235話 『宴』の終わりに

『宴』の終了を惜しむように、残りの時間を遊具で一緒に遊ぶガキどもを眺めてバーバラが目を細める。


「あの子たち、あんなにはしゃいで……本当に、ありがとうございます」

「いや。あれはベルティーナに言われたようなもんだから」


 四十二区と二十四区。どちらの区のガキも、同じように楽しめるオモチャを。

 あの遊具はこのまま二十四区教会に贈呈だ。


「それから、あの不思議なおやつも」


 バーバラが遊具以上に気に入ったのは、綿菓子器だった。

 ふわふわの甘いお菓子が、棒の先にまとわりついている。


「こんなおやつ、これまで長く生きてきて初めて見ました」

「それはそうですよ」


 浴衣姿のベルティーナがたおやかに微笑んで言う。


「私はバーバラよりもっと長く生きていますが、私も初めて見ましたもの」

「本当に、凄い方ですねヤシロさんは」

「やめてくれ。たまたま俺の知っていた物がこの街にはまだなかったってだけのことだ」


 発明したのは俺じゃない。

 もっと昔の、偉い誰かだ。


「あぁ、ただ、回転させるのは手動だからな。力のあるヤツにやらせろよ」


 この教会にデリアほどのパワーを持ったヤツがいるとは思えないんだが。


「ミケルさんがやりたがっていましたよ。回す役」

「無理に決まってんだろ、あのスタミナ無し太郎に」


 ミケルが回したら、砂糖の糸が二本ほど出て終了だ。

 それは綿菓子じゃない。糸菓子だ。


「うふふ、体力を付けようと日々努力されているんですよ。特に今日は、思い人の素敵な姿も見られたことですしね」

「あ、その話不愉快だからやめてくれる?」


 ちっ……なんだよ。あっちもこっちも両思いかよ。……ちくしょう。


「ベルティーナさんのおっしゃっていたことは本当ですね」

「あら、なんですか?」

「ヤシロさん。本当に見える世界を変えてくださいました。それも、がらりと」


 バーバラとベルティーナが同時に俺を見る。

 ……やめてくれるかな。そんな見んな。


「ソフィーも、あんなに笑顔になって」


 現在、リベカとソフィー、そしてバーサは、ドニス&フィルマンと話をしている。

 結婚だの婚約だの、今後の生活や付き合いに関する話をしているのだろう。

 まずは日程を決め、日を改めて話し合いの場を設ける――みたいなことをさっき言っていた。


 ……というか、遠目から見ていると、ソフィーがフィルマンにいろいろダメ出ししているようにしか見えないんだが。やかましい小姑を持っちゃったな、フィルマン。

 まぁ、女性の扱いについて、あいつはいろいろ叩き込まれた方がいいんだろうな。多少スパルタに。……病気の域だしな、あいつの妄想は。


「あんなに楽しそうに笑うようになって」


 俺には鬼の形相に見えるが……ツンデレか?

 義理の姉デレ展開でも今後起こるのか? まぁ、どうでもいいが。


「あの娘は、実家から逃げてきた罪を、ここの子供たちを守ることで償おうとしていました。けれど、あの娘が罪だと思う過去の行動を、あの娘自身がいつまでも許せずにいた……だから、必要以上に過保護になっていたんです」

