237話 日没後のミーティング

「カリふわ、うまっ!」

「ホント、美味しい」

「こんな一手間で変わるもんさねぇ」


 と、概ね好評のようだ。

 ……で、そうじゃねぇんだ。


「揚げたこ焼き試食会じゃねぇから」

「分かってるさね……あふあふ……話、続けて……あふ……いいさね」

「はふはふ……うん、私……はふ……ちゃんと聞いてるよ」

「あふぁひも~!」


 美味そうに食うな、ノーマにネフェリーにパウラ。パウラに関しては「あたしも~」すらちゃんと言えてないけどな。


「たくさん食べてくださいね」

「お前も作り過ぎだぞ、ジネット!?」


 そもそも教えるも何も、たこ焼きが作れるジネットにとって、揚げたこ焼きは簡単なもので、あっという間に自分のものにしてしまっていた。

 以降、瞬く間にどんどん揚げたこ焼きが量産されていく。


「はふはふ……ん~。美味しいですねぇ」


 ベルティーナがいてくれてよかった。

 陽だまり亭に来た当初だったらそんなこと、とても思えなかっただろうけどな。食材だってタダじゃねぇんだっての。


 とはいえ、ジネットに「作るな」とか、ベルティーナに「食うな」とか、そんな無謀なことは言えないからな。

 それはカエルに「飛べ」と言っているようなものだ。


 出来もしない要求を言って時間の浪費をしている暇はない。


「ごめん、遅くなって。待たせ……ては、なさそうだね」


 陽だまり亭に駆け込んできたエステラが、食堂内を見て苦笑を漏らす。

 一目で状況を完全に把握したようだ。


「手紙は書けたのか?」

「うん。今届けに行ってるよ」

「こんな時間にか?」

「リカルドもおじ様も、門番をきちんと立たせているからね。手紙を受け取るくらい出来るよ。読んでくれるのは明日だろうけどね」

「いや、そっちじゃなくて。お前んとこの給仕って、女しかいないだろ? 危なくねぇか?」


 至極まっとうなことを言ったつもりなのだが、エステラがきょとんとした顔をさらす。

 なんだよ。

 四十二区内の治安はよくなったとはいえ、他区は遠いし、ゴロツキだってまだうろうろしてんだろうが。


「ヤシロは、ウチの給仕のことまで気に掛けてくれるんだね」

「そりゃ、顔見知りが多いからな」


 何かと出向いてるからな、エステラの家には。


「ありがとう。素直に感謝しておくよ」

「いや、感謝とかじゃなくて……」

「でも、ウチの給仕はみんなナタリア仕込みのナイフ術を体得してるから」

「なに、そのおっかない武闘集団」

「それに、三人一組で向かわせたから、そうそう危険はないよ。……まぁ、絶対安全ってわけじゃないから、申し訳ないとは思うけどね」


「それよりも、今は四十二区の危機だから」と、エステラは気遣うような笑みを浮かべた。


「ふふ……あとでみんなに教えてあげよっと。『ヤシロが心配してくれてたよ~』って」

「やめてくれるか、人を善人みたいに仕立て上げるの。後々煩わしい目に遭いそうだから」

「『仕立て上げる』……ねぇ」

「……にやにやすんな。この一大事に」

「そうだったね。……ふふ」


 まったく。

 こいつには危機感ってもんが足りないんじゃないか?


 おまえもしかしてまだ、自分が死なないとでも思ってんじゃないかね?


