208話 三度麹工場へ

「もーいいのじゃー!」


 リベカの声が響き渡り、エステラの顔がにわかに引き攣る。

 その表情を見るに、「どうしよう……めっちゃ耳が見えてるんだけど……とりあえず見えないフリをするべきなのかな」みたいな葛藤が垣間見える。


 俺たちは今、三度訪れた麹工場でかくれんぼをしている。

 自称『プロ』のかくれんばー(かくれんぼ選手)のリベカに胸を借りる親善試合だ。


 振り返った瞬間に発見されるようなプロしかいないんじゃ、このスポーツの未来は暗いな。

 ……スポーツじゃねぇけど。


「よし! 先にヤシロを見つけよう!」

「むっふっふー!」


 現実逃避に走ったエステラの発言を、「ワシを見つけるのは困難じゃから、先にシロウトの方を探すんじゃな」的な都合のいい解釈で受け取ったらしいリベカ。上機嫌な声を漏らす。 ……だから、バレるからさ。音立てるなよ。


 とはいえ。

 エステラごときに、この俺がそうそう簡単に見つかってたまるか。

 かくれんぼは体よりも頭を使う心理戦だ……見つけられるものなら、見つけてみるがいい!


「あ。あの女職人さん、めっちゃ巨乳」

「マジで!? どいつだ!?」

「はい、ヤシロ見っけ」


 ……この女…………


「『精霊の……』」

「待って。ほら、あの人だよ」


 エステラが指さす方を見ると、……くっそ! マジでめっちゃ巨乳な美人職人がこちらを眺めていた。


「卑怯な手を使いやがってどうもありがとう!」

「怒りと感謝が入り乱れているよ」


 夕闇が迫り、辺りは落ち着いた色に染まっている。

 職人たちも、ぼちぼちと仕事を切り上げる時間のようだ。朝が早い分、終了時刻も早いのだろう。

 何度もやって来る俺たちを、リベカは快く迎え入れてくれた。

 バーサはいつもの作業着だ。……よかった。心底よかった。

「その服の方が似合うな」と言っておいたから、もう間違ってもミニスカを穿くことはないだろう。…………この程度のリップサービスくらいしてやるさ。おのれの命を守るためならな!


「さぁ、ヤシロ。リベカさんを見つけるために協力をしてもらおうか」

「お前が鬼なんだから、一人で頑張れよ」


 見つけたら見つけたで、絶対へそを曲げるんだから。そういう面倒くさい役割も含めての『鬼』なんだよ。じゃんけんに負けたお前には、その重責を背負う義務があるのだ。


 そんな俺たちの会話を聞いて、リベカのウサ耳がぴこぴこと揺れる。

 苦戦して協力体制をとったと思っているのだろう。

 ……見つけてないフリを続けるのは、一人じゃ苦痛なんだっつの。


 積み上がった木箱の陰から覗くウサ耳。

 物陰に身を潜める程度の発想力で、よくプロが名乗れたな。


「じゃあ、俺はこっちを見てくるから、お前はあの木箱の方を頼む」

「えっ!? ぎゃ、逆にしない?」


 そんなエステラの提案をまるっと無視して歩き出そうとしたら……ウサ耳が移動を開始した。

 ……なるほど。

 リベカは相手の足音がはっきりと聞こえる。だから、鬼が近付いてきたら移動して、隠れる場所を変えられるのだ。

 本気でやったら、結構手強い相手なのかもしれない…………もう少し知能が高ければ、な。


「くそぉ、いないなぁ!」


 リベカが移動したのを確認してから、エステラが木箱の陰を覗き込む。

 現在、ウサ耳はエステラがいる場所から少し離れた樽の陰で揺れている。……だから、隠せよ、耳!


