193話 二十四区到着

 馬車に揺られながら、エステラがにやにやしている。


「ふふ……ボクたちに手紙だなんて。可愛いところがあるじゃないか、マグダたちも」


 手紙をもらえたのが相当嬉しいらしい。

 エステラに来る手紙なんてのは、だいたいが仕事絡みのものだろうから、親しい友人からもらう手紙というのは格別のものなのだろう。


「早速読んでみようかな」


 いそいそと、綺麗に折りたたまれた手紙を広げる。

 覗き込んでみると、そこには複数の筆致で、様々な言葉が書かれていた。

『がっちり稼いでこい』という、簡素なアッスントの手紙とは大違いだ。


「ふふん。そりゃあ、ボクとアッスントじゃ、これくらいの差はあるだろうね」


 ことさら自慢げに、エステラは書かれた文字へと視線を注ぐ。



『えすてらさん、無理しないでね。ちょっと疲れてるみたいだから、果物たくさん食べるといいよ』



 小さくて丸っこい、なんとも可愛らしい文字でそう書かれている。

 これは、ミリィの文字だな。

 しゃべり口調とは違って、落ち着いた印象を受ける。


「ミリィは、文字まで可愛いなぁ」


 などと、オッサンが口にすれば事案になりそうな発言を、オッサンがすれば事案になりそうなにやにや顔でのたまうエステラ。

 お前、同性でよかったなぁ。異性だったらミリィに避けられてるところだぞ。


「この文字は誰かなぁ~?」


 嬉しそうに、その次に書かれた簡素な文字へと視線を移す。



『抉れあそばせ』



「イメルダめっ!」

「間違いなくイメルダだな、これは」


 丁寧な文字で書かれた簡潔な悪態。

 まごうことなきイメルダからのメッセージだ。


 エステラの頬が分かりやすく引き攣っている。


「ふ、ふん。こんなのは無視して、次の読もっと!」


 イメルダのメッセージをなかったことにして、その次に書かれた文字へと視線を移す。



『食べた栄養はおなかへ……』



「……マグダだね、これは」

「奇遇だな。俺もそんな気がするぜ」


 文字にも、性格というのは出るものなんだな。



『なんだ、エステラのヤツ、腹減ってるのか? じゃあ、鮭食え!』

『それなら、ご飯も必須ですね! 炊き立てが最高だと思うです!』

『だったら、海の幸も食べてほし~なぁ~☆ 牡蠣とかどうかなぁ? 牡蠣は海のミルクっていうんだよ~☆ エステラ、ミルク大好きだよねぇ☆』



 と、聞くまでもなくデリアとロレッタ、そしてマーシャからだと分かるメッセージが続き、エステラの表情が困惑の色を濃くする。


「なんでボクは、食べ物を勧められているんだろうか?」


 これから、二十四区へ向かおうという領主に対する手紙の内容が、「アレ食え」「コレ食え」……田舎のオカンか。


「とある部分が一向に発達しないエステラ様を見て、栄養のあるものを食べろとの気遣いなのでしょう、おそらく」

「ナタリア……一言多い」

「では、余分な部分を省きましょう…………とある部分が一向に発達しないエステラ様」

「そこだよ、多かった余分な一言っていうのは!」


 ナタリアの指摘はもっともだと思うのだが、エステラ的には気に食わないらしい。

 エステラは発言の訂正を求めているが、ナタリアはガン無視の構えだ。


「おい、エステラ。見てみろよ、次のはなんか長めだぞ」


 いつまでもいがみ合う二人に、手紙を見せる。

