210話 ただいまのあとは

「おかえりなさい、ヤシロさん」


 あぁっ! 落ち着く!


「ふぇっ!? ヤ、ヤシロさん、どうして泣いているんですか!?」

「なんか……三ヶ月くらい二十四区にいた気がする……」

「うふふ。大袈裟ですよ。一泊二日だったじゃないですか」


 そんなことを言いながらも、俺の頭を「よしよし」と撫でてくれる優しい手。

 あぁ、紛う事なきジネットだ。

 俺は、陽だまり亭に帰ってきたんだ。


「……ヤシロ」

「お兄ちゃん!」


 店の中からマグダとロレッタが飛び出してきて、俺の腰にしがみつく。


「……久しぶり」

「なんか、三ヶ月ぶりくらいの気分です!」

「いえ、ですから、一泊二日で…………まぁ、それくらい寂しかったということですね」


 うふふと、笑うジネット。

 お前も、飛び込んできていいんだぜ、胸で。……もとい、胸に。


「変わりはなかったか?」

「はい。みなさんで楽しくお泊まり会をして、あとは普段通りです」


 そうだった!

 こいつらは、「ドキッ! ぽぃ~んだらけのお泊まり会」を開催してやがったんだった! 俺抜きでっ!

 くそう! くそう!

 今度、絶対もう一回開催してやる! 俺メインで!


「とにかく中に入ってください。お食事は?」

「まだだ。そんな暇がなくてな」

「では、すぐにご用意しますね。……エステラさんも、おいでになればよかったのに」

「あぁ、あいつは別件で忙しいんだ」


 モコカをご招待だからな。

 陽だまり亭の飯は明日ご馳走するとして、今日は領主の館での晩餐だ。

 情報紙に、いいように書いてもらわなきゃな。


「明日、客を連れて食いに来るってよ」

「そうですか。では、しっかりおもてなししなきゃですね」

「いや、ベッコも呼ぶからちょっとランク下げよう」

「……ベッコが来るなら仕方ない」

「平均値ですね。まったく、ござるさんは迷惑ばかりかけるですね……」

「あの……そんなこと、ないですよ? ちゃんとおもてなししましょう、ね?」


 そうだな。ベッコのだけ別にしてランクを下げよう。

 そんなことを思いながら陽だまり亭へ入る。懐かしい香りがする。最近は甘い香りがよくしている。ドーナツが大ヒットしているからな。チョコとカスタードの香りが立ちこめている。


「どんどん、食堂からかけ離れていってる気がしてきた……」


 外には食品サンプルがディスプレイされ、人気のメニューはケーキにドーナツ。

 食堂と呼ぶには、少々ハイカラ過ぎる気がするが……まぁ、店長が気に入っているのでよしとしよう。

 祖父さんが店長だったらあり得ないラインナップかもしれんが、ジネットが店長なら、なんとなく納得出来る。

 やっぱり、店ってのは店長の影響が色濃く出るもんだよな、うん。


「……大丈夫。マグダがパスタをマスターするのも時間の問題」


 イタリアンに近付くな。


「あたしは、コーヒーをマスターしたです!」


 カフェか。


「豆板醤が完成すれば、またメニューが増えますね」


 中華!


