242話 群れを統率する者

 ゲラーシーの立ち位置が明確に変わった。

 余裕がなくなっているのだろう、額に汗が浮かんでいる。

『BU』は群れであることでアドバンテージを得ている。

 群れから放り出されたら、こんなもんだ。


「まさか、こんなことになるなんてな」


 ぽつりと呟いた俺を、ゲラーシーが鬼のような目で睨んできた。


「多数決が否決されるなんてことがあるんだな」


 呆けたように言ってやる。

 少々白々しいか?


 ゲラーシーは今、他の領主から疑念を抱かれている。

 俺をこの場へ引き込み、何かを企んでいるのではないか。

 もっと俗っぽい言い方をすれば、自分たちを出し抜いて一人で儲けるつもりなんじゃないか、とな。


 一人勝ちしている(と、思われている)ヤツが、自分たちの意見も聞かずに「じゃあ、多数決やるぞ」と独断で決めたりしたら、そりゃ反発もしたくなるわ。

 むしろ「そうやって都合のいいように事を運ぼうとしてるんだろ」くらい思われても仕方がない。


 そう思われるように仕組んだのだから。


 組織を内側から引っかき回すなんて簡単なんだよ。

 特に、テメェの利益のためだけにつるんでいるような、表面だけの同盟なんかはな。


 たった一言で、信頼ってやつが一気に崩れ去ることだってある。

 そして、俺は今、その『たった一言』を隠し持っている。

 かつて、袖にナイフを仕込んでいたギミックの改良版。その中にな。


 言葉の力も凄いが、文字の力ってのは格別な破壊力がある。

 それを出すのはもう少し後になるだろうが。


「……多数決が出来ないってことは、俺を追い出すことも出来ないってわけだ。なら、もう少しいさせてもらうかな」


 ゆっくりと、端から順に各領主の顔を見ていく。

 目が合っても、誰も反論しなかった。

 反論がゼロってことは、俺はここにいてもいいってわけだ。


「まぁ、来ちまったもんはしょうがねぇよな。仲良くやろうぜ」


 俺の軽口に苛立たしげな息を漏らしたヤツがいた。

 本心では俺に消えてほしいのかもしれない。

 だが、俺をここから追い出すと、自分がここにいる間に裏で何かやられるかもしれない。そんな心理が働いているのだ。


 なので、『デキる領主様』だけが気付けるようなさりげなさで、不快感を表情に浮かべる。ほんの一瞬。

「ちっ、上手くいかねぇな」的な表情を。


 たったそれだけのことで、ほくそ笑んだ領主が二人もいた。

 あれは、二十八区と二十五区か。ドニスより数段落ちる領主だな。素直過ぎる。


 まぁ、素直さで言えば、ゲラーシーも負けていないけれど。


「どうするゲラーシー? 多数決、出来なくなっちまったぞ」

「誰の責任だと思っている……っ?」


 奥歯を噛み締めて言うゲラーシーだが、責任があるとすれば、信用のないお前の責任だろう。


「『多数決を採るか』の多数決を採るか?」


 それが一番公平だろうという皮肉を込めて。


 しかし、結局多数決は採られない。

 しばしの間、重く嫌な沈黙が流れる。

 各々が何かを考え、けれど何も言えない状況が続く。


 言いたいことは腐るほどあるんだろうが、状況がどう転ぶか分からないために下手なことが言えないでいるようだ。

 ゲラーシーも口を開かない。

 守りに徹したって、災難は過ぎ去ってくれなどしないというのに。


「しかし、疎まれているのかと思いきや、まさかの歓迎に驚いているよ。ありがとうな、受け入れてくれて」


 各領主をさらっと見渡して言ってやる。

 損をしたくないから下手なことはしない。

 責任を負いたくないから率先して発言はしない。

 そんな思考にとらわれちまった領主たちが、厳めしい顔つきで口を引き結んでいる。

 やり場のない怒りは、自然とゲラーシーへ向けられる。


 ゲラーシーVS『BU』。

 そんな構図ではあるが、それではまだ足りない。

 まだ群れでいようとしている連中をばらけさせ、『BU』を分解させる。

 本当に『公平』な多数決を採るためにな。


 そのために、もうひと押ししてやる。


「てっきり門前払いされるかと思っていたんだけどな」

「――っ!? そうだ!」


 はっとした顔をして、ゲラーシーがトレーシーの座る席の方へと振り返る。


「関所はどうした!? 監視をきちんとしていたのか!? そもそも、なぜこの男が二十九区の中に入ってこられたのだ!?」


 ここぞとばかりに、全力で責任を自分から逸らす。

 自分以外なら誰でもいい。そんな思いが滲み出している。


「ミズ・マッカリー! 外周区の人間が『BU』へ入るには、貴女の二十七区を通ることが多いはずだ。きちんと見張りを立てていたのか!?」

「聞き捨てならんぞ、ミスター・エーリン! 貴公は自分の非を他人に押しつけようというのか!?」

