240話 そして、当日
あっという間に時間は過ぎ、領主会談の日がやって来た。
一昨日から昨日にかけ四十二区に一泊したルシアは、会談を前に一度三十五区へと戻っていた。
エステラたちが三十五区まで行き、もう一度合流してから二十九区へと向かう手はずになっている。
ギルベルタからの情報では、ここ数日間は『BU』へ入る各関所には見張りが立っており、いつも以上の厳戒態勢が敷かれていたらしい。
おそらく、俺が無理に『BU』へ入ろうとすればそこで止められていたのだろう。
手紙のチェックも行われていたらしいという情報も得ている。
そういう状況だから、今回はエステラとナタリア、二人で向かってもらうことにした。
逆らえば、会談すら危うい状況になりかねない。
ヤツらの一方的な態度は、それを如実に物語っていた。
マーゥルから新たに送られてきた手紙にも、先走るような真似はしないようにと書かれていた。
なので、俺は大人しく陽だまり亭にてエステラを見送った。
少し不安げな顔で馬車に乗り込むエステラを、これまた不安そうな顔で見送るジネット。
いよいよ今日、決着がつく。
不服な内容であったとしても、異議申し立てが出来るような状況ではない。
というか、異議を申し立てた時点で『BU』との関係は最悪となり、これまでのような流通は破壊されてしまうだろう。
簡単なことだ。
「外周区への持ち出しには重税」
「外周区の特産品を持ち込む際には重税」と、二つほどルールを作ればいいだけだ。
そうすれば、それに反発した四十二区が『BU』に対抗して……結果は消耗戦。
お互い、無傷では済まない。
っていうか、「貧乏で卑しい外周区どもは長期戦になれば経済が破壊されて立ち行かなくなる」とでも思っているんだろうな、『BU』の連中は。
「あいつらは、こっちの方まで偵察に来てたのか」
「……それはない。メドラママの命令でギルドの人間を各所に見張りとして立たせていたが、網に引っかかった者はいなかった」
「へぇ、そんなことしてたのか」
「……『海漁ギルドよりも役に立つ狩猟ギルドをよろしく』」
「なんだよ、それ……」
「……現在の狩猟ギルドのスローガン」
メドラがマーシャに対抗意識を燃やしているらしい。
張り合うなっつの。
「で、狩猟ギルドの面々は信用出来るのか?」
「……技術面は言うに及ばず」
森の中で獲物を見つけ出して狩ったり、危険な魔獣をいち早く察知して退避したりと、そういう技術に長けた連中だからな。見張りや警戒はお手の物なのだろう。
「……それに、グスターブが凄まじい張り切りようで、後輩たちに圧力をかけていた」
「グスターブ?」
「……マーシャに恋するピラニア人族の男」
「ん~…………?」
「……甲高い声」
「あぁ! あの大食い大会の時のあいつか!」
四回戦で俺と対決した、妙に信心深い、夢の国のネズミを思い出させる声をしたあのピラニアか。そういえばマーシャにゾッコンだったな、あいつは。
「そいつが打倒マーシャに燃えてたってのか?」
「……いや。むしろ共闘をと訴えていた。が、あの男は『海漁ギルド』と名が付けば無条件で張り切り過ぎてしまう病気にかかっている」
「いいところを見てほしいって意識が働いたんだな……フィルマンを拗らせたようなヤツだ」
この街には、純情な男が多いな。多過ぎるな。
「じゃあ、俺もそろそろ出掛けるかな」
「あ、ヤシロさん」
出掛けようとした俺をジネットが呼び止める。
そして、少し待つように言って陽だまり亭へと入っていく。
マグダと視線を合わせてみるも、マグダもジネットが何をするつもりなのかは分からないようだった。
ほんのわずかな時間が過ぎ、ジネットが手にやたらデカいバスケットを持って出てきた。ざっくり十人分くらいの飯が入りそうな大きさだ。
