227話 リベカとソフィー

 ドアの向こうには、リベカとバーサ。そして、二人を呼びに行っていたナタリアが立っていた。

 当初、ドニスと同じタイミングで呼びに行く予定ではあったのだが、一気に来られて対応が分散しては困ると、あえて時間をずらしたのだ。


 なにせ、リベカは特別な思いで今日を迎えているだろうからな。


「目が真っ赤だぞ」

「う、ウサギ人族なのじゃから、目が赤いのは当然なのじゃ!」


 俺に背を向け、目をこしこしこする。

 余計赤くなるぞ。


 完全なる寝不足の目だ。

 もしかしたら、ちょっと泣いたのかもしれない。

 ま、六年ぶりだからな。緊張もしてるだろう。


「エステラ」

「ん? あぁ、なるほどね。はいはい」


 アゴでリベカを指すと、エステラはそれだけで察してくれた。


「リベカさん。ちょっといいかな」

「な、なんじゃ?」

「久しぶりに会うんだから、可愛くしていきましょうね」

「む、……ぅむ」


 リベカの前にしゃがみ、エステラが髪を梳かす。

 腐っても領主。身だしなみを整えるための道具は常に持ち歩いているようだ。

 小さなクシと、気持ち程度の化粧道具が出てくる。と言っても、唇に差す紅と、頬に載せるチークのようなもの程度だが。


 エステラも、こんなの使ってんだなぁ。

 領主モードの時は化粧とかしてるみたいだけど。

 ……じぃ。


「ぅわっ!? な、なにさ? なんでボクの顔を覗き込むんだい?」

「いや。今日は化粧してないのかなぁ~って」

「そ、そんなにはしてないよ」

「じゃあ、ちょっとだけしてるんだな」

「う、うるさいな! いいだろう、別に。嗜みだよ」


 俺を乱暴に押しやって、リベカの頬にチークを載せる。

 エステラの頬にも、同じような紅色が浮かんでいた。


「……マグダはすっぴんでも十分可愛い」

「あぁ、そうだな。マグダはもう少し大人になってからだな」

「……むぅ。マグダはもう大人。少なくとも、そこの小さいのよりは」

「なっ、何を言うのじゃ、ちみっ子! わしはもう十二分に大人なのじゃ!」


 いや、ちみっ子って……お前の方が小さいだろうが。


「はい、出来たよ」

「む……うむ。ありがと、なのじゃ」


 メイクを終え、リベカが恥ずかしそうにこちらを向く。


「ど、どうじゃ、我が騎士よ……その……可愛い、のじゃ?」


 ま、そんなナチュラルメイクにも届かない気持ち程度の化粧じゃ、正直さほど変わりはしないが。


「あぁ、可愛くなった。見違えたぞ」

「んふふー! 当然なのじゃ」


 これくらいのお世辞は、嘘とは呼ばないだろう。


「……エステラ。『宴』での売り子はキレイにしておくことこそが重要だと考える」

「なんで対抗意識燃やしてるのさ、マグダ……」

「……今なら、ロレッタを出し抜ける」

「ぷっ! ……そこなんだ。うんうん。ロレッタなら面白い反応をしてくれそうだね」


 ツボにでも入ったのか、エステラが腹を抱えて笑いをこらえている。

 まぁ、容易に想像出来るけどな、ロレッタの反応。そして、その期待を裏切らないのがロレッタというヤツだ。


「分かったよ。じゃあ、ちょっとこっち来て」

「……うむ。…………ヤシロは、まだ見ちゃダメ」

「へいへい」


 体の向きを強引に変えられる。

 こちらを見るなと釘を刺された俺は、そっちを見ないようにしつつ、リベカに声をかける。

「緊張してるか?」

「う……む……まぁ、多少はの」


 ガッチガチに緊張してやがる。

 そんなに嬉しいのかと思っていたのだが……どうも違うらしい。


「……嫌われていたら、嫌じゃな……って」


 会いに来ても、会ってもらえなかった時間は、リベカにそんな思考を植えつけるのに十分過ぎる長さだった。

