212話 思い出と手紙と
二十九区は、豆を押しつけるのに必死だ。
「来る途中で道を尋ねられたんだが……豆を押しつけられたぞ」
「あらあら。それはきっと『お礼』のつもりなのねぇ」
ひょうひょうとした顔で笑うマーゥル。
こんな押しつけがましい『お礼』なんぞいらん。マーゥルの免税証明がなければ、金を取られるんだからな。
「どうせならソラマメを寄越せよな。名産なんだろ」
「あら、それは無理よ~。ソラマメはね、つい先日大量に注文が入ったから、領主がぜ~んぶ買い占めちゃったのよ。一般家庭には出回らないわ」
くすくすと軽い笑いの合間に、にやりと意味深な笑みを含ませるマーゥル。
俺たちが豆板醤をリベカに教えた影響が、早くも二十九区に出始めているようだ。
アッスントが早い段階で商談を持ちかけていたというのも大きいのだろうが。
とどけ~る1号で昨日のうちにアポを取っていた俺たちは、昼過ぎに差し掛かった今、マーゥルの館でのんびりとお茶をすすっている。
「よっしゃ! 大将のイラストが描けやがったぜです!」
「あらあら、モコカ。大将だなんて……うふふ。本当に面白い娘ねぇ」
「この館で一番偉いんだから、大将だぜですよ!」
「まぁまぁ。どうしましょう。ねぇ、シンディ?」
「主様のお好きになさればよいかと思いますよ、私は」
「そ~ぅ? なら、面白いからそのままでいいわね」
「えぇ。面白いですからねぇ」
モコカの面接は物の五分で終了した。
一目見て「まぁ、可愛い虫人族さん」と、瞳をきらめかせたマーゥル。
一言二言言葉を交わすと、もう夢中になっていた。
そして、極めつけの特技――イラストを披露すると、モコカの採用は決定された。
こうして、何年も何十年も採用者が現れなかったマーゥルの館の給仕に、新たなメンバーが加わった。
マーゥルはモコカの才能を高く評価し、情報紙の仕事との掛け持ちも、ベッコの元へ勉強に行くのも了承してくれた。
モコカは好きな時にイラストを描き、学び、それ以外の時間を給仕として働くことになった。もっとも、マーゥルが必要とする時は給仕の仕事を最優先させるという条件はついているが。
「まぁ、可愛い。これ、私? ちょっと可愛く描き過ぎじゃないかしら?」
「いえいえ。よぉ~く特徴を捉えてあって、上手いもんですよ」
「大絶賛感謝するぜです!」
なんとか、上手くやっていけそうだ。
というか、もう完全に馴染んでやがる。モコカのコミュ力すげぇな。
「ねぇ、見て見てヤシぴっぴ。これ、私なんですって。可愛いと思わないかしら?」
「あぁ、可愛い可愛い。よく似てるよ」
「うふふ。ということは、私自身も可愛いってことね? もう、ヤシぴっぴはお上手ね」
いや、自分で都合よく解釈しといて「お上手」も何もないだろうが……
「……ヤシロは年上もイケる口」
「そんな口は持ち合わせてねぇぞ、マグダ」
「……年下も余裕」
「俺は無節操か」
「……幼女が好物」
「それはさすがに嘘過ぎるな!?」
好物ではねぇよ!