 いや、死にゃしないけど。

 最悪、そういうことだってあり得るくらいの一大事だって自覚は持っていてもらいたいくらいだ。


「それにしても、何か明るくないかい? 照明を変え……あ、ウェンディか」

「……すみません、領主様」


 部屋の隅で小さくなっているウェンディがさらに体を小さくして頭を下げる。

 うわぁ、領主の領民イジメだ。


「可哀想に」

「そ、そういうつもりじゃないよ!? 違うからね、ウェンディ!」

「はい……承知しております……私が光っているのが悪いんです」

「悪くない悪くない! ウェンディの明かりは優しい明かりだから!」

「そうだな。ウェンディ、もうちょっと真ん中来てくれ。この辺暗いんだ」

「照明代わりに使わないであげなよ!? 君の方が扱いが酷いからね!」


 なんかもう、これでもかってくらいに全力で光っているウェンディ。

 その隣で同じく体を小さくしているセロン。ウェンディの陰になって存在感がまるでないな。


「お待たせしましたわ」

「今戻ったぞ」


 イメルダとデリアが揃って入ってくる。


「ベッコさんを連れてきましたわよ」

「お待たせいたし、申し訳ないでござる」


 イメルダは一度陽だまり亭に来てから、「ベッコさんを呼んできますわ!」と、デリアを護衛に付けて出て行ったのだ。


「別にベッコまで呼んでこなくてもよかったのに」

「そうはいきませんわ! ベッコさんは必要な方ですもの」

「イメルダ氏……拙者のことを、それほど信用して……感激でござるっ!」

「さぁ、ベッコさん。これが揚げたこ焼きですわ!」

「まさか、今食品サンプルを作れと申すでござるか!? そのために呼んだでござるか!?」

「区のことはヤシロさんにお任せなさいまし。むしろベッコさんは余計なことはなさいませんよう」

「酷い言われようでござる!?」


 そうだった。

 新しい料理が好きなのはジネットとベルティーナだけじゃなかった……イメルダもだ。

 食べるのではなく、食品サンプルのコレクターとして。


 まぁ、今回は現状報告と、状況の整理みたいなもんだから、誰がいても、いなくても問題ないんだけどな。


「とにかく、これでめぼしいメンバーは揃ったか」


 と言っても、特に誰と誰に伝える――なんてことは決めていないんだが。

 あの場にいて、状況を教えてほしそうな面々は揃っている。


「そうだな。まずは、今日あったことを説明するか」

「そうだね。ボクがやろうか?」

「あぁ、任せる」

「それじゃあ――」


 各々がたこ焼き片手ではありつつも、真剣な表情でエステラを見つめる。

 立ち上がり、エステラが淡々と今日あった出来事を説明していく。

『宴』での反応や、ドニスとの約束。

 そして、最後に現れたゲラーシーと『BU』の連中の話を。


「そういうわけで、これ以上『BU』の領主を味方へ引き入れることは出来なくなった……っていうのが現在の状況なんだ」


 長い話を終えたエステラに、ジネットがアイスティを差し出す。

「ありがと」と受け取り、腰を下ろすエステラ。


 しばし、誰も何も言わない。

 今聞いた事実を、各人、心の中で整理でもしているのだろう。


「ちょっと、えぇやろか?」


 静かになった食堂で、最初に口を開いたのはレジーナだった。

 小さく片手を上げて反対の手でメガネを押さえている。


「なんだ?」

「この角度でそっち見るとめっちゃ眩しいさかい、照明(ウェンディはん)ズラしてもろてえぇやろか?」

「す、すみません! 端っこに行ってますね!」

「お前はどうでもいいことしか言えんのか」


 ウェンディが後方の席に移動しようとしたが、単なる冗談だとその場に留まらせる。


