後日譚26 ジネットのいない陽だまり亭
「……どうも、店長代理のマグダです」
「はぁぁあん! 今日のマグダたんは一段と天使ッスっ!」
陽だまり亭が、いつにもましてカオスだ。
いや、単純にアホ密度が高い。主にウーマロのせいで。
昨晩――
三十五区から戻った俺を迎えてくれたマグダとロレッタは、ジネットが帰らないことを知って非常に驚いていた。
それよりも俺が驚いたのは、マグダが拗ねたのだ。
『……店長がいないこんな陽だまり亭は……ポイズン』
『マグダっちょ! 店長さんがいないからこそ、あたしたちで盛り上げていこうって今日も言ってたじゃないですか!? 今こそ、成長した姿を見せる時ですよ!』
などと、ロレッタが懸命に慰めてくれたので事なきを得たのだが……
以前、マグダは言っていた。
『行く時は行くと言ってほしい』と。
……今回みたいに、帰ってくると思って待っていたのに帰ってこないってのが、マグダにとっては一番こたえるのかもしれないな。
ジネットが戻ってきたら、盛大に甘えさせてやるとしよう。
それまでは……
「マグダ店長代理。期間限定メニューの試作が出来ました。味見をお願いします」
「……うむ。持ってまいるがいい」
「はいっ、ただいまっ!」
がっちがちの縦社会風に言って、俺はマグダの前へ限定メニューを並べていく。
こうして、おだてて、乗せて、なんとか時間をやり過ごそう。
もっとも、マグダなら……『気を遣われているのが分かるから乗っているフリをしておくか』くらいのことは考えていそうだけどな。
「マグダっちょ! 今日の陽だまり亭はいつもとちょっと違うです! なんとなくワイルドなテイストでいくです!」
ジネットが戻るまで陽だまり亭に泊まり込むと言ってくれたロレッタ。
そして、ジネットの不在を乗り切るために心強い助っ人が集まってくれた。
「んなぁぁあっ! すげぇいい匂いだなぁ! あたいも早く味見してぇよぉ!」
「ちょっと落ち着くさね。店長代理の後で好きなだけ食べればいいさよ」
「いや、好きなだけはダメだと思うッスよ……」
ウェイトレス姿のデリアにノーマ。そして、新しく作った男性用エプロンを身に着けたウーマロだ。
このエプロンは、俺がデザインしてジネットが縫ってくれたもので、今後何かとこき使…………手伝いを頼むであろうウーマロやベッコに着せるためのものだ。
早速役立って、エプロンもウーマロも大喜びをしていることだろう。
「美味さ引き立つ、付け合わせやー!」
一人遅れて、ハム摩呂が厨房から出てくる。
手には、青ノリや鰹節、そして紅ショウガが載ったお盆を持っている。
「よし。そこに置いておいてくれ、ハム摩呂」
「はむまろ?」
お前のことだよ。
「んじゃ、ちょっと手伝ってくれウーマロ」
「オイラッスか?」
「お前以外いないだろー、ウ~マロー!」
「呼び捨てにするなッス、ハム摩呂!」
「はむまろ?」
やいやいやかましい男連中を率いて、俺は鉄板の準備を始める。
「……これは未完成?」
マグダが、自分の目の前に並んだ料理を指さして言う。
「いや。それは厨房で作ってきたやつで、もう完成している。食っていいぞ。これから作るのは、客に提供するスタイルでの実演だ」
祭りの時に使用した平らで広い鉄板と、その前後で作ってもらったたくさんのくぼみがある鉄板。こいつを使って作るのは、そう、お好み焼きとタコ焼き。あと焼きそばだ。
「あぁっ! ソースの香りが堪んねぇな! ヤシロ! まだ食ってないけど、おかわりだっ!」
気が早過ぎるデリアは盛大に腹の虫を鳴かせている。
そして本人は、ちょっと泣いている。
「今焼くから、ちょっと待ってろ」
「……ヤシロ」
「ん?」
あと二十分くらいの間、どうやってデリアを黙らせておくか……そんなことを考えていると、マグダが俺の名を呼んだ。
目の前の料理には手をつけず、ジッと、表情のない半眼で見つめてくる。
「……今から、焼くの?」
「え? あぁ。ここにいるメンバーに焼き方とか教えつつな」
「……デリア」
今度はデリアを呼び、そして、手つかずの皿をすすすっとテーブルの上で滑らせる。
「……デリアに進呈する」
「えっ!? い、いいのか!?」
「……冷めないうちに食べるべき」
「そ、そうだよな! 折角だもんな!」
チラッチラッと俺を見るデリア。
そうかそうか。もう我慢の限界か……しょうがねぇな。
「食っていいぞ」
「やったぁ! いただきますっ!」
デリアがお好み焼きに食らいつく。
……熱くないのかな?
