236話 四十二区への帰還

 帰りの馬車は、随分と静かだった。

 車内には、俺とエステラ、マグダとロレッタとデリアが乗っている。

 マーシャはルシアのところへ行くと言って、ナタリア、ミリィと同じ馬車に乗っていった。

 ウーマロたちは屋台のばらしを終えてから帰ってくる予定だ。

 四十二区に着くのは夜になるだろう。

 アッスントも同様で、向こうで片付けなきゃいけない仕事があるとかで、別行動となっている。


 俺たちの馬車の後を付いてくる馬車には、ジネットとベルティーナ、そしてガキどもが乗っている。ガキどもが乗ってるってのに、随分と静かなもんだ。


 ガタゴトと、車輪の音だけが聞こえている。


「ナタリアに伝言を託しておいたよ。手紙を書いている時間はなかったから」

「ルシアにか?」

「うん。少しでも早く会って話がしたいってね」


 急に始まった会話に、同乗している面々が微かな反応を見せる。

 気にはなっているんだ。ただ、何を言っていいのか分からないだけで。

 まぁ、下手の考え休むに似たりというしな。こんなところで憶測を元に議論したって意味がない。少し静かにしてもらってる方が、こちらとしてはありがたい。


 いろいろと考えなきゃいけないからな。

 ばらけたピースをどう組み合わせるか……しかし、手持ちの駒が少ないな。


「トレーシーさんとミスター・ドナーティには、期待しない方がいいだろうね」


 床へと視線を落とし、エステラが弱気な声を漏らす。


「悔しいな……折角いい関係が築けたと思ったのに…………もう少し時間があれば、あと二人くらいは……」


『BU』に所属する区の領主、七人のうち四人をこちら側へ引き込めれば多数決に勝てる。

 確かに、そんな発想から動き出したわけだが……


「今さら考えても仕方ないことだな。他の連中はもう、何があってもこちら側にはなびかない。マイノリティーの末路を目の前で見せつけられたわけだからな」

「マイノリティー……ミスター・ドナーティだね」

「あぁ」


『BU』において、多数派に所属することこそが正義と言える。

 多数派――マジョリティーであれば、おのれに被害が及ぶことはない。権利も行使出来、恩恵も与えられる。

 しかし、少数派――マイノリティーになった場合……それらの恩恵は一気に剥奪される。

 マイノリティーは負け組。負け犬。抜け毛以下の存在だ。

 ……ちょっと韻を踏んでるみたいで上手い感じだな。よし。


「マイノリティーは抜け毛だからな」

「……………………………………ごめん。結構しっかり考えてみたんだけど、意味が分からない」


 そうか。お前には伝わらないか。

 エステラ、もっと感性を磨け。


「……おそらく、『負け犬』と間違えた」

「あぁ、『負け犬』と『抜け毛』……ちょっと似てるです!」


 マグダが惜しい線を行く。ただ、間違えたわけじゃないんだなぁ、これが。


「そういうんだとさ、『負け犬』じゃなくて『透けブラ』じゃないか、ヤシロなんだし」

「「「あぁ~」」」


 デリアの素っ頓狂な理論に車内が一つとなって同意の声を漏らす。

 そんなもんと間違うか!


「だいたい、透けブラはマジョリティーだろうが!」

「はい、みんな。透けブラ気を付けて~。上着羽織ろうね~」


 エステラの悪魔のような一言で、車内の女子たちが一斉に上着だの膝掛けだのを羽織り始めた。

 ……くそっ!

 折角ウクリネスと共同で可愛い見せブラを開発して、普及し始めたというのに!

 ……俺は見せブラのつもりなんだが、ウクリネスは「見えないオシャレですね」とかよく分からないことを言っていた。感性が合わないんだろうか……


「ちっ! 真面目な雰囲気が台無しだ!」

「誰のせいさ……」


 俺の小粋な言葉遊びに気が付けないエステラと、透けブラを持ち出してきたデリアじゃないか?

