217話 『宴』の準備3

 外での『宴』と言えばお花見。

 というわけで、明日は朝からミリィのところへ顔を出そうと、ジネットとそんな話をしていた閉店作業中。

 陽だまり亭のドアがノックされた。


 こんな時間に誰だ?

 なんとなく嫌な予感を覚えつつドアを開けると――


「ヤシロ! 金型が完成したさね!」

「早ぇよ!」


 今日言ってもう出来たのかよ!?

 お前、自分のとこの仕事大丈夫か!? ちょっと心配になってきたよ、金物ギルドの先行きが!


 両目を真っ赤に充血させ――お前、この数時間で三日くらい徹夜してきたのか? 時空歪めるほど頑張るんじゃねぇよ――フラフラになったノーマがそこにいた。

 なんだか物凄く張り切って、超特急で仕上げてきてくれたらしい。


「ゴンスケたちがアタシを差し置いて面白そうなものを作ろうとしていたからねぇ。さっさとこっちを終わらせて向こうに合流したいんさよ」


 ゴンスケってのは、ノーマの『右乳』……もとい、『右腕』と言われる凄腕のオッサンだ。どのオッサンなのか見分けがつかない、というか、見分ける気がないので分からんが、技術は確からしい。

 なので、そいつにベアリングの簡単な構造を教え、簡単に出来そうな『ころ軸受』を伝授してきた。

 日本では、高性能な球体が容易に作れるので、より摩擦面の少ない『玉軸受』をよく目にするが、こっちの連中に綺麗な球を作れというのはさすがに厳しい。球体は、それだけ難しいのだ。

 なので、大小の筒の間に円柱を噛ませる『ころ軸受』にしてみた。こっちだって相当な技術がいる代物だ。が、まぁ、連中ならなんとかしてくれるだろう。

 ……というか、ノーマが意地でもなんとかするに違いない。


「あぁ、でも、心配は無用さね」


 ――と、誰が見ても本当にいろいろ、私生活も含めて心配にしかならないノーマが胸を張る。

 乳の成長だけは、心配無用だな。ぽいん!


「超特急で終わらせたとはいえ、この金型の精度はばっちりさね! アタシが持てる力のすべてを結集して鋳型を作ったからね。表面のザラつきも少ない、我ながらいい仕上がりになったさね」


 相当自信があるようだ。

 確かに、金型の表面はザラついておらず、これなら焼いた時に焦げつきや目詰まりを起こすことなく綺麗に焼き上がるだろう。

 合わせ目も綺麗だし、問題ない。


 俺が今回発注したのは、長方形の金型に鯛が八尾並んでいるタイプだ。左右対称の二つの金型を、蝶番ちょうつがいがしっかりとつないでいる。

 木製の取っ手もいいグリップ感で、こちらの注文通り仕上がっている。


「これなら問題なくたい焼きが作れるだろう。ありがとうな、ノーマ」

「どうってことないさね! アタシの手にかかればこれくらい!」

「うんうん、凄いのはよ~く分かったから……寝ろ。な?」


 もう、直視に耐えられないくらいに疲れが出ている。顔に。肌に。髪の毛に!

 このままいけば、きっとノーマの疲れは乳にまで現れるだろう。それだけはなんとしても阻止しなければいけない!

 乳は宝! 人類の至宝なのだから!


「そうさね……さすがにちょっと疲れたみたいさね」

「そうだろうそうだろう」

「じゃあ、ベアリングが出来たら休むさね」

「それ絶対休まないフラグだな!?」


 ベアリングが出来たら、また次の仕事が湧いてきて、結局休めないパターンだ! ブラック企業の負の連鎖と同じ構造だ!


「ジネット。ノーマにはちみつ入りのホットミルクを」

「はい。ノーマさん、そこに座って、少々お待ちください」


 見かねて、ノーマに処方箋を授ける。

 体が温まって、眠気を誘発するホットミルクを。

 診断結果、寝不足。

 治療法、寝かせる。だ。


「気持ちは嬉しいんさけれど、アタシは忙しいんさよ。これで失礼するさね」

「まぁ、そう言わず。『ジネットの温かいミルク』だぞ?」

「……それで釣れるんは、ヤシロとベッコのアホくらいさね」


 甘いな! ウッセもモーマットも飛びつくさ!

