196話 麹職人は気難しい
「おい、我が騎士よ。わしにそなたの名前を教えるのじゃ。特別に覚えておいてやるのじゃ」
上機嫌で上座へと座り、踏ん反り返って俺を指さす麹職人のリベカ(九歳、見た目は五歳)。
姫、はしたないですよと、これでもかと広げられた膝頭を叩いてやろうかと思ったが、まぁ、いいだろう。こういうお子様は調子に乗せておいた方が都合がいい。
「その美しいお耳に我が名を語るご無礼、お許しください、姫。私の名は、オオバヤシロと申します」
「むはははっ。なんじゃ、そのしゃべり方は? 気持ちが悪いのじゃ、似合わんのじゃ、普通にしゃべるのじゃ、むはっ」
お前の好みに合わせてやろうって大人の配慮を……これだからガキは。
……それとエステラ。俺から距離を取って「うわぁ~……」みたいな表情で全身をさするのをやめろ。鳥肌立ててんじゃねぇよ。
もういいよ。普通で行くよ。
「んじゃあ、こんな口調だが許してくれな?」
「うむ。人の性格は顔に出るのじゃ。そなたにはその方がよぅ似合っておるのじゃ。汚い言葉遣いじゃが特別に許してやるのじゃ」
「へいへい、ありがとよ、マイプリンセス」
「んふふーっ! くすぐったいのじゃ」
首の周りをぽりぽり掻き毟り、ソファの上でごろごろ転げ回るリベカ。
こういう扱いは受けたことがないようで、盛大に浮かれている。
「……本当に、恐ろしい男だよね、ヤシロは」
「まったくです……女性とあらば、老いも若きも地位も人格も関係なく、すぐさま懐に潜り込んでしまう…………私、もし過去に戻る術を発見したら、当時の自分に『無駄なことはやめてすぐさま白旗を揚げろ』と助言しに行きますよ」
向こうでエステラとアッスントがくだらない話をしている。
自分の交渉術の拙さを棚に上げて、俺を非難するんじゃねぇよ。俺がスタンダードで、お前らの努力が足りないんだっつの。
だいたいな、家でも車でも、大きな買い物をするのは子を持つ親で、そういうヤツの弱点は大抵子供なのだ。子供に好かれるのは、大きな商談をモノにするための基本中の基本といってもいい。
営業利益を上げたければ、ガキに好かれろ。
子供好きなんて風に見られれば、第三者の評価も上がり好印象を持たれるという副産物までついてくる。
詐欺師の基本だぜ。
ま、あいつらは詐欺師じゃねぇから知らないんだろうけどな。
「ヤシロ様は、子供好きですからね」
ナタリアが勘違いをしている。
確かに、教会のガキ共やハムっ子たちには妙に懐かれているが、俺が子供好きなんじゃない。あいつらが勝手に俺を好きになっているだけだ。
ガキには理論的な会話が通じないから、詐欺師の天敵とも言われる。
あくまで、交渉相手を罠に嵌めるための小道具扱いだ。
しかしながら、その交渉相手がガキであるなら、こちらもそれに合わせる必要がある。
好きではないが、得意とはしている。
それだけの話だ。
「……性的な意味で」
「それにははっきりNOと言わせてもらうぞ!」
訂正。
ナタリアは勘違いなんかしていない。
あれは、悪意だ。
「おい、我が騎士よ」
リベカが人差し指をくいくいと上に曲げて俺を呼ぶ。
「ワシの隣に座ることを許可してやるのじゃ。ここへ座るのじゃ」
そして、ソファをぽんぽんと叩く。
自分の隣へ座れというジェスチャーだ。
「んにぃ~」っと、ガキがたまに見せる、嬉しくてたまらないというような表情を見せている。
親戚の兄ちゃんが遊びに来た時のガキとか、あぁいう顔をよくしている。
要するに、「オモチャが手に入った」って時の顔だな。
「じゃ、失礼して」
俺の座る場所が変わったことで、席順が変更される。
リベカの隣に俺。
俺の向かいにエステラが座り、リベカの向かいにはアッスントが座っている。
ナタリアは、エステラの後ろに静かに佇んでいる。
そして、気が付くとドアのそばにバーサが立っていた。
リベカの右腕であり、この麹工場全体の運営を取り仕切る凄腕の婆さん。
領主のところの給仕長みたいなもんなのかもしれないな。気配の消し方がそっくりだ。
各々が席に着いてしばらくすると、工場の職員だと思しき女たちが数人、部屋へと入ってくる。そして、俺たちの前に出されていたお茶を、新しい物へと取り替え、速やかに捌けていった。
