219話 『宴』の準備5
マグダをリーダーに据え、ロレッタを参謀、保護者としてノーマを置いてきた。
何気に、あのメンバーがいればそれなりに店が回ってしまうから驚きだ。
もっとも、ジネットの下ごしらえがあってこそ、ではあるが。
「なんだか久しぶりですね、ヤシロさんと二人でこの辺りを歩くのは」
ジネットが俺の隣で嬉しそうにしている。
仕事がある時間にジネットを連れ出すのは、確かに久しぶりかもしれない。
「あ、見てくださいヤシロさん。今、小さなお魚がいましたよ」
畑の横を流れる水路を指さして、ジネットがはしゃいでいる。
水路の水は、今のところ安定して流れているようだ。ここだけ見ると、水不足が嘘のようだ。
「みなさ~ん! ご精が出ますね~!」
「でまくりー!」
「だしまくりー!」
「だしおしみー!」
とか思っていると、ジネットがモーマットの畑を手伝っているハムっ子たちを見かけて手を振っている。
見るものすべてが楽しいとでも言わんばかりのはしゃぎっぷりだ。
それにしても、すっかり馴染んでるな、ハムっ子も。最初は外壁側の一部分限定だったはずが、今ではほぼどこの畑でもハムっ子を見かけるようになった。
頼めば手伝ってくれるからな、あいつらは。おまけに、仕事熱心で技術もそこそこあり、何より一緒にいて楽しいとなれば、引っ張りだこにもなるだろう。
ちゃんと金をもらっているのかねぇ。
「あ、ヤシロさん! あそこにつくしが!」
「道草食い過ぎだろ!?」
全然前進出来ない。
一歩進むごとに何かを発見してはそちらに吸い寄せられていく。
もっと適度に連れ出さないといけないよなぁ、やっぱ。
「すみません。なんだか楽しくて」
「いや、楽しんでくれてる分には全然構わないんだが」
「ところで、ミリィさんのお店に行くのではなかったんですか? こっちだと方向が……」
昨晩、一緒にミリィの店へ行こうと約束していたのだが、その前に寄っておきたいところがあった。
「先にデリアのところへ行かせてくれ」
「足漕ぎ水車ですね」
「あぁ。あっちは放置しておくと怪我人が出るかもしれないからな」
どうせデリアは、「危険だから使用を控えよう」みたいなことは考えないだろうからな。
どちらかと言えば、「叩けば直んじゃね?」という思考の持ち主だ。
あいつが叩くと、大概のものは大破するんだがな。
ぽかぽかと暖かい日差しが降り注ぐ中、のんびりとした足取りで川へと向かう。
途中、何度も道草を食いながら、ジネットは終始楽しそうにしていた。
弁当でも持っていれば、完全にピクニックだな、これは。
「~♪」
不意にこぼれた懐かしい童謡を聞き止められ、ジネットにしつこくリクエストされた。
こんな歳になって童謡を真面目に歌えるはずもなく、適当にはぐらかすも、ジネットは諦めず、結局、二人で童謡を歌いながら川を目指して歩くこととなってしまった。
くっ……なんたる羞恥プレイ。
教会のガキどもに教えてあげてくださいとか、言い出さなければいいいけどな。
川辺に着くと、すぐにデリアを発見した。
タイミングよく、足漕ぎ水車のところにいてくれた。移動が少なくて助かる。
「お~! ヤシロ~! 店長も~!」
遠くから声を上げて手を振るデリア。
足下には、何人かのガキが群がっている。まだまだ足漕ぎ水車は人気なようだ。
まぁ、全盛期に比べると随分数が減ったけどな。
「足漕ぎ水車をしに来たのか? ちゃんと順番に並んでくれよ」
「並ぶか」
なんで俺がガキに混じって「うはは~い」しなきゃならんのだ。
「デリアお姉ちゃん。私たち、後でもいーよ?」
「おぉ、そうか? よかったな、ヤシロ。先にやっていいって」
「違う。そんな気遣いを求めてたわけじゃない」
オーナー特権を振りかざして優先されたかったわけじゃないんだ、俺は。
つか、こんな濡れるもん、誰が好き好んでやるか。
「なんか、ガタついてるんだって?」
「おぉ! 直しに来てくれたのか!?」
それ以外にないだろう。
遊びに来るわけないんだから。
「まぁ、直すというか、その前の診断だな」
おそらく、水車を支える軸が摩耗してしまったのだろう。
状態を見て、必要があればイメルダに新しい軸を発注することになる。
軸以外に問題があるのなら、そちらを交換することになる。そうなら、ウーマロにも頼まないといけない。
「ウーマロに見てもらおうと思ったんだけどさぁ、あいつ人の話聞かないんだよなぁ。『目ぇ見て話を聞け!』って追い回してるうちに日が暮れてさぁ」
まぁ、そりゃそうなるだろう。お前とウーマロじゃ。
ウーマロはもはや病気だし、デリアは妥協を知らないし、ここまで相性の悪い二人もそうそういない。
「しょうがないから今朝オメロに伝言させたんだけど、『屋台の準備がある』とか言ってたらしくてな、今日は無理なんだって断られたんだとよ」
まぁ、タイミングが悪いよな。
それよりも気になるのは……
「で、任務に失敗したオメロは?」
「ん? あぁ、オメロなら今頃上流で…………って、どうでもいいだろう、そんなこと」
沈んでるの!?