「それが分かっていても、あいつに何も言ってやれなかったのか?」

「そうですね……私には、掛けられる言葉はありませんでした」


 バーバラが寂しそうに笑い、ベルティーナが包み込むような視線で俺を見る。


「自分の罪を許せるのは、自分自身だけですから」


 それは、かつてジネットに教わった言葉だった。


「そのために、懺悔をするんだっけか?」

「はい。よくご存じで」


 あんたの娘のおかげでな。


「けれど、ようやく……ソフィーはあんなにはっきりと笑えるようになったんですね」


 バーバラの言う『笑う』は、微笑むや声を上げて笑うことではなく、塞ぎ込んでいた感情が上を向いている様を指しているのかもしれないな……なんてことを思った。


「ヤシロ様」


 凛とした声がして、振り返ると視界に艶やかな浴衣美人が飛び込んでくる。


「とーぅ!」

「本当に飛び込んでくるな!」


 黒地に赤い金魚のガラの浴衣を着たナタリアが、見事なフライングクロスチョップで俺へと突っ込んでくる。

 浴衣の金魚がトビウオに見えたぞ。


「皆様の浴衣を着付けているうちに、お店は終わってしまったようですね」

「あぁ、悪かったな」

「いえ。残念ではありますが、お力になれたのでしたら」


 力にはなっていたさ。

 浴衣美人が溢れて、会場は一気に華やいだ。


 ウクリネスに頼んでおいたこっちのガキども用の浴衣も、喜んでもらえたようだしな。


「ナタリアさんのおかげで、私もなんとか着付けを覚えられましたよ。バーサさんも」

「分からないことがあれば、いつでもお呼びください。ヤシロ様と共に駆けつけますので」

「なんでさらっと俺を巻き込んだ?」


 ガキどもやリベカに浴衣を着せるため、バーバラとバーサはナタリアに着付けを習っていた。

 ドニスも言っていたが、これからもこのようなお祭りを積極的に行っていきたいらしい。


 教会のガキどもと、街の連中、一緒に楽しめるような催し物を。


「ウクリネスさんという方にもお礼申し上げたいですし、今度はこちらからお伺いします」

「はい。お待ちしております。ヤシロ様と一緒に」

「だから、なんで俺を巻き込むんだって」


 なんか俺とお前が一緒に暮らしてるみたいな印象与えないでくれるかな?

 お前と一緒に暮らしたら、お前家で全裸なんだろ? ……最高じゃないか!


「待ってるぜ、裸族の国で☆」

「ヤシロ様。その話に私を巻き込まないでください」


 何言ってんだ、元祖裸族!?

 お前が酋長だろう!?


「馬車の手配が出来ております。そろそろ四十二区へ向かいましょう」

「あぁ、そうだな。日が暮れる前に帰りたい」


 ドニスとルシアに協力してもらい、馬車をいくつか出してもらった。

 俺たちはハビエルに借りている馬車で帰るのだが、ウーマロたちはこの後解体作業を行って、戻ってくるのは深夜頃の予定だ。


「ぁの、てんとうむしさん」


 からころと、下駄を鳴らしてミリィが駆けてくる。

 手には綿菓子とリンゴ飴がそれぞれ握られている。


「お、もらったのか?」

「ぅ……こ、……こどもたちにって…………みりぃ、もう大人なのに……」


 いやいや。

 ミリィは永遠の幼女だよ。


 もしゲームでミリィをゲットしたら、進化させずにずっととっておくもん。

 18禁ゲームみたいに、進化する度に衣装がエロエロに変わる系なら課金して即進化させるけど。…………いや、ミリィの場合は穢すことなく初期状態で保護しておくべきか…………


「……どうしよう。ミリィにちょっとエッチなことをしてもいいのかどうか、悩む……」

「ぁう……ぁの、ゃめて、……ね?」


 手に持ったリンゴ飴よりも赤く頬を染め、綿菓子の影に顔を隠すミリィ。

 よく似合ってるな。テントウムシのお面もつけて……あ、あれはいつもの髪飾りか。


「それで、何か用だったか?」

「ぁ。ぁの、ね。みりぃとなたりあさんね、今日は三十五区で一泊するの」

「な、なに!? ……まさか、馬車と花園の花の見返りに、ミリィを差し出せと!?」

「ち、違ぅよ!? ぁのね、三十五区の生花ギルドのみんなにぉ世話になったから、そのお礼と、ぉ裾分け……」


 ミリィの背中には大きなバスケットがくくりつけられていた。

 聞けば、ジネットの作った料理と、屋台で売っていた食べ物が入っているのだとか。


「そうか。なら、世話になったなって伝えておいてくれ。すげぇ助かったって」

「ぅん! 伝えてぉくね」

「で? なんでナタリアまで?」

「ぁう……それは、その……」

「護衛です」


 護衛…………って、あぁ、そうか。


「浴衣姿のミリィさんが三十五区に入れば……入った瞬間ヤツが来ますので」

「おいおい、ナタリア。仮にも領主に対して『ヤツ』なんて呼び方はどうかと思うんだが……確実に仕留めてくれ。ミリィは四十二区の財産だから」

「この命に代えても」

「ぉ、ぉおげさだょぅ……るしあさん、そんな人じゃない、ょ?」


 バカだなぁ、ミリィは。

 ルシアは、そんなヤツなんだよ。


「薄桃色から濃い桃色へとグラデーションしている、まるで可憐な桃の花のような可愛らしい浴衣を着たミリィを見て、虫人族好きで、幼女好きで、節度や限度といった言葉を知らない無駄に身体能力の高い行動派な変態であるルシアが、何もしないわけがない!」