「そういえば……ナタリアが、炎の光を使って遠方の人間にメッセージを送る方法があるって言ってたような……」

「えっ!? まさか、私の光を使ってどなたかにメッセージを送るつもりですか領主様!?」

「あ、いや……手紙が送れないなら、そういう方法もありかなぁ~って。あはは、冗談だよ、冗談」


 確かに、炎の光を法則に則って隠したりする伝達方法はあるけどさ、モールス信号とか手旗信号みたいなヤツで。

 ただ、それを利用するには、相手がそれの解読法を知らなければいけない。

 何も知らないヤツにモールス信号を送っても意味は伝わらないしな。


「……手紙が送れなくても、デリアが大きな声で叫べば……聞こえるっ」

「うん。聞かれちゃマズい相手にまで丸聞こえになるけどな」

「ん? やろうか? あたいはいいぞ」

「聞いてたか? やらなくていいから」


 マグダの案は秘匿性が皆無なので却下だ。


「連携が取れないのはキツいよね……」

「確かに、打ち合わせが出来ないと、いざって時に食い違う可能性が高いさね……それは致命的さね」


 エステラにノーマが同調する。

 何かをひっくり返すために誰かと連携するには、きっちりと連絡を取り合い、段取りをして、本番でシナリオ通りにことを運ぶ必要がある。

 じっくりと準備をして、やる時は一気に。それが、膠着状態を打破するには不可欠となる。


「今日会いに行ってた領主様はどうなの? 別れ際に何か言ってなかった?」


 ネフェリーの問いにはエステラが端的に答える。


「何も話せなかったよ。ただ、『自分の区の領民を守る義務がある』とだけ」

「ちょっと、エステラ。それって、四十二区を見捨てる宣言?」

「違うよ、パウラ。『四十二区を優先は出来ない』ってことさ」

「一緒じゃない。なによ、領主のくせに、ケチ臭いんだから!」


 憤るパウラ。

 エステラが宥めるが、パウラの中の敵愾心は当分収まりそうもない。


「逆の立場でお考えなさいな」


 いつの間に入れさせたのか、紅茶のカップを優雅に傾けながら、イメルダが言う。


「もしエステラさんが、他区を守るためにワタクシたち領民を犠牲にすると言い出したら……」

「……う、それは…………」

「みなさん、『この抉れ乳が!』と思いますでしょう?」

「みんなそんなこと思わないよ!? ね、みんな!?」


 全力否定したのはエステラだけだった。

 他の面々は――


「『状況によっては思うかもなぁ……と心の中で思っていた』」

「なに勝手なこと言ってんのさ、ヤシロ!? 君がみんなの気持ちを代弁しないでくれるかい!?」


 俺が言わなくても、みんな思ってるっつの。


「でも、トレーシーさんなら、きっとあたしたちに都合がいいように動いてくれると思うです!」


 立ち上がり、こちらに都合のいい解釈を披露するロレッタ。

 拳を握って力説する。


「トレーシーさんとネネさんは、陽だまり亭で一緒に働いた仲間です! たとえ二日という短い時間であっても、一緒に働いた絆は消えないです!」

「いや、そう思いたい気持ちは分かるけど……」

「それに、トレーシーさんはエステラさんにぞっこんだったです! エステラさんが『ボクを助けて、マイハニー』とか言えば、絶対協力してくれるです!」

「言わないよ、そんなこと!?」


 ロレッタの持ってくる『絶対大丈夫』は根拠が弱いなぁ……

 そんな弱々の根拠にイメルダが反論する。


「他の領主の前で、特に意味もなく四十二区に加勢すれば、トレーシー・マッカリー率いる二十七区は『BU』を追われることになりますわね」

「そしたらまた陽だまり亭で働けばいいです!」

「領民はどうなさいますの?」

「あ……ぅ…………そこは、なんとか、努力で……」


 無責任!?

 こいつ、自分の案にすげぇ無責任!


