228話 領主到着。……そして。

「ようこそ、二十四区教会へ」


 ドニスとフィルマンを出迎えたのは、陽だまり亭一同。

 メイクを施したマグダとロレッタを両脇に従え、センターで太陽のような微笑みを湛えるジネットが来客を出迎える。

 ……つかロレッタ。いつの間にメイクしてもらってたんだよ? エステラが迎えに行く前、だよな。あの短時間で、リベカとソフィーの感動の再会の横でおねだりしたのか。たいしたヤツだよ、ホント。


 本来なら、教会のシスターであるソフィーやバーバラが出迎えるべきなのだろうが……ソフィーを連れてくると、出会い頭でフィルマンに危害を加えかねない。でなくとも、表情に出るだろうからソフィーは置いてきた。

 バーバラは……

 もし俺がドニスの立場で、初めてこの教会に来たとしよう。重い鉄門扉を開けた先にバーバラが立っていたら……悲鳴を上げて逃げ出す。

 後ろには鬱蒼と生い茂る林もあるしな。

 心臓に悪そうなので、バーバラも置いてきた。


 そんなわけで、陽だまり亭メンバーだ。

 こいつらは出迎えにも慣れているし、何より見た目に華やかだ。

 現に、ジネットたちがいる付近は鮮やかに色付いて見える。


「ほぅ、これは美しい」


 思わずといった感じで、ドニスの口からそんな言葉がこぼれ落ちる。

 もっとも、その「美しい」が指しているのは、陽だまり亭ご自慢の美人従業員たちではなく、ミリィ渾身のフラワーアレンジメントであるようだが。


 ドニスたちを出迎えたのは、三十五区にある花園の美しい花々。

 存在感たっぷりの飾りつけで、そこに小さな花園が誕生している。

 会場までの道を花で埋め尽くすことは適わなかったが、緩急をつけた装飾で不足分を上手く補い「あえてそうしている」ようにすら感じさせる。

 ミリィはセンスがいい。

 上手く育てれば一流の詐欺師になれるだけの素質がある。ないものをさもあるように見せるそのセンスは、きっと詐欺の世界でも異彩を放つことだろう。


「まずは、こちらをお試しください」


 ジネットの言葉に、マグダとロレッタが花園の花の蜜――ネクターを差し出す。

 花のカップに入れられたネクターは、さながらウェルカムドリンクのようなものだ。


「これは、見事な味だな」

「え、えぇ。とても美味しいです」


 酒を飲まないドニスは結構甘党なようで、ネクターをとても気に入ってくれたようだ。

 一方、フィルマンの表情は冴えない。……女性に差し出された飲み物を受け取ったのが、そんなに気になるか。罪悪感に濡れた表情をさらすな、この拗らせボーイ。


「ぁは、ょかった……。喜んでもらぇて」


 林の中に身を隠す俺の隣で、ミリィがほっと息を漏らす。

 自分の飾りつけた花がどう見られるか、気になって見に来たのだ。


「お手柄だったな、ミリィ。おかげで第一印象は最高だ」

「ぇへへ……ぅれしい、な」


 くすぐったそうに笑うミリィの頭の上で、大きなテントウムシが揺れる。


「では、改めてご案内します。ミスター・ドナーティ」


 ジネットたちが脇へとよけ、エステラが先頭に立ってドニスとフィルマンを案内する。殿にはナタリア。

 ジネットたちはその場で見送る、プラス、ドアを閉める係だ。


「じゃ、俺たちも戻るか」

「ぅん。次の準備、だね」


 ドニスたちが林へ入る前に、ミリィと二人でその場を離れる。


 庭へと戻ると、ベルティーナを中心として、ガキどもがずらりと勢揃いしていた。

 長い紙を、並んだガキどもが協力して持ち、広げている。

 その紙には『ようこそ! 領主様。お会い出来て光栄です』と書かれていた。いつの間にあんなもんを作ったんだ?