「そ、そんなこと、なぃ…………ょ、ね?」

「ナタリア。最悪、戦争になっても、それは仕方のないことだ。死力を尽くしてくれ」

「かしこまりました」


 ビシッと敬礼を交わし、俺とナタリアはその使命を心に刻んだ。


「なに面白いことやってんのさ、二人とも」


 藤色の大人っぽい浴衣を見事に着こなしているエステラが、いつものように嘆息している。

 衣装が違うだけで、色気が28%程増すな。

 髪型もなんとかかんとかアップにまとめてある。そのなんとかかんとか感が逆に可愛く見える。


 本当に、冗談ではなく、エステラは浴衣が似合う。

 まぁ、これを言うと「どうせ胸がないからだろ!?」って怒られるので言わないが。

 っていうか、さっき怒らせたからな。


「胸がないのでよくお似合いですよ、エステラ様」

「お前っ!? 俺が今必死に我慢した言葉を!」

「よし二人とも、表で勝負だ」


 結局言ってしまい、結局怒らせた。

 まぁ、真顔で「可愛いぞ」とか言われた方が、エステラは困るんだろうけどな。


「照れ隠しじゃな。ワシもヤシぴっぴくらいの年の頃には、わざと意地悪をして好きな女性の気を引いたもんじゃ」

「お前の初恋は二十歳の頃だろうが」


 そして相手は九歳。

 ……日本じゃ即逮捕なんだがな。


 俺とエステラが話していると妙に嬉しそうな顔をするドニス。

 だから、そういうんじゃないからな?


「ミスター・ドナーティ」


 ナタリアがドニスの前へ立ち、深々と頭を下げた。


「酒宴の場において、長々と席を外してしまいましたご無礼、何卒お許しくださいませ」

「よい。気にしてはおらんよ」


 俺の頼みで席を外していたナタリアだが、領主の付き添いで来た身としては、先方をほったらかして離席するってのは無礼なのかもしれない。

 しまったな。俺の配慮が足りなかった。

 俺も無礼を詫びておくか。


「それはそうと、ミスター・ドナーティ」


 俺が何かを言う前に、ナタリアが体を『S』の字に曲げ、とてもセクシーなポーズでため息を「はぁ~ん……」と、漏らす。


「どうも、今『BU』で話題沸騰の美人です」

「ワ、ワワ、ワシには心に決めた相手がおるのでな! め、目の毒だ!」


 ドニスは大慌てで体を半回転させ、ナタリアに背を向ける。


「親子かっ!」

「そのツッコミはもっともだが、まずは今の無礼をしっかり詫びておけ」


 離席の無礼とか、もうどうでもいいから。


「大丈夫です、ヤシロ様」


 そして、今度は俺の方へと向き、浴衣の前、足下をはだけさせ白くなまめかしい太ももをちらりと露出させる。


「まだ私は、全力の色気を出してはいませんでしたので」

「こっちに向けて全力出さないでくれるか!?」

「「「「はぁぁぁああんっ! ナタリアさん、マジいろっぺーっすー!」」」」

「ガキどもがウーマロみたいに!?」


 お前、ナタリア……マジで責任とってガキどもの病気完治させろよ?

 ここでの戦争は許容出来ないからな?


「お兄ぃぃぃいちゃぁぁぁあん!」

「……救援要請」


 ロレッタとマグダが凄い勢いで走ってくる。

 なんだ? 何があった!?