「確かに、『エステラさんウッフン大作戦』では、領民まで救えないです……」

「悪意を感じる作戦名だね、ロレッタ……」

「……エステラでは乳不足……もとい、力不足」

「悪意を感じる言い間違いだね、マグダ!?」


 怒るエステラを無視して、マグダはジネットを指さす。


「……頼れるのは、店長」

「え? わたし、ですか?」

「……店長が一言……『従わないと足つぼ』と言えば」

「言いませんよ!?」

「……もしくは、領民全員に足つぼをすれば、乗っ取りも可能」

「しませんからね、足つぼも乗っ取りも!?」


 どうも、一度味方に付けた相手を離反させないためにはどうすればいいか、という議論が繰り返されているようだ。

 それじゃダメなんだよ。一度落ち着かせてやるか。


「念のために言っておくが、トレーシーとドニスがこちらの思うとおりの行動を取ったとして、結局多数決には勝てないんだぞ」


 俺の指摘に、辺りは水を打ったように静まり返る。


 今ここで、いかにトレーシーを引き込むかを議論する意味はない。

 それよりも恐ろしいのは、トレーシーがどう動くか分からないという現状だ。


「明らかにトレーシー――二十七区に不利な条件にもかかわらず、あいつがエステラのためにその不利益を甘んじて受け入れる……なんて状況の方が困るんだよ」

「あからさまに不利な条件を振った時は、素直に断ってほしい――計算が狂うから。と、いうわけだね」

「あぁ、そうだ」


 下手に義理立てされたりする方が厄介な時もある。

 大人しくしていてほしい時にしゃしゃり出てこられると台無しになることもある。

 というか、そういうことの方が多い。


「だから、トレーシーやドニスには、『自分の立場』で是か非かを素直に判断してもらいたい。その方が誘導しやすいからな」

「お兄ちゃん、他の区の領主様を裏から操る気です……」

「……影の支配者」

「そんな物々しいもんじゃねぇから!」


 誰が他区を支配なんぞするか、面倒くさい。

 こっちに有利になるよう、ほんのちょっと誘導してやるだけだ。


 たとえば……


「ロレッタ。俺が一口かじったたこ焼きと、こっちのかじってない綺麗なたこ焼きのどちらか一つをやろう。どっちがいい?」

「そんなの、かじってない方がいいです!」

「じゃあ、あ~ん」

「むほ!? 食べさせてくれるです!? じゃ、じゃあ……あ~ん」


 開かれたロレッタの口にたこ焼きを入れる。

 口を閉じて咀嚼……直後にロレッタがもんどりうった。


「からっ!? 辛いですっ!」

「あぁ。綺麗な方のたこ焼きの中にな、これでもかってカラシ入れといたから」

「何してるですか!?」


 このように、扱いやすい相手ならこちらの思い通りに動かすことが出来る。


「けほっ、けほっ……悔しいのは、このカラシ入りが、微妙に美味しいところです……ちょっとだけ癖になって、もう一個くらいなら食べてもいいかもとか思えるです……」


 ま、食い物で遊ぶのはよくないからな。

 ちゃんと美味しく作ったぞ。ただ、もんどりうつほど辛いけど。


「で、これがジネットだった場合、『綺麗な方はヤシロさんがどうぞ』とか言うかもしれないだろ?」


 そうなると、俺がカラシ入りを食う羽目になる。

 そこが怖い。


「つまり、トレーシーにもドニスにも、『ヤツらが思うとおりの行動』をしてもらうのがベストなわけだ」

「なるほどです……よく分かったです、けど、わざわざカラシ入りを食べさせる必要はなかったように思うです」

「……でもさっきのロレッタは、面白かった」

「『でも』じゃないですよ、マグダっちょ!? そんなんで『ならいいです!』とかならないですからね!?」


 辛い辛いと訴えるロレッタのために、急遽ドーナツが運ばれてくる。

 ネフェリーたちも目を輝かせる。

 まぁ、そっちで適当に食っててくれ。


「どっちにしても、なんとかコンタクトが取りたいところだよね」

「会いには行けないんかぃ?」

「『BU』は構造上、人の出入りに敏感なんだ。潜り込むのは無理だろうね」

「じゃあさ、ノーマが行けばいいんじゃねぇか? あたいらと違って、顔を知られてないだろ?」

「ナイス、デリア! そうよ! ノーマとかネフェリーとかあたしが行けばいいんじゃない!」


 パウラが手を鳴らして尻尾を揺らす。


「あたし、こういう時っていっつもあんま役に立ててないからさ、なんだってするよ」

