211話 惚れたぜ

「うぅ~……」


 ベルティーナがうなっている。


「…………美味しいですっ!」


 ベルティーナがうなるような甘酒を造る、とは言ったが、まさか本当にうなるとは。

 大成功だな。


「これは、本当にお酒なのですか?」

「いや、工程は似ているが、こいつにはアルコールは含まれていない」


 酒粕を使った甘酒ならば、多少のアルコールを含んではいるが、麹と米で作ったこいつは完全ノンアルコールだ。

 うるち米を使ってコウジカビを繁殖させたりするのが伝統的な作り方らしいが、今回はもっとシンプルに、米を煮て一晩寝かせて作った。あ、酒の場合は「造った」かな。


 セロンのツボが実にいい保温効果を発揮してくれて、思いの外いい出来映えになった。

 あいつ、そのうち魔法瓶とか作り出すんじゃないか?


「でも、微かにお酒の香りがするような気がします」

「それは発酵の匂いだな」


 麹菌が米のでんぷんを糖へと変えている。

 この糖が非常に甘く、日本のオシャレ女子たちは砂糖の代わりに甘酒を使ったりすることもあるくらいだ。出来たての甘酒には酵素も含まれてダイエット効果も見込めるからな。沸騰させるとアウトだけども。


 米を煮て、麹を混ぜて、60度ちょいの温度を保ってじっくりと一晩寝かせてやると、いい感じの甘酒になる。炊飯器や魔法瓶があれば、誰でも簡単に作れるお手軽さだ。


 ――で、麹が生み出した糖に『酵母』が触れると発酵して、糖がアルコールに変わる。こいつが酒だ。

 もっとも、日本酒を作るには複式並行発酵とかいろいろ小難しい技術が必要なので、こんなお手軽には作れないが。昔の密造酒くらいならいけそうではある。


「素敵な香りですね」


 両手で包み込むようにして持った湯飲みに鼻を近付けるベルティーナ。ちょっと背伸びをした少女のような表情で微笑む。

 お酒は大人の世界の飲み物だから、だろうか。


 麹にも米にも『酵母』は含まれておらず、理論的には麹が生み出した糖がアルコールに変わることはない。

 だが、空気中にも『酵母』は存在するので、ノンアルコールの甘酒といえど、製造段階で多少は発酵してしまう。もっとも、それで生まれるアルコールなど微々たるもので、「含まれていない」と断言しても差し障りがないレベルだが。


「シスターは、干しぶどうも『お酒の香りがする』と言っていたんですよ」


 くすくすと、ベルティーナの過去話を暴露するジネット。

 ベルティーナは少しだけ不服そうに頬を膨らませるが、甘酒を口に含むとその頬は幸せそうに緩んでいった。


「大人の階段を上った気分です」

「ノンアルコールだけどな」

「でも、お酒です」


 造り方は一緒だからな、ほとんど。


「シスターが飲めるのであれば、どなたでも飲めると思います」


 いたずらをするように、ベルティーナをからかうジネット。

 その度にベルティーナは口を尖らせるが、甘酒を口に含むとすぐに機嫌を直していた。


 ジネットの太鼓判だ。

 ドニスでも、これなら飲めるだろう。


「こんなに美味しい物があったんですね。知りませんでした」

「その昔、二十四区では親しまれていたらしいぞ」


 リベカは知らなかったのだが、バーサは甘酒を知っていた。

 バーサが『情報紙の記者さん』――モコカを呼びに行っている時に、リベカに甘酒の製造を依頼したのだが、リベカの反応は未知の物に対するそれだった。

 なので、味見をしなければ危険かなと思っていたのだが、戻ってきたバーサが「まぁ、懐かしい」と瞳をきらめかせたことで事態は一変した。


 バーサ曰く、かつて二十四区で麹を使った甘酒を造っていたらしく、バーサ世代の人間にはとても馴染みの深い物だったそうだ。

 庶民の飲み物というイメージが強く、日本で言えば、駄菓子屋のラムネみたいなポジションだったらしい。

 なので、領主であるドニスはその存在を知らない可能性が高い。


 そんな甘酒だが、豆腐と時を同じくして製造されなくなったのだという。

 理由は、清酒の製造が本格化されたから。

 それ以降は、酒粕を使った甘酒の方が主流となり、そっちは今でも造られているのだそうだ。

 もっとも、あまりメジャーな飲み物ではないようだが。

 かつての味とは異なる点と、微量だがアルコールが含まれている点、そして、砂糖を入れなければ甘くないという点からあまり普及はしなかったらしい。砂糖は高級品だったからな、この街では。


 メジャーではないにせよ代替品があるために造られなくなった甘酒。

 豆腐共々、「無理してまで作る必要がない」と見なされ忘れかけられていた物だと、バーサは言っていた。


 もったいない!