「よかったのか?」
「……店長代理としては」
静かな視線が俺を見つめる。
「……お客様に出す物と同じ製法で作られたものをきちんと味見するべきと判断した」
「ほぅ、それは偉いな」
実に感心な意見だ。
口の端からよだれさえ垂れていなければな。
要するに、今から焼くのが楽しそうで、そっちを食べたいと思ったのだろう。みんなと一緒に。
まったく……寂しがり屋なんだから。
「じゃあ、ちょっと待ってろ。すぐに美味いヤツを焼いてやる」
「……マグダはエビが好き」
「はいはい」
「あ、あたいもおかわりなっ!」
「はいはい」
一人前ずつでは足りないようで、デリアが威勢よく手を上げる。
こいつ、大食い大会で大食い癖が付いたんじゃないだろうな。それなら仕方ない部分も………………って、いやいや、デリア全然食べてなかったじゃん、大食い大会!?
単なる食いしんぼうか。
まぁ、シラハに比べれば可愛いもんだ。
「では、私も三人前ほど」
「……なんでいるんだ、ベルティーナ」
「ジネットが留守だと聞いたもので」
あぁ、言ったさ。
今朝、寄付に行った時にな。
さすがに朝からお好み焼きは重いだろうと、朝は色々な味が楽しめるバラエティおにぎりにした。
汁物をマグダに任せて、俺とロレッタでひたすらおにぎりを握りまくった。
俺たち二人の口癖が「店長って偉大だなぁ」になった瞬間だ。
……五十人前って、相当きつい。
あ、ハムっ子が増えた分と、ベルティーナの胃袋がレベルアップしてしまった分を入れて、最近は五十人前必要なのだ。…………利益がどんどんのみ込まれていく。
で……
「あんだけ食ったのに、まだ食わせろってか?」
「お手伝いが出来れば、と、思いまして」
本当に手伝う気あるんだろうな?
試食以外の仕事もちゃんとやるんだろうな?
ベルティーナがウェイトレスをしたことはなかったから……やらせてみると意外と需要があるかもしれんな。
……ただ、ジネットがいない日に需要が増えるのは御免被りたいが。
「今日一日、私もお手伝いさせていただきます。日頃お世話になっている、せめてものお返しに」
「……では、大至急超ミニメイド服を発注してこなくては」
「待てマグダ! 今日に限り、無駄に需要を増やすのは遠慮してくれ」
死人が出る。
「……一理ある。今日はひっそり営業する所存」
「そんなこと、出来るんかいねぇ」
「まぁ、無理ッスね。陽だまり亭が特別なことをやり始めると、とりあえず覗きに来る人が多いッス」
「じゃんじゃん客を呼べばいいだろう? あたいは、どんな挑戦も受けて立つぜ!」
いやいや、デリア。
お前、客が増えるとテンパって、ほとんど捌けてないからな?
とにかく全力ダッシュする癖、なんとかしような?
「ヤシロさん。一つよろしいですか?」
「なんだ?」
穏やかな表情で、ベルティーナが小さく挙手をする。
いつもながら主張は控えめに。けれど、口にする言葉は的確なんだよなぁ。
「女性をイヤラシイ目線で見たいヤシロさんのお気持ちは分かりますが、私はシスターですので、露出は控えめでお願いしますね」
「最初の部分必要かなぁ!?」
そんな言うほど的確じゃないかもねっ!