そのバスケットを俺へと差し出す。……一人分の弁当にしては多過ぎる気がするんだが。
「ニュータウンへ行かれるんでしたら、ロレッタさんにこれを届けていただけませんか?」
「あぁ、そういうことか」
「……ロレッタ、生きているといいけれど…………」
「いや、生きてるから」
「……激し過ぎる筋肉痛は、………………死ねる」
そりゃあ、そうかもしれんが……
実を言うと、二十四区から戻ってきた翌日、ルシアと陽だまり亭でミーティングをしていた日の午後から、ロレッタは陽だまり亭を離れ、ある場所で重要な任務に従事していた。
通常であればひと月近くかけて行うべき作業を、二日半で完成させたのだ。
昨日の朝も死にそうな顔をしていたが、仕事が残っていることで気力は続いていた。だが、仕事が終わった途端に押し寄せてくるのが疲労というものだ。
きっと、今朝はもっと酷いことになっているだろう。
ジネットが精のつくものを食べさせたがるのも頷ける。
「ロレッタに食わせるにしても、さすがに多くないか?」
「いえ、あの……ロレッタさんの場合、ご兄弟のつまみ食いが多そうでしたので……」
「賢明な判断だな」
ロレッタが筋肉痛で苦しんでいるということは、ロレッタの飯が弟妹たちに食い散らかされるということだ。
……あいつら、家では結構言うこと聞かないらしいしな。
というか、ロレッタがなんだかんだ甘いんだよな。真剣に怒る時は弟妹全員ぴしーっとしてるわけだし、舐めた態度を取られてるってことは「これくらいはセーフ」と思われてるってことだ。
厳しい長女を演出したいらしいが、あいつの甘々はモロバレだ。
「ジネット。確実にロレッタに飯を食わせたいなら、弟妹の中から『看病係』を選出するんだ。そうすりゃ、任命されたヤツは責任感を持ってロレッタの看病を完遂してくれるだろうよ」
「なるほど。さすがですね、ヤシロさん。ご弟妹のことをよく理解されてます」
「……さすが長男」
「いや、違うんだが?」
ロレッタが「お兄ちゃん」って呼ぶから、なんとなくそんな感じになってるけども。
弟妹たちも随分と懐いているけども。
……っていうか、懐かれ過ぎだよな、俺。
「では、『昨日頑張ったみなさんで美味しくご飯を食べる係』を任命してきてください」
「だとすると、これじゃ足りないな」
昨日は弟妹総動員だったからな。
「では、足りない分は陽だまり亭に食べに来ていただくことにしましょう」
「……大赤字だな、今日は」
「それは、ほら、えっと……あれです、あの……なんと言いましたっけ……ヤシロさんがよくおっしゃってる………………そうです、『投資』です!」
「俺がいつ言ったよ?」
そんな、「相手を信用して先に力を貸してやるよ」的な発言をよ。
俺はそんなお人好しじゃねぇっつの。
あと、後から支払うものは投資とは言わないからな?
「……ご褒美があって然るべき。『アレ』は、相当凄いもの」
マグダまでもが大絶賛だ。
まぁ、あいつらが二日で作り上げちまった『アレ』には、それだけの価値があるか。
そして、『アレ』が『BU』を崩す決め手になるのも確実だし…………まぁ、仕方ないか。
「じゃあ、今日だけは特別にな」
「はい。特別ですね。……うふふ」
な~んだよ、その含んだような笑いは?
言いたいことがあるならはっきり言えよ。いや、やっぱ言わなくていい。聞きたくもない。
「んじゃ、行ってくるわ」
「はい。お気を付けて」
「……ロレッタによろしく、『ゆっくり休むように』と」
「へ~いへい」
見送られて、俺も陽だまり亭を出発する。
やたらとデカいバスケットを持って。
ニュータウンに足を踏み入れる。…………どこの縁日だ?