 俺は悪くない。


「でも、確かに他の領主たちは恐怖を覚えただろうね……」


 急に話を戻し、深刻な表情を見せるエステラ。

 恐怖……「あぁはなりたくない」という、嘲りと不安が入り混じった恐怖。


「ただ面倒くさいのが、その恐怖を与えたのが二十九区の領主じゃないってところだな」

「え? ミスター・エーリンが恐ろしくて従っているんじゃないのかい?」

「あのな……これまで見てきて嫌ってほど分かっただろ?」


 現在、『BU』の代表をしているのは、確かに二十九区のゲラーシー・エーリンではあるが、『BU』の連中を恐怖で縛りつけているのは――


「同調現象だよ」


 他と違う行動を取る者は『悪』――そんな意識が、極端ではなく実際に『BU』の中に蔓延しているのだ。

 あの場で「自分はそうは思わない」なんて発言をすれば、「じゃあお前は向こう側だな」と、マイノリティー側へと追い出されてしまう。


「ヤツらは七人で連携し味方を作っているつもりかもしれんが、その実、自分以外の全員が敵でもある状況なんだよ」


 抜け駆けは出来ない。

 周り全員が敵だから、下手に画策することすら出来ない。


『BU』全体が監視社会になっているのだ。


「だから、ゲラーシーの悪事なりを暴いて『さぁ、反旗を翻せ!』ってな作戦は取れないわけだ」

「……それは、ヤシロがアッスントと争った時に取った行動?」

「みたいなもんだな」


 マグダの意見はあながち間違いではない。


 共通の敵を生み出して一気にこちらの味方へ引き込もうとしたのがアッスントと舌戦を繰り広げた際に俺が使った手法だ。

 共通の敵がいると、あまり知らない間柄でも強力な絆が生まれることがある。というか、絆が生まれたのだと思い込ませやすい。


 が、今回はその手は使えない。

 そもそも使うことは出来なかったのだ。


 共通の敵を作って味方へと引き込む――その手が使えなくなる状況が二つある。


 一つは、訴えかける俺に対する好感度が低い場合だ。

 アッスントとやり合った大通りでの一件。あの時、四十二区の連中は俺のことをほとんど知らなかった。良くも悪くも俺に関する情報を持ち合わせていなかった。

 だから仲間に引き込めた。

 だが、大食い大会の時のように、観衆が俺に嫌悪感を抱いていた場合。

 どんなに俺が言葉を重ねても、その声は耳には届かない。心に蓋をしたみたいに、俺の言葉は弾かれてしまうのだ。


 そしてもう一つ。

 それは、『共通の敵』が、俺だった場合だ。


 今回の『BU』がまさにそれに当たる。

 大食い大会の時は、『オオバヤシロ』を共通の敵とすることで、『四十二区』を観衆の敵から除外させた。

「悪いのはあの『オオバヤシロ』だ」という印象操作を行うことで、『四十二区』を、そして、『四十二区の領主代行』を味方なのだと錯覚させた。

『オオバヤシロ』という共通の敵を持つ、味方だと思わせることで連帯感が生まれ、エステラの言葉は観衆に届きやすくなる。それを狙ったわけだ。


 だが、今回の『BU』は、俺もエステラもひっくるめて『四十二区』が共通の敵となってしまっている。

 そして、敵についたものはもれなく敵認定されていく。

 三十五区のルシア然り、二十七区のトレーシー然り、二十四区のドニス然り……


『BU』は最初から代わらぬ結束を持ち続け、後から現れる『敵』とは交渉すらしない。

『敵』は『敵』であり続け、『BU』の結束はより強固なものになっていく。


 だがそれは裏を返せば、『敵』に接触すればすぐさま『敵』認定されてしまう程度の結束でしかないとも言える。

 頑丈で壊れやすい。

 見た目だけが仰々しい張りぼてみたいな絆だ。


「臆病な連中だなぁ。周りの顔色ばっかり気にしてよぉ」

「でも、だからこそ手強いんだよ。貴族の嫌な一面だよね……はは」

「……臆病な魔獣は狩りにくい。むしろ、力に自信を持った魔獣の方が与しやすい」

「あ、それ分かるです。逃げたり誤魔化したりするズルい人って追い詰めにくいです! 弟妹たちはスパーンって叱れるですのに……ウチの両親ときたら……」

「そうか? あたいは、オメロが言い訳とかし始めたら川に沈め……放り込むぞ」

「なんで言い直したんだい、デリア? 内容、一切変わってなかったよ?」


 デリアのように分かりやすい性格をしていてくれれば話は早いんだが……

 つか、ロレッタの両親……いい加減にしとけよ、マジで。な?