 バランスの整った綺麗な文字が書かれている。おそらくノーマなのだろうな、この達筆は。



『鶏肉 250g

 大豆 100g

 牛乳 300ml

 バター 20g

 小麦粉 小さじ2杯…………』



 ずらずらと材料が書かれ、続いて『筋を切り、一口大にカットした鶏肉を、皮を下にして焼き目をつける』などと、調理方法が書かれている。


「……これは?」

「レシピ……でしょうか?」

「あぁ、そうだな。それも、おそらく……」


 困惑気味な二人に、俺はおそらく間違いではないであろう明確な解を示してやる。


「豊胸効果の高い食材をふんだんに使った、鶏肉と大豆のホワイトソースグラタンのレシピだっ!」

「大きなお世話だよ、ノーーーマーーーァァ!」


 馬車の窓から身を乗り出して、はるか遠く、陽だまり亭の方向へ咆哮するエステラ。


「ナタリアの見解が正しかったようだな」

「やはり、とある部分が一向に発達しない……」

「あぁもう! 君たちもさっさと手紙を読んじゃえば!?」


 もらった手紙を四つ折りにして懐へしまうエステラ。

 ぐしゃぐしゃポイ……とは、しないんだな。なんだかんだ嬉しかったんだろう。


 エステラがふてくされたので、俺とナタリアはそれぞれの手紙を各自で広げた。


「おや……これは…………」


 俺が読み始めるより前に、ナタリアが難しい表情を見せる。

 ……気になるな。


「何が書かれてたんだ? 苦情か?」

「私は、他人様から苦情をいただくような振る舞いをしていないつもりですが」

「『つもり』……ね」


 それじゃあ、今度改めて自分の言動を振り返ってみるといいぞ。

 失礼だらけだから。


「それで、なんて書いてあるんだい?」


 エステラに言われ、ナタリアは自身の手紙を公開した。

 手紙を持った両手をすっと下ろして、手紙の上下を入れ替えるように半回転させる。

 覗き込むと、そこには短く簡潔に、こんな言葉が記されていた。



『ナタリアは、自重を』



「これを書きそうな人に心当たりがあり過ぎて、誰からのメッセージなのか分かりかねているのです」

「誰からかの前に、ここに書かれていることは是非遂行してくれよ」

「善処します」

「確実に実行するように。これは、領主命令だよ」

「可能な範囲で」

「素直に『はい』と言えないのかい、君は?」

「はい」

「……言えてんじゃねぇか」


 まぁ、自重と言ったって、どれくらい自重するかはナタリアのさじ加減ひとつだ。

 あまり期待しないでおこう。


「おや。こちらの可愛らしい文字は、ミリィさんのものですね」


 話を有耶無耶にして、次の文章へと視線を移すナタリア。

 視線の先には、小さく丸っこい文字が書かれている。



『いつか、一緒にお出かけできると嬉しいな』



 そういえば、ミリィとナタリアって組み合わせはあまりないかもしれないな。

 なんだかんだで生花ギルドは忙しそうだし、ナタリアも給仕長で忙しくしている。


「そうですね。機会があればゆっくりとお話をして……」


 ナタリアの細い指が、ミリィの丸っこい文字を撫でる。


「……私色に染めてあげたいですね…………にやり」

「「接近禁止!」」


 ミリィは、もはや四十二区の重要文化財だ。

 こういう危険な連中から保護しなくては! 街をあげて!