そもそも、超ミニメイド服って言い出したのマグダだしね!
「だそうだ、マグダ。ベルティーナの服は控えめにな」
「……『ベルティーナの服は生地を控えめにな』? ……ヤシロは卑猥の権化」
「ちょっと待て。余計な単語が追加されてたな、今?」
「……ヤシロさん」
「困った子を見る目で俺を見るな、ベルティーナ!」
まったく、こいつらは……俺で遊びやがって。
「いい子にしないと、お好み焼き焼いてやらないぞ」
「すみません。卑猥な服を着ます」
「……すまない。卑猥な服を着せます」
「違う! そうじゃない! それじゃないんだ、俺の要求!」
「ヤシロ……あんたって男は……どこまでも突き抜けたヤツさねぇ……」
「ノーマ、ちゃんと見てた、ここまでの流れ!? なら、その評価はおかしいよね!?」
こいつらに構っていると俺が損をする。
さっさと試し焼きをして店を開けてしまおう。うん、そうしよう。
「ハム摩呂。鉄板に油を引いてくれ」
「素手で……?」
「違うよ!?」
手に油をつけて、熱した鉄板をダイレクトに撫でようとしていたハム摩呂を、光の速さで止める。
危ねぇっ!?
ちゃんと説明しなきゃ、何をしでかすか分かったもんじゃない。
「ちゃんと道具を使って油を塗るんだよ」
「道具?」
「使えるもんがそこらにあるだろう?」
「…………ウーマロ?」
「誰が道具ッスか!? あと呼び捨てにするなッス!」
「じゃあもう、油は危ないからウーマロやっとけ」
「分かったッス」
「ウーマロ、やっとけー」
「お前が言うなッス!」
「はわわー……あからさまな、格差社会やー」
ウーマロが鉄板に油を引いている間に、生地を用意する。
キャベツやエビなどの具材と生地を混ぜ合わせる。
「じゃあ、ハム摩呂。こいつを鉄板に流し込んでくれ。あ、道具を使ってな!」
「ウーマロ、やっとけー」
「いい度胸ッスね、ハム摩呂!?」
「はむまろ?」
と、なんだかんだとウーマロが大活躍でお好み焼きが焼き上がり、試食は無事終わる。
この試食の間に、ウーマロがお好み焼きをマスターしていた。これなら本番でも使えるだろう。うん、お好み焼きはウーマロに任せよう。
「ロレッタは、少しテクニックのいる焼きそばを担当してくれ」
「任せるです!」
ソースの分量を間違うとえらいことになるからな。基本が出来ているヤツに頼んでおく。
ロレッタなら、普通に作ってくれるだろう。普通に美味しい普通の焼きそばを。
「……マグダは?」
「お前には、特別な仕事がある」
そうして、俺はマグダにタコ焼きの焼き方を伝授する。
寂しくて拗ねていたマグダには、新しいことを覚えさせて、そっちに集中してもらう。
そうこうしているうちに、ジネットは帰ってくる。きっと、あっという間に感じるだろうよ。
「……こ、これは…………楽しいっ」
「おぉっ! 面白そうだな! あたいも! あたいもやりたい!」
「テクニックがいりそうだから、デリアには無理さね」
タコ焼きを千枚通しでくるくるとひっくり返す様に、一同は釘付けだった。
面白いよな、タコ焼き。完成形も可愛いし。
「……マグダはきっと、もうマスターしている」
「一回見ただけじゃねぇか」
「……やる」
「はぁぁん! 意欲に燃えるマグダたん、マジ天使ッス!」
「ウーマロ、お好み焼き焼けー」
「うっさいッスよ、ハム摩呂! あと呼び捨てにするなッス!」