「まぁ、アタシもやぶさかではないさね」

「パウラとノーマの二人じゃ心配だろうから、私も付いていってあげるね」

「「ネフェリー、どういう意味よ」さね」


 面の割れていない使者に伝言を……か。

 あまりいい作戦とは言えない。その理由はエステラが語ってくれた。


「外周区から来た人間が領主に面会するとなると、やっぱり目立つし、そういう『怪しい行為』をするだけで、今はトレーシーさんたちに迷惑がかかってしまうんだ」

「そんなもんなの?」

「そんなもんなんだよね、残念ながら」

「貴族というのは、ネフェリーさんたちが思っている以上に、陰湿で粘着質なんですわよ」


 自身も貴族であるイメルダの言葉は、これ以上もない説得力を持ってネフェリーたちを黙らせた。


「ってことはさぁ、八方塞がりってわけか?」


 ドーナツを咥えて、デリアが不機嫌そうに言う。

 こういう、絡め取られるような感じは大嫌いなんだろうな、デリアは。

 だが、こういうやり方がよく効くんだ、いやらしいほどに。


「ほなら、運を天に任せるしかあらへんのかいなぁ」


 なんて言葉を発しつつ、レジーナは俺を見てくる。

 それはそれは大変挑発的な視線で、さながら「で? どんな解決策隠し持っとんねんや?」と問いかけてくるような目だった。


 しょうがない。教えてやろう。


「とりあえず、トレーシーに手紙を出せないか検討してみるよ」


 そう言うと、エステラが分かりやすく眉間にしわを寄せる。


「出せば届くだろうけど、出したことを悟られた段階で、トレーシーさんは領主会談から外されかねないんだよ?」

「だから、バレないようにするんだよ」

「どうやってさ? どこを通ったってきっとバレるよ?」


『BU』の連中は、外部からの手紙や人間の行き来に目を光らせているのだろう。

 どこを経由させようと、『BU』に入った時点で怪しまれる。最悪、検問と称して中を見られる可能性もある。非常事態だと位置づけて、領主連名で検問を義務づければそれも可能だ。


「『BU』にさえ入ってしまえば検問は回避出来る。連中、出入りには目を光らせるだろうが、『BU』内の移動には無頓着になっているだろうからな」

「だから、その『BU』に入るのが難しいんだって……」

「あるだろうが、検問に引っかからない抜け道が」


 言いながら、俺はニュータウンの方向を指さす。

 それにいち早く感づいたのはノーマで、そばにいたロレッタの肩を叩く。

 肩を叩かれたロレッタが「あっ!」と声を上げる。

 エステラだってそこそこ利用したことがあるくせに、すっかりその存在を忘れてしまっている。


「とどけ~る1号を使えば、監視の目はくぐり抜けられるだろ?」

「あっ! そうか!」


 ようやくその存在を思い出し、エステラが手を打つ。

 あれは、マーゥルの館に直通で手紙を届けられる。

 しかも、マーゥルの指示により、敷地内に入らなければ外から見つかることはない位置に建ててある。

 こういうことを見越して建てる場所をちょっとズラすように言ったのだとしたら、あのオバサン、大したもんだ。


「とにかく、マーゥルに協力を仰ごう」

「そうだね。トレーシーさんとマーゥルさんは以前より懇意にしていたというし……こういう状況になって、トレーシーさんがミスター・エーリンの姉であるマーゥルさんのところへ相談に赴くのは不自然じゃないよね」

「呼びつけるのが難しくても、マーゥルから手紙を出してもらうくらいは出来るんじゃないかと思うんだ。ゲラーシーのヤツは、マーゥルを『僻地に追いやられた力のないお飾りの貴族』だと思っているらしいからな」


 まぁ、その辺を確認するためにも一度手紙を書いてみようと思う。


「それよりも、『BU』の他の区について情報が欲しい」

「たとえば?」

「立地と、主産業。それから近隣区との力関係と、経済力。そして『BU』への依存度、かな」

「依存度って言うのは、『自立率』ってことでいいかな?」

「そうだな。『BU』が傾いた時、どの区が困って、どの区が乗り切れるのか、その辺も知っておきたいな」

「あの。立地ということでしたら、僕が地図を持っています」


 と、ここまで存在感の薄かったセロンが立ち上がり、俺たちの前のテーブルにオールブルームの地図を広げた。

 全員が覗き込んでくる。

 ……ウェンディ。すげぇ眩しいからちょっと離れてくれるか?