ニュータウンの道の両脇には出店が並んでいた。もっとも、どれも開いていないのだが。
昨日、一昨日と、ここには大量の大工や木こりが行き交い、そいつらのための食い物屋が立ち並んでいたのだ。
さながら、今は祭りの後だな。早朝ということもあって、辺りはしんと静まり返っている。
川へと向かう屋台の列を横目に、ロレッタの家を目指す。
そういえば、あいつの家に行くのって初めてかもしれない。なんだかんだで呼びつけてばかりだったからな。
最初からこの地に住んでいたロレッタたち一家は、ニュータウン再開発の際に、とてもいい土地へ家を建ててもらっていた。
立ち退き料とか、そういう意味合いを含んだ処置だ。
もともとあいつらの家があった場所は水はけも悪くて終日ぬかるんでいるような場所だったのだが、現在はニュータウンの中でも日当たりのいい少し小高くなっているオシャレな場所に引っ越している。水はけもいい。
ルシアの別荘を作るなら、条件的にはこの付近にするべきなんだろうなという、ニュータウン随一の一等地だ。……が、ハム摩呂が危険にさらされることになるので、ルシアの別荘は川を挟んだ向こう側にする予定だ。
「おぉ……並んでると迫力あるな」
しばらく進むと、統一感を持たせながらも微かに個性を見せる建て売り物件のような家が並んでいた。全部で三軒。
一軒が母屋で、少し大きめのが子供部屋――っていうか、子供家か。
そして、仕事道具を納めてある納屋的な使い方の離れが一軒。
これらは全部ロレッタ一家のための家だ。
よく見ると、すべての家の間は渡り廊下で繋がっている。
母屋には、両親とロレッタが住み、それ以外の弟妹は全員子供家に住んでいる。
本当は、三軒に分かれてゆとりをもって住まわせようと思っていたのだが、窮屈な方が落ち着くとかで、弟妹は仲良く、ぎゅうぎゅう詰めで生活している。
そういえば、ペットショップで見たハムスターは、狭いところに入って積み重なるようにして寝てたっけな。
そして、四十二区内に存在するありとあらゆる職業の手伝いを任されるハムっ子たちは、その数だけ仕事道具を所有している。その量は半端なものではなく、道具の置き場やメンテナンス室、扱いを教えるための実習室などを設けると離れが丸々一軒埋まってしまったのだそうだ。
もう一軒くらい増やそうかと言ったこともあったのだが、ロレッタも弟妹も必要ないと言っていた。
あ、いや、確かロレッタが……「どうせ作るなら、両親を子供たちと隔離するために小さい部屋がいいです……」とか言っていたっけな。
でも、そんなことしたら際限なく子供が増えるだろうと、ロレッタと一緒に母屋に住んでいるそうだ。
今度『節操』って書いた掛け軸でもプレゼントしてやろうかな。
というわけで、俺は母屋へと向かう。
母屋には大きめの風呂やこれまた食堂並みに大きなキッチンが備えられていて、家族全員が集うリビングもここにある。
なので、弟妹の部屋が別棟にあっても、日に何度かは顔を合わせるようになっている。家族の絆は、ロレッタたち一家の宝物だからな。
「おーい、ロレッター! 生きてるかー?」
ドアをノックすると、妹がちょこりんっと顔を覗かせた。
「あっ! おにーちゃん!」
妹はおおよそ十一歳~十三歳くらいで、陽だまり亭の二号店七号店で売り子を任せられる年齢だ。
しっかりしている部類に入るハムっ子だ。
「お姉ちゃんにご用? それともお父さん?」
「……ロレッタだ」
「な~んだぁ、残念」
何が残念なのかは聞かないが……ちょっとしっかりし過ぎかな。
ハムっ子はそういうの一切気にしない無邪気なお子様で居続けてほしいものだ。
「お姉ちゃん、今朝はベッドから起き上がれなかったんだよー」
「そんなに酷いのか?」
「穴掘りは弟たちのお仕事なのに、いいところを見せようとしてたくさん掘ってたから」
「あいつは……弟妹相手にもいいかっこがしたいのか」
「『長女の威厳がー』が口癖なのー」
そうやって意地になるから威厳が損なわれていくんだっつの。
「じゃあとりあえず、俺が来たことと、お見舞いに行ってもいいか聞いてきてくれ」
「入ればいいのにー」
「ロレッタくらいの年齢になるとな、寝間着を見られるのも恥ずかしくなるんだよ」
「…………着てるよ?」
「……俺も、ロレッタが全裸だとは思ってねぇよ」
いくら『BU』でナタリアがもてはやされたとしても、ナタリア流寝間着は流行らねぇよ。……そもそも、寝間着じゃねぇし、全裸は。
「じゃあ、聞いてくるねー」
ぱたぱたと駆けていく妹を見送る。
と、小っちゃい妹がもっと小っちゃい弟を抱えて現れた。
「あー! おにーちゃーん!」
「おにー! ちゃー!」
「お前ら、教会じゃないのか?」
小さいハムっ子は、教会で面倒を見てもらっているはずだが。
「今日はご帰宅なのー!」
「なのー!」
全力で吠える妹の言葉を要約すると、弟妹総出で働いたので、弟妹を癒すためのお手伝いをするために一時帰宅しているのだという。
……お前らの面倒を見なきゃいけないって手間が増えてんじゃねぇか。
「お店、今日片付けるってー」
「あ、いや、待て。店はそのままにしておくように言ってくれ」
「誰にー?」
「ん~…………ウーマロって分かるか?」
「大工のキツネヤロウー!」
「……お前らのウーマロに対する認識って、端から見てると冷や冷やする時あるよな」
まぁ、おそらく俺のせいなんだろうけども。
「ウーマロを知ってる兄弟でもいいから、そう伝えておいてくれ」
「分かったー!」
腕を振り上げて妹が駆けていく。
妹の腕に抱えられて、弟も両腕を振り上げている。
マネしたい年頃なんだろう。
「やったー! お仕事ゲットだぜー!」
「ぴかー!」
「ちょっと待て弟!? なんでお前がそれ知ってんだ!?」
まさか、こっちの世界にも「ぴかー」って鳴くモンスターがいるのか?
