241話 領主会談始まる

 正午過ぎ。

 エステラとルシアの乗った馬車が二十九区領主の館へと到着する。

 二人の給仕長が警戒するように主の前に立ち、慎重な足取りで館の中へと足を踏み入れる。


 廊下を進み、以前と同じく『BU』の領主が勢揃いしている会議室へと通される。


 会議室の中にはすでに七領主が揃い、入ってきたエステラとルシアを無言で見据えている。

 トレーシーとドニスも、『BU』側の領主として出席している。さすがは領主。どっしりと構えている。

 心持ち、ネネが緊張しているようにも見えるが、ドニスのところの執事は落ち着き払った様子だ。その辺りは経験の差、資質の差だろう。


 エステラとルシアが席に着き、背後にナタリアとギルベルタが寄り添う。

 睨み合う両者。

 室内の空気が張り詰める。


「よく来た。こちらは時間を浪費するつもりも、またそうしなければいけない理由もない。よって、速やかに通達だけを行い今回の会談は終了するものとする」

「異議ありだ」


 例によって、一方的な口調で押しつけられる二十九区領主ゲラーシーの言葉を、ルシアが凛とした声音で跳ね返す。


「そちらの要望を素直に聞き入れる理由もまた、こちらにはないのでな」

「そなたらは、裁かれる立場であることを忘れてはいけない。我々が受けた被害と苦痛を知り、十分な反省と賠償をしなければいけないことを肝に銘じる必要がある」

「ろくにこちらの言い分も聞かずに一方的に制裁を加えるというのであれば、それは侵略に他ならんぞ。我々が黙って従うと思うか?」

「そうなれば、そなたらの区はオールブルームから孤立し、一切の物流は途切れ、滅亡へと突き進む覚悟を強いられるだろう。繰り返すが、これはすでに決定されたことなのだ。そなたらはただ黙ってこちらの言い分を聞き入れるべき立場であることを強く認識する必要がある」


 なんともまどろっこしい言い回しで、ゲラーシーは淡々と言葉を続ける。

 まるで、用意された文章を読んでいるかのように。


 実際、用意された文章を読んでいるだけなのだろう。

 いくつかのパターンがあり、それに沿った決まり文句を口にしているのだ。

 二十四区教会の前で会った時、ヤツはこんなしゃべり方をしていなかった。

 マーゥルの屋敷へ面接に来ていた『型にはまった若者たち』が、今のゲラーシーと同じことをしていた。


 つまり、反論されることは想定済みで、その上で相手の反論を封殺するように仕組まれているのだ。最初から。

 それで、こちらが強硬手段に出れば、それもまた決められた方法に則りさらなる制裁を加え、屈服するまで延々といやらしい圧力をかけ続けるつもりなのだ。

 こちらが音を上げて、賠償金を支払うと言うまで。永遠に。


 もっとも、それは――『相手が想像の範疇に収まっていた場合』のみ適用出来る危うい戦法だ。


 バンドワゴン効果というものがある。

 人は、いくつかの選択肢のうち、一番多くの支持を集めた選択肢を正しいと思い込んでしまうものなのだ。

 明らかに間違っていると思っても、自分以外の全員が間違っていないと言えば、なんとなく間違っていないのではないかと思ってしまう。人間は、無意識下で周囲に合わせようとする習性を持っている。


『BU』のやり方は、まさにそのバンドワゴン効果を利用した圧力に他ならない。

 一対七で、向こうのテリトリーに連れ込まれ、「お前が悪い」と責め立てられる。

 そうすると、人間は「本当に自分が悪いのかもしれない」と思ってしまう心の弱い生き物なのだ。


 だが。

 今回は二人だ。

 しかも、一人は心臓に毛の生えたようなルシアで、もう一人は――俺が入れ知恵しておいたエステラだ。


「では、交渉は決裂ということで」


 エステラが、『俺がそうしろ』と言っておいたとおりに席を立つ。


「待て! どこへ行く!?」


 慌てたゲラーシーが声を荒らげる。

 なんだ……もう予想の範疇を越えちまったのか?