「まぁ、商談といっても、大筋のところはそこのアッスントと話は済んでおるのじゃ。今回は、豆板醤の味を見てもらうのと、それ以外の面白い話を聞かせてもらうのが本題じゃ。そう固くならずに気楽にしておくのじゃ」
言いながら、くるっと指を回すような合図をバーサに送る。
ぺこりと深いお辞儀をして、バーサが部屋を出ていく。おそらく、豆板醤を取りに行ったのだろう。
「のぅ、我が騎士よ」
俺の太ももにヒジを載せ、リベカが顔を覗き込んでくる。
思春期前のガキだからスキンシップが過度なのだろう。
つか、こいつ。名前を覚えたとかいって、一向に名前で呼ばねぇのな。
「オオバヤシロという名を、わしは以前から知っておったのじゃ。おぬしが、豆板醤を生み出した男じゃな?」
「生み出したわけじゃない。俺の故郷にあった調味料の作り方を教えただけだ」
「生みの親」なんて思われたら、それこそ新しい調味料を生み出せとかいう無茶ぶりをされて、研究なんぞに駆り出されかねない。
俺は、知ってることは教えられるが、知らないものには一切手出し出来ない。ちょっと知識があるだけのただの素人だ。その立ち位置を変えるつもりは一切ない。
「ふむ。謙虚なんじゃな。顔に似合わず」
くつくつと肩を揺すって笑うリベカ。
こういう一言多いところも、実にガキっぽい。
「それで、『それ以外の面白い話』ってのはなんのことだ?」
「豆板醤のような、新しくて画期的でわくわくするような斬新な調味料を教えてほしいのじゃ」
「知らん」
そうそう新しい調味料なんか思いつくか。
豆板醤の活用法なら、いくつか当てがあるんだが。
「なんじゃ~、そうかぁ……ちょっとは期待しておったんじゃがのぅ……」
「お力になれず、申し訳ありません」
残念そうな顔をするリベカに、なぜかアッスントが頭を下げる。
……ってことは、お前が「ヤシロさんなら、もっと他に面白い調味料を知っているかもしれませんよ」とか吹き込んだのか?
「あ、いえ。私は何も申しておりませんよ」
俺の表情を読んだかのように、アッスントがすかさず弁明の言葉を挟んでくる。
「ただ、ヤシロさんにはそれなりに期待を寄せていたもので……残念なお気持ちがよく分かるんです」
……なんだその遠回しな「がっかりした」宣言は。
勝手に期待して、勝手に失望してんじゃねぇっての。
「それでは、わしがおぬしらにクイズを出してやろう。正解出来た者には、特別なプレゼントをくれてやるのじゃ」
唐突なクイズタイム。
これも、実に子供っぽい。ガキの相手をしていると、何度も何度も直面するのだ、この唐突なクイズタイムってヤツは。
「おぬしらもよく口にするであろう、味噌。その味噌はどうやって出来ているんじゃろ~か!?」
語尾に変な節をつけて、リベカからの出題がもたらされる。
クイズというより、単なる知識の問題だな。
真っ先に俺を指名しようとしたリベカだが、俺がさも「知ってるぞ」という顔をしてみせると、その矛先をエステラに向けた。
「ほい、四十二区の領主よ。答えてみるのじゃ」
「え、えっと……」
エステラは、ジネットの作る味噌汁は好きでも、その味噌の作り方までを調べるようなタイプではない。というか、味噌汁の作り方さえ知っているのか怪しい。
こいつは、基本的に四十二区内のことにしか詳しくはないのだ。
エステラは、助けを求めるようにナタリアに視線を向ける。
それを受けて、ナタリアが静かに挙手をして、リベカへと言葉を向ける
「エステラ様に代わって、私がお答えしても構いませんか?」
「うむ。よいじゃろう。許可する」
三十三区に美味い酒どころがある――そんな情報も知っていたナタリアだ。エステラを助けるために他区の情報も集めている可能性は高い。
まして、麹職人に会いに行くと事前に分かっていたのだ。最低限のことくらいは調べてくるだろう。
さほど心配もせず、俺はナタリアの口からもたらされる解答を待った。
俺たちの視線を受けても、ナタリアは一切焦る様子も見せず、余裕を持って口を開く。
「まず、野生の味噌を捕まえます」
「嘘だろっ!?」
まさかの答えに思わず立ち上がる。
野生の味噌!?
