202話 フィルマン君の恋

 ランチが終わり、俺は数十分ほど厨房を借りてから、フィルマンの部屋へと向かった。


「地下牢じゃないのか?」

「いつまでもあのような場所にフィルマン様を閉じ込めてはおけませんので。ドニス様も、その辺りのことは承知されております」


 ドニスに水をかけたフィルマンは、ドニスの一声で地下牢へと入れられることになった。

 慌てて食堂を飛び出していった使用人たちは、ドニスの「地下牢へ閉じ込めておけ」という言葉に了解の意を表した。そのため、『精霊の審判』対策として、一応フィルマンを地下牢へと入れたようだ。物の数秒で釈放したようだが。


 きっと、こういうことは何度もあったのだろう。フィルマンも、おとなしく従ったようだ。

 そして現在、フィルマンは自室に閉じこもっているのだという。


 案内してくれたのは、ドニスお付きの初老執事・ベノム。

 ドニスを尊敬し、ドニスのために働けることを何よりの幸せと考えているような、ちょっとアレな爺さんだった。


「こちらが、フィルマン様の私室でございます」

「おぅ、悪かったな」

「とんでもございません。あなた方は、ドニス様に微笑みを取り戻してくださいました」


 ベノムが言うには、ここ数年間、ドニスはずっと眉間にしわを寄せ、ため息ばかりを吐いていたのだという。

 それはもう、周りの者が心を痛めるくらいに沈痛な面持ちで、「思わずきゅっと抱きしめて頭をなでなでしてあげたくなるくらい」だったそうだ……って、おい。


「あの頭をなでなでして、アノ一本毛を無傷で残す自信があるというのですか……さすが、二十四区の執事…………かなりの手練れですね」

「うん、ナタリア。脅威に思うポイントがすげぇおかしいんだ。気付いてくれな」


 あぁ、もう。

 給仕長とか執事とか、役職が上がるごとに変態度が増していくこの街の制度、なんとかなんねぇのかなぁ。


「ドニス様の微笑みは、私をはじめ全使用人の宝……心より感謝申し上げます、クレアモナ様」

「い、いや……ボクは特に何もしてないから」

「さすがは、『微笑みの領主』様でございます」

「その呼び名はやめてくれるかな!? 今後一切!」


 エステラの異名は、こんな遠く離れた区にまで轟いているのか。

 全区制覇も、もはや時間の問題だろう。


「しかし、オオバ様。そちらは一体……」


 ベノムが俺の作った料理を見つめ眉根を寄せる。


「フィルマンは昼飯を食い損ねただろ? だから、こいつを食わせてやろうと思ってな」

「料理でしたら、当館の料理長に作らせましたものを……それに、先ほども申し上げましたとおり、フィルマン様は一度殻に閉じこもられると、お食事を取ってはくださらないのです」


 そう。

 フィルマンがドニスの発言に怒り自室へと引きこもってしまったことを受け、エステラがドニスに尋ねたのだ。「フィルマン君の食事はどうなるんですか」と。

 その問いに答えたのは執事のベノムで、回答は「フィルマン様は、一度自室にこもられるとお食事を取ってくださいません」ということだった。

 だが、腹は減るらしく、あとでこっそり料理人に軽食を作ってもらったりはしているようだ。


 要するに、意地を張っているのだ。

 まぁ、分からんではない。そういう感情を、かつては俺も抱いたことがあったさ。

 まだまだ未成熟な、クソガキだった時代な。


「なので、いくらへそを曲げていようと食わずにはいられない料理を作ってやったんだよ」


 腹が減っていると気が立つ。

 イライラしているヤツよりかは、美味いものを食ってニコニコしているヤツの方が話は通じやすいからな。


「フィルマン様が食べてくださいますでしょうか?」

「大丈夫だ。なにせこいつは、特別な料理だからな」


 自信を滲ませる俺に、ベノムは半信半疑という表情を見せるが、とりあえずは好きにさせてくれるらしい。

 俺たちを好きにさせることが、後々ドニスの悩みを解消してくれると判断してのことだろう。


「では、あとは皆様にお任せいたします。何かございましたら、お申しつけください」


 深く礼をして、ベノムがその場を辞する。

 残されたのは、俺とエステラとナタリア。

 廊下の端に使用人が控えてはいるが、部屋の前には誰もいない。おそらく、拗ねたフィルマンが部屋への接近を禁じているのだろう。

 俺もガキだった頃、イライラしている時は一人にしてほしいと思ったものだ。


 フィルマンの私室の前を通り両側へと延びる廊下の端に使用人が数名立ち、部屋の入り口を見張っている。

 距離はとってくれるものの、常に監視はされている。見守られているって方が正確なんだろうが、若いフィルマンにはどう映っているか……

 そんな生活じゃ、息を抜くことも難しいだろう。


 抑圧され過ぎると、後々爆発しそうで怖いんだけどなぁ。


「フィルマン。俺だ。入れてくれ」


 ドアをノックしながら、フィルマンに声をかける。

 

 が、……し~ん。


 ………………無視?

