197話 大豆があるのに
「これが、一晩浸け込んだ大豆じゃ」
「「おぉ~……っ!」」
元のサイズの二倍ほどに膨らんだ大豆を見て、エステラとアッスントが声を漏らす。
俺も初めて見た時は驚いた。「どんだけ乾いてたんだよ、豆!?」ってツッコミそうになったもんだ。懐かしいなぁ、小学校の社会科見学。
というか、アッスントの声がわざとらしい。
「こんなに大きくなるものなのですねぇ! いやはや、驚きました!」
「…………無理せんでいいのじゃ。おぬしは知っておるのじゃろう、どうせ」
「い、いえっ! この工程は存じ上げておりませんでした。いやはや、勉強不足でお恥ずかしい!」
「…………何事も、中途半端というのは一番イカンのじゃ。聞きかじった知識をひけらかしているようでは、いつか大きな恥をかくことになるからのぅ」
「う…………肝に銘じておきます…………」
盛大に空回っている。
というか、リベカの中でアッスントに対する好感度が急降下している。
今は何を言っても逆効果だと思うぞ。ちょっと黙っとけよ。
「それでの、エステラちゃん。この大豆を、今度はまたたっぷりの水で煮ていくんじゃが、四時間も煮込めば親指と小指で押し潰せるくらいに柔らかくなっての……」
身振り手振りを交えてエステラに味噌作りの工程を説明するリベカ。
それを「へぇ~」とか「え、そんなに!?」とか、子供が好みそうな反応を次々返すエステラ。あいつのあの聞き上手は天性のものなのかね。
「リベカ様。味噌はともかく、今は豆板醤のお話を。ここにいらっしゃる方は皆様、お暇ではございませんので」
ぴしゃりと言って、そそっとこちらに目配せをするバーサ。
俺たちがこの後二十四区の領主に会いに行くということを知っているのか……単純に他区の領主を長く引き留めておけないと思っているのか…………いい加減、リベカに仕事へ戻ってほしいのか………………最後が有力候補だな。
「なんじゃ。みんながわしのクイズを楽しんでおったというのに……のぅ?」
「それじゃあ、また今度ゆっくりとクイズ大会を開こうか?」
「おぉ、大会かぁ! 面白そうじゃな、それは! さすがエステラちゃんじゃ!」
エステラ『ちゃん』が馴染まず、名を呼ばれるたびにエステラの頬が微かに引き攣る。
嫌がってはいないようだが。
わちゃわちゃとやかましいお子様はエステラに丸投げして、こっちはこっちで話を進める。
「アッスント。頼んでおいた物は持ってきてくれたか?」
「はい、もちろんですっ!」
己の領分に入るや、アッスントが生き生きとし始める。
やはり、どう触れていいか分からないお子様の相手をするより、こっちの方が気が楽なのだろう。
「二十四区の商人に言って、高品質のものを用意しておきましたよ」
そう言って差し出されたのは、見事な太さのキュウリだ。
触れると痛みを感じるくらいにしっかりとしたトゲを持つ新鮮なキュウリ。
これで豆板醤の味を見てみようというわけだ。
「小皿にお取り分けいたしますか?」
「あぁ、そうだな。頼むよ」
「では……」
バーサが、小さな壷から豆板醤を掬い取る。
赤茶けたいい色合いの豆板醤が小皿へとよそわれる。深い香りが鼻孔をくすぐる。まだまだ熟成は足りないが、豊かな香りだ。
バーサの持ってきた壷は小ぶりで、片手で持てる程度のサイズだ。
おそらく、別の場所で保管されている豆板醤を小分けにして持ってきたのだろう。こういうのは、あまり空気に触れさせるのもよくないからな。
「ヤシロ様。食べやすい細さにカットしておきました」
バーサが豆板醤をよそう間に、ナタリアがキュウリを縦長にカットしていてくれた。
