第二幕

151話 いつもと違う陽だまり亭

 ここ数日、ジネットがぼ~っと窓の外を眺めている時間が増えた。

 リフォームで大きなガラスを入れた窓からは街道がよく見え、行き交う人びとを眺めることが出来る。


 そんな人の流れをぼ~っと見つめ――


「はふぅ……」


 ――と、たまにため息を漏らすのだ。


「……店長、オーダーが入った」

「…………」

「……店長?」

「…………」


 マグダの呼びかけにも反応を示さない。

 一体どうしちまったんだ、ジネットのヤツ?


「……魔獣・チチプルーン」

「そんな名前じゃないですよ!?」


 あ、反応した。


「……店長。仕事中はしゃきっとするべき」

「は、はい。すみません。マグダさんの言う通りですね。反省します」


 そう言いながらも、ジネットはどこか元気がなく、また、気もそぞろといった感じで窓の外へと視線を向ける。


「なぁ。本当にどうしちまったんだよ? 最近変だぞ、魔獣・チチプルーン」

「その呼び名を定着させようとしないでください! もう、ヤシロさん。懺悔してください!」


 なぜ俺だけ!?

 理不尽だ。


「……お客の少ない時間とはいえ、店長が動いてくれないと料理を提供出来ない」

「そ、そうですね。すみません。すぐに作ってきます」


 襟を正し、頬をパンパンと叩き、眉をきりっと持ち上げて――


「おっぱいをぷるんと揺らして」


 ――ジネットは厨房へと入っていった。


「……ヤシロ。心の声が一部だけ漏れていた」

「うむ。一番重要なところだったからな。つい力が入ってしまったんだ。気にしないでくれ」

「……ヤシロだから仕方ない」


 厨房から「ジャーッ!」っと油の跳ねる音が聞こえてくる。

 大丈夫か? ぼ~っとして怪我とか火傷とかしなければいいんだが……


 と、突然、調理の音が止まった。

 しばしの沈黙。

 静かになった厨房から、やや急ぎ足でジネットが駆けてくる。


「すみませんっ。オーダーを聞き忘れていました! 何を作ればいいんでしょうか!?」

「お前はホンット成長しないな!?」


 乳ばっかり大きく育ちやがって! えらいぞっ!


「……オーダーは、スパゲリィ・カルボヌァールァ」

「えっ!?」

「……失礼。ネイティブ過ぎたもよう。スパゲッティ・カルボナーラを一つ」

「はい。かしこまりました! …………作りかけの野菜炒め、どうしましょう……」

「じゃあ、俺の賄いにしてくれ」

「はいっ! ありがとうございます、ヤシロさん」


 ニコッと笑って、ジネットが再び厨房へと入っていく。

 元気……な、ように見える。の、だが……う~む。


「お兄ちゃん」


 ジネットと入れ違いで、ロレッタが厨房から出てくる。

 お盆にコーヒーを二つ載せて。

 最近、味が安定してきたため、ロレッタのコーヒーもメニューに追加したのだ。


 その名も、『ロレッタブレンド』!


 ジネットの入れる『陽だまり亭ブレンド』とは違う比率でブレンドしたコーヒーだ。

 というか、俺の好みを前面に押し出したブレンドコーヒーだ。


 こっちがいいという客もちらほら増え始めて、実は密かにジネットがライバル心を燃やしていたりする。

 最近のジネットは、そういう細かい変化を見せてくれるようになって、俺は少しニヤニヤしてしまっていたりするのだ。

 だってよ……

「伝統の味は、変わらないからこそ価値があるんです。焦ったりしなくていいんです」

 なんて、一人でぶつぶつ言ってるのを聞いちゃったりした日には、なんか微笑ましくてなぁ。思わず揉みしだきたくなったよ。……あ、それはいつものことか。うんうん。俺の自制心、強靭だよなぁ。


「お兄ちゃん……何を一人でニヤニヤしてるです?」

「いや、なに。俺の自制心は強靭だなと思ってな」

「自制心が狂人……? 一切我慢出来ない暴走君ってことですか?」

「誰が狂人だ!?」


 揉むぞ、お前の普通の膨らみっ!