 あぁ、そうか。無視か…………


「深夜、門の前。やましい気持ちはないがヤラシイ気持ちはちょっとある思春期の少年との出会いの物語――むか~し、むかし。とある工場の前に一人の少年が……」

「ちょっと待ってくださいっ! それ以上しゃべらないで!」


 突然、目の前のドアが乱暴に開かれ、盛大に慌てたフィルマンが顔を出した。

 俺の腕を掴むなり、強引に部屋へと引き込もうとする。

 だが、力はさほど強くなく、俺でも楽々抗えてしまう。


「ここには無数の目があるんです! ……お願いですから、発言には気を付けてくださいっ」

「分かった。お前が協力的になってくれれば、危ないことは言わないでおいてやる」


 ドアの前で引っ張り合いをしながら、小声で言葉を交わす。

 フィルマンはしきりに、廊下の先にいる使用人に視線をやっている。大丈夫だよ、聞こえちゃいないって。


「とりあえず話がしたい。エステラとナタリアも入れてやってくれ」

「え…………いえ、でも……女性を私室に入れるのは……」

「ウサギさんには黙っておいてやるから」

「わぁーっ! 危ないことは言わないって言ってくれたじゃないですか!?」

「『お前が協力的になってくれれば』な」

「分かりましたよ! 是非お入りください! でも、なるべく何にも触れず、僕にも接触しないように、特に、変な誤解を受けるような真似は絶対しないと誓ってくださいねっ!」


 こいつは……


 マーゥルに妙な操を立てて、使用人を男だらけにしているドニスにそっくりだな。

 育ってきた環境のせいか? 実の息子だって言われても信じるかもしれん。

 発想がまったく同じだ。


「だそうだ、エステラ。部屋に入るなり抱きついたりするなよ? 絶対するなよ?」

「……するわけないだろう?」


 エステラに、物凄く冷たい目で見られてしまった。

 こいつは、フリを理解していないのか?


 いや、まぁ……実際エステラがフィルマンに抱きついたりはしないことは分かってるけどな。性格的に。


「エステラ様。だからといって、ヤシロ様にも抱きついてはいけませんからね? 絶対、抱きついてはいけませんからね?」

「なっ!? す、するわけないだろう! そういう『フリ』みたいなの止めてよね! し、しないからね、絶対!」


 ナタリアを睨んだ後、なぜか俺まで睨んでくるエステラ。

 ……やめろよ、そうやって温度差出すの。ナタリアが「してやったり」みたいな顔しちゃうだろうが。


「と、とにかく入ってください」


 使用人たちを警戒しつつ、フィルマンが俺たちを招き入れてくれた。

 部屋はとても広く、当然のように綺麗に片付けられている。……一角を除いて。


「……激しいベッドの使い方をしているようだな」

「あっ、あの、これは、その……」


 シーツが乱れ、枕がベッドから遠く離れた床に転がっている。

 イライラを物にぶつけるのはよくないぞ、少年よ。


「私が整えましょうか?」

「いやっ! いいです!」


 俺の作った料理を手に持ったままナタリアが進言するも、フィルマンは全力で拒絶した。

 ベッドを他の女に触らせたくないようだ。

 匂い移りでも気にしているのか。……目当ての女を部屋に呼ぶことも出来ないくせに。


「では、お食事の用意をさせていただきます」


 特に固執することなく、ベッドの乱れをスルーしたナタリアは、手に持ったお盆をテーブルに置き、俺の作った料理の配膳を始める。


「……あの、これは? もしかして、あの給仕の方が?」

「いや、作ったのは俺だ」

「そうですか」


 妙にほっとした表情を浮かべるフィルマン。

 …………はっ!? まさか。


「お前……『初めて食べる女性の手料理は、あの人の物がいいな』とか考えてるのか?」

「な、なぜそのことをっ!?」


 大変、この子重症だ!

 初恋をこじらせ過ぎちゃってる!


「もしかして、好きな娘と同じ名字のお店とか見かけるとドキドキしたりするタイプか?」

「いえ。あの人と同じ名前のお店はこの区にはありませんので……」

「まぁ、『ホワイトヘッド』なんて名前は珍しいからな」

「なっ、なな、なんで何もかもお見通しなんですか!?」

「いや、お前さっき、『ウサギさん』にめっちゃ反応してたじゃねぇか!」


 こいつ、自分がどれだけボロを出しているのか気付いてないのか?