 嫌われている。避けられていると、思っていたのだろう。

「そんなことねぇよ」と、言ってやろうとしたのだが……


「あ……っ!」


 リベカの耳がぴくりと動いた。

 ピンと伸び、教会の方へと向いている。


 あぁ、そうか。聞こえたか。


 おそらく、さっきのリベカの声を聞いて思わず漏らしたんだろう。

「そんなことない」って。

 言いそうだな、ソフィーなら。


「ちゃんと聞こえたか?」

「うむ…………懐かしい、声…………だったのじゃ」


 リベカの涙腺が緩む。

 が、そこは必死にこらえたようだ。涙はあふれ出さなかった。


 そうか。

 ソフィーは声も出していなかったのか。リベカが相手じゃ、どんな囁きも聞こえちまうからな。


「じゃ、この後腐るほど聞いてこい」

「腐るのは困るのじゃ。わしは麹を作るしか取り柄がないからの」


 と、耳を撫でる。

 麹工場を守る。それが、リベカが出来た唯一のこと。

 家族をつなぎ止めておくために出来た唯一のこと。


「そうだな。その耳がなけりゃ『囁き王子』の声も聞こえないしな」

「ふなっ!? な、なな、なにを言い出すのじゃ、我が騎士よ!? わ、わしは、別に、そんなことはゎゎわ!」


 テンパるなテンパるな。

 少しは元気が出ただろ、これで。


「ヤシロ様」


 これまでずっと大人しく見守っていたバーサが静かな声で言う。


「会いたかった……ぽっ」

「もうちょいまともなことは言えなかったものか」


 いやぁ~、昼間っから寒いなぁ、今日は。


「ご指定の物、きっちりご用意いたしてございます」


 バーサの後ろには、鏡開きで使いそうな酒樽が置かれていた。

 バーサに頼んだもの。甘酒だ。

 きっちり作ってきてくれたらしい。


「ありがとうな、バーサ。あとで味見させてくれ」

「こ、こんな昼間から…………ぽっ」

「お前じゃねぇよ! 甘酒の!」

「ご試食、どうぞ……」


 と、唇を突き出してくるバーサの前にリベカを掲げる。

 リベカバリアーだ!


「のわぁあ!? 怖い! えぐいのじゃバーサ! その顔は強烈なのじゃ! 夢に出るのじゃ!」


 リベカバリアーのおかげで、バーサが正気を取り戻す。

 ……怖ぇ。

 さっさと『宴』を成功させて、一秒でも早く四十二区へ帰ろう。そうしよう。


「ほい、マグダ。出来たよ」


 エステラが立ち上がり、満足げな顔でマグダを見下ろしている。

 ちょうどエステラが壁になって、マグダの顔が見えない。

 そんな壁(エステラ)の向こうから、マグダがひょっこりと顔を覗かせる。


「…………どう?」


 薄く紅を差し、頬がいつもよりも明るく色付いている。

 心なしか、瞳も微かに潤んでいるように見える。

 これは驚きだ。まさか、こんなに変わるとは。


「マグダ史上、トップクラスの可愛さだな」


 これは素直にそう思った。


「…………むふ。……そう」


 くすぐったそうに体をよじって、さっとエステラ(壁)の向こうへ身を隠す。

 照れているっぽいな、どうも。


「化粧上手いんだな、エステラ(壁)」

「その(壁)が非常に気になるんだけど?」

「気にすんなよ、壁」

「名前の方が消えちゃったよ!?」


 見事壁役を成し遂げたエステラを称賛したつもりだったのだが、お気に召さなかったようだ。

 難しい年頃なんだな、きっと。


「じゃ、準備はいいか?」


 緊張しまくりのリベカに問いかける。

 ゴクリと唾を飲み込んで、リベカはゆっくりと頷く。


「お先に行ってください。私はこの酒樽を持っていきますので」


 バーサが酒樽の横で頭を下げる。

 いや、っていうか、持てるのか?