 美味いのに!


「ほふぅ……体の芯から温まりました」


 体温が上がり、ベルティーナの頬が薄く色づく。

 真っ白な肌に薄桃色が差して、とても色っぽい。……やっぱ、甘酒はお酒の仲間に入れてやるべきだな。酔ってなくてもこんなに艶っぽい。


「ヤシロさん。鼻の下が伸びていますよ」


 ほんの少しだけトゲのある声でジネットに注意された。

「むぅ」と、分かりやすく不満げに眉を歪める。なにそれ、可愛い。お前も飲む? 甘酒。


「二十四区で、この甘酒を振る舞うのですか?」

「あぁ。麹工場のバーサってバーさんが造り方も、かつての味も知っているって言ってたんで、大量に作ってもらうことになった」

「教会の子供たちも、これなら安心して飲めますね」


 ノンアルコールでとにかく甘い。

 まさに『子供の飲み物』だ。だが――


「新しく出会った美味いものってのは心を躍らせる。大人も大いに盛り上がってくれるだろう」

「そうですね。未知なる美味しい物との出会いは、人生の喜びですものね」


 ベルティーナが言うと、物凄い説得力があるな、その言葉。


「では、甘酒に負けないように、美味しいお料理をたくさん作らないといけませんね」


 ジネットはジネットで、妙な対抗意識を燃やしている。

 未知なる美味しい物との出会い――ジネットにとっては、ベルティーナとは別の意味で幸せなようだ。


「……粒もいい」

「あたしはさらさらの方がいいです!」


 向こうでガキどもと一緒に甘酒を堪能するマグダとロレッタ。

 二つの甘酒を飲み比べている。


「このつぶつぶとさらさらの違いはなんなのですか?」

「もともとは粒があったのを、裏ごししてなめらかにしたんです」


 米の粒が残っているのがいいというヤツも、嫌だというヤツもいる。

 なので、裏ごししてさらさらバージョンも作っておいたのだ。……面倒くさかった。


「私はさらさらの方が好きですね。口当たりがよくて」

「でもつぶつぶの方が『食べた』感がしないか?」

「…………つぶつぶも捨てがたいですね」


 くすりと笑い、マグダの持つつぶつぶの残る甘酒を一口分けてもらっている。

 回し飲みか。酒っぽいな。


「「「おーいしー!」」」

「飲み物界の、ニューカマーやー!」


 ガキどもにも、甘酒は好評のようだ。

 ハム摩呂は相変わらずだな。


「子供たちも気に入ったようですし、二十四区に行ったら、麹をたくさん買ってこなくてはいけませんね」


 ガキどもを連れて『宴』に参加することにはなっているのだが、さすがに全員というわけにはいかない。幼いガキどもに長旅は危険でもあるし、向こうで人見知りやホームシックにかかられても困る。

 今回は、ある程度の年齢になっている者たちだけを連れて行く。馬車の関係もあるしな。


「たくさん買って帰って、四十二区でも『宴』を開催しましょう」


 そんなわけで、お留守番組のためにベルティーナは四十二区での宴開催を提案してきた。

 それが、今回俺たちに協力する条件だとも。

 ……まぁ、条件云々は建前だろうけどな。新たなおねだりの手法ってところだろう。


 想像通り、ベルティーナはソフィーとリベカのことを知っていた。ソフィーが麹工場に帰れないでいる現状も。

 だからこそ、あえてあの場で教会の話題を出したのだ。あわよくば、俺たちをけしかけて姉妹間のわだかまりを解消してやれないかと考えて。


「まんまと」という言葉が適当かはさておき、ベルティーナの要望はいい方向へと向かうことになった。

 だから、『宴』への協力は惜しまないという気持ちなのだろう。


 ただ、少し甘えてみたくなっただけに違いない。

 なにせ、俺に『条件』を突きつけた後、嬉しそうにくすくす笑っていたからな。

 きっとエステラにでも毒されたのだ。あいつはすぐに人を頼るからな。……あいつがDカップくらいまで成長したら揉み放題確定だな、これは。それくらいの権利が、俺にはあるはずだ。うん。