「まっとうな、叱責やー!」
何度も失敗を繰り返し、マグダがタコ焼きをマスターした頃、陽だまり亭は開店時間を迎えた。
ジネットのいない陽だまり亭がオープンする。
「店長さんの下ごしらえすらない開店は、ちょっと緊張するです」
「大丈夫だよ、ロレッタ。ウチには、頼れる店長代理もいるしな」
「……大船に乗ったつもりでいるといい」
今日明日くらいなんとかなる。
まぁ、俺もいるし、なんとでも出来る。
緊張感は持ちつつも、俺は心配などしていなかった。
本日一日を共に戦う従業員たちと心を一つにして、店のドアを開く。
すると、試作段階からずっと漂っていたいい香りに誘われたのか、既に数名が列を作っていた。
陽だまり亭の行列……またしてもジネットは見られず、か。
「お待たせしましたです! 陽だまり亭、開店です!」
ロレッタの声に、客は笑顔を見せ、順に店内へと入ってくる。
その日の陽だまり亭は、出足から上々の客入りで……ジネットの大切さが身に沁みた。
…………忙しいよぉ。休みたいよぉ…………
そうこうしているうちに太陽はてっぺんを過ぎ――午後のティータイムがやってくる。
「おう! ようやく顔を出しやがったな、この穀潰しがっ!」
しゃがれた声を発し店に入ってきたのは、最近また頻繁に陽だまり亭へ顔を出すようになっていたゼルマルのジジイだ。
「誰が穀潰しだ、逝き遅れ」
「やかましいわ、クソガキが。ちぃっとも顔を見せんで! どうせどこかで遊び歩いてたんじゃろうが!」
「俺がいない日は、もれなくジネットも留守だっただろうが」
「陽だまりの孫は、止むに止まれぬ用事があったんじゃろうて。お前とは違うわ」
このクソジジイ。
隠すことなく依怙贔屓してきやがる。
「あらあら。ヤシロちゃん、お久しぶりねぇ」
少し遅れてムム婆さんがやって来る。
というか、ムム婆さんが来る頃合いを見計らってゼルマルのジジイが来店してんだけどな。
偶然を装わないと恥ずかしいとか、中学生かよ。しわしわのくせに。
「ヤシロちゃんがいなくて、ゼルマルは寂しがっていたのよ」
「ふ、ふざけたことを抜かすな、ムム! 誰が、こんなクソガキを……っ!」
「へぇ~……ジジイ。婆さんのこと、呼び捨てにするようになったんだぁ……へぇ~……何か進展でもあったのかなぁ~……にやにや」
「バッ!? バカモンッ! な、ななな、なんにもありゃせんわっ! たっ、戯けたことを抜かすな、クソガキがッ!」
シワの一本一本までもを赤く染め、年甲斐もなく盛大に照れるゼルマル。純情だなぁ……しわしわのくせに。
「うふふ。ほ~んと。ヤシロちゃんと話すようになってから、ゼルマルは元気になったわよねぇ」
「そんなこたぁない! なんで、ワシが……」
「だって。ここへ来ては、ず~っとおしゃべりしてるじゃない」
「そ、それはっ! こ、このクソガキが年長者を敬う気持ちを持っておらんから、ワシが教え込んでやってるんじゃい!」
「ウチに帰っても、ず~っとヤシロちゃんの話ばっかり」
「そんなことないわい!」
ジネットが言っていたのだが、ゼルマルの悪態はかつての輝きを取り戻しているようだ。
「まるで、お爺さんと言い合っていた頃のように、生き生きと暴言が飛び出してきて、わたし、少しだけ楽しいんです」……とか言ってたっけな。
暴言を吐かれる身としては、堪ったもんじゃないけどな。
というか、それよりも、だ。