「非だと? 私のどこに非があるというのだ! そもそも貴女は、四十二区とは懇意にしていたではないか! 見張りは立たせていたが、お目こぼしがあったのではないのか?」

「無礼にもほどがあるぞ、エーリン!」


 トレーシーが立ち上がり、癇癪姫の名に恥じない大声で怒鳴り立てる。

 放っておいたら掴みかかりそうな勢いだ。


 なので、ルシアへと視線を向ける。

 もう少し引っ掻き回してもらうために。


 そして、ルシアは視線だけでこちらの要求を理解してくれる。

 さすがだ。


「エステラと私は、今朝三十五区で合流し、ともにここへやって来たのだが?」


 それは、エステラが二十七区を通っていないということの証明でしかなく、『オオバヤシロがどの区から入ったのか』という話からは完全に話が逸れているのだが……この荒みきった空気の中では、そんな細かいことを気にする者などいない。

 まぁ、ドニスあたりは気付いているかもしれないが、ドニスが気付いたところでこちらに不都合はない。…………お前にも付き合ってもらうぜ、ドニス。


「三十五区から来たのであれば、通ったのは二十五区の関所であろう」


 トレーシーがゲラーシーを睨みつけながら言う。

 自身の潔白を証明すると同時に、ゲラーシーの不敬を糾弾するように。


 慌てたのは二十五区の領主だ。


「ま、待っていただきたい! 我が区の関所は監視を強化し、一人一人の顔を確認までしていた! 見落としなどあり得ない!」

「だが、三十五区と隣接しているのは二十五区ではないか」


 嫌疑を晴らす好機とばかりに、トレーシーは攻勢をかける。

 手紙で伝えたとおり、『自区の利益』のために行動をしている。

 いいぞ、トレーシー。


 お前の追及が、ドニスを巻き込んでくれる。


「隣接していようと、少し回り道をすれば他の区からでも入れるであろうに! そ、そうだ! ド、ドナーティ殿は、つい先日四十二区と親睦を深めておられたそうではないか」

「それが、なんだというのだ? ん?」

「で、でで、で、あるからして! お目こぼしをしたと言うのであれば、我が二十五区ではなく、に、にに、二十四区が怪しいのではないかっ!?」


 ドニスの低い声にビビりながらも、言いたいことを言い切り、二十五区の領主はドニスに背を向けるように視線を逸らす。体ごと逸らしている。

 汗が尋常じゃない。そんなに怖いのか、あの一本毛が。


「いつまでくだらぬ言い争いをしているつもりか!?」


 テーブルを叩き、声を荒らげたのは二十三区の領主だった。

 溜まりに溜まったストレスが爆発したようだ。


「その者を招き入れたのがミズ・エーリンであるならば、関所で止めることは不可能」

「そ、そうであるな! エーリン家のみならず、『BU』の領主の馬車は検問する必要はないと兵にも申してある。そこを突かれたのであれば、こちらも対処のしようがないというもの!」


 二十三区領主の言葉に、二十五区領主が全力で乗っかる。

 悪いのは、エーリン家の馬車を悪用したマーゥル――ひいては、それを見過ごしたゲラーシーという論調だ。


「そんなことよりも」


 大きく手を二回鳴らし、二十八区の領主が口を開く。

 色白で髪の長い、陰気な霊媒師みたいな男だ。


「当初の予定通り多数決を行い、予定通りの結末を迎えましょうぞ」


 線の細い声でそう訴える。

 ゲラーシーは怪しいが、まずは確約された成功を得たいと、そういうタイプのようだ。

 仲間内で争うよりも、予定調和の多数決でさっさと四十二区と三十五区から罰金をせしめたい。そんな思いからの発言だろう。


 一見すれば堅実で慎重に見えるが、見方を変えれば融通が利かない愚鈍な人物とも見て取れる。

 大きな賭けには出ない。小さくても確実な勝ちを。

 負けないための戦い方だ。

 だが、それは時としてたった一つの活路を見逃し、じり貧になってしまう危険をはらんだ生き方だ。


 二十八区といえば、崖のせいで外周区に隣接していても直接行き来出来るわけでもなく、担当の豆も小豆と、大豆に比べれば利益は小ぶりだ。

 自己主張して我を通すよりも、『BU』にいて保護されている方が旨みがあるのだろう。


 そして、もう一人。

 さっきからずっと黙ったままなのが二十六区の領主だ。

 小柄で総白髪なオッサンだが、おそらくドニスよりかは若い。五十代半ばごろに見える。


「どう、思われますかな?」


 二十八区の領主が、そんな無口な二十六区の領主に話を振る。

 苛立っているドニスやトレーシーには関わりたくないだろうし、二十三区の領主も不機嫌で、ゲラーシーは怪しい。そして二十五区の領主はドニスにビビッて発言も出来ないだろう。となれば自然と二十六区の領主に話を振るしかない。