じゃあなにか?
お前は、あの茶色くてべたべたした物体に手足が生えて森の中を駆け回っているって言うのか!?
「使う道具は、釣り竿です」
「海!? 海にいるの!?」
「ふふ、ヤシロ様。ご冗談を。海に味噌がいたら、海が味噌汁になってしまうではないですか………………川です」
「川が味噌汁になっちゃうよ!?」
どこまで本気なのか、ナタリアは表情を一切変えずにそんな解答を寄越してくる。
エステラの表情が強張っているところを見るに、信じてはいないようだ、ナタリアの素っ頓狂な話を。
「むふふ。面白い女じゃの」
しかし、リベカは楽しそうな笑みを浮かべている。
くすくすという笑いではないものの、機嫌がよさそうな顔をしている。
「やはり、美人は頭もよいのじゃな」
「えぇ、まぁ、そうですね」
「ナタリア、謙遜して!」
これでもかと胸を張るナタリアに、エステラの素早いツッコミが入る。
しかし、ナタリアを見て『美人』とは……いや、美人なんだろうが、リベカの言い方が少し気になったのだ。
顔を見て『美人』と言ったのではなく、誰かが『美人とはこういうものだ』と定義したものを「情報」として知っている……そんな口調だったから。
こいつも見ているんだろうか、あの情報紙を。
「しかし、ハズレじゃ」
「えっ!?」
いや、「えっ!?」って!?
どう考えてもハズレだろう!?
「ナタリアさん。お味噌とは、大豆と麹を混ぜ合わせ寝かせることで熟成され完成するのですよ」
あまりに見当違いな答えを言ったナタリアに、アッスントが正解を教える。
その瞬間、ナタリアの目つきが変わった。
「……こいつ、なに言ってんの?」みたいな、冷たい目に。
あ、ナタリアのヤツ、分かっててボケたのか。
「…………」
さっきまで、俺の隣でにこにこ上機嫌だったリベカが、急に静かになった。
そう。アッスントが地雷を踏み抜いたせいで。
「あ、あれ? ち、違いましたか?」
「………………いいや。正解じゃが?」
リベカのウサ耳が「ビンッ!」と毛羽立ち、ものすご~く低い声で正解と告げる。
…………アッスント。お前、お約束って知ってるか?
クイズはな、正解を言い当てるのが第一の目的ではあるのだが、それ以上に楽しいのは謎に悩むことなんだぞ。
まだ俺もエステラも答えてないうちから正解を言っちゃうなんて……まして、悩んだ挙句に行き着いた懸命な解答ではなく、あらかじめ知っていた知識をひけらかすような解答の仕方って…………冷めるっての。
そして、アッスント。
これだけは絶対に忘れるな。
子供は、「正解を教えてあげたい」生き物なんだよ。
時には、くっそ簡単な問題でも「答え教えて」と下手に出てやらなければいけない時だってあるんだよ。
ガキには理論や理屈が通用しない。
ガキは、もろに感情の生き物なのだから。
理屈じゃねぇんだよ。
楽しいか楽しくないか。それが重要なんだ。
……ほらみろ。リベカがヘソを曲げたぞ。
「……行商ギルドとの取り引き、やめよっかなぁ……」
こらこら。小声で恐ろしいことを呟いてんじゃねぇよ。
豆板醤が出回ってくれないと、ソラマメの需要も増えないし、二十九区のソラマメも減らないんだっつの。
「い、いえ、あの……何かお気に障ることをしてしまったのでしたらお詫びを……っ」
「別に詫びなどいらぬのじゃ。……そなたは、普通にクイズに答えただけじゃからの」
「い、いえ……っ、あの……あのっ……!」
チラッチラッと、アッスントがこちらに助けを求めるような視線を寄越してくる。
隣で、エステラもはらはらした表情をしている。
……っとにもう。
