194話 麹工場と予備軍

 早朝。

 俺の部屋のドアをそっと開く者がいた。


「ヤシロぉ……入るよ……」


 そろ~っと室内へ入り、若干上擦った声で呼びかけてくる。

 パタン……と、静かにドアが閉まる。


「エステラ……」


 ベッドの中から顔を出し、いまだ開ききらない瞼の隙間からその顔を伺う。

 目にも鮮やかな赤い髪が闇の中で揺れている。


「……夜這い?」

「起きる時間だよ!」


 はっはっはっ。何をバカな。まだ外は真っ暗じゃないか。

 さすがは二十四区の高級宿だ。ガラス窓が採用されており、室内からでも外の様子がよく見える。

 カーテンの隙間から覗く空の色は、完全に夜のそれだった。白んですらいない。


「麹職人に会うために早起きをするって言ってただろう? そのために前乗りしたんじゃないか」


 それはそうなのだが……

 どうやら、麹職人ってヤツは、ジネットよりも早起きらしい。

 下手すりゃ、寝る時間じゃねぇか、こんなもん。


「どんなババアなんだろうな……こんな早起きしやがるのは……」


 若人にはつらいぜ、早起きなんてのはな。


「シャキッとしなよ。ボクなんか、君よりも早く起きてるじゃないか」

「どうせナタリアに起こしてもらったんだろ?」

「ふふん。甘いね。ボクは自己管理がしっかり出来ている人間なんだ。起きようと思った時間に自然と目が覚めるんだよ」


 目覚まし時計もないような世界で、どうやって起きてるんだ、こいつらは?

 目覚めの鐘すら鳴ってないってのに。


「俺の寝顔が見たくて、張り切って起きちゃったんじゃないだろうな?」

「バッ、バカなのかい!? だ、誰が君の寝顔なんか……」


 などと話している間も、俺の体は倦怠感を訴え続け、なかなか起き上がることが出来ない。

 掛け布団の中でずっとごろごろしている。


「君はネコかい?」

「なんだよ、朝っぱらから、『キュートで可愛い』なんて。褒め過ぎだぞ」

「……君の脳は理解しがたい構造をしているようだね」


 布団の上でゴロゴロしている猫ほど可愛いものはそうそうないだろうが。

 なら、俺の意訳もあながち間違ってはいないはずだ。


「いい加減に起きないと、布団を剥ぎ取るよ?」

「そうされる前に、服を全部脱いでやる」

「ちょっ!? バカなマネはやめなよ!? いいかい、絶対ダメだからね!」


 フリに聞こえるぞ、それ。

 日本人は「絶対○○するな」と言われると、無性にやりたくなる人種なのだ。


 俺が全裸になれば、エステラは布団を剥ぎ取れない。

 まさに、『肉を切らせて骨を断つ~ぬくぬくお布団死守大作戦~』だ。


「エステラ様」


 足音も立てずに、エステラの背後にナタリアが出現する。

 ドアを開ける音すら聞こえなかった。


「ナタリアも来たのかい?」

「はい。夜這いの順番待ちに」

「ボクは夜這いしに来たんじゃないよ!?」

「では、お先に失礼します」

「させないよっ!?」


 入り口付近で二人が取っ組み合う…………あぁ、うるせぇ。


「こら、お前ら。静かにしろよ。眠れないだろう」

「起こしに来たんだよ!」


 ずかずかと近付いてきて布団に腕を伸ばす。

 マズい! 全裸にならなければ!


「待て、エステラ! 今、脱ぐから!」

「脱がせるか!」


 そして、無慈悲に剥ぎ取られる掛け布団。……寒い。

 まったく、こいつは。以前これをやって、マグダに嫌がられたことをもう忘れたのか。

 成長しないヤツだ。


「成長しないヤツだ」

「胸を見ながら失礼なことを言わないでくれるかな?」

「そうですよ、ヤシロ様」


 珍しく、こういう流れでナタリアがエステラを庇う。


「エステラ様は、きちんと成長しておられます」

「ナタリア……」


 己を庇うように立つナタリアの背中に、感激の視線を向けるエステラ。

 赤い瞳が、ちょっとうるっとしてる。


「エステラ様は今日……異性の寝顔が見たい一心で、私に起こされる前に起き出し、私に気付かれないようにこっそりと部屋を抜け出し、私の知らないところで存分に偏った性癖を爆発させておいでだったのです!」