「うふふ。子供たちが、何かお役に立ちたいと言っておりましたので」


 それで、ベルティーナがこんな提案をして、ガキどもが協力して作った、というわけらしい。

 ナイスな思いつきだ。

 ガキどもにウェルカムされるのは嬉しいだろう、領主ともなればなおのことだ。


「おぉ、これは」


 林を抜けてきたドニスが、ガキどもの歓迎を受けて相好を崩す。

 ガキ嫌いではないようだ。むしろ、少し好きなのかもしれない。そんな感じの喜びが顔に表れている。

 ……まさか、この中の九歳女児辺りにときめいている、なんてことはないと信じたい。

 …………ないよな?


「こんな温かい歓迎を受けたのは実に久しぶりだ。感謝する」


 ドニスの言葉に、ガキどもが顔を見合わせてわっと声を上げる。

 喜ぶガキどもを見て大いに頷くドニスだが、ほんの一瞬だけ、眉根を寄せた。

 おそらく、怪我をした獣人族のガキどもについて、何か思うところがあったのだろう。

 この教会がそういう連中を保護、扶養しているということは知っていたのだろうが、実際会うことはそうそうない。

 バーバラに確認したところ、ドニスがこの教会を訪れるのは初めてなのだそうだ。

 何かある際は、バーバラが領主の館へと呼び出されているのだとか。


 毎朝教会に飯をたかりに来るどこぞの領主とは対照的だな。

 まぁ、この教会の意義を考えれば、みだりに部外者を入れられないってのは分かるのだが。


「元気のいい、子供たちだな」

「はい。元気は、この子たちの特技ですから」


 ベルティーナがそんなことを言う。

 ドニスは少し驚いたような表情を見せたが、微笑むベルティーナを見て「そうか」と呟いた。


「では、ミスター・ドナーティ。そしてフィルマン君。席へご招待しましょう」


 ナタリアではなく、エステラがドニスたちをエスコートする。

 それだけ特別扱いをしているというアピールなのだろう。


 庭に出された大きな木のテーブル。

 そこには椅子が八つ並べられている。

 ここは、ドニスとフィルマン、リベカとバーサ、エステラとベルティーナ、ソフィーとバーバラの席だ。他の連中は立食パーティーということになる。別のテーブルを設け、そこに料理を並べる予定だ。……っていっても、ベルティーナあたりは椅子には座らずにガキどもと一緒にピクニックしそうだけどな。すなわち、地べたに敷物を敷いての飲み食いだ。

 どんなスタイルにせよ、好きにすればいい。


「では、ヤシロさん。お料理をお持ちしますね」

「おう。ハムっ子ー、仕事だぞー」

「「「「ぅははーい!」」」」


 諸手を挙げて厨房へ突入していくハムっ子。

 ウーマロの手伝いが終わり、ちょっと暇になっていたので仕事が嬉しいようだ。


 陽だまり亭の三人と、デリアも加わって料理を運び出してくる。

 俺とナタリアは、不測の事態に備えてエステラのそばに控えている。

 マーシャは、テーブルのそばにマイ水槽を置いて、中でちゃぷちゃぷ水を揺らしている。


「おや、あなたは海漁ギルドの?」

「うん~☆ はじめまして、DDさん。お噂はかねがね、ルシア姉から聞いてるよ~☆」

「む……そ、そうか……よろしく頼む」


 マーシャの砕けた対応に戸惑いを見せるドニス。

 DDって、親しい間柄の呼び名を真っ先に使うとは……マーシャのヤツ、結構踏み込んだな。まぁ、俺は呼び捨てだけども。

 つか、ルシアもドニスとは仲良くないよな、確か?