「ごめん、ほんっとごめん……」

「なぜ謝るんですか? とてもいいことだと思いますよ?」


 まぁ、焼き鮭定食とかあるし、まだ辛うじて食堂と名乗っても問題ないだろう。

 まもなくファミレスになりそうだけどな。

 ……タコスとポップコーンはファミレスにもあんま置いてないよな。なんて多国籍。


「ヤシロさん。二十四区で、何か問題でもありましたか?」


 俺が少し難しい顔をしたからだろう。ジネットが心配そうに顔を覗き込んでくる。

 いや、二十四区でというか……少しの時間ここを離れたおかげで客観的にこの店を見ることが出来たせいなんだが……


「俺が持ち込んだ料理が、元からあった陽だまり亭っぽさを壊してしまってんじゃないかって思ってな」


 ジネットは、「祖父さんがいた頃の陽だまり亭」に強い思い入れを持っていた。

 その頃の雰囲気は、きっともうほとんど残っていないだろう。

 リフォームも、新メニューも、みんな俺が持ち込んだことだ。


「祖父さんの面影、消しまくってるよな、俺」

「そんなこと……」


 何かを言いかけて、ジネットは「あっ」と口をまん丸く開く。

 そして、たまに見せるいたずらっ子のような顔付きで「うふふ」と口をすぼめる。

 何かをしでかすつもりの顔だ。


 今度は誰に何を吹き込まれたんだ?


「ヤシロさん」


 ちょこんと俺の前に立ち、人差し指を立てて、教育テレビのお姉さんのような仕草で俺に言う。


「カエルさんのお顔にお小水ですっ」

「ぶふぅーっ!」


 俺の口から、なんだか分からない液体が迸った。


「ヤシロさん!?」

「……ヤシロ、汚い」

「店長さん、大丈夫ですか!? 唾まみれです!」

「いえ、わたしより、ヤシロさんが!」


 ごほっごほっと盛大にむせる俺の背を、ジネットが労わるような手つきで撫でてくれる。が……


「……どこで覚えてきた、その奇妙な言葉」

「えっと、あの……ノーマさんが使ってらしたのを真似してみたんですが」


 ノーマが使ってたってことは、正しくは「蛙の面にションベン」だな。

 それをジネットフィルターに通すとあぁなるわけか。


「えっとですね……」


 と、ジネットが当時のことを振り返り聞かせてくれる。

 その内容から見えたのは、こんな会話だった――




ノーマ「それにしても、ヤシロはしょっちゅう留守にしてるさね、最近」

ジネット「四十二区のために頑張ってくださっているんだと思いますよ」

ノーマ「甘いさねっ! 店長さんがそんな甘いことばっかり言うから、ヤシロがふらふらするんさね! たまにはガツンと、あの放蕩従業員に鉄拳制裁でも加えてやった方がいいんさよ」

ジネット「そんな……ヤシロさんが可哀想ですよ」

ノーマ「大丈夫さよ。店長さんに平手打ちされるくらい、ヤシロなら蛙の面にションベンさね」

ジネット「カエル……え? ヤシロさんがそんなことを!?」

ノーマ「違うさね。『全然大丈夫、気にしない』って意味さよ」

ジネット「そうなんですか。覚えておきますね」




 ――で、こうなったわけだ。


「あの、以前ヤシロさんが、『イタズラならどんどん仕掛けてくれた方が嬉しい』とおっしゃっていましたので……、驚いてくれるかと思ったのですが……」

「いや、驚いた。それはもう驚いたよ……」


 気管にポップコーンが詰まったのかと思うくらいにむせ返ったしな。


「でも、面白い言葉ですね、『カエルさんのお顔にお小水』」

「ジネット。お前がそういう言い方をすると、とある特定の層にはご褒美に聞こえるから、控えるんだ」

「ご褒……!? そ、そんなことはないかと思うのですが……」


 いいや、ジネット!  お前は甘い!

 いるんだよ……そういう層が…………


「それに、使い方が少し違う」


 蛙の面にションベンは、確かに「気にしない」って意味ではあるが、それは「面の皮が厚くて気にもしない」というニュアンスで、相手を蔑む意味合いで使われることがほとんどだ。「恥知らず」的な意味合いでな。

 おまけに――


「もともとは『カエルの面に水』って言葉だったんだぞ」

「えっ!?」


 まぁ、あくまで「日本では」だけどな。


「そ、そうなんですか?」

「それが、いつしかションベンに変わって、浸透したって話だ」


 って、日本のことわざの話を、『強制翻訳魔法』がどう解釈して翻訳しているのか気になるところだが。


「そ、そうですよね。お顔にお小水は、さすがに気にしますよね」

「いや、ただの言葉だから、『実際は~』とか『本当なら~』とか気にしなくていいんだ。『カエルの子はカエル』ってのも、本来ならオタマジャクシだしな。てか、そんなことはどうでもいいから『お小水』を連発するな」

「はっ!? す、すすす、すみません! 食堂でそんなお話を……っ!」


 いや、どこでも関係なく、あんまり言うな、な?