「……もしかして、僕って分かりやすいんでしょうか?」

「まぁ、注意して見てなきゃ、特定されることはないかもしれないけど……逆によかったな、『ホワイトヘッド』って名前の店がなくて。もしあったら、とっくにバレてたと思うぞ」


 店の前を通る度に挙動不審になったり、意味もなく看板を見つめちゃったり、遠回りになってもわざわざ店の前を通ったりしそうだもんな、こいつなら。


「あの、でも……ニック・ベナリという男性がやっているミートパイ専門店の、『ベナリベーカリー』の前を通ると、つい……にやっと……」

「重症! お前、もう末期!」


 なんで、そんな中途半端な部分でにやり出来んの!?

「ベナ『リベーカ』リー」って? 拗らせ過ぎも大概にしろよ!?


「ヤシロ様。配膳が完了いたしました」

「よし。じゃあ、さっさと食え、フィルマン」


 思い出し「にやり」をしているフィルマンをテーブルへと誘導する。

 さっさと食って話を進めたい。


 結局のところ、フィルマンの恋愛に片を付けなければ、ドニスの『亜人』に対する偏見云々も手をつけることは出来ないと判断したのだ。

 ……最悪、フィルマンが玉砕する可能性もあるしな。


 なので、先にこっちに取りかかり、さくっと決着をつけるつもりだ。


「あの……申し訳ないんですが、僕、今は食欲が……それに、こんな見たこともないような料理は…………なんか、凄く赤いですし……」

「こいつは、リベカ・ホワイトヘッドが今朝食べた料理だ」

「本当ですか!?」


 物凄く食いついた。

 首が「ぐぃーん!」ってこっちに向いたな。


 フィルマンが、俺の作った麻婆茄子に釘付けだ。

 見たこともない謎の料理。それを、思い人であるリベカが食べたというので、気になって仕方がないのだろう。


「この料理は、現在リベカ・ホワイトヘッドが新しく作っている豆板醤という調味料を使用して作られたものでな、この街でこれを食ったことがあるのはリベカ・ホワイトヘッドと、その右腕バーサだけだ」


 バーサはいいとして、リベカを呼び捨てにはしないでおく。

 フィルマンなら、呼び捨て一つで妙な勘ぐりを入れるに違いないからだ。


「この街で……リベカさんだけが食べた、料理……」

「それと、バーサもな」

「僕が食べれば……この街で二人だけ……」

「バーサはまだ生きてるぞ。数に入れてやってくれ」

「二人だけが、知っている味……」

「バーサもいるけどな!」

「ヤシロ。無駄だよ、きっと。たぶん彼には聞こえていない」

「それから、ヤシロ様。そのように必死にかばい立てしますと、『あ、やっぱりヤシロ様って、熟女好きなんだ、ふぅ~ん』みたいな視線で見られますよ、主に私から」

「エステラの意見はもっともだな。ナタリアの意見は肥だめにでも投げ捨ててやりたい気分だけれども」


 誰が熟女好きか。

 というか、バーサは『熟』じゃなくて『枯』だろうが。水分ほとんど残ってなかったっつうの。


「あ、あの! いただいてもよろしいですか!?」

「おぅ、食え。初めてだろうから、リベカ・ホワイトヘッド風にしておいてやったぞ」

「リ、リベカさん風……!? あ、あぁ…………ドキドキし過ぎて、よだれが……」


 そのよだれ、美味しそうな物を見たせいで引き起こされた生理現象だよな?

 妄想の中のリベカに対してのよだれじゃないよな?