「常々、三十五区が羨ましいと思っていたのだ。海漁ギルドと懇意に出来ていることにな」

「大丈夫だよ~☆ ヤシロ君と仲良くなっておけば、他所から羨ましがられる方になるから。ね、ヤシロ君?」

「そんな無茶振りを無責任に投げつけるな」

「ほぅ、信頼されておるのだな、ヤシぴっぴ」

「その呼び名やめろ、チョロリンって呼ぶぞ」

「「「ぶふっ!」」」


 なんか、あちらこちらから一斉に「ぶふっ」って聞こえた。

 見渡してみると、エステラやマーシャ、ウーマロにロレッタ、ベルティーナまでもが口を押さえて肩を震わせている。

 あぁ、やっぱみんな気になってたのか。


「ヤシロ…………っ、今日は、大切な……ぷふっ……日だから……っ!」


 必死に笑いをこらえつつ、エステラが俺を睨んでくる。


 お前なぁ。

 触れちゃいけないとか思うからそうなるんだよ。

 あんなもん、髪型の一種だ。くせ毛、ロン毛、一本毛。何もおかしなことはない。

 それを、お前たちが勝手に「触れちゃいけない」とかいう意識を持つからそうなるだけで。

 言ってしまえば、ここのガキどもと同じだ。

 怪我をしているからあーだこーだと考えてしまう。その結果腫れ物に触るような態度を取ってしまう。

 けれどそれは、ガキどもにとっては逆につらいことだ。

 悪質な正義感と言ってもいい。


 あいつらは、他と変わらず普通に接してほしいと思っている。

 四十二区のガキどもと一緒になって大騒ぎしていた時の顔を見たろう。アレが、ここのガキどもが望んでいることなんだよ。


「というわけで、一本毛は積極的にいじっていこうと思う!」

「君が一番悪質だよ!」

「俺はただ、世界に笑顔を溢れさせたいと」

「空々しいわ! 大体……デリケートな話を笑いの種にするのは感心しないよ」

「デリケートな話……? チョロリンのことかぁあ!?」

「うるさいよ!? なんのマネさ、それは!?」


 ガキどもがケラケラと笑い、場の空気がとても明るくなっている。

 だというのに、ドニスったら……物凄く怖い顔してる……もぅ。


「いや、なに。二十九区の貴族に知り合いがいてな」


 ドニスが、微かに反応を見せる。


「その人にドニスのことを話したら、凄く楽しそうに聞いてくれてな」


 おぉっと、無表情を装おうとしてニヤケ顔を押さえ切れてないぞ。口の端がぴくぴく震えている。


「髪型の話をしたらここ一番の笑顔を見せていた。もちろん、悪意のない純粋な笑顔だった。まぁ、あの人の性格を知っていれば皆まで言う必要もないことだろうが」


 ――とか言って、ドニスの方をチラりと見る。

 うわぁ、物凄く嬉しそうだ。

「あの人の性格を知っていれば」なんて言われたら、「ワシが一番よく知っている」って自負が刺激されるよな、そりゃ。

 勝手に、それも必要以上に肯定的に捉えてくれるのは明白だ。


「まぁ、なんだ。ワシもこの髪型には多少自信があってな。個性は長所と捉えるべきだと、常々思っているわけだ、うん」


 自信……あったんだ。


「そうか……いい笑顔を、してくれたか…………ワシの話で………………」


 しみじみと、噛み締めるように思いを馳せる。重ねた年月の深みを思わせるような泰然とした雰囲気の中、一滴の朱が広がっていくようにドニスの表情に彩りが映える。

 それはまるで、樹齢数百年の古木が新芽を芽吹かせたかのように。ドニスの心に若々しい感情の息吹を感じさせた。


「……むふんっ!」


 そんな、威厳と情緒を台無しにするような吐息を漏らす一本毛。


「ワシのことはチョロリンと呼んでくれ!」

「ミスター・ドナーティ! それはさすがにっ!」


 興奮して立ち上がるドニスを、エステラが懸命に制止する。

 そして、軽く俺を睨む。

 なんだよぉ、場の空気を和ませただけじゃんかよ~ぅ。


「領主様」


 バーバラがドニスのそばへと歩み寄り、そして深々と頭を下げる。


「ありがとうございます」

「む? なんの話じゃ、シスターよ?」

「個性は長所――」


 バーバラが、ガキどもを背に、全員の気持ちを代弁するように笑みを浮かべる。


「――そのお言葉はきっと、これから先あの子たちの救いとなるでしょう」


 個性。

 それは、ここのガキども全員が持っているものだ。

 怪我や病により、他人とは違う――普通とは違う――そんなガキたちの特徴を『個性』とし、肯定する。それは、ここの連中が一番喜ぶことなのかもしれない。


 普通じゃないわけではない。

 ただちょっと個性的なだけだと。


「あなたが二十四区の領主様であることを、私は誇りに思います」


 言って、もう一度頭を下げるバーバラ。

 ドニスはドニスで、意図せず発した言葉がバーバラを、そしてガキどもを勇気づけたと知り、深いしわをさらにくっきりと浮かび上がらせ、笑った。


「それはこちらも同じじゃ。あなたのようなシスターがいてくれることを、ワシは誇りに思う」


 おぉ、意図せずなんかいい雰囲気にまとまった。

 あれ、俺、すごくね?