 口調が戻ってるぞ。

 まだまだこれからだろうに。


「ここが話し合いの場でないというのであれば、ここに留まる意味はありません。我々は、身に覚えのない嫌疑をかけられ、現在不当な弾圧を受けている。これは、精霊教会が認めている『自由に生きる権利』を著しく侵害する行為に他なりません。統括裁判所への提訴も含めて、あらゆる可能性を捨てず、こちらの対応を決めさせていただきます」

「いいのか?」


 ゲラーシーの声が元のトーンに戻る。

 統括裁判所への提訴が、ヤツらの範疇に入っているのだろう。


「統括裁判所は、個々人の感情や境遇は考慮しない。絶対的な証拠と理屈による公正な審判を下す場所だ。そこへ出るというのであれば、こちらも全力をもって我々の正当性を証明してみせよう。その用意はすでにある。提訴をすれば、そなたらはその生涯において比類無き屈辱と惨めさを味わうことになるだろう」


 エステラが無言でゲラーシーを見つめる。

 そして。


「ごめん、ちょっと何言ってんのか分かんないや」

「んなっ!?」


 エステラが爽やかな笑顔で言い放つ。

 同時に、ゲラーシーは顔を引き攣らせて立ち上がる。

 そんなやりとりを見て、ルシアが大口を開けて笑い出した。


「ははははっ! 言うようになったではないか、エステラよ」

「黙れっ! あまりに無礼ではないか、クレアモナ! ここがどこだか分っているのか!?」

「筋書き通りにボクたちを陥れるための罠が張られた場所……ですよね?」

「……なん……だと?」


 ゲラーシーが言葉に詰まる。

 筋書き通りと言われたことに戸惑ったのかもしれない。


「ボクたちの反応を見て、何通りかある定型文の中から適当なものを選んでいるんですよね?」

「何を根拠に……」

「その反論も、『精霊の審判』に引っかからないようにと用意されたものですね」


「そんなことはない」と言えば、それは明確な嘘になる。

 だから、「何を根拠にそんなことを言っているんだ」という言葉を選ぶ。これなら、ただの質問だからな。

 嘘を言わずに、相手には「見当違いだ」と思わせることが出来る言葉だ。


 ゲラーシーは、用意された文章を読む時に、口調と声のトーンが変わるから分かりやすい。

 エステラもその変化には気が付いているようで、ゲラーシーの言葉なのか、シナリオどおりのセリフなのかの判別はついているようだ。


 もっとも、俺が教えてやったから気が付いただけかもしれないけどな。

「あいつ、領主会談と普段では口調が違うぞ」ってな。


「罠にはめようとしているのであれば、あなた方は明確な敵です。相応の対応を取らせてもらいますよ」


 冷静に、極めてはっきりと、エステラが宣戦布告を行う。

 内心、心臓バックバクなんだろうけどな、あの小心者は。

 けれど、この宣戦布告が――それだけの反感を持っているという明確な意思表示が、後々重要になってくるのだ。

 堂々と見せつける必要がある。

『微笑みの領主』なんて、舐められた名で呼ばれている、甘ちゃんのエステラにはな。


「そうなれば、そなたらには甚大な被害が及ぶことになると、明確に理解する必要があるぞ!」

「なぜ……『甚大な被害が及ぶ』と、明言されないのですか?」

「……くっ」


 ゲラーシーの顔が歪む。

 苦虫のスムージーでも一気飲みしたような顔だ。


 言えるはずがないよな。断言なんか出来ない。

 断言すれば、甚大な被害が及ばなかった場合、『精霊の審判』でアウトだ。

 かといって、甚大な被害――ちょっとやそっとではなく、確実に四十二区を追い詰めるような壊滅的な被害――そんなものを与えてみろ、それは『BU』からの侵略行為に他ならない。

 その言葉は、口にした瞬間言い訳が出来なくなり、逃げ道がなくなる。


 だから、「~する必要がある」だの、「~しなければいけない」だの、高圧的且つ抽象的で有耶無耶な言葉しか吐けないのだ。

 バレてんだよ、ド三流。


 お前らは数が揃わなければ何も出来ない。

 そして、数を揃えるためには、誰かがその『数』を統率しなければいけない。

 群れを率いるのは、言うほど容易ではない。


 少なくとも凡例に従って、セオリー通りの戦法しかとれないようなヤツは、必ずぼろを出す。こういう、アドリブを要求されるような事態に陥ればな。


 エステラの発したほんのわずかな反論で言葉に詰まってしまったゲラーシー。

 あの一癖も二癖もある領主どもが、いつまでヤツを『リーダー』と認め、おのれの区の存亡をかけてまでついていくだろうか。……不安だろう、ゲラーシー?