「……カエルの面に『ノーマの』小便」

「マグダ。お前は確実にご褒美化させようとして発言してるだろ?」

「パーシーさんの面に水、です!」

「ロレッタ。それはイジメだ」


 タヌキメイクが落ちるからな。


「あ、あのっ! こ、このお話はもうやめましょう! ね?」


 自分で言い出したジネットが真っ赤な顔で両腕を振り回す。

 この近辺に漂う「そういう」空気を霧散させたいらしい。


「そ、それでヤシロさん! お食事は何が食べたいですか!?」

「ジネット史上もっとも勢いのある注文聞きだな。ちょっと怖ぇよ」

「……ポップコーンがおすすめ」

「すまん、飯を食わせてくれ」

「コーヒーがおすすめです!」

「固形物でもなくなったな!? 腹減ってんだわ、俺!」

「では、ドーナツを!」

「飯ー! ご飯を食わせてくれ! お米粒をっ!」

「分かりましたっ! では、ドーナツとおにぎりを!」

「マグダ、ロレッタ! 一回ジネットを外に連れ出して、落ち着かせてきてくれ!」


 自分の発言で盛大に照れるという大自爆をやらかし、ジネットの思考が停止している。

 これでは、本当にドーナツとおにぎりが出てきかねない。

 ドーナツライスはさすがにきつい。


 わたわたと、食堂入り口へと連行されていくジネットの背中を見つめ、俺はある種のあきらめを感じていた。

 まぁ、しょうがないか。この状況じゃあな。


「じゃ、自分で適当に何か作るか」

「「それはダメです!」」


 ジネットとロレッタが声をそろえて反論し、マグダが物凄い速度で戻ってきて俺の肩を押さえつける。強制的に着席させられ……くっ、立ち上がれない。


「ヤシロさんはお疲れですので、座っていてください」

「そうです! あたしたちがちゃんと作るです!」

「……ヤシロ、めっ」


 なんで怒られたんだ、今?