 地図で見ると、四十二区は右下の方に位置している。

 左隣には三十区があるのだが、三十区との間には高い切り立った崖がある。

 二十九区との間も同様で、その二十九区は四十二区の上、北側にある。


「改めて見ると、『BU』は本当に領土が狭いんだな」

「そうだね。この狭さで生き残るためには共同体を作って通行税を取るしか方法がなかったんだろうね」


 三十区から四十二区までの外周区。その内側を囲うように連なる『BU』。

 外周区が広い領土を持っているのは、魔獣が外壁を越えて侵入した際、中央にたどり着く前に退治出来るようにらしい。

 つまり、外周区はどれだけ被害を受けても構わない緩衝地帯のようなものなのだ。

 そういう意味で見れば、『BU』は関所のような役割を果たしている。


 魔獣だとか、ゴロツキだとか、貧しい民だとか……カエルとか。

 そういった、『貴族が自分たちのテリトリーに入れたくない存在』を選別するのが『BU』の役割なのだろう。

 地図はそんなことを如実に語っている。


 そして、その押しつけられた役割のせいで、『BU』は産業が育たなくなっている。


 ここいらのトラブルは、全部中央に陣取ってる貴族共のせいで起こっているわけだ。


「三十区の街門が一番大きいんだっけ?」

「そうだね。他国からやって来る人の六割以上が三十区の街門を利用しているんだよ」


 三十区の街門は、俺が最初にくぐった門だ。

 確かあの時も、すげぇ行列が出来ていたっけな。


「それで、四割弱が三十五区の街門を使うんだ」

「ウチがこの街に来た時に通ったんは、そっちの門やったなぁ」


 レジーナの故郷、バオクリエアは船でやって来るような場所らしい。

 そういえば、火の粉を取りに三十五区へ行っていたっけな、こいつ。


「……マグダのパパ親とママ親が出て行ったのも、こっちの方」

「……そっか」


 地図の左上、四十二区と対角線上に存在する三十五区を指さして言うマグダ。

 少しだけ寂しそうに見えたので、何も言わずに耳の付け根をもふもふしておく。


「…………むふー」


 今はその話を掘り下げてほしくはないだろうが……うん、いつか見つかるといいな。


「あのさ、私はよく知らないんだけど」


 ネフェリーがドーナツを食べ終えて地図を覗き込む。


「この辺にも門ってあるんだよね? そこは使われてないの?」


 外周区には、所々街門を示す記号が書き込まれている。

 四十二区の街門は記されていない。きっと古い地図なのだろう。


「三十七区には、小さい港があるんだぞ」


 地図の右上、三十五区とは線対称の位置にある三十七区を指さしてデリアが言う。

 そういえば、港は二つあるとか言ってたっけな。

 三十五区の方が大きくて賑やかな港らしいが。


「三十八区にも街門があるのね」


 パウラが地図を指さす先にも街門のマークが書き込まれている。


「三十八区の街門は、木こりギルドがたまに使う門ですわ。海に近い場所にだけ生息する木がありますの」

「……狩猟ギルドもたまに使う」


 どちらも、あまり使用頻度は高くないらしい。

 確か、木こりギルドの関係で、四十区以外の街門から木材を持ち込むのは高くなるって話だったし、本当に必要な時にだけ使うのだろう。


 そして、四十二区があるのとは反対の地図の左――西側にも街門は存在する。


「三十三区にもあるんさね」

「そっちは、鉱山へ行くための門だね。馬車で三日の距離に大きな鉱山があるんだよ」


 それは初耳だ。

 エステラに視線を向けると、「オールブルームじゃ、鉱石は取れないからね」と解説をもらった。まぁ、そうか。


 改めて、知らないことがまだまだあるなと実感する。

 地理にしても、いまだきっちりとは覚えきれていない。


 方眼紙のようなマス目できっちりと分かれているわけではないので、多少の差違はあるが……

 オールブルームを正方形で喩えるなら、上の辺の左から順番に、三十五区、三十六区、三十七区。

 右の辺を上から順に、三十八区、三十九区、四十区、四十一区。

 底辺を右から順に、四十二区、――崖があって――三十区、三十一区。

 左の辺を下から順に、三十二区、三十三区、三十四区。

 という配置になっている。


 三十五区の両隣、三十四区と三十六区。そして、小さな港がある三十七区の隣の三十八区では、海産物の加工が主産業となっている。どちらにも隣接している三十六区は海産物加工品のメッカだ。


