189話 とどけ~る1号の初仕事

 トレーシーたちが帰った後、エステラに頼まれたマーゥルへの手紙を書き、俺は再びニュータウンへと来ていた。


「あぁ、ヤシロ! いいところに来たさね!」


 とどけ~る1号はいまだ調整中のようで、ノーマをはじめ、金物ギルドの面々が死にそうな顔で工具を握りしめて群がっていた。……休ませてやれよ。


「つい今しがた、問題が解決したところなんさよ。ちょいと見て意見を聞かせておくれな」

「それは構わんがな……お前らちょっと休めよ。死相が出てるぞ」

「大丈夫さよ、これくらい……アタシらはプロなんさから……」

「いや、ノーマ……お前の顔もなかなか壮絶な面持ちだぞ」


 目の下にくっきりとクマが浮かび、髪が乱れて跳ね放題だ。

 ここまでやつれてしまうと色気も何もあったものじゃない。

 ノーマには、「気だるい」くらいのラインを越えないでいただきたいところだな。


「あれを見ておくれな」


 と、2メートルくらいの高さに浮かされた荷台の役割を果たす木箱を指さす。

 よく見ると、木箱の底にそこの丸い金物……料理で使うボウルのような物が取り付けられている。

 あれを付けることで重心が変わって着地間際の揺れを抑えられる……とでもいうのか? あんな物で?


「まぁ、見ているさね。お~い! 木箱を下げとくれ!」


 ノーマの合図で、ギルドのオッサンがとどけ~る1号を操作し、木箱を下降させる。

 するする~っと、静かに下降を始めた木箱は、地面まであと40センチというところで以前にも増して盛大にガッコンガッコンと大暴れを始めた。


「全然直ってねぇじゃねぇか!? むしろ悪化してるぞ!」

「ふふん……甘いさね。おい、持ってきておくれな!」


 再び、ノーマの合図でギルドのオッサンが動き出す。

 着地した木箱を持ち上げ、そこに付けられたボウルを取り外してこちらへと駆けてくる。

 ボウル上の金物の上部には平らな蓋がきっちりと嵌め込まれていた。


「さぁ、開けてごらんな」


 言われて、手渡されたボウル上の金物の蓋を開ける。

 中には、ちょっととろっとした乳白色の液体が入っていた。


「……なんだこれ?」

「生クリームさね!」

「何してんの!?」

「あの揺れを利用してホイップクリームを作るんさよ!」

「出来てないけど!?」

「何十回かやりゃあ、その内ふわふわになるさね!」

「なんねぇよ!」


 お前、ホイップクリーム舐めんな! かなり繊細なんだぞ、あれは!


「でも、アノ揺れを活用する方法はこれくらいしか……っ!」

「揺れを抑えるんだよ!? なに活用しようとしてんだ!?」

「だって無理なんだもん! 直んないんだもん! ぷぅっ!」

「おい、誰か! ノーマを家に連れて帰って寝かしつけてこい! 疲れ過ぎておかしなキャラになってるから!」


 行き詰まり過ぎておかしな方向へ大暴走……なんてのはよくあることだが、ここまで極端なヤツは珍しい。

 そういえば、ノーマはプレッシャーに弱いヤツだったっけな。大舞台の前には絶対一人でごねてたし……


「こいつは、手紙のやりとりがほとんどだから、そう焦らずじっくり原因究明していけばいいから……今日は帰って寝ろ」

「むぅぅ…………分かったさね」


 頬を膨らませ、恨めしそうに俺を睨んで、ノーマはとぼとぼとこの場を去っていく。

 背を丸め肩を落として歩く後ろ姿には哀愁が漂い過ぎていて、涙を誘う。


「ヤシロちゃん……」


 俺にボウルを持ってきたオッサンが泣きそうな顔で俺の名を呼ぶ。

 ……呼ばれた俺が泣きそうなんだが…………あんまジッと見つめんな、怖いんだよ、顔が。


「ノーマちゃんね、嬉しかったのよ。ヤシロちゃんから頼りにされて。役に立てるって、力になれるって大はしゃぎして…………この結果じゃない? 随分と落ち込んでるんだと思うわ……」