「おはよう~! ジネットちゃん」


 そんなことを考えていると、ひょっこりとエステラが顔を出した。

 教会の談話室が騒がしさを増す。相変わらずガキどもに人気があるな、ウチの領主は。


「あ、ヤシロもおはよう」


 ひとしきりジネットとじゃれ合った後で、ベルティーナに挨拶をし、マグダとロレッタと一言二言言葉を交わし、ガキどもの頭を順に撫でた後で、俺に言葉を向けてくる。

 ……随分と優先順位低いんだな、俺は。


「……Dカップになれ」

「な、なんだい!? 応援してくれてるのかな? ならありがとう」

「そして揉み放題プリーズ」

「ふざけんな」

「揉めないDカップに、なんの価値がある!?」

「存在感!」

「…………確かに」

「納得しないでください、ヤシロさん」


 脇腹を拳でキュッと押された。

 なんだか、今朝のジネットはちょっと怒りん坊だ。

 自分もおっぱいを褒めてほしいのか?


「ジネット。お前がナンバーワンだ」

「懺悔してください。主に、今の目線について」


 ガン見していることを咎められてしまった。

 いやだって、チラ見してもバレるっていうから、ならガン見の方がさ。な? どうせバレるならさ。な?


「それで、みんなで集まってなんの話をしていたんだい?」


 いつも以上に賑やかな談話室。

 あちらこちらで満足げな笑顔が咲き乱れている。

 その雰囲気に乗っかりたいらしい。……させるか。


「ベルティーナが、二十四区で食材を大量購入したいんだそうだ」

「えっ!?」

「エステラさん、驚き過ぎですよ。別に買い占めるつもりはありませんからね?」


 素直なエステラの反応に、ベルティーナが軽くショックを受けている。

 しかしな、ベルティーナ。お前が大量購入したいって話は、イコール『買い占め』だと思われても仕方ないんだぞ。


「甘酒をたくさん作りたいというお話をしていたんですよ」

「あっ。甘酒出来たんだ! 飲みたい飲みたい!」


 みんなが持っている物が甘酒だと認識出来ていなかったらしい。

 知らないんだから無理もないが。


「では、エステラさん。さらさらとつぶつぶ、どちらがいいですか?」

「え、なにそれ?」


 ジネットがエステラに甘酒の説明を聞かせる。「へー」だの「ほー」だの相槌を打ちながら、興味深そうにガキどもの持つ甘酒を覗き込むエステラ。


「じゃあボクは、さらさらにする」

「おう! つるぺた一丁!」

「さらさら!」

「「つるぺた一丁、承りー」です!」

「さらさらだって! ホント、こういう時ばっかり、マグダとロレッタは、ホントに!」


 そんなやりとりを笑顔で見つめた後、ジネットが厨房へ向かう。


「で、モコカはどうだった?」

「ん? あぁ。大満足だったよ」


 成果はあったというエステラだが、その顔には疲れの色が色濃く見える。


「……ナタリア贔屓が酷くて、心労は溜まりまくったけどね」


 モコカ的には、領主よりも『BU』で話題のべっぴんさんの方が重要だったらしい。

 そして、そんな扱いに、ナタリアは盛大に調子に乗っていたのだろう…………エステラ、お前の気持ち、2ミリほどは理解出来るぞ。うん。お疲れ。


「ウチのベッドがお気に召したようでね。泥のように眠ってるよ、まだ」


 ゆうべ、散々騒ぎまくって疲れたんじゃないかと、エステラは見解を述べる。

 ……そんなに騒いでいたのか。よかった、陽だまり亭で引き受けることにならなくて。


「起きたらナタリアが陽だまり亭に連れてくることになってるよ」

「ベッコは?」

「ウチの給仕を使いに出したよ。ナタリアはモコカの世話があるし」

「お前が言いに行ってやればいいじゃねぇか」

「え、ボクがベッコのところに? なんで?」


 素のトーンだ。

 これが、四十二区的なベッコの扱いなんだろうな。

 あそこに通うのはイメルダくらいのもんか。


 その後、ジネットから受け取った甘酒を飲んで、エステラがあれやこれやと感想を語ったり、『宴』の成功を確信して熱くなったりしていたのだが、特に乳が揺れることもなかったので割愛する。