「店長さんを止めてですぅぅうう!」

「……教えて魔神」

「……え?」


 見ると、獣人族の脚力に引き離されてしまっているが、ジネットが二人を追いかけてきていた。

 ぽぃんぽぃんぽぃんぽぃん揺らしながら。


「マグダさん、ロレッタさん、肉まんのレシピを教えてくださぁ~い」


 ……帰ったら教えてやるっつってんだろうに。


「……曰く、ヤシロに教わる前に予習して、予備知識を付けておきたいらしい」

「店長さん、お兄ちゃんをも凌駕するつもりです!」

「……あの社畜を治す薬、作れねぇのかな」


 ワーカーホリック。

 恐ろしい病だ。


「とりあえず出迎えてやろう」

「……店長は、足が遅い」

「その代わり、他のところの運動量が他の追随を許さないです」


 そうして、俺たちは並んでジネットを待った。

 首を上下に揺らしながら。


「く、首を上下に揺らさないでくださいっ!」


 いや、だって。視線は釘付けなのに激しく上下に揺れるから……


「ジネットちゃん……浴衣でも、凄いんだね……」

「エステラさん!? なぜ泣き崩れているんですか!? ゆ、浴衣が汚れますよ、立ってください!?」

「ワシはぁー! 心に決めた人がぁー!」


 泣き崩れるエステラに戸惑うジネット。と、叫ぶジジイ。黙れ一本毛。揺れる乳に動揺してんじゃねぇよ。


「ぐす……とにかく、そろそろ帰りの準備を……ひっく……しよう…………ぐすっ」

「あ、あの、エステラさん……泣かないでください……なぜ泣いているのか分からないんですが」


 ジネットよ。現実って、厳しいんだぜ?