「ご安心を。私も一応、ウサギ人族ですので」

「そうなのか?」

「はい。獣特徴は……人様にお見せ出来ない場所にしか出ておりませんが……」


 じゃあもう、「出てない」でいいんじゃないだろうか。というか、「出てない」と言ってほしかった。心底。


「……特別な方になら、……お見せしても…………チラ」

「じゃあ、俺たちは先に行くとしよう。マグダ、悪いがバーサを手伝ってやってくれ」

「……獣特徴を、見せてこないと約束するなら」


 この上もなく明確な拒否だ。

 マグダでも、やっぱキツいらしい。


 そんなわけで、俺とエステラはリベカを連れて林へと入った。

 ソフィーの待つ、教会の庭を目指して歩を進める。

 ……なんでかな。俺まで緊張してきた。

 隣に目をやると、エステラもかなり緊張した面持ちで歩いていた。


 言葉もなく、心持ち早足で、俺たちは林を抜けた。

 そして――


「…………お姉ちゃん」

「リベカ……」


 ――姉妹が、対面を果たす。


 林を抜けた先、そこにソフィーが立っていた。

 早く会いたい。けれど会うのが怖い。

 そんな葛藤を思わせるような、中途半端な場所に立っていたソフィー。

 結局、心の準備など出来なかったようで、今にも泣きそうな、それ以上に罪悪感に塗りつぶされそうな、そんな複雑な顔をしている。


 リベカはリベカで、目の前に立つソフィーを見て硬直している。

 呼吸すら危ういくらいに緊張して、静止画のようにぴくりとも動かない。


 そんな二人を、教会の庭にいる面々が遠巻きに眺めている。


 時間が止まっているかのような錯覚。

 それを、壊す。


「ほれ。会いに行ってやれ」


 リベカの背中をぽんと押す。

 ほんのそれだけの小さな力で、世界は再び流れ始める。

 勢いよく。一気に。


「お姉ちゃんっ!」

「リベカッ!」


 リベカが走り出し、迎えるようにソフィーが駆け出す。

 ちょうど中間くらいの場所で二人は出会い、力一杯抱きしめ合う。


「……うぅっ!」


 リベカの嗚咽が聞こえる。

 折角メイクした顔を、ソフィーの胸に埋めてぐりぐりとこする。

 温もりを、感触を、匂いを確認するように、全身でソフィーにしがみつく。


「ごめん……ごめんね、リベカ」


 掠れながらも、絞り出された謝罪の言葉。

 それをリベカは、首を振って否定する。


「つらい思い、させたよね」


 首を振る。


「お姉ちゃんのこと……怨んでる?」


 全力の否定。

 髪を振り乱して首を振る。


「寂しかった?」


 そして、全力の肯定。


「私も…………ずっと、会いたかったっ!」


 抱きしめる腕に力を入れて、全力でリベカを引き寄せる。

 もう二度と手放さないと体で示すように。

 リベカも小さな腕を必死に伸ばして、ありったけの力でソフィーにしがみつく。

 そして、魂から発せられる声で、姉を呼ぶ。


「お姉ちゃぁぁああん!」

「リベカ……っ!」


 そこから先は、言葉はなかった。

 ただただ、互いの温もりを確かめ合うように肌を寄せ、時折互いのウサ耳をこすりつけるようにぶつけて、二人は二人だけの時間を過ごした。


 外野の連中が何人か泣いてやがる。

 ロレッタが目を真っ赤に染め、ジネットは目尻を押さえ、ウーマロがバカみたいに号泣している。


「しばらく、二人きりにさせてあげよう」

「だな」


 エステラの手が俺の肩を叩く。

 二人の邪魔をしないように、少し迂回して庭へと出る。

 みんなと合流して、視線だけを交わし、少し、笑う。


 感動しているところ悪いんだが、こっちはこっちで、そろそろ準備を始めなきゃいけないんでな。しんみりしてる暇はない。

 さて、どうやってこのしんみり空気を払拭しようかと思った矢先。