 いや、モーマットは微妙か……あいつ、ジネットに対しては「近所のいいオジサン」ポジションを貫いてやがるからな……じゃあ、ウッセだけか……


「ウッセ、最低だな!?」

「よく分からんさけど……たぶん、言いがかりさね」


 そんな、卑猥の権化ウッセの話をしていると、ジネットがホットミルクを持って戻ってきた。

 早いな。さては自分で飲むつもりで準備していたな。


「ノーマさん。お時間は取らせませんので、どうぞ召し上がってください」

「店長さん……なんか、悪いさね。店も閉まっちまった後だってのに」

「そんなことないですよ。陽だまり亭は、いつだってみなさんをお待ちしていますから」


 いや、営業時間外は追い返すけどな。

 客に必要以上のサービスを提供するのは逆によくない。ある程度の制約があって初めていい関係というものは築かれるものなのだ。なんでもOKにしてしまうと、どうしても甘えが出てしまう。慣れや甘えは、良好な関係をぶち壊す危険因子の最たるものだと認識する必要がある。

 悲しいかな、人ってのは他人からの親切に慣れると、それを「当然の権利」だと錯覚してしまう生き物だからな。

 義務と権利は、折を見て再確認させてやる必要があるものなのだ。


「ノーマ。ホットミルクをもらう時は、お返しにお前もホットミルクを……」

「さぁ、召し上がってください」


 俺が言い終わる前に、ジネットに遮られた。……わざとか? いや、ジネットに限ってそんな、まさか……


「実は俺、ミルクを温めるのが得意で……」

「はちみつがたっぷり入っていますので、とても甘くて美味しいですよ」


 ぐ、偶然が二度続くことって、どれくらいの確率であるのかなぁ!?


 にこにこ顔のジネット。悪意は微塵も感じられない。

 俺の思い過ごしか、考え過ぎか……


「『このミルク美味しいね』『あぁ。でも、もっと美味しいミルクがあるんだよ……それは君の……』」

「懺悔してください」


 優しくたしなめられた。

 どうやら、偶然ではなかったらしい。最後まで言わせてくれないあたり、エステラの口添えの可能性が高いな。……あのぺったんこめ、余計なことを吹き込みやがって。


「ほぁあ……美味しいさねぇ」


 俺とジネットが攻防を繰り広げている横で、ノーマがホットミルクに口をつけた。

 幸せが溢れ出してくるような緩み切った表情でほっこりと微笑む。

 普段澄まし顔の多いノーマが見せた無防備なこの表情は、なんだか見ることが出来て得した気分になるいい表情だった。


「胸の奥がぽかぽか温まってきたさね」

「え、どれどれ?」

「ヤシロさん。ダメですよ」


 伸ばした腕をそっと掴まれる。

 くっ……これもまたエステラの入れ知恵か!?


「ぺったんこー!」

「ひゃうっ!? なんですか、急に?」

「エステラと何かあったんさね?」


 俺の心に満ち溢れる憤りを、窓の外へ向かって吐き出した。

 しかしながら、「ぺったんこ」というワードだけで名前が上がるとは、さすが領主だ。知名度が半端ないな。


「あの、ヤシロさん。ノーマさんはお疲れのようですから、あまりそういうことでからかわないであげてくださいね」

「つまり、揉むなら真剣に――ということか!?」


 分かっているさジネット!

 聖なるお乳の尊さと神々しさを理解している俺に、そんな注意はナンセンスだ。

 俺はいつだって真剣に、真摯におっぱいと向き合っている。遊びで揉んだりなどしない。

 揉む時は命がけだ!


「あ、あの…………真剣になられるのは……ちょっと、……困り、ます」


 ……ん?

 ………………ん?


 ま、まぁ、そうかな。

 ほら、俺。真剣になると没頭して、二~三時間くらいあっという間に過ぎちゃうような熱中型だし? さすがに三時間もノーマを拘束するのは問題だよな。うん。そりゃそうだ。つまりはそういう意味の『困ります』だ。うん。そう。きっとそう。


「……冗談だ。間に受けるな」

「はい。……一応、分かってました、よ?」


 なに、この空気!?