「一度、ロレッタの家に家庭訪問に行かなきゃいけないかもな」

「やめてです! 本当にやめてです! ウチの両親は誰にも会わせられない人たちなんです! ウェンディさんとこの変態お父さん以上に酷い生き物なんです!」

「ロレッタ、気持ちは分かるけどさ……ウェンディに失礼だよ」

「……ウェンディの父に、ではなく?」

「うん……ウェンディに」


 エステラも、あのオッサンを庇うつもりはないようだ。

 あいつがもしも誰かに対して「失礼じゃないか!」とか言おうもんなら、「常時半裸のお前が言うな!」と言い返すことだろう。


「ちなみに、だけどさ……」


 さっきから何度も何度も「聞こうかな……でも、やめようかな……やっぱ聞きたい……でもなぁ……」みたいな葛藤を延々繰り返していたエステラが、結局聞くことにしたらしい。


「ヤシロは……何か、思い付いた?」

「おっぱいの有効活用法か? とりあえず三つくらいなら……」

「違うよ!?」

「まず第一に……」

「聞いてないから! そして、その三つ、絶対『有効』じゃないから!」


 なるべく自分でなんとかしたいと考えているのであろうエステラ。

 だが、急な展開に脳みそも心も付いていかず、何かしら糸口やヒントが欲しいのだろう。

 俺に頼ることに申し訳なさを滲ませつつも、まずは自区の住民の生活を守ることを最優先としている。――とまぁ、そんなところなんだろうな。


「まだなんとも、だな」

「……だよ、ね」


 なので、今は下手なことは言わない方がいい。

 妙な期待をされても困るし、おかしな方向へ暴走されても困る。

 ただ、なんともならなくはない、かも、しれない――くらいの希望だけは残しておく。


 なんとかする方法があるとすれば………………けれど、なんにしても情報が足りない。


「四日後とか言ってたか?」

「領主会談の日かい?」

「多数決による不平等裁判の日だよ」

「不平等……そうだよね」


 かつてエステラは、『BU』の多数決を「公平なやり方だ」と言ったことがある。

 ここに来て、身に沁みて分かっただろう。多数決なんてもんの不平等性が。

 あれは、他人の意見を封殺するための、数の暴力だ。


「確かに四日後だと言っていたよ。今日はもうほとんど行動出来ないから、残された日数はあと三日……いや、四日後の朝には二十九区へ行くことになるだろうから、実質二日しか動けないわけだね…………くそ」


 しゃべりながら、自分の中で整理がついていったらしい。

 最終的にエステラは、太ももにヒジを置いて、親指の爪を噛んだ。


 あと二日……か。


「……ヤシロ。エステラ」


 マグダが俺たちを呼ぶ。

 顔を向けると、マグダたちが同じような顔をしてこちらを見ていた。


「……マグダたちに出来ることがあれば、力になる」

「そうです! なんでも言ってです! すぐ言ってです!」

「あたいも、川漁ギルドの連中も、全力で力になるからな!」


 頼もしい言葉だ。

 仮に、その言葉の中に具体的な解決策がなく、安心出来るような説得力が伴っていなかったとしても、だ。


「ありがとうね、みんな。何かあれば、遠慮無く頼らせてもらうよ」

「……当然」

「ドンとこいです!」

「任せとけって!」


 エステラは素直に感謝の意を表明する。

 少し泣きそうになってやんの。


 そして、そんな頼もしいケモノっ娘たちの視線が、揃ってこちらを向く。


 ……え?


「……だから、ヤシロは一人で抱え込んじゃ、ダメ」

「…………え?」

「ダメです!」

「ダメだからな!」


 三人のケモノっ娘が、俺へと詰め寄ってくる。

 ……こいつら。


「へいへい。分かってるよ」


 もう、前みたいな無茶はしねぇっての。

 何度もそう言ってるんだが……前科ってのはなかなか消えないもんなんだな。全然信用されやしねぇ。

 ……そんだけ、大切に思ってくれてるってことなんだろうけどな。


「……もし、嘘を吐いたら」

「針千本飲ませるのか?」

「……否。ヤシロの目の前で、店長の……」

「ジネットの?」

「……おっぱいでバレーボールをする」

「おっぱいバレー!?」

「あたしとマグダっちょで店長さんを挟んで、右のおっぱいと左のおっぱいを投げ合い、ぶつけ合うです!」

「それバレーボールじゃねぇ!?」


 つか、こっちの世界にバレーボールとかねぇだろ!?

