207話 見える景色

「あぁ……どうしようかなぁ」


 俺は地面にしゃがみ込み、盛大にため息を吐いた。

「よし! 大宴会を開こう!」――と、大々的に宣言してから、五分ほど後のことだ。


「リベカさんは、麹工場を継いでくれるお婿さんが欲しいんだよね」

「あぁ……そして、ドニスは獣人族を領主の関係者に入れるつもりは毛頭ない……いや、毛根がない」

「言い直さなくていいところを訂正して言い間違えないでくれるかな? ショックなのは分かるけどさ……」


 リベカとフィルマンが両思いだと分かってテンションが上がったものの、それならそれで別の――当初から横たわっていた問題が鎌首をもたげることになったわけだ。


「フィルマンが家を出れば、どっちの要望も叶うんだけどなぁ……」

「そうすると、ミスター・ドナーティ最大の要望が叶わなくなるんだよ」


 フィルマンが麹工場へ婿入りすれば、リベカもにっこりだし、ドニスも領主の館に獣人族を入れずに済む。

 ただし、「フィルマンを次期領主に」という大元の願いは棄却されることになる。


「大体、あれもこれも全部を思い通りにしたいなんて虫のいい話が通る訳がないんだよ。世の中舐めんなって話だよ!」

「だとするなら、ミスター・ドナーティはフィルマン君を次期領主にすることを最優先とするだろうね。たとえ強引に二人の仲を引き裂くことになったとしても」

「…………あいつの一本毛を抜いてやったら、ショックで他のこととかどうでもよくなったりしないかな?」

「おそらく……戦争が起こるだろうね。そして後世に語り継がれるのさ。『一本毛戦争』としてね」


 そんなくだらない理由で命を落とす者が出てはシャレにならないか……くそ。


「ヤシロ。これは君が自ら選んだ道だよ」


 にまにまとした笑みを浮かべて、エステラが俺の肩に両手を載せる。

 もちろん、片肩に片手ずつだ。


 俺の真っ正面にエステラの顔がある。……チューすんぞ、このやろう。いや、しないけど。


「フィルマン君が伏せった後、どうにかこうにかミスター・ドナーティを言いくるめるという手段も取れたはずなんだ。にもかかわらず、君は持ち前のお人好しを発揮してフィルマン君の心の傷を癒やすために行動を開始した――それが、さらなる厄介ごとを引き起こすきっかけになってしまう可能性も理解した上でね」

「そんな可能性、微塵も考えてなかったよ」

「まさか。そんなわけないだろう、君ほどの男が。四十二区随一の策士と名高いオオバヤシロが、後先考えずに行動なんか起こすわけがないよ」

「……褒めていないってことだけはよぉ~っく伝わってくるよ、こんちきしょう」


 エステラの手を振り払い、体ごと横を向ける。

「ぷん!」だ。

 ……大体、何が「持ち前のお人好し」だ。そんなもん、持ち合わせてるかっつの!