「……もし、Gカップの幼女がいたら?」
「………………うむ」
「悩まないでくれるかな、ヤシロ。あと、そんな幼女存在するはずないから」
おのれの負けを認めたくないエステラが希望的願望を述べている。
いるかもしれないだろうが。数百年もの間、まったく老いないエルフだっているんだから。
今回二十九区には、俺とエステラ、そしてマグダが来ている。
マグダは……少しでもモコカのそばにいて情報紙に載せてもらおうという魂胆なのだろうな…………本人は口にしていないけれど。
「マグダちゃんも可愛いわぁ。ウチの給仕に欲しいくらい」
「……マグダは引く手数多だから」
「そうなの、残念ねぇ」
マーゥルはマグダにもメロメロだ。
変わり者ランキングなら、マグダも上位にランクインするだろうしな。
ナタリアをこれ以上モコカのそばに置いておくと――モコカが手放しで「美人美人」と連呼するから――表情筋がドヤ顔のまま固まってしまいそうだったので、有無を言わさず置いてきた。
代わりは別に必要なかったのだが、行きたいヤツはいるかと聞いたらマグダが名乗りを上げた。ロレッタも行きたがるかと思ったのだが……定食の失敗が悔しかったようで、陽だまり亭に残ってジネットの技術を盗むのだそうだ。
ちょっと行きたそうにしていたジネットだったが、ロレッタが抱きついてそれを阻止していた。
イメルダが言っていた「技術は盗むもの」という言葉に感銘を受けたようだ。
まぁ、もうすぐ二十四区へ行くことになるし、今回はいいと判断したのだろう。
「もしよろしければ、マーゥルさんも参加なさいませんか?」
今回、マーゥルに会いに来たのはモコカの件だけではなく、二十四区教会で開く予定の『宴』への招待も兼ねていた。
マーゥルが来れば、100%ドニスは参加する。
『宴』には、ドニスとフィルマン、そしてリベカとソフィーの参加が不可欠だ。フィルマンはともかく、ドニスを上手く引っ張り出せるかが重要なキーとなる。
なのだが――
「ごめんなさいねぇ。私、みだりに他区へは行けないのよ」
あっさりと断られてしまった。
マグダやモコカを気に入ったことから、教会の獣人族のガキどもで釣れるかと思ったのだが……
「って……みだりに四十二区に遊びに来てんじゃねぇか」
「それは、お忍びだもの」
じゃあ、忍んで来いよ。
「二十四区へ行くとなると、領主様とお会いすることになるでしょう?」
そう問いかけるマーゥルの目は、「それが目的なんでしょう?」と言っていた。
丸分かりか、こっちの魂胆。
「特に今――『BU』全体の懸案事項を抱えた今、私が他区の領主と密会なんかしたら問題が大きくなってしまうわ。深い意味がなかったとしても、ね。まず間違いなく、その手引きをした四十二区の心証は悪くなるわねぇ」
「そう……ですか」
そんな意図はない――とは、口が裂けても言えないからな。下心はありありだし。
それでも取り繕うように、エステラは「表面上の」言い訳を口にする。
「楽しい催しになるかと思いましたので、よければと思ったのですが。残念です」
「そうね、とても残念だわ。またの機会に誘ってね」
「はい。是非」
またの機会ってのは、すべてのゴタゴタが片付いたら――ってことか。
ベルティーナがやりたがっている、四十二区での宴になら呼べるかもな。
「そうそう。二十四区の領主様と言えば……ヤシぴっぴ、彼に何か言ったわね?」
それは、ほんの少し責めるような感情のこもった口調だった。
何か…………まぁ、言ったけど。
「お手紙が来たのよ。名目上は、私がヤシぴっぴたちを紹介するために書いたお手紙への返事ということでね」
そう言って、一通の手紙を差し出してくる。
達筆な字で書かれた、質実剛健な印象を与える手紙だ。
封をしていた蝋には二十四区領主の紋章が刻まれている。
「そのうち手紙を書くとは言っていたが……早速書いたんだな、あの一本毛」
「ぷふっ!」
わざとらしく怒ったような表情を作っていたマーゥルが、堪らず吹き出した。
やっぱりマーゥルも気になってたんだな、あの一本毛。