 またお茶目さんを炸裂させやがったな『強制翻訳魔法』め!?


「ただ……そのゲーム。すげぇ、見てみたいっ!」

「……しまった。本末転倒」

「元の木阿弥です!」

「逃がした鮭は美味しかった!」

「みんな、微妙に言葉の使いどころ違うから……あと、デリア。逃がしてないじゃん」


『逆効果』とか『裏目に出た』とか言いたかったんだろうな。

 本末転倒は逆効果とは微妙に違うんだよなぁ……ニュアンスは分かるけど。

 実際俺なんかは『本末転倒=ダメじゃん!?』って意味で使ってるしな。フィーリングだよ、こんなもんは。


 ただ、デリアのは、違う。


 結構深刻な状況に追いやられているはずなのに、馬車の中は比較的いつも通りのふざけた空気が流れていた。

 こっちの方が居心地はいいんだが……なんだかなぁ。


 こっちをじっと見つめるケモノっ娘三人を宥めて、背もたれへと体を預ける。

 と、エステラが俺の脇腹をヒジで小突いてきた。


「あんまり心配かけちゃダメだよ。マグダたちもだけど……ジネットちゃんにさ」

「……そんなつもりはねぇよ」

「ならいいんだけど……」


「いいんだけど」と言いながら、エステラは俺の頬をつねった。

 いいんじゃねぇのかよ。なんの抗議だよ。


「君のあんな顔、久しぶりに見たからさ……」


 あんな顔ってのは、教会でエステラに指摘された顔だろう。

 俺が、『笑っていた』らしい。

 いや、まぁ、笑っていた自覚はあるんだが……ここまで心配されるような顔はしていないはずなんだけどなぁ。


 とか思っていると、マグダに、ロレッタに、デリアに、ほっぺたをむにっと摘ままれた。

 ……俺はぷにぷにマスコットか。ケータイにぶら下げる系のアレか?


「そんな心配しなくても大丈夫だっつうの」

「……いや」

「そうじゃないです」

「エステラがさぁ」

「へ、ボク?」


 俺の頬を摘まみながら、女子四人が話を始める……つか、離せよ。


「……エステラは、いつもさりげなくヤシロの隣に座る」

「気付いたらあたしたちはお兄ちゃんの向かいで、大体エステラさんが隣に座ってるです!」

「隣に座ったら座ったで、ことあるごとにヤシロに触るんだよなぁ、エステラは」

「さわっ!? ……触るって……そ、そんな変な意味はないよ……普通に、こっちを向かせるためとか、警告の意味を込めてとか、そういうのだし……」


 そ~っと、エステラの手が離れていく。

 指摘されて、顔を真っ赤に染めている。

 そういや、ナタリアにも似たようなこと言われてたな、こいつ。


「……えっち」

「き、君にだけは言われたくないよ、ヤシロ!?」


 赤熱ストーブばりに赤く染まった顔で、エステラは向かいの席へと逃げていった。

 そこで極端な反応するからいろいろ言われるんだっつうの。ドニスとかによぅ。


「とりあえず、なんでもいいから離してくれ。ほっぺたがもげる」

「……新発見」

「はいです! お兄ちゃんのほっぺ、意外と気持ちいいです!」

「エステラが触りたくなるの、分かる気がするな!」

「いいから離せよ!?」

「……もうちょっと」

「もうちょっとです」

「もうちょっとだけ、な? ヤシロ。な?」


 そうして、四十二区に着くまでの間、俺のほっぺたはむにむにされ続けたのだった。

 ……たぶんだけど、ちょっともげた。







 四十二区へ戻り、領主の館の前で俺たちは馬車を降りる。

 と――


「待ってたさね! いやぁ、新しく作ったベアリングの性能がよくってねぇ、ちょぃと見ておくれな!」

「あら、ヤシロさん。こんなところでお会いするなんて偶然ですわね。ワタクシ今、今朝手に入った最高品質の木材を持っていますの、えぇ、たまたま! ご覧になりまして? きっと遊具のよき材料になりましてよ」

「あ、ヤシロ。私考えたんだけど、ウチの卵を使ってドーナツ作る時にさ卵黄だけを使ってね……」

「おかえりヤシロ! フルーティーソーセージの盛りつけなんだけど、お皿の横にレタスとレモンを添えてみたんだけど、これがなかなか……」

「はい、ストップ! お前ら一回落ち着け!」


 ――なんか、出迎えがいっぱいいた。

 いや、出迎えっていうか、セールスマンか?