その際、舌に刺さりそうなトゲは除去されていた。キュウリのトゲくらい気にしないのに、几帳面なヤツだ。
そして、『ザ・野菜スティック』みたいな形状になったキュウリに豆板醤をつけて、齧る。
「辛っ!」
刺さるような辛みが味蕾を襲う。
舌の奥側、両サイドがピリピリと痛む。
豆板醤は熟成させるほどに、この刺々しい辛みがまろやかになっていくのだが、まだまだ刺激が強過ぎる。
だが、美味い。
「うん。確かに辛い……けど、美味しいね」
「そうですね。深みがあって、複雑な味わいです」
エステラとナタリアが顔をしかめながらそんな感想を寄越す。
いや、辛いんだよ、マジで。決して不味くて顔をしかめているわけではない。
「このまま熟成させてくれれば、かなり美味い豆板醤が出来るはずだ。さすが職人だな、リベカ」
「むふふん! 当然なのじゃ。さぁさ、遠慮せずもっと褒めるといいのじゃ」
これでもかと鼻を高くするリベカ。
初めてでこの味が出せたのなら、存分に調子に乗るといい。
この出来上がった豆板醤(未成熟)をもらって帰りたい。
こいつがあれば、陽だまり亭に加えようとしている『アレ』の試作品が作れるかもしれない。
豆板醤を使った大人気メニュー。
押しも押されもせぬ、中華料理の代表格。
麻婆豆腐。
あれが作れれば、絶対にヒットする。
「なぁ、リベカ……」
頼みたいことがあるんだが…………と、俺が言う間に、リベカの方から話を持ち掛けられた。
「のぅ、我が騎士よ。一つ頼みたいことがあるのじゃ」
それは、出来る限り潜めた小声で、それでいて切実で、俺にだけ訴えかけるようにこっそりともたらされた要求だった。
「これで料理を作ってほしいのじゃ」
料理。
ん、まぁ、以前アッスントに託した『豆板醤もどき』ではなく、本当の豆板醤を使った料理に興味があるってのは分かる。分かるんだが……なぜ小声?
「リベカ様。もっと大きなお声で話されてはいかがですか?」
「う、うるさいのじゃ! これは、わしと我が騎士との、二人きりの秘密の相談なのじゃ!」
訳知り顔のバーサ。
あいつは、リベカのこの不可解な行動の理由を知っていそうだ。
こそこそと人目を盗んで行われたお願い。その意味を。
「豆板醤の味を見てみたいけれど、あまりに辛くて泣いてしまうので、何かお子様でも食べられる料理はないですかと、はっきりお聞きください」
「な、泣いてないのじゃっ! それにお子様でもないのじゃ!」
「そうやって意地になるのがお子様の証拠です」
「違うのじゃ違うのじゃ! わしは大人なレディなのじゃ!」
「その語尾と一人称も、大人っぽく見せたい一心で無理やり始めたことではないですか」
「ぬぁぁああ! バラすななのじゃあー!」
バーサに飛びかかり、小さい拳でぽこぽこと叩く。
バーサは柳に風と言わんばかりに無反応だ。きっと、ちっとも痛くないのだろうな、リベカパンチは。
というか、あの「わし」とか「~じゃ」ってのは大人っぽく見せるためだったのか…………大人っぽくを通り越してババアっぽくなってんじゃねぇか。
「ふ、ふんじゃ! バーサは意地悪じゃ! 自分ばっかり歳を取って、ズルいのじゃ!」
いや、歳はみんな平等に取っていくもんだよ。……俺は若返ったけれど。
「いい加減、私と張り合うのはおやめください。年齢に関しては覆しようがないのですから」
「そんなことないのじゃ! 『バーサはいつまでも若い』って、工場のみんなも言っておるのじゃ! 子供じゃ、バーサは!」
いや、それは単なる褒め言葉だぞ、リベカ。
「いいえ! ババアです!」
言い切ったな!? まさか自分で言うとは!