 やだもう、甘い!

 はちみつ入れ過ぎたんじゃねぇの!? ホットミルクから甘さが漂ってきてるんだな、きっと! うん、きっと!


「というわけでノーマ。お前のおっぱいは揉まずにつつく程度に留めておくことが決まっ……」

「ヤシロさん」


 く……せめて、冗談を言わせてくれ。

 すべてを有耶無耶にするための冗談を……っ!


「……すぅ……すぅ」

「ん?」


 いやに静かだと思ったら、ノーマがテーブルに突っ伏して眠っていた。


 すげぇ押し潰されて「ぎゅむぅー!」ってなっている。……が、今は口に出せない。くそぅ。いつもならこういう時にいろいろ言えるのに!


「本当に、お疲れだったんですね」

「無茶し過ぎなんだよ……ったく」


 気持ちよさそうに眠るノーマ。これはもう、ちょっとやそっとでは起きそうにない。


「どう、しましょうか?」

「空き部屋に寝かせてやってもいいとは思うんだが……嫁入り前だからな」

「え? そういうことでしたら、よく泊まっていかれるロレッタさんも嫁入り前ですけれど?」


 バカだなジネットは。

 ……ノーマは、とてもデリケートな年齢なんだよ。

 ロレッタと同じような『若い娘のノリ』で考えちゃいけないんだよ。


「では、ノーマさんのお家へ運びますか?」

「おんぶとか、有りかな!?」

「困りましたね……マグダさんはもうお休みになってしまいましたし……」


 スルーはやめて!?

 ……くそ。今日はもう乳話はやめた方がよさそうだな。

 しょうがない。今日は泊めてやるか。

 まぁ、初めてってわけでもないしな。ついこの間もお泊まりしていたし。……俺がいない日にな!


 なんてことを考えていると……顔にでも出てたのか……ジネットがじぃっと俺の顔を見つめていた。


「えっと……なに、かな?」

「あ、いえ……別に、何というわけではないのですが……」


 デリアやイメルダが泊まった時だって別に何もなかったろうに……まぁ、いいように解釈すれば、そういう危機管理的なものに、ジネットもようやく目覚めたのだなということで喜ばしくもあるわけで……ただ、それが自分に置き換わった時にきちんと出来るかどうかはまた別の話なわけだが……そういやこいつは、俺がイメルダの家へ(強制的に)一泊することになった時もこんな風に心配してたよなぁ……心配性め。その不安を、もっと自分を心配する方にも回せっての。ちょいちょい無防備な表情をさらしやがって。