 ただ、概ね満足したようだった。






「うっひゃ~! すっげぇうめぇじゃねぇかですね!」


 教会から戻り、開店準備を終えた頃、ナタリアに引き連れられてモコカが陽だまり亭へとやって来た。

 モコカのことをざっくりと紹介し、早速飯を食ってもらうことになった。

 出した料理は麻婆茄子だ。


 二十四区で作ったと言ったら、「是非教えてくださいっ!」とジネットにつめ寄られて、ついさっき伝授したばかりの新商品だ。……なのに、俺が作るより美味いんだもんな。チートだよ、ジネットの料理の腕前は。


 で、麻婆茄子を出したのには、もう一つ狙いがある。


「こいつは、今二十四区で作ってる新しい調味料を使った料理で、ここにいる人間を除けば、麹工場のリベカと次期領主のフィルマンしか食ったことがない、最先端の料理なんだ」

「どっひゃー! そいつぁナウいじゃねぇかですね!? バリナウだぜです!」


 バリナウ――バリバリナウい最先端料理を、情報紙に掲載してもらえないかと企んでのことだ。……バリバリ(≒物凄く、滅茶苦茶に、とてつもなく)とか、ナウい(≒先鋭的、流行の最先端、イケている)なんて言葉を使ってるヤツに頼るのはどうなんだって気もしなくはないが……


 情報紙に掲載されて人気が出れば、料理自体が飛ぶように売れて陽だまり亭はウハウハ。おまけに豆板醤が人気になれば、ソラマメの需要が飛躍的に伸びるだろう。

 マーゥルに恩を売れるというものだ。


「こんな美味ぇナウいもの、情報紙に載せねぇ手はねぇじゃねぇかですよね! よぉ~っし! 描いて描いて描きまくってやるぜです!」


 半分くらい残っている麻婆茄子を置いて、モコカはカバンからスケッチブックのようなものを取り出す。……小汚い紙の束だ。チラシの裏的な何かなのだろう。貧乏が滲み出している。