「ウーマロー!」

「はいッス」

「そっちは頼むなー!」

「任せてッスー!」

「「「「大船への、ご乗船やー!」」」」


 屋台の撤収はトルベック工務店の連中とハムっ子に丸投げだ。

 ナタリアとミリィは三十五区へ。……なんだかんだ言って、ルシアにも筋を通して礼を言いに行くのだろう。

 エステラはハビエルのところへ行くっぽいし。まぁ、手紙でも渡しておけば、ルシアなら汲んでくれるだろう。


「あの、ヤシロさん」


 ジネットが俺の前へとやって来て、もじもじとし始める。


「トイレか?」

「違います」


 上目遣いで俺を見つめる。


「……レシピは帰ってからな」

「はぅっ……そ、それは、出来れば早くお願いしたいですが、今はその話ではなくて……」


 とは言いつつも、未練が全身からにじみ出している。……今日は徹夜になるかもしれない。


「あの、わたし、帰りはシスターたちと同じ馬車で戻りますね」

「ん? そうなのか?」

「はい。子供たちの数が多いですし、シスター一人では大変でしょうから」

「まぁ、そりゃそうか」


 ベルティーナも、なんだかんだで疲れてるだろうしな。


「それで、出来ればマグダさんとロレッタさんもこちらの馬車に……っ!」

「あたし、お兄ちゃんと同じ馬車がいいです! 話し足りないです!」

「……現在のマグダにはヤシロ分が不足している」

「はぅっ!?」


 俺の両腕を、それぞれ「ぎゅぅぅぅうう!」っと抱きしめるロレッタとマグダ。

 ……本気でしんどいんだな、ジネットの追求。こりゃ、今後サプライズはなくなるかもしれないなぁ。


「おーい、そろそろ帰るぞー!」

「あぁ! 分かった!」


 遠くでガキどもの相手をしているデリアに向かって声をかける。

 ウーマロ共々、ガキどもに懐かれているようで、大人気だ。

 あのパワーで遊具を動かしてりゃ、そりゃ懐かれるか。


「じゃあ、あたいら帰るけど、お前ら今度は四十二区にも遊びに来いな! ウーマロにもっと別の新しい遊具作らせとくからさ」

「「「「はーい!」」」」

「ん!? なんか今、勝手に物凄い約束されてなかったッスか!?」


 四十二区にも遊具は作る予定だ。

 そのつもりでノーマたちにベアリングを作ってもらっている。

 ……が、『まったく別の新しい遊具』となると、ハードルは一気に跳ね上がる。


 ウーマロ、ガンバ☆

 ――とか思っていたら、ウーマロが物凄い速度でこっちに駆けてきた。


「ヤシロさん! 何か! 何か考えてほしいッスっ!」

「え~、なんで俺が☆」

「子供たちの期待が重く圧し掛かってきてるんッス!」

「俺、ガキ、キ・ラ・イ・だ・し☆」

「デッ、デリアさんが嘘吐きになってもいいッスか!? デリアさんがカエルになると、四十二区は痛手どころじゃ済まないッスよ!?」

「いやいや。ガキどもがデリアに『精霊の審判』をかけるわけないじゃねぇか」

「万が一ということも、ないとは言い切れないッス!」

「ん~……いまいちピンとこないんだよなぁ……危機感っての? そういうのがさぁ」

「くぅ…………しょうがないッス、こうなったら最後の手段ッス…………デリアさんがカエルになったら、この世からHカップが一対消滅することになるんッスよ!?」

「ウーマロ! 俺新しい遊具考える!」

「分かってくれたッスか、ヤシロさん!?」


 ひしっと抱き合う俺とウーマロを、冷ややか~な目で見ている女子たち。


「あぁ……ついにウーマロさんがお兄ちゃんに感染しちゃったです……」

「まぁ、いつかはそうなるとは思っていたけど……ついに、だね」

「ウーマロ……ぶっ飛ばす」

「ま、待ってッス、ロレッタさんにエステラさんに、特にデリアさん! これはヤシロさんを説得するためであって、深い意味はないんッス!」

「キツネの頭領さ~ん☆ どっち向いてるのかなぁ? みんなはこっちだよぉ~☆」

「諸事情により、そちらへは向けないッスけども、心は向いているッス!」

「…………ウーマロ、エロス」

「はぁうっ!? マグダたんから辛辣な一言を……っ! ご、誤解ッスマグダたん……オイラは、オイラはただ、子供たちのために……デリアさんのHカップを……子供たちのためにぃ……っ!」

「うん。その言葉だけ聞いているとかなり最低だけれど、言いたいことは分かるよウーマロ。結論から言って、ヤシロが悪い」


 なんでだよ、エステラ!?

 そもそも、デリアが勝手な約束をしたのが悪い!

 つまりは、一番の悪はあのHカップ…………


「おっぱいが悪であるはずがないっ!」

「……ね? ヤシロが悪いでしょ?」


 エステラの一言に、その場にいる者すべてが納得していた。……解せん。

 もういい。帰る! 不愉快だ!


「じゃあな、リベカとフィルマン。お前らが倦怠期を迎えた頃にまた会いに来るぜ」

「いや、もっと早く会いに来てもよいのじゃ」

「そうですよ! ヤシロさんはボクたちのキューピッドなんですから」

「ねー!」「のー!」

「やかましい、声をそろえて気色悪い声を出すな」


 非常に不愉快だ。

 一秒でも早く帰りたい気分だ。


「ではみなさん、帰りましょう! 急いで、一秒でも早く!」

「……ジネットちゃん。本当に覚えたいんだね、新料理のレシピ」

「……もしかしたら陽だまり亭は今日、オールナイト営業になるかもしれないです」

「……店長ならやりかねない」


 引き攣った顔のエステラと、青い顔のロレッタ、相変わらず無表情半眼のマグダが、意欲に燃えるジネットを見つめて肩を寄せる。

 きっと、コロンブスだってあそこまでの意欲には燃えていなかったはずだ。


「じゃあ、ドニス。最後の一本、大切にな」

「他に思い付かなんだのか、別れの言葉は?」


 どんな名言を思い付いたとしても、お前の頭を見たら一瞬で上書きされちまうんだよ。

 文句ならお前の頭皮に言え。


「また何かあれば文を送る。そなたらも、気軽に寄越すといい」

「ありがとうございます、ミスター・ドナーティ。今後は、もっと懇意にしていただけますようお願いします」

「もちろんだ。此度のこと、感謝しておる」

「こちらにもメリットのあったことですので」


 最後にもう一度握手を交わし、今の言葉に偽りがないことを証明し合う。

 そして、ドニスがすすっとエステラに顔を寄せ耳打ちをする。

 俺に聞こえるように、口元を隠す手をわざと反対にして。


「もし、煮え切らぬ男に困るようなことがあればワシに相談するのだぞ。ワシからガツンと言い聞かせてやるからの」

「い、いえっ……そ、そういうことは……まだ………………はは。では、機会があれば」

「うむ! ワシはそなたの味方だ、ミズ・クレアモナ」


 誰のことを言っているのか皆目見当も付かないが、お前に何を言われたところで「お前が言うな」の一言で論破出来んじゃねぇか。この永年ヘタレ男。



 そんなこんなで、別れを惜しんでいるのか、言い残しがないように言いたいことを言い合っているのか分からない挨拶が終わり、俺たちは揃って林を抜けた。

 二十四区教会の赤い鉄門扉の前へ来る。

 ここを抜ければ『宴』は終わり。

 前に停まっている馬車に乗ってそれぞれの家へ帰ることになる。


「絶対! 絶対また遊びに来るのじゃぞ、エステラちゃん! 我が騎士! 永遠のライバルマグダ!」


 リベカがエステラにしがみついて頭をぐりぐり押しつける。

 つか、マグダ……お前いつの間にリベカのライバルになったんだよ。つか、なんのだよ?