洗われちゃったの!?
深い意味はないんだろうが、そこで話を濁されると凄く不安になるんだけど!?
「鯛に負けない、美味しい鮭を捕まえるって張り切ってらっしゃいましたよ」
にこにことジネットがそんな補足を挟んでくる。
いつ仕入れた情報だよ……つか、今捕まえても意味ねぇぞ。『宴』はまだ先だからな。
「あ、そうです! 鯛といえば」
この話題に持っていきたかったからさっきの話をしたんじゃないかと思えるほど、ジネットの顔がわくわくと輝いている。
自信作を自慢したいようだ。
「新しい料理が完成したんです。是非試食をしてみてください」
「おっ、いいのか? へぇ、新しい料理かぁ、楽しみだな」
「料理というよりも、おやつなんですが」
「ホントにいいのかっ!? やったぁー! 開けていいか!?」
おやつと聞いてテンションが四倍くらい上がったな。
まぁ、そういう反応をしてくれるだろうと思ったから持ってきたんだけどな。
「おぉ!? なんだこれ!?」
ジネットから手渡された弁当箱を開けて、デリアの目がきらりんと輝く。
中にはたい焼きがぎっしりと並んでいる。
半分はミリィの分だ。
「なんか可愛いなぁ!」
たい焼きを一つ手にとって、顔の前に掲げて眺める。
うん。デリアも「可愛いから食べるのが可哀想」とは思わないようだ。
ウサギさんリンゴとの違いは分からんが、たい焼きは販売しても大丈夫そうだな。
「この形は…………鮭だな!」
「鯛だよ!」
「いやでも、目とか鱗とかあるし」
そんなもん、どんな魚にでもあるだろうが!
「えら蓋とか鮭そっくりじゃねぇか」
「もっと全体を見て!?」
アゴとかしゃくれてないよね!?
細長くもないよね!?
「これはたい焼きという名前なんですよ」
「たい焼き? 鮭焼きの方がよくないか?」
「鮭の要素がねぇんだよ、だから!」
「『やぁ、こんにちは。ぼく、鮭だよぉ』」
「誰のマネだ、それ!?」
顔の前にたい焼きを持ってきて、腹話術のようにアフレコをする。
一瞬、千葉方面の夢の国を思い出すような声だったな。
「とにかく、それは鮭じゃなくて鯛だ」
「なんだよぉ……絶対鮭の方がいいのに…………食べる気なくした」
「そう言わずに、お一つだけでも、是非」
がくりと肩を落とすデリアを宥めつつ、ジネットがたい焼きを勧める。
一尾手に取り、デリアの口元へと持っていく。
脱力したまま、デリアは首を傾けてたい焼きを一口囓る。――瞬間。
「うまっ!? なんだこれ!? めっちゃ美味い!」
いや、なんだこれって……たい焼きだっつってんだろうが。
「うわっ!? こっちも美味い! これも美味い!」
手に持っていたたい焼きに齧りつき、弁当箱の中のたい焼きに齧りつき、いちいち声を上げるデリア。
みんな同じ味だっつの。
「うはぁ~! あたい、これ好きだなぁ~!」
意見、「くるーん!」ってひっくり返したな。
意見が900度くらいひっくり返ったぞ。二回転半だ。
「おにーちゃん!」
「おねーちゃん!」
俺たちの足下に、ガキどもが群がってくる。
そりゃまぁ、目の前で食われたら欲しくもなるわな。
「おぅ、お前らも食え! 分けてやる!」
意外なことに、デリアが甘い物を他人に分けた。
俺は一瞬自分の目を疑ってしまった。
デリアはガキには優しいんだな。
もしこれがオメロだったら……取られないように先手を打って川に沈めていたことだろう。
「美味いか?」
「「「おーいしー!」」」
「だってさ。よかったな、店長!」
「はい。みなさん、よく噛んで食べてくださいね」
「「「はーい!」」」
そして、あれよあれよという間に、弁当箱にぎっしり詰まっていたたい焼きは、一尾残らず姿を消した。……って、おい!