「若いのじゃ!」
「若者と同じ口調で話しても、ミニスカにチャレンジしてもババアです!」
チャレンジしたのか、バーサ!?
「ん~~~~んっ! バーサは若いのじゃ! わしと変わらんのじゃ!」
「いいえ! 三百六十度、どこから見てもババアです! 老若男女、誰の目にもババアです! 二十四時間、変わらずババアです!」
「ズルいのじゃぁああーっ!」
……お前らの価値観が、よく分かんねぇよ。
「あ、あの……バーサさん」
「おや、私としたことが。失礼をいたしました。よそ様の前でお見苦しい真似を……」
「いえ、気にはしてませんが…………バーサさんはお若いですよ」
「ありがとうございます」
慇懃に礼をするバーサ。
まぁ、こういうのを丸く収めるのはエステラの役目だろうな。年齢の話をしてもトゲが立たない。
しかしなんだな…………このバーサってのは、ナタリアにそっくりだな。主のあしらい方が。
「そういうわけでして、リベカ様でも食べられる豆板醤を使用した料理をご存知でしたら教えていただきたいのです。自身の育てている物が美味しいと知ると、リベカ様のモチベーションも爆上がりいたしますので」
爆上がりって……
しかしまぁ、海のものとも山のものとも知れない物より、親しみのある物の方が身も入るか。
しかし、「育てる」か。
麹は生き物だ。それを使った味噌や醤油、豆板醤は、確かに作るというより「育てる」に近いかもしれない。
そういう表現ひとつからも、こいつらの仕事に対する姿勢が窺える。
こいつら、いい職人なんだな。
やっぱり、どうあっても豆板醤は流通させたい。
こいつらに任せておけば、きっと美味いものを作ってくれる。
……なので。
今回だけは助けてやるから、最大限感謝しろよ、アッスント。
「辛さを抑えるのかぁ……う~ん」
「な、なんじゃ? 難しいのか? 砂糖とか入れてみたらどうじゃ?」
「いや、『ある物』が手に入ればなんとかなるんだが……こんな時間じゃあ、難しいかもなぁ……」
とか言いながら、アッスントをちらりと見やる。
……うわぁ、物っ凄い嬉しそうな顔されちゃったよ。両目がきっらきら輝き始めちゃった。……察しが良過ぎてむかつくなぁ。
「ヤシロさん! 私がいるじゃないですか! 持てる力のすべてを使って、ご用意いたしますよ! 可能な限り! 全力で!」
……ここぞとばかりにアピールしてきやがる。
俺が合図を送ったってことは、『努力次第で用意出来る物』に違いない――とか、思ってんだろうな。まぁ、正解だけどな。
せいぜいポイントを稼いどけよ。
「じゃあ、アッスント。ヨーグルトを用意してくれ」
「ヨーグルト、ですか?」
「あぁ、なるほど」
小首を傾げるアッスントの隣で、エステラは合点がいったようにすっきりした表情を見せる。
エステラは以前、『陽だまり亭カレーの惨劇事件』に居合わせたからな。
乳製品がカプサイシンの辛さを和らげてくれることを思い出したのだろう。
とはいえ、入れりゃあいいってもんじゃなく、使いどころは弁えないといけないけどな。
カプサイシンの辛みを抑えるカイゼンは熱に弱いため、食べる直前に混ぜてやる方がいい。
卵でとじたり、鶏がらのスープで薄めたりと、他にも方法はあるんだが……ジネットがいないからな、簡単な方法を採用することにする。
「分かりました! では、ヨーグルトを手に入れてきます!」
「あ、それから。豆腐も頼めるか」
「とうふ……ですか?」
あれ?
なんだ、その反応?
まさか、無いのか?
「懐かしいですねぇ、豆腐」
「……懐かしい?」
「よくそんな昔の食べ物のことまで知っていますね。さすがヤシロさんですね」
いやいや、ちょっと待て。
「昔の食べ物」ってなんだ?