 狼狽えろ、狼狽えろ……ゲラーシー…………


 ――と、優位に立っているはずのエステラを見ると……そわそわとし始めていた。

 堂々と構えていろよ。今はお前が追い込んだ形になってるんだから。

 チラチラ辺りを見渡すな。いくら、俺から言われていたことを全部言い尽くしたからって。多少はアドリブで応戦してみろよ……まったく。お前が狼狽えてどうすんだっての。


 じゃあ、まぁ、……そろそろか。



 さて。

 なぜ俺が、呼ばれてもいない領主会談の内情をさも見ているかのように語れるのかと言えば……もちろん、見ていたからだ。

 こっそりと、特等席でな。


 領主会談が行われている会議室。

 そこには、現在九人もの領主が集まっている。

 当然警備は強化され、二十九区にいる兵士はここ領主の館に掻き集められている。

 区内にいる貴族からも私兵を出させている。

 それは、『BU』内におけるルールの一つだ。

 各区の領主を守るため、領主会談の際は警備を万全の物にしなければならない。――それが、『BU』の代表者が忌避される理由の一つとなっているそうだが。

 まぁ、何かある度にこれほど物々しい準備が必要になるのは億劫だよな。金もかかるし、通常勤務も疎かになる。


 そして、数が増えれば――侵入者も潜り込みやすい。


 会議室のドアの前に立ち、部外者の侵入と、招かれた二人の領主がおかしな行動をとらないかを監視していた兵士の中の一人がおもむろに兜を脱ぎ捨てる。

 その下から現れたのは、目も眩むほどのイケメンで――


 その名を、オオバヤシロという。


「交渉が決裂したなら、会談は終了だな。さっさとお開きにしようぜ」

「なっ!? き、貴様っ、なぜここに!?」


 俺の登場に、『BU』の面々が騒めきたつ。


「クレアモナ、どういうことだ! これは非礼では済まされんぞ!」

「さて、なんのことでしょう?」

「とぼけるな! 私ははっきりと通達したはずだ、部外者を連れてくるなと!」


 俺を指さし『部外者』と明言するゲラーシー。

 だが、エステラは落ち着き払った様子で小首を傾げてみせる。


「そうでしたっけ?」

「貴様っ!」


 ゲラーシーが憤って一歩踏み出し、それと同時にナタリアが庇うようにエステラの前へと体を滑り込ませる。

 ナタリアの動きを察知して、向こうの銀髪給仕長がゲラーシーの行動を静かに抑制する。


 睨み合う両者。

 だが、壁一面にずらりと並んだ兵士たちの目は、俺たちを睨みつけている。

 状況は不利だ。だが、結果的には俺たちが勝つ。


「なぁ、エステラ。教えてやれよ。自分が書いた文章すら忘れちまった、ウッカリさんなあの領主様に――手紙に書かれていた正確な文章を」


 睨み合い硬直状態にあった両者の間に、俺が言葉を割り込ませる。

 ゲラーシーの視線が俺へと向き、その直後にエステラが口を開く。


「そうだね。いいだろう。……こほん」


 などと勿体つけて、ゲラーシーから送られてきた手紙を取り出し音読する。


「手紙にはこう書いてありましたよ――『領主の館へは、招待状を持つ者以外の立ち入りを禁ずる』と」

「そうだ! そのように書いてあるではないか! なのになぜこの男は……っ」


 そこで、ゲラーシーの言葉は止まる。

 俺が指に挟んでひらひらと揺らしている物体に気が付いたのだろう。

 その物体は、そう、招待状だ。


「招待状なら、俺も持っている。だから、ここへの立ち入りも出来るというわけだ」

「……は?」


 心底意味が分からないと、分かりやすく顔に書いてあるゲラーシーをはじめ、他の六人の領主にも分かるように説明をしてやる。


「これは、昨日俺宛てに送られてきた招待状だ。紛れもなく、本物のな」

「私はそのようなものを、貴様に出した覚えはないぞ」

「もちろん、そうだろうよ。お前からの招待状じゃねぇもん」


 室内がざわめく。

 いよいよ、俺がおかしくなったんじゃないかと心配されているような空気だ。

「おい、何言ってんだあいつ?」

「大丈夫か?」

 そんなひそひそ話が聞こえてくる。


「つまりは、苦し紛れに身内で招待状を捏造し、卑しくも私の館へと潜り込んだというのか? 恥を知れっ!」


 ゲラーシーの怒りはエステラに向けられた。

 領主の判断でそのような工作が行われたと、非難を向けたのだろうが……


「ミスター・エーリン。我が主に対し、ありもしない事実に基づく不当な非難の言葉……お忘れなきよう」


 ナタリアが殺意のこもった声で告げる。

 そう。エステラはそんなことをしていない。