 もし俺の中にそんな忌々しい成分が1ミクロンでも含まれているのだとすれば、それは――


「全部ジネットの責任だな。あいつに伝染(うつ)されたんだ、きっと」

「それはどうかな? ボクの目には、五十歩百歩という風に映っていたけれどね」

「そりゃ、お前の目は、真っ平らが『微かながらも膨らんで見える』程度に節穴だからな」

「膨らんでるよ!」


 うん。

 やっぱり怒るのは「節穴」についてではなく、そっちについてなんだな。


「とにかく。もう観念して、全部を丸く収める努力を始めるべきだね。きっとそっちの方が『君の利益になる』と思うよ」

「……思うだけならなんとでもほざけるよな」

「夢を語ることを、精霊神様は断罪したりしないからね」


 どんなに嘘くさくても、嘘でなければ裁けない。

 まったく、欠陥だらけだな『精霊の審判』ってのは。


「この真っ平ら!」

「真っ平らではないよ!」

「『精霊の……』っ!」

「張っ倒すよっ!?」

「あ、あの……お二人とも。ケンカはよくないですよ」


 ソフィーがおろおろとした顔で俺たちの間に割って入ってくる。


 あ、そうそう。俺たちはまだ教会にいる。

 ソフィーが来客を追っ払って戻ってきている。

 ……やっぱり追っ払うんだな。


 バーバラはというと、木彫りの置物みたいな風貌で庭にあるウッドチェアに腰掛けている。 ……サルの干物みたいだな。


「別にケンカをしていたわけではないぞ。干もn……バーバラに聞いてくれても構わない」

「何と言い間違えたんだい、今!?」

「俺はただ、嘘はいけないと、エステラに教育を施そうとしていただけだ」

「ヤシロ、この次ふざけたことを口走ったら、手が出るからね?」


 こいつはどうして、こうもすぐ腕力に訴えようとするのか。

「よよよ……」と泣き崩れて、哀愁で訴えるくらいのか弱さをもう少し持ち合わせてもらいたいもんだな。


「というか、こっちの内緒話は全部聞こえてんだろ?」


 ここから何十メートルも離れた足音すら聞き分けられる聴覚を持っているのだ。

 どんな内緒話も筒抜けに違いない。


「いえ。盗み聞きはよくありませんので、内緒話をされている方には耳を向けないようにしています」

「耳を向ける?」

「こんな感じです」


 言いながら、ソフィーは俺に耳を向けた。

 真っ白な耳の中に、薄いピンクの肌が見えてなんとも可愛らしい色合いになっている。


「そして、こうすると……ほとんど聞こえないんです」


 次いで、ふいっと耳を背けた。

 耳の背がこちらに向く。


「おっぱい突かせろや、ねーちゃん」


 試しにぼそっと呟いてみるが、俺の脇腹を殴ってきたのはエステラだけで、ソフィーはなんの反応も示さなかった。


「……げほっ…………本当に、聞こえて……ない……んだな……」

「ぅひゃあ!? な、なぜ急にボディーブローを!? 何か言ったんですか、ヤシロさん!?」


 ソフィーの顔はずっとこちらを向いていた。背けられたのは耳だけで、視覚からの情報はばっちり脳へと伝達されたようだ。

 聴覚からの情報はシャットアウトされていたみたいだが。


「耳が向こうに向いていると、まったく聞こえなくなるんですか?」

「いえ。大きな声は聞こえますよ。あと、そばで話されるとさすがに耳に入ります」


 自分の背後で話しかけられる――くらいの感じで聞こえるというわけか。

 それにしたって、随分なカット率だ。


「本当に何も聞きたくない時はこうします」


 そう行って、ソフィーは耳をくるくると丸めた。

 おしぼりを丸めるように。器用にまん丸く。……折れた方の耳は動かないようだが、こっちはもとより聴覚が落ちているので、この状態になると何も聞こえないのだろう。


「おっぱい、そこそこ大きいですねっ!」


 腹の底から大声を張り上げたにもかかわらず、俺のみぞおちにスクリューパンチをめり込ませてきたのはエステラだけだった。

 マジで聞こえていないらしい。


「ぅひゃひゃあ!? こ、今度は何を言ったんですか!?」


 音が聞こえない状態で、急にエステラが凶行に走れば、そりゃ驚くだろう。

 ……しかしなぜだ? なぜ俺が余計なことを口走ったという前提で話をするんだ?

 エステラが単に暴力的なだけだという可能性もあるだろうが………………あ、ベルティーナの手紙に何か書いてあったんだな、きっとそうだ。


「ぼ、暴力はよくないですよ、エステラ様」


 領主であるエステラを尊重しつつも、教会内での暴力は容認出来ないという姿勢を見せる。


「ボクも、極力はそうしたいのですが……他区のシスターに対する狼藉を見過ごすわけにはいきませんので」

「ろ、狼藉……というのは?」

「ヤシロ、自分の口から白状したらどうだい?」

「なんだよ。ただ単に、『Dカップくらいかな』ってことを言っただけじゃねぇか」

「バーバラさん、モーニングスターの使用許可をお願いしますっ!」

「武器はやめろ!」


 エステラのパンチなんか、手加減されてるからそこまで痛くないのだ。ツッコミみたいなもんだ。だが、モーニングスターはシャレにならん!


