195話 麹職人リベカ・ホワイトヘッド
「こ、こんな時間に、麹工場に何か用ですか?」
と、あからさまに不審者な少年に睨まれてしまった。
「我々は、こちらの麹職人さんに招かれて参上した次第です。あなたは、こちらの関係者様でいらっしゃいますか?」
「…………」
唇を噛んで俯く少年。……部外者なのかよ。
よくも偉そうに「なんの用だ」なんて言えたもんだ。
「あいつをパーシー2号と呼んでやろう」
「やめてあげなよ……どっちのためにも」
建物の陰からこっそり中の様子を窺う様が、ストーカー気質満載の四十区の(滞在時間的には、もうほとんど四十二区の住民みたいなもんだが)砂糖工場長(工場を取り仕切っているのはヤツの妹なんだが)パーシーそのものだ。
……って、パーシーの紹介で補足説明的な修正が必要ないのって「ストーカー」って部分だけなのか……あいつ、ろくでもねぇな。
「少年。まっとうに生きろよ」
「は?」
パーシーと同じ道へ踏み入ろうとしているいたいけな少年に、年長者からせめてもの忠告をしておいてやる。お前の進もうとしている道はいばらの道だぞ。……他者からの冷たい視線が気にならない、もしくはちょっと気持ちいいって図太い性格でもしていない限りは苦難の道になるだろう。
「お兄さんは、まっとうな人間なのですか?」
「もちろ……もがっ!」
「「「危険な発言は控えて」ください」」
胸を張って肯定しようとした俺の口を、三人がかりで塞いできやがったエステラ、ナタリア、アッスント。……てめぇら、いい度胸じゃねぇか。
「他所の区では言動に気を付けてください。誰が敵になり、どこにどのような脅威が潜んでいるのか分からないのですから」
鬼気迫る声音でアッスントが囁きかける。
……ってことは何か? 「お兄さんは、まっとうな人間なのですか?」って問いに、俺が「もちろん」と答えると、『精霊の審判』にでもかけられちまうって言いたいのか、お前らは?
「ねぇ、君」
エステラが、自分よりもほんの少しだけ背の低い少年に目線を合わせるように背を曲げ、顔を覗き込む。
そして、余所行きの穏やかな微笑みを湛えて優しく語りかける。
「まっとうな人間でなくても、まっとうに生きるよう進言することは出来るんだよ」
「こら、エステラ。なんだその助言は」
「いや、年長者の意見はそれなりに尊重すべきだということを教えてあげようかと思ってね」
「俺がまっとうではない前提で話を進めんじゃねぇよ」
年長者の意見を尊重しようという気概があるなら、お前は俺の言うことを唯々諾々と了承しろよ。見た目はアレだが、俺はお前よりざっくり二十年ほど長く生きてるんだからな。
「ぼ、僕は、何もやましい気持ちでここにいるわけではありません」
「産業スパイの類ではないということだね」
「当然です!」
エステラの問いに、やや不服そうに少年は声の音量を上げる。
やましい気持ちがないというのであれば……
「やらしい気持ちでここにいるのか?」
小粋な言葉遊びを交えて大人のジョークを少年へと浴びせてみる。……と。
「……………………ち、違い、ます…………たぶん」
口ごもりやがった!?
え、なに!? まさか、このそばに早朝からやってる女風呂でもあるわけ!?
あぁ、そうか! 分かったぞ! 女子寮だな!? このそばに女子寮があって、寝起きのギャルたちのしどけない寝間着姿や、着替えなんかが覗けるベストスポットがあるんだろう!? そうだろう!?