「あ~ぁ、ミリィの分が……」
「一度戻って、また焼きましょう。ね?」
ミリィの方を先にしていれば、こういうことにはならなかったんだろうがなぁ。
「あ……おねーちゃんたちの分……」
「シスターの分……」
口の周りにあんこを付けた、年端もいかないガキどもが急に沈んだ顔を見せる。
どうも、自分たちだけ美味いものを食って、教会にいるベルティーナや年上のガキどもたちの分がなくなってしまったことに罪悪感を抱いたらしい。
……なんで、あのベルティーナの元で、こんな「食べ物を分け与えてあげたかった」みたいな思考の子供が育つんだろうか…………反面教師か?
つか、ベルティーナはすでに食ってるしな。試食で。……ガキどもに内緒にしてたわけでもなさそうだし…………あぁ、そうか。食べた食べないに関係なく、美味しいものを食べる時はベルティーナと一緒って刷り込まれてるのか。洗脳だな、もはや。
「みんな、シスターが喜ぶ顔が大好きなんですよ」
そんなフォローを、俺の考えを知ってか知らずか入れてくるジネット。
その後、ガキどもの目線に合わせるようにしゃがみ、語りかけるように言う。
「大丈夫ですよ」
そして、ちらりとこちらへ視線を飛ばしてくる。
「ね、ヤシロさん」
何かを言いたげな目が俺を見る。
やめろ。その目で俺を見るな。
……ったく。
「年長組とベルティーナは『宴』に行くからな。そこで食えるし、『宴』が終われば陽だまり亭でも販売する。いつだって食えるよ」
「「「ほんと!?」」」
「あぁ。お留守番組の特権だ。先に味見したって構わねぇよ」
「じゃあ、他のお留守番の子も呼んできてい~い?」
「………………まぁ、夕飯の後、ならな」
「「「わーい!」」」
しまった。
流れでたい焼きをご馳走する羽目になってしまった。
まったく。ジネットに絡むといつもこうだ。あいつが俺の感性とか危機感知能力とか、そういった類いのアンテナを機能不全に追い込んでいるに違いない。
まったく、ジネットは……俺はガキなんぞ好きでもなんでもないのに……
「ははっ。ホント、ヤシロは子供らに甘いよなぁ」
「そうですね」
何がおかしい、デリア。何を笑ってやがる、ジネット。
勘違いも甚だしいわ。
泣く子もギャン泣きする鬼の詐欺師だぞ、俺は?
なんにも分かってねぇんだから。そのうち痛い目見ても知らねぇぞ。
……痛い目見てるの、俺ばっかりな気がする。
理不尽だな、この世界は。
きっと精霊神の性格がひねくれてるのがいけないんだろう、うん。きっとそうだ。
「それで、足漕ぎ水車はどんな感じなんだ?」
「あぁ、そうそう。もう酷いんだよ最近」
ガキどもがたい焼きの感想をジネットに一生懸命話して聞かせている間に、デリアと足漕ぎ水車の確認をする。
ガタガタしているということらしいが。
「説明するより見てもらった方が分かりやすいか。ヤシロ、ちょっと漕いでみてくれよ」
「壊れかけの水車と知って、誰が漕ぐか」
濡れたくないんだっつの、俺は。
「んじゃあ……おい、誰か。ちょっと漕いでみてくれ~」
「はーい!」
さっきまで順番待ちをしていたガキが小走りに近付いてきて、ノーマ手製の手すりに掴まって水車を漕ぎ始める。
水音を上げて回り始めた水車は、途中で激しくガッコンと揺れた。
水車に乗っていたガキが大きく揺さぶられる。
「あっ、危な……っ」
「大丈夫だよ、店長」
思わず声を上げ駆け寄ろうとしたジネットをデリアが制止する。
「下手に近付く方が危ないんだ。あたいも何回か落ちちまったしな」
「そう、なんですか?」
「あぁ。それに、ほら」
「きゃははははー! ガッコンするー!」
「……な?」
「確かに……楽しそう、です、ね?」
特定の場所でガタンと揺れる水車。
タイミングが分かっているのか、ガキは上手く体重を移動させて転落しないように漕ぎ続けている。
しかし。危ないな、これは。
「ちょっと前までは、もうちょい大きい子供らも結構来ててさぁ、誰が一番早く漕げるかで競争とかしてたんだけどさぁ」
「そんなことしてたのか」
「あぁ! あたいが絶対王者だったぞ!」
「お前も参加してたのかよ!?」
しかも、手加減一切なしっぽいな、その顔は。
「でも、ガタつくようになってから人が来なくなってな」
足漕ぎ水車を堪能したガキを抱き下ろしてやり、無人になった水車をぽんと叩くデリア。
なんだか寂しそうだ。
こいつはこいつで、ここでガキどもと遊べるのを楽しみにしていたのだろうか。
「ノーマが作った『とどけ~るナントカ』ってガッコンガッコンする遊具が面白いって、完全に向こうに人気を取られちゃったんだよなぁ」
「遊具じゃねぇよ、アレ!?」
そんな妙な人気を得てるのか?