「それよりも、店長さんです」


 コーヒーを零さないように気を付けつつ、ロレッタが俺に体を寄せてくる。


「なんだか最近、おかしいと思うです」

「お前もか?」

「あたしはおかしくないです!」

「そうじゃねぇよ! お前が普通なのは全人類が知ってるよ」

「あたし普通じゃないです! ……っていうか、認知度が高過ぎて戸惑っちゃうです!?」


 ころころとよく変わる表情だ。見ていて飽きないな。万華鏡よりよっぽどバリエーション豊かだな。


 でだ。

 俺が言いたかったのはそんなことじゃなくて……


「お前も気付いていたのか、ってことだよ」

「はい。なんだか最近、よくぼ~っとしてるです」

「……ヤシロも最近、欲望~っとしている」

「なぁ、俺の自制心って、そんなに信用ない? リビドー垂れ流しちゃってる?」

「……頻繁に視線を感じる」


 と、自身のささやかな膨らみを手で押さえるマグダ。

 はっはっはっ、マグダよ…………気付いていたのか。さすがだ。


「あの、お兄ちゃん……あたし、全然視線感じたことないんですけど?」

「ん? いいことじゃないか」

「なんか寂しいですっ!」

「そんなに見られたいのか!?」

「お客さんの前でなんてこと言うです!? そういうんじゃないです! 適度がいいです、適度が!」


 まったく、難しい年頃だなロレッタは。


「それで、ジネットがどうぼ~っとしてるって?」

「どうって言われると、説明は難しいですけど……」


 ロレッタが難しい顔で小首を傾げるのとほぼ同時に、ジネットが厨房から料理を持って出てきた。


「お待たせしました~! スパゲッティ・ナポリタ~ナです!」

「あ、こういう感じです」

「なるほど」

「ふぇっ!? なんです? なんですか?」

「……店長。カルボナーラ」

「はっ!? す、すす、すみませんっ!」


 大慌てで厨房へ戻っていくジネット。

 どうしたもんかな、あのスパゲッティ・ナポリタ~ナ。


「あたしの賄い、あれでいいです」

「んじゃ、一緒に食うか。俺のもたぶん出来てるだろうし」

「はいです!」

「それはそうとロレッタ」

「なんです?」

「コーヒー。冷めてるぞ」

「はぅっ!? しまったですっ!」


 お前もぼ~っとしてんじゃねぇかよ!

 しっかりしてくれよ、マジで。


 その後、コーヒーを入れ直したロレッタを待って、俺は遅めの昼飯を食うことにした。

 ロレッタと向かい合って、奥の席で賄いを食う。


「最近、何か言っていなかったか?」

「店長さんですか?」

「あぁ」


 飯を食いながら、ロレッタから情報を聞き出す。

 なんでもいい。どんな些細なことでもいいから気になる点はないかと問う。普段口にしていることに原因が見え隠れしたりしているものなのだ、こういうのは。


「う~ん……『今年は雨が降りませんねぇ』とかですかねぇ」


 去年の今頃といえば、大雨が続いてとんでもない被害に頭を悩ませていた時期だ。

 教会のガキどもが汚水で体調を壊し、それで俺たちは下水を作った。


 一年前は、いやというほど雨が降っていた。

 なのに今年は全然雨が降っていない。降る時はもちろん降るのだが、去年のように長雨になることがないのだ。

 話によれば、この街では多少のズレはあるにせよ基本的に同じ時期に同じ気候、同じ天候になることが多いのだそうだ。四季はないが、同じスパンで天候は移ろっていくのだという。