 無難なヤツだな、二十八区領主。


 で、話を振られた無口なオッサンの返事はというと……


「ふむ。多数決を採った方がよいかもしれんし……採らない方がよいかもしれんな」


 有耶無耶にしやがった。

 ザ・日和見主義だ。

 二十六区は、海産物の加工を主産業としている三十六区と隣接しており、そこからの流通が主な収入となっている。

 担当の豆はカカオ。これも、一部では使うがその消費量は多いとは言えない。小豆よりやや落ちるかもしれない。砂糖が高いからな。チョコレートやココアもそう易々とは作れないのだ。


 通行税トップの二十三区ほどの流通はなく、海産物の本場三十五区と隣接するでもなく、三十五区の恩恵を受ける三十六区からの流通で生き永らえ、豆も大豆ほどの売り上げもなく、かといってかつてのソラマメや落花生のように大量に残ってしまうような物でもない。


 要するに、良くも悪くも中途半端な位置にいるのだ。

 現状維持が最も好ましく、波風を立てたくない。それが二十六区の本音だろう。


「貴公らがそうするというのであれば、私は反論をするつもりはない」


 そういうスタンスなようだ。


「ならば、当初の予定通り。ね! それでいきましょうぞ!」


 二十八区の領主が訴える。

 どうあっても勝ちが欲しいらしい。


 これで、全領主の性質が確認出来た。

 概ね、事前にマーゥルから聞いていた性格と一致する。


 最大の通行税収入により、ゲラーシーの悪あがきを「茶番だ」と切り捨てるほどの威厳と発言力を持つ二十三区領主。

 大豆の莫大な利益を持つ『BU』最高齢の重鎮、一本毛のドニス。

 そんなドニスが怖くて仕方ない、腰抜けの二十五区領主。

 ザ・日和見主義、現状維持を望む二十六区領主。

 最年少ながら、怒りによる爆発が恐れられている隠れ巨乳トレーシー。

 大きな勝負には出ず、目先の小さな利益にがっつく二十八区領主。

 そして、現在信用を一気に失いかけている不遜な男、ゲラーシー。


 その面々が、二十八区領主の「とりあえず多数決を採ろう」という提案に乗ろうとしている。

 ゲラーシーも不服そうではあるが、その意見を汲むつもりのようだ。


「では、これより多数決を――」

「なぁ、その多数決ってさ」


 ゲラーシーの発言を遮ってやる。

 苛立たし気な目が俺を睨む。複数。

 あぁそうだ。睨め。憎め。


 俺を憎めば憎むほど、お前らは分裂していく。


「ドニスとトレーシーも参加するのか?」

「なっ!?」

「……それはどういう意味だ、ヤシぴ……オオバヤシロ」


 トレーシーとドニスが俺の言葉に反応を見せる。

 つか、一瞬『ヤシぴっぴ』って言おうとしてんじゃねぇよ、ドニス。


「いや、なに。前に会った時に、『ドニスとトレーシーは怪しいから外す~』とかなんとか言ってたからよ、どうなのかぁ~って」

「ふざけるのも大概にしてもらいたい、オオバヤシロさ……いや、オオバヤシロ」


 トレーシーもさん付けが出そうになったが、なんとか思い留まった。そうだな。ここでさん付けはしない方がいいだろうな、いろいろと。


「『BU』は七領主揃って多数決を採るのがかねてからのしきたり。二人を省いて五人でなどと……そもそもが暴論なのだ」


 トレーシーはそう言うが、周りの連中はどう思っているかな。


「だが、二人減れば利益は上がる。当然、疑わしいヤツにおこぼれは回ってこない」

「何がしたいのだ、オオバヤシロ? ワシらをのけ者にしようと画策する理由はなんだ?」

「画策なんかしてねぇよ。ただの純粋な疑問さ」


 ドニスが分かりやすく敵意を向けてくる。

 なので、それを受け流すように視線を日和見主義の二十六区の領主へと向ける。


「あんたはどう思う? あの二人を、仲間として信用出来るか?」

「…………出来るかどうかは……個々人が決めればいいことだ」

「だから、『あんたは』どうなんだ?」

「…………難しいな。出来るやもしれんし、また、そうでないやもしれん」

「なんだとっ、それはどういう意味だ!?」

「『そうでない』とは聞き捨てならんな」


 癇癪姫トレーシーとドニスが立ち上がる。

 だが、二十六区領主は動じず「すべては個々人が決めること」と、言い放った。


 そこで生きてくるのが、二十八区の領主だ。

 お前なら、きっと言ってくれるよな。保身のために。


「あんたはどうだ? 二十八区さん」