「エステラからの招待状なら、エステラのところへ行くのが筋だろうが。わざわざ二十九区になんか来やしねぇよ」

「ではなぜ貴様がここにいる!?」


 理解の及ばないゲラーシーは、怪しい人物すべてに敵意を向け始める。

 トレーシーを睨み、ドニスを睨んで、反応がないか探りを入れる。

 他の領主も、いぶかしむような視線をそれぞれに向けている。


「なんだ? 言いたいことがあるならはっきりと言えばどうだ!」


 癇癪姫が吠える。

 いくら人のいいトレーシーと言えど、二十七区を預かる責任ある貴族。領主という立場である以上、いわれのない罪で非難を受けて泣き寝入りなどするわけにはいかない。それを放置すれば二十七区自体が貶められたということになる。

 自区の領民のためにも、明確に反論し、受けた非礼をきちんと詫びさせなければいけない立場なのだ。


 それはもちろんドニスも同じで。


「一人ずつ、話をしていこうではないか。まずはそなたからどうだ? ワシと一対一で話すのだ、平等であろう?」


 隣の二十五区領主に夥しいまでの殺気を向けている。

 あの鋭い視線に睨みつけられるのは堪ったもんじゃないだろう。二十五区領主は「いや、そういうつもりは……」と、視線を逸らして言葉を濁すに終始した。


 なので、俺はとっても当たり前で、とっても素敵な情報を知らせてやる。


「俺は、二十九区に来いって招待されたから二十九区に来たんだぜ?」


 そんな俺の一言で領主たちの視線がゲラーシーへと向かう。

 二十五区の領主に至っては、渡りに船とばかりにドニスから顔を背けるように物凄い勢いでゲラーシーへと顔を向けていた。

 やっぱり、「みんながやっている」ことの方が安心するんだろうな。


 で、視線を集めたゲラーシーはというと……


「貴様……これ以上出まかせを続けるようなら、『精霊の審判』をかけるぞ!」


 すべての責任を俺に押しつけるように、その場の視線を俺に向かわせるかのように、そんなことを叫んだ。

 それに対し俺は……口角を持ち上げて、微かに微笑んだ。

 ドニスやルシア、そしてエステラくらいの鋭さがあれば気が付ける程度の微かさで。


「やってみろよ」


 両手を広げてゲラーシーを誘う。

『精霊の審判』、かけてみろ。


 だが、そう言われると黙ってしまうのがこの街の人間だ。

 ゲラーシーはあからさまに戸惑い、『精霊の審判』を発動させなかった。


「それは、俺を信用してくれるってことでいいのか?」

「……説明をしろ」

「説明するのはいいが、俺の言うことを信用出来るのか? 端から信じてもらえもしない説明を無駄にしゃべらされるのは御免だぜ。話をする以上は、最低限発言内容を信用するって約束をしてもらわないと……」

「いいからさっさと説明をしろ!」


 自身にかけられた嫌疑を晴らしたい一心で、ゲラーシーは結果を急ぐ。

『BU』のリーダーとして、会談の進行役として、参加者からの不信は致命的だ。

 俺がのらりくらりとはぐらかせばはぐらかすほど、自身に向けられる疑いの眼差しは強くなる一方だと理解したのだろう。

 だから、結論を急いだ。


「……それは、俺の言葉を信じるってことでいいんだな?」


 こちらの思惑通りに。


「……あぁ」


 短い、とても短い一言を口にしたゲラーシー。

 それが、自分の首を絞めるとも知らずに。


「他の領主たちも、それでいいんだな?」

「貴様、この期に及んでまだ……っ!」

「引き延ばしてんじゃねぇよ。考えてもみろよ……」


 ゆっくりと歩き、ゲラーシーの目の前へと近付いていく。

 銀髪Eカップの給仕長が体を割り込ませてきて、俺の動きを止める。体には触れられていないが、あと一歩でも近付けば容赦しないという威圧感をビシビシ感じる。

 なので、その場で立ち止まり、給仕長越しにゲラーシーへと視線を向ける。


「お前だけが俺を信用するなんて言ったら、他の領主にこう思われちまうぜ――『あいつら裏で繋がってんじゃねぇのか?』……ってよ」

「なっ!?」


 咄嗟に、ゲラーシーが他の領主へと視線を向ける。

 右に左に、慌てて視線を動かしたその様はまるで狼狽しているようであり……俺の言葉が真実であるかのような印象を他の者へと与える結果となる。


 人間の脳というものはとても単純で融通が利かない作りをしていてな。

 あとでどんなに「さっきのは嘘だ」「そんな事実はない」と説明しても、最初に聞いたインパクトのあるセリフに対して「とか言いながら、実は……」って疑念が拭い去れないものなのだ。