 だが、紙はともかく筆の方は金がかかっていそうだった。筆入れの中に色鉛筆のような物がずらりと並んでいる。

 色鉛筆というか、クレヨンか……クーピーみたいな感じだ。


 一瞬で自分の世界へ入り込み没頭するモコカ。

 横から口を挟めるような雰囲気ではなくなる。


 冷める前に食べてほしそうな顔をしているジネットも、何も言わずにモコカの作業を見つめている。

 俺も、背後からイラストを覗き込んでみる。………………赤い、ベチャッとした物がそこに描かれていた。お世辞にも美味そうには見えない。


「…………吐血?」

「血の海で蠢く黒い虫です……」

「なっ!? なに言いやがるですか、このちびっ子様どもは!? 麻婆茄子を描いてんだっつーのですよ!」


 いや、どう見ても麻婆茄子には見えない。

 俺も、ミートソーススパゲッティをイラストにした際、こいつらに物凄く冷たい視線を向けられた経験があるからよく分かるぞ。食い物のイラストって、地味に難しいんだよな。


「そっか、分かったぜです! もっと茶色っぽい方が本物っぽいんだぜですね!」


 そう言って、茶色でひき肉をもりもりと描き足していく。


「…………吐しゃ物」

「やめてです! ウチのお店はこんなものご提供してないです! 営業妨害です!」

「麻婆茄子だっつんだろうがですよ! このちんまい小娘様どもめ!」


 いやいや。

 マグダの意見は真っ当だし、お前も十分「ちんまい」ぞ、モコカ。


「やはり、芸術には『美しさ』が必要なのでしょうね? 脱ぎましょうか?」

「静かにしてるからいないのかと思ったけど、やっぱり口を開くとどこまでもナタリアだな、お前は。あと脱げるもんなら脱いでみやがれ」


 エステラによって、食堂の隅に連行されていったナタリア。

 モコカに相当持ち上げられていたようで、ドヤ顔のレベルが四つくらい上がっていた。

 目に余るということで、モコカから引き離していたのだ。追い返すぞ、このやろう。


「……ベッコの絵を見慣れているせいで、なおチープさが目に付く」

「ですねぇ。ござるさんは残念な顔で残念な性格ですけど、技術だけはピカイチですからね」

「……変態なのに」

「変態なのにです」

「お二人とも、酷いですよ」


 真実を口にする二人をやんわりとたしなめるジネット。

 真実は人を傷付けることがあると教えたいのだろう。でも、真実であることは間違いない。


「ややっ、これはこれは。すでに盛り上がっているでござるな」


 と、そこへ。噂の残念系男子、丸メガネのハチ人族、ベッコがアホみたいな顔をさらしてやって来た。


「ようこそ、ベッコ。アホみたいな顔をして」

「やややっ!? 会って早々ディスられたでござるぞ!?」

「……ようこそ、ベッコ。アホみたいな顔をして」

「待ってたですよ、ござるさん。アホみたいな顔をして」

「みんなして寄ってたかってでござるか!?」


 連係プレーが陽だまり亭の強みだからな。

 ……ただ、悲しいかな、ロレッタ。お前のだけは、「アホな顔をして」が自分にかかっちまってるぞ。文脈的に。まぁ、ロレッタもアホみたいな顔をしているから嘘ではないけれどな。