 つまり、今年は異常気象と言える。


「けど、店長さんが特に雨好きという話は聞かないです。むしろ天気がいいと洗濯物が乾きやすいって喜んでたです」

「だよなぁ」


 雨が降らないから元気がない……ってことは、ないよな。たぶん。


「お兄ちゃん、なんかしたです?」

「なんかってなんだよ?」

「お風呂を覗いたとか、着替えを覗いたとか、スカートの中を無理矢理覗き込んだとか」

「はっはっはっ。ロレッタ~、口元にミートソースが、目の上に眉毛が付いてるぞ。取ってやろう」

「眉毛は取らないでほしいです!」


 慌てて両方の手で眉毛を押さえたため、右手のフォークに絡まっていたパスタが顔面にべしゃーっと引っついて、ロレッタの顔を赤く染める。……大惨事だな。


「はぅ……お兄ちゃん、酷いです」

「俺のせいかよ……」


 しょうがないのでハンカチで拭いてやる。

 あ~ぁ。またムム婆さんに頼まなきゃいけねぇじゃねぇか、これ。


「むふふ……くすぐったいですぅ」

「甘えた声出してんじゃねぇよ」


 イチャイチャしてるように見えるだろうが。


「……ロレッタは幸運」


 いつの間にか俺たちの隣に立っていたマグダが、まだ少しミートソースが付着しているロレッタに言う。


「……これがカルボナーラだったなら、ロレッタの顔はチーズ――腐った乳の匂いがこびりついて『腐れ乳娘』と呼ばれていたところ」

「そんな危険があったですか!? 間一髪ですね!?」

「……ロレッタは幸運にも、腐れ乳娘になり損なった」

「なんかそう言われると、なりたくてなれなかったみたいで凄く嫌です!」


 マグダのヤツ、一人で働いてるから拗ねてんだな。


「マグダ。一口食うか?」

「…………」


 野菜炒めを箸で摘まんで持ち上げると、マグダの動きが一瞬止まった。

 少しの間考えた後……


「……今は仕事中」

「まぁ、そう言わずに。一口だけ」

「…………ヤシロがそこまで言うのなら」


 口を開けたマグダに、野菜炒めを食わせてやる。

 静かに咀嚼して、ゆっくりと飲み込む。


「……乙な味」

「どこで覚えてくるんだよ、そういう表現」

「マグダっちょ! あたしのも食べるです? 凄く美味しいですよ」

「……今仕事中なんで」

「そう言わずに、あたしのも食べてです」

「……いえ、仕事中ですので」

「他人行儀さが増したです!? 物凄い壁を感じるです!?」

「……職務に戻る」

「マグダっちょ!? 食べてです! 美味しいですからー!」


 そんな二人のやりとりを見て、思わず笑ってしまった。

 一緒に食べられなかったのが相当悔しいらしい。可愛い仕返しじゃないか。

 へそを曲げた幼い子供のような反応だ。


 陽だまり亭に来て、マグダは随分と感情が豊かになったと思う。最初は、本当に無表情だったからな。

 この変化を、ジネットも嬉しく思っているようで、「マグダさんが笑いました」「マグダさんが拗ねました」と、事あるごとに俺に報告してくるようになっていた。それも凄く嬉しそうな顔で。


 そんなジネットが最近元気がないわけで……具体的には、ここ一週間くらいか。

 一体何があったんだ?

 何か、兆候はなかったか……思い出せ……何かなかったか……何か…………


「ヤシロ」


 自分の記憶と向き合い、思考の海へと潜り込んでいたところ、背後から声をかけられた。

 振り返るとまっ平らな胸が目線の高さにあり、視線を上げると真っ赤な髪をした美少女が立っていた。


「よぉ、腐れ乳娘」

「誰が腐れ乳娘だ!? っていうか、なんなのさ、腐れ乳娘って!?」

「ロレッタのことだ」

「違うですよ!? 誤情報の流布は控えてほしいです!」


 俺の許可も取らず、エステラは呆れ顔で俺の隣へと腰を下ろす。


「一口頂戴」

「ごめん、今仕事中だから」

「その断り文句の意味するところが分からないんだけど?」


 意味など分からんでもいい。自分で注文して食え。金を出してな。


「最近忙しそうだな。陽だまり亭にもなかなか顔を出さなかったし」

「あれ? 寂しかったのかい?」

「いや、別に……あ、そうだ。新しい工具が欲しいんだった。すげぇ寂しかったぞ、エステラ」

「君のそのゲスい性格は一向に改善しないよね。むしろ磨きがかかってきてるくらいだ」


 違うんだよ。ノーマんとこで売ってる新商品が、結構クオリティ高くていい出来なんだ。あれがあれば、細かい細工も出来るし、安物を高級品っぽく見せてぼったくり価格で売りさばくことも……おっと、そんなことはいちいち言う必要もないな、黙っておこう。