 二十四区と隣接している三十二区と三十一区は大豆の加工品が主産業だ。

 三十三区は鉱石の加工を行っており、他区への依存は低そうだ。


 崖に阻まれた三十九区から四十二区には、これと言った産業はなく、長年廃れており、四十区の木こりギルド、四十一区の狩猟ギルドの恩恵を受けて、なんとか持ちこたえていた。


 よくよく考えて、よくここまで盛り返したよな、四十二区。

 立地最悪じゃねぇか。


 そして、外周区ナンバーワンの勝ち組、三十区。

 言わずと知れた通行税大国だ。まぁ、国じゃなくて区なんだけど。



 そして『BU』を、同じく正方形に喩えると――


 左の辺と上の辺にまたがる左上の角に二十五区があり、右隣に二十六区、上と右の辺を結ぶ角に二十七区がある。角の区は『く』の字に折れ曲がっている。

 右の辺は、二十七区の下に二十八区があり、右と底辺を結ぶ角に二十九区がある。

 底辺は二十九区の左隣に二十三区があり、左の辺には二十四区がある。その上が二十五区で、これで一周だ。

『BU』の各区は細長い。そして、多くの区が複数区と接している。


 最大の街門を持つ三十区の恩恵をモロに受けているのは二十三区と二十九区。

 海からの恩恵を受けているのが二十五区。

 四十二区から三十七区までの外周区、崖の下の区の住民が中央へ行く際にほぼ全員が活用するのが二十七区ということになる。

 通行税はそのあたりが強く、豆的には大豆の二十四区がダントツで、小豆の二十八区とカカオの二十六区がかなりの差をあけて追随している感じらしい。


 それでも、農地不足でとても作物で自立出来るような面積はない。

 万が一の際に破壊される区を最小に収めたいがために外周区を広くした弊害か……はたまた、中央区の領地を少しでも大きく取りたかったのか。

 なんにせよ、『BU』の配置と面積はとても住みやすいと言えるものではない。


「中央が住みやすくなるように考えられた配置だな」

「まぁ……そうなんだろうね」


 外周区や『BU』のことなんか考えちゃいない。

 すべては、中央に住む王族のための街作りだ。

 だから、細かいことで軋轢を生む。

 それすらも、王族や貴族連中は「下々の問題は下々で片付けろ」と知らんぷりなんだろうが。


「そこに来て、最貧区であったはずの四十二区の台頭……か」

「彼らが焦るのも無理はない――っていうと、擁護し過ぎかもしれないけど……うん、焦っただろうね」


 四十二区が力をつけ、それに引っ張られるように外周区が力を付ければ、『BU』は内外から相当なプレッシャーをかけられるようになる。


「パワーバランスが崩れると、利益を上げる区と損失を被る区の差がとんでもないことになりそうだね。それこそ、共同体なんか破綻してしまうほどに」

「そりゃ、こんな歪なバランスで辛うじて保っていたんなら、そうなるだろうよ」


 遅かれ早かれってやつだ。

 四十二区がそのやり玉に挙げられたのは不幸と言うしかないのか……いや、そんな言葉で引き下がれるか。

 そんなちょっとしたことで崩れるようなバランスなら崩れちまった方がいいんだ。


 ただ、崩し方が問題なだけで……


「もし、俺が『三十区との間に道を作ろう』とか言い出すと、どうなる?」

「『BU』が全面戦争を仕掛けてくるだろうね」


 言いながら、エステラが地図の上の『BU』――その中の二十三区と二十九区を指でなぞる。


「この辺りは、三十区からの通行税で潤っている区だからね。そして、『BU』はその通行税を分配して生き永らえている共同体だよ。その利益を横取りするような行為は、必ず潰される」


 外から来た商品を外周区の人間が手に入れるためには、『商品を二十三・二十九区経由で外周区へ持ち込む』か、『外周区の人間が二十七区を経由して買いに行く』か、そのどちらかとなる。