か、『強制翻訳魔法』のお遊びか………………後者だな、たぶん。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんが『あと五分待ってです! ちょっと部屋を片付けて……アイタタタ! ……や、やっぱり、四十分ほど待ってです……』って、面白い動きしながら言ってたー!」
「モノマネはさすがによく似てたけど……そこまで忠実に再現しなくていいから」
慌てて片付けようとして、筋肉痛でベッドから転げ落ちて動けなくなったロレッタが容易に想像出来た。
「居間で待ってていーよー」
「そうか? じゃあ、お邪魔させてもらうかな」
「うんー! でも、二階から何か聞こえたら耳塞いでー!」
……うん。両親の部屋は二階なんだな。
教育上、よくないよなぁ、ここの両親。
まぁ、とりあえず上がらせてもらう。
妹に連れられ、さすがはウーマロだな、という居心地のいい居間に通される。
かなり広めの居間だが、兄弟全員は当然入れない。飯はどこで食ってんだろうな。
兄弟勢揃いで飯を食おうと思ったら、やっぱり外でバーベキューとかになるんだろうな。
庭に竈でも作ってやるか。
「ふぉぉお!? まさかの、家庭訪問やー!」
居間にいる俺を見つけて、ハム摩呂が目をまん丸くする。
両手で大きなカゴを抱えている。中に入ってるのは洗濯物だろう。
「お前は大丈夫なのか、ハム摩呂」
「はむまろ?」
「お前も、この二日間働き詰めだったろ?」
ロレッタは筋肉痛で寝込むほど疲弊してるってのに、随分とケロッとした顔をしている。
「平気ー! 体のつくりが違うー! 遺伝子レベルでー!」
「遺伝子はまったく同じだよ、お前らは」
「抗えぬ、血の呪縛やー!」
どこで覚えてくるんだ、そういう言葉を。つか、お前はもうすっかり比喩表現ってのを忘れちまったんだな。
「これから洗濯か?」
「うんー! おねーちゃんのパンツはデリケートだから手洗い必須ー!」
「……って、ロレッタに言われたのは分かったから、可愛らしいピンクのパンツを広げてこっちに見せつけるのはやめとけな。あとでぶっ飛ばされるぞ」
ロレッタもなかなか可愛いパンツを穿いているようだ。
節約を理由にボロボロのを穿いていたらどうしようかと思ったが、一先ず安心だな。
と、そこへ妹が戻ってくる。
「お兄ちゃん。お姉ちゃんが呼んできていいってー」
「おう。んじゃ行くか」
「僕も行くー!」
「いや、お前は洗濯してこいよ」
「あとの楽しみにとっとくー!」
「それ、仕事を後回しにしてるだけじゃねぇか」
妹とハム摩呂に挟まれるようにして、母屋の二階へと向かう。
二階にも何部屋かあるのだが……まぁ、幼い兄弟をここに住まわせるのは危険だな…………あの両親。
「ここ、お姉ちゃんの部屋ー」
「ノックせずに開けると、すごい怒られるー!」
「容易に想像出来るよ、怒られてるお前らの姿が」
ロレッタも年頃の娘なんだなぁ……
「ノックしてって言ってるです!」とか言ってんのか、あいつも。
「じゃあ、ノックせずに開けよう。――ガチャっと」
「にょぁあああ!? ノ、ノックしてって、いつも言ってるですよ!?」
ベッドの上で布団にくるまるロレッタ。
うんうん。予想通りの反応だ。
「着替えていたらどうするですか、お兄ちゃん!?」
「俺が来てるって聞いてわざわざ着替えたりしないだろ?」
「するですよ! 綺麗なよそ行きの寝間着に着替えたり!」
「……寝間着で出掛けんじゃねぇよ」
赤い顔をするロレッタを宥め、部屋へと入らせてもらう。
……く、ロレッタのくせに、ちょっと甘いいい香りがしやがる。
「部屋でお菓子を食い散らかしてるのか?」
「ミリリっちょに教えてもらったポプリを置いてるんですよ!?」
あぁ、そういえば、前に教わったなポプリ。