 最後にどうでもいい謎は残ったものの、『宴』は成功。

 二十四区とは良好な関係が築けた。

 麹に大豆。この街の特産物が俺たちに与えてくれる恩恵は計り知れない。

 さっさと『BU』を退けて、二十四区を巻き込んだ金儲けを始めよう。


 俺がそんなことを考えていると、ソフィーが恭しく重い鉄門扉に手をかける。

 特に苦労もなさそうに取っ手を引っ張ると、地に響くような重々しい音が響く。


 そしてドアが開かれた先に――




「これはこれは。随分と珍しい顔ぶれがお揃いで」




 ――二十九区の領主、ゲラーシーが立っていた。


「ゲラーシーっ」


 ドニスが驚いたような声を漏らす。

 どうやら、ドニスも知らなかったようだ。


 だが、この状況はなんだ?

 まるで、俺たちが今日ここで『宴』を開催することを知っていて、待ち伏せしたような……そう、完全に言い逃れが出来ないこのタイミングに踏み込むために。


「……ヤシロ」


 俺の背に身を隠すようにしてエステラが囁いてくる。

 アゴをくいっと持ち上げて俺の視線を誘導する。

 その先にいたのは……『BU』に属する他の区の領主たち。


 前回、二十九区で開かれた多数決の場にいた連中だ。

 ただ一人、トレーシーだけがそこには存在していなかった。


「詳しい説明は結構。こちらはすべてを把握している」


 ゲラーシーが相変わらずの無味乾燥な声で言い、そして、覆らないのであろう決定事項を通達する。


「四日後、四十二区及び三十五区への審判を下す。逆らったり拒絶したりすれば、我々『BU』はそれを宣戦布告とみなし両区への総攻撃を開始する」

「ちょっと待ってくださいっ! こちらの返事はまだ……」

「与えてやった猶予を使って貴様らが行ったことはなんだ?」


 感情を抑えた声に、エステラの言葉は遮られてしまう。

 心にやましいところがあり、そこをピンポイントで突かれたらそうなってしまうのも無理はない。


「まさか、個別に各区の領主と会い懐柔し始めるとは……さすが最貧区。品性を疑う行為だ」

「な……っ!?」


 さすがのエステラも、その一言には不快感を顕わにする。

 だが、それすらもゲラーシーは計算ずくな様子で。


「なんだ? 不満があるのか? ならば今この場で多数決を行ってもいいのだぞ?」


 そんな脅迫をしてきた。

 この場で多数決など行われれば、即決で有罪。四十二区は多額の賠償金を『BU』各区に支払うことになる。


「まぁ、待てゲラーシー」


 そこでドニスが貫禄のある声で割り込んでくる。


「今この場にはミズ・マッカリーがおらぬ。そんな状況で多数決を強行するのは賛成しかねる。そもそも、多数決は偶数人では行えぬルールになっておるではないか」


 そして、そんなドニスの言葉すらも、ゲラーシーの思惑通りだったようだ。


「偶数ではありませんよ、ミスター・ドナーティ」


 ゲラーシーがにやりと笑みを浮かべる。

 勝利を確信している者特有のいやらしい笑みだ。


「あなたも欠席されれば五名となり、奇数です」

「ワシに外れろと申すのか!?」


 ドニスが腹に響くデカい声を発する。

 まるで猛獣の咆哮だ。普通の感覚を持っていれば、その声だけで心が挫け怯んでいただろう。

 だが。


「では、多数決で決めますか?」

「……ぐっ」


 ドニスが言葉を飲み込む。

 今多数決をすれば、五対一でドニスは負ける。

 もしそうなれば、トレーシーとドニス、俺たちが味方に引き入れた二領主が不参加となってしまう。


「大人しくしていてもらいましょうか、親愛なるDD様」

「……若造が」


 あくまで敬語ではあるが、重鎮であるドニスを見下すような態度を取るゲラーシー。

 ヤツの余裕と自信は、後ろに控える四人の領主によってもたらされている。

 ゲラーシーを含め、あの五人は今回、意見を違えることはないだろう。

 ドニスを……そして、俺たちを追い落とすために集結したのだろうしな。


「ドニス。大人しく引き下がれば四日後の多数決には出席出来そうだぞ」

「……しかし」

「ここで争っても得はないさ」

「………………うむ」


 頭に血が上りかけていたドニスを落ち着かせる。

 お前に退場されちゃ、こっちがやばいんでな。


「ふん。やはりか」


 俺がドニスと言葉を交わしたことで、ゲラーシーの表情が険しくなる。


「ドニス・ドナーティも腑抜けたものだな」

「ドニスおじ様に対し、それはあまりにも無礼ではないですか!?」


 声を上げたのはフィルマンだった。

 だがそれは罠だ。

 ゲラーシーは、わざとこちらを怒らせようとしている。

 そうすればするだけ自分たちが優位になる自信があるのだろう。


「大方、賄賂を受け取ったのだろう?」

「見くびるなゲラーシー。老いてもワシは領主だ。金で揺らぐ心は持ち合わせておらん」

「金ではない賄賂もあり得る……そう、跡取りの問題とか」

「…………っ」


 ドニスがゲラーシーを睨む。

 こいつらはどこまで知っているのだろうか。


「貴様らは外周区の下級貴族にそそのかされ、『BU』を裏切ろうとした。ご丁寧に、稼ぎ頭の麹工場のトップまで呼び寄せ、他者が入り込めぬ『閉じられた教会』で談合を行った」