「むはぁあ!? なんですかマグダっちょ、そのちょっとハイソな雰囲気のオシャレメイクは!?」


 ロレッタの素っ頓狂な声がこだました。


「……まぁ、なんというか。接客業のプロとしての……嗜み?」

「ぬゎあ!? なんだかマグダっちょが、遙か高みから物凄い全力で見下してくるです!? ズルいです! あたしも! あたしもオシャレメイクしたいです!」

「……大丈夫。ロレッタはそのままでも十分可愛いから」

「余裕に満ちあふれた発言です!? 明らかに自分の優位を確信した者の発言です、それは!」


 まぁ、予想通りというか、ロレッタならそういう反応をするだろうなとは思ったが……このタイミングでやるとは思わなかったぞ。


「ぬっはぁぁあああ!? マ、マグダたんが薄っすらメイクをぉぉ!? ま、眩し過ぎて直視出来ないッスー!?」


 あぁ、もう一人騒がしいのがいた。


「……今日のマグダはと・く・べ・つ」

「撃ち抜かれたッスー! ハートがズギューンで木っ端微塵ッスー!」


 じゃあもう朽ち果てちゃえばいいのに。


「……くすっ」

「……ぷふっ」

「「あははははは!」」


 ソフィーとリベカが揃って笑い声を上げる。


「くすくす……もう、本当に楽しい人たちですね……」

「アホなのじゃ、揃いも揃ってアホばっかりなのじゃ」


 抱き合って、額を寄せ合って、仲睦まじく笑い合う姉妹。

 六年の時間は、もう埋まったみたいだな。

 あとは、ゆっくり取り返していけばいいさ。時間はいくらでもある。


「ん~~~! おねーちゃーん!」

「リベカァ~~~!」

「「んふふふふふふ~!」」


 ……いや、ちょっと怖いかも。もうちょっと普通に出来ないかな、そこの姉妹?

 ほら、頭こすりつけてぐりんぐりんしない!

 なんかテンションの上がり過ぎた室内犬みたいな、アクロバティックな甘え方とかしないの!


「リ~~~~ベ~~~~…………カッ!」


 と、ぽ~んと空高く放り投げられるリベカ。

 思いっ切り放り投げたな、ソフィー!? 獣人族のパワー、フル活用してない!? なんか4メートルくらい飛んでんだけど!?


「ぉねぇぇぇぇぇ………………ちゃんっ!」


 と、落下してくるリベカ。

 ソフィー、見事キャッチ!

 雑伎団か!?


「仲良しさんなんですね」


 微笑ましそうに見つめるジネット。

 いや、あれ一歩間違ったら家庭内暴力だから。ドメスティックバイオレンスだぞ、もはや。


「リベカさん。ごきげんよう」

「あっ! シスターの婆さん! ご機嫌なのじゃ!」

「こら、リベカ。シスターバーバラに失礼でしょう。きちんと挨拶なさい」

「む……うむ。わしは大人じゃからの。挨拶はきちんとするのじゃ」


 ソフィーに叱られ、耳をぴんっと立てるリベカ。

 姉に怒られるのも久しぶりなんだろう。きちんと言うことを聞くらしい。


「お招きありがとうなのじゃ、シスターの婆さん」


 おい、「婆さん」が直ってねぇぞ、リベカ!?


「はい。よく出来ました」


 出来てないよ、ソフィー!?


 いかん……あの姉、妹に甘々だ。教育はバーサに丸投げの方がよさそうだな。


「お元気そうで何よりです、シスターバーバラ」

「あら。バーサさん。あなたもお元気そうで」


 バーサとバーバラが挨拶を交わす。

 共に、ホワイトヘッドの娘を預かる身。話も合いそうだ。


「寒い朝にヒザが痛くなることな~い?」

「あら、あるのよ。今朝もね~」

「どこで話が合ってんだ、ババアども!?」


 そういや年齢も近いし、話、合いまくるだろうな!


「ヤシロ様」

「ヤシロさん」

「「ババアだなんて失礼ですよ、こちらの方に」」

「二人揃って『自分は違うけど』なスタンスの発言してんじゃねぇよ!」


 どっちもババアだよ! 漏れなく! ハズレなく!