「ヤシロ。無言なのにうるさい」
「どういうことだよ、それ!?」
エステラが、袖口にこびりついたカピカピのご飯粒を見るような目で見てくる。
こいつはちょいちょい俺の心を読みやがるからな……俺のポーカーフェイスを看破するとは…………侮れないぜ。さすがは、四十二区の領主だ。
「ヤシロ様。ざっと見渡した限り、早朝からやっている女風呂や、しどけない寝間着姿のギャルがいそうな女子寮は見受けられません」
「んふふ……ヤシロさんのお顔は、まるでよくしゃべる口のように物を語りますね」
……なんてヤツらだ……どいつもこいつも、俺の完璧なポーカーフェイスを見破りやがって…………さすが、四十二区切れ者三人衆! 俺が手を焼かされた連中だけはある。
「あ、あの、お兄さん! 僕は、そういう意味合いのやらしい気持ちは持ち合わせていません。それに、その、……そういう風なことを考えたり口にしたりするのは、あまりよくないと思います!」
なんだか、真面目に説教されてしまった。
早朝に私有地を覗き込んでるストーカー予備軍に。
「僕は、もっと純粋な心で……」
「好きな女でもここで働いてるのか?」
「えっ!? な、なな、なんで、そそそ、そうおもおもおも、もも、桃割れたんですか!?」
「落ち着け。『思われた』が言えてない上に、関係ない桃が割れちゃってるから、一回落ち着け」
そうかそうか。
このストーカー予備軍は、「好きな子の姿を一目見たい」という、ただその一心でこんな早朝に犯罪者一歩手前みたいな行動を起こしていたわけか。そうかそうか……こいつ、予備軍じゃなくて、ストーカーだ。
「残念。手遅れだ」
「決めつけないであげなよ、ヤシロ」
「しかしな、エステラ。押すでも引くでもなく、声すらかけずにただ遠くからひたすら眺めるだけで満足して、そんな自分の恋心を『純愛だ』とか言って自己満足に浸ってるあたり、完全にパーシーと同じ症状だぞ」
「…………確かに、手遅れ、かも……」
エステラが折れた。
反論の余地がなかったようだ。それはそうだろう。『パーシーと同類認定』なんて、重い病気の宣告みたいなもんだ。
「て、手遅れじゃないです!」
憐れむ俺たちに、少年は眉根を吊り上げて反論してくる。
必死に牙を剥く子ライオンのようで、迫力のなさが浮き彫りになっている。
「男女の仲は、とても繊細で、でもだからこそ美しくて……だから、僕は段階を踏んでお近付きになりたいと思っているだけです!」
「段階を踏んでって……じゃあ、今はどの段階にいるんだよ?」
「ま、まずは……目と目が合うところから、始めようかと……」
何段階あるんだよ、その後に!?
おそらく今は、姿が見られるだけで嬉しい時期なのだろう。
目と目が合ったことがないからこそ、そこから始めようとしているのだ…………あぁ、まどろっこしい。
「お前なぁ。どうせ見てるんなら、風のいたずらからのスカートぺろーんでパンチラの一つでも期待してろよ」
「そ、そそ、そんな破廉恥なことっ!? そういうのは、結婚してからだと思います!」
パンチラは結婚してからって、初めて聞いたわ!
つか、嫁のパンチラで喜ぶ旦那とか、それはそれでちょっと怖いぞ。
「それに、彼女はスカートを穿きませんので」
「パンツ丸出しか!?」
「ズボンを穿いているんです! 七分丈の!」
「ヤシロ……いたいけな少年の想い人相手に、卑猥な想像をするのはやめたまえ」
細い指が、俺の首根っこに軽く触れる。
あぁ、これあれだな。度が過ぎると頸動脈握り潰すぞ的な脅しだなぁ、まったくエステラはお転婆さんなんだから。
「すまないね、少年。彼の言うことは気にしない……で……」
声をかけようとしたエステラが言葉を止める。
「わ……は…………や……」
はゎはゎと、開いた口がむにむに動くと同時に奇妙な声が漏れる。
少年の顔が、真っ赤に茹で上がっていた。
えっと…………
「むっつり」
「んなっ!? ち、ちち、ちが、違っ、違いますよっ!」
明らかに、パンモロの想い人を想像して赤く染まる少年。
いまどき、こんなピュアな少年が存在しているとはな……
「ヤバい、エステラ……少年が眩しくて直視出来ん」
「君も少年を見習って、少しくらい心を浄化したらどうだい?」
「んふふ、エステラさん。こびりついた汚れは、そうそうたやすく取れないものですよ」
「ヤシロ様。重曹を使いましょう」
「俺は水回りの頑固な水垢か」
お前らこそ、この少年のピュアな心に洗い清められろよ。
「あ、あの……っ、ぼ、僕は、これでっ! し、失礼します!」