「ちょぉおおおい、こらぁぁああ!」

「オトナになられましたね、エステラ様!」

「人聞きが悪いなんてレベルじゃないレベルで人聞きが悪いよ、ナタリアッ!」

「異性の寝顔に興味津々!」

「その『異性』って表現に悪意を感じるよっ!」


 うん。

 とりあえず、こういう流れの時に、ナタリアにはエステラを庇うつもりはさらさらないってことだけはよく分かった。


「ナタリア。そう煽ってやるなよ」


 朝は静かに過ごすもんだ。


「だから、お前もそんなに怒るなよ、思春期ガール」

「煽るなぁ! ……まったくもう!」


 俺とナタリアにさんざんいじり倒されて、エステラが頬をパンパンに膨らませる。

 怒りからか照れからか、顔が赤く染まっている。


「前から言おうと思ってたんだけどな。エステラは髪が赤いから、顔を赤くするとまるでタコみたいでおもしろ…………深紅のバラのようで綺麗だよ、エステラ」


 夜の闇にきらめく白刃。

 エステラがナイフをちらつかせ始めやがった。これ以上煽るのは危険だ。

 ……つか、なんで真っ暗の部屋の中でナイフがきらめいてんだよ。念か?


 華麗な話術で難を逃れた俺は、ほっと胸を撫で下ろしつつ、剥ぎ取られた掛け布団をそっと奪い返し……包まる。


「寝かさないよっ!?」


 まるで、麹職人との面会にすべてをかけているかのような勢いで捲し立てるエステラ。

 強制的に起こされ、濡れたタオルで顔を拭かれた。

 部屋に用意されていた水の張った桶とタオル。こいつは、洗顔に使えと宿が用意したものだ。

 ……そのタオルは濡れた顔を拭くためのもんだろうが……濡らしてどうするよ。


「さぁ、さっさと着替えて宿の前に集合だよ。もうすぐアッスントが迎えに来るから、合流して麹職人に会いに行こう」


 この後の予定をつらつらと述べ、エステラは部屋を出て行った。

 着替えろってことなのだろう…………


「……だから、出て行ってくれるかな、ナタリア?」

「いえ、お気になさらず」

「エステラー! 忘れ物ー!」


 物凄いスピードで戻ってきたエステラに連行されていくナタリアを見送って、ドアのカギをかける。……そういや、エステラのヤツどうやって鍵を開けたんだ?

 ……ピッキングか?