「くすくす……も、もう、ヤシぴっぴ……笑わさないで。少しだけ叱ってあげようと思ってたのに……くすくす」
はて、叱られるような覚えはないのだが。
などと惚けつつ、俺は差し出された手紙を受け取る。読んでもいいということだろうから、早速手紙を開く。
『親愛なる、我が旧知の友へ――』
そんな一文から、手紙は始まっていた。
そして、時候の挨拶から貴族的な挨拶が続く。
そして。
『貴女の手紙にあった者たち、特にオオバという者は非常に興味深い者であった』
「へぇ。気に入られてたんだね、ヤシロ」
「うるさい、黙って読め」
俺の肩越しに手紙を覗き込むエステラがにやにやとしながら余計なことを口にする。
なぜ背中に寄り添うような格好で肩越しに手紙を読んでいるのにもかかわらず俺の背中に柔らかい物が一切触れていないのか、俺はその点を小一時間問い質したい。
さらにドニスの手紙は、フィルマンが俺たちに影響され変わり始めたことや、自身の積年の悩みがやがて解消されるかもしれないことなどが堅苦しい言い回しで綴られていた。
内容だけ見れば、俺たちは随分と認めてもらっているようだ。
もっともそれは、「貴女が紹介した者たちを、ワシは評価しているぞ」というアピールなのかもしれないのだが。……まぁ、おそらくそうなんだろう。
そして、話の流れは「もうすぐワシの悩みは解決し、そうなれば時間も取れるだろう」という方向へと導かれていく。
まぁ、つまりアレだな。
「時間が出来たらお茶でも飲もうぜ」というお誘いのための前振りと言ったところだ。
そんな内容を「汲み取ってね~」とばかりに遠回しに遠回しに匂わせまくって、手紙は結びの挨拶へと移る。
『時候不順の折、体調など崩されぬよう。
追伸 まもなく、我が区で新たなる調味料が誕生するそうだ。貴女の口に入ることがあるならば、是非感想などを聞かせていただきたく候。
ではまた、いずれ。
ドニぴっぴ 』
「ごふっ!」
「ぶふぅーっ!」
なんか、変な塊が気管に入った!
咳が止まらない……っ!
「ね? ヤシぴっぴが何か言ったとしか思えない手紙でしょう? 私も、三十分くらい苦しんだのよ?」
マーゥルの不満の根源はそれか……確かに、これはつらい。
つか、何書いてやがるんだ、あの一本毛ジジイ!
なぁ~にがドニぴっぴだ!
「……あの、ジジイ…………賠償請求してやろうか」
ノドの奥が「ひぃー」と掠れた音を鳴らす。肺の奥の方がちくちくとむず痒い。
俺の背後ではエステラが「こほっこほっ」とむせている。
「でもそうね、ヤシぴっぴはとってもいい娘を紹介してくれたし……お手紙にはお返事を出さなきゃいけないわね」
おそらくというか、まぁ間違いなく、マーゥルはこちらが望んでいることを正確に理解している。
「お返事」ってのには、そこら辺を汲み取っていい感じに働きかけてくれると、そういう意味が含まれているのだ。
「それに、そうね……私も、一人くらいはお茶飲み友達がいてもいいかもしれないわねぇ」
そう言ったマーゥルは、これまでは見せたこともないような幼い笑みを浮かべていた。
自身も、領主になるべくすべてを捨てて人生を歩んできた。そんな中で、自分に好意を寄せ続けている相手のことを憎からず思っているのだろう。
茶飲み友達になることを、こいつは楽しみにしているように見える。
まさかとは思うが……そこにもなんらかの意図があったんじゃないだろうな?
だからつまりは、結婚なんかとうに諦めていた――けれど、セロンのレンガを見て、一つの手段としての結婚を考えた。
それは縁がなく実を結ぶことはなかったが、一度可能性を見出した結婚というものに、今さらながらに心が躍り…………もし出来ることなら、ずっと自分を思い続けていたあの人と………………なんてな。
最初にトレーシーに会わせることで、「マーゥルの紹介なら話が持ち込みやすい」という実績を作り、こちらの警戒心をなくさせる。
そして、自分の望む未来をたぐり寄せるために満を持して二十四区へ俺たちを送り込んだ――随分とややこしい状況になっていることを承知で、そんな二十四区を俺たちになんとかさせるために――ってのは、勘ぐり過ぎか?