「貴様っ、調子に乗るなよ!」


 二十八区領主に話しかけたのに、ゲラーシーが噛みついてきた。

 躾のなっていないヤツだ。


「今会談の進行役は私だ! 部外者は口を挟むな!」

「『挟むべきではない』じゃ、ないのか?」

「……ちぃっ!」


 口調が違ってますよと、親切に教えてやる。

 自分の手法がバレていることにようやく気が付いたのか、それだけでゲラーシーは言葉が出て来なくなる。

 そんな頼りない様に、二十三区領主がまたため息を漏らす。苛立たし気な。あいつだったのか、さっきから何度もため息を漏らしてたのは。せっかちなんだろうな。


 そして、二十八区の領主もゲラーシーの振るわない様を見て不安を覚えたようだ。


「私は……、信用いたしかねますな」


 ついには立ち上がり、自身の意見を語り始める。


「その者は言動のすべてが理解の範疇を越えている。油断をすれば、喉笛を噛みちぎられるやもしれませぬ! よって、その者との関係の深い者には参加を辞していただきたい」


 五人になれば、意見も通りやすいし、利益も上がる。

 そう思えばこそ、ドニスと癇癪姫という面倒くさい二領主にだって噛みつける。

 自区のことだけを考えるのであれば、その提案に乗ってくるだろう。普通は。


 これでゲラーシーが多数決を採れば――利益優先で考えるならば――ドニスとトレーシーは多数決から外される。そうして残った五人で俺たちを裁くという流れになる。……のだろう、普通は。


 だが、今回は相手が俺たちだ。

 決して普通ではない、俺たちだ。

 ……あ、いや。俺は普通か。

 エステラが普通じゃないくらいぺったんこで、ルシアが度し難い変態なだけで。

 俺は至ってノーマルだ。

 ただ、『普通じゃない』ではなく『ただ者ではない』、それだけだ。


 不快感を露わにするドニス。そしてトレーシー。

 だが、二十八区領主はなんとしてでも多数決に持ち込みたい。というか、勝ちを急ぎたい。

 二十五区領主も、怖いドニスから早く逃れたいだろう。

 そしてせっかちな二十三区領主もまた、茶番を早急に終わらせたいはずだ。

 日和見主義な二十六区領主は多い方につくだろう。


 ゲラーシー。

 お前が、ドニスとトレーシーを排除する多数決を採れば、それは可決されるぞ。

 そうして、都合のいい五人で俺たちを追い詰めろよ。

 だから、な。

 お前、自分がやるべきこと……分かるよな?


 ゲラーシーと目が合う。

 にやりと、口角を上げて見せる。


 一瞬でゲラーシーの眉間に深いしわが刻み込まれる。

 感覚で理解したのだろう。俺をこのまま野放しにすると危険だと。


「多数決を採る!」


 そうだ。

 それ以外に、お前は逃れる術がないのだ。

 このまま、多数決を採らないまま話し合いが続けば……お前の信用は徐々に削られていく。

 だが、今ここで決断をして多数決を強行すれば――


 お前の信用は、一瞬でなくなる。

 俺の手によって、そうなる。

 でもお前はそんなことに気が付かなくていい。気付かずに、さっさと多数決を採れ。


 ほら、背中を押してやるから。


「名指しはやめてやれよ。さすがに感じ悪いぞ」

「黙れ!」

「いやでも、ドニスとトレーシーにも面子ってもんがさぁ」

「黙れと言っている!」


 キッと俺を睨み、睨みつけたままゲラーシーは多数決を採る。


「この者と内通している疑いのある、信用のおけぬ者を多数決に参加させるべきではないと思う者は、挙手を!」


 ドニスとトレーシーを除く五人が挙手をする。

 上がった五本の腕を見て、トレーシーが舌打ちを鳴らし、ドニスが怒りのこもった息を吐く。


 そして、……俺はほくそ笑む。


「多数決は絶対……だったっけ?」


 理不尽に対する怒りは、どろどろと粘度が高く不快なものだ。

 空気が歪んで見えるほどに濃厚な怒りを纏うドニスに、俺はあえて笑顔を向ける。


「残念だったな、ドニス」

「……貴様。いけしゃあしゃあと……っ!」


 いきり立ったドニスがテーブルを退かせて俺へと詰め寄ってくる。

 そのドニスへと、ドニス以上の速度で接近する。


「なっ!?」


 怒りに任せて向かってくる相手に、こちらからそれ以上の速度で接近した場合、人間は無意識で手が前へ出てしまう。これは反射がもたらす現象で、意識して防ぐことは非常に難しい。