「ち、違います! 今回の会合は、ボクとリベカさんの婚約の話であって、政治的な意味合いは……特に、二十四区が『BU』を裏切るなどという話は出ていません!」


 きっぱりと断言するフィルマンの言葉を聞いて、ゲラーシーは腹を抱えて笑い出した。


「結婚だと? 貴殿と麹工場の工事職人殿がか?」

「そ、そうです! 笑うのをおやめください! 何がおかしいのですか!?」

「おかしいに決まっているだろう」


 大音量で鳴っていた笑い声が急に止み、ゲラーシーの顔に嘲りの表情だけが残る。



「麹職人殿はまだ子供ではないか」



 フィルマンの目に殺気が宿る。

 最愛の人を侮辱された……と、感じたのだろう。

 だが、フィルマンが何かをする前に、リベカが反論を述べた。


「わしは、確かにナリは小さいが、麹工場を牽引する立派な大人じゃ。もう子供ではないのじゃ」


 世間的な責任をまっとうに果たしている大人だと、そう主張するリベカ。

 そんなリベカにゲラーシーは――あろうことか、腕を伸ばして人差し指を突きつけた。

『精霊の審判』の構えだ。


「ゲラーシーっ!?」


 ドニスが叫び、フィルマンがリベカを庇うように前に立ち、ソフィーとバーサが全身に殺気を纏う。

 だが、そのどれもを気にせず、ゲラーシーは笑いながら言ってのける。


「成人もしていない子供が大人なわけはないだろう! なんなら、精霊神様のお考えを問うてみるか、その身をかけて?」

「……ぁ…………ぅ、いや……っ」


 リベカの顔が真っ青になる。

『精霊の審判』を使われれば、きっとリベカはカエルになるだろう。

 成人すれば大人――という明確な基準がある以上、リベカはまだ子供なのだ。


「ふっ。今の発言がある以上、貴公らは私の意に反する行いは出来なくなったな」


 ゲラーシーがリベカを人質に取った。

 フィルマンは分かりやすく、そしてドニスも珍しく苦い顔をしている。


「大方、『BU』を出し抜いて富を独占しようとしていたのだろう。外周区には土地だけはあるからな。秘密裏に大豆を作らせれば大儲けが出来るというわけだ」

「そのような話は耳にすらしていない」

「その証明もまた出来まい?」

「くっ! なら、『精霊の審判』を……」

「『精霊の審判』の誘発は罠――我々貴族の間では常識ではないか」


 わざと『精霊の審判』をかけさせ、自分の立場を有利にさせる。そんな駆け引きは昔から繰り返されていたのだろう。

 俺だって「『精霊の審判』をかけてみろ」と言われたら断る。相手の土俵に、わざわざ乗ってやる必要はないからだ。


 同時に、『会話記録カンバセーション・レコード』の提示も断る。

 いくらでも細工出来るから、アレは。

 前もってそれっぽい会話を誰かと行っておけば。発言者の名前までは記載されていないから。いくらでも誤魔化せる。――人間相手なら。


 それら精霊神の魔法を封じた上で、ドニスに悪魔の証明を突きつけるゲラーシー。

 やっていないことの証明は不可能だ。


 とにかく、難癖をつけて四十二区を悪者にしたいらしい。

 もしかしたら、ドニスを陥れることで大豆の利権を奪い取れると踏んでいるのかもしれない。


「こそこそと無駄な努力をしていたようだが、『BU』は通行税で財政を潤している連合体だ。手紙一つとっても、追跡することは容易いのだよ」


 ゲラーシーの爬虫類のような目がエステラを睨む。

 以前のこいつは、こんなにギラギラした男だっただろうか……そんなところにも違和感を覚える。


「マッカリーと手紙のやりとりを頻繁に行っているようだな、クレアモナ殿」

「それは……」


 エステラがトレーシーと交わした何通かの手紙。そのことを言っているのだろう。

 手紙のやりとりが完全に把握されていたようだ。

 決まった通路からしか入れず、その通路にはもれなく見張りがいる『BU』なのだから当然といえば当然か。迂闊だったな。