おまけに、「ガッコンガッコン」の生みの親がノーマだから、『とどけ~る1号』はノーマが作ったことになってるのか。
つか、『1号』くらい覚えろよ! 敵対心が垣間見えるっつの!
「だからさ、ヤシロ! 水車を直して、もう一回子供たちの人気を取り戻してくれ!」
「目的変わり過ぎだろ!?」
お前の依頼で水不足の解消をするために作ったんだぞ、この足漕ぎ水車!?
忘れちゃったか!?
忘れちゃったんだろうなぁ、もう!
「ヤシロさん。この状況は少し危険だと思いますので、なんとか出来るようなら、その……」
「いや、そりゃ直せるようなら直すけどさ」
「ホントですか!? ありがとうございます」
なぜかジネットに礼を言われてしまった。
教会のガキどもを危険から守りたいという思いの表れなのだろうが……そんな、自分のことのように喜ばなくても。
「じゃあ、ちょっと見せてもらうな」
危ないからと、水車への接近を禁止する。
下手に近付くと川に落ちるかもしれないからな。……俺が。
デリアあたり、予告なく水車を回してみたりしちゃうかもしれないし。そんなわけがないと言い切れるヤツがいるか? いないだろう? デリアはそういうヤツなのだ。
悪気なんてない。素で自由奔放なのだ。……だから怖い。
「うぉっ!? ……なんだこりゃ?」
水車の側面に回り込み、軸受けを覗き込むと、軸と触れる部分が真っ黒に炭化していた。
……水車だぞ? 燃えたのか?
この水車の軸は一本の太いヒバの木を使用している。それを受ける軸受はV字の木製パーツを二つ組み合わせた構造になっている。
V字の形に加工された木に軸を載せ、反対側から同じくV字の木をかぶせてひし形の穴で軸を受けている。軸が円柱で軸受けがひし形なので互いの接地面積が少なくなり、摩擦も比較的抑えられている。が、なんとも原始的な軸受と言える構造だ。
とはいえ、これくらいの簡単な足漕ぎ水車ならこの程度で十分なはずなのだ。常時動き続ける水車ではないし、馬車の車輪のように速度も出なければ加重もそれほどない。
ただ、計算外だったのは……水に濡れた軸が熱で焦げるほどの勢いで回していたデリアとガキどものパワーと手加減の出来なさ加減だ。
「張り切り過ぎなんだよ」
「まぁ、子供らはいつも全力だからなぁ。しょうがないよな」
「お前だ、お前! この足漕ぎ水車の最速クイーン!」
「なはは。褒めんなよぉ、ヤシロ。照れるだろう」
褒めてねぇって……
軸は炭化し、軸受けは想定以上の加重によってひしゃげていた。
円ではなくなった軸の外周と歪んだ軸受けが原因で「ガッコン」が起こっていたわけか。
「こりゃ、大掛かりな修理が必要だな」
「えぇ!? ウーマロは忙しいんだろ? どうするんだよ、ヤシロ?」
こいつ……他人事みたいに。
「確かにウーマロは忙しいし、トルベックの大工どもは新しい物作りの方へ意識が向いて盛り上がってるから、こっちの修理には難色を示すかもしれない……だから、デリア。一肌脱いでくれ」
この水車の故障の原因の一端を思いっきり担っている責任を取ってな。
「あたいは何をすればいいんだ? 言っとくけど、あたいには直せないぞ? 実を言うとな、こういう細かい作業は苦手なんだ」
「『実を言うと』がここまで生きてこない文章も珍しいな、知ってるよ、よく理解してるんだ、そんなことは」
デリアに修理させると、かつての陽だまり亭の椅子以上にガタガタしそうだからな。
「デリアとジネットに日曜大工を頼むつもりはない」
「はぅっ!? ……酷いです、ヤシロさん。確かに、わたしも大工仕事はちょっと苦手ですけれど……」
「ふふん。今度教えてやろうか、店長?」
「やめてくれ。覚えたことはなんでもやりたがるんだからな、ジネットは」
「そ、そんなことないですよ!?」
慌てて否定するも、まったく説得力がない。
麻婆茄子やたい型ホットケーキという前例があるだろうが。
デリア仕込みの日曜大工なんかにハマられた日には……陽だまり亭が倒壊してしまいかねない。
そんな危険は冒さない。
俺が取るのは、安心確実で、かつ――お手軽に利用出来る方法だ。