「むぐぅわあぁぁあ! ムズ過ぎだぜです! んなの描けるわけねぇだろうがです!」


 頭をガシガシと掻き毟るモコカ。食堂で奇声を発するなよ。


「おや、見ない顔でござるな。……吐しゃ物のイラストでござるか?」

「違ぇーよですよ! 麻婆茄子だぜです!」

「はて? 初耳でござるな?」

「よろしければ、ベッコさんも召し上がりますか? まだメニューにも載っていない新作なんですよ」

「おぉ! それは是非にもお願いしたいでござる!」

「金は払えよ」

「……料金は徴収する」

「言われた額を置いていくですよ、ござるさん!」

「そういう時ばっかり息が合うでござるな、御仁方!?」

「くす。では、少しお待ちくださいね」


 ジネットが俺たちのやりとりを見終えた後、楽しそうに厨房へと入っていく。

 今は作りたい時期なのだろう。覚えたてで。


「ジネット。麻婆茄子のナス抜きで!」

「どのような料理かはいまだ分からんでござるが、名前的にそれを抜いては本末転倒ではないのでござるかヤシロ氏!?」

「……いっそ、麻婆も抜きで」

「じゃあ何が出てくるでござるか!?」

「お皿も抜きです!」

「何も出てこない気がしてきたでござるっ!?」

「来て早々、騒がしいな、お前は」

「明らかに非はそちらにあると思われるでござるよ!?」


 こちらでわちゃわちゃしている間も、モコカはうんうんうなりながら色鉛筆を振り回している。もはや、修正が不可能なレベルだ。


「私、人物以外上手く描けねぇんだよななんですよね」


 得手不得手というものはある。

 人物画が凄く上手くても、背景や小物が苦手というヤツはかなりいる。

 そりゃ仕方がないことだ。こっちには、教本とかお手本になるような物もそうないだろうしな。


「そちらの御仁は、絵を描かれるのでござるか?」

「あぁ。こう見えてこいつは一応はプロでな。情報紙ってのにイラストを載せてんだよ。なぁ、ナタリア。お前、今情報紙とか……」

「はい。当然持っております」


 自分が描かれた情報紙を肌身離さず所持しているナタリア。

 もう、突っ込まない。

 それをベッコに見せると、丸いメガネの縁を指でなぞり、「ほほぅ」と声を漏らした。


「ナタリア氏でござるかな? 特徴を捉え、それを簡略化・強調し、なかなか面白い画法でござるな」


 エステラたちの言うこの街の所謂芸術とも、ベッコの描くリアルな画法とも違う、似顔絵のようなイラスト。興味を惹かれたようだ。


「ヤシロ氏の作られたデフォルメフィギュアに近しいものを感じるでござる」

「特徴を強調して簡略化ってのは、そうかもな」

「拙者には出来ぬ芸当故、羨ましいでござるな」


 ベッコは、見たものを見たまま形にすることしか出来ない。

 ただ、その「見たまま」というのが常人離れした再現度であるわけだが。


「ベッコ。ちょっと描いてやってくれよ」

「ナタリア氏をでござるか?」

「あぁ。出来ればドヤ顔じゃないヤツを」


 ナタリアのドヤ顔はもう見飽きた。


「うむ。心得たでござる。ジネット氏の料理を待つ間の、座興となれば幸いでござる。紙と筆はあるでござるか?」

「あ、じゃあこれを使ってくれよです」

「かたじけないでござる。えっと、お名前は……?」

「モコカだぜです!」

「感謝するでござる、モコカ氏。拙者は、ベッコと申すつまらぬ芸術家でござる。名を覚える必要はない故、聞き流してくだされ」

「おう! 聞き流して覚えねぇぜです!」


 いやいや!

 モコカ? お前が「ベッコに会いたい」つって四十二区に来たんだよな?

 忘れちゃったのか?

 忘れちゃったんだろうなぁ! だって、なんかアホの娘臭ハンパないもんな!


「ベッコさん。……最大限セクシーにお願いします」

「心得た!」

「心得ないで、ベッコ! 気品のある感じで頼むよ! 領主の館の給仕長として恥ずかしくない感じで!」


 ナタリアからの要望をエステラが上書きする。

 俺的には、セクシーな絵が出来れば枕元に飾っておいてもいいくらいの気持ちなのだが。


「はい、出来たでござる」

「早ぇな、お前は」

「なに。簡単に描いたお遊びでござるゆえ」


 そんな、ベッコの「お遊び」を覗き込むと……そこには、気品に溢れる給仕長が立っていた。

 まるで写真のようだ。


「よかった。まともな絵になって」

「ですが、この絵の私はノーパンです」

「無理矢理セクシーさを入れ込まないでくれるかな!?」


 豪華な額にでも入っていれば、部屋に飾っておいてもおかしくないクオリティなのだが、わざわざ飾ってやるほどの価値が本人にはなさそうだ。

 ……下から覗き込んだら、スカートの中見えないかな?


「ヤシロ。刺すよ?」


 ちっ。

 覗き込もうとしただけなのに。まだ覗き込んでないのに! 未遂なのに!


「こ、こいつぁ…………ぶったまげた…………ですね」


 ベッコの絵を見て、モコカがぷるぷると震え出した。

 瞬きも忘れ、気品を纏ったナタリアの絵を見つめ続けている。目が離せない、そんな雰囲気だ。


「ベッコさん、お待たせしました。麻婆茄子の麻婆とナスとお皿有りです」


 俺たちが抜けと言った物を全部入れてきたと、ジネットがわざわざ言う。おふざけなのだろう。こういう小さなイタズラが、最近はお気に入りらしい。


「ほほう! これはまた、なんとも甘美な香りでござるな。うむ。あと三日もすればイメルダ氏から食品サンプルの依頼がかかるでござるな、これは」


 陽だまり亭が新メニューを発売すると、即座にイメルダから依頼がかかり制作しているようだ。

 もうすっかり仲良しだな。


「ごめんくださいまし! ヤシロさんに呼ばれて、このワタクシがわざわざ来てあげましたわ、なんだかとてもいい香りがいたしますわね、なんの香りですのこれは、と言っている間に目新しいものを発見いたしましたわ、新メニューですわね、詳しく説明なさいまし!」

「なぁ、イメルダ。息継ぎしろよ」


 店に入るなり、麻婆茄子へと吸い寄せられるように近付いてきたイメルダ。

 そして、誰の了承もなく一口食べる。

 ……盗み食いすんじゃねぇよ、意地汚ぇお嬢様だな。


「美味しいですわ! ベッコさん! すぐに食品サンプルを!」

「う~む……拙者の読みもまだまだ甘いでござるな……物の三分もかからなかったでござる」


 ベッコの想像を上回るイメルダのバイタリティ。……いや、図々しさか。

 でもまぁ、なんとなくお前らはいいコンビだよな。イメルダからの依頼が続けば、ベッコは収入も安定するだろうし。


「あの、ベッコさんの分、作り直してきますね」

「かたじけないでござる、ジネット氏」


 イメルダが勝手に食い始めたので、新たにベッコの麻婆茄子を作るようだ。

 もはや、誰もイメルダを注意もしないし、ベッコ自身も文句はないようだ。

 他の客なら大問題だが、そこら辺はイメルダも分かってやっている。ある意味、甘えられる存在だと認識されているのかもしれないな。信用を勝ち得たということか。……もしくは、召使とかアゴで使っていい存在だと認識されたか………………言及は避けておいてやろう。