顔の赤さが限界にまで達し、少年はぺこりと頭を下げるや否や振り返って走り出した。
心なしか発光しているようにすら見える少年の顔が、まだ薄暗い朝の闇に赤い尾を引いていく。……テールランプのようだ。なんか懐かしいなぁ。
「五回点滅したら愛してるのサインかもしれんな」
「なんの話だい?」
「真っ赤、真青、真っ赤、真青……って」
「それは愛してる以前に、体調不良のサインだよ……血行がおかしなことになってるからね」
情緒のかけらもないエステラには、少々理解が及ばないのかもしれない。
もっとオシャレな恋愛をすればいいのに。
「麹工場の朝は早いですからね」
コホンと咳払いをして「恋煩いも大変そうですね」などと、遠ざかっていく少年の背中に向かって心のこもってない感想を述べるアッスント。
顔には「さっさと中に入りましょ」と書いてある。
ドライだなぁ、こいつは。
少年の姿が見えなくなってから、俺たちは麹工場の門をくぐった。
「こちらでお待ちください」と通されたのは、敷地内のかなり奥の方に建てられている家屋だった。
二階建ての二階、一番奥の応接室のような場所へと入れられる。
置かれた家具はどれも落ち着きがある渋めの品で、きらびやかさはないが、高級感はありまくりな、そんな雰囲気の部屋だ。
老舗旅館を思わせる詫び寂びがある。
アッスントによれば、奥のこの建物は相当な信頼関係を築き上げた者しか入れてもらえないのだそうだ。
「最初は、入り口脇の詰所のようなところへ通されましたからね」
まずは門番と話し、詰所の責任者と話し、さらに上の者と話し、ようやく麹職人との面会がかなって、豆板醤を盛大に売り込み、それだけの段階を経てたどり着いたのがこの建物なのだそうだ。
魂が擦り切れるほどの熱意と時間を要したらしい。
「豆板醤がなければ、おそらく会ってももらえなかったでしょうね」
ここの麹職人は気難しいと評判で、機嫌を損ねると面会はおろか仕事上での付き合いも出来なくなるらしい。
果たして、どんなババアがやって来るのか……頑固ババアの相手をするのかと思うと気分が重くなるが……そのババアは金を生むババアだ。金ババアだと思えば、沈んだ気持ちもいくらか浮上してくるというものだ……
「ババア、ババア、ババア、ババア、ババア、ババア、ババア、ババア」
「どうしたのさ、急に!?」
「いや、なんとなくなんだが、絵に描いたようなババアを見ると『ババア』って言葉が口を突いて出てきそうな気がしてな……今のうちに言っておこうかと」
「危険極まりないね……今のうちに気が済むまで言っておくといいよ」
今言っておけば、どんなババアが出てきても、「思ってた以上にババア!」とか言わずに済むだろう。
一年分くらいのババアをここで言い捨てておこう。
「おや? あぁ……そうでしたか」
そんな俺を見て、アッスントが目を丸くする。
そして、何が面白いのか頬を緩めてにやにやし始めやがった。
「……んだよ?」
「いえ。己の至らなさに感嘆していたところです。私としたことが、情報の共有を怠ってしまうとは…………んふふ。しかし、そうですか……そんな風に…………んふふ」
なんだ、気持ちの悪いヤツだな。
つか、『感嘆』ってのは、喜んだり感心したりすることと、嘆いたり悲しんだりすることのどちらにも使えるんだよな…………さて、どっちの意味で感嘆したんだかな、あいつは。
脚の低いソファに座り、にやにや笑うアッスントを睨む。
俺とエステラは座っているが、アッスントとナタリアは壁際に立っている。
立って出迎えなきゃいけないような相手なのかねぇ……と思っていると、静かにドアが開き、一人の老女が部屋へと入ってきた。
顔には深く長い皺が刻み込まれており、猛禽類のような鋭い瞳と細くきりっとした眉毛がきつそうな印象を与える。
むすっとした表情は不機嫌さよりも厳しさを感じさせる。
こんな教師がいたら、絶対苦手としただろうなというような、そんな婆さんだ。
世界にただ一人の職人と言われりゃ、思わず納得してしまいそうな風貌だ。
ルシアのような威厳こそないものの、苦労がしっかりと身になり年齢に説得力を与えている。
俺とエステラが同時に腰を浮かせると、婆さんは静かに手を持ち上げ、「そのままで」と俺たちを制した。座っていろということらしく、俺たちは素直に従った。
薄く開いた口から大量の酸素を体内へ取り込んだのち、婆さんは想像通りのきつそうな声で、静かに言った。
「まもなく、リベカ様がおいでになられます。もうしばしお待ちを」
言い終わってから静かに腰を曲げ礼をする。
……こいつじゃ、ないのか?