「ふふん! 狙い通り!」

「ヤシロ……さすがにそれは信用出来ないよ」


 苦言の一つも呈したいのだろうが、結果が結果だけに強くは出られないエステラ。

 まぁ、運も実力のうちだ。崇め奉るといい。


「それでだ」


 ドニスが俺の方へと顔を向ける。

 威厳を保とうとしているのだろうが、機嫌のよさが瞳に表れている。


「麹工房の職人はどうした? 同席すると聞いているのだが?」


 ドニスの言葉に、フィルマンが体を硬くする。

 こっちは、緊張がありありと顔に表れている。もっと大はしゃぎしたり浮かれまくっているかと思ったのだが、緊張の方が勝っているらしい。


「今は、教会の方に」


 と、言葉を濁すエステラ。


 現在、リベカとバーサ、それからソフィーは教会の中にいる。

 フィルマンの足音が近付くに連れ緊張の度合いを高めていたリベカは、陽だまり亭チームで出迎えに行こうかとする直前に「むぁぁあ! 無理なのじゃ! 恥ずかしいのじゃ!」と、教会へと逃げ込んでしまったのだ。

 ソフィーはそんな妹を見て、笑顔で――殺気を放ち始めた。ので、一緒に隔離しておいた。

 バーサが二人を見てくれていることだろう。


 さて、正念場だ。


「エステラ……」


 小声でエステラを呼び、ドニスに聞かれないように耳打ちをする。


「頼めるか?」

「うん。なんとか時間を稼いでおくよ。料理は食べてもいいのかな?」

「この後麻婆豆腐を出すから、ほどほどにな」

「分かった。……甘酒は?」

「それも後だ」

「じゃあ……子供たちに協力してもらおうかな」


 これからドニスとフィルマンを引き離す。

 というか、フィルマンを拉致する。


 状況証拠から、フィルマンとリベカはお互いを思い合っている。

 が、あくまでそれは状況から判断した憶測に過ぎない。まずはそこを確定させる必要がある。

 そして、二人の意思を確認する。

 こいつらがきちんと将来を見据えて付き合っていくつもりがなければ、ドニスに紹介しても意味がない。


 だからまずは――フィルマンに告白させる。


 その時間を、エステラに稼いでもらう。

『宴』の開始を若干遅らせることになるが、その遅延を感じさせない、不快に思わせない接待をしていてもらう。


「それじゃあ、上手くフィルマン君を誘い出してね」


 俺の肩をぽんと叩き、エステラがドニスのもとへと向かう。

 内緒話は終了。

 ミッションスタートだ。


「ミスター・ドナーティ。実は、子供たちからもう一つ贈り物があるんです」

「ほう、ワシにか? それは嬉しいな」


 エステラがドニスに持ちかけるが、ガキどもがざわざわしている。アドリブか。

 ガキどもはそんな話聞いてないのだろう。さて、何をやらせる気だ?