 怒りによる興奮状態の時、人は平常時よりも攻撃的な思考になっている。

 そのつもりはなくとも『ぶっ飛ばしてやりたい』という感情くらいは持ち合わせているのだ。

 その感情を抱いて移動している時、脳は自分が『攻撃体勢』にいると判断する。


 そんな攻撃耐性のさなか、敵が向こうから、それも速度を上げて向かってくれば――人の体は防衛反応を起こす。

 それが、無意識に突き出される腕だ。

 殴るために出された手ではない。ぶつからないために、自分のパーソナルスペースを侵略させないために伸ばされた腕だ。

 だが、受け手が少し演じてやれば――


「ぅお!?」


 突き飛ばされたように見せることは容易。


 そして、ふらついて……ゲラーシーの座るテーブルへと衝突し、袖に隠しておいた折りたたまれた紙切れを、『ゲラーシーのテーブルから転がり落ちた』ように見せかけて床の上を滑らせる。

 信頼を一瞬で砕き、疑念を一気に増幅させる『たった一言』の魔法の言葉。

 そいつが書かれた紙切れは床を滑り――狙い通りトレーシーの目の前へとたどり着く。


「これは……?」

「あっ、ヤベ!」


 無理な体勢から慌てて起き上がり、トレーシーが紙切れを拾い上げる直前に奪い取る。

 ……という、計算され尽くした演技を見せる。コンマ一秒単位の緻密な演技だ。絶妙の間を要求される。


「今隠した物はなんですか?」


 トレーシーの冷たい声が俺を責める。

 適度に、俺に対してムカついているようだ。口調を取り繕うことも忘れて、素の怒りを向けてくる。


「なんでもねぇよ。気にするほどのもんじゃない」


 と、手に持った紙切れをトレーシーから遠ざけるために背中へと隠す。……が、背後にはドニスがいるので、当然、その紙切れはドニスによって没収される。


「あっ!? ちょっ、待て!」


 ドニスとの体格差を考慮して、振り向き様に飛びかかる。が、ドニスの方がデカいので手を頭上に上げられれば俺には届かない。

 俺の手が空を切り、ドニスが折りたたまれた紙切れを広げる。

 そして、そこに書かれていた文字が衆目にさらされる。



『準備は出来た』



 俺の字で、はっきりとそう書かれている。

 目立たないように、小さな紙切れに書かれたその文章は、明らかに何かのメッセージ――に、見えるただの落書きだ。


「これはなんだ?」

「……ただの落書きだ」


 今日の俺は物凄く正直者だ。

 なのに、ドニスは最大級の疑念を俺に向けてくる。


 正直者ほど疑われる。現実はそんなものだ。

 信じてほしい時は、適度に嘘を交えるのが効果的なのだが、今は真実のみを語って聞かせる。


「それは、この会談とは一切関係なく、俺が自分の部屋で書いた落書きだ。誰かに当てたメッセージじゃない」

「それを……ワシらが信じるとでも?」


 信じないだろうな。

 つか、信じるヤツがいたら、そいつは根っからのバカか、ジネットくらいのもんだ。


「…………しゃーねぇな」


 面倒くさそうに頭を掻いて、そして両腕を広げる。


「『精霊の審判』をかけていいぜ。それは、落書きだ」


 ドニスを見つめ待ち構えるが、ドニスは手に持っていた紙切れをくしゃりと握りしめ、床に叩きつけただけだった。


「このような場において、『精霊の審判』をかけろというのは罠だと相場は決まっておる」


 そんな話を、『宴』の後に教会の前でもしたよな。

 ドニスがゲラーシーに似たようなことを言われていた。


「じゃあ、トレーシーがかけるか?」

「お断りです」


 振り返って尋ねてみるもトレーシーは腕を組んでそっぽを向いていた。

 凄く不機嫌そうに。


 さて。


 俺の転倒により、床の上へと『うっかり零れ落ちた謎のメッセージ』。

 ドニスとトレーシーの怒り具合から見て、この二人宛てではないことが窺えるだろう。

 エステラやルシア宛てなら、わざわざ手紙にする必要はない。耳打ちで済む。



 では、誰宛てなのか……



 察しのいい『デキる領主様』たちはピーンときたようだ。

 自然と、会議室にいる者の視線が一ヶ所に集まっていく。


「……な、なんだ!?」


 ゲラーシーが、集まる視線に狼狽する。