「では、待っている間にもう一つ座興といくでござる。モコカ氏、もう一枚紙をいただいてもよいでござるか?」

「………………」

「モコカ氏?」

「え!? あ、あぁ! 大丈夫だぜです! じゃんじゃん使ってくれよです!」

「もぐもぐ、どちら様ですの? もぐもぐ……」


 物を食いながらしゃべるな、イメルダ。お嬢様なんだろ、一応。

 お前はベルティーナか。……ベルティーナにもやめさせたい行為なんだがな。


「では、麻婆茄子を描いてみるでござる」


 モコカの色鉛筆と紙を手に、ベッコが腕をまくる。


「あ、あのっ! 麻婆茄子のイラストはすげぇ難易度が高ぇぜですよ!」

「なぁに。拙者、一度見た物ならなんだって描けるでござる故、心配無用でござる」


 軽く言って、軽くペンを走らせる。

 まるでインクジェットがプログラムに則り一瞬で鮮やかな映像を紙に印刷していくように、ベッコが操る色鉛筆が、無地の紙に香りと温かさを感じさせるくらいにリアルな麻婆茄子を描いていく。


「……これは、美味しそう」

「ござるさん、絵も上手いです。食品サンプルだけじゃなかったです」

「大したもんだよねぇ、相変わらず」

「まぁまぁですわね」

「でも、先ほどの私の絵の方が、ある意味で『美味しそう』でしたけれど」

「よし、黙れナタリア」


 ナタリア以外の全員がその技術に感心している。

 四十二区では、食品サンプルの影響から、ベッコの作る『芸術的ではない』創作物の評価が上がってきている。これまでは見向きもされなかった写実的なものが、四十二区内では素晴らしいと評価されるようになったのだ。


 そして、四十二区の外から来た、イラストのプロはというと……


「し…………っ! 師匠っ!」

「し、師匠……って、誰がでござるか?」


 描かれた、リアルで美味そうな麻婆茄子のイラストを見て、モコカがベッコの前に手を突いた。土下座だ。


「私を弟子にしやがれです!」

「ヤ、ヤシロ氏……これは?」


 いや、俺に言われても……


「正直おったまげたぜです! こんなリアルなイラスト、生まれてこの方一遍も見たことがねぇぜです! どうか、師匠の技術を私に伝授しやがれくださいです! この通り、ケチケチすんじゃねぇよ、お願いだぜです!」

「ヤシロ氏、拙者は今……お願いされてるでござるか? 命令されてるでござるか?」


 命令かな……まぁ、お願いのつもりなんだろうけど。


「いや、拙者などまだまだ修行中の身。師匠などおこがましいでござる故、頭を上げてほしいでござる」

「弟子にしてくれるまではここを動かねぇです!」

「それは迷惑だから弟子にしてやれ、ベッコ」

「しかし、ヤシロ氏!? 拙者、教えられることなど、何も……」

「いいじゃありませんの。あなたがやっていることを近くで見せておあげなさいな」


 麻婆茄子の味がしみ込んだ箸を「ちゅぅううー!」っと吸って、イメルダが悠然と語り出す。


「芸術とは、教わるものではなく、見て盗むものだといいますわ。ベッコさんがわざわざ教えずとも、勝手に盗ませてあげればいいのです。それで上達するかどうかは彼女の才能次第ですわ。師匠の責任ではありませんわよ」