 そんなことを漠然と考えながら、さっさと着替える。

 麹職人に会う時にしわしわの服では失礼だと、わざわざ寝間着に着替えろと言われていたからな。

 持参した寝間着をかばんに突っ込み、いつもの服を身にまとう。……冷たい。

 学生の頃は、俺が起きる前に女将さんがこたつに服を入れて温めておいてくれたっけなぁ……


 そんな懐かしいことを思い出し、俺は身支度を整えた。







「おはようございます。爽やかな朝ですね」

「……お前の顔さえ見なけりゃな」


 くそ寒い風が吹き抜ける夜の街で、アッスントが暑苦しい笑みをこれでもかとこちらへ向けてくる。

 俺たちが宿を出た時には、もうすでにアッスントが待ち構えていた。……こいつも気合い入りまくりだな。


「これから、麹職人のいるむろへ向かうわけですが、騒がしいのは嫌いということで、申し訳ありませんが徒歩でお願いします」


 馬車の音が気になるらしく、俺たちは徒歩で室へ向かうことになった。

 速度を落とせば、さほどうるさくもないと思うんだがなぁ……まぁ、早朝だし、しょうがないか。


「では、ご案内いたします」


 アッスントに連れられて、俺たちはまだ暗い道をぞろぞろと歩く。


 麹を作る工場は街の東側に、かなりの土地を有して建っているらしい。

 加工や開発を行う施設なども併設している麹工場。

 その中でも、『室』と呼ばれる場所には、くだんの麹職人と限られた者しか立ち入ることが出来ないのだそうだ。

 麹を生み出す室は、温湿度の管理はもちろん、外から持ち込まれる菌なんかも完璧に制御しなくてはならず、みだりに出入り出来ないのだ。


「で、俺たちは入れてもらえるのか?」

「まさか。室のそばの別の建物で会談することになります」


 企業秘密の宝庫でもある室は、やはり厳戒態勢なようだ。

 まぁ、入ったところで面白いものはなさそうだから別に構わないけれど。


「室に着いた途端、また豆を押しつけられたりしないだろうな」


 実はすでに、宿屋でこれでもかと豆を押しつけられた後なのだ。今回はコーヒー豆だった。

 これ以上荷物が増えるのはごめんだ。

 せめてもの救いは、マーゥルが手紙と一緒に税金免除の証明書をくれたことだ。これで、俺たちの持つ豆は二十九の貴族マーゥルへの献上品という扱いになり税金がかからない。


 ……こういう不正がまかり通ってるんだよな『BU』では。

 賄賂が横行しそうな構造だこと。


「その心配はいりません」


 アッスントが顔だけをこちらに向け、歩きながら言う。


「麹職人のところで豆を押しつけられる心配はありません」


 あぁ、そっちの話か。てっきり賄賂の話かと……


「麹職人は、この街の資産を生み出す最重要人物ですので、豆関連の義務は免除されているのですよ」

「つくづく賄賂が横行しそうな構造だな」


 権力を持てば義務が免除される。

 なんとしてでも権力者の傘下に入って、煩わしい義務を逃れたいと思う輩がわんさか湧いてきそうだ。


「んふふ……制度などというものは、権力者にとって都合よく出来ているものでしょうに。その方がお金が集まる……っと、エステラさんの前でする話ではありませんでしたね」

「人聞きが悪いね、アッスント。それじゃあ、まるでボクが金銭目的で制度をいじくっている悪徳貴族であるかのように聞こえるじゃないか」

「もちろん、我らが愛すべき四十二区の領主様は例外です。そのような拝金主義な方々とは違いますとも」

「……心がこもってないなぁ」


 かつて、己の出世のために四十二区を食い物にしていた行商ギルド最下層三区担当支部長アッスントと、食い物にされていた四十二区領主エステラ。当時は代行だったけれど。

 そんな二人が、皮肉を言い合いながらも肩を並べて歩いている。新たな商売のために。共に利益を享受するために。


 人間、変われば変わるもんだな。


「どうかされましたか、ヤシロ様。あのお二人が何か?」

「いや。随分と手を焼かされた二人が並んで歩いてる様は、なんだか不思議な感じがするな……ってな」

「ちょっと待ってよ、ヤシロ」

「聞き捨てなりませんね」


 エステラとアッスントが同時に振り返り、そして同じ速度で俺へと詰め寄ってくる。


「手を焼かされたのはこっちのセリフだよ」

「あなたほど厄介な相手はいなかったと、精霊神様の前で宣言しても構いませんよ、私は」


 何が不服なのか、二人とも渋い顔をしている。

 迷惑を被ったのはこっちだっつの。

 お前らさえいなければ、俺は今頃、香辛料を売った金でうはうは生活でもしていたに違いないのだ。

 そうだな、その金を元手にどこか別の区で優雅に過ごしていたかもしれん。


「よくよく考えたら、俺はこの街でまだ『大儲け』をしていない」

「十分過ぎるくらいに利益を上げているだろう。陽だまり亭は、いつも盛況じゃないか」

「あれはジネットの儲けだ。俺は一人分の給料しかもらってねぇ」


 特別手当的な、臨時収入的な、こう、もらった瞬間「儲けたっ!」って気分になれる感じの収入を、俺は得ていない。


「あれだけ貢献したのに、豪邸にも住んでないし、美女も侍らせていない……なんか理不尽だ」

「おや? ヤシロさんの周りには、いつも美女美少女が群がっていると思いますけれどねぇ」

「アッスント……お前は言葉の意味を正しく理解していないようだな」


 やれやれ。

 金勘定ばっかりしているからそういう文系的なところが弱くなるのだ。芝居の楽しみ方も、こいつは理解していなかったしな。感受性が乏しいのだろう。侘しいヤツめ。


「いいか? 『侍らす』ってのは、いつでも好きな時におっぱいが触れる状態のことだ!」

「違うよ。全然違う」

「ヤシロ様は、一度語学の勉強をやり直した方がよろしいかと」


 猛反発をくらってしまった。

 なんでだよ?

 権力者はいつだって揉み放題なんじゃないのか? そういうもんだろう、世の中!