「『懺悔してください』じゃないのかよ、教会関係者はみんな!?」

「そんな甘い処置で済ませるのは、ベルティーナさんくらいのものですっ! 破廉恥です!」


 そうか、ベルティーナは物凄く寛容だったのか。

 そして、そんなベルティーナに育てられたジネットも。


「ベルティーナとジネットはエロに寛容!」

「そういうことじゃないよ!?」

「バーバラさん、モーニングスター二刀流でっ!」


 く……っ、おっぱいに対する風当たりが強いぜ、二十四区。

 早く、四十二区に帰りたい。


「おっぱいの街・四十二区に帰りたぁーい!」

「風評被害まき散らすの、やめてくれるかな!?」


 エステラに取り押さえられ、ソフィーからは割ときつめの視線で睨みつけられる。

 ……散々な日だ。

 ただ、バーバラだけが、そんな俺たちを穏やかな表情で眺めていた。


「ところでソフィー、――こんな取り押さえられた痴漢みたいな格好で申し訳ないが――お前の家族について教えてくれないか?」

「……『みたい』では、ないのではないですか?」

「いや、痴漢というなら、さりげなく俺の二の腕をぷにぷにして楽しんでいるこっちの領主のことだろう」

「た、楽しんでないよ!? ……別にぷにぷにしてないし!」


 物凄い勢いでエステラが飛び退いて、俺は解放される。

 自由を手に入れたところで、面倒くさいルートに入ってしまった現状を切り抜ける方策を練らなければ……


「言いたくなければ言わなくてもいいんだが……他の家族はどうしたんだ?」


 現在は、リベカが麹職人を継いでいる。

 先ほど聞いたバーバラの話では、先代と先々代――こいつの父親と祖父がいたはずなのだ。

 そいつらは今、どこにいるんだ?


「父と祖父は……」


 ソフィーの表情が曇る。

 ……やはり、幼いリベカが後を継いでいるってことは…………そういうことか。


「……『リベカには敵わないや☆』と、早期引退を」

「働けよ!」

「現在は、二十四区の外れで農業に精を出しております」

「なんだそのプチリタイア!? スローライフを満喫中か!?」


 くっそ。深刻な気持ちになって損した!