「あっ! エステラさん!」


 ジネットの声がして、次いでぱたぱたと駆けてくる音がして、『ガッ!』と短い音がした直後『ズデーン!』と派手な音と共にジネットが床に倒れ込んだ。


「ぅう…………痛いです」

「だ、大丈夫? ジネットちゃん」

「はい……転びました」

「う、うん。……見てた」


 なんで何もない床でそうも見事に転べるのか、逆に知りたいわ。


「店長さん、大丈夫ですか?」

「あ、はい。ご心配おかけしてすみません、ロレッタさん」

「ナポリタンです、あ~んしてです!」

「えっ!?」

「元気が出る美味しさです!」

「ロレッタ。やりたいのは分かるんだが、急過ぎる。ここら一帯に漂う微妙な空気を感じろ、な?」

「はぅ……あたしもあ~んしたいです……」


 目論見が外れ肩を落とすロレッタ。

 こけていきなりスパゲッティ出されても「ありがとう!」とはならねぇって。


「あの、エステラさん。何かお食べになりますか?」

「そうだなぁ……」

「……たこ焼きがオススメ」

「うわっ!? ……ビックリしたぁ。もう、マグダ。気配を消して背後に立たないでよ」

「……陽だまり亭のたこ焼きは一級品」

「それは知ってるけども……ボクは今日『ご飯』な気分なんだよね」

「……なら、ポップコーンがオススメ」

「聞いてた、ボクの話!?」

「……大丈夫。ご飯もつける」

「合わないよっ!?」


 なぜか、自分の得意料理をエステラに食わせようとするマグダ。

 ……あ、そういうことか。


「あの、マグダさん。わたしが作ってきますので、エステラさんの好きなものを食べていただきましょう」

「いや、ジネット。お前はここにいろ」

「へ?」


 マグダの思惑を汲み取り、俺は席を立つ。ちょうど野菜炒めも食べ終わったところだしな。


「俺が作ってきてやるよ。その代わり、メニューは『シェフの気まぐれランチ』になるがな」

「何が出てくるか凄く不安なんだけど……」

「大丈夫だ。今日は真面目にやる」

「……普段から真面目で居続けてくれれば、ボクたちは今以上に友好な関係が築けていたと思うんだけどね」


 今でも十分だろうが。

 俺は空いた皿を持ち、テーブルを離れる。

 ……とはいえ、俺がこもっては意味がないから…………


「ロレッタ、テーブルの上を片付けてから厨房に来い。手伝ってほしいことがある」

「はいです! 任せてです! たぶんそれ得意です!」


 また適当なことを……

 まぁ、ロレッタでも出来る簡単な手伝いだ。問題はないだろう。


「あの、ヤシロさん。お料理ならわたしが……」

「エステラに会うの、久しぶりだろ?」

「へ? ……は、はい。そうですね。ここ最近お忙しいようで」

「なら、少し話をしていろ。適度な息抜きは、いい仕事をするためにも必要なことだからな」

「息抜き……」


 言葉を反芻し、少し考え、そしてジネットは蕾がほころぶように笑う。


「はい。では、お言葉に甘えて息抜きをさせていただきます」


 ぺこりと頭を下げてから、エステラの向かいの席に腰を下ろす。

 そこへ、マグダがお茶を持ってやって来た。

 おかしい……ついさっきまでここにいたと思ったのに、いつの間にお茶を?