「それでは、今回の商談を上手く運んで、みなさんで儲けましょう。ヤシロさんが納得するくらいに」


 話を上手くまとめた、みたいな顔でアッスントがにんまりと笑う。

 だからな、俺は、一人で大儲けしたいんだっての。

 なんだよ、「みなさんで」って……儲けは独り占めしてこそ優越感に浸れるんじゃねぇか。


「客観的に見た感想を、述べさせていただいてもよろしいでしょうか?」


 俺たち三人から少し距離を取り、ナタリアが淡白な声で言う。


「四十二区の曲者トップスリーと交渉をしなければいけない麹職人さんが、とても気の毒に思えてきました」

「「「誰が曲者トップスリーか!?」」」

「頭と口で相手をやり込めるのが得意なお三人様ではないですか」


 むぅ……そう言われると、否定は出来んが…………


「こいつらと同じ括りにされるのは不愉快だ」

「そっくりそのままお返しするよ」

「いえいえ。私こそがですよ」


 ばちばちと、俺たちの間で火花が飛ぶ。

 ……こいつら、自分のことを棚に上げて、よくもまぁ、いけしゃーしゃーと。


「この中で一番腹黒いのはエステラだろう!」

「君だよ、ヤシロ」

「ヤシロさんでしょうねぇ」

「ぐ……っ。でも、一番金に汚いのはアッスントだよな!?」

「それは……ん~…………君とアッスントで、ドロー!」

「いえいえ。ヤシロさんほどではありませんとも」

「一番人望が厚いのは俺だろ?」

「ボクは領主だよ?」

「私は商人として数多の方と信頼関係を結んでおりますので」


 こいつら…………

 いい性格してやがるな、ホントに。


「皆様」


 第三者的立ち位置で俺たちを見つめていたナタリアが、懐から一枚の高級そうな紙を取り出して、俺たちにそれを突きつける。


「この中で、一番の人気者は私ですよ」


 その紙は、『BU』で発行されている情報紙の最新号だった。

 ……お前が『BU』でモテるのは分かったから……


 ざらっと目を通してみると、「今流行のイケてる女子!」的なコーナーに、またもやナタリアっぽい雰囲気のイラストが描かれて…………ん?


「……これ、ナタリア、だよね?」

「確かに、よく似ていますねぇ……というか、ナタリアさんそのものですね」


 エステラとアッスントが言うように、そこに描かれていたのは、どこからどう見てもナタリアだった。

 以前のような、『ナタリアっぽい雰囲気の女性』ではなく、髪形や目元、立ち姿の雰囲気がナタリアそのものだ。


「人気者要素をかき集めてみた結果、こうなったのでしょうね、おそらく……むふん」


 ナタリアの鼻の穴がぷっく~と拡がっている。

 調子に乗れるだけ乗りまくってるな、こいつは。


「どういうことかな……偶然、だと思うかい?」

「いや……」


 前回、情報紙に『ナタリアっぽい女子』が描かれ、それにそっくりな女子が現れたことで話題となり、「あのイケてる女子は実在した!」的な反響を呼んで、ナタリアの目撃情報が集まり、結果、『イケてる女子=ナタリア』という方程式が成立し、ナタリアの立ち姿が掲載されたりしたのだろう。


 もしくは、このイラストを描いているヤツが、どこかでナタリアに出会ったのかもしれない。

 ……ナタリアフィーバー。そのうち収束するかと思いきや、まさかのグレードアップを遂げるとは……名前こそ出ていないが、ほとんど名指しみたいなもんだ、これは。


「ヤシロ様」


 そっと、情報紙を手渡してくるナタリア。

 そして、満面の笑みを浮かべてこんな言葉を言い放つ。


「サイン、してあげても構いませんよ?」

「いらんわ!」


 誰か、こいつを『調子』から引き摺り下ろせ! 乗り過ぎだ『調子』に!


「……いつの間に買ったのさ、こんなの」

「昨晩の夕飯時に。ここぞという時にお見せしようと、ずっと懐に忍ばせておきました」

「ずっと忍ばせたままにしておけばよかったのに……」


 苦虫に噛み潰されたみたいな苦悶の表情を浮かべて、エステラが嘆息する。

 なんだろうなぁ……決して羨ましくはないのだが…………こいつを黙らせるために俺も載りたい! なんか負けてる気がして無性にハラ立つ!