 怖い話を聞いた日の夜、一人で眠るのが怖くなるのと同じだな。

「そんなわけない」「幽霊なんかいるはずない」とどんなに言い聞かせても、脳みそは恐怖を忘れてはくれない。しつこいくらいに。


「だからよ、他の領主も信じてくれよ、俺のことを。この後、この場所で発言する言葉だけでいいからよ」


 一人一人の目を、順番に見ていく。

 誰も、何も言わない。

 ドニスとトレーシーは、何かを言いたげな、複雑な目をしていたが。


「誰も何も言わないか……」


 なら、話すことは出来ない……的な空気を醸し出すと、一瞬ゲラーシーが焦ったような表情を見せた。そこへ、別の提案を放り込む。


「じゃあ、多数決で決めるか」


『BU』の七領主が揃ってぽかんとした表情になる。

 ハトが豆鉄砲を喰らったような、とはまさにこのことだな。


「『俺を信じるかどうか』ってのでやると、どうにも賛成しにくいんだろ? だからよ、『とりあえず話を聞くために、今この場所でだけなら信じてやってもいい』ってのでどうだ?」


 そんな提案を、ゲラーシーへと託す。

 さぁ、決めろ。判断しろ。

『BU』の代表として結論を出せ――お前、一人で。


「いいだろう」


『多数決をする』ことを、『多数決をせずに決めた』ゲラーシー。

 俺はここで、もう一度微かな笑みを浮かべておく。


 俺の笑みに気が付いたのか、ゲラーシーは急いで言葉を追加する。


「無論、不満がある者がいるのであれば、それも多数決で決めたいと思う。不満のある者は発言をしてほしい」


 だが、この状況で不満を言う者はいないだろう。

 気に入らなければ、多数決で反対すればいいのだ。

『オオバヤシロを信用しない』と。……ま、それも出来やしないだろうがな。


「……反論はないようだな。では、改めて――あの者の発言を、今日、この場所に限り信用してもよいと思うものは挙手を!」


 ザッ……と、四本の腕が上がる。

 ゲラーシー、ドニス、トレーシー、そしてドニスから逃れたい一心の二十五区の領主。

 賛成多数だ。


「確か『BU』の多数決は絶対なんだよな? なら、今手を上げなかった三人の領主も、俺の発言を信用してくれるってことでいいんだな?」

「くどいぞ」


 そりゃそうさ。

 くどいくらいに念を押しておかなきゃ、お前ら後で騒ぐじゃねぇか。


「早く話せ!」


 ゲラーシーは知りたくて仕方ないのだ。

 いや、知らせたくて仕方ないのだ。真実を。自分に過失がないことを。裏で繋がってなどいないということを。


 銀髪の給仕長が下がり、俺は、七領主の前に立ってゆっくりと話を始める。

 まずは、招待状を出した相手について。


「これは、二十九区にいる、ある貴族から送られた招待状だ。『相談したいことがあるから、ぜひ来てほしい』とな」


 俺宛てに届いたその招待状を開いて見せる。

 差出人の名前がはっきりと見えるようにして。


「マーゥル・エーリン。その人が、こいつの差出人だ」

「……姉上」


 ゲラーシーが唇を噛み、他の領主たちが眉根を寄せ、ドニスがそっとまぶたを閉じた。

 ドニスだけは何を考えてるのかが読めないが、他の連中の反応はほぼ想像通りだ。


 さっきのやりとりで、『俺とゲラーシーが裏で繋がっているのではないか』という疑念が脳に刻み込まれている領主たちは、今、こう思っているはずだ。

『やはりか』と。


 ただし、他の領主連中と立場が違うゲラーシーだけは違うことを考えている。

『ほら見ろ、俺は無実じゃないか』と。


 だからこそ――


「まったく。姉上にも困ったものだ! 私に内緒で、そのような勝手な真似を……まぁ、僻地に追いやられ我が家のことには一切の口出しも出来なくなった哀れな人ゆえ、今回の話に関して何一つ知らせてはいない。それが裏目に出てしまったのだ。今現在、我が区が置かれている状況をまるで理解していないとは……間の悪いことこの上ない」