「一人、呼んできてほしい大工がいるんだ」
「え? でも忙しいんだろ? オメロが言うには、大工たち、なんか殺気立ってたみたいだぞ?」
トルベックの連中も社畜だらけなのか?
新しい技術に対して貪欲だよな、どいつもこいつも。
「確かに、今の大工たちは殺気立っているかもしれない。『宴』用の屋台の準備とかもあるだろうし、『新作』への期待も高いだろうし」
「じゃあ、あたいが行ってもまた断られるだけなんじゃないか?」
「大丈夫だ。俺が言う通りに、俺の指名するヤツに話を付けてきてくれればいい」
「まぁ、ヤシロが大丈夫って言うならそうするけどさぁ」
そうして、俺はデリアに『取って置きの秘策』を伝授した。
これで、この足漕ぎ水車も早急に修繕されるだろう。それも格安で。材料費も向こう持ちで。
――で、数十分後。
「ご指名ありがとうございます、デリアさん!」
ひょろりと細長い大工がデリアに深々と頭を下げていた。
その大工の名は、グーズーヤ。
デリアのウェイトレス姿にハートを射抜かれて以来、時折出現する巨乳に目を奪われることはあっても、基本的にデリア一筋のご贔屓さんだ。
出会った当初は言い逃れ癖と逃げ癖のあるどうしようもないヤツだったが、最近は人一倍頑張って「腕もそこそこよくなってきたッス」とウーマロが太鼓判を押すくらい真面目に働いているらしい。
今では、自信を持ってトルベック工務店の一員だと名乗れる男になったのだそうだ。
「ぼ、僕っ、(デリアさんのために)死ぬ気で働きますっ!」
(デリアさんのために)は、心で思うにとどめた言葉なのだろうが、思いっきり顔に滲み出ていた。分かりやすいヤツだ。
「なぁヤシロ。ウーマロには断られたんだけど、ヤシロが言った通りこいつに言ったらすぐOKしてくれたんだ。なんでだ?」
「あのな、デリア。この世界には不可能を可能にする凄い力が存在するんだよ」
それが、『愛』だ。
『愛』はいい。『愛』は尊い。
なにせ、『愛』ほど利用しやすくて他人を引っ掛けやすいものはないからな。
詐欺師の大半が『愛』を利用して私腹を肥やしているのだ。
グーズーヤみたいな単純なヤツなら入れ食いだ。チョロいなんてもんじゃない。
「しっかし、ウーマロも酷ぇよなぁ。子供らのために『今日中になんとかしろ』って言ったら断るんだぜ? 考えられねぇよ」
「ウーマロもまったく同じ気持ちだろうよ……逆の意味で」
『今日中に』ってワードがハードルを爆上げしたんだよ。
ウーマロのことだから、工期さえ与えてもらえれば修繕を請け負ってくれたはずだ。あいつは仕事を選り好みするようなヤツじゃないからな。
ただ、次の仕事が控えている状況で足漕ぎ水車の修繕は請け負えない。時間がかかるしな。おそらく、一週間くらいは。
トルベックの連中は今、『宴』の準備で忙しいのだ。
すべてにおいて『宴』の準備が最優先されている。
だが、グーズーヤならその限りではない。
「そんなわけで、グーズーヤ。今日はよろしく頼むな」
「あ、はい。ヤシロさん」
「よろしく頼むぞ、グーズーヤ」
「はいっ! じゃんじゃん頼んじゃってください! なんだって見事にやり遂げてみせますからっ!(デリアさんの笑顔のためにっ!)」
……イラ。
なんだ、この露骨な差は。
俺とお前の出会いの話をここで朗々と語り出してやろうか? ったく。
「あの、でも……よかったんでしょうか? 無理を言ってしまって」
ガキどもの安全を考慮すれば、一日でも早く修理をしたい。
それはジネットもデリアも同じ気持ちなのだろうが、ジネットは大工たちの事情も知っているし、その立場に立って物を考えられる。
グーズーヤに仕事を押しつけることに罪悪を感じているのかもしれない。
「大丈夫ですよ、店長さん」
不安そうなジネットに、グーズーヤが恋する男子特有のちょっとイラッとする爽やかな笑みを浮かべて答える。
「僕、デリアさんと一日中一緒にいられるだけで鼻血を噴きそうなほど幸せなんでs……いや、大工として一つの仕事を任されたというのが幸せなんです!」
おい、本音の方、もうほとんど漏れ尽くしてたけど?