「その答えじゃ不十分だな。あんな硬い大豆に麹を振りかけて寝かせたところで、味噌になんかなりゃしねぇよ」
いまだ不服そうな顔で、リベカが俺をちらりと見やる。
「見え透いたご機嫌取りを……」みたいな目だな、それは。
曲がったヘソを直すのって、本当に大変なんだからな……貸しだぞ、アッスント。
「味噌作りの一番重要なところを、あいつは分かっていない。知らないヤツが見たら、『えっ、マジで!?』って絶対驚くポイントを言わずして正解とは言えねぇなぁ。な、リベカ?」
「一番、驚くところ、じゃと?」
リベカは麹職人だが、味噌作りを問題にしたということは、少なくとも全行程を知っているのだろう。
この工場では味噌や醤油を作っていると聞いている。もしかしたら、その『ブツ』もあるかもしれない。
工場見学で味噌工場に行くと、大抵見せてもらえる最初のビックリポイント。
そいつを問題にして機嫌を直してもらおう。
「なら、代わりに俺が問題を出してやろう。味噌作りの第一工程は、大豆を洗うことにある。たっぷりの水を使って大豆の汚れをしっかりと取り除くんだが……この際、底に沈まず浮かんでしまった大豆はどうすると思う? エステラ」
「えっ、ボク?」
問題の途中でエステラを指名すると、エステラは慌てた様子で腕を組み、ぱっと思いついた答えを口にする。
「し、沈める!」
「混ぜんじゃねぇよ」
その他大勢と同じ扱いをするならわざわざ聞かねぇっての。
「ん? んん? なんじゃ、そんなことも知らんのか?」
「はぅ…………すみません、勉強不足で」
邪気のないリベカの言葉に、エステラが身を縮める。……が、知らなくてもいい事柄だ、そんなに気にするな。
だが、エステラのその様子に、リベカの機嫌が微かに上向く。
「浮いた豆はどうするんだ、リベカ?」
「捨てるのじゃ」
「え? もったいない」
「むふふ……味噌はデリケートじゃからな。材料を厳選する必要があるのじゃ」
大豆は普通水に沈む。
それが浮かんでしまうということは、虫食いだったり傷が付いていたり、きちんと成長していなかったりと、問題を抱えている場合が多い。そういうものをきちんと取り去ることで、味噌の味がぐっと良くなるのだ。
で、ここからが問題だ。
「そうして綺麗になった大豆は、豆の約三~四倍の量の水に一晩浸け込むんだが……浸け込んだ大豆にはとある変化が現れる。さて、それはなんだと思う?」
そして再びエステラを指す。
「え、また!?」と、盛大に狼狽し、エステラがとんち小僧よろしく頭をひねる。
お前は実にいい反応を見せるな。見ろ、リベカの曲がっていたヘソがにょきにょきと真っ直ぐに伸びていってるぞ。
「は、発芽するっ!」
「味落ちるわっ!」
発芽すると、豆の中の栄養素が持って行かれてしまう。
だが、水に浸けておいて現れる変化、ってあたりから考えるとまっとうな意見ではある。
またも不正解で、かつ俺に突っ込まれたことでエステラは渋い顔を見せる。
だがしかし、それでいい!
クイズ番組でもなんでも、他人の珍解答は最高のエンターテイメントだ。
テンポのいいツッコミと組み合わされば、見ている者の笑いを誘う。
ほら、リベカが口を開けて笑っている。
「なはははっ……よい。よいのじゃ、四十二区の領主よ。そなたは面白い領主じゃのう」
「あ、いえ……勉強不足で申し訳ないです」
「何を言うのじゃ。味噌に関して、何もかも知られておったら、わしの立場がないじゃろうが」
「立場がない」という言葉に、アッスントが身を折る。腹にぶっとい杭でも打ち込まれたかのように、体をくの字に曲げ、両手で腹を押さえる。
凄まじいストレスに、胃をやられたか?