 今の言葉だけを、後に『会話記録カンバセーションレコードで振り返れば、面倒見のいい年上美女のセリフに見えるかもしれんが、今この言葉を発しているのは筋肉ムキムキのヒゲ面のオッサンだ。……殴りたい衝動を抑えきれない。


「ねぇ、お願い。慰めてあげて」

「頑張れ俺、頑張れ俺! オッサンの顔が必要以上に近くても心折れるな!」

「ん~ん、もぅっ! そうじゃないわよぅ! ノーマちゃんを励ましてあげてほしいのっ」


 バッカ、お前。今まさに俺の心が折れそうなんだっつうの。


「でないと、ノーマちゃん…………壊れちゃうかもしれない」

「…………」

「ウーマロたんばっかりがヤシロちゃんのお役に立って、自分は……ってね。分かるでしょう、ノーマちゃんの気持ち」

「……分かんねぇな」


 まったく理解出来ん。


「なんで、ウーマロ『たん』?」

「あらやだっ! ついいつもの癖でっ……!」

「いつもそう呼んでるのか……」

「だぁ~ってぇ、可愛いんだもん、彼~っ!」


 はっはっはっ、今度ウーマロに教えてやろう。「お前、モテモテだぞ」って!


 ――だが、まぁ。

 遠ざかっていくノーマの背中を見ていると、さすがに放っても置けない気持ちになってくる。

 認められたいって気持ちが先走って盛大に空回りする。そういう経験が、俺にもないわけじゃない。だから、そん時の重苦しい気持ちも分からんではない。


 ……何もそこまで思い詰めるようなことじゃないんだがなぁ…………動けばいいってレベルの話なんだが………………っとにもう。


「ノーマ!」


 今回だけだぞ。

 俺は、基本的に他人を甘やかさないタイプなんだからな。


「急いで作ってくれてサンキューな! 早速使わせてもらう、助かったぞ!」


 こいつらが倒れるほど頑張ってくれたから、今からマーゥルに手紙を出せるのだ。

 本当なら、後二~三日はかかっていただろう。その分ロスなく次の行動に移れるのはありがたい。

 その辺はきっちり感謝してやってもいい。


「ゆっくり休んで、完璧に修理してくれ。期待してるからな」


 これくらいの言葉なら、くれてやってもいいだろう。


「ヤシロに期待されてんなら、休んでなんかいられないさねっ! あんたら、起きなね! 修理を再開するさよ!」

「いや、帰れよっ!?」

「……ヤシロちゃん…………ほどほどにしてくれないと、私たち…………死ぬわよ?」

「いやいやいや! お前が慰めろって言ったんじゃん!?」


 ノーマもノーマで、こんなことくらいで元気になってんじゃねぇよ。単純過ぎんだろ。

 俺の期待なんか、一円にもなりゃしねぇんだぞ。


「お願い、ヤシロちゃん。ノーマちゃんを適度にへこませて『もう寝るっ!』って状態にしてあげて」

「難しい要求寄越してくんじゃねぇよ!」


 どうすりゃそんな状態になるってんだよ!?


「……死ぬ、わよ?」

「あぁ、もう、うっせぇな!?」


 なんでそんな非難がましい目で見られなきゃいけねぇんだよ!?

 俺のせいじゃないだろうが!


 …………ったくもう。

 寝かせればいいんだな? とにかく寝かせさえすればいいんだな!?

 だったら、アノ手でいくか。


「ノーマ! 睡眠不足はお肌の大敵だぞ!」

「なんてことないさね、肌くらい……っ!」

「折角の美人が台無しになってもいいのかっ!?」

「「「「「びっ………………美人………………って、私たちのこと?」」」」」

「いや、お前ぇらじゃねぇよ、オッサンども! ノーマを差し置いて頬に手を添えてぽっと頬を赤く染めてんじゃねぇよ!」


 ノーマ以外の金物ギルドの連中(揃いも揃ってムキムキのオッサンども)がいち早く反応を示し、恥ずかしそうに俺に視線をちらちら向けてくる。

 無数のコバエにまとわりつかれてるみたいに煩わしい。あぁ、殺虫剤があれば吹きかけてやるのに!


「ヤシロちゃん、あなた……ウーマロたんに心惹かれつつあった私たちのことを……そんな風に…………」

「思ってねぇわ!」

「…………ヤシロたん」

「やめいっ!」


 お前らに向けての発言じゃないんだ!