 どちらの場合も、『BU』は通行税を得ることが出来るわけだ。

 そこへ抜け道を作れば、営業妨害どころか死活問題だろうな。


「けど、何もしなくても潰しにかかってくるんだろ?」

「……まさか、戦争する気なのかい?」


 物騒な言葉に、食堂内の空気が張り詰める。


 いや、ないから。

 だから、そんな「やるならやってやる」みたいな顔すんなよ、デリア、ノーマ、マグダ。

 ……とはいえ、お前は少しくらいぴりっとした顔しろよ、ベッコ。面白い顔しやがって。


「荒事は俺の本意じゃない。だが、揺さぶりをかけるには有効な手だとは思う」

「眠れる獅子を揺さぶり過ぎて噛みつかれないようにね」


 そんな忠告をもらう。

 分かっている。

 分かっているが……「分かった」とは、言えないな。


「今は、これ以上煮詰めるのは無理だな」

「そうだね。気ばかりが急いて思考がまとまらないよ」


 それは、俺やエステラ以外も同じなようで、誰も何も言わなかった。


「ルシアを交えてもう一度話をしよう」

「うん。あと、マーゥルさんの意見も聞いてみないとね」


 結局、明日改めて話し合うことになった。

 ネフェリーたちは「私たちがいても、力になれないよね」と、次の話し合いへの参加は辞退した。

「その代わり、何か力になれることがあったらなんでも言ってね」と、頼もしい言葉を置いていってくれた。

 そして、「いろいろ話してくれて嬉しかった」とも。


 連中がどやどやと帰っていくのを見送ってから――


「自分。大切にされとんなぁ」


 そんな言葉を残して去っていったレジーナ。

 あいつも、ちょっと気になっていたのかもしれないな。珍しく人の多いところに出てきていたし。花火に荷担していたから、かな。


 とりあえずはお開きとなり、陽だまり亭には従業員だけが残った。

 眠気がピークに達したというマグダをロレッタに任せ、俺は一人で食堂に残る。

 ……さて、何からやればいいのやら。


「難しい状況、なんですね」


 温かいお茶が目の前に置かれる。

 ジネットが眉根を寄せながらも、俺を落ち着かせようと笑みを浮かべてくれていた。

 こいつも朝から働き詰めだったはずなんだが。

 とりあえず、心配と茶はもらっておく。


「まぁ、大変といえば大変だな。力技を封じられたようなもどかしさがあるよ」

「大丈夫ですか?」

「それは、なんともなぁ……ま、明日またエステラと話してみるよ。ナタリアが戻ってきたらルシアの状況も分かるだろうし」


 大丈夫かどうかは、その後だな。

 といっても、大丈夫にするしかないんだけど。


「いえ、そうではなくて」


 持っていたお盆をテーブルに置き、ヒザに手を置いて俺の顔を覗き込むように前屈みになるジネット。

 大きな瞳が俺を見つめる。


「ヤシロさんが、です」


 唇をきゅっと噛み、真剣な顔をしている。

 不安が滲む。


 ……まったく。


「そっちは大丈夫だ」


 そういえば、ジネットは帰りの馬車が別だったからな。

 お前にもちゃんと言っておいてやるよ。


「もう、無茶なことはしねぇよ」

「……はい」


 馬車の中でみんなにやられたように、今度は俺がジネットのほっぺたをむにっと摘まむ。


「あんま心配すんな」


 心配性なジネットにそう言うと、ジネットは俺の真似をするように俺の頬を摘まんできた。


「なら、あんまり心配させないでくださいね」


 むにむにと、頬をつねられる。

 ……えい。むにむに返し。


 むにむにむにむに…………なんだこれ?


「豆板醤にピーナッツバター、コーヒーやカカオ」

「へ?」

「『BU』とは、友好な関係を築いた方が、儲けが出そうだろ」


 少しの間考えて、そして、嬉しそうに頬を緩める。


「そうですね。きっと大儲けが出来ますね」

「なら、上手くやるさ」

「はい。わたしも、応援します」


 それからしばらくムニムニし合ってから、部屋に戻った。

 ほっぺたが若干ひりひりしたが……まぁ、悪い気はしなかった。






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