「あら、ダメよヤシぴっぴ」
マーゥルの心を読もうと見つめ過ぎたのかもしれない。マーゥルはドニスからの手紙を受け取りがてら、俺にこんな苦言を呈してきた。
「秘密は女を美しくするものよ。なんでもかんでも見透かそうなんて、紳士のすることじゃないわ」
それは、俺の仮定がそう遠くはないだろうということの証明になり得る発言だった。
マーゥルにしても、「これくらいのところまでは読まれたのだろう」と仮定しての発言だ。
裏を返せば、「取り繕いようがない事実なので、詮索するな」という自白とも取れる。
「悪いなとも、思っているのよ」
誤魔化すように、マーゥルがこちらを見ずに話を続ける。
手紙を丁寧に折りたたみ、宝物を扱うように大切に封筒へしまい込む。
「あの人、私に出会ってからずっと独り身だったから」
「あの人というのは、ミスター・ドナーティですよね?」
空咳をした後、エステラが確認を取るが、マーゥルは視線を向けただけで何も言わなかった。
野暮な質問はするなということだ。
「私も、もっとはっきり答えを出していれば、違った道もあったのかもしれないわね」
違った道とは、マーゥルにとっての道なのか、ドニスにとっての道なのか……
「なんだか怖かったのよ、返事をするのが。だから先延ばしにしちゃったのね……ずっと、ずぅ~っと、先延ばしに」
封筒にしまった手紙を胸に抱き、窓の外へと視線を投げる。
なんとも乙女チックな表情を見せるマーゥル。意外と言えば意外なのだが……脈あり、だったのか、ドニスは?
「怖かったというのは、他区の領主との、その……そのような関係になることが、ですか?」
領主同士の恋愛ともなれば、周りを巻き込んだ大騒動になるだろう。
政略的なあれこれや、しがらみ、思惑、策略と、胡散臭い暗躍が目白押しとなることだろう。
エステラも領主という立場上からか、真剣みを帯びた瞳でマーゥルを見つめている。
だが、マーゥルは薄く頬を染め、照れ笑いを浮かべて手を振った。
「ううん。そうじゃないの。……恋、そのものが、怖かったのよね」
薄紅色に染まる頬を押さえ、腰をくねらせて肩を揺するマーゥルを見て、俺は呟く。
「何言ってんだ、このオバハン?」
「……ヤシロ。め」
「身悶えてる今のお前の方がよっぽど怖いわ」
「……ヤシロ。彼女もかつては少女だった」
「あぁ、分かっている。分かってはいるんだが、視覚的な情報が強烈過ぎてな」
マグダが静かに諫めてくるが、致し方ない部分も理解してもらいたい。
頬を染め体をくねらせるオバハンの破壊力たるや……平和主義で温厚な俺がかかと落としをお見舞いしたくなるレベルだ。
「彼は――凄く真剣だったから。恋を知らなかった私には、その一途な思いが少し怖かったのよね」
ドニスの一途な思いは重いからなぁ……怖がられても仕方ないか。
「あの頃は、彼も私も若かったから……不器用だったのよね、お互いに」
「おいくつくらいの頃だったんですか?」
どこにそこまで興味を引かれているのか、エステラがぐいぐいと食いついている。
まぁ、隣でマグダも耳をピンと立てているから、女子はこういう話が好きなんだろうな。……俺は、オバハンの恋愛話なんぞにまったく興味をそそられないのだが。
「彼が二十歳で……私が九歳の頃だったわね」
「お前もかドニスー!」
窓の外に向かって思わず叫んだ。
叫ばずにいられようか。
「……ヤシロ。め」
「いやまて、マグダ。きっと俺は悪くない」
なんだ?
ドナーティ一族のストライクゾーンは九歳限定なのか?
そういう掟でもあるのか!?