「では、参りましょう」


 優雅に、卒なく、気品溢れる振る舞いで、ナタリアが俺たちの前に立ち、先頭を切って歩き出す。

 ……あいつは調子乗りの名人か。


「付いてきなさい、口先三人衆」

「「「よぉし、決闘だ、こんちきしょー!」」」


 今の一言で、俺たち口先三人衆の結束が「がっちぃ!」と固まった。

 ……誰が口先三人衆かっ!?


「おい、エステラ。お前、もっと『BU』の連中にアピールして、ナタリアをあの座から引き摺り下ろせ!」

「ぅえっ!? ボ、ボクには無理だよ!」

「大丈夫だ、お前は美人だから!」

「ふにょうっ!?」

「おかしな声を出している場合ではないですよ、エステラさん! 四十二区へ戻れば、ヤシロさんの伝手で美女美少女を集めることも可能ですが、我々は、一刻も早く、今すぐに、あの口を黙らせなければいけないのです! 時間がないのです!」

「で、でも……ボクに、出来ると……思う? ヤシロ」

「顔は、メイクをすれば十分わたり合える! …………ただ」

「えぇ……ただ」

「「胸が……」」

「君らは、結局そこにたどり着くのか!?」

「違いますよ、エステラさん! これはあくまで一般論、世間の男性たち、大多数の意見を代弁しているまでで、私は胸の大きさにこだわりはありません!」

「嫁が貧乳だからな」

「見たこともないくせに随分な言い草ですね、ヤシロさん! 訂正してください!」

「非巨乳」

「……それは、反論出来ませんが…………」

「もう! そんなところで言い争っている場合じゃないんだよ! ボクたちは打倒ナタリアのために結束しなくてはいけないんだ!」

「そうだな」

「そうですね」

「「「我ら、口先三人衆! ……って、誰が口先三人衆かっ!?」」」

「…………皆様、仲が大変よろしいですね」


 くっ!

 ナタリアが余裕綽々な笑みを浮かべてやがる……っ!


 今ここにマグダでもいてくれりゃ……あいつなら、自分の可愛さを最大限に活かして、強かなまでに『BU』全区へアピールしてくれるのだろうが………………あ、マグダもマグダで結構調子に乗るな…………なら、ジネットか……いや、今の『大人クール女子』ブームを打ち壊すには、真逆の『可愛いふんわり女子』ブームをぶつけるしかない! ならやはりマグダが…………いや、待て待て! いるじゃないか、四十二区は、可愛いふんわり最強女子が!


 ミリィだ!

 ミリィを連れてくれば、あのあどけない可愛さと、一所懸命な性格で、あっという間に人気者になってくれるだろう!

 しかも、ミリィなら調子に乗ることもなくて、俺たちの精神的にもストレスフリーだ!


 だが、ミリィは押しが弱い……自分からはぐいぐい行かないから、向こうからがっつり食いついてくれなきゃ、今のブームをひっくり返すのは難しい…………っ!


「あぁ、『BU』全区民が重度のロリコンにならねぇかなぁ!?」

「なんの呪いだい、それは!?」

「そうだ! ハビエルを講師として、各区で講演会を開くか!?」

「住民に深刻な病を伝染させると、『BU』と外周区の全面戦争が勃発しちゃうよ!?」


 くそぅ!

 ここぞという時に役に立たないな、あのロリコン木こりは!


「ハビエルのアホー!」

「他区の重鎮に対して、言いたい放題だね、君は」


 ほんのちょっと全区に影響力のあるデカいギルドでギルド長をやっているだけのオッサンじゃないか。何を遠慮する必要がある。


「……どうやら、こちらも準備を万端に整えなければ、現状をひっくり返すことは難しそうですね……」


 ぱちぱちと、そろばんを弾きながらアッスントが言う。

 ……何を計算してたんだよ、この話題で?


「皆様、くだらないことで時間を浪費するのは好ましくありません。さっさと参りましょう」

「「「誰のせいだっ!?」」」


 いまだ勝ち誇ったままのナタリア。

 ……今に吠え面かかせてやるからな!

 首を洗って待っていろ!


 …………口先三人衆を舐めるなよ!


 誰が口先三人衆かっ!?