「エステラ。ちょっといいか」


 これ以上、こんなくだらないことで時間を浪費したくはない。(俺が早々に見つかったから言っているわけでは、決してない)

 リベカがへそを曲げずに済みそうな手段でかくれんぼを終わらせる。


 エステラを呼び寄せ、なるべく声を潜めて耳打ちをする。

 ……しっかり聞いておけよ、リベカ。


「教会で開かれるパーティーにリベカを招待しに来たってこと、今はまだ内緒だぞ」

「それは本当なのじゃ!?」


 大樽の向こうから、黒髭もビックリな勢いでリベカが飛び出してくる。


「はい、リベカ見っけ」


 飛び出してきたところを指さしてそう告げる。


「む、むぅ! ズルいのじゃ! ズルなのじゃ!」

「これくらいズルい手を使わないと、終わりそうもなかったんでな」

「むぅっ! 悪い男なのじゃ、我が騎士は! なので、反則負けじゃ!」


 ほい。これで勝敗がついた。

 さっさと負けてやるのが、手っ取り早く終わらせる最良の手段だ。

 ただし、手抜きは逆鱗に触れる可能性が高いので『リベカルール』で負けを宣告されるのがベターだ。


 それから、興味が次へと移るようにしておけば、「もう一回戦じゃ!」を防げる。


「それで、さっきの話は本当なのじゃろうかの? 嘘だったら承知しないのじゃ! 四十二区にだけ味噌を売るのをやめるのじゃ!」


 う~っわ、怖っ。

 感情で恐ろしいほどの強権を振るうつもりだぞ、こいつ。


「あら~、バレちゃったかぁ」


 わざとらし過ぎるエステラの言葉に、リベカは「むふふん」と誇らしげに胸を張る。


「ワシに隠し事は出来んのじゃ!」


 お前の姉は、そういう時に空気を読むくらいのデリカシーを持っていたぞ。見習え、ちびっ子。


「それで! ワシが招待されとるんじゃな!?」

「リベカさんと、あとバーサさんも」

「そうかそうか! しょうがないからバーサも連れて行ってやるのじゃ! して、いつじゃ!? 今からか!?」

「いえ……日程は……」


 リベカの勢いに押されて、エステラが俺に助けを求めてくる。

 こいつも最近、気軽に俺を頼るようになってきやがったな……視線を向ければ答えがもらえると思うなよ…………まぁ、今は助けてやるけども。


「実はな、そのパーティーを開催するには少しだけ準備が必要なんだ」

「なんじゃ? 何をするのじゃ? ワシも協力してやるから早く準備を済ませるのじゃ!」


 姉恋しさからか、リベカの眉毛がもどかしそうに歪む。

 本当に会いたかったんだな……


「そうか、協力してくれるなら助かる。実は、頼みたいことがあってここに来たんだ」

「なんじゃ? 金か? 権力か?」


 ……怖い発言をあどけない顔と声で…………このまま育つと問題有りまくりだな、こいつは。


「麹工場は情報紙のスポンサーだったよな?」

「うむ。結構な額を融資しておるから、多少のことなら便宜を図ってくれるはずなのじゃ」


 やっぱ金とコネって力を持ってるんだな。

 