呆気にとられていると、婆さんは入ってきた時と同じように静かに部屋を出ていく。
「彼女は、麹職人の右腕、バーサ・ヘイウッドさんですよ。こういった面会などの段取りや手続き、工場の経営などを一手に任されている方です」
麹職人は、麹の管理に全精力を注ぎ込み、それ以外の雑務や執務はすべてあのバーサという婆さんが担っているのだそうだ。
それであの貫禄か。
あんな人物を動かせる人物か……厄介そうだ。
とりあえずは話してみて、相手の出方を窺うか。
――ガチャリ。
静かにドアが開いた瞬間、室内の空気が急に張り詰めた。
誰かが部屋へ入ってくるのに合わせて、アッスントがギュッと身を引き締めたのだ。
釣られるように、こちらの体も軽く萎縮する。
「少々待たせてしまったようじゃの。すまんかった、許せよ」
入ってきた人物を見ようとドアに視線を向けると、視界のギリギリ下の方に白いもふっとしたものがぴょこんと揺れていた。
そのまま、視線をゆっくりと下降させる。
「遠いところご苦労じゃったな。わしが、麹職人の頭、リベカ・ホワイトヘッドじゃ」
ぱたりとドアを閉めその前でふんぞり返っているのは、真っ白なもこもこしたウサ耳を生やしたとてもミニマムな幼女だった。
ウサギ人族か。それにしても小さい。マグダより小さいかもしれない。ハム摩呂以上マグダ未満、数字にすれば110センチ程度といったところか。
手足はすらっとしているし、言葉も明瞭。何よりはっきりとした意見を持っていそうなので、本来ならば少女と表現するべきなのだろうが、大きくくりくりした瞳と得意満面な小憎らしい笑顔を見てしまっては、幼女と表現したくなってしまう。
「おい、なんだこの幼j……」
「はい、ストップです、ヤシロさん」
肩を割と強めに叩かれた。
アッスントが商売人の顔で俺へ視線を向け、小声で情報を寄越してくる。
「その言葉は禁句です。いえ……『それ関連の言葉』と言い直しておきましょう」
察するに、「幼女」「子供」「ガキ」「ちんちくりん」「エステラレベル」とか、そのような類の言葉を、この幼女は嫌うのだろう。
幼女とは、得てして子供扱いされることを嫌うものだ。
この幼女も、例に漏れずその手の幼女なのだろう。
見た感じ、五~六歳というところか。
「聞こえておるぞ、アッスントよ」
「えっ!? ……あ、あは、あははっ。さすがは、お耳がよろしいようで」
「むふん。まぁ、いいじゃろう。ここへ来る者は大抵、わしの姿を見て驚きおるからのぅ」
気難しいと噂の麹職人。
そんな前情報をもらえば、誰だってそれなりの年齢の者を想像するだろう。
俺が最初に想像したのは、頑固そうな白髪交じりのオッサンだった。
それが、まさかこんな幼女だったとは…………そりゃ誰でも驚くわ。
「しかし、わしは意外との、わしを見て驚く者たちの間の抜けた顔を見るのが好きじゃと感じておるのじゃ。小馬鹿にされれば腹も立つが、純粋な驚きは座興にもなろうというものじゃ」
「えぇ。そうでしょうとも。ですので、みなさんには何も伝えずお連れしたのです。彼らは、私の愛すべき友人であり仲間……間違っても無礼を働くことはないと信頼して、このような対応を取らせていただきました」
よく言うぜ。さっき「情報共有を怠っていた」とか言ってたくせに。
転んでもただでは起きないあたり、根っからの商人だなお前は。さも計画通りと言わんばかりの顔だ。
「憎い演出をする男じゃの……くっくっくっ」
くつくつと、喉を鳴らして笑う麹職人リベカ。
ホワイトヘッドという名に恥じない見事な白髪がふわりと揺れる。
「みなさんもすみませんでした。驚かせてしまいまして」
一切反省の色が見えない顔で、アッスントが軽く頭を下げる。
なるほどな。
こういう小さなポイント稼ぎをして取り入ったわけか。
さしずめ、お前はそこの幼女にとって「面白いものを提供してくれるオジサン」ってわけだ。