 あとは、『ヤシロをよろしく』とか、『風邪引くなよ』とか、『他の街でナイフを振り回さないように』とか、そんなことが書かれていた。

 なんだか、手紙というより注意事項のようなものになっている。


 それも仕方のないことなのかもしれないな、とは思う。


 紙とペンを渡されていきなり書けと言われても、何かいい言葉を書けるヤツはそういない。

 文章で想いを伝えるのは、結構頭を使うのだ。

 普段から思っていることなら、簡単に文章に出来たりするんだけどな。


 きっと俺の手紙にも『おっぱいにつられるな』とか、『羽目を外し過ぎるな』とか、そんな言葉が並んでいることだろう。

 連中が言いそうな言葉を想像しながら、丁寧に折りたたまれた手紙を開く。

 そこには――



『お兄ちゃんなら平気かもですけど、最近遠出が多いので少し心配です。無理しちゃダメですよ』

『てんとうむしさん。ピクニック、楽しみにしてるね。夜は寒いから、風邪ひいちゃだダメだよ』

『困ったことがあったらあたいを呼べ! どこにいても駆けつけてやるからな!』

『暴飲暴食と夜更かし、それから無理と無茶は禁物さよ。十分気を付けておくれなね』

『走り回って倒れたりしちゃダメだよ~☆ この次はいっぱい海のお話しようね~☆』

『成果を期待いたします。でも、何より、無事な帰還を望んでいますわ』



 どいつもこいつも、俺への心配を滲ませるような文章で……そして最後には、マグダらしい簡素な文字で――



『陽だまり亭にて待つ』



 早く帰れとのお達しがあった。

 …………あいつら。


「愛されてるね、君は」

「…………」


 すました顔でこちらへウィンクを飛ばしてくるエステラ。

 ふん……そんなもんで、何回も何回も俺が照れると思うなよ。


「いいだろう? 羨ましいか」


 そう返してやると、エステラが吹き出した。


「ふふっ……そう返してくるとはね。くくっ……いや、君も変わったよ。うん、変わった」


 何が面白いのか、お腹を押さえて肩を震わせている。

 その向かいでは、ナタリアが瞼を閉じて口角をむにゅむにゅと歪めている。……笑うならもっと分かりやすく笑えっての。


 頼られていること自体に、嫌悪感は……もうない。違和感はあるけどな。なんで俺なんだろうって。……いや、俺がなんで……って感じか。

 だが、分からんことはない。


 人は、分かりやすいリーダーシップに惹かれる。

 先導者に対しては、安心と信頼を覚え、そして身を委ねがちだ。

 そして俺は先導者になりやすい。


 詐欺師は、他人を己の罠へと誘導するスキルが求められるからな。

 心理学や人体力学なんかを駆使して人を操る。

 その行き着く先が罠であればそいつは詐欺師で、行き着く先が幸福であればそいつは英雄と呼ばれる。

 詐欺師と英雄は紙一重だ。

 結果が、そいつにとってプラスかマイナスか、どちらになるかで印象が変わる。


 だから、こいつはアレだな。

 連中は、すっかり俺に騙されているのだ。

 俺の詐欺師スキルのなせる業ってわけだ。


「もし、英雄ギルドなんてのを作りたくなったらボクに言ってね。検討するから」

「寒気がするギルドだな。確実に悪質な集金団体になるぞ、そいつは」


『英雄様に声援を、支援を金額で示しましょう』ってな。


 基本的に、善人面で耳に心地のいいことばかり言うヤツは悪人かペテン師だと思っておけばいい。

 完全なる善意で人に尽くそうなんて人間は、そうそういやしないのだから。

 いたとしても、ジネットくらいのもんだ。

 エステラでさえ、自分に不利益が被りそうな時は渋い顔をしやがるのだ。


 英雄?

 無報酬で、利益を顧みず、善意で人のために尽くし、リーダーシップを発揮して人々を導く……そんなヤツいるわけないだろうが。


「もし本当に英雄なんてヤツがいたら、そいつは深刻な病に侵されているんだろうよ」


 究極のドMか何かなんじゃないだろうか。

 それか、承認欲求が異常に強い、他人に見られることに快感を覚えてはぁはぁしちゃう異常性癖を持った危険人物か。

 ……どっちにしても変態だな。


 ――と、俺が英雄なんてものの胡散臭さを懇切丁寧に説いてやっている間中、エステラとナタリアはずっとにやにやしてやがった。真面目に聞けよ、人の話は。結構貴重なんだぞ、現役詐欺師が語る詐欺に引っかからないための講習なんてのは。