「情報紙の紙面を使って、とある貴族の家で働いてくれる給仕の募集をかけたいんだ」

「なんじゃ、そんなことなら容易いのじゃ」

「ただし条件がある」

「条件?」

「ちょっと普通じゃない、面白い感じの――獣人族限定で、だ」


 そう。

 こいつはマーゥルに頼まれていたことだ。

 マーゥルは以前、変わった人間がいたら紹介してほしいと言っていた。給仕を雇いたいが、判で押したようなステレオタイプの若者ではつまらないと。


 マーゥルは他の貴族とは違い、古い習慣やしきたりを嫌う、新しい物好きの変わり者だ。

 だが、それでも当然のこととすり込まれていた古い固定概念は捨て切れていなかった。

 すなわち、貴族の館で働く者は人間であるべし――だ。

 マーゥルの館の給仕候補生はみんな人間だった。

 もしかしたら、応募する側も「貴族の家で働くのは人間のみ」という固定概念にとらわれているのかもしれない。


 故に、そこに疑問を抱く者はいない。


 しかし、マーゥルなら。

 あの、変わり者の貴族なら、そんな古くさい固定概念を根本から覆してくれるに違いない。

 はちゃめちゃな四十二区を愛し、自ら何度も足を運ぶほどの変わり者。


 ギルベルタに対しても、特に何か思うところはなかったようだったしな。

 ……もしかしたら、ギルベルタは他の貴族たちからは疎まれているのかもしれない。

 触覚の小ささも、そういう面では有利に働いているのかもしれない。……まぁ、憶測でしかないが。


 ルシアは獣人族が大好きなのだ。

 だが、それを他の貴族に理解し受け入れろというのは難しい。

 必要があれば、『隠す』ことだってあるのだろう。あの小さな触角を。


 それでも、ギルベルタを信頼し、そばに起き続けているルシアは、やはり相当な変わり者だ。

 そのルシアの治める三十五区でさえ、獣人族への差別による溝が長年深く刻み込まれていた。解決の兆しを見せたのはごく最近だ。


 だからまだ、浸透していない。

 獣人族を給仕として採用するという発想は。


 だが、マーゥルなら。

 きっと理解してくれる。いや、面白がって飛びついてくる!


 そして、マーゥルが獣人族を館に招き入れたとなれば…………ドニスが釣れる!

 少なくとも、話くらいは聞いてくれるはずだ。

 なにせ、『マーゥルとお揃い』なのだから!


 絶対に見つけてやる。

 最高で最良の人材を!


 仕事を欲している獣人族は少なくない人数いるはずだ。

 ウェンディの両親なんかを見ても、職にあぶれている連中はどの区にもいることは明白だ。いまだ獣人族と人間を分けて考えているような区ならばなおさらな。

 好条件の求人に人が殺到することだろう。


 もっとも、マーゥルに会わせる前に、こっちである程度の選抜はする必要があるだろうけどな。

 いきなり丸投げになんかして、万が一のことがあったら大変だ。責任が取れないような事態だけは避けなければいけない。

 少なからず、俺が見て「こいつは大丈夫だ」と信頼出来る人材でなければマーゥルに会わせるわけにはいかない。


 誰かの願いを叶える時ってのは、相手の想像を二歩ほど超えてやるのが効果的だ。

 そうすることで想像以上の好印象を与え、盛大に恩を着せることが出来る。


 帽子が欲しいと言ったヤツに、帽子に合うカバンや靴をセットでプレゼントするとか、相手の希望で旅行に行った場合は事前に下調べして美味い店に連れて行ってやるとか、そういうプラスワンが相手の心に深く刻み込まれるのだ。


 人は想像する生き物だ。

 だからこそ、その想像を超えていかなければいけない。

『想像どおり』では、人は満足をしないのだ。


 だから、山と殺到するであろう連中をふるいにかける必要がある……と、思ったのだが。


「獣人族というのは、なんじゃ?」


 リベカが小首を傾げる。

 バーサが上目遣いで見つめてくる。……潰れろ、その目。


 こちらでは亜人という言葉が主流で、獣人族という呼び名は一切広まっていない。

 ということは、情報紙に『獣人族限定』と書いても、獣人族は集まってくれない……ってわけか。


 しまったな。…………『亜人』って言葉を使うか?

 しかし、ウェンディあたりまで範囲を広げると『亜種』だの『亜系統』だのって言葉まで使わなければいけなくなる。


 さすがの初恋妄想タイフーンのドニスといえど、『亜系統』を館に……って言われると難色を示しそうだ。ただ単に、言葉の持っている響きだけで。

「『亜人』ならともかく、『亜系統』となるとちょっと……」……ってな。

 まぁ、リベカは亜系統ではなく亜人に分類されるだろうが、問題の本質はそこではない。


「もしやるなら、まずは獣人族って言葉を広めなければいけないかもしれないね」


 エステラの指摘ももっともだが、そんなに時間をかけてはいられない。

 どうする?

 情報紙は諦めるか?

 かといって、今から獣人族を探し歩くってのもな……教会にいる面々なら面接くらいは出来るかもしれんが……そもそも、そいつらが給仕として他区の貴族の館に行きたいと思うだろうか? 固く閉ざされた教会に留まっている連中が。