「俺に感謝しろよ、ジネット」

「へ? あ、はい。それはもう、毎日のように感謝していますけれど……でも、なぜ今?」


 そうじゃない。

 そういうことじゃなくて。

 俺の鉄の理性に感謝しろと言っているのだ。


 ……いまだ揉んでもいないのは奇跡と言っても差し支えないんだからな。


「金物ギルドに行ってくる」

「今からですか?」

「ノーマのことだ。ベアリングチームに『すぐ戻るから待っとけ』くらいのことは言ってそうだからな」


 いつまでも帰ってこない者を待たせておくのは忍びない。

 ……あいつら、夜更かしと肌荒れに敏感だから。


「ついでに、誰か手伝いに来てくれるなら、ノーマを家まで運んでもらう」


 俺が負ぶってノーマを一人暮らしの部屋へ送っていくのは、おそらくきっといろいろマズいだろう。ノーマは爆睡して起きそうにもないし。

 だが、アノ連中なら問題ない。間違いが起こるわけもないからな。

 あいつらはノーマと同じく女子だ、乙女だ。……見た目と性別以外は。


「迎えが来てくれなくても、ギルドの連中に一言断りを入れておけば、妙な噂も立ちゃしないだろう」

「ヤシロさん」


 包み込むような、そんな笑みが俺を見つめる。


「やっぱり、ヤシロさんは優しいですね」

「アホか……」


 妙な噂でも立って、責任を取らされちゃかなわんだけだ。

 ロレッタやデリアなら「ねぇよ」の一言で済ませられるが……ノーマはなぁ。

 いやはや。気を遣うぜ、適齢期。


「……俺、お人好しだな」

「くすっ。今頃気付いたんですか?」


 今日一番の笑顔を見せて、ジネットがくすくすと笑う。えぇい、やかましい。


 なんにせよ、ノーマが目を覚ましたらきつく説教をしてやらなけりゃいかんな。

 無茶をし過ぎたこと。

 無防備に眠ったこと。

 ここが陽だまり亭じゃなかったらどうなっていたか……それこそ、ノーマに気のある男の家だったりしたら…………まぁ、探せばどこかにいるだろうし、ないとは言えない状況だからな。


 ノーマが、自分の意志で一泊したいというのなら、ここまで気を遣う必要はないのだ。

 だが、意図しない外泊は……気を遣う。


 何より、ノーマが凄く気にしそうだからな。

 あのアゴヒゲマッチョのオッサンども以上に乙女なのが、この妖艶巨乳のノーマなのだ。


 外見と精神にギャップがないと金物ギルドには入れないんじゃないのかねぇ、まったく。


「じゃ、行ってくる」

「では、わたしはノーマさんをお部屋に運んでおきますね。ここで寝ていては、風邪を引いてしまいますから」


 ギルドのオッサンが迎えに来るとしても、とりあえずはベッドに寝かせておいた方がいいか。

 ノーマのことはジネットに任せて、俺は店を出る。


「あの、ヤシロさん」


 店を出たところで、ジネットが声をかけてくる。若干慌てた様子で。


「もう暗いですので、気を付けてくださいね。それから――」


 おなかの前で手を組み、客を見送る時とは別の、俺やマグダを見送る時にだけ見せる特別な笑みを浮かべる。


「ホットミルクを二つ、用意しておきます。はちみつたっぷりの、甘いやつです」


 これから出かけると、帰る頃には遅くなるから「先に寝てろ」と言うつもりだったのだが……どうやら、起きて待っていてくれるらしい。

 いつもなら、とっくにベッドに入っている時間だというのに。


「分かった。急いで帰るよ」

「はい」


 これ以上、ジネットを夜更かしさせるわけにもいかないしな。

 明日の朝食に影響が出るかもしれないし、金型が来たのだから試食もしなければいけない。

 明日もジネットは大忙しになる予定だ。


 それに。

 ジネットだって女の子だしな。

 夜更かしして、お肌が荒れたら……ちょっとヘコむかもしれないし、な。


 寒さも手伝って、俺は思っていたよりもはやい速度で街道を駆けていく。

 行って帰れば体が冷えちまうな、これは。


「……ホットミルクが楽しみだ」


 そんなことを呟きながら、俺は夜の道を走っていった。







 で、たどり着いた金物ギルドで言われた一言が、これだ。


「いやぁ~ん、ドラマチックゥ~☆ ヤシロちゃん、ガンバっ!」


 何がドラマチックで、何をガンバなのかは分からんが、オッサンどもが迎えに来るつもりがないことだけははっきりと理解出来た。

 キュウリのスライスでも顔に乗っけてさっさと寝やがれ、オッサン乙女ども。


「――というわけで、迎えはこない」

「そうですか。でもよかったです」


 俺の向かいの席で、ホットミルクの入ったカップを両手で包み込むジネット。

 まどろんでいるのか、表情がいつもよりまろやかな気がする。

 舐めるとはちみつの味でもしそうだ。


「よかった?」

「ノーマさん。凄く気持ちよさそうに眠ってらしたので、起こしたり、体を動かしたりするのが可哀想だなと、思っていたもので」

「お前は、年上年下関係なく甘やかすよな」

「そんなことは……。それを言うならヤシロさんだって」

「俺は老若男女差別なく厳しくしてるぞ」

「うふふ……ヤシロさんは、今後わたしを怒らせない方がいいですね。『精霊の審判』をかけちゃいますよ」


 誰に教わったか一目瞭然だな。言い回しがあのぺったん娘にそっくりだ。


「そういうことを言ってると、乳がしぼむぞ」

「もう。酷いですよ、ヤシロさん」


 今の言い方は、明らかに「エステラさんに」という言葉が頭に付く発言だったな。言い方で分かる。


「ホットミルクも、久しぶりに飲むと美味いもんだな」

「なら、作ってよかったです」


 両手で包み込んだカップに口をつける。そのままこくりこくりと静かにホットミルクを流し込むジネット。

 飲み方が子供だな。


「ここ最近、ヤシロさんに美味しいものを教わってばかりでしたので、面目躍如です」

「何言ってんだよ。お前の飯はいつも毎日美味いじゃねぇか」

「ふぇ……あ、ありがとうございます」


 なんだ?