「そうでした。本日はささやかならが、差し入れをお持ちしたんです」

「まぁ、お気遣いいただいて。ありがとうございます」


 麹工場のまとめ役、兼リベカの給仕としてのバーサと、教会のシスターであるバーバラ。

 どちらも敬語なのだが、言葉の纏う雰囲気がそれぞれに違う。

 礼儀に厳しそうな印象を与えるバーサに対し、とことんまで柔和な印象のバーバラ。


「ヤシロ様からのご依頼で、久しぶりに甘酒を造ってみました」

「まぁ~っ、懐かしいわねぇ、甘酒! 私、大好きだったのよ。こっちに来たばかりの時はよく大通りのお店でいただいて」

「それは、中路地を過ぎた先にあった赤い屋根のお店?」

「そうそう! 甘酒処『あま甘』」

「『あま甘』懐かしいわねぇ~。ほら、あのお店、売り子さんのエプロンが」

「そうなの、可愛くて!」

「お隣の花屋さん覚えてる?」

「あら、そうだったわね。確か昔はあそこが花屋さんで」

「懐かしいわね~」

「ねぇ~」


 ……と、こうなってくると同じ生き物に見えてくるな、このババアたち。

 昔はあぁだったこうだったトークに花が咲いたようだ。敬語もなくなって、当時の口調で話してやがる。


「あ、そうでした、ヤシロさん」


 ババアトークを聞きつけて、ソフィーが俺のもとへと近付いてくる。

 首にリベカをぶら下げて。……ポシェットか。


「私も、お願いされていた物を用意しておきましたよ」

「おぉ、アレか!? どこにある? 見せてくれ」

「では、厨房へお持ちしますので、そちらへ」

「よし! ジネット、付いてきてくれ」

「え? あ、はい!」


 ジネットと共に、厨房へ向かおうとした俺の前に、エステラ、マグダ、ロレッタ、そしてなぜかリベカが立ちはだかった。

 ……なんだよ?


「今度は何をやるのかな? ボクたちに内緒で」

「内緒って……別に隠してねぇよ」

「……可愛さマックスのマグダを連れて行かないのは愚策」

「いや、メイクしたのに厨房で料理するのか? そこらでいろんなヤツに見てもらえよ」

「あたしも気になるです! 行くです!」

「お前はエステラにメイクしてもらっとけって」

「お姉ちゃんをどこかへ連れて行くつもりなら、わしと遊ぶのじゃ、我が騎士よ!」

「お前は二つの欲求が混ざって意味が分かんなくなってるぞ」


 ソフィーを連れて行くなってのと、遊べって欲求がな。

 しかし、なぜそんなに気にするんだ。

 ジネット以外には扱いきれないものだと思うんだけどな。


「何か新しい商品ですか、ヤシロさん?」


 ちっ。アッスントまで食いついてきやがった。

 まぁ、いいか。

 本当に隠す必要のないものだし。さっさとネタばらししてしまおう。


「ソフィーに作ってもらったのは、豆腐だよ」

「「「とーふ?」」」

「あぁ、言ってたね、そういえば」


 ジネットたち陽だまり亭メンバーが首を傾げる。

 エステラとアッスントは、麹工場でのやりとりを思い出したのか納得顔だ。

 

 そんな中、リベカだけがぷっくりとほっぺたを膨らませた。


「我が騎士よ! わしは以前、大豆は余分に使えぬと言ったのじゃ! 規則は規則じゃと釘を刺したはずじゃぞ! それを、純真無垢でそこそこ巨乳なお姉ちゃんを利用して用意させたのじゃな!? なんたる悪童! なんたるおっぱい愛好家じゃ!?」

「誰が悪童だ!」

「うん。おっぱい愛好家は否定出来ないよね、絶対に」


 エステラさぁ、そんなどうでもいいところを広げる必要なくない?

 そんなことよりも、怒り心頭に発しちゃってるリベカを宥めてくれよ。お前の領分だろ、エステラちゃん。


「リベカさん。教会内での大豆で作る分には、『BU』のルールに反していないと伺ったのですが」

「む…………確かに、そうかも、しれん……じゃが……」


 いまだ煮え切らず。

 振り上げた拳の下ろしどころを失しているらしい。

 ったくもう。


「この豆腐は、ソフィーがバーサに教わったものなんだぞ」

「バーサが?」

「あぁ。ソフィーが麹工場にいられるように、必要とされるように、麹以外の物の作り方を覚えればいいと言ってな」

「そ、……そう、なの、じゃ?」


 リベカがバーサを見ると、首のシワを蛇腹みたいに折りたたんでバーサが頷く。


「ソフィー様も、大切なお方ですからね。私にとっては」

「バーサ……」


 ソフィーの声が詰まる。

 いろいろ教えてくれた、にもかかわらず麹工場を離れた自分。そんな自分を今でも大切だと言ってくれる。そんなバーサに感謝の気持ちがあふれているのだろう。


「泣くな、ソフィー」

「ヤシロさん……はい、そうですね。嬉しい時に泣くのは……おかしいです、よね」

「いや。体内の水分が枯渇しているバーサに水分を見せると吸い尽くされるぞ。見てみろ、すっげぇカッサカサだろ?」

「ヤシロ。いい場面では口を閉じる努力をしてくれないかな?」


 バッカ、エステラ。俺はソフィーの身を案じてだな!