 あいつらの傷ってのは、体だけのものではないと思うしな……


「リベカ様。旦那様……もとい、ヤシロさんを記者さんに会わせてみてはいかがですか?」

「ちょっと待て、バーサ。なんだその悪意のある言い間違いは」

「ヤシロ。話の腰を折らないで」

「折ってねぇわ! いや、むしろ進んで折らせろよ!」

「それよりも」


 エステラが、俺の人生における最大級の障害を放置したまま話を再開させる。


「その記者というのは?」

「うむ。記者というか、絵師なのじゃがな。バーサは年寄りじゃから、情報紙に関わる者をみんな『記者』と呼ぶのじゃ」


 あぁ、分かる分かる。

 女将さんも、アニメもラノベもみんな『マンガ』と呼んでいたし、ゲームはどんなものでも『ファミコン』だったっけな。


「ちょうど、今来ておるのじゃ」

「えっ!? 今、この中にいるんですか?」

「うむ。最新号の見本を持ってきてくれたのじゃ」

「……で、放置していていいんですか?」

「我が騎士とエステラちゃんの足音が聞こえたからのぅ。これは、プロの腕を見せねばと大急ぎで出迎えに来たのじゃ」


 うん。本当にビックリするくらいばっちりのタイミングで出てきたよな、お前。

 しかも、顔を見るやじゃんけんを挑んできやがって。

 俺は対応出来たが、虚を突かれたエステラは慌てふためいて『パー』を出していた。

 最初は『グー』だったもんで、「何か違う手に変えないと負けてしまう」というしょーもない思い込みの結果、『パー』になったのだろう。『チョキ』はちょっとだけ難易度高いからな、咄嗟の時はな。で、見事に鬼になったわけだ。


「つか……やっぱり室(むろ)に入ってない時は門の外の音まで聞こえてるんだな」

「そうみたいだね」

「むふふ。もう一回くらい訪ねてきそうな気がしていたから、注意を払っておったのじゃ」


 エステラの腹に背中を預け、エステラの両腕を取って自身の首へと巻き付ける。

 エステラが後ろから抱きしめるような格好になり、リベカは嬉しそうに「にへへ」と笑う。

 親戚のガキがこのポーズ好きだったなぁ……

 ベタ甘えのポーズだ。

 背中をエステラの腹に、後頭部をエステラの胸に押し当ててぐりぐりしている。


「なぁ、リベカ。硬く……?」

「それ以上言うと、刺すよ」


 エステラがアゴで懐を指す。

 あそこにはナイフが入ってるんだよなぁ。


「それでは、記者さんを呼んでまいります」


 バーサが静かに頭を下げ、俺にウィンクを飛ばし、俺が逃げ出す伊勢エビのような凄まじい勢いで後方へ飛び退いた後、バーサの口から静かな舌打ちが聞こえた。……恐ろしい魔物だ。魂を食おうとしてやがる。