 ソフィーが事故で耳を負傷したって話を聞いた後だから、父親と祖父も不幸な事故で他界したのかと思ったのに。


「じゃあ最悪、なんらかの理由でリベカが職務を続行出来なくなっても、麹工場は安泰なわけだな」

「いえ、潰れます」

「呼び戻せよ、先代と先々代を!」

「『普通に生活するにはうるさ過ぎる☆』と、聴力を落とす手術を……」

「ホワイトヘッド一族の聴力って特別なんじゃねぇの!? 誇りとか持っとけよ! あと、いちいち語尾に『☆』をつけるな!」


 なんてこった。

 おのれの娘に責任を丸投げして、さっさと逃げ出しやがったのか。


「ソフィーのご家族の名誉のために一言いいかしら?」


 ウッドチェアに座ったまま、バーバラが口を挟んでくる。


「ホワイトヘッドの一族の聴力はね、麹の研究が完成する以前は『奇病』として扱われていたのよ」

「奇病……ですか?」

「えぇ。耳が良過ぎる病気だと言われていたの。その聴力のせいで、命を縮める者も多かったというわ」


 どういうことだか理解が出来ない――そんな顔で俺を窺い見るエステラ。

 俺に聞くなよ。この街のことはお前の方が詳しいんだからよ。


「例えば、そうね。毎日毎時間毎秒、耳元で轟音が鳴り続けているとしたら、どうかしら?」

「あ……」


 そう言われ、エステラはその異常さを理解したようだ。

 俺も納得した。


 ホワイトヘッドの聴力は常人離れしている。

 だが、そいつは機械ではない。音量調節など出来ないのだ。

 つまり、二十四時間三百六十五日、年中無休で爆音が耳元で鳴っているような状態なのだ。


 ……そんなもん、正気を保っていられる方がおかしい。

 なるほど、『奇病』と呼ばれるわけだ。命だって縮めるだろうよ、そりゃ。


「先代と先々代は、もう体力の限界だったそうよ」

「でも、それじゃあリベカさんは……」

「リベカたちは特別なのよ。聴力を調節する能力を生まれた時から身に付けていたのよ……ね、ソフィー」

「リベカ『たち』ってことは、ソフィーもそうなのか?」


 俺の問いに、ソフィーは小さく頷いた。


「私たちは、生まれながらにその力を持っていました。どうやるのかと言われても、説明は難しいのですが……」

「なら、お前も言われたわけだ――『天才』と」


 ソフィーの耳が微かに垂れる。


 生まれながらに特殊な能力を持っていたソフィー。

 自分の身を守るために進化したのかもしれない。なんにせよ、ホワイトヘッドの一族はその能力を持てはやしたはずだ。一族が代々苦しめられてきた『奇病』を克服した者が現れたのだから。


 ……だが、その後にさらなる天才が誕生する。


 生まれた瞬間から持てはやされていたソフィーは、だからこそ焦りを覚えてしまったのかもしれない。

 負けるわけにはいかないと、無邪気に自分を慕う妹に対抗意識を抱いてしまった――のかも、しれない。


「家族はみんな病でリタイアし、病に打ち勝った唯一の姉は、自分のせいで家を出てしまった――リベカは、その才能のせいで一人ぼっちになっちまったってわけだ」

「リベカは……一人ではありません。バーサがいますし、他のみんなも…………それに、あの娘はそんなに心の弱い娘ではありませんから……」


 ソフィーの心に巣食う病魔が見えた気がした。

 後ろめたさ。

 妹に対抗心を抱いたことに対する、自己嫌悪。


 一時とはいえ、憎んでしまったのかもしれない。


 そんな過去の、自分しか知らない、誰にも知られたくない心の中の負い目が、こいつをリベカから遠ざけている。

 背を向けさせているのだろう。


「あいつ一人に背負わせて、リベカが重責に潰されたらどうするんだよ?」

「大丈夫です。リベカは天才ですから。あの娘さえいれば、麹工場は……」

「バカか、お前は」


 自虐的に苦笑を浮かべるソフィーに、思わずきつい言葉が零れてしまった。

 先代や先々代がリタイアしたいきさつは同情の余地があるとはいえ……、お前くらいはちゃんと分かっておいてやれよ。リベカの置かれた状況を。

 目を逸らすな。


「リベカは、まだ子供なんだぞ」


 どんなに大人ぶってても、どんなに才能があろうとも、あいつはまだ子供なんだ。

 バーサが一時もそばを離れず付き添っているのも、俺たちが顔を出すと嬉しそうにはしゃぎまくるのもみんな、あいつがすげぇ寂しがり屋だって証拠だろうが。


「だから会いに来るんだよ。何度断られても。一目すら会えなくても……大丈夫なわけ、ねぇだろうが」

「でも……リベカは…………」

「そうやってリベカを工場に縛りつけて、自分たちは好き勝手に生きたいって、そう言いたいのか?」

「そんなことはっ!」

「じゃあもし、リベカが泣きながら『もうやめたい』って、姉であるお前を頼ってきたらどうする?」

「そんなこと……あるわけが……」

「これまで同様、無視するのか?」

「――っ、無視だなんてっ!」

「突き放すのか?」

「違います! むしろ、私の方がっ……リベカに会えるような人間では、ないから……」

「偉くて凄くて天才の妹に全部の苦労を押しつけても構わない――?」

「違いますっ! 絶対違いますっ!」

「助けを求められても、会いもしないんだろ?」

「会います! もし、リベカが私を必要としているというのであれば、私はリベカを助けます!」


 あ~、苦労した…………ようやく、本音が聞けた。


「エステラ」

「うん。ばっちり、『会話記録(カンバセーション・レコード)』に記録されたよ」

「あ…………いえ、あの……」


 自分が口にした言葉が、急に恐ろしくなったのか、ソフィーは慌てて弁解を始める。


「でも、リベカが私なんかに助けを求めるなんてこと、あるわけがないですし、それにそのような事態になった時に、私なんかが何か出来るとも……」

「じゃ、リベカがお願いしたら協力は惜しまないってことでいいな」

「それはっ……その…………まぁ、はい」


 ソフィーはリベカを嫌ってはいない。

 それは一目瞭然だ。


 ただ、時間が経ち過ぎたせいで素直になれないだけなのだ。

 この手のタイプには、強引に背中を押してやらなければいけない時がある。それが今だ。


「別にリベカに代わって跡目を継げとか、シスターをやめろとか言ってんじゃねぇんだ。お互いに会いたいくせに意地張って会えなくなってるなんて状況は、もうやめにしようぜって話だよ」