「ドーナツとコーヒーとポップコーンが出てきたりしないよな?」

「大丈夫です。ちゃんとお腹に溜まるものを作ってきますので」

「美味しいご飯を作るです!」

「……ヤシロ、ハウス」

「こら、マグダ」


「ハウス」じゃねぇよ。


「あぁ、じゃあ。マグダとロレッタで飯を作ってきてくれ」

「はぅっ!?」


 ジネットが奇声を発し、同時に大きな瞳が潤み始める。


「ヤ、ヤシ……ヤシロさん……わたし、の……料理は…………信用出来ません、か?」

「違う違う! そんなわけないだろう!」


 今にも泣き出しそうなジネットのもとへ駆け寄り、椅子へと座らせる。

 先ほどまで俺を押さえつけていたマグダは、俺の指名を受けて、現在ロレッタと一緒に気勢を上げている。


「……下克上」

「あたしたちの時代です!」


 いや、だから……


 くすんくすんと、鼻を鳴らすジネット。

 あぁもう、泣き止め。


「ジネットには頼みたいことがあるんだ。その相談をしたくてな。かなり手の掛かるものを作ってほしいんだ」


 そいつの出来によって、ドニスとの交渉が上手くいくかどうかの分かれ目になると言っても過言ではないほどの重要度なのだ。


「なので、マグダとロレッタ。陽だまり亭にあるメニューの中から作れるものを全力で作ってきてくれ。もちろん、俺のニーズに合ったものをな」

「……ついに、マグダの実力を見せる時が来た」

「これで認められれば、お客さんに出す料理も作らせてもらえるかもしれないです!」


 現状、俺とジネットが許可したメニューのみ、マグダとロレッタは客に提供出来るようになっている。

 お好み焼きやポップコーン、コーヒーなんかがそれだ。

 だが、メインとなる定食やお子様ランチなどはジネットの独壇場だ。


 いつの間にか、ジネットのポジションはこいつらの憧れの的になっていたんだな。


「わ、わたしにも試験をっ!」

「お前はやらなくても合格確実だろうが!」

「羨ましいですっ!」

「羨むポイントおかしいから!」


 今度は俺が、ジネットの肩を押さえつけて椅子に座らせる。

 もぞもぞと抵抗を止めないジネット。マグダのようなぐずり方だ。

 なので、同じような対抗処置をとる。


「今のうちに厨房に入れ。ジネットが羨ましがって話が出来ないから」

「……了解」

「とびきり美味しい物作ってくるです! ほっぺたに風穴を開けるです!」


 張り切って厨房へと入っていくマグダとロレッタ。……風穴は開けないでくれるとありがたい。


 さて……と。


「落ち着いたか、ジネット」


 対抗処置をとってから、急に大人しくなったジネット。

 顔を覗き込むと…………


「……ぁう…………はぅ……」


 茹で上がったような、真っ赤な顔をしていた。

 俺は今、対抗処置として――ジネットの頭をなでなでしている。


「……あ、ぁの……ヤシ…………はぅぅ……っ」


 いや、そんなに照れなくても………………手を離すタイミングが分からないっ!

 いつまで撫でてればいいのかな!?

 ここでやめると「あ、変に意識してやんの!」とか思われちゃうかな!? どうかな!?


「あの、お、お話と、いうのはっ!?」

「そ、そうだな! 話があるんだ! 聞いてくれるか!?」

「は、はい! もちろん、喜んで!」

「じゃあ、向かいの席に座るからな! 今から座るから!」

「は、はい! どうぞ!」


 期せずして、手を離すタイミングが到来した。

 今ここで手を離すのは、話の流れ的にとてもスムーズだ。何もおかしくはない。至って普通。めっちゃ普通。

 そんなわけで、俺はさりげなく手を離し、テーブルを挟んでジネットの向かいへと座る。


 適当に撫で過ぎたせいでもはもはしてしまった髪を、ジネットが撫でて整えている。

 う、うん。まぁ、よくあることだ。


「え、えへへ……」

「あはは……ははは」


 …………空気がおかしい!

 マグダたち、ご飯まだかなぁ!?


「あの、わたし! お茶を、持ってきますね!」

「そうだな! 話をする時はお茶が必要不可欠だもんな!」

「で、では! 少々お待ちを!」

「ごゆっくり!」


 客もおらず、マグダもロレッタも厨房で、二人きりの食堂。

 食堂は広い。

 だから、自然と声が大きくなる。そう、自然と。

 別に、何かを意識しているわけでは、決してない。ないんだからね。


「あぁ、そうだ、ジネット!」

「ひゃい!?」


 うん、うん! 至って自然!

 よくあるよね、こういうこと!


「陶器の器を持ってきてくれないか? 1リットルくらい入って、蓋が出来るヤツ。あるか?」

「えっと……あ、はい。それでしたら、以前セロンさんにいただいたツボがちょうどいいと思います。持ってきますね」


 にこりと笑って、小走りで駆けていくジネット。

 頼み事をした影響か、最後の方は取り乱した感じも薄れ、いつもの柔らかい笑みを浮かべていた。……まぁ、まだ頬は紅潮していたけどな。


「……………………ふぅ」


 重ぉ~~~~~いため息が漏れた。

 何やってんだ、俺は。


 とにかく、思考を切り替えて宴を成功させるための準備に心血を注ごう。

 そのために、二十四区から持ち帰った物もあるのだから。


 カバンから、密封された瓶を取り出す。

 リベカに頼んで譲ってもらった米麹だ。


 こいつを使って、試作品を作る。


 魔法瓶があれば簡単なんだが……果たして上手く発酵させることが出来るだろうか。


「ヤシロさん。お待たせしました」


 数分ほど経ち、ジネットがお盆を持って戻ってきた。

 盆には陶器のツボとお茶と、小さなおにぎりが載っていた。


「あ、あの……お茶請け、です。ご飯がいいとおっしゃっていましたので、甘いものではなくおにぎりにしてみました……あの、マグダさんとロレッタさんが今お料理をされていますので、お腹がいっぱいにならないように、小さめ…………なんですが…………あの……いりません、か?」