 ノーマに言ったの! ノーマだけに!


「おい、ノーマ。お前からもこのオッサンどもに……」


 と、ノーマへ視線を向けて…………ビックリした。


「…………はぅ…………わぅ…………び、びじん…………」


 ノーマが真っ赤な顔をしてフリーズしていた。

 つむじから微かに湯気が上っている。


「ア、アタシ! お肌を大切にするさねっ!」

「「「私たちも、ご一緒するわっ!」」」

「いいかい、あんたら! あたしらはただの金物屋じゃないさね!」

「「「そうよっ! 私たちは、技術と美しさを兼ね備えた、『魅せる』金物屋よっ!」」」

「その通りさね! 金物は性能と美しさを両立してこそさね!」

「「「美しさ、大事っ!」」」

「アタシらは!」

「「「美しい!」」」

「金物ギルドは!」

「「「美しい!」」」

「よぉし! 昨日の分も取り返すために、三日三晩眠り続けるさよ!」

「「「はぁいっ!」」」


 ……念のため、再度補足しておく。

 ノーマ以外は、ムッキムキのヒゲ面オッサンどもである。


「ヤシ………………か、帰るっ、さねっ!」


 一度俺へと顔を向けたノーマは、顔が真っ赤に染まるまでの間フリーズして、それからそっぽを向いて逃げるように走り去っていった。

 …………寝過ぎも、肌に良くないと思うけどな。まぁ、言うまい。


「ヤシロちゃん、ありがとうね」

「……いや」


 礼などいらん。

 ……俺の思ってもみない方向に話がズレていった結果だからな。


「それから…………私たちのこと、美人って言ってくれてありがとうっ!」

「いや、言ってねぇよ!」

「私たち、やっぱりヤシロちゃん一筋だからっ!」

「いやいや、ウーマロ! ウーマロにしとけ、そこは!」

「「「じゃーね、ヤシロたんっ!」」」

「やめろぉー!」


 群れを成して走り去っていくムッキムキヒゲ面集団。

 …………きっとあいつらも疲れ過ぎて思考回路がバグっていたんだ。そうだ、そうに違いない。寝て起きたら、脳みその中身がフォーマットされているはずだ。…………もしされてなかったら、俺が直々に強制デリートしてやるさ。


「……はぁ。アホなことで時間と体力を使っちまったな」


 キレイさっぱりいなくなった金物ギルドの面々。

 とどけ~る1号の周りに静寂が戻っていた。


「くすくす……」


 そんな静けさの中だからこそ、その小さな声に気が付けた。


「あら。見つかってしまいましたね」

「ベルティーナか」


 振り返ると、ベルティーナが立っていた。

 どこから見ていたのか、楽しそうな顔をしてこちらに歩いてくる。


「やはり、ヤシロさんは人気者ですね」

「拒否権が欲しいところだけどな」

「うふふ。愛とは、無償で与え、また無償で与えられるものなのですよ」

無料タダより怖いものはないってのは、本当のことらしいな」


 そんな冗談を、楽しそうな顔をして聞いている。

 その目が、ふと俺に向き……形容しにくい温かさが俺を包み込んだ。


 ベルティーナがたまに見せる母性愛の込められた眼差し。

 叱るでも褒めるでも心配するでもなく、ただ見守るような、くすぐったい視線。


 こいつは今、俺に会いにわざわざここに来たのだ。何かを言うために。


「ヤシロさん」


 そして、俺がそれに気付き、こちらの準備が出来たことを確認した後で、ゆっくりと腕を伸ばす。

 そっと近付いてきたベルティーナの指先が頬を撫でる。


「頑張っているようですね、とても」


 一瞬、背筋にざわっと冷たいものが走る。

 何もかもを見透かされているような……下手な嘘を吐いてしまった子供のような気持ちになった。

 口から出た稚拙な嘘がばれたと確信した時の、気まずさに似た緊張が走る。


 けれど、叱られるわけではなく、ベルティーナはただ静かに微笑んで俺を見つめているだけだった。


「私は、ヤシロさんが頑張っている姿が好きですよ。けれど――」


 説教ではない。

 説得でもアドバイスでもない。

 ただの世間話のような口調で、ベルティーナは言う。


「頑張る時も『ヤシロさんらしく』が、いいです」


 ただの感想。

 少し見方を変えれば……お願い?