エステラやリベカはきょとんとしているし、バーサが妙にきらきらした表情を見せている。
…………この反応はまるで、昭和歌謡が流れるお茶の間のジェネレーションギャップそのものではないか。
祖父母が当時を懐かしみ、両親が「聞いたことあるなぁ~」みたいな反応で、子供たちが「さっぱり分っかんね」と興味を示さない。
……え、豆腐、ないの?
「残念ながらヤシロさん。豆腐は手に入れられません。製造しているところがないのです」
「なんでだよ? 大豆の加工品がこれだけ充実してるんだから豆腐くらい…………」
そこまで言いかけて、自分で気が付いた。
そうか。だからか。
俺の推測が正しいと証明するように、バーサがゆっくりと首肯する。
「はい。そうでございます。現在収穫されている大豆のすべては、味噌やしょうゆを作るために使用されているのです。それ故に、豆腐の製造はもう二十年ほど前に中止となりました」
おぉう……なんてこった…………
これじゃあ、麻婆豆腐が作れないじゃないか…………豆板醤を作ったのだって、八割くらい麻婆豆腐目当てだったってのに……
「……リベカ。大豆をちょっと譲ってもらうってのは?」
「無理なのじゃ。どこもかしこも大豆をくれくれとうるさいのじゃ。余分な大豆など、どこにもないのじゃ」
「だったら、もっと大量に生産すればいいじゃねぇか」
「そうしたら、ソラマメやピーナッツが捌ききれなくなるのじゃ」
じゃあ、そのくっそ無意味な『BU』ルールを廃止すりゃあいいだろうが!
…………くそ。なんて愚かな政策なんだ。無駄、無意味の詰め合わせか。
「…………『BU』のくだらない豆ルールをぶち壊してやる……っ」
「ヤシロ。壮大な野望はさておき、最優先事項は四十二区へ請求されている賠償の棄却だからね。忘れないでね」
あぁ、もう!
目の前に大ヒット間違いなしの料理が見え隠れしているってのに!
ホント、邪魔しかしねぇな、『BU』はっ!
「……諦めねぇぞ…………絶対に豆腐を作ってやる…………『BU』を解体してでもっ!」
「だから、ヤシロ……目的を見失って、無暗に問題を大きくしないでね。あくまで、最優先は四十二区の危機回避だから」
バカモノッ!
目の前に金儲けの種がぶら下がっているのにみすみす見過ごせるか!
「が、今すぐどうこうってのは、実際問題無理か…………」
「私も、出来ることならお作りして差し上げたいのですが」
少し寂しそうな笑みを浮かべてバーサが頭を下げる。
「規則ですので、ご理解ください」
「その口ぶり……バーサは豆腐が作れるのか?」
「はい。経験がございますので」
先ほど「二十年前に廃止となった」と言っていたが、それ以前に作ったことがあるのだろう。
なんで廃らせちゃうかなぁ、あんな美味いもんを。
「の、のぅ、我が騎士よ…………もしかして、その『とーふ』とかいうのがないと、美味しい豆板醤料理は作れんのか?」
「いや、そんなことはないが…………」
麻婆豆腐しか頭になかったからなぁ…………あっ、そうか。アレがあるか。
「じゃあ、アッスント。ナスを用意してくれ」
「ナ、ナス……ですか?」
「なんだよ? ナスはあるだろ?」
あまりにキョトンとされた顔をしたのでちょっと不安になってしまった。
ナスは現在も作られているはずだ。
モーマットの畑でも見たし、陽だまり亭でも使っている。……味噌田楽、美味いんだよなぁ……
「すみません。豆腐とはあまりにもかけ離れた食材でしたもので……方向転換をされた、ということでいいですかね?」
「いや、方向は1ミリも変わってないぞ」
なにせ、作るのは麻婆茄子だからな。
あれも美味い!