 俺はいつも美味いって言っているつもりだったのだが、なぜ今さら照れる?


「なんだか最近、みなさんがヤシロさんのお役に立とうと頑張ってらして……わたしは、自分に何が出来るんだろうなって、考えていたもので……」


 そんなことを考えていたのか……


「あのな、ジネット。お前はただでさえ社畜なんだから、今以上頑張らなくていいんだよ」

「しゃ、社畜では……ない、つもりなんですが」


 社畜も、いつの間にか通じるようになってたか。頑張り過ぎだろ『強制翻訳魔法』。


「明日からいろいろ試してもらうし、本番もお前には盛大に腕を振るってもらうつもりだ」


 もしジネットが、祭りの前の空気に充てられて不安になっているのであれば、今ここで、はっきりと言っておいてやる。


「今回の『宴』は、八割近くがお前の料理にかかっていると言っても過言ではない」

「は、八割……も、ですか?」

「…………六割くらいかも」

「くすっ。よかったです。少しだけ、気が楽になりました」


 くすくすと肩を揺するジネット。

 しかし、ジネットの料理に結果が左右されかねないというのは本当だ。

 美味い飯は、それだけで『宴』を盛り上げてくれる。

 味もさることながら、見た目も重要だ。

 盛り上がれば、それだけ商談は成立させやすくなる。

 一緒に盛り上がれば、そこには一体感や連帯感といったものが生まれる。


 そして、その浮かれきった空気の後押しを存分に受けて、強引に物事を『俺が望む形』へと動かしてやるのだ。

 だから、ジネットにはとびっきり美味い料理を作ってもらわなければいけない。


「変に気負う必要はない。いつも通り、お前の好きなように料理を作ってくれればいい」

「それで、ヤシロさんにお力添えが出来るのであれば、わたしにとって、こんなに幸せなことはありません」


 いや、他にもあるだろう、幸せなことくらい。

 ったく。どこまでも料理好きなんだから。……もう病気だな。一種の。


「それにまぁ、特別じゃなくてもいいんだ」


 特別な日に、特別な料理を作ってもらわなくても、別にいい。

 そういうんじゃないんだ、もはや。


「ジネットの料理を食うと、なんか、頑張れるから――というか、『これが終わったらジネットの飯が待ってんだなぁ』って思うと、頑張れたりするから、俺は」


 そう。

 今目の前にある、ホットミルクのように。

 楽しみがあれば頑張れる。俺は意外と、そんな単純なヤツだったりするのだ。


「だから、まぁ……そんなに気負うな」


 言い終わった後、妙に長い沈黙の時間が流れる。


 …………また、何を口走ったんだ俺は?

 眠いのか?

 眠いんだろ? そうだろ!?