 ――そんな、言い訳にしか聞こえないことをぺらぺらと連ねてしまうのだ。

 本人は勝ち誇っているつもりなのだが、人間は見たいものを見ようとする性質を持っている。


 アンコウという魚は、少々変わった捌き方をする。器具にぶら下げて、腹に大量の水を含ませて、吊り下げたまま捌いていくのだが――

 もしジネットがアンコウを捌いていたら「そんな捌き方するんだ」と感心するだろう。

 しかし、それをアッスントやウッセのような、料理も出来ないような信用もないオッサンがやっていたら「食い物で遊ぶんじゃねぇよ」と反感を覚えるだろう。


 人の脳は先入観と思い込みで、実際に目の前で繰り広げられている真実をも捻じ曲げてしまう生き物なのだ。


 自身の潔白を信じて疑わないゲラーシーが、己の潔白を証明したと勝ち誇って大々的にアピールしたその言葉は、疑念を抱く者の目には『必死に言い訳を繰り返す見苦しい姿』に映るのだ。


 さて、ゲラーシーへ疑念が集まっているところで、さらに追い打ちをかけてやるか。


「マーゥル・エーリンは、ここ数日ストーカーに悩まされていたんだ」

「ストーカーだと?」


 声を上げたのはドニスだった。

 発言したのが俺だったので、つい問いかけてしまったのだろう。以前ならそんなミスは犯さなかっただろうが、俺に慣れちまったんだろうな『宴』の席で。うっかりってやつだ。

 慌てて澄まし顔を作っている。フォロー代わりに、スルーして話を先に進めてやるよ。


「あぁ。ここ数日、マーゥル・エーリンの館の付近を不審な者がうろついていたようだ。まるで監視でもされているかのように、嫌な視線を感じているとも言っていた」


 そこまで言うと、領主たちは合点がいったようだ。

 マーゥル自身が言っていたように、与しやすい(と思われている)マーゥルには監視が付いていた。余計なことをしでかさないように。

 それをストーカーだと勘違いしたのだ……と、連中は思い込んでくれただろう。実際はそんなことはないのだが、監視されていたってのは事実だ。嘘ではない。


「そこで、誰か頼りになりそうな男に警護をしてほしいと思い立った。だが、マーゥル・エーリンには、こういう時に頼れる男がいなかった。ストーカーの正体が分からない以上、二十九区内の貴族に兵を借りることも怖かった」


 実際、監視していたのはゲラーシーのところの兵なのだから、頼れないというマーゥルの証言には信憑性が生まれる。――あくまで、領主どもの中では。


「マーゥルは、監視していたのがゲラーシーのとこの兵だと知らない設定なのに、ゲラーシーには頼れないって思ったの?」なんて細かいところを突っ込んでくるヤツはいない。

 人間の頭は、自分と他複数の人間が知っている事実は、第三者も当然知っているはずだと思ってしまう傾向が強い。周知の誤認だ。


 そんなことよりも。

 今は『ゲラーシーの姉が、オオバヤシロを引き込んだ』という疑念の方が大きいはずだ。


「そこで、既知の関係にあった俺が、臨時の私兵として雇われたんだ」


 誰かがため息を漏らした。

 苛立ちがはっきりと感じ取れる、重々しいため息だ。

 その苛立ちが向けられているのは、俺じゃない。ゲラーシーだ。


 面倒ごとを引き込んだ者の身内として。

 いや……回りくどい言い訳を俺にさせている黒幕として、かもしれない。


 その流れを、加速させてやる。

 疑念は、さらなる疑いを匂わせてやるだけで途端に大きく膨れ上がる。


「しかし助かったぜ。いくら招待状を持っているとはいえ、いきなりこの館へ来て『入れてくれ』つっても、あっちの銀髪Eカップに門前払いされちまうだろ?」


 ゲラーシーの後ろへと移動していた給仕長が咄嗟に胸を隠して俺を睨んでくる。

 恥じらいは持ってるんだな。能面みたいな顔してても。


「偶然にも『二十九区内にいる貴族は私兵を差し出せ』ってお触れが来ててよ」


 領主たちが、一斉にゲラーシーを見る。

 皆一様に眉がつり上がっている。中には、唇をわなわなさせているおっさんもいる。


「なので、マーゥル・エーリンの館の私兵として、ここの警備に駆り出されたのさ。『複数の領主と面識があり幾度となく交流を重ねた』という自己紹介をしたら、この部屋に配備してくれたぜ、あんたの部下がな」


