もが明確な答えを持っている。

 ヤツらはただ待っているのだ。自分に都合のいい選択肢が述べられるのを。


「順番に行くぜ……」


 ゆっくりと言って、一つ目の選択肢を提示する。


「三十五区と四十二区、両方に制裁を科すべきだと思う者」


 ゲラーシーとドニス、そして二十三区領主が手を上げる。


「では、三十五区にのみ制裁を科すべきだと思う者」


 エステラが真っ先に手を上げ、やや遅れてトレーシーと二十八区の領主が手を上げる。


「四十二区にのみ制裁を科すべきだと思う者」


 二十五区と二十六区の領主が食い気味に手を上げ、最後に堂々とルシアが手を上げる。



「…………え?」



 その声が誰のものだったのかは分からない。

 だが、その声が意味するところは、七領主すべての心境を表しているのだろう。


 分かりやすく紙に書いてやる。




 三十五区と四十二区両方に科す 三票

 三十五区にのみ科す 三票

 四十二区にのみ科す 三票




「………………同票……だと」


 多数決において、あってはいけない現象を目の当たりにして、ゲラーシーが声を漏らす

 その言葉もまた、七領主すべての心境を表しているのだろう。



 さぁ、どうする?

 神聖なる多数決が、崩壊しちまったぜ。






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