 バーサがいなくなったのを確認してから、エステラが意地の悪い声音で言ってくる。


「バーサさんを口説き落とすんじゃなかったのかい?」

「それは、情報紙のスポンサーとしての権力を使わせてもらおうと思ったからだ。金の絡む話はバーサが取り仕切っていると思ってたしな」


 実際は、リベカの一声であっさりと関係者にたどり着くことが出来た。

 ならば、バーサなんぞに関わる必要はない。必要最小限の接触にとどめるべきだ。


「まぁ、確かにのぅ」


 エステラにひっつくミノムシのように、ぷらぷらと体を揺すりながらリベカが言う。


「ワシは麹職人の仕事以外はさっぱりじゃからの。バーサが引退してしまうと、この工場は危ないかもしれんのじゃ」

「実権はバーサさんが握っていると?」

「実権は……一応ワシ、らしいのじゃが……ワシには向いておらんのじゃ。自覚もしておるのじゃ」


 まぁ、経営的戦略を考えたり、ばりばり営業したりってのはリベカのイメージではないよな。

 こいつは、自分の特技を生かした一つのことに特化しているだけの、ただの少女だ。見た目は幼女だ。フィルマンは確実にロリコンだ。うん。変態だな、次期領主は。


「一つ聞きたいんだが」


 ある確証が得たくて、リベカに質問を投げかける。

 一つと言いながら、二つ聞くつもりではいるのだが……まぁ、細かいことは気にするな。


「現在の麹工場は、事実上リベカが責任者なんだな?」

「うむ。そうなのじゃ。まぁ、後継者じゃしのぅ」

「その口ぶり……もしかしてだが、もっと相応しい者が現れたら、その座を譲ってもいいと思っているのか?」


 一瞬リベカが黙る。

 口にするかどうかを悩んだ挙げ句、リベカは無言で頷いた。


 あぁ、質問がもう一つ増えちまったな。


「そうなった時、そのお前の決定を、工場の連中は受け入れてくれると思うか?」

「それは大丈夫なのじゃ」


 その回答は自信たっぷりに。

 とても寂しそうに。


「……みんな、ワシには荷が重いとは、思っておるのじゃ。技術では、誰にも負けんのじゃがの」


 最後にちょっとした強がりを追加して、リベカは無理矢理に笑みを作る。

 エステラの腕を掴む小さな手に、ぎゅっと力がこもる。


「誰か、力を貸してくれるヤツはいないのか?」


 と、分かりきっている問いを投げかける。

 そんなヤツがいるなら、とっくに力を貸しているに決まっている。


「みんな、ホワイトヘッド以外の者がトップに立つのを嫌がっておるのじゃ。重責とかそういうのもあるんじゃが……ブランドとしての」


 ホワイトヘッドがまとめ上げる麹工場。

 そのネームバリューが、ここの商品の価値を保つ大きな要因になっているのだ。


 内容はまったく同じでも、馴染みのある名前がなくなり、トップが変わってしまった途端に失速するなんてことはよくあることだ。


 店の名を変更したら客が離れた。なんてことはよくある。

 メーカーの名前や宣伝として使っていたキャラクターの変更でも、同様のことは起こる。

 バンドのボーカルが変わったら人気が落ちたなんてのはあり過ぎる事例だ。

 ボーカルが一緒でも、リーダーが変わった、メンバーが脱退した、メンバーの一部が別のバンドを結成した――そんなことでも、人気は落ちるのだ。

 とある人気アイドルの人気ナンバーワンメンバーが、脱退した瞬間人気を失う、なんてこともな。


 馴染みというのは、それほどまでに強固な武器なのだ。

 手放すのには、相当の勇気が必要になる。


『ホワイトヘッドの仕切る麹工場』

 それを覆すことは、まず出来ないだろう。


「先代や先々代はどうだ?」


 これも意地の悪い質問だ。

 どうにも出来ないから、ヤツらは今ここにいないのだ。

 そして、俺の思ったとおりに、リベカは首を振る。


「パパとじぃじ……こほん。先代と先々代も職人肌じゃったからの。経営ではとんと役に立たんのじゃ」


 つまり、随分と長い間バーサに経営を任せっきりだったというわけだ。


「まぁ、それもしょうがないよな。ホワイトヘッドの一族には、少しでも長く室にこもっていい麹を作ってほしいって期待が掛かっているしな」

「うむ。『経営なんぞ他の者に任せて麹を作るべし』……と、ワシも子供の頃から言われておるのじゃ」


 今も子供だけどな。


「じゃあ、アレだな。『ホワイトヘッドの一族で、室での作業に向かない、頼れる身内』でもいてくれれば、適任ってわけだ」


 リベカの耳がぴくりと動く。

 そして、小さな顔の中で大きな瞳がきらきらと輝き出す。


「……それは、もしや」


 こいつは、そんな打算や計算なんぞせずに、ただ会いたい一心で通っていたのだろうな、教会に。


「帰ってきてくれると、みんな幸せになれるな。お前の姉ちゃんが」

「――っ!?」


 ぱぁあっと、リベカの顔が輝きを発する。

 俺の言った未来予想図を想像し、その光景に身悶えする。

 興奮が波のように押し寄せてくるのか、何度も何度も足をばたつかせ地面を踏みしめる。


「いっ、いいのじゃ! それは最高なのじゃ! そうなったら、ワシは……ワシは…………っ!」


 ――と、何かを言いかけたリベカの顔が、一瞬で真っ赤に染まる。

 な~にを想像したんだ、このませガキ。


「……か、通いでも、室での仕事は……出来なくもない…………のじゃ」


 フィルマン、喜べ!

 専業主婦にさえこだわらなければ、リベカがお前の家に行ってくれるかもしれないぞー!