「ちょっと待ってくれ……今、結構大変なことになってんだわ」

「大変なこと、ですか?」


 詰め寄ってきた女子たちの向こうで、セロンが不安げな表情を見せる。

 手に、新作のレンガを持って。…………お前もか、セロン。


「ヤシロさ……ふゎっ!? なんですか、これ? 青空市でしょうか?」


 後続の馬車から降りてきたジネットが臨時開催されている蚤の市に目を丸くする。

 だよな。そう見えるよな、これじゃ。


「ありゃ~、出遅れてもうたなぁ」


 のんきな声で、レジーナがやって来る。

 お前も新薬のお披露目に来たのか?


「見たってな。自分とキツネの大工はんの『役割』を逆転させた新しいタイプの薄い本が書けたんやけど、これがなかなかの傑作で……あぁっ!? 何すんねんな!?」


 レジーナの持っていた呪いの書は丸めてポイしておいた。……縁起でもない。『役割』なんぞ、そもそも担ってないわ。


「それで、英雄様。……大変なこと、というのは?」

「あぁ……まぁ、そうだな。一応話しておくか」


 こいつらに力を借りることがあるかどうかは分からんが……四十二区全体に影響を及ぼすかもしれないことだしな。

 特にセロンは、きっかけが自分たちの結婚式だと思い込んでいるから気になって仕方ないんだろう。


 こいつらがこんな顔してちゃ、結婚式を挙げたいってカップルが減るかもしれん。

 そうなったら、陽だまり亭に転がり込んでくる金が減ってしまいかねない。

 なにせ、教会までの道に存在する唯一の飲食店であり、披露宴のパイオニア。さらにケーキのパイオニアでもある陽だまり亭だ。

 結婚式が開かれる度に相当な額が転がり込んでくる。……見込みだ。


 なので、セロンはともかくウェンディには毎日幸せオーラを振りまいていてもらわなければ困る。セロンがこんな様子じゃ、ウェンディも落ち込んでしまうだろう。


「この後時間いいか? 陽だまり亭で話をしよう」

「行くさね!」

「もちろん問題ありませんわ!」

「私、一回帰ってお父さんたちに『遅くなる』って言ってきていい?」

「あ、あたしも! 父ちゃんに言ってこなきゃ」

「じゃあ、三十分後に陽だまり亭に集合だ」

「何か、美味しい物をご用意しておきますね」


 手にした新製品を片手に、それぞれが一旦自宅へと戻っていく。

 こっちも、陽だまり亭に戻ろう。

 一旦ホームで落ち着きたい。


 と、その前に。


「セロン。ウェンディも呼んできてくれ。たぶん、気にしちまうだろうし」

「は、はい……ただ」

「ただ?」

「ウェンディは、ここ最近また光の粉の研究を始めておりまして……」

「…………光ってんのか?」

「はい。今朝は存分に粉と日光を浴びておりましたので……」


 現在、空はもう薄暗くなっている。

 こいつらが陽だまり亭に集まる頃には、もうすっかり夜になっていることだろう。


「……寝る前に見ると、寝れなくなりそうだな」

「も、申し訳ありません」


 頭を下げるセロン。だが、まぁ、気にするな。

 照明代が浮いて助かるぜ……はは。


「エステラ。お前はどうする?」

「ボクも行くよ。デミリーおじ様に手紙を書いてから向かうね」


 事態が動いたことを知らせるのだろう。


「ついでにリカルドにも教えておいてやれよ」

「大丈夫。おじ様から連絡が行くはずだよ」

「って、おい」

「冗談だよ……書くよ、ちゃんと」


 まだ嫌いなのか、リカルドのこと。根深いな。

 なんてのは冗談で、こいつもリカルド相手にそれくらいの冗談が言えるようになった……ってことだろう。うん。


「ミスター・ハビエルのところへ馬車のお礼に行くつもりだったんだけどな……」

「そういや、帰る前はそんなことを言ってたな」

「それなら問題ありませんわ。ワタクシが代わりに感謝を受けて差し上げますわ」

「いや、そこはお前からハビエルに伝えとけよ……」


 とりあえず、ハビエルへの礼も手紙で済ませることになった。

 とにかく時間がないのだという点を理解させておけば問題も起こらないだろう。


「ロレッタはどうする?」

「もちろん参加するです! 今日は陽だまり亭にお泊まりのつもりだったですから!」


 こいつ、何勝手なこと言ってんだ?