「マグダ。お前、今さっきまでここにいたよな?」

「……ヤシロ。マグダのベッドの枕元には、こんな言葉が書かれている…………『残像だ……』」

「なんでそんなもんを枕元に書いたのかすげぇ気になるところだが……残像じゃなかったよな、さっきここにいたのは?」

「……ミステリアスな女。その名は、マグダ」

「俺の知ってるミステリアスな女ってのは、超人的な身体の力を駆使して謎を演出したりはしないんだがなぁ……」


 まぁ、いい。

 お茶が来てジネットも喜んでいるし。

 俺はジネットとエステラに軽く声をかけてから厨房へと入った。


「簡単に食える物を作るぞ」

「はいです!」


 ロレッタを従えて、調理台に食材を並べる。


「材料が多いです……何を作るですか?」

「作るっていうか……切るだけだ」

「へ?」


 この世界の食文化は非常に偏っている。

 ポップコーンを知らないかと思えば味噌があったり、そのくせレモンの活用法を知らなかったり、と思いきやお酢があったりする。

 ……レモンより味噌やお酢の方が難易度高いだろうよ。


 まぁ、結局のところ、それらを栽培、飼育、漁に猟と、それらを扱うギルドがどれだけ研究熱心かによってその分野の発展度が変わる。

 味噌や醤油を生み出せば大豆の売れ行きは爆発的に伸びるのは必至だ。


 逆に、ポップコーンやフリントコーンの活用法を見出せなかったヤップロック一家は貧困にあえいでいた。


 つまり、自分たちの利益を上げるために物凄い研究が重ねられていた結果、食材ごとに発展速度がバラバラなのだ。

 もっとも、『バラバラ』と感じるのは日本を基準とした感覚を元にしたものだから、こっちはこれが普通だと言われれば納得するしかない。


「ぁうっ! 鼻にツンときたです! あたし、その酸っぱいの苦手です!」

「じゃあ、今日から好きになるよ」

「あたし、そんな単純じゃないですよ!? 今日言って今日から好きになるとか……」

「いいから、そこら辺のを細長くカットしといてくれ」

「むぅ……分かったですよ」


 ロレッタがキュウリを細長く切っている間に、俺はお酢に砂糖と塩を混ぜる。

 それを、白米に回しかけて、猛暑期にアッスントに入れ知恵しておいたウチワを使って風を送りながら米を切るような感覚で酢と混ぜ合わせていく。


 酢飯だ。


 そんなわけで、手巻き寿司をしようと思う。

 海苔は、ハムっ子たちが海漁ギルドの網修理の際にせっせと集めて作った海苔を使用する。軽く直火であぶって香りとパリッとした食感を際立たせることも忘れない。


 タイミングよく海魚がいくつかあったので、それも使う。

 なんでも、デリアが最近元気がないとかで、マーシャが四十二区に来ているのだ。今朝ここに顔を出して海魚をお土産に置いていってくれた。

 あとは厚焼き玉子はネフェリーのとこの卵をふんだんに使って作って、デリアの鮭は切り身とフレークを使用する。


 レタスはモーマットのところで採れたものがある。俺が交渉して設けられた『ハムっ子畑』で味と歯ごたえのいいレタスが出来るのだ。

『ハムっ子が作った野菜は陽だまり亭が優先的にもらう』という当初の口約束は今でも有効で、陽だまり亭に届く野菜は非常にクオリティが高い。


 この一年。いろいろあった中で出会った連中とのあれやこれやの上に成り立っている……というと大袈裟だが、これまでの伝手をフル活用した一品が出来上がった。


「よし、持っていくぞ」

「これで終わりですか!? いいんですか、本当に!?」


 半信半疑……いや、二信八疑くらいの様子でロレッタが俺に付いてくる。


「ほいよ。みんなで作って食うぞ」


 四人掛けのテーブルに酢飯と海苔と具材を並べる。小皿に醤油を……いや、寿司だからここはあえて『ムラサキ』と呼称しよう……も、準備する。


「ヤシロさん。これはなんですか!? なんだか、凄く楽しいことが起こりそうな予感がします!」


 ジネットの大きな瞳がキラッキラッと輝く。

 その向かいの席ではエステラがニヤニヤと頬を緩ませている。

 こいつ……マジで期待してなかったな? それが思いのほか楽しそうなものが出て来たから嬉しくて堪らないのだろう。


「これは手巻き寿司って言ってな、自分で好きな具材を巻いて食うんだ。まぁとりあえず見てろ。一つ手本を見せてやる」


 そう言って、俺はまず手のひらより大きめの海苔を手に載せ、そこへ酢飯を適量載せ広げ、レタス、厚切りタマゴ、キュウリ、サケフレークマヨネーズを載せてクルッと巻いた。ツナの代わりにサケフレークを使ってはいるが、なんちゃってサラダ巻きの完成だ。