「別に、私は会いたいなんて……」

「リベカは会いたがってるぞ、確実に」

「…………」

「まぁ、お前がリベカを嫌っていて、顔も見たくないと言うんなら無理にとは言わないが……」

「嫌ってなんかいません! むしろ大好きです! …………あっ」


 こいつのように、自分の心に嘘ばかり吐いているヤツには、こうやって強引に力を加えてやるのがいい。そうすれば、面白いように反発して、抑制していた分極端に弾け飛ぶ。


「大好き」なんて、初めて口にしたんじゃないか、こいつ。

 心では思っていたとして、口にしたのは初めてなのだろう。自分の発言に、顔が真っ赤に染まっている。


「ホント……ヤシロって人の弱いところを突くのが上手いよね」

「おいおい。人聞きの悪い言い方だな」

「褒めてるんだよ。絶賛大絶賛中だよ」


 またややこしい言葉を……


「うふふ」――と、サルの干物……もとい、バーバラの干物が笑い出す。あ、干物じゃないのか。


「ベルティーナさんのおっしゃったとおりねぇ。ねぇ、ソフィー」

「…………はい」


 手紙を読んだ二人だけが、何やら言いたげな顔で俺を見る。

 バーバラは楽しそうに。ソフィーは悔しそうに。

 ……何を書いたんだよ、ベルティーナ。


「『ヤシロさんは、目に映る景色を変えてくださいます。それも、瞬きをするくらいのわずかな間に……ですので、次に目を開けた時には驚いてしまうんです。そこには、これまでに見たことがない景色が広がっているのですから』……だ、そうですよ」