 ……くそ、ちょっと気に入っちゃったじゃねぇか、このフレーズ。


 とはいえ、朝っぱらからアホなことで体力を浪費したくはなかったので、俺たちはロスした時間分早足で麹工場へと向かった。


 うっすらと空が白み始め、ようやく互いの顔を認識出来るようになる。

 早朝の青色に染まると、人の顔は普段より大人びた落ち着きを感じさせる。

 薄く白い息を吐き出すエステラは、静謐な青色に染められていつもより綺麗に見えた。


 ホント……黙ってたら美人なのにな、こいつは。

 ま、それはナタリアもだけれど。……ナタリアの場合は、「頼むから黙っていてほしい美人」と言う方がしっくりくるが。


「見えました。あれが、麹工場です」


 アッスントの指さす先に、大きな建造物が見えてくる。

 敷地をぐるりと囲む高い塀の向こうに、いくつも建物が並んでいる。


 日本企業の生産工場を思い出させる光景だ。

 車や電子機器の生産工場は、その敷地内だけで一つの町のようになっていたっけな。

 売店があって、ATMがあって、病院や運動場などを併設しているところもあった。


「木こりギルドみたいに立派だね」

「四十二区の方な」


 エステラが、その壮大さに息を漏らす。

 さすがに、ハビエルのいる木こりギルド本部はここよりもはるかにデカい。扱うものが何十メートルもある大木だからな。


 だが、イメルダが取り仕切る四十二区の木こりギルド支部とはいい勝負だ。

 とにかくデカい。


「……侵入が大変そうだ」

「正門以外から中に入ると、問答無用で厳罰に処されますよ」


 ……ちっ。

 セコムにでも入ってんのかよ。

 おっかねぇな。


 と、セキュリティーは万全だというその建物をざっと見渡して……あるものに気が付く。


「つまり、不審者はこの建物の中には入れないってことだよな?」

「えぇ、もちろん。この中は機密の宝庫。それだけでなく、とても繊細な麹を扱っておりますので、破壊工作がされようものなら被害額は天井知らずですから」


 その被害額ってのは、二十四区そのものが傾いてしまうような莫大なものに上るのだろう。


「……じゃあ、あぁいう輩を見かけたら、声でもかけるべきか?」

「え!?」


 俺の指さす方向へ、他の三人が一斉に視線を向ける。


 俺たちよりはるか前方。

 正門らしき場所から数十メートルほど手前。

 建物の陰に隠れるようにして、麹工場の中を覗こうとしている人影があった。


「不審者……ですね」

「不審だね」

「不審ですね」


 全員の意見は一致している。


 こんな、日も出ていない早朝に、人目を憚るようにして敷地内を覗く人影。

 不審者以外の何者でもない。


 正門から身を隠すようにしているようで、こちら側からはばっちり見えてしまっているのがあまりにも迂闊ではあるが……


「どうする?」

「……とりあえず…………近付いてみよう」


 俺が尋ねると、エステラがそう判断を下した。

 相手は一人。

 こちらにはナタリアとエステラがいる。

 荒事になっても遅れは取らない。いざとなれば、アッスントを盾にすることも可能だ。


「……ヤシロさん。考えが表情に滲み出ていますよ。……やめてくださいね?」


 アッスントが微かに俺から距離を取る。

 ……鋭いヤツだ。


 そんなわけで、俺たちは適度に距離をあけ、息を潜めて不審な人影に接近していく。

 企業秘密を盗もうとしている産業スパイか……はたまた、破壊工作を図る工作員か…………


 距離が縮まり、人影の輪郭がはっきりとしてくる。

 20メートル……15メートル……10メートル…………

 幸い、向こうがこちらに気付く気配はない。

 食い入るように、正門を凝視している。


 そして、いよいよ人影がすぐそこまで迫った時……


「え……っ?」


 エステラが声を漏らした。


「――っ!?」


 その小さな声を聞き、目の前の人影が慌てた様子でこちらを振り返る。

 驚愕と焦りの表情を見せるその人影は……どっからどう見ても子供だった。

 線が細く、頼りなさげな、頭はいいけれど力は弱そうな、少年。


「…………子供?」

「な……な………………」


 産業スパイ的な者を想像していた俺たちは呆気にとられ、わなわなと震えるその少年を見つめていた。

 そして、俺たちは、直後にその少年からもたらされる言葉を聞いて、もう一度呆気にとられることになる。


「なんですか、あなたたちは!? ふ、不審者ですかっ!?」


 ……いや、お前がな!?



 この麹工場……なんかいろいろありそうな気がしてきたな。






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