鮮やかな花弁が詰まった小瓶が置かれている。
「自分で作ったのか?」
「はいです。教わってから、ちょいちょいやってるです。ちょっとした趣味です」
「趣味なんかあったのか……」
「そりゃあるですよ」
「しかも物作りとは」
「えへへ……お兄ちゃんを見てると、あたしも何か作りたいって思っちゃうです」
それで、自分にも出来る物を作っているわけか。
「女の子みたいだな、お前」
「女の子ですよ!? なんだと思われてるです、あたし!?」
ロレッタの部屋は、実に女の子らしい部屋だった。
ジネットが作ってくれたという白くまるっこい人形が枕元に飾ってある。……てるてる坊主だな、あれのモチーフ。
ベッドにかけられたシーツも、どうやって作ったのか花柄に染め抜かれている。
あんなもん、ウクリネスに作ってもらおうと思ったら結構な値段になるぞ。
「これ、ネフェリーさんに教わりながら一緒に染めたです」
「ネフェリー、染め物出来るのか?」
「凄いですよ、ネフェリーさん。その道で食べていけそうな腕前です」
まぁ、ネフェリーは養鶏場以外やらないだろうけど。
そうか、そんなに上手いのか…………藍染めとかやらせてみるか。浴衣の生地に。
「上手いもんだ。こういうの、ジネットにやれば喜ぶぞ」
「今度、お休みになったら店長さんとマグダっちょに作ってあげるです」
「おう、そうしてやれ」
「お兄ちゃんにも作るです! 楽しみにしててです」
ん~……俺は花柄とかはちょっと……
「俺の好きそうな柄にしてくれよ」
「おっぱいは、ちょっと……」
「誰がそんな布団で寝るか」
日本では添い寝シーツとかあるみたいだけども。
俺はいらん。平面に描かれた乳など乳にあらず!
俺は、あの膨らみが好きなのだ!
「平面はおっぱいにあらず!」
「エステラさんに謝ってです!」
迷いのないツッコミだな。
お前こそが謝っとけよ。
「で、ジネットがお前に弁当作ってくれたぞ」
「わぁ! それは嬉しいです! 店長さんの料理を食べれば筋肉痛もこむら返りも謎の金縛りもみんな一気に治っちゃうです!」
「エリクサーか、あいつの料理は……つか、相当酷使されたんだな、お前の筋肉」
こむら返りも金縛りも、相当な疲労が溜まっている証拠だ。
「妹。あと二人くらい呼んできて、ロレッタの看病係をやってくれないか?」
「いいよー! 呼んでくるー!」
「あの、お兄ちゃん。あたし、別に看病されるほどのことは……」
「いや、看病係がいないと……」
「うまー! 大絶品の、つまみ食いやー!」
「――と、こういうヤツを防ぎきれないだろ?」
「ハム摩呂っ、なにつまみ食いしてるですか!?」
「はむまろ?」
「あんたですよ! 勝手に唐揚げを頬張ってるあんたです!」
これから洗濯に行こうというヤツが、素手で唐揚げを摘まんでいる。
それで洗濯物触るなよ……
「拭くー! 服だけに」
「こらぁ! 服で拭いちゃダメです!」
「平気ー! これ、おねーちゃんのパンツー!」
「にょはぁぁああ!? 広げちゃダメです! お兄ちゃんも見ちゃダメです!」
うん。ごめん。
もう、見たんだ、さっき。
「あんたはさっさとお洗濯行ってくるです!」
「食べ盛りの、断固拒否やー!」
「ハム摩呂。仕事が終わったら陽だまり亭行ってこい。好きなだけ食っていいから」
「ご褒美があれば、俄然頑張れるー!」
意気揚々と、ハム摩呂が洗濯へと出掛けていく。
……毎日こいつらの相手するのって、やっぱ大変だよな。
「ロレッタ、お疲れ」
「……心底疲れたです」
騒がしかったハム摩呂が洗濯へ向かい、妹も看病係の人員確保に行ってしまい、部屋には俺とロレッタの二人きりだ。
……えぇい、くそ。この甘い香りが変にロレッタの中の女の子を意識させやがる。
「なぁ、この辺にハビエルの銅像でも飾らないか?」