 あれだな、これは、その、寝言の一種だな。

 俺の意識の外から言葉が勝手に飛び出していったんだ。


「あのな、ジネット。今のは……」

「はい」


「今のはなしで」と言おうとしたのだが、その前に、ジネットが返事をした。「はい」と。明るい声で。


「これからも、美味しい料理を作って待っています。だから――」


 そして、最近覚えたらしい、甘えるような声音でこんな言葉を発する。


「これからもずっと、わたしの料理を食べてくださいね」


 そのセリフをベルティーナに言ってやれば、感涙の後に二時間くらい抱擁の嵐に見舞われるだろう。

 だが俺は、あんな食いしん坊シスターとは違う。

「タダ飯が確約された、うは~い」くらいの感想は持っても、抱擁して感激してやるほどの衝動は襲ってこない。

 冷静だ。

 いたって冷静だ。

 なので冷静に、クールに、さり気ない返事を返しておく。


「……まぁ。ほどほどにな」


 ……くそ。

 ホットミルクすげぇな。

 今頃になって全身ポッカポカだぜ。顔が熱くて……今すぐベッドに飛び込みたい気分だよ。……くそ。


 明日の寄付に支障が出るといけないので、その後俺たちはすぐに寝室へ向かった。

 当然、それぞれの寝室へ、別々にだ! ……わざわざ言う必要もないことだけどな。


 ベッドに入り、まぶたを閉じたところで、「あぁ、そういやノーマがいるんだっけ」ということを思い出しつつ、俺は眠りについた。






 翌朝。


「ぬはぁぁあ!? ここはどこさね!?」


 ある種、想像通りの声で目が覚めた。

 ノーマの説得は、俺ではなくジネットに任せておこう。

 朝一で顔を合わせると、なんとなく、変な方向へ話が進みそうだったから。


 そんなことを思いながら、一足先に食堂へ向かった俺は――


「聞いたで自分! なんや、アレやてな! キツネの美人はんに『体がポカポカ熱~ぅなる飲み物』飲ませて、眠らせて、ほんで寝室に運び込んで一つ屋根の下で朝まで過ごしたんやてな!? も~、隅に置けんなぁ、自分!」


 ――朝一でウザい目に遭わされていた。

 誰だ、こいつに話したの?

 またうまいこと事実だけを並べ立てて真実を捻じ曲げてやがるな。


「「「「ノーマちゃん、おめでとう!」」」」


 朝っぱらから濃ゆい薬剤師だけでも胃もたれを起こしそうなのに、開店前の店に筋肉ムキムキでアゴヒゲ青々のオッサンたちが群れでやって来やがった。朝だからヒゲが濃い!


「何もなかったに決まってんだろうが……」

「やぁねぇ、ヤシロちゃん! ノーマちゃんにとっては、『男の子と同じ空間でお泊まり』っていうだけで大躍進なのよ!」


 ……どんだけ男っ気なかったんだよ、ノーマ。


「ふあぁぁあ! ヤシロ! ヤシロ! 違うんさよ! 聞いておくれな! アタシは別に普段からこんな軽率なことは……ってぇ!? なんであんたらここにいるんさね!?」


 ジネットから説明を受けて、飛び降りてきたのであろうノーマ。俺に言い訳をしようとして、ドア付近にひしめいている筋肉とアゴヒゲを見つけたらしい。

 ……最悪の寝覚めだろうな。


「アタシたち――」

「「「――お祝いに来たの!」」」

「帰るさよ! 今すぐ帰っておくれな!」


 どうやら、あのオッサンどもに事情を話したのは逆効果だったらしい。

 ……行かなきゃよかった。


「それじゃあ、ノーマちゃん。アタシたち、工房で待ってるからね☆」

「いろいろお話聞かせてね☆」

「一緒に、ベアリング作りましょうね☆」

「……きゃっ☆」


 最後のオッサンは何に照れたんだろうな。

 羞恥心というものが備わっているのであれば、まず己の存在を恥じるべきだと思うのだが。


「……ア、アタシ、今日はもう、工房に行けないさね……」


 店の隅でヒザを抱えるノーマ。

 まぁ、あれなんじゃねぇの?

 精霊神あたりが言ってんだと思うぞ。「いい加減休め」ってな。

 そう思って、今日一日はゆっくり過ごせよ。


 そんなわけで、急遽ノーマが一日店員として陽だまり亭で働くこととなった。にやにやしっぱなしだったレジーナにも仕事を振ってやろうとしたのだが、逃げられた。

 分かりやすくズドーンと落ち込むノーマに、なんて声をかけていいのか、俺には分からず、ジネットもまた、かける言葉を持っていなかったようだった。


「……こういう時は、放置」


 マグダ大先生のありがたいお言葉を賜り、本日の陽だまり亭の方針が決まる。

 ノーマが復活するまで、適度に放置。でも寂しがるからたまに構うことも忘れずに。


 ……ウチはリハビリ施設じゃねぇっつうの。






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