「みんな。さっき練習した竹とんぼを、領主様に見ていただいたらどうかな?」

「まぁ。それは素晴らしい案ですね」


 エステラの言葉に、ベルティーナが賛同する。

 自身の周りに群がるガキどもに顔を向けて、とっておきの作戦を伝えるように優しく語りかける。


「上手に飛ばせたら、きっと喜んでくださいますよ。さぁ、みなさん。練習の成果をお見せしましょう」

「「「はぁーい!」」」


 ベルティーナがガキどもを上手く乗せ、エステラのフォローをしてくれる。

 ガキどもはポケットからそれぞれ竹とんぼを取り出し、庭へと広がっていく。


「おやおや。一体何が始まるのか、楽しみじゃな」


 ドニスがガキを見つめる目は優しい。

 本当にガキが好きなんだな。…………九歳女児が目当てではないと信じたいところだが。


 ガキどもが庭に広がっていったところで、エステラからウィンクが飛んでくる。

 そっちもしっかりやれよ、という合図らしい。

 じゃあ、上手いことフィルマンを誘い出すか。


「ん? どうしたフィルマン。なんだか『無性に教会の礼拝堂が見たくて背骨がむずむずしちゃうぜ!』みたいな顔して」

「他になかったのかな、ヤシロ!?」


 思わずツッコミ、慌てて口を塞ぐエステラ。

 バカ、お前。黙ってろよ。バレたらどうすんだよ。


「なんだ、フィルマン。背骨が気持ち悪いのか?」

「え? あ~……いや、なんと言いますか……」

「ふふ。便意くらい恥ずかしがるな。さっきから妙に無口だとは思ったが……そういうことか」

「…………へ?」


 ドニスが訳知り顔でうんうん頷いている。

 一方のフィルマンはぽか~んだ。


「ヤシぴっぴに手間を掛けさせるでない。行ってくればいいのじゃ」

「え? ……え?」


 フィルマンが俺を見て、ドニスを見て、俺を見て、固まる。

 どうやら、ドニスは「フィルマンは腹痛で言葉数が減っていた。それを俺が気付いてさりげなく連れ出そうとしてくれた」……的な勘違いをしたようだ。


「さすが、ヤシぴっぴだ……すべて、お見通し、なのだな」


 あ、スピリチュアルの影響まだ残ってたのか。

 まぁ、そういうことならそれを利用させてもらおう。


「フィルマン。付いてこい」

「え、いや、でも僕は……」

「『いいところ』に連れて行ってやる」


 言いながら、頭の上に両手を持っていく。ウサ耳、ぴょんぴょん。


「あ……っ」


 それで察したフィルマンは、必要以上に慌ててドニスを見て、俺を見て、ドニスを見て、俺に向かって「しぃー!」と口に指を当てた。

 こいつ、挙動不審さがパワーアップしてるな。


「で、では、ドニスおじ様。少し、離席させていただきます」

「うむ。急ぐ必要はないぞ」

「はい。では……行きましょう、ヤシロさん」


 小走りで駆け寄ってきて、俺に体をすり寄せてくる。

 近い、近い!

 なんなんだよ。


「き……緊張、し、してしてしてます」

「そうみたいだな。いいから、俺にくっついてぷるぷる震えるな。歩きにくい」

「て、手をぎゅっとしていただくわけには……」

「ふざけんな。リベカに頼め」

「そっ、そんな破廉恥なこと頼めるわけないじゃないですか!?」


 その破廉恥なことを俺に頼むんじゃねぇよ。

 ……破廉恥じゃねぇわ。


 フィルマンを置き去りにするくらいの早足で、俺は教会の中へと入る。


「あぁっ、ヤシロさん! 待ってください! 一人にしないでください! 心細いですからぁ!」








 二十四区教会の作りは、四十二区とは大きく異なっていた。

 こちらは、大人もたくさん住み着いているためか、居住用の施設として機能が充実している。

 礼拝堂へ通じる通路とは反対側にはロビーがあり、ラウンジまで備え付けられている。

 ホテル……いや、ペンションみたいなノリだな。


 そのロビーの向こう側に厨房があり、今まさにジネットたちが料理の仕上げをしていることだろう。

 だが、今はそちらではなく礼拝堂へ用がある。そこに、リベカがいるのだ。


「ヤシロさん」


 礼拝堂へ向かおうとしたところ、ロビーから声をかけられた。声の主はジネット。


「礼拝堂へご用ですか?」

「あぁ。そっちは?」

「準備万端です。あとは、ヤシロさんの合図待ちです」

「豆腐はどうだ?」

「はい。とても美味しかったです」

「いや、料理に支障なかったかを聞きたかったんだが……食ったのか?」

「は、はぅ……あの、味見です! 味を知らないことには美味しく料理出来ませんので!」

「…………母の影響か」

「あ、あの、決してそのような…………うぅ、胸を張って反論出来ません」


 ジネットがベルティーナ化しないように祈っておこう。

 まぁ、ジネットが味見して美味かったというのなら問題ないだろう。

 麻婆豆腐も期待出来そうだ。


「ところで……あの、フィルマンさんは、一体何を?」


 ジネットと話をしている間、ずっと俺の腰にしがみついて顔を伏せていたフィルマン。

 こいつが何をしているのか、俺も是非問い質したい。そして、答えの善し悪しに関係なく一発殴りたい。


「あ、あの、僕は今、神聖なる気持ちでリベカさんのもとへ向かいたいと思っていますので、他の女性の方とおしゃべりしたり、視界に入れたり、そういったことは控えさせていただきたいと……」