 と、叫びたいのをぐっと我慢する。


「あぁ、そうそう。リベカさん」


 照れるリベカが可愛くて堪らなかったのか、エステラが長い耳にそっと耳打ちする。


「……もしかしたら、リベカさんの思い人も来るかもしれないよ。例のパーティーに」

「ふにょっ!?」


 リベカの耳がぶわっと毛羽立つ。

 エステラから飛び退き、向き直り、離れてしまった距離を一瞬のうちにゼロにして詰め寄る。


「みっ、みみみみ、見つけたのじゃ? ワ、ワシだって、まだ一度も顔を見たこともない相手じゃというのに、エステラちゃんは、そ、そのお人を見つけてしまったのじゃ!?」

「うん。たぶん、間違いないと思うよ――君の、囁き王子に」

「さっ…………囁き王子…………いい、ネーミングなのじゃ」


 ぽふぅ~……と、頬を桃色に染め、リベカがあらぬ方向へ視線を向かわせる。

 どんな爽やか青年が映し出されているんだろうな、リベカの妄想脳内スクリーンには。


 だが、「顔も見たことがない」っていうのなら、その囁き王子はフィルマンで間違いないだろう。

 ……空が暗くなってきた。

 時間的に、フィルマンを説得するのは手紙になりそうだな。

 ドニスへの招待状も後日へ回すか。


 とにかく、ナタリアを迎えに行きがてら、沈み込んでいるフィルマンを頃合いのところまで浮上させておく必要がある。浮上し過ぎて、俺たちのいないウチに勝手なことをされると堪ったもんじゃないからな、加減が難しいぜ。


 さて、いろいろやるべきことがあるが、二十四区にはそうそう何度も通えない。

 やるべきことはやり遂げておかないと。


「リベカ、そのパーティーなんだがな、『宴』にするつもりなんだ」

「うたげ? ……何が違うのじゃ?」


 エステラに飛びかかりそうだったリベカの注意をこちらへ向けさせる。

 頼みたいことがあるのだ。というか、入手すべき物があるのだ。


「まぁ、名称はこっちの都合だ」


『フィルマンの悩みが解決したら一緒に宴を開こう』と、ドニスに言われていたからな。

 フィルマンの悩み解決と、ドニスの悩み解決。そいつを祝した宴を催すのだ。


「その宴を成功させるために、譲ってほしいものがあるんだ。それも結構な量を」

「なんじゃ? ささや……お姉ちゃんに会えるかもしれん宴じゃ! なんであろうと協力は惜しまんのじゃ! 言うてみるがよいのじゃ!」


 ……こいつ、家族より男を優先しやがったな…………不良娘め。

 まぁ、リベカにとっては会いたい人二人に会える宴となるんだ。お言葉に甘えて協力してもらおうじゃないか。


「麹だ。麹を譲ってくれ」

「こうじ……で、よいのじゃ? それならたくさんあるから問題ないのじゃが……?」


 何を言われると思ったのかは知らんが、リベカは拍子抜けしたような表情をしている。

 んじゃあ、宿題も与えておくか。


「エステラ、レシピを書くから紙とペンを貸してくれ」

「レシピ? なんのさ?」

「宴に必要な物を、こっちでも作っておいてもらう。四十二区から持ってくるのは大変だからな」

「なるほど…………けど、何を?」

「まぁ、いいからいいから」


 空が暗くなっていく。

 時間がないので要点だけを分かりやすく書き込んでいく。

 味見をしている時間があるだろうか…………


「お待たせいたしました」


 そこへ、バーサが戻ってくる。

 そうそう。情報紙の記者……絵師だっけか。

 こいつとは名刺交換程度しか出来そうもないな。

 詳しい事情は後日聞いてもらうとしよう。


 こっちはこっちで、獣人族って名称をどう広げるかってのと、その上でいい人材をどう上手く集めるかを考えなきゃいけない……か、ら? …………ん?


「…………あっ!」


 驚きの声を上げたのは、情報紙の絵師の方だった。

 絵師は俺とエステラの顔を交互に指さして、聞き覚えのあるけったいな敬語でこう言った。


「あんたたちは、ソラマメ畑で会ったお客さんだよなですか!?」

「モコカ!?」


 そう。

 エステラが思わず漏らしたその名の通り、そこにいたのはアブラムシ人族の娘、モコカだった。






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