「嫌ですよ、そんな寝る時ばっちり視界に入る場所!」
ロレッタの部屋なんだから、もうちょっと笑いの成分が欲しいところなんだが。
とりあえず、頼まれていたお使いを完遂させる。
「弁当、食えるか?」
「うぅ……腕が痛いです、けど、食べるくらいは出来るです」
「穴掘りなんか普段しないのに張り切るからだよ」
「だって……長女ですし」
「陣頭指揮を執ってくれって言ったろ? ハムっ子を総動員して統率を取るには、長女のお前に任せるのが一番だと思ったんだよ」
「確かに、ウーマロさんたちは弟妹に甘いですから、二日で終わらせるのはちょっと難しかったと思うです」
ハムっ子がいくら仕事好きとはいえ、疲れないわけではない。
何より、あいつらはまだ子供なのだ。体力だって無限じゃないし、遊びたい盛りで気力の方も持続するわけではない。
それこそ休みなく働き続けたのだ。厳しいことも言わなければいけない。
そうなると、他人であるウーマロたちでは難しい面もある。
なので、ロレッタだ。
「無茶させたな」
「あはは……確かに、ちょっとしんどかったです。でも……」
ヒザを抱え、そこに頭をそっと載せる。
ベッドの上で三角座りになり、楽しげに、そして誇らしげに言う。
「『あぁ、今あたしたち働いてるんだなぁ』って思えたです。『これが、四十二区のためになるなんて、最高だなぁ』って、思ったです」
そして、照れくさそうに。
「……お兄ちゃんのお願いなら、なんだってやるです」
そう言ってくれた。
嬉しいことを言ってくれる……
これはご褒美が必要だな。
「ロレッタ、何が食いたい? 食わせてやる」
「ふぇええ!? そ、そんな……それは、子供の看病の時にやることで……長女たるあたしは、そういう甘えん坊みたいなことは…………………………玉子焼き、食べたいです」
何かに葛藤していたようだが、結局折れたようだ。
玉子焼きを一口サイズに切って、箸で摘まんでロレッタの口へと運ぶ。
「あ、あの…………アレも、言ってほしいです……あの、定番の……」
アレ? 定番……あぁ、アレか。
「ロレッタは普通だなぁ~」
「それじゃないです! そして定番じゃないです!」
分かってるよ。
「……ほれ、あ~ん」
「えへへ……お兄ちゃん、優しいです」
「早くしろよ」
「うん、です。……あ~ん」
ロレッタが口を開き、……なぜかまぶたを閉じる。
キスするんじゃねぇんだから、目は開けとけよ。
玉子焼きを落とさないように、待ち構えているロレッタの口へと近付けていく。
その時――
「お姉ちゃんの看病係、決まったー!」
「大抜擢ー!」
「どんな病も怪我も治してみせるー!」
――妹が三人部屋に飛び込んできて、固まった。
「「「……あ」」」
「にゃ、にょほっ、あぅ、あの、こ、これは……ち、違うです!」
大慌てで身を引くロレッタ。
箸に残された玉子焼き。
甘えている姿を妹に見せたくないのだろう、長女として。
「お姉ちゃん」
「お兄ちゃん」
「な、なんですか……?」
「「「お父さんとお母さん、呼んでくる?」」」
「余計なことしなくていいです!」
なんとなく、俺はこの家にいると、家族の一員にされてしまいそうだ。なので、早々に退散することにした。
そして、ぷらぷらとニュータウンを歩く。
ようやく空が朝の色になっていく。
エステラがルシアと合流するのはまだ大分先だろう。二十九区に到着するのは、それよりもっと先になる。
それまでにやっておかなきゃな。
『BU』をひっくり返すための下準備を。
そんなわけで、俺は再び川の方へと向かって歩き始める。
とどけ~る1号の建っている、崖の方向へと。
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