 わぁ、なにこいつ。怖~い。


「つい乳に目が行ってしまうから自制してるのか?」

「そっ!? そんなわけないじゃないですか!? 名誉毀損で統括裁判所に訴えますよ!?」

「はぅ……名誉毀損……」


 ジネットがちょっと泣きそうな顔をしている。

 こいつの真意は、「僕はそんな破廉恥な行為をしません! リベカさんの前で不名誉な誤解を与えるような発言は慎んでください!」というところにある。

 ジネットの乳を好むことが名誉を傷付けるという意味ではない。


「気にするなジネット。こいつの分まで、俺がガン見してやる」

「懺悔してください」


 そういうこっちゃねぇ、みたいな笑顔で言われてしまった。


「あ、お兄ちゃん! いいところにいたです!」


 厨房から顔を出したロレッタが手を上げて駆け寄ってくる。

 あ、またまた嫌な予感。


「今ちょうど店長さんが席を外しているですから、この隙に聞くですけど、蒸籠(せいろ)って今どこに隠して……はぅわぁ!? 店長さんここにいたですか!?」

「あの、蒸籠って……?」

「なんでもないです! たぶん空耳です!」


 思いっきりここにいるジネットが見えていなかったらしいロレッタ。

 お前は、定期的にヒントを与えないと気が済まない病か!?


「ロレッタ……あとでお仕置き」

「はゎゎ……やってもうたです……」


 自身の口を両手で押さえ、ロレッタが肩をすくめる。


「……蒸籠ではない、如雨露(じょうろ)。ミリィがさっき、如雨露を探していた」


 ロレッタのピンチに、マグダが現れる。

 が、正直苦しい。

 いくら天然クイーン・ジネットといえど、「せいろ」と「じょうろ」は聞き違えないだろう。


 ――と、思っていたのだが。


「なるほど、如雨露でしたか。わたし、蒸籠と聞き違ってました」


 ……俺はまだまだ、ジネットを過小評価していたようだ。

 お前、すげぇな。『疑う』って言葉、聞いたことないんじゃねぇの、もしかして。


「……ちなみに、ミリィが如雨露を探しているのは本当」

「そうか。じゃあ、あとでソフィーに聞いといてやるよ」


 俺にだけ聞こえる声でマグダが補足する。

 上手い具合に誤魔化せたもんだ。


「……それで、ヤシロ。その腰巾着はなに?」

「あぁ、これか? とある病気の末期症状だ」


 女子が増えたことで、フィルマンはさらにガードを堅くして、俺の服の中に潜り込んでこようとしていた。頭を服の中に突っ込まれている、今の俺。はは。殺意、湧くだろ?