「知らぬことは恥ではないのじゃ。考えぬことが恥なのじゃ。知らぬことは、教われば済む話じゃからの」
エステラの珍解答がいたくお気に召したようで、リベカの顔には嬉しさが滲み出し、増殖し、溢れ出している。
「そなた、名はなんと申すのじゃ? 覚えてやろう」
「え…………あ、エステラ、です」
「いや、さっき名乗ったよね?」という言葉をのみ込んで、エステラが再度名を名乗る。
要するに、リベカは気に入った相手の名前しか覚えるつもりがないのだ。さっきの自己紹介は右から左へ流れていってしまったらしい。
アッスントが名前を覚えられてるのは、豆板醤のおかげなんだろうな。
それに対し、エステラは性格面を気に入られたようで――
「硬いのじゃ! もっとフランクに、仲良しこよしな感じで話すのじゃ! その方が楽しいに決まっておるじゃろうが」
――リベカに友達認定されていた。
「え……っと、じゃ、じゃあ、改めてよろしくね、リベカちゃ……」
「んむ?」
「……さん」
「うむ! よろしくなのじゃ、エステラ」
仲良くなってもちゃん付けはダメなようだ。
つか、お前は呼び捨てにされていいのかよ、エステラ。
背後でナタリアがちょっとイライラしてるぞ。
「リベカ様」
小ぶりな壷を小脇に抱えて、バーサが戻ってくる。
部屋に入るなり、リベカに向かって怖い声を向ける。
「領主様に向かって呼び捨てとは何事ですか。バーサは、リベカ様をそのようにお育てした覚えはございません。きちんと礼を持ち、相手を尊重し、敬いの心を持って接してください」
バーサの言葉に、ナタリアの放っていた不機嫌オーラが霧散する。
へぇ。実力のあるちびっこは得てして甘やかされ、手の付けようがないクソガキへ成長していくのだと思っていたが、バーサはきちんと躾の出来る大人のようだ。
「しかしの、エステラとわしはもう友達なのじゃ。呼び捨てくらいで怒ったりせんのじゃ、のぅ、エステラ?」
「えっと、まぁ……怒りはしないけれど……」
「ほら見るのじゃ! バーサは考え方が古いのじゃ!」
鬼の首を取ったかのように踏ん反り返るリベカに、バーサは温度のない瞳で淡々と語りかける。
「そうですね。私は長く生き、考えも随分と古臭いのでしょうね。あなたより、ずっとずっと『大人』ですからね、リベカ『ちゃん』」
「むはぁっ!? わ、わしをちゃん付けで呼ぶなといつも言っておるのじゃ! 訂正するのじゃ!」
「リベカちゃ~ん、べろべろばぁ~」
「むきー! わしを子供扱いするでない! やめるのじゃー!」
いや、それはもはや、子供扱いではなく赤ん坊扱いだ。
リベカの神経を逆撫でしまくり、煽りまくりのバーサ。……誰が長く生きた考えの古い『大人』だって? 十分ガキじゃねぇか。
「あ、あの、バーサさん。ボクは、本当に気にしないから。好意を持ってくれると、嬉しいし」
「寛大なお言葉、痛み入ります。お噂通りお心の広い御方なのですね、四十二区の領主様は」
バーサがリベカに代わって頭を下げ、エステラを誉めそやす。
ナタリアが心なしか誇らしげな空気を醸し出し、エステラの表情が微かに曇る。
……そうだよな。気になるよな…………『噂』ってワードが。
「さすがは、『微笑みの領主』と呼ばれるお方です」
「やっぱりかぁ!」
両腕で頭を抱え、ソファからずり落ち床に膝をつくエステラ。
FXで全財産を溶かしてしまったかのような絶望ぶりだな。
エステラの願いも虚しく、『微笑みの領主』の噂は、四十二区から遠く離れた二十四区にまで轟いていた。全国区になるのも時間の問題だろう。
「ですが、『微笑みの領主』様」
「エステラと呼んでください! 是非! いや、どうか、この通り!」
膝をついたまま頭を下げているので、まるで土下座のようだ。
エステラ、必死過ぎるぞ。
「では、エステラ様。寛大なご対応はありがたいのですが、リベカ様は言わないと分からないお子様ですので、非は非とはっきり申し上げなければいけないのです。そのお心遣いを、今だけは一度引っ込めてはくださいませんか?」