「無茶しているように、見えるか?」

「いいえ。ただ、らしくないようには見えますね」


 らしくない。


 今の俺は、エステラに頼まれて『BU』の領主たちに会っている。

 四十二区に降りかかる火の粉を払うために。


 そいつは紛れもなく人助けであり、これまでの俺はそんな人助けを率先してやったりはしなかった。


 だから、「らしくない」のか?



 いや……違うな。



「今のヤシロさんは、あまり楽しそうには見えませんので、その点だけは、ほんの少しだけですが、心配しています」


 今の俺は、使命感で動いているからだ。


「こうしなければいけない」

「こうした方がきっといい」と――


 俺のためでなく、誰かの……みんなのために。


「ヤシロさんは、どんな時でも楽しそうに笑うんですよ。きっとご自分では気付かれていないのでしょうけれど。こう……こんな風に……」


 言いながら、ベルティーナは左の親指と人差し指で眉間を摘まんでシワを作り、右の人差し指で口角を持ち上げる。そして、なんともあくどい笑みを浮かべてみせる。……とても『楽しそう』には見えないのだが?


「……それのどこが笑顔だ」

「ふふっ……上手に出来たと思ったのですが、似ていませんでしたか?」


 さぁな。

 自分の笑顔なんか鏡でマジマジ見つめる趣味は持っていないんでな。

 だが、あくどさで言えば、いい具合に表現出来ていたんじゃないか。


「今はとても穏やかな顔をされていますよ」

「いいことなんじゃないのか?」

「そうなのでしょうね、普通の人なら」


 ほほぅ。俺は普通じゃないと?

 随分と直接的な暴言だな。


「今の顔は、あの時の顔に少しだけ似ています……私に、大食い大会に出てほしいとお願いをしに来た、あの時に」


 四十二区と、近隣二区合同で開催した大食い大会。

 ベルティーナの出場可否は四十二区の命運を分ける重大事項だった。

 だから俺は、ベルティーナに出場を直訴に来たのだ…………四十二区のために。



 ……なるほどな。



 あの時もそうだったのか。

 俺への利益は度外視で、四十二区の存亡を最優先事項とし、行動していた。

 それが、ベルティーナに不安を与えているというわけか。


 ……そして、ベルティーナが気付いているならきっとジネットも。


「何か、可愛げのある悪巧みをしているくらいの方が、私たちは安心出来てしまうんですよ、不思議なことに」

「『いい子にしなさい』ってのは、腐るほど言われた記憶があるんだがな」

「では、その方はヤシロさんをあまりご存じない方だったのでしょうね」


 ……確かに、女将さんは俺に『いい子にしろ』だの『勉強しろ』だのは言わなかったな。

 そういったことを言うのは、大抵担任や生徒指導の教師たちだった。


「俺をよく知る人間は、悪童に改心は無理だと悟るってわけか」

「いいえ。ネコに『ネコらしくしなさい』と言う人がいないのと同じ理由ですよ」


 なら、俺が『いい子』だってのか? 誰がだよ。

 カエルにされるぞ、そんなことを言うと。


「それじゃ、猛暑期になったらベルティーナにビキニを着せよ~っと」

「うふふ。それは、ヤシロさんの望みとは違うでしょう?」


 いや、望んでますけど?

 めっちゃ見たいですけど?

 隠れ巨乳を隠せないような際どいヤツを着てもらいたいですけど!