「メンズが好きなメンズですか?」

「それはないから安心しろ」

「……ヤシロはなくとも、向こうは……」

「ないっつの」


 こいつは、ある一人の女子のことだけが異常なまでに好きなだけなんだよ。

 異常過ぎるくらいに。


「これから、礼拝堂でとある女子とご対面するところだ」

「……むむ、恋の匂いがする」

「これは、是非付いていかなければです!」


 なんでお前らまで来るんだよ。

 ジネットになんとかしてもらおうと視線を向けると……すっげぇきらきらした目をしていた。

 そういや、ジネットも好きだっけな、他人の色恋……


「そっちの準備が終わってるなら、一緒に来ていいぞ」

「終わってます!」

「行くです!」

「……刮目する」


 物凄い勢いで食いついてきたので、もう諦めて連れて行くことにする。

 なにせ、ジネットが楽しそうだしな。

 見るくらい、好きにさせてやるさ。


「ほれ、腰しがみつき小僧。しゃんとしろ。そこのドアの向こうにいるんだぞ」

「この、ドアの向こうに……っ!?」


 俺の言葉に、フィルマンはシャキッと背筋を伸ばし、真っ直ぐにドアを見つめる。ただし、腰から離れた後も、俺の服の裾をちょっと掴んでやがる。……甘えんな。


「覚悟を決めろ」


 ヒジで小突くと、フィルマンはよろめきながら俺から離れる。

 一度大きく息を吐いてから、フィルマンがドアの前に立つ。

 このドアを開ければリベカがいる。


 さぁ、ケリをつけに行くぞ。


 緊張して、両手をぐっと握っているフィルマン。

 ドアは俺が開けてやるか。


 三歩ほど下がって、ジネットたちが事の成り行きを見守っている。


 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと開く。

 キィ……と、乾いた音がして、礼拝堂の空気が漏れ出してくる。木と絨毯とろうそくの香りがほのかに漂う。


 ドアは礼拝堂の側面に繋がっている。

 表から入る正門ではないので、こんな場所から出るのだ。

 並んだ木製のベンチの間を通り、礼拝堂の中央通路へ出る。結婚式の際、いわゆる「ヴァージンロード」とか呼ばれるあの通路だ。赤い絨毯が入り口から、正面奥の祭壇までを繋ぐように敷かれている。


「あ……っ」


 思わずといった雰囲気で、フィルマンが声を漏らす。

 ヴァージンロードの先、祭壇の前に、リベカが立っていた。

 微かに漏れたフィルマンの声を聞いたのか、リベカの耳がピンと立っている。


 もし……これで、リベカの思い人がフィルマンじゃなかったらジ・エンドだな。

 笑い話にもならない。

 ヤバ……ちょっと、緊張してきた。

 礼拝堂の中の空気はピンと張り詰めていて、呼吸が少々困難に感じる。


 俺の後ろで、ジネットたちも息を飲んでいる。

 よくしゃべるロレッタでさえ、一言も発しない。


 祭壇の前にはリベカ。

 そして、祭壇の脇――壁際にバーサと、殺気混じりのオーラを身に纏ったソフィー。

 ……ここの空気が張り詰めてるの、あいつのせいじゃね?


 しばし見つめ合う、フィルマンとリベカ。

 前回は、フィルマンのことを認識していなかったリベカだが、今回は違う。

 俺が事前に「囁き王子が来る」と知らせておいたのだ。きっと察しているのだろう、こいつがそうであると。……そうであってほしいところだ。


 いや、マジで違ったらどうしよう。

 とにかく、さっさと告白して答えを教えてほしいところだ。ここばっかりは俺に出来ることがない。待つしかないのは精神的によろしくない。


 ここが上手くいけば、あとは俺がどうとでも出来るのだ。

 なので、ここさえ乗り切れば……


 さっさと告白すればいいのに、フィルマンは見惚れているのかぴくりとも動かない。

 この際、告白じゃなくてもいい。フィルマンが一言でもしゃべれば、リベカの顔に変化が現れるはずだ。それを読み解けば答えが分かる。

 さぁ、何かしゃべれフィルマン!



『高鳴る胸は、まるで竜巻にさらわれた麦わら帽子のように……』



 なんか、一心不乱に書き始めてるぞ、あのヘタレ!?


「書くな! しゃべれ!」


 即座にノートとペンを没収する! 

 こういう大事なことは自らの口で、自分の言葉で伝えるものだ!

 だから、そんな恨みがましい目をこちらに向けてもノートは返さん!


「根性見せろよ、フィルマン!」


 近付いて小声で発破を掛ける。

 一言「好きだ」と言うだけでいいのだ。ここで男を見せずにいつ見せる!

 しかし、フィルマンは煮え切らない。

 口を開けたり閉じたりするのに、声が一切出てこない。


 このヘタレめぇ!


「ずっとリベカのことを考えていたんだろ? その気持ちを素直に告げてくればいいんだよ!」


 歯を食いしばって、フィルマンが首を横に振る。


「恥ずかしがってる場合か!」


 一層激しく首を横に振る。


「緊張しててもいい、下手でも不格好でもなんでもいい! 一言気持ちを伝えてこい!」


 それでも首を横に振るフィルマン。


「なんで言えないんだよ!?」

「だ、だって、今日のリベカさん、いつにも増してめちゃくちゃ可愛いじゃないですか!」

「にゃふんっ!?」


 リベカが爆発した。


 あぁ、よかった。

 囁き王子、フィルマンで間違いなかったようだ。






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