 言っていることはまともなのだが、箸をしゃぶるな。


「ふぅむ……しかし」

「師匠! 奥様のお顔を立てて、ここは一つ大人の対応をしやがれです!」

「はぁっ!?」


 奥様と言われ、イメルダが立ち上がる。

 肩がぐーんと持ち上がり、怒り心頭だ。


「誰がこんな人の奥様ですの!? 失礼にもほどがありますわ! ベッコさんに異性としての興味など、ノミの小指に出来たササクレほどもありませんわ!」

「物凄く小さいでござるな、そのササクレ!?」

「当然ですわ! ベッコさんと結婚するくらいなら、お子様ランチと結婚いたしますわ!」

「食べ物とでござるか!?」

「イメルダ・お子様ランチとお呼び下さいまし!」

「ファミリーネームでござったか、『お子様ランチ』!?」


 アホとアホがアホな漫才をしている。

 お前らがまかり間違って結婚したら……やかましい家庭になるだろうな。

 隣の区ぐらいから眺めている分には楽しそうだが、同じ区にいると煩わしそうだ。


「そ、それじゃあ、私が師匠の伴侶となってやるぜです!」

「驚天動地でござる!? ヤシロ氏、この御仁は何をおっしゃっているのでござるか!?」

「お前の才能に惚れたってことだろう?」

「顔もカッコイイぜです!」

「「「「『精霊の……』っ!」」」」

「ヤシロ、マグダ、ロレッタ、イメルダ。やめなさい」


 エステラが俺たちの衝動を強制的に抑えつける。

 しかし、それも仕方ない。

 モコカはこの後マーゥルの館へ連れて行かなければいけないのだ。カエルにしてしまっては元も子もない。くそぅ、悔しいが……精一杯働け、俺の自制心!


「もし、弟子にしてくれるなら、私なんだって言うこと聞いてやるぜです!」

「よし、ベッコ。弟子にしてやれ。で、モコカはマーゥルのところの給仕になって、情報紙にイラストも提供して、たまに師匠の創作活動を見学に来い」

「ヤシロ氏、そんな勝手な……!?」

「たまに見せてやるくらいいいだろう? それに、美少女に好かれるのは悪い気しないだろうが」

「いや。実は拙者、最近Gカップ未満は女子と見なさいことにしている故……」

「ベッコ……表で話をしないかい?」

「まさか、『BU』ナンバーワン美女の私も圏外とは……」

「ござるさんのくせに、生意気ですね……」

「……ベッコ。その勝負、受けて立つ」


 Aカップのエステラはもちろん、Eカップのナタリア、Cカップのロレッタ、未発達のマグダを一気に敵に回したベッコ。

 ただ一人、つい最近FからGへクラスアップしたイメルダだけが「あらあら、ささやかさんたちの嫉妬は醜いですわね」と余裕ぶっていた。


「ちなみに、モコカ氏は何カップでござるか!?」

「ベッコ……領主として、刺すよ?」

「そうだぞベッコ、失礼じゃねぇか。どう見てもBカップだろう」

「君も失礼だよ、ヤシロ!? そしてたぶん、正解なんだろうね!」


 断言する。間違いなくBカップだ!


「分かったぜです……弟子は、諦めてやるぜです……だから!」


 モコカは立ち上がり、Bカップの胸を精一杯、出来得る限り、最大限に寄せて谷間を作り、ベッコに向かって頭を下げる。


「弟子の見習いにしやがれくださいです!」


 ……結局、諦めないんだろうな、こいつは。どこまでいっても。


「ベッコ……」

「う、うぅむ……拙者、こういうことは初めてでござる故、戸惑いは隠せないでござるが……」


 ぼさぼさの髪を掻いて、ベッコが口元を緩める。


「至らぬ点も多いかと存じるでござるが、ほどほどに、よろしく頼むでござるよ」


 芸術家とは、技術に惚れられる人種だ。

 まぁ、有名税というか、与えられた才能に付加するもんだと思って諦めろ。


「よっしゃー! さすが師匠! 話が分かるイケメンだぜです!」

「「「「『精霊の……』っ!」」」」

「だからやめなって! ヤシロ、マグダ、ロレッタ、イメルダ」

「ベッコさん、麻婆茄子お待たせしました。……で、何かあったんですか?」


 喜ぶモコカに、困り顔のベッコ。

 ジネットが何やら楽しそうな空気を感じて説明を求めてくる。


 意外なところで繋がりは生まれていくもんなんだな。とか思いつつ、俺はジネットにたった今あった出来事を話してやった。






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