 その内、本気で住み着きそうだな。マグダと相部屋でいいなら受け入れてやるけども。

 客室は以外と使うからな。


「……マグダも、そろそろ眠たいのを我慢して参加する所存」

「……眠いのか?」

「……今日のマグダは、よく頑張ったから」

「そうか」

「ただ、参加はするけれど、基本ヤシロのヒザの上にいる予定」

「お前、それ寝るつもりだろ!?」

「……居心地のいい空間で、リラックスして話を聞こうという目論見」

「いや、絶対寝るから! つか、何回かそれで寝られて身動き取れなくなったことあるから!」


 何があっても、マグダは椅子に座らせよう。


「ベルティーナは、さすがに無理だな」

「そうですね……子供たちが待っていますし……寂しい思いをさせたかもしれませんので、なるべくそばにいてあげたいという気持ちはあります……ですが」


 そばにいたガキの頭を撫で、信頼のこもった目で言う。


「この子たちは、外の世界を経験してきました。もう、大人と呼んでも支障ないかもしれません」

「えへへ……」

「この子たちに任せてしまっても、いいのではないかと、そう思います」


「ですので……」と、ベルティーナが真剣な瞳を俺に向ける。


「ジネットが作るという『美味しい物』をいただきに伺おうかと思います」

「来るなら話を聞きに来てくれ」

「はい。ついでに『美味しい物』を!」

「美味しい物『の』ついでじゃなくてか?」

「うふふ」


 否定しやがらなかった……ったく。


「じゃあ、ベルティーナも一旦ガキどもを教会へ送っていってやれ」

「はい。途中までご一緒しましょうね」


 陽だまり亭までは同じ道のりだ。

 随分な大所帯で歩くことになりそうだ。


「あの、ヤシロさん」


 いつになく、真剣な眼差しのジネット。

 こいつも、何か思うところがあるのだろう。


「これから作る『美味しい物』なんですが、肉まんとリンゴ飴と揚げたこ焼きでどうでしょうか!?」

「それ、俺に『作り方教えろ』って言ってるのかな!?」

「え、いや、とても美味しかったので、是非みなさんにもと思いまして」


 ド天然か……

 今は教えている時間なんか…………はぁ、まぁ、一個くらいならいいか。


「……じゃあ、揚げたこ焼きにしよう。他はまた今度、時間がある時にな」

「はい!」


 嬉しそうに笑う。

 肉まんのレシピはマグダに渡してあるし、俺がエステラと走り回っている間にマグダあたりに教わってくれ。


 そうして、そこはかとなく賑やかに、でも少し緊張した雰囲気を纏いつつ、俺たちは陽だまり亭へと戻ってきた。

 一日空けただけなのに、なんだか随分と懐かしい。そんな空気が、俺たちを出迎えてくれた。


「ただいま。陽だまり亭」


 なんとなく呟いたその言葉に、ジネットが急に歩みを止める。

 なんだ? と振り返ると……


「ヤシロさん……素敵です」


 そんな言葉と笑顔をもらってしまった。

 いや、別に……ほら、日本人って八百万の神様とか結構信じてるし、なんとなく、な?


「ただいま戻りました、陽だまり亭。お留守番、ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げて、ジネットが俺の真似をする。

 ……あぁ、これ。きっと習慣化するな。


「……待たせたな、陽だまり亭」

「マグダ。お前のはちょいちょいニュアンスが違うからな」

「……それは、世界がまだマグダに追いついていない証拠」


 お前を中心に世界が回ってんのかよ。


「さぁ、ヤシロさん。みなさんが来る前に準備をしましょう」


 腕まくりをして、ジネットがいそいそと厨房へ入っていく。

 陽だまり亭に戻ってきたからか、揚げたこ焼きを教えてもらえるからか、なんだかいつも以上に機嫌がいい。


「なんだかなぁ……」


 そのパワーに圧倒されつつも、ジネットは帰ってすぐに働きたがるワーカーホリックだったなと思い直し、俺は観念して厨房へと入った。

 せめて、美味いもんでも食って心を落ち着けよう。

 それくらいしなきゃ、俺は疲れてしまうからな。






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