「おい、ジジイ。『ウチに帰っても』ってのはどういうことだ? ん? ついに婆さんを家に連れ込んだのか、このエロジジイ?」
「ぼふぅっ!? ごふっ! ゴホッ! ゲフガフッ! ごーっほごほっ!」
「……ジジイが、死ぬ」
「はい。間もなくです」
「ごほっごほっ! だ、誰が死ぬかっ、娘ども! 滅多なこと言うんじゃないわい!」
「……エロジジイに怒られた」
「連れ込みジジイ、怖いです」
「つっ! 連れ込んどらんわっ! ム、ムムが、勝手に……っ!」
「はいはい。あんまり血圧を上げるな。お前の背後には死神が行列をなして待機してんだからよ」
「カァーッ! 誰のせいじゃい!」
お前がムム婆さんを連れ込んでるせいだろうが。
な~にが、「ムムが勝手に」だ。
ど~せ前みたいに、「飯を作りに来い!」とかって言ったんだろう? この甘えん坊ジジイ。
「甘えん坊将軍め」
「誰が将軍じゃっ!? ワシャ一般市民じゃい!」
怒るポイントそこかよ。
「いや~。相変わらず賑やかでねぇのよぉ」
「ぶはは! 陽だまり亭はこうでなくてはなぁ! なぁ!?」
かつて、ジネットの爺さんがいた頃の常連客、ボッバとフロフトが揃って顔を出す。
そして、やや遅れて……
「おやおや。また私が一番最後でしたかぁ……どうも、いかんですなぁ、はっはっはっ」
疑惑の存在……オルキオがやって来た。
オルキオは、他のジジイに比べて体が小さく、線も細い。
他のジジイどもはみんな職人で、若い頃は肉体をフル活用して働いていたそうだ。だから、しわしわになった今でも、比較的体つきはカッチリしている。
一方のオルキオは、体力より知力といった感じの、インテリな雰囲気を纏ったジジイだ。
こいつが元貴族だってんなら、それも頷ける。
ロマンスグレーの髪を綺麗に整え、口髭を蓄えたダンディなジジイ。
若い頃は、さぞ色男だったことだろう。
…………なぜ、あんなハムみたいなババアを選んだのか……
たぶんシラハのヤツ、船に繋いでおけばイカリの代わりくらにはなるぞ。嵐でも安心だね。
……が、しかし。
まだオルキオが、アノ毒文章の制作者だと決まったわけではない。
仮にそうだったとしても、訳あって過去を隠している可能性もある。
ゼルマルたちの前で過去を暴いて、ジジイ共の関係がぎくしゃくしてしまっては困る。
最悪の場合、オルキオは陽だまり亭に顔を出さなくなり、そんなことになれば、きっとジネットが悲しむ。
探りを入れるのは慎重に…………
「ボッバ、久しぶりだな。まだ死んでなかったのか」
「ひゃっひゃっひゃっ。ワシはなかなかしぶといでなぁ」
「フロフトも、久しぶりだな。お前は死神にまで嫌われているんじゃねぇのか?」
「ぶはははっ! 相変わらず言いよるわいのぉ、おんしゃは!」
「オルキオ、久しぶり――と、気安く言うにはあまりに時が経ち過ぎてしまったな」
「ぶふぅーーーっ!?」
オルキオがひっくり返った。
ジジイたちの心臓を一斉に止めてしまいかねない勢いでひっくり返り、床に後頭部をしこたま打ちつけた。
周りのジジイババアが、心底きつそうに心臓を抑えている。
「な、なんじゃい、オルキオ、急に!?」
「ワ、ワシらを殺す気か!?」
「あぁ……ビックリしたぁ」
「オルキオ。頭、大丈夫かい? あ、そういう意味じゃなくてね」
ムム婆さんだけが倒れたオルキオを心配している…………してる、か?