「はぁ……教育という観点からそうしてほしいとおっしゃるのであれば、断るわけにはいきませんね」
「ありがとうございます」
床に座るエステラへ向けてだからなのか、バーサはこれ以上もないほどに腰を折りたたみ、深く深く頭を下げる。立位体前屈かと思うようなお辞儀だ。
そして、ゆっくりと体を起こし、顔を持ち上げると同時にリベカへときつい視線を向ける。
「リピートアフターミー! 『エステラちゃん』!」
「ちょっと待ってくれるかな、バーサ!?」
エステラが飛び起きた。
正座から一気に立ち上がり、その勢いのままバーサに詰め寄る。
こいつのバネはすげぇな。陸上の監督がここに複数人いたら、殴り合いの奪い合いが発生しそうだ。
「ちゃん付けはちょっと……」
「本来なら『様』とお付けすべきなのでしょうが、エステラ様のお心遣いを多少なりとも汲ませていただき、『ちゃん』がベストだと判断した次第です」
……うん。この婆さんも、やっぱちょっと残念だ。
よかった。なんだか妙に安心した。
「分かったのじゃ。よろしく頼むのじゃ、エステラちゃん」
「……えぇ、もう決定したの…………? じゃあ、よろしくね、リベカ……さん」
満足そうに頷くリベカとバーサ。
いまいち釈然としないが、これ以上ややこしくなるのは御免だと早々に諦めモードのエステラ。
そして、自分の主の滑稽な不幸が大好物のナタリア。すげぇ素敵な笑顔を浮かべてやがる。
そして蚊帳の外のアッスント。
俺はというと、ガキの遊び相手で心がどっと疲れたのとは別に、腑に落ちるというか、妙に納得してしまった部分があってどことなくスッキリとした気分にもなっていた。
『気難しい麹職人』
おそらく、多くの商人がリベカを相手に手を焼いてきたのだろう。
なにせ、連中にはリベカの地雷がどこにあるのかが分からないのだ。
褒めてもダメ、押しても引いてもダメ、物で釣ろうとしてもおそらくダメで、じゃあ真面目な仕事の話を持ちかけてみたら……と、正攻法でもダメな時はダメ。
リベカは感情で生きている。
ガキの感情なんか、一流大学の教授でさえも分析は出来ない。
明日の天気より予測が難しい。
なんで怒らせたのかが分からず、そして、一度怒らせるとこれまでの関係もチャラに……下手すりゃご破算になってしまう。
それはそれは気難しそうに見えたことだろう。
アッスント一人じゃ、今回で豆板醤の開発は打ち切られていたかもしれないな。契約なんかあっさり破棄されて、流通は絶望的になっていたかもしれない。
こういう相手には、エステラの方が効果的だ。
こいつは偉ぶらない権力者だからな。
何より、エステラはガキによく好かれる。
教会のガキども然り。ハムっ子ども然り。陽だまり亭にお子様ランチを食いに来るガキども然り、な。
リベカ――麹職人は、『BU』に属する区の住民が等しく負う「豆の義務」を免除されている。それは、二十四区の領主一人で決められることではないのではないか……と、俺は睨んでいる。
大豆は、しょうゆに味噌にと、大ヒット商品に化ける宝の素だ。
その利益は、二十四区に留まらず『BU』全体へ恩恵をもたらせている。
だからこそ、『BU』のルールを曲げてでも優待されている――と、考える方がしっくりくる。
リベカがエステラに懐き、四十二区に友好的なポジションに落ち着いてくれれば……『BU』の連中に対抗するための強力なカードになってくれるかもしれない。
そうでなくとも、二十四区の領主には話が通しやすくなるだろう。
だからな、エステラ……精々仲良くやるんだぜ、そこのおチビちゃんとな。
「お手柄だな、エステラちゃん」
「きっ、……君に言われるとむずむずするから、やめてくれるかい?」
薄く頬を染めて、俺を睨むエステラ。
へいへい。そうかい。
なら…………ここぞって時まで取っておくことにするよ。
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