 ドニスとトレーシーが除外されれば、怪しいのはお前だけだもんな。

 なにせお前は『あいつら裏で繋がってんじゃねぇのか?』と、思い込まれているんだから。


 だからこそ、俺は即座に動く。


「ゲラーシー宛てのメッセージじゃねぇぞ」


 集まる視線から、ゲラーシーを庇ってやる。

 俺の背に庇われたゲラーシーが、憎々しい声で呟く。


「……貴様。この期に及んでまだ何か……っ」

「信じられないなら、『精霊の審判』をかけてもいいぞ!」


 天丼というヤツだ。

 同じことを二度繰り返すという、バラエティでもお馴染みのアレだ。

 だが、俺の天丼は……少々イラッとする。


「なんだよなんだよ! お前らみんなして、まるで『ゲラーシーが俺と裏で繋がっているから信用出来ない』みたいな顔しやがって!」


 その場にいる領主どもの内なる思いを言葉にしてやる。

 そして、その言葉が領主たちの鼓膜から脳へと伝わり、『思っていた近しい感情』が、俺の言葉に上書きされる。近しいばかりに、なんの違和感もなく。


『ゲラーシーがオオバヤシロと裏で繋がっているから信用出来ない』


 そんな言葉が、この場にいる者の共通認識となり、そうなったからこそ生きてくる『とある決定事項』がある。


「あれれ~。って、ことはさぁ……」


 俺の無邪気な演技に、エステラが苦笑を浮かべている。

 ルシアに至ってはこめかみを押さえて首を振っている。

 なんだよ、応援しろよ。

 折角苦労して準備したのによ。


 さっきの紙切れ、今のお前らに渡したら意味を成したかもしれないな。

 覚えているか、内容を。


『準備は出来た』


 あとはまぁ、俺に任せておけよ。


「さっき多数決で決まった、『この者オオバヤシロと内通している疑いのある、信用のおけぬ者を多数決に参加させるべきではない』ってやつ、ゲラーシーにも適用されちまうわけか?」

「なん……っ!?」


 ガッタン! と、大きな音を立ててゲラーシーの椅子が倒れる。

 背に庇うような格好をしてるから顔は見えないが、すげぇ焦っている気配だけはひしひしと伝わってくる。


「ち、違う! アレは、この二人を指したことであって……私は関係ない!」

「なるほど。他人は、罠にはめるようなやり方で落とし入れても問題ないが、自分だけは例外的に認めないと、そういうわけか?」


 体は前を向いたまま、背を反らし腰をひねって顔を後ろへと向ける。

 般若のような顔をしたゲラーシーと視線が合い、咄嗟に飛び退いた。


「貴様ぁ!」


 両腕を振り回して俺を捕まえようとしたゲラーシー。

 だが、俺の方が早かった。


「残念ぷっぷー」

「叩き出してやるっ!」


 ゲラーシーが俺に掴みかかろうとするが、それをドニスとトレーシーが防いでくれる。


「貴公が言い出したことであろう?」


 トレーシーが冷たく言い放ち、


「オオバヤシロの言った通りではないか。ワシらには似たようなことをして除外しておきながら、自分だけは認めないなど、それこそ認められんよ」


 ドニスが理論攻めで絡めとる。

 反論は、出来ないだろう。


『あいつ怪しいからハブろうぜー』

『お前も怪しいじゃん!』

『俺だけは特別にセーフ!』


 そんなガキみたいな理屈、通るわけがない。

 だからこそ、わざわざ『名前を出させずに』多数決を採らせたんだよ。

 お前がその範疇に入るようにな。


「ゲラーシー」


 ドニスとトレーシーに阻まれているゲラーシーは、檻の中のライオンと同じだ。

 俺に危害を加えることは出来ない。

 だから、はっきりと言ってやる。


「人との信頼関係って、築くのは大変だが、壊れるのは一瞬なんだぜ? 『信頼』って言葉の重み、もう一度よく考えてみろよ」

「貴様にだけは言われたくないわぁ!」


 トレーシーを押しのけ俺に掴みかかろうとするゲラーシー。だが、トレーシーを押しのけたりしたら――


「トレーシー様に何をするっ!?」


 ネネが怒りを爆発させた。

 同時に銀髪Eカップが動き出すが、ドニスのとこの執事も動き始め、ついでとばかりにナタリアとギルベルタが俺を守るような配置に素早く着いてくれる。

 ……この街の給仕長、スペック高過ぎない?