 受講料を徴収したいくらいだ。


「それじゃあ、二十四区で交渉を頑張ろうか。ボクたちの利益のために」


 なんとも気に食わない笑顔を浮かべて肩を組んでくるエステラ。

 お前が巨乳なら、ヒジで横乳をぷにぷにしているところだぞ。……残念ながら、今現在俺のヒジに触れるものは皆無だけれど。


 利益を上げるのは当然だ。いちいち言われるまでもない。

 なのに嬉しそうにエステラはあえてそんなことを口にする。……面白がりやがって。


 そんな浮かれポンチなエステラの向かいで、ナタリアが自分の胸をトントンと二度叩く。それから右ヒジを軽く曲げて横方向へ二度スライドさせ、そして、二度手のひらを振る……

 これはつまり――


『お前のおっぱい』

『ヒジを動かしても』

『スッカスカ』


 ――ということだろう。


 ……何やってんだよ。

『パン』『2(ツー)』『丸』『見え』みたいなノリか?


「とりあえずナタリア、夕飯の後、話があるから」

「私は何も言っておりませんが?」

「口に出さなきゃセーフってわけじゃないからね」

「スッカスカ!」

「だからって口に出すなっ!」

「言わなきゃ損かと思いまして」

「思うなぁ!」


 ……こいつらと旅すると、本当に賑やかなんだよな。

 移動中くらい大人しく出来ないものか……


 ちょっとくらい、苦言を呈しておくか。

 あいつらも言ってたしな。


「ナタリア、自重しろ」

「まさか……ヤシロ様に注意されるとは…………」


 不服そうな顔で言うんじゃねぇよ。


「手紙にも書いてあったろ」

「確かに、そうですね。分かりました、多少は自重しましょう」


 で、ナタリアの次はエステラだ。

 これも手紙に書かれていた内容に合致するだろう。


「エステラ、成長しろ」

「出来ることならやってるよっ!」


 こいつは頑なか!?

 手紙でも、みんなに似たようなこと言われてたくせに!


「……君にも十二分に自重してもらいたいものだね」

「すまん。俺、自重すると過呼吸に陥ってしまう体質で……」

「どんな体質だ!?」

「自分が苦しむくらいなら、他人に甚大な迷惑をかける方がいいと思ってる!」

「社会不適合者か!?」


 俺は、何より俺自身に優しい人間なのだ。

 異世界もひっくるめて、全世界に『俺』という人間はたった一人しかいないのだ。

 大切にしなくては。


「お前ら、もっと俺を大切にしろ」

「そっくりそのままお返しするよ!」

「あぁ、『俺』って大切だなぁ!」

「違う違うっ! そうじゃなくて、ボクを大切にしてくれるかな!?」


 なんだよ、そっくりそのまま返ってきたから『俺』を大切にしてやったってのに。

 だいたい、エステラをどう大切にしろってんだ。お姫様扱いでもしろってのか?