「そして、『ムラサキ』に浸けて……食う!」


 火であぶった海苔が『パリッ!』と音を立てる。

 そして、口の中に広がる味は……うん、巻き寿司だ。なんか懐かしいなぁ……


「と、このようにして各自好きな具材を……」

「あたしもやってみるです!」

「ボクにもやらせて!」

「あ、あの! わたしもやってみたいです!」


 ……説明半ばで亡者共がエサに群がった。聞けよ、俺の話を、最後まで。まぁ、いいけどな。


「……働いている場合じゃない」

「ってこら」


 いや、食ってもいいけど、「働いている場合じゃない」はダメだろう。な? プロとしてさぁ。

 幸いというか、客はみんな捌けたようで、陽だまり亭には関係者しかいなかった。

 以前より客が入るようになったとはいえ、そこは飲食店。時間によっては暇になることもあるのだ。これは、どんな人気店になっても変わらないのだろうな。


「お兄ちゃん! 海苔が、届かないですっ!」

「入れ過ぎなんだよ」

「ヤシロ、どうしよう!? 海苔が届かない!」

「お前もか、エステラ!?」

「……海苔が小さい」

「盛り過ぎだよ、マグダ! 全種類載せは無理だから!」

「あの……ヤシロさん…………海苔が」

「ジネットまで!?」


 手巻き寿司、張りきるとそうなるよな。

 頑張って乗っけて、巻こうとすると……届かない。


 うん。あるある。


「もっと具材を減らせ。一個か二個でいいんだよ」

「でも、みんな一緒がいいです!」

「その結果が『巻けてない巻き寿司』なんだろうが!」

「でもでも! ここに並んでる食材は、これまで出会ってきた人たちとの絆みたいなものです! あたしはその絆を大切にしたいです!」

「って、もっともらしいことを言いつつ、食い意地が張ってるだけだろうが!」

「はいです!」

「認めちゃったよ!?」


 アホなロレッタのアホな演説の裏で、ジネットがテーブルに並ぶ食材を見つめて、ぽつりと呟く。


「……きずな」


 それはロレッタが口にした言葉だったが……ジネットの何かに触れたのかもしれない。

 ジネットは懐かしむような、でも寂しそうな、そんな複雑な笑みを浮かべて、ため息を漏らした。


「ジネット」


 ここ最近顔を見せていなかったエステラにも、今のではっきり分かっただろう。

 ジネットの様子は、やっぱりおかしい。


「何があった? 話くらいなら聞くぞ」

「へ……」


 俺たち全員に見つめられていると知ると、恥ずかしそうに俯き、そして意を決したように顔を上げる。


「あの……。もし、自分にとってとても大切な、大好きな人たちがケンカをしていたら、みなさんはどうしますか? どうすればいいと思いますか?」


 そう言ったジネットの顔は、今にも泣き出しそうで、これまで誰にも言えずに思い悩んでいたのだと容易に想像出来た。


 しかし……大好きな人たちがケンカ?


 おそらくそれは例え話などではなく、きっとジネット自身が目にした事実なのだろう。

 一体、誰と誰が……


 なんとはなしにマグダとロレッタに視線を向けると、俺に見られていることを察知したマグダとロレッタはほぼ同時に動き出し、「きゅっ」と抱きしめ合った。仲良しアピールだ。


「……すみません。もっと早くご相談しようかと思ったのですが、『店長には関係ねぇから、首突っ込むな』と言われまして……それに、もう一方ひとかたにも、『ぁの、心配かけてごめんね……でも、自分でなんとかするから……ね?』と……」


 ん?

 その口調……え? まさか……


 自分の脳みそが導き出した結論をにわかに信じられず、俺はジネットの顔を見た。

 俺の予想した人物以外の名を、その口からもたらしてくれないかと……


「実は、一週間ほど前、わたし……偶然見てしまったんです……」


 俺たちが見つめる中、ジネットは沈痛な面持ちで両者の名を挙げる。

 それは俺の予想通りの二人で……


「デリアさんとミリィさんが、口論している現場を」


 それを聞いた後もなお、俺は事態がのみ込めずにいた。

 なんであの二人が…………?


 静まり返った食堂内に、大きな窓から傾き始めた陽の光が差し込んでいる。



 雨期だというのにいやに晴れた、眩しい光だった。






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