 映画見てるみたいな無駄のなさなんだけど…………ネネ以外は。


「トレーシー様!」

「……大丈夫だ。大事ない」

「申し訳……」

「よい」

「……はい」


 トレーシーは、押されて転倒こそしたものの、怪我はないようだ。

 だが、相当なしこりが生まれただろう。

 多数決で、筋書き通りに事を運んできた『BU』の領主会談において、まさか荒事が繰り広げられるとは、誰も思っていなかっただろうな。

 その渦中にいたのは、俺? いいや、ゲラーシーだ。


「エーリン……はっきりと言ってやる」


 立ち上がり、トレーシーが癇癪姫の迫力を惜しげもなく開放してきっぱりと宣言する。


「私は、貴様が信用出来ない!」

「ワシもだ」


 そこにドニスも加担する。


「貴公は、どうにも他者を陥れようと画策している節が見受けられる。紳士的とは言えん」

「貴様ら……進行役の私に向かって……」

「『貴様』とは……誰に向かって言っておるのだ、小僧?」


 ドニスの迫力も全開だ。

 このジジイに関しては、執事よりも本人の方が強そうだ。


 そうして、再び沈黙が訪れる。


 さすがの二十三区領主も、何も言い出せない。

 事態が二転三転し過ぎて、どこに真実があるのかを見失っているのだ。

 他の連中は、きっと何も分かってないんだろう。人任せに慣れきってしまったツケだな。


「困ったよなぁ」


 ナタリア、ギルベルタという鉄壁のガードを得た俺は無敵だ。

『BU』の全領主に向かって現状を分かりやすく説明してやる。


「『BU』における多数決は絶対で、その多数決でつい先ほど『この者オオバヤシロと内通している疑いのある、信用のおけぬ者を多数決に参加させるべきではない』と決まった。よって、ドニス、トレーシー、そしてゲラーシーの三人は多数決には参加出来ない」

「それは……っ!」

「しかもだ!」


 猪口才な反論を目論むゲラーシーを大きな声で黙らせる。

 まだテメェの発言する番じゃねぇんだよ。出るタイミングを見誤って先に出ちゃうとか、おもらしヤロウか、お前は。


「多数決に参加出来ないってことは、進行役も出来ないってことだ。進行も多数決の内だろ?」

「それは屁理屈だ!」

「じゃあ、進行役なしで多数決が出来るのか?」

「…………」

「出来ないだろう? つまりセットなんだよ、そこは」


 お前はどうあがいても、多数決には参加出来ない。

 現状をひっくり返さない限り。


「それとも、信用のないお前が、全員の前に立って進行役をやってみるか?」


 それは、お前以外の連中が許さないと思うぞ。

 さすがに理解したのか、ゲラーシーは悔しそうに唇を噛んだ。


「それから、もう一つ困ったことに、参加者が四人になっちまったんだ」


 ドニスにトレーシー、そしてゲラーシーの三人が抜け、多数決に参加出来る領主の数が四人と偶数になってしまった。


「偶数で多数決ってのは、出来ないよな?」


『宴』の後、教会の前でそんな話をしていた。

 ドニスがはっきりと言っていたのだ『多数決は偶数人では行えぬルールになっておる』と。


「だからもう一人、誰かが抜けて三人にならないとな」

「バカな!? 三人だと!? 『BU』の過半数以下ではないか! そんな人数では『BU』の総意とは言えないではないか!」


 過半数割れという、人数へのこだわりを見せるゲラーシー。

 さっきまでは、少なくなった人数で強硬に採決しようとしていたくせに、自分が外されると不安になるようだ。


「じゃあ、こうしようぜ。エステラ、お前入れよ。被告代表として」

「バカな! 部外者を神聖なる『BU』の多数決に入れるなどと……!」

「じゃあ多数決は出来ず、永遠に結果は出ないから、俺たちへの制裁はなしってことでいいんだな?」

「それとこれとは話が別だ!」

「じゃあどうすんだよ? 嫌だ嫌だじゃ何も決まらないぜ? お前、ホンッッットに無責任だよな?」


 無責任という言葉に、ゲラーシーは両眼を限界まで見開いた。

 怒髪天を衝く――にも似た衝撃があったのだろう。

 白目が真っ赤に染まっていき、顔がぷるぷると震え出す。

 赤ぁ~く染まっていく顔は、赤鬼そっくりだった。


「エステラが入るのであれば、私も入るぞ」


 ルシアがさも当然というように言う。


「そうしたら偶数になるじゃねぇかよ」

「ならば、トレーシー・マッカリーでも入れればいいだろう」

「それならば、私が入るのが筋だ!」

「筋? 筋違いだろう? ゲラーシー・エーリン」


 ルシアの言葉に、何も言い返せないゲラーシー。

 ルシアって、ホント肝っ玉が据わってるよな。ドニスとサシで口喧嘩しても勝てそうなのって、こいつくらいじゃないか?