「じゃあ、ずっとおんぶして移動してやるよ」

「介護じゃないか、それじゃ!?」

「時折『いないいないばぁ』もしてやろう」

「子守だったようだね!?」


 何もかもが気に入らないエステラ。

 まったく、これだから貴族は……わがままな。


「まぁまぁ、エステラ様。そうカリカリなさらずに……いないいない、ばぁ~」

「いないいないばぁするなっ!」


 ギャーギャーとやかましく、馬車は夜の道を進む。

 きっと、いつも以上に賑やかなのは、あいつらがくれた手紙のせいなのだろう。

 単純な言葉でも、ふざけた内容でも――自分のために書かれた文章というのは嬉しいもので、こうしてエステラやナタリアが羽目を外してしまうくらいの威力を持っている。


 俺は詐欺師だからよく分かるし、知っている。


 言葉ってのは、それだけ凄い力を秘めているものなのだ。

 人を動かし、心を揺るがし、幸福にも不幸にも出来てしまう。


 特に、手書きの文字ってのは強烈だな。


 アゲハチョウ人族の娘と貴族の男……無理矢理引き裂かれたシラハたちが、何十年も思い合えたのも、手書きの手紙があったからだろう。

 知ってか知らずか、マグダは最良の選択をしたわけだ。

 この、割と扱いやすい単純な領主の底力を引っ張り出して、交渉を上手く運ばせるための、最良の選択を。


 このごたごたが片付けば、少しはゆっくり出来るだろう。つうか、ゆっくりしたい。


 そのための原動力に、この手紙たちはなってくれるのかもしれないな。

 なんてことを、馬車に揺られながら考えてしまうくらいには、俺も浮かれていたらしい。


 馬車はそのまま走り続け、月が夜空の随分高い位置に来る頃、俺たちは二十四区へとたどり着いた。







「まずは宿へ入り、その後で夕飯といたしましょう。席を取って準備をさせておきますので」


 二十四区に入ると、俺たちの乗る馬車はアッスントの馬車に付いて一軒の宿へと向かった。

 これがまた、凄まじくデカイ宿でちょっと度肝を抜かれた。

 なにせ、この街に来て四階建てってのを初めて見たからな。


「儲かってやがんだな……ちきしょう」

「そのご感想、私もまったく同意ですよ」

「二人して黒いオーラを出さないでくれるかな? こんないい宿に泊まれるんだから、もっと素直に喜びなよ」


 お金担当のエステラが嘆息する。

 人の金だと思うと幾分気は楽になるが……あるんだな、四階建て。

 横に広い建物はいくつか見たんだがなぁ。シラハの屋敷とか。

 イメルダの家は、敷地内にいろんな建物があってそれはそれで豪勢な作りなのだが、母屋は二階建てだ。


 四階建てか。

 日本のホテルと比較すると見劣りするが、この街の雰囲気と辺りの景観とあわせると、なかなか迫力がある。


「しかしまぁ、今回お取りした部屋は二階ですので、それほど気負わずにお寛ぎください」

「なんだよ、二階かよ」

「贅沢言わないでくれるかい? ここに泊まれるだけでも、相当凄いことなんだからね」

「確かに、その通りですね」


 なぜか得意げに、アッスントが両腕を広げ鼻の穴を膨らませる。


「この『月の揺り籠』は、おいそれと宿泊出来る宿ではございません。宿泊客にも相応の品格が求められる、一流の宿なのです」


 一流なら、ホテルとかって翻訳してくれねぇかな。

 宿って言われると、どうしても民宿的な素朴さを感じてしまう。


「一階は食堂と酒場、二階からが客室で、宿泊出来るのは一流の宿泊客のみ。三階は超一流の品格が求められ、四階ともなればVIP以外立ち入り禁止となっているそうですよ」

「VIPねぇ……」


 どうせエレベーターなんて気の利いたものはないんだろうから、四階まで階段で上るわけだろ? VIPが、えっちらおっちらとな。