「……一族に受け継がれている病気なんだな、あそこのロリコンは……フィルマン、本当はドニスの息子なんじゃねぇの?」
「それはないよ。ミスター・ドナーティは未婚だし」
フォローをするエステラだが、顔は素直に引き攣っている。
年齢差で見れば、まだフィルマンの方がまともに見える。十四歳と九歳だ。年齢差五歳なら、まぁよくある話だ。相手が九歳ってのはちょっとどうかと思うがな。
だが、ドニス! オメェはダメだ!
二十歳で九歳の娘に言い寄ったって……犯罪じゃねぇか!
「あいつはハビエルか!」
「ヤシロ、大ギルドの責任者を犯罪者の代名詞みたいに言わないように」
似たようなもんだ。
いや、むしろ代名詞だ。
『強制翻訳魔法』だって、そのうち「ろりこん」って言葉を言ったら「もしかしてハビエル?」って聞き返してくるに違いない。そうに違いない。
「九歳で二十歳の男性に言い寄られたら、それは、怖い……ですよね」
「でしょう?」
一定の理解を示したエステラに、マーゥルは嬉しそうに頷いた。嬉し恥ずかしラブモード全開で……満更でもなかったのかよ。
「他区の領主にプロポーズされたのは、その時が初めてだったわねぇ」
「プロポーズしたのか!?」
「それくらい、本気だったのよ……きゃっ」
「きゃっ」をやめろ!
硬く握られた俺の拳は、マグダの小さな手によって拘束され、振り下ろされることはなかった。マグダに感謝するんだな、マーゥル。マグダがいなかったら、今頃お前の前歯はなくなっていたことだろう。
「でも、当時の私は幼くて、おまけに次期領主で……結局、そのお話はなかったことになったのよね」
二十九区としても、次期領主を他区に嫁がせる訳にはいかなかったのだろう。
「そして、弟が生まれて私が次期領主でなくなった時には……私の方が少し荒れていたから…………ふふ。本当に、恋愛が下手で嫌になっちゃうわ」
「タイミングというのは、ありますよね」
自嘲気味に笑うマーゥルにエステラが声をかける。
そうした後で、ちらりとこちらへ視線を向けてきた。
……なんだよ。
同意を求めてんのか?
俺に聞くなよ、んなこと。
「……機会は待つものではなく、作るもの」
ぼそりと、でもよく通る声でマグダが言う。
いつもの半眼で、誰を見るとはなく、真っ直ぐ前を見つめて。
「……幸せは、思っている以上に逃げ足が速い。手に入れたいなら、全力で追いかけなければいけない」
マグダの手が、俺の服の裾をぎゅっと掴む。
「……マグダは、なくしたくないものをなくなさないように、全力で頑張る所存」
かつて、両親の帰りを待ち続けていたマグダ。
待っていれば、泣き叫べば、両親は戻ってきてくれる――と、そう思っていた無力で幼い少女。
初めて会った時のマグダは、本当に空っぽの目をしていた。
強くなったんだな、こいつは。
最近はまとまりがよくなってきた髪の毛をかき乱すように、マグダの頭を撫で回す。
お前が頑張ってんのは、みんなが知ってる。
だから大丈夫だ。
お前はもう、何もなくしたりはしない。
「そうね……マグダちゃんの言うとおりね」
マーゥルも、この小さな少女の口にした言葉に相好を崩す。
「欲しいものは、どんな手を使ってでも手に入れなきゃね」
お前が言うと怖ぇよ、マーゥル。
なんか、言葉の端々に黒いもんを感じるんだよな、こいつは。
何か通ずるものがあったのか、マグダとマーゥルは互いに見つめ合い、そしてこくりと頷き合った。
「……ただ待つだけで幸せが舞い込んでくるのは、爆乳の持ち主だけ」
「そんなことはないと思うよ!?」
エステラ、必死の抗議である。
「……店長だけが、待機の姿勢で幸運を呼び込んでいる」
「確かに、ジネットちゃんの周りにはいい人脈が形成されているけど……ジネットちゃんもいろいろ頑張っているんだよ」
「……無論、それは承知している。ただ…………あの爆乳は卑怯」