 正確に言うと、ソフィーのそこそこ大きなおっぱいの水分が失われてカッサカサのしおしおにならないかという点を心配しての忠告だ。


「むぅ……そういうことなら……許す、のじゃ」


 ソフィーにバーサ。

 大切な二人のつながりである豆腐。それをダメだとは、今のリベカには言えないだろう。


「それで、ヤシロさん。その豆腐というのは、どういった物なんですか?」

「白い食い物だ。美味いぞ」

「漠然としていますが……美味しいのでしたら、楽しみですね」


 ジネットの後ろで、ジネット以上に楽しみな顔をしているシスターが見切れているが、今は全力で無視しておく。


「麻婆茄子のナスの代わりに豆腐を使って、麻婆豆腐を作るぞ」

「まーぼーどーふ、ですか? それは美味しいんでしょうか?」


 ある種の予感を胸に、ジネットがあえて俺の答えを求めてくる。

 俺が口にするであろう言葉は、もうすでに分かっているのだろうが。聞きたいんだな、俺の口から。

 いいだろう、言ってやるさ。お前の望むその言葉を。


「麻婆豆腐の美味さは……麻婆茄子以上だ」

「そ、それは凄いですね!?」


 ――ただし、好みによる。


「というわけで、麻婆豆腐の仕込みを始めるぞ」

「はい!」

「……了解」

「任せてです!」


 あ、お前らも来るのね。


「ではそろそろ他のお食事も準備しましょうか?」

「そうだな」


 竹とんぼや綿菓子を片手に散々はしゃいで、そろそろ時間も頃合いだ。

 陽だまり亭一同、プラスお手伝いメンバー総出で『宴』の準備の仕上げにかかる。


「それじゃあ、そろそろ行ってくるよ」


 エステラとナタリアが表情をキリッとさせている。

 ドニスとフィルマンを呼びに行くのだ。

「バタバタしてるから給仕いないかも~ゴメソ~」みたいな手紙を出してしまったが、不足分が補われる分には問題ないだろう。


 エステラたちがドニスたちを迎えに行っている間に、こっちは準備を完了させておく。


 そして、それから数十分が過ぎた頃――


「……むふんっ!?」


 突然、リベカが雷に打たれた。……かのように体をビクンッと振るわせた。

 耳、ピーン!

 口元、にへらぁ~。


 あ、これは、来たかな?


「リベカ。聞こえたか?」

「う……うむ…………あの、耳にくすぐったい、柔らかい声は…………間違いないのじゃっ」


 恥ずかしさからか、リベカが両手で顔を覆い隠す。

 ついにやって来たらしい、リベカの思い人、囁き王子こと――フィルマンが。


 そして、その隣にはいるはずだ。

 二十四区領主。ドニス・ドナーティ。今回のメインターゲットが。


「……なんでしょう、リベカのこの反応……非常に不愉快ですね」


 あっれぇ~?

 ソフィーの目が据わってるぞ?

 さながら、コンビニの前にたむろするヤンチャ坊主の座り方みたいだ。


「どこの馬の骨かは存じませんが…………追い返しましょう」

「やめてくれ。そいつら、メインの招待客なんだ」

「バーバラさん、モーニングスターの使用許可を」

「やめろっつうのに!」


 やべぇ、こいつ、とんでもないシスコンだ。白目の部分が真っ黒になってたぞ、今、ちょっと。黒の中に赤い瞳……魔族かよ。

 六年のブランク分、物凄く可愛く見えてんじゃないだろうか?


「お、お姉ちゃん……」

「なんですかリベカ?」

「あ、あの…………ちょ、ちょっと怖いから……一緒にいて、ほしい……のじゃ」

「きゅん!」


 うわぁ……あの症状、割とよく見るわぁ。

 なんで会わなかったんだよ、今まで。手遅れになる前にこまめに会っとけばよかったのに。


「大丈夫ですよ、リベカ。お姉ちゃんはいつでもそばにいますからね」


 おい、六年間。


「怖い相手は、お姉ちゃんが消してあげます」


 笑顔が怖ぇよ!

 そして、リベカが望んでいるのはそれじゃない!


 一抹どころではない不安を抱えつつ、俺たちはその時を迎える。

 カンカンッ――と、金属同士がぶつかり合う甲高い音が聞こえる。

 ドアノッカーだ。


 ついにご登場だ。領主一行が。




 さぁ、『宴』の始まりだ。






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