取り繕う必要あったのか、今の?
「で、お前んとこに残ってたヒバの木材持ってきてくれたか?」
「はい。棟梁に言って、必要な分は用意しときましたよ」
グーズーヤが曳いてきた荷車には、修繕に十分な量のヒバの木材が積み込まれていた。
確かに、これだけあれば十分だろう。軸になる綺麗な木材もあるしな。
「工賃は最大限おまけしますけど、材料費だけはおまけすることが出来ないんで、その辺だけご理解くださいね」
「ん? なんでだ?」
デリアは不思議に思ったことはド直球で聞くな。
「材料はトルベック工務店の財産ですから、僕が勝手にどうこうするわけにはいかないんですよ」
「そっかぁ……」
そして、分かりやすくへこむ。
「なぁヤシロ。お金ってどうすればいいかな?」
「お前が頼むんならお前が払えよ」
本来なら街の水不足のために設置した物だからエステラにでも払わせるところなのだろうが、あえてデリアに負荷がかかるように仕向ける。
そして、こんな言葉を言ってやる。
「なに、大丈夫だ。一ヶ月くらい甘い物を我慢すれば払えるだろうよ」
「いっ……一ヶ月も、甘いものを我慢……」
「ガキどものためだろ。頑張れよ」
「う…………………………うん」
耳、ぺたーん。
肩、がくーん。
グーズーヤ、きゅん!
「あ、あのっ! や、やっぱり、いいです! 材料費、いらないです!」
「えー、でもそんなの、なんか悪いじゃねーかー」
俺、渾身の演技。
「デリアさんは、その……あ、甘い物を食べて幸せそうにしてる時が一番きっ、きっ、綺麗なんで! ぼ、僕が払います、材料費っ!」
はい。一丁上がり。
まぁ、俺の迫真の演技のおかげだな、うん。
「おぉ、いいのか!?」
「はい! だ、だから、その……デリアさん、そんな悲しそうな顔をしないで、いつでも笑っていてください!」
「おう! ありがとな、グーズーヤ!」
「むっはぁぁぁああ! 最高の笑顔ー! デリアさん、マジ天使過ぎます!」
あ。発症した。
あれはトルベック工務店特有の病気なんだろうか。
「あの、ヤシロさん……よかったんでしょうか、これで?」
「水車が直ればガキどもも安全で、いいじゃねぇか」
「でも、グーズーヤさんが……」
まったく。ジネットは何も分かってねぇなぁ。
「あれが、苦労を押しつけられたヤツの顔に見えるか?」
グーズーヤは今、生涯で最高の笑顔を浮かべている。
「幸せそう……です、ね」
「なら、みんなハッピーでいいじゃねぇか」
誰も、金を使わないで済むしな。……グーズーヤ以外は。
そうして、お気の毒な末期患者の頑張りによって水車の修繕は行われることとなった。
グーズーヤが絡めば、なんだかんだとウーマロが最終確認をしにやって来るだろう。あいつは、自分とこの大工の仕事を全部チェックしたがるヤツだからな。
これで足漕ぎ水車の安全も守られ、俺は懐を痛めることもなく、すべて丸く収まるというものだ。
いやぁ。『愛』って、やっぱ凄いんだなぁ。
なんてことを思いながら、俺は一人ほくそ笑んでいたのだった。
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