「ミズ・リベカ・ホワイトヘッド。ご挨拶が遅れました。四十二区の領主、エステラ・クレアモナと申します」
「よい。堅くなるな。わしは堅苦しいのは好かんのじゃ。もっと楽にしてよいぞ」
「えっと……では」
と、エステラがアッスントを見る。
どれくらい楽にしていいのか測りかねているのだろう。
なにせ、気難しいと噂されるような職人だ。機嫌を損ねれば即退場、出入り禁止くらいは言われそうだからな。
「ほれ、そこの男じゃ」
どうしたもんかと対応を決めかねているエステラに、リベカは砕けた雰囲気で声をかける。
その際、リベカの指が俺を指す。
「あの男の顔くらいであれば、ふざけることを許可してやるのじゃ」
「誰の顔がふざけてんだ、コラ」
「ヤシロさんっ」
「ほっほっほっ、よい。そう怒るなアッスントよ。わしは今日、機嫌がいいのじゃ。これくらいの無礼は大目に見てやるのじゃ」
どっちが無礼だ。
しかし、アッスントの態度を見るに、本当にこの幼女が麹職人なのだろう。
しかも、普段はそれなりに厳しいとみられる。
「ヤシロ様……」
そっと、ナタリアが俺の背後から声をかけてくる。
声の潜め方からして、重要なことを伝えようとしているのか――
「ヤシロ様の顔くらいふざけても可ということは、おしりぷりんぷりん踊りくらいまではOKということですね?」
――くっだらないことを言いに来たかのどちらかだ。うん。後者だったな。
やってみろよ、おしりぷりんぷりん踊り。
「えっと……では、親愛の意味を込めて、リベカさん、と呼んでもいいですか?」
極限まで気を遣って、エステラがリベカに問いかける。
「くっくっくっ。なんと呼んでも構わんのじゃ。『ちゃん』以外ならの」
『ちゃん』はダメなのかよ。
お前に一番しっくりくるだろうが、『ちゃん』がよ。
「わしはどうにも幼く見えるらしいのじゃ。特に、バーサと比較されるとなおのことじゃ」
いや、お前は幼いし、バーサは婆さんだし、当たり前だろうが。
とはいえ、見た目で決めつけるのはよくない。
四十二区にも年齢不詳の美人シスターがいるし、この幼女はこう見えて俺たちより年上だったりするのかもしれない。
「アッスント……」
ベルティーナと初めて会った時に、ため口を利いて酷い目に遭わされたことがある。
ここは慎重に行動する方が無難だ。
「……あのリベカという職人は、見た目よりもずっと年齢が上なのか?」
「その通りじゃ、面白い顔!」
アッスントに耳打ちした内緒話を、リベカの長いウサ耳がばっちりキャッチしやがった。
……内緒話に割り込んでくんじゃねぇよ、やりにくいだろうが。
「以前、出入りを禁止した行商ギルドの男が、わしを見て『五歳に見えます』などとふざけたことを抜かしおったのじゃ」
いや、見える見える。
つか、五歳くらいにしか見えねぇよ。……それで出禁食らうのか。
「どうやら、わしはかなり若く見られるらしいのじゃ。じゃが。実年齢はもっと上じゃ」
まさか、この見た目で十六とかってことはないだろうが…………
「いくつなんだ?」
「今年で九歳じゃ」
「ガキじゃねぇか!」
「ヤシロさんっ!?」
隣でアッスントが「ぴぎぃー!」と鼻を鳴らす。
けど、これは仕方ねぇだろ!?
さんざんもったいぶって、九歳って!? ガキ、ど真ん中じゃねぇか!
「…………ガキ、じゃと?」
リベカのウサ耳が「ビンッ!」と立ち、幼い顔に怒りの表情が浮かび上がる。
……それがまた、一切怖くなくてむしろ可愛らしいから困る。
でも一応、商談前だ。機嫌を取っておくか。
「いや、すまない。訂正する」
「ほほぅ! 訂正じゃと? どんな言葉に訂正するつもりじゃ!? 『ガキ』などと悪意満載の言葉を、どう取り繕えばわしの機嫌を直せるほどの言葉に代わるというのか、是非にも聞かせてほしいもんじゃのう!」
んふーっ!