 手紙を見せるなと書いてあったようだが、読み聞かせるのはいいらしい。

 ……ま、そこら辺も考慮済みなんだろうけどな、ベルティーナなら。


「ソフィー。私では、あなたの閉じた心を開かせることは出来ませんでした。でも、ヤシロさんなら……」

「私は……」

「一度、身を委ねてみてはどうかしら? 見たことがない景色が、見えるかもしれませんよ」

「…………」


 ソフィーの目が、俺を見つめる。

 少し疑うような、恐れるような、不安が色濃く表れた瞳。


 それが一度、長い時間閉じられ…………再び開かれた後でゆっくりと首が縦に動く。


「バーバラさんと、ベルティーナさんが、そうおっしゃるのであれば」


 不承不承……そんなニュアンスを多分に含んだ了承の言葉であったが。


「耳は嬉しそうだな」

「なっ!?」


 ソフィーの耳はぴょこぴょこと嬉しそうに揺れていた。


「こ、これは、別にっ!」


 慌てて両耳を押さえつけるソフィー。

 だが、そんなもんがなんの誤魔化しにもならないことは分かっているのだろう。

 顔が真っ赤に染まっている。白い毛に覆われた耳も真っ赤っかだ。


「それでヤシロ。これからどうするつもりだい? 根本的な部分は解決してないようだけれど?」


 リベカとフィルマンの交際には障害が多い。

 麹工場の跡取り問題と、領主の館に獣人族を入れたくないというドニスの固定概念。


 スッ――と、息を吸い、深い深い思考の中へと意識を落とし込んでいく。

 思い出すんだ、これまで見て、聞いてきた情報を……

 誰が何を好きで……

 何が苦手で……

 何に弱く……

 どこを攻めれば突き崩せるか……


 いろんなしがらみが折り重なってごっちゃごちゃに積み上がっちまっている今回の面倒は、正攻法で片付けるには時間が掛かり過ぎる。

 やるのであれば、一気に、徹底的に、だ。


 ベルティーナにも言われた『俺らしい』やり方で。


 どこかにあるはずなんだ……たった一ヶ所……そこさえ崩せればすべてが崩壊するっていう『急所』が。

 そこを嗅ぎ取り、見つけ出し、的確に突き崩す――それが、一流の詐欺師だ。



 微かに輪郭が見える。

 何かを忘れている気がする……そいつを思い出せれば…………



「おにーちゃーん!」


 突如、教会から獣人族のガキどもがなだれ出てくる。

 手にはタオルやタライや毛布を持っている。


「何やってんだ?」

「「「看病ごっこー!」」」


 スタミナ切れを起こしてぶっ倒れたミケルの看病をするのだろう。

 ごっこじゃなくて、ちゃんと看病してやれよ……

 というか、中に一人、シスターの格好をした女の子が混じっている。ソフィーかバーバラの服なのだろう、ぶかぶかで裾を引き摺っている。


「とりあえず、シスターがいるなら手遅れになってもすぐ埋葬出来そうだな」

「手遅れにならないことを祈ろう」


 エステラが、その奇妙な医師団を眺めて笑っている。

 医師団なんていいもんじゃないな、即席給仕チームとでもいうか……なんにしても不格好だ。

 看病される身としては堪ったもんじゃないだろうな。眺めている分には面白いが…………ん?


 奇妙で、不格好で、……眺めている分には面白い…………


「あった!」


 突然の声にエステラが肩を震わせる。

 が、今はそんなことどうでもいい!


 えっと……どうすればいい?

 最も効果的で、即効性があって……俺が今利用出来る権力をフル活用するならば………………リベカ! リベカか! リベカだな!


「エステラ! もう一回麹工場に行くぞ!」

「え!? また!?」


 確か、「この次はかくれんぼ」とかいう約束をエステラがしていたから、こいつはかくれんぼさせておくとして、俺は俺でバーサに協力を頼むか。たぶん、金の出入りはバーサが管理しているだろうしな。


「バーサを口説き落とすぞ!」

「ふぁっ!?」


 ばっか。そういう意味じゃねぇよ。

 今回の企画に乗せるって意味だよ。


「あ、あの、ヤシロさん! バーサを四十二区に連れて帰るのはご勘弁願えませんか? 彼女がいないと麹工場の運営が……」

「誰が連れて帰るか!」


 これ以上四十二区に色物は必要ねぇんだよ!


「バーサは、私にとってもリベカにとっても母のような存在でっ! いろいろ教えてくれた大切な人ですのでっ!」

「だから、連れて行かねぇって!」


 もう飽和状態なの!


「麹を作れない私にも、凄く優しくしてくれてっ! 『麹が作れないなら、別のものを覚えればいい』って言ってくれてっ!」

「別の物?」

「は、はい。お味噌とか、お醤油とか」


 あぁ、それでベルティーナに味噌だの醤油だのを贈っていたわけか。

 ソフィーのお手製だったんだな。


「あと、お豆腐とか」

「豆腐っ!?」


 失われた技術の継承者がここに!?


「豆腐が作れるのか!?」

「は、はい。バーサほど上手ではないですが……」


 バーサはきっと作ってはくれない。

 気安くルールを破っていい立場ではないからな。


「今、作れるか?」

「教会内の畑で作った大豆を使えば、『BU』のルールは、教会には適用されませんので」


 そうか!

 だからここに来てから一度も豆を勧められていないのか!


「よし、ソフィー! 日程は改めて指定するから、豆腐を作ってくれ!」

「お豆腐を、ですか?」

「あぁ! ベルティーナに食わせたい物があるんだ」

「ベルティーナさんに、ですか!」


 微かに、ソフィーのテンションが上がる。


 よしよしよしよし!

 細かいところは、この後調整するとして……


「シスター・バーバラ! 頼みたいことがある!」

「はい。お伺いしましょう」


 あの笑顔は、何を言ってもOKしてくれる。そんな頼もしい笑顔だ。

 なので、遠慮なくわがままを言わせてもらう。


「後日、この教会で宴を開催したい! ベルティーナをはじめとした、四十二区の連中と、麹工場の者たち、そして、領主の館の連中を招いて!」


 俺の宣言を聞いて目を見開いたのはエステラとソフィーで、バーバラはというと、俺の言葉を予想でもしていたのかってくらいに落ち着いた声でこう言った。


「はい。喜んで」


 その言葉を聞いて、俺は思わず拳を握った。

 あとは、この企みを成功させるだけだ。






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