 で、上ってみたはいいが所詮は四階だ。さして見るものも驚きもないだろう…………


「全然羨ましくないな」

「不思議ですね。ヤシロさんが言うと、本心からの言葉に聞こえます」


 こっちの世界じゃ、一度くらいは泊まってみたいと思うような高層階なんだろうけどな。

 日本で散々プレジデントルームに泊まりまくっていた俺からすればどうということはない。むしろ話にならない。

 そんなわけで……、階段をさほど上らずに済む二階あたりがありがたいぜ。


「うん。二階がベストだな」

「意見が変わったね。気を遣ってくれてるのかい?」


 まさか。

 俺はただ、たかだか四階程度の高さで、これ見よがしに高級感を出そうとしているこの宿屋の底の浅さを肌で感じてげんなりしているだけだ。

 押しつけがましい高級感とか、うんざりなんだよな。

 見栄えだけ取り繕って、サービス業の基本精神を蔑ろにしている三流ホテルを嫌ってほど見てきた身としては。


 そもそも、名前からしてカッコつけてるしな。

 『月の揺り籠』ってなぁ……小洒落やがって。


「四階に泊まってるヤツらのヒザを見るのが楽しみだな。きっとぷるぷる震えてるぜ」

「えぇ、そうでしょうね。けれど、彼らは見栄の塊。乱れる呼吸を隠して涼しい顔をしていることでしょう」

「ヒザはぷるぷるで、心臓ばっくばくなのにな……ケケケ」

「取り澄まして、『あら、一階というのはこんなに地面が近いのねぇ』とか言うんですよ……滑稽ですね……クックックッ」

「おーい、君たち。これ以上夜の闇を濃くするの、やめてくれるかな?」

「お二人から、ドス黒いオーラが出まくりですね」


 いかんいかん。

 拝金主義な貴族どものことを考えると、ついつい嘲笑ってしまう。

 アッスントが伝染うつったかな?


 領主とそこの給仕長は、貴族に対して仄暗い感情は抱いていない様子だ。

 お前らだって、そうそうこういうところには来られないくせに。余裕ぶっちゃって。


「とにかく部屋へ行こう。荷物を置きたいよ。馬車は、アッスントが預けてきてくれるのかい?」

「えぇ。行商ギルドの支部が二十四区にありますので、そこを貸してもらいます」


 さすがは大豆と麹の街だ。行商ギルドが腰を落ち着けてやがる。

 ここが近隣区内で最も金が集まる場所なんだろう。

 いい嗅覚をしているな。


「しかし、アッスント。よくもまぁ、ここの連中がお前の頼みをすんなりと聞き入れてくれたもんだな」


 最貧区の支部を任されているアッスントは、各上の支部の連中には頭が上がらないのかと思っていたのだが……随分と優位な立場にいるように見受けられる。


「んふふ……麹職人との繋がりが出来ましたのでね。彼ら……あ、二十四区の支部の人間のことですが……彼らは私を邪険には出来ないのですよ、もはや」


 麹職人は気難しいという話だった。

 もしかしたら、二十四区の行商ギルドは直接的な繋がりを持てずにいたのかもしれない。

 商品の取引はあるだろうから、間接的な繋がりはあるのだろうが……


 新製品を考案して、麹職人に好感触を与えたアッスントは、ここの支部の連中にとってもありがたい存在ってわけか。

 多少のわがままくらいなら聞いてくれるほどに。


「そんなわけで、本当はこの宿でご一緒したかったのですが、私は支部の方へ泊まることにします」


 この宿には俺たち三人だけが宿泊するようだ。


「行商ギルドの支部には、特別な取引相手しか泊まれない部屋があるのですが、今回そこに泊めていただけることになりましてね。いやぁ、一度泊まってみたかったのですよ。んふふ、夢が一つ叶いました」