 しゃべっているうちに、どんどん声が小さくなっていく。

 どうしても、自分の作った物を食べさせたかったらしい。


 ジネットは、料理が好き過ぎるからな。


「もらうよ。腹減って死にそうだったから」

「はい! 召し上がってください」


 手で指し、ジネットに座るように椅子を勧める。

 ジネットが目の前へ腰掛けてから、一口サイズの可愛らしいおにぎりを指で摘まんで口へと放り投げる。


 ………………うん。美味い。

 あぁ、なんだか「帰ってきたなぁ」って気がする。


「ヤシロさん」


 小さいおにぎりを一つ飲み込んだところで、目の前のジネットがふわりと笑みを浮かべる。


「おかえりなさい」


 ――っ!?

 なんだ、これ?

 なんか妙に恥ずかしいぞ!?


 お帰りならさっきも言ったじゃねぇか……なんでわざわざもう一回……


「あの……美味しそうにご飯を食べるヤシロさんを見ていると、つい……言いたくなってしまいまして。すみません、変なこと言って」

「あぁ、いや。大丈夫だ。俺も今、『あぁ、帰ってきたなぁ』って思ってたところだから!」

「そうなんですか!?」

「う…………ん、そう……なんだ」


 なに口走ってんだ、俺!?

 これじゃ、まるでアレじゃねぇか! なぁ? なんか、まるで…………えぇい、嬉しそうな顔でこっちを見るな!


「麹をもらってきましたー!」

「にゃっ!? ……ど、どうしたんですか、急に大きな声を出して……え、麹、ですか?」


 ドンと、麹の入った瓶をテーブルに置く。

 もうさっさと用件を話してしまおう!

 真面目な話になれば、こんなむずむずした空気なんかすぐに吹き飛んでいくのだから! そのはずだから! なのだから!


「俺はフィルマンとは違う! because大人だから!」

「え? フィル……どなたですか?」

「くまさんパンツより、すけすけパンツが好きな、大人の男だから!」

「ふなっ!? な、なんですか、いきなり!? ざ、懺悔してください!」


 それを言うなら、お前の「お小水」も懺悔対象だろうが!