「胸に吸い寄せられてやって来たのはヤシロだけだよ!」
「おいこら、そこの風評被害振りまきマシーン」
誰が爆乳に吸い寄せられたか。まだ吸ってねぇわ。
「うふふ。あなたたちは、本当に賑やかで楽しいわね」
手紙を大切そうに胸に抱き、マーゥルは立ち上がる。
部屋の奥の、やたらと豪奢な棚に近付き、引き出しへとドニスからの手紙をしまう。
「さぁ、このお話はこれでおしまい」
ぽんと手を打って、こちらへと振り返る。
その顔は…………あぁ、そういうことか。
「ヤシぴっぴの目論見が上手くいくことを祈っているわね」
自分とドニスの過去話は、俺に対するヒントだったわけか。
ドニスを攻略するのに役立てろと。
そして、それだけのヒントを与えてやったのだから、私の利益になることをしっかりやれよと、そういう腹積もりなわけだな、このオバハンは。
まぁ、確かに。ドニスの過去が分かればこちらの手札は増える。
スピリチュアルモードで過去を言い当てる(ように見せかける)ことも可能だ。
なにより、フィルマンの思い人の年齢が、あの頃のドニスが恋をした相手と同じ年齢だというのは、揺さぶりをかける道具としては強力だ。
こいつは貸しか?
それとも借りか?
恋する乙女モードなどどこ吹く風で、こちらを挑発するように笑みを向けているマーゥル。
欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れる。
それが、マーゥルの信条だ。
『私の欲しいものを与えてくれるなら、私を好きなだけ利用していいわよ』
余裕の笑みを浮かべるマーゥルの顔は、そう物語っているようだった。
ふん。上等だ。
なら、せいぜい利用させてもらうさ。……お前たちの生み出したくだらない制度をぶっ壊すためにな。
「モコカ」
「おぅ、なんか用かですよ?」
「お前は、俺に感謝をしているな?」
「そりゃあもう、感謝しまくりだっつぅのですよ!」
素直でいい娘だな、モコカ。
「なら、俺がお願いしたことは、なんだって叶えてくれるよな?」
「モチのロンだぜですよ! 命に代えても叶えてやるってばよです!」
「なら……」
ちらりと、マーゥルを見る。
「存分に気に入られておいてくれ、お前の雇い主に」
「おぅです! 望むところだぜです!」
俺の意図を知ってか知らずか、マーゥルは微笑みを崩さない。
ポーカーフェイスが板についている。やっかいなオバハンだ。
「自分の願いも、『大切な人に頼まれて』ということにすれば、思い切りやすいからな」
モコカがそこまで言うなら仕方ないわね、って言い訳を、お前にくれてやるよ。
おそらく、お前が欲しいものと、俺が欲しいものは一致しているだろうからな。
そのためには、まずは『宴』を成功させなきゃな。
「じゃあ、マーゥル。ドニスに手紙をしたためてくれるか?」
「あらあら。急に言われても、なんて書けばいいのか迷っちゃうわね」
「なに、簡単な挨拶と世間話でいいんじゃないか」
貼りつけた仮面のような笑みで俺たちは『交渉』を開始する。
「そうだな……新しい給仕を雇ったとか、『そちらで何か楽しいことがあったら、是非聞かせてほしいなぁ』みたいなことなんか書いておけばいいんじゃないかな?」
「うふふ。そうね。それは、お返事が楽しみだわね」
もはや、貸し借りの量は分からなくなっている。
だからここはひとまず――お互いが最大限の利益を得られたらチャラ――ってことで、手を打とうじゃねぇか。
『BU』の突き崩しに、協力してもらうぞ、マーゥル。
マーゥルに手紙を頼み、俺たちは四十二区へと戻った。
馬車に揺られて、崖を迂回するようにぐるっと回り道をして。
あぁ、本当に…………回り道は大変だな。
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