 館の警備に来る私兵は、貴族から借り受けたものだ。身辺調査のようなものまでは行われない。どの貴族も、不祥事をやらかすような人物は送ってこないからな、普通は。

 なので、貴族からの紹介状があれば、あの銀髪給仕長のチェックはパス出来る。

 何十人もいる兵の配置を決めるのはその部下に任される。

 給仕長は、領主を迎える準備に全力を注がなければいけないので、書類のチェックをして、あとは部下に任せる。それがいつものやり方だ――と、マーゥルに教わった。その通りだったぜ。


 実際、俺はトレーシーにドニス、それから四十二区から三十五区まですべての領主と面識があるし、直に話をして、商談まで持ちかけたことがある。信頼だって厚いさ。な、エステラ?

『精霊の審判』にかけられても問題はなかった。その余裕がよかったのだろう。俺の言葉は信頼され、この部屋の警備に加わった。

 体格には恵まれてないから、とか言って顔のほとんどが隠れる物々しい兜とか被ったりしてな。


「そんな偶然が重なって、俺はラッキーにもこの場所に来ることが出来たんだ。手紙にも『いつ』『誰から』送られた招待状とは書かれていなかったし、『招待状』さえ持っていればここへの立ち入りも出来る。すべての状況が、俺をここに導いたんだ。うんうん。すげーラッキーだったな、俺」


 偶然が重なると、人は疑念を抱く。

 繰り返すが、疑念は、さらなる疑いを匂わせてやるだけで途端に大きく膨れ上がる。


 得てして、人は自分が「他の誰よりも優れている」と思いがちだ。

 領主のような人種なら、特に。


 なので、勘の鋭い『デキる領主』の皆々様は、俺がさり気なさを装って浮かべた『思わず漏れてしまった感』満載の微かな笑みを目敏く見つけ、「バレていないと思っているのか? 馬鹿め、私だけは気が付いているのだぞ!」という思考へと誘導されている。


 一つ言っておくと。「自分だけは騙されない」と思っている意識の高い『デキる人間』ほど詐欺にかけやすい人種はいない。

 つまりここには、俺のカモしかいないわけだ。



 時系列に沿って領主どもの心情を考えていくと、連中の思考の流れが容易に理解出来るだろう。


 今回の会談を開くにあたり、ドニスとトレーシーを除く『BU』の領主たちは、自分たちが絶対的な優位にいると確信していた。

 なにせ相手は外周区の領主。ルシアは油断ならない相手だが、もう片方は『微笑みの領主』などと呼ばれている平和主義者の新米領主。おまけに若い女だ。負ける理由がない。


 だが蓋を開けてみれば、エステラはさっさと会談を切り上げてさも実力行使に移りたいかのような高圧的な態度を見せる。それも、話し合いの余地など最初から持っていないかのようにきっぱりと『BU』の意見を切り捨てるような態度で。


 それに狼狽してしまったゲラーシー。

 リーダーの動揺は、一蓮托生の領主たちに伝染する。「大丈夫なのか、こいつ?」「勝算があるんじゃないのか?」とな。


 そこへ来て、一連の騒動の中心にいた厄介な『あの男』が会談の場へと現れた。

 わざわざ排除するために関所に見張りを立て、手紙まで監視させたというのに。


 その理由を聞けば、なんだかゲラーシーが胡散臭い。



 ……もしかして、二十九区は我々をはめようとしているのではないだろうな?




 と、そんな風な思考になるわけだ。

 なにせ、自分は「他の誰よりも優れている」のだから、自分の想像の範疇を超えるようなことは起こり得ないし、相手が自分の裏をかくような工作を出来るわけがない。なぜなら、「自分は他の誰よりも優れている」のだから。

 もし、自分の考えが及ばないことが起こったのであれば……それは、裏でこそこそ卑怯なやりとりが行われたからだ。フェアではない、いやらしい裏取引が。


 そう思うのが、自分を正当化するのに最も簡単な方法なのだ。

 ネット界隈で気に入らない誰かを貶めるコメントを書き連ねている連中の思考回路は、こんな感じであることが多い。

 自分は絶対的に正しく、正当性を得た自分は優位な立場にあり、それが揺らぐことはあり得ない。

 なら、なぜ自分は今こんなにも不安な気持ちになっているのか……誰かが自分をはめようとしているからだ………………それは誰だ?