 ちなみに、リベカ風ってのは、辛さを抑えた甘口ということだ。


「では、いただきますっ!」


 フィルマンが麻婆茄子をスプーンに山盛りすくい取り、豪快に口へと掻き込んでいく。


「んっ!? ……んんっ!」


 口の中に麻婆茄子の味が広がるや、フィルマンの腕が速度を上げる。

 みるみるうちに、皿の中の麻婆茄子がその姿を消していく。


「んふー! んふーふっ!」


 口の中がぱんぱんに詰まっているため、フィルマンは酸素を鼻から取り入れる。物凄く荒い鼻息だ。


「美味しいです! 物凄く美味しいです!」

「こいつはまだ試作段階でな。熟成させればもっと美味くなるぞ」

「この上、まだ美味しくなるのですか!? ……さすがです、リベカさん……」


 うむ。

 こうも綺麗さっぱり発案者たる俺をスルーするとは。

 いや、祭り上げられるのは好きではないのだが、スルーされるのはもっと気にくわない。

 リベカなくしてこの味は実現しない。それは確かだが……


「俺の発案のおかげで、リベカ・ホワイトヘッドはここ最近ずっと上機嫌なんだそうだ」

「凄いです、お兄さん! えっと、お名前は……?」

「ヤシロだ」

「ヤシロさん、凄いです!」


 うんうん。

 これくらい尊敬されると気持ちがいいもんだな。


「……『俺の故郷にある調味料の作り方を教えただけだ』とか、しょっちゅう言ってるくせに……」

「構ってもらえないと寂しがるのですね、ヤシロ様は」


 向こうでしら~っとした顔をしている二人のことは、今は見ないでおく。

 何事も、適度というのが一番いいのだ。


「単刀直入に聞くぞ、フィルマン」

「はい、なんでしょうか?」


 俺に対して尊敬の念を抱き始めたフィルマンは、俺の質問に好意的な対応を見せてくれる。

 よし、これで一気にフィルマンをこちら側に引き入れてしまおう。


「お前が領主の後継者に難色を示しているのは、リベカ・ホワイトヘッドとのことがあるからだな?」

「うっ…………それは」


 一瞬言葉に詰まるフィルマンだが、俺の顔をじっと見つめ、何かを納得したように頷いた。


「ヤシロさんに隠し事をしても無駄ですよね、きっと。……そうです。ヤシロさんのおっしゃるとおりです」


 フィルマンが腹を決めたようだ。

 これまで、誰にも話すことがなかったのであろう本心を、俺たちの前で語り始める。


「僕だって、領主の仕事が尊いものであることは理解しています。そのような地位に就ける自分の身の上を誇らしく思うと同時に、そうなれるように様々な配慮をしてくださっているドニスおじ様には感謝しています……けれど……っ」

「ドニスは獣人族を、偏見の目で見ている」

「じゅう、じんぞく?」

「ボクたちの仲間にはそういう者たちが大勢いるからね。『亜人』だなんて、ボクたちは間違っても呼んだりはしないんだ」


 エステラが補足のように説明する。

 その言葉が琴線に触れたのか、フィルマンの頬に朱が差し、瞳がきらめく。


「素敵な考え方ですね。……羨ましいです、四十二区が。きっと、四十二区なら、種族の違いなど、結婚の障害にはならないのでしょうね」

「そうであると、ボクは信じているよ」


 エステラ自身、まだ結婚を考えていないから断言は出来ないのだろう。

 だが、きっとそんなもんは一顧だにされないに違いない。


「エステラ様のおっしゃるとおりです」


 ナタリアも、エステラに同意する。

 誇らしげに、主の発言の正当性を証明するための言葉を続ける。


「我が領主様の結婚において、障害になるのは胸のなさだけです!」

「余計なこと言わなくていいから!」

「胸がない!」

「余計なところだけを残すな! あと、あるから!」


「小さい」じゃなくて、「ない」って言葉をチョイスするあたりがナタリアだな。


「あ、あのっ! ぼ、僕は、胸の小さい女性を素敵だと思いますよ!」

「フィルマン君、そのフォローはいらないから。それに、『まぁ、なんとなくそうなんだろうな』ってことは分かっているから」


 毒を吐かれまくったエステラが、ついに自らも毒を吐くようになった。

 フィルマンをロリコン認定だ。

 それも仕方ないだろう。なにせフィルマンのストライクゾーンは九歳だもんな。


「そろそろ、話を戻してもいいか?」

「……くっ。ナタリアがいる時はたまにヤシロが『まともな人間側』に立ったりするから……ちょっと悔しい」


 騒ぎまくる『おもしろ人間側』の面々を余裕の顔で眺め、俺は常識人として場の空気を正す。

 ったく。俺がいないといつまでもふざけるからなぁ、こいつらは。


「ドニスは、リベカ・ホワイトヘッドを迎え入れることに反対すると、お前は考えているんだな?」

「……はい。特に嫌っているというわけではないと思うのですが、そもそも、亜……獣人族との結婚というもの自体が一般常識的にあり得ないと思っているようで……古いタイプの人間ですから、ドニスおじ様は」


 時代が変わろうとも、人間の価値観はなかなか変わらない。

 かつては、貴族と獣人族の結婚は忌むべきものだという認識すらあったのだ。ドニスが特別偏屈だというわけでなく、「それが当たり前」という認識なのだろう。


 その価値観を変えるのは難しい。


「ですから僕は、勇気を出して次のステップに踏み出そうかと考えているんです」

「次のステップ……?」

「はい! 僕と、リベ……彼女の恋愛のステップです!」


 ……確か、こいつは今現在『目が合う』を目標にストーカーしているような段階だったと思うんだが。

 その次のステップってなんだよ?