「ナスなら、わしに心当たりがあるのじゃ! しばし待っておるのじゃ! すぐもらってくるのじゃ!」
言うが早いか、リベカは走り出し、ドアを飛び出していった。
……なんだ?
「……リベカ様…………また」
「『また』?」
「あぁ、いえ……こちらのことでございます」
リベカが飛び出していったドアを見つめて、バーサがぽつりと呟く。
後先考えずに突っ走るあの性格に頭が痛い……ってニュアンスでは、ない気がするが……
何も言わないバーサ。
その横顔を見つめていると、リベカがひょっこりと戻ってきて、ドアから顔だけを覗かせた。
「アッスントよ。どちらが早く食材を手に入れて戻ってくるか競争じゃ」
「えっ!?」
「よーいどん、じゃ!」
「えっ!? えぇっ!?」
それだけ告げるとリベカは再び子供パワー全開で廊下を駆けていった。
盛大に焦りを見せるアッスント。
「あ、あのっ!? こ、こういう場合、どうするのが正解なのでしょうか!?」
クイズでの失態から、少々臆病になっているようだ。
何をやっても怒られそうな気がして委縮する……お前、トレーシーんとこのネネかっつの。
委縮すると、どうでもいいところで失敗を量産しちまうぞ。
「全速力でヨーグルトを用意してこい」
「な、なるほど! 勝てばいいのですねっ!?」
「いや、負けろよ」
「負ければいいんですね!?」
「タッチの差でな」
「タッチの差で!?」
「それも、敷地直前まではリードしていて、全速力で走りながらも途中で追い抜かれて、デッドヒートの末にタッチの差で負けるんだ」
「物凄く要求が高くないですか!?」
「それが一番盛り上がるだろうが」
「それは……そうでしょうけど……」
それくらいやらなきゃ、お前の失点は取り返せないんだよ。
「では、私がリベカ様に付き添って、それとなく妨害工作をしてまいりましょう」
静かに、バーサが歩き始める。
「二十分ほどは足止めが可能です…………アッスント様、ご検討を」
「に、じゅっぷん…………」
視線を上に向け、脳内でアッスントなりの計算式が展開されているのだろう。
物の数秒でその答えが出たらしく、アッスントの目と鼻の穴が限界まで広がった。
「死ぬ気で急いでもギリギリですっ!? こうしちゃいられません!」
そうして、遅まきながら駆け出し、部屋を飛び出していく。
そんなアッスントの背中に、俺は激励の言葉を向けておく。
「頑張れアッスント~、汚名挽回だ~!」
遠ざかっていく足音に耳を傾けていると、慌しい足音が一つ引き返してくる。
「返上するものですよっ、汚名は!」
ドアの向こうから「こんなことで時間を取らせないでください!」とでも言わんばかりの形相でアッスントが叫び、踵を返して再び走り出す。
……律儀だなぁ。
いや、きっと、嘘でも冗談でも縁起の悪い言葉を放置したくなかったんだろうな。
験(げん)とか担ぎそうだもんな、あいつ。
「いじめっ子」
背後から、エステラが呆れたような声をかけてくる。
「なんだよ、心外な。激励だろ?」
「まぁ、確かに。ここで上手く立ち回れば汚名返上出来るかもね」
くすくすと楽しそうに笑う。
お前だって、結構ないじめっ子じゃねぇか。
「しかし、ナタリア。お前は子供の扱いが分かってるんだな。ちょっと意外だったぞ」
卒なくリベカの相手をして、好感度を上げていたナタリア。
あんまりガキと戯れているイメージがなかっただけに、ちょっと意外だった。
「それはもう…………非常に手のかかるお子様を一人、立派に育て上げましたから」
と、穴が開きそうなほどジッとエステラの顔を見ながら言う。
あぁ、なるほど。
エステラの子守りをずっとやっていたのなら、あしらい方も鍛えられるか。
「ボ、ボクはそんなに手のかかる子じゃなかったはずだよ! わがままも言わなかったし!」
「そうですね、一部訂正いたしましょう」