「どうか、ヤシロさんはヤシロさんらしく……それなら、きっとジネットももう寂しがったりは、しないはずですので」


 ……「もう」ね。

 ジネットは、あの大食い大会以降、置いて行かれることを寂しがることはなくなった。

 だが……そうか。多少は不安を感じているのか。


「まぁ、確かに。ベルティーナが飯を残したりしたら、気が気じゃなくなるだろうからな、俺も」

「うふふ。心配してくれるんですね」

「天変地異を危惧するな」

「それは大変ですね。では、今からドーナツを食べに行きましょう」

「いや、今のは比喩で……」

「チョコとピーナッツのドーナツがいいです」

「…………」

「あ、一品でなくても構いませんよ?」

「…………あぁ、奢らされるんだ、俺」

「『最近、甘えのスキルが上がりましたね』と、ジネットに言われました。たぶん、ヤシロさんのおかげですね」


 俺の、「せい」だろうな。


「……手紙を送ったらな」

「とどけ~る1号ですね。私、動いているところを見てみたいです」


 きらきらした瞳のベルティーナを伴って、とどけ~る1号の木箱へと向かう。

 手紙を入れようと蓋を開けると……


「くーすかぴー……やー」


 ハム摩呂が、木箱の中で眠っていた。

 …………確かさっき、すっげぇガッコンガッコンしていたと思うんだが、この木箱。

 よく熟睡していられたものだ。


「ハム摩呂、起きろ。手紙を送りたいんだ」

「むにゃむにゃ…………はむまろ?」

「お前だ、お前。いいから降りろ」

「むは~…………新感覚の、ゆりかごやったー」

「どんなアクロバティックなゆりかごだよ」


 赤ん坊、生傷耐えねぇぞ、こんなんじゃ。


「おにーちゃん、お手紙出すなら僕がやるー!」

「出来るのか?」

「今日からプロー!」

「どこと契約したんだよ……」


 自称プロのハム摩呂に手紙を託し、少し離れて動き出す木箱を眺める。

 ハム摩呂は慣れた手つきで基盤を操作して落下防止装置をオンにし、ロープをするすると引っ張っていく。

 音もなく木箱が上昇していき、それを視線で追う。


 やがて遥か頭上でベルが鳴り、手紙が無事届いたことを知らせてくれる。

 これで、明日くらいには手紙が返ってくるだろう。


「凄い物ですね。四十二区に居ながら他の区と連絡が取れるだなんて」

「二十九区の極限られた相手とのみ、だけどな」

「もし陽だまり亭と教会がこうやって連絡を取り合うことが出来れば、いろいろ便利になりますね」


 位置関係が上下ではないのでとどけ~る1号みたいなものでは不可能だろうが……その内無線とか、電話の劣化版みたいなものなら誕生するかもしれないな。

 もしそうなったら……


「もしそうなったら、いつでも陽だまり亭のご飯を持ってきてもらえますね」


 うん。四十二区には過ぎた文明だな。不許可だ。

 ……出前かっつうの。

 電話一本で毎時間呼びつけられちゃたまらんわ。


「そろそろ帰るぞ」


 とどけ~る1号を見上げるベルティーナに声をかける。

 と、一仕事終えたハム摩呂が駆け寄ってきて俺の右手に飛びつく。

 ……お前に言ったんじゃねぇっつうの。


「ハム摩呂さんも、ドーナツをご馳走になりますか?」

「やぶさかでないー!」

「こら。『ハム摩呂さんも』ってなんだ? 何をさらっとご馳走になること前提で話してんだよ」

「私は、甘え上手、ですので」

「残念だったな。そのスキルは相手を選ばないと効果を発揮しないんだぞ」

「はい。ですので、効果がありそうな方にのみ使用しています」


 …………こいつはぁ。


「……ジネットに言ってくれ」

「うふふ。はい。そうしましょうね」

「『そうします』だろ?」

「うふふ」


 何を言っても嬉しそうな笑みを浮かべるベルティーナに、これ以上何を言っても無駄だ。

 こいつの中では、俺は甘々のお人好しという人格を付与されているらしい。……いつか痛い目見るからな、そういう思い込みで人付き合いをしていると。


 しかしまぁ、いいことを気付かせてくれた礼くらいはしてやってもいいだろう。

 俺がジネットに頼んでやるよ、ドーナツ。

 俺は断固お断りだが、ジネットはお人好しだからご馳走くらいしてくれるだろうよ。



 赤く染まる空を見上げ、俺は今回の騒動で俺が得られそうな利益の再計算を始めていた。

 マイナスをゼロにするのではなく、ゼロからプラスを生み出せそうな、そんな物がないかを。


「本当に、今年は雨が降りませんね」


 隣でベルティーナが漏らしたそんな呟きに、「まぁ、そうだな」くらいの感想を返して、俺は歩きながら脳内のそろばんを景気よく弾いていた。






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