『あいさつする』とかか?


「僕っ、彼女と駆け落ちしようかと思っているんです!」

「ステップ飛ばし過ぎだろう!?」


 もしくは、ものすっっっっっげぇ段差の大きな階段なのかな!? それ階段じゃなくて壁って言うんだぜ、絶壁ってな!


「それで、落ち着いたところで、『あいさつ』をして『手を繋いで』……」

「お前はあいさつもなしに駆け落ちするつもりなのか?」

「それはもはや誘拐ですね」

「うん。一度落ち着いた方がよさそうだね」


 フィルマンの恋愛ステップに賛同する者は皆無なようだ。当然だっつぅの。


「でもヤシロ、どうするのさ?」


 小声で、エステラが話しかけてくる。

 声には、少しの緊張感が込められている。


「リベカさん……教会に気になる人がいるんだよね?」

「まだ、不確定ではあるがな」

「あの感じからして、間違いないと思うけど?」

「思うだけ、だろ?」

「それは、……そうだけど」


 リベカにとって、思い入れの強い人物が教会にいると、バーサは言っていた。

 リベカの反応を見ても、それが気になる異性ではないかと思われる。


 ……が、それはあくまで俺たちの予想でしかない。

 真実は違うかもしれないし、仮にそうであったとしても、フィルマンに入る余地がないとは限らない。


 なにせ、次期領主と目される男だ。

 横入りして掻っ攫うくらいは…………普通なら出来るはずだ。


「ダメならダメで、次の手を考えるまでだ」


 俺たちは、フィルマンに彼女を作るのが目的ではない。

 フィルマンの強烈過ぎる片思いにケリを付けるのが目的だ。

 恋にのぼせて、私生活全体がふわふわしちまっているフィルマンに、地に足をつけろと言ってやるのだ。


「確かに。とりあえず会ってみないことには話が進まないかもしれないね」


 そんなエステラの言葉には、「断られる可能性は高いけど」という思いが滲み出しているように思えた。

 目が合うと、随分と気を遣ったような苦笑を向けてきた。あぁ、やっぱそう思ってんだな。


「フィルマン君は、リベカさんと話をしたことはあるのかな?」


 次期領主候補と、その区の要とも言える麹工場のナンバーワン。面識くらいはあるのかもしれない。

 ――と、思ったのだが、フィルマンは首を横に振った。

 会話をしたことはないらしい。


「お、おしゃべりとかは、結婚してからかと……」

「無言で結婚までこぎ着けるのはたぶん不可能だと思うよ!?」


 これには、さすがのエステラもツッコミを入れずにはいられなかったようだ。

 フィルマン。それはもはや純情ではない。

 ただのヘタレだ。


「でも、何度も見ていますよ!」

「一方的にな」

「リベカさんは気付いてないと思うよ」

「オマケに、行為自体は犯罪者と同じです」


 結婚に向かって前進していると思っているのはフィルマンだけだ。

 エステラの言うとおり、一度会わせないと話になりそうにない。


 ドニスをどうするかは、フィルマンとリベカがどうなるかが見えた後だ。


「それじゃあ、会いに行くか」

「え、いえ、待ってください! 無理ですよ!」


 フィルマンが俺にしがみついて必死な声を上げる。


「こんなに明るいと見つかってしまいますっ!」

「会いに行くんだっつの!」


 どうすりゃいいんだ、この犯罪者。思考が完全にストーカーだ。


「そ、それに!」


 フィルマンが俺の体を這うようにして、耳に顔を近付けてくる。

 えぇい、不必要にべたべたすんな! 女には私物ですら指一本触れさせないくせに!


「……僕が館を出ると、使用人が後をつけてくるんです。今はまだ、リベカさんのことを知られたくはありません…………ドニスおじ様に何を言われるか、……分かりませんから」


 夜中にこっそり抜け出すのは、闇に身を潜めなければいけない理由があるからというわけか。

 こいつが身を隠さなきゃいけない相手は、リベカだけじゃないんだな。


「分かった。なら、俺が連れ出してやるよ」

「……出来るのですか?」

「あぁ。エステラとナタリアが協力してくれたら、な?」


 頼もしい仲間にウィンクを送ると、ものすご~く嫌そうな顔をされた。

 まぁまぁ、そんな顔すんなよ。人助けだって、人助け……ふふ。






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