 まったくもう、俺ばっかり……


「実はな、こいつを使ってある物を試作したいんだ」

「試作、ですか?」


 ジネットが瓶を覗き込む。

 非常に興味深そうな瞳をしている。


「試作といっても、きちんと美味いものに仕上げないといけないんだ。説得に使うからな」

「説得……ですか? あの、一体何をするつもりなんですか?」


 話が見えないとばかりに、ジネットが焦れったそうに身を揺する。

 新しい物を作りたい。

 何が出来るのか早く聞きたい。

 まるで子供のように好奇心をむき出しにしている。


 なので、精一杯出し惜しみしてやる。


「説得する相手は、二人だ」

「二人、ですね……う~ん……一人はエステラさんでしょうか? いや、ウーマロさん…………イメルダさん……」


 説得というワードから、「金」「技術」「コネ」あたりを想像したのだろう。

 まぁ、発想自体は悪くない。

 が、ハズレだ。


「一人はベルティーナだ」

「シスターを、ですか?」


 意外な名前だったのか、ジネットが目を丸くして、麹へ視線を移し、そして嬉しそうな表情を浮かべた。


「では、美味しい物を作るんですね。楽しみです」


 ベルティーナを説得するのに有効な方法を、ジネットはよく理解しているようだ。さすがだな。


「では、もう一人は誰でしょう…………」


 う~んと、頭をひねるジネット。

 そんなジネットを指さす。残念、時間切れだ。


「もう一人は、お前だ。ジネット」

「へっ!? わたし、ですか?」


 先ほどよりも意外だったのだろう。今度は目だけでなく口までまん丸く開いている。

 そして、「自分を説得する」という行為が理解出来ないようで、こてんと首を横に傾けた。

 ……お前、野生の小動物だったら拾って帰ってるところだぞ。


「実はな、陽だまり亭を一日休みにして、二十四区へ付いてきてほしいんだ」

「二十四区へ、ですか?」


 ジネットの頭の中で、オールブルームの地図が広げられたのだろう。

 視線が天井を仰ぎ、どこを指しているのか、人差し指がふらふらと空中をさまよう。


「遠いですよ?」

「だから、さすがにその日は休みにして、な?」


 俺が言うとジネットは、緊張感を持ちながらも頬の筋肉を徐々に緩ませていく。


「あ、あのっ。お休みということは……」

「あたしたちも一緒にということですね!?」

「……そうに違いない」


 タイミングよく、厨房から現れたロレッタとマグダ。

 手にはおのおのが作ったのであろう料理が載った盆を持っている。


「あぁ。ちょっと盛大な『宴』を開くことになってな。そこで最高に美味い料理を振る舞わなければいけなくなりそうなんだ」

「宴、ですか!?」

「な、なんだか、凄く楽しそうな響きです!」

「……マグダなくして、成功はあり得ない」


 三人娘がズガガッと詰め寄ってくる。

 よし、とりあえず料理を置け、マグダとロレッタ。零しそうだから。


「詳しくは、食いながら話すよ。折角の料理が冷めちまうと悪いからな」

「ダメです! 先に聞きたいです!」

「……話し終わるまで、ご飯はおあずけ」

「あのな……」


 お盆を、わざわざ俺から遠い席へと置き、椅子を持ってきて俺を取り囲むように着席する。

 チラッと見た感じ、二人とも定食を作っていた。

 マグダは肉の、ロレッタは魚の定食だ。……こいつら、自分に出来る物をって言ったのに、陽だまり亭の看板メニューを作ってきたのか。マジで作りたいんだな、客の飯を。本気度がすげぇ。


 なので、料理が冷める前にさっさと説明を終えてしまうことにする。


 俺は、二十四区の領主とその後継者フィルマンの関係から、フィルマンの恋心と麹工場の跡取り問題、リベカとその姉ソフィーの関係や、二十四区教会にいた傷付いた獣人族のガキどもと、ついでにモコカとマーゥルの話までを掻い摘まんで説明した。


「二十四区の教会は、そのような場所だったんですね。初耳です」

「まぁ、四十二区に傷付いた獣人族がいたとしても、二十四区へ送らずにベルティーナが面倒見るだろうからな」

「そうですね。生活する場所が違うと、すれ違うことすらない人たちや場所、制度があるものなんですね」


 ジネットは二十四区教会の行いを、素晴らしいことだと感じたようだ。

 実際は、外界と隔離しているに過ぎないのだが……ソフィーの頑張りがあのガキどもを笑顔にしているのだと思えば、まぁ、素晴らしいと言えるのかもしれないな。……まだまだ不十分だと思うが。


「むぁああ! もどかしいです、その男子! あたしが首根っこ捕まえて、リベっちゅの前に引き摺っていきたいです!」

「やめとけ。フィルマンが『穢された!』とかってむせび泣くぞ。あと、勝手なあだ名をつけるな」

「……もし、領主がリベカを拒否するようなら………………(自主規制)」

「何する気だ、マグダ!? 流血沙汰は禁止だからな!?」


 連れて行くメンバーを選んだ方がいいか?