「それが止んだと思えば、今度はドナーティ殿と……ふっ、権力の匂いに敏感なようだな。さすがは…………」


 ゲラーシーは、その先を言葉にしなかった。が、何が言いたいかはよく分かった。

 エステラの瞳がギラリと光る。

 ナタリアも、先ほどからただ黙ってゲラーシーを睨みつけている。……いや、その後ろに控える銀髪の給仕長を睨みつけているようだ。

 給仕長同士の牽制のし合いか。迫力がある。


「マッカリーにも伝えたことなのだが……」


 作り物めいた薄笑いを浮かべて、ゲラーシーがドニスに忠告をする。


「今後一切、おかしな行動はとらないことだ。嫌疑をかけられれば、多数決に参加出来なくなるばかりか、『BU』からの脱退もあり得ると、その肝に銘じておくのだな」

「…………承知した」


 重い。

 非常に重たい声でドニスが呟く。唸る、と言った方が的確かもしれないが。


 フィルマンは、完全に気圧されており、言葉をなくしていた。

 フィルマンにはまだ早いだろうな、領主同士の牽制合戦は。


「クレアモナ殿」


 取って付けた敬称を鼻で笑うように口にするゲラーシー。


「四日後を、楽しみにしていることだ。ふふふ……ははははっ!」


 高笑いを残し、ゲラーシーは馬車へと乗り込んだ。

 教会の前に横付けされたイヤミなほど豪奢な馬車。黒い毛の大きな馬が我が物顔で歩き始める。


 遠ざかっていく馬車が完全に見えなくなるまで、俺たちは誰一人として言葉を発しなかった。


「あの……」


 静寂を破ったのは、ジネットだった。


「どうなって、しまうのでしょうか?」


 不安な感情を、素直に言葉にする。

 ただそれは、この場にいる者すべての心を代弁するためのものだった。

 口に出して言わなければいけない言葉がたくさんあった。その口火を切ってくれたのだろう。


「どうしようにもない……って、感じだけれど」


 髪を掻きむしり、エステラがため息交じりに言う。


「どうにかしないわけにもいかないよね」

「しかし、手紙までもが監視されてしまっていては、連携は取れませんよ」

「……だよね」


 ナタリアの指摘を受け、エステラが唇を噛む。

 トレーシーと会って作戦を立てたくても、もはやそれは敵わないだろう。

 もしそんなことをすれば、トレーシーは多数決から排除される。領主会談には呼ばれないだろう。

 手紙もダメだ。


「とにかく、ワシはワシが正しいと思った通りに動かせてもらう」


 ドニスが言って、ゆっくりと歩き出す。

 フィルマンの背を押し、馬車へと誘導する。


「ワシには……この街を、二十四区を守るという使命があるのでな」


 それだけを言い残し、ドニスの馬車は出発してしまった。

 リベカやバーサ、ソフィーにバーバラも、何も言わない。

 今この場所にいる連中すべてが、発する言葉を持っていなかった。


 あまりにも唐突に突きつけられた現実。

 猶予は、思ったよりもなかった。いや、なくなった。


 こりゃ、相当厳しい状況だな。


「……ねぇ」


 赤い瞳が俺を見る。


「ヤシロ」


 エステラが、俺の顔を真っ直ぐに見つめながら、少々不機嫌そうな顔で聞いてくる。


「こんな、どうしようもない非常事態だってのにさ……」


 だが、その不機嫌そうな顔の裏には――


「なんで、君は笑っているんだい?」


 ――妙な期待が見え隠れしていた。


「俺、笑ってるか?」

「あぁ、笑ってるね。それも、最高にあくどい顔で」

「最高のスマイルか……照れるな」

「君が悪いのは耳かい? それとも情報を処理する頭の方かな?」


 どちらもすこぶる快調だ。

 そうか、笑っちまってたか……でもまぁ、仕方ないじゃねぇか。


 だってよ、久しぶりに……




『叩き潰しても心が痛まないリスト』に、新しい名前が追加されたんだからよ。






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