すぅっと息を吸って、流れるような美しい言葉遣いでナタリアが先ほどの言葉を訂正していく。
「どんなに手を尽くしても、とある一部分だけが成長してくれませんでしたが、そこ以外はほぼ立派に育て上げることが出来ました」
「よぉし、ならば今度はボクが君を教育し直してあげようじゃないか! きちんと主を敬える正しい給仕長にねっ!」
もう、騒ぐな騒ぐな。
いつものことじゃないか。
「なぁ。お前らはリベカのことを知っていたのか?」
「へ? いや、初対面だけど?」
そんなもんは、お前たちの反応を見ていりゃ分かる。
そうじゃなくて……
「ホワイトヘッドって名前の方だよ。結構な権力を持っていそうな感じがしたんだが」
「麹職人ホワイトヘッドという名は、それなりには有名ですので聞き及んでいました。ですが、それがあのようなクソチb……お若い方だとは存じませんでしたね」
「おい、ナタリア。今言いかけた言葉、絶対口にするなよ? さすがに俺でも擁護出来んからな」
ホワイトヘッドの名が有名ということは、麹職人は世襲制だと考えられるな。
あんな小さいガキがここのトップ職人――頭と呼ばれているんだ。
麹職人なんてのは、天性の才能でなれるものではないだろうから、小さい時から技術を叩き込まれたのだろう。
それが九歳という年齢でトップに上り詰めるまでになったのは、才能のおかげかもしれないけどな。
「けれど、貴族ではないんだよな」
「まぁね」
少し言い方にトゲが出来てしまったかもしれない。
エステラが微かに眉根を寄せた。
獣人族は貴族にはなれない。
どんな強大な権力をもってしても。
もしリベカが、人間の男を婿にでも取って、そいつがホワイトヘッド家を継ぐとなれば、もしかしたら貴族になれる可能性があるのかもしれない……
なんてことを聞いてみると、「まず、ないでしょうね」と、あっさり否定されてしまった。
人間だからなんでもOKってわけには、いかないらしい。
「しかし、おそらく彼女はそのような枠組みなど気にされていないのではないでしょうか。実質、麹職人は貴族以上の優遇を受けているわけですし」
ナタリアの指摘はもっともで、貴族であるマーゥルでさえも『BU』の豆ルールを課せられて客人に出す料理の何割かを豆に割かざるを得なかった。
しかし、リベカはその義務を免除されている。
これは、麹職人が貴族より優遇されているということだ。
「貴族だからどうこう」ってことには、あまりこだわっていない可能性もある。
……ってことは。
「ちょっとハードル高いかもなぁ……」
「ハードル?」
初めて見るエサに興味を示したハムスターみたいなまるっこい瞳で俺を見るエステラ。
「リベカと付き合うのは、って話だよ」
「き、君っ、まさかハビエルと同じ道に!?」
「違うわ、アホたれ!」
いつもは俺に「失礼なことを言うな」とか言ってるくせに、結局エステラもそういう目で見てんじゃねぇか。……ってツッコミは置いておいて、マジで気が付いていないようなので教えておいてやる。
まぁ、どうでもいいような情報なんで、適当な感じでな。
「リベカの服装は、どんなだった?」
「どんなって……麻木色の上着に白いシャツ……それから」
リベカは、『職人』という言葉がぴったりと当てはまる、心持ち和っぽい服装をしていた。
日本の陶芸家を彷彿とさせる、作務衣のような形の服――
「あっ!? ……七分丈のズボン」
そう。
そして、敷地内で見かけた人間の中で、そんな格好をしている者はリベカただ一人だった。
つまり。
「門の前で会った少年の想い人ってのが、あのリベカってわけだ」
俺は確信を持ってそう告げる。
確信を持って……あの少年は、やっぱりもう手遅れなんだろうなと、憐れみつつ。
ハビエル気質でパーシー予備軍とは…………少年よ、残念だ。
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