 お前か? ……ってな。



 さっさと制裁を加えたいのに、そのさなかにソラマメの流通が加速したという理由で四十二区への接触を一時中断したことも裏目に出たな。

 そんな些細なつながりが、陰謀論に取りつかれた者にとっては確たる証拠にだってなり得るんだぜ。


 ゲラーシー、一つ教えてやろうか?

 今、この状況において、俺が言葉を重ねれば重ねるほど……その言葉が胡散臭ければ胡散臭いほど、信用を失うのは誰だと思う?

 お前だぜ?


 人は、あからさまな敵以上に、味方のフリをした裏切り者を警戒し、嫌う。


 ……なんてこと、やっぱり教えてやるのはもったいないよな。やめておこう。

 だから、勝手に感じろよ。

 自分に向けられる疑念ってヤツを、肌でな。


「しかし、あれだな。さすがに『誰からの招待状とは書かれていないからって、関係ない招待状を持っているからセーフ』なんてのは、常識的に考えて無理があるよなぁ」


 あえて、その場にいる全員が思っているであろう不満な点を話題に出す。

 そして、あえて、そちらに都合のいいように誘導してやる。


「だからよぉ、俺がこの後ここにいてもいいかどうか――多数決しないか?」


 そうすれば、確実に…………ゲラーシーが食いつく。

 ゲラーシー『だけ』が。


「そうだ。まさにその通りだ! 自覚があるのであれば、自からさっさと場を辞するべきではないのか」

「個人的には出ていきたくないんでな。だが、領主の皆様が出て行けというのであれば、多数決で決まったことであれば、俺はそれに従ってもいいと思っている」

「ちっ……手間をかけさせる」


 ゲラーシーは、一秒でも早く俺を退場させたい。

 そして、他の領主が自身に抱いている疑念の内容に思い至っていない。

 まさか、自分が『オオバヤシロを引き込んだ黒幕』だと思われているなんてことはな。


「それでは皆、再度多数決を採りたいと思う」


 だから、解決を急ぐあまりに『先ほどもそうしたように』、『多数決を採る』ことを、『多数決を採らずに』決める。

 その独断が、不興を買うとも気付かずに。


「招待状の詳細について書かれていないというくだらない屁理屈を持ってこの場にそぐわない者が紛れ込むべきではないと思う者は挙手を……」

「もうよい!」


 叫んだのは、二十三区の領主だった。

 ドニスほどではないが、相応に年を取っている。デミリーと同じくらいに見える中年だ。


「茶番だ」


 短い――明確な拒絶の言葉。

 ゲラーシーは、その言葉に戸惑いを隠せない。

 二十三区といえば、三十区に隣接している、最も多くの通行税を稼いでいる区だ。『BU』の中での発言権も、当然大きいだろう。

 その領主が明らかに怒っている。

 そして、周りの領主も同調して、不機嫌そうな顔を隠そうともしない。


 敵は目の前にいるのに。その敵を追い出すチャンスなのに、背後から撃たれた――とでも思っているのだろうな、ゲラーシーは。

 でもな。


 明らかな敵が、わざわざ小細工を弄してもぐり込んでおいて、なんの見返りもなくあっさりと「邪魔なら出て行こうか?」なんて言い出したら、お前……そりゃ怪しむって。「どうせ何か裏があるんだろう」って思うのが普通だって。

 そりゃ「茶番だ」って言葉も飛び出すってもんだよ、ゲラーシー。


 気付いていないのは、お前だけだ。


 だって、お前だけは真実を知っているもんな。

 俺をこの館へ引き込んでなどいない。その唯一無二の真実を知っている。絶対的に信頼出来る情報だよな、『自分はやってない』ってのは。

 でもな、その『自分はやってない』ってのは、他人が最も信用してくれない理由なんだよ。


 そこの温度差が、この状況を作り出したのだ。


 いやぁ、実に爽快だ。

 ここまで上手く決まると、さすがにいい気分だな。



 ゲラーシー、感じるか?


 お前が今感じている重苦しい空気。威圧感。居心地の悪さ。

 それが……



 信用を失った者が味わう、絶望の空気なんだよ。



 まんまとハマってくれたな、俺の掘った落とし穴に。

 でも、これはまだただの準備段階だ。




 さぁ、始めようぜ――すべてを決める、多数決を。






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