 いや、四十二区では人間だの獣人族だのいう垣根がないってのが普通で、誰も、誰にも遠慮なんかしていないってところを見せるためには、こいつら全員を連れて行くのがベストだ。

 何より、かなりの人数になるから、さすがにジネットだけでは捌ききれないだろう。

 それに――


「二十四区に出掛ける前に言ってたろ? みんなでピクニックでも行こうって」

「あっ」

「おぉ!」

「……うむ」


 留守番ばかりで少し拗ねていたマグダと約束したのだ。

 まぁ、「半日休んで」って距離ではなくなってしまったが。

 こいつらにも、そういうご褒美があったっていいだろう。

 旅行の思い出は、何年経っても心に残っているものだからな。


 あとは、見聞を広げることでこいつらが成長してくれれば、きっと店はもっと繁盛する。

 そうなれば、俺は不労所得でうはうはだ。


 ただ、『宴』だから、ピクニックってよりは花見とかの方が近いかもしれんがな。


「ベルティーナと教会のガキどもも引き連れて、二十四区の教会へ乗り込むぞ」

「子供たちも、ですか?」

「あぁ」


 ガキどもの相手はガキどもに任せてしまう。

 ……俺はもう御免だ。体力がもたん。

 何より、俺はいろんなヤツを説得して回らなきゃいけないからな。


「ベルティーナを使ってソフィーを説得し、ソフィーの意識を変えてリベカとフィルマンの交際を後押しする!」


 ソフィーが教会を出て麹工場に戻り、職人としてではなくバーサの後継者となって最高責任者になれば……リベカは領主の家に嫁ぐことだって可能になる!

 ソフィーが婿をもらえばよくなるのだから。


 それで、フィルマンが領主になることに前向きになれば、ドニスは全面的に協力してくれるだろう。


 そのために、獣人族に対する偏見は完全に取っ払う!


「もし、それらがすべて上手くいけば、きっとみなさんが笑顔になれますね」

「けど……そんなに上手くいくですかね?」

「……一日でどうこうするのは、困難な模様」


 確かに、あっちもこっちも意識改革をしてやる必要がある。

 だからこそ、『宴』なんだよ。


「酒を飲みながら腹を割って話し合えば、些細な行き違いは修正出来るさ」


 思い込みや先入観は、その閉じた世界をぶち壊してやればいい。

 意地っ張りや偏屈、へそ曲がりやネガティブ思考は、酒の力で吹き飛ばしてやればいい。


 古来より、神と人とを結びつける神聖な儀式に酒は欠かせない。

 集団の結束を高め、絆を深めるにも、酒は大いに役立つ。

 酒ってのは、誰かと誰かの結びつきを強くする便利なアイテムなのだ。


「ですが、シスターはお酒を飲めませんよ?」

「二十四区の領主さんも飲めないって、ハビエルさんたちが言ってたです」

「……子供たちも、無理」

「ふふん! だからこその、こいつだ!」


 ここでもう一度、俺は麹の詰まった瓶を指し示す。

 そう。麹だ。

 こいつで、酒が飲めないヤツでも飲める酒を作るのだ。


「飯を食ったら、『甘酒』を作るぞ。お前ら、手伝え!」


 甘酒ごときで……と思うなかれ。

 酒粕を溶かして砂糖をぶち込む甘酒とは違い、俺が作ろうとしているのは、米と麹を発酵させる麹甘酒だ。


 米と麹を発酵させる――

 それは、大きなくくりでいえば、清酒の作り方と同じなのだ。すご~く大きなくくりでいえばな!


 酒を飲めないドニスに、飲める酒を教えてやる。

 オマケに、ドニスにとっての朗報と一緒にだ。

『宴』は空気で酔うものだ。ベルティーナも言っていたしな。「お酒は飲めないけれど、お酒の席は好きですよ」と。そいつを味わわせてやるのさ。

 酒の席とは無縁のドニスに。


「まずは、ベルティーナがうなるような、美味い甘酒を造るぞ!」

「はい!」

「よく分かんないですけど、きっとあたし得意な気がするです!」

「……マグダの力が必要不可欠」


 そうして、本日もロレッタはお泊まりすることとなり、俺たちは一晩かけて甘酒の仕込みを行った。

 あっと、ちなみに。

 マグダとロレッタの定食は……まだまだ合格点はやれないレベルだった。






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