と、勢いよく鼻息を漏らし、癇癪を起こした子供のように血走った目で睨んでくる。
拗ねたガキを宥めるのは骨が折れるんだが……まぁ、やってみるか。
「まさか、『お子様』とか『お嬢ちゃん』などと、わしの神経を逆撫でするような言葉は出てこんじゃろうな? それともなんじゃ? 『レディ』や『マダム』と見え透いた世辞に逃げるか? さぁ、その足りなそうな頭をフル回転させてよく考えるんじゃな。選択を誤れば、そなたら全員出禁にしてくれるのじゃ!」
「そんなっ!?」
アッスントが必死の形相でこちらを振り返る。
そんなに見つめんな。額からラード出てるからとりあえず拭いとけよ、お前は。
テメェの好き嫌いで、確実に利益を上げられるであろう交渉を蹴ろうとしやがる。
このリベカってヤツは気難しい職人なんかじゃない。ただの、わがままなガキだ。
なら、それ相応の対処法ってもんがあるんだよ。
「さぁ、答えるのじゃ、面白い顔の男! わしをどんな言葉で形容するのか、今すぐ申してみるのじゃっ!」
びしっと俺を指さし、一切の妥協を許さないという意思のこもった瞳で睨みつけるリベカ。
そんなリベカの前に跪いて、騎士がするように恭しくその手を取る。
「機嫌を直してください。プリンセス」
そして、そっと手の甲へと口づける。
……ま、ガキ相手だからこれくらいサービスしてやっても構わないだろう。
「プリンセス…………じゃと?」
低くくぐもった声が漏れる。
そして、小刻みに震えるリベカの手にきゅっと力が入る。
「よいっ! なんかよい響きなのじゃ!」
うん。機嫌が直ったようだ
「んも~! なんじゃなんじゃなんじゃなんじゃ! おぬし、きちんとレディの扱いを弁えておるではないか! そうじゃ、そうなんじゃ! こういう大人な扱いこそが、わしには最も相応しいのじゃ! むふっ、むふふふ!」
女の子はお姫様に憧れるもので、お姫様扱いをされて嫌がる女の子はそういない。
特に、子供扱いを嫌う女の子ならなおさら。
女の子がお姫様の何に憧れるかといえば、綺麗なドレスに、きらびやかなお城、豪華な食事に、色とりどりのスイーツ…………そして、忠誠を誓ってくれるカッコイイ騎士。
大多数が、白馬に乗った王子様を相手役と認識しているが、自分のそばに忠実なる騎士がいるのだと知った時の女の子はその事実に心をときめかせるのだ。
考えてもみてほしい。
他国の王子が、自分をちやほやしてくれるだろうか?
どんな言い付けも愚直に守ってくれるだろうか?
たとえ自分が姫であっても、相手も王族なのだ。
立場は対等。いや、向こうが王子なら自分の方が立場は弱くなる可能性が高い。
しかし騎士は違う。
姫に忠誠を誓い、姫のために身命を賭す。
命令すれば確実に実行し、望めば優しい笑みを向けてくれる。
そんな、自分だけの騎士がそばにいてくれると知ったお姫様はどうなるか……言わずもがなだろう。
ごっこ遊びで騎士役を買って出てくれる男の子は少ない。まぁ、いないだろう。
どんな命令にも唯々諾々と従い、その間ずっと優しい笑みを向け続ける。そんなもん、暴れたい盛りのガキんちょどもには無理なのだ。
俺くらい、大人の余裕がないとな。
大人ぶりたい年頃の女の子には騎士が効く。
騎士は姫を子供扱いしないからだ。
幼い子ほど、騎士を気に入ってくれる。
……というわけで、俺はリベカをこれでもかと子供扱いしているのだが、当のリベカは嬉しそうに「むふむふ」言っている。
ガキは単純だな。
「よいじゃろう! 先ほどの失言はチャラにしてやるのじゃ。さぁ、皆の者座るのじゃ。商談を始めるのじゃ!」
リベカの機嫌が戻り、エステラとアッスントが分かりやすく息を吐く。
アッスントなんか、今にも倒れそうなほど顔色を悪くしている。
まぁ、アッスントみたいなタイプなら、「大人っぽいですねぇ」とか「知性的ですねぇ」とか、そういう当たり障りのない言葉しか出てこないのだろう。
だから、リベカとの交渉が難しく感じるのだ。
七十代くらいの女性に「お若いですね」といえば褒め言葉になるかもしれん。だが、二十代や三十代に同じことを言えば「年寄り扱いをされた」と不快感を示す者も少なからずいるだろう。
オッサンを相手に媚びを売っていたオッサンどもには少々難しいかもしれないな。子供に媚びを売るってのは。少なからず、商人が必死に気に入られたいと思う人種からは外れているからな、子供ってのは。
だから、「子供扱いするな」と言われて、「大人っぽいと褒めよう」なんて発想になってしまうのだ。
だが、褒め言葉なんてのは年齢に合わせてやらなければまるで響きはしない。
「子供扱いするな」という子供に最も響くのは「楽しい大人体験」――つまるところやっぱり「子供扱い」なのだ。
気難しい麹職人の正体は、子供心が分からない大人に対して癇癪を起していた、ただのお子様だったってわけだ。
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