 嬉しそうに鼻を鳴らすアッスント。

 本気で嬉しそうだ。

 行商ギルドの間では、割と有名なのかもしれない。二十四区の行商ギルド支部に宿泊することの凄さは。


 本人がそうしたいのなら止めはしない。

 エステラの負担が減るのは喜ばしいことだからな。


 おまけに、うまやまで無料で貸してもらえるのだ。文句なしだな。


「それで、お部屋なのですが……」


 言いながら、アッスントが二つのカギを取り出し、俺たちの前へ差し出す。


「一人部屋が一つと、二人部屋が一つです…………さて、どちらとお泊まりになりますか?」


 意味深な笑みを浮かべて、アッスントが俺を見る。

 隣で、エステラがごくりと喉を鳴らす。


 ……えっと、『どちら』って…………


 面白がっているアッスントを一睨みする。

 ぺろりと舌を覗かせて、斜め上に視線を逸らすアッスント。一切可愛くないからな、その顔。


 と、音もなくナタリアが一歩前へ進み出る。


「エステラ様は領主です。どうぞ、ごゆっくりと一人部屋でお寛ぎください」

「なっ!? ちょ、ちょっと待ってよ! それじゃあ、君がヤシロと同じ部屋に泊まるというのかい!?」

「はい。その方が、合理的かと」

「何が合理的なのさ!? ダメに決まっているだろう、そんなこと!」

「何か、不都合な点でも?」

「君は寝る時、全裸じゃないか!」

「「何か、問題でも?」」

「さり気なく参加してこないでくれるかな、ヤシロ!? 問題大ありだから!」


 ずずいっと進み出て、ナタリアを右腕で牽制する。

 俺から遠ざけるように、ナタリアのへそ付近に手を当てて、ぐいぐいと押している。


「これは別に、何か深い意味があるわけではなく、領主の館を守る給仕長が、他所の区で何か問題行動を起こしたりすれば大問題になるから、だから止めているんだからねっ!」


 そんなツンデレチックな言葉を、これまたツンデレチックな目で俺を睨みつつ言い放つ。

 惜しいな。あと一言、「勘違いしないでよね!」が入っていればパーフェクトだったのにな。


「では、エステラさんがヤシロさんと同じ部屋に泊まると――そういうことでいいんですね?」

「ふぁっ!?」


 アッスントの指摘に、エステラがフリーズする。

 顔が真っ赤に染まり、肌寒い夜空に一筋の湯気を立ち上らせる。


「ま…………っ、まぁ、しょ……しょうがない、かな……こういう事態だし? 他に……選択肢も…………見当たらないし? 不祥事が起こるよりかは……ね? いい……よね? うん」


 言い訳が、いつの間にか自己暗示へと切り替わる。

 真っ赤な顔をして、赤い瞳で俺を見つめる………………


「仕方ない…………よね?」


 そんな、乙女みたいな上目遣いで言われても…………


「俺が一人部屋で、お前とナタリアが一緒に泊まればいいだろうが」

「「――っ!?」」


 四十二区切っての頭脳派エステラと、完璧給仕長ナタリアが、揃ってその可能性に気が付いていなかったようだ。

 ……つか、普通男女で分けるだろうが、こういう時は。


「ア、アッスントが、最初にヤシロに『どっちと』なんて聞くから!」


 己の視野の狭さを、アッスントのせいにして八つ当たりを始めるエステラ。

 やめとけやめとけ。

 そうやってムキになればなるほど、アッスントを喜ばせることになるぞ。


「んふふ……こういうハプニングも、旅先のいい思い出になるかと思いまして。演出の一環ですよ」


 まったく可愛くもないウィンクを寄越してくすくすと笑うアッスント。


「…………アッスント……覚えておくといいよ……っ!」


 エステラが小声で負け惜しみを言うが、顔が真っ赤なので効果は半分ってところだ。


「……夜の闇に、お気を付けくださいませ」


 …………うん。お前が言うとシャレにならないんだわ、ナタリア。

 お前も、ついうっかり騙されてちょっとイラッてしたんだな。

 ……とりあえず、その懐に忍ばせた手さぁ……怖いから出しといてくんないかな? 血の惨劇とか、見たくないからさ。


 切れ者二人をまんまと騙して、からかって、アッスントは上機嫌で宿の前から去っていった。

 俺たちの馬車を預け、荷物を置いた後で、もう一度合流して飯を食う手はずになっている。


 ……合流、出来ればいいけどな。


「夕飯はアッスントの奢りだね」

「そういたしましょう」


 珍しく一杯食わされた二人が結託している。

 アッスントは、この後自身の悪ふざけの代償を払わされるのだろう。ま、自業自得だ。


 さぁ~て、俺は俺でさっさと一人部屋に向かおうかな。

 一人部屋は気楽でいい。


 とりあえず、全裸のナタリアとも、照れて真っ赤なエステラとも同じ部屋にはいたくないからな。……落ち着かねぇっての、ったく。



 居心地の悪さを振り払うような早足で、俺は自分に割り当てられた部屋へと向かった。







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