「あぁ、もう埒が明かねぇな」


 両手を上げて、ゲラーシーたちに背を向ける。一度下がり、距離を取って、ゴチャゴチャっと人が集まる一角を避けて、二十三区領主を見る。


「こっち三人を省けば、あんたが一番話が出来そうだな」

「無礼者め。身の程をわきまえよ」


 二十三区領主と、その給仕長である褐色の美女が殺気を放つ。


「Dカップか」


 給仕長の殺気が増す。

 当たったらしい。


「何が言いたいのだ。散々かき回しおって」


 苛立ち、呆れながらも、この場を収める方法を思いつかない二十三区領主は、俺へと話を振ってきた。聞く用意があるようだ。


「停滞した議会を元に戻すには、まず信頼のおける議長が必要だ。それに異論はないな?」

「……まさか、この私にそれをやれと申すのか?」

「いいや。議長は、この中で最も多くの者に信頼を得ている人物がやるべきだ。それに反論はあるか?」


 室内を見渡すが、誰も異を唱えない。

 それよりも、意識はその次へと向かっている。


 すなわち、この中で最も多くの者に信頼を得ている人物とは誰だ? ……と。


「俺が多数決を採るわけにはいかないから――なんの権限も権利もないからな――逆の方法をとろうと思う」

「逆……だと?」


 二十三区領主をはじめ、他の領主も俺の案に興味を示す。

 単純なことだ。


「賛成は聞かない。その代わり、反対の者は意見を出してくれ。反対意見がなければ、満場一致の決定とする。……どうだ?」


 俺主導でありつつ、誰にも平等に反論の機会がある。

 それは、平等というのに相応しい提案――に、見えるだろ?

 実際は、「反対意見のある人~?」って聞いて、手を上げられるヤツなどそういないのだ。

 たとえ反対意見を持っていたとしても、他の誰も意見を挙げない状況では反論意見は出てこない。


 これも一種のバンドワゴン効果だ。


「……反対意見はない、な。じゃあ、全員が賛成したってことで、文句ないな? あるなら言え。……三、……二、……一、ハイ終了。満場一致で可決だ」


 パンッと手を打って、円満に可決したとアピールする。

 これで、お前たちは何がなんでも、『この中で最も多くの者に信頼を得ている人物』を議長に選ばなければいけない。

 反対すれば――カエルだ。


「それじゃあ、議長なんだが――」

「待て、オオバヤシロ」


 ドニスが低い声で俺を呼ぶ。

 怒りとは違うが、意味が分からずモヤモヤした、イライラ感を醸し出している。


「『この中で最も多くの者に信頼を得ている人物』など、この中からどうやって決めるつもりだ? まさか、そこで多数決か?」


 自分が選ばれる可能性もあり得る。そう思っている顔だ。

 それなら、多数決に票は投じられなくても参加は出来る。そんな思考をしているのが丸分かりだ。


 だが、違う。


「『この中で最も多くの者に信頼を得ている人物』は、もうすでに決定している」


 全員の視線が会議室内を右往左往している。

 誰だ? 自分か? あいつか?

 と、忙しなく行き交う視線の中、俺は説明を始める。


「この室内には、給仕長や兵士を含めると相当数の人間が存在している」

「まさか、そいつらを含めるというのか!?」

「焦るな、おもらしゲラーシー」

「誰がおもらしだ!?」


 黙って聞けっつうの、堪え性のないヤツだな。


「人は多いが、ここはあくまで『BU』の領主たちが集う場所で、連中はその領主の護衛だ。会談に参加する資格はない。まして、決定権を平等に持つ多数決になど、参加出来るはずもない」


 それがまかり通ったら、領主の意見が丸々握り潰されるなんて結果も生まれてしまう。

 あくまで、有効票を持っているのは、『BU』の領主七人だ。


「その七人全員が『信頼する』と言った人物が一人だけいるだろうが」


 言いながら、俺は会話記録カンバセーション・レコードを呼び出す。

 そして、該当するページを表示させる。




『……反論はないようだな。では、改めて――あの者の発言を、今日、この場所に限り信用してもよいと思うものは挙手を!』


『確か「BU」の多数決は絶対なんだよな? なら、今手を上げなかった三人の領主も、俺の発言を信用してくれるってことでいいんだな?』

『くどいぞ』




 場の空気が静まり返る。


 これは、先ほど行われた多数決だ。

 この場所で、このメンバーで行われたものだ。

 そこで、もうすでに結果は出ていたんだよ。


 静けさの中、俺は満面の笑みで宣言する。


「七人全員に信頼されているこの俺、オオバヤシロが今回の進行役、議長を務めてやる。文句のあるヤツは名乗り出ろ――今すぐカエルにしてやるから」




 反論する者は、当然、いなかった。







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