「どうした、オルキオ? 伝えたい言葉が溢れ出してしまいそうなのか?」
「ヤ、ヤ、ヤシロ君! ちょっと、外でお話がっ!」
飛び上がるように立ち上がり、オルキオは俺の腕を引いて外へ出ようとする。
が……
「なんじゃ? ワシらには内緒の話か、オルキオよ?」
「な~んか、水臭いでなぁ」
「オルキオ! おんしゃも男なら、隠し事などせんと、この場ではっきり言えやぁ!」
ジジイ共が先手を打ち、入口へと回り込んでいた。
ドアの前に、ゼルマル、ボッバ、フロフトが並ぶ。
「う……あ、いや……私は、その…………」
オルキオが背後を振り返り、ムム婆さんに助けを求める。
「あらあら。私も、ちょ~っと聞きたいわぁ」
無念。
お前に味方はいなかったようだぞ、オルキオ。
年寄りってのは、世間話が大好きだからな。
「……もし、身分を隠したいなら俺が手を打つぞ?」
「ヤシロ君…………いや」
観念したのか、オルキオは肩をすくめて首を振った。
とても柔和で、人の良さそうな笑みを浮かべている。
荒くれ者とひねくれ者で形成されたジジババ会が内部分裂しないのは、ムム婆さんの思いやりと、オルキオの寛容さがあればこそだろう。
こいつの懐は相当に深い。
それが、俺が持つオルキオのイメージだ。
「私が没落貴族だってことは、みんなには話してあるよ。隠し事は、得意じゃないからねぇ」
困り眉毛で口髭を撫で、オルキオは柔和な声で言う。
他のジジイとは違い、言葉遣いが荒れることもなかったようで、オルキオの口調は耳に心地のよい丁寧なものだ。
隠し事は得意じゃない……か。
それはそうかもしれないな。なにせ……
「『お前の体には、心が半分しか入っていない』んだもんな」
「それを知られたくないから外に連れ出そうとしたんだよっ!? 頭のいいヤシロ君ならその辺のことは分かるよね!? あぁ、そうか、分かった上でやってるんだね!? 恐ろしい子だよ君はっ!」
なんだよ、苦手でも隠し事はしたいんだな。
「そ、それよりっ、な、なな、なんでヤシロ君がそれを知っているのかね? ま、まさか、み、見たのかい、あの……その…………」
「あぁ。お前の手紙なんだがな……」
俺は、
「ギルベルタに音読してもらったから、ここにきっちり保存されている」
「やめてー! やめたげてー!」
俺の出した
いやぁ、苦痛だったぞ。音読される毒文章を聞く時間。
しかし、どういうわけか……俺以外の女子は、うっとりとしていたけどな。……感覚がおかしい、この街の女子は。
「なんじゃい、オルキオ! まぁた隠し事をするのかお前は!? 男らしくないヤツじゃな!」
ゼルマルが鼻息荒くオルキオに詰め寄る。
そうそう。隠し事は男らしくないよな。
「ゼルマル。好きな人っていたっけ?」
「ごほっ! な、ななな、なんのことじゃい!? い、いいい、今そんなことは関係ないじゃろうがいっ!」
「なんじゃ~? ゼルマル、そんな人がおるんかぁ?」
「おんしゃ、そんなこと一っ言も言うとらんじゃなかったじゃねぇか! 言え、言え。誰じゃ?」
「や、やかましいわっ! 今はオルキオの話じゃろうがぃ!」
おーおー、懸命に隠し事してやがんなぁ。にやにや。
「クソガキ、お前……覚えとれよっ!」
小声で悪態を吐くゼルマル。
さすがというか、ムム婆さんはこのくだりには絡んでこなかった。
やっぱ分かってるんだなぁ、自分から行動は起こさないだけで。
ゼルマル、頑張れば願い叶うんじゃねぇか?
ま、教えてやんねぇけど。
「まぁ、嫌がらせはこのくらいにして」
「あぁ……やっぱり嫌がらせだったんだ……恐ろしい子だよ、ヤシロ君は」
今にも倒れそうな顔色で、オルキオが空いた椅子に腰を下ろす。
ゼルマルたちも思い思いの席へと腰を下ろしていく。
一気に平均年齢上がったな、この店内。
「おい、ジジイたち。何鮭食う?」
座ったジジイどものもとにデリアがやって来る。
うん。0点の接客だな。
鮭限定かよ。
「あんみつを五つじゃ!」
幸い、デザートは俺でも作れる。
午後の時間には出るだろうと何種類か用意しておいた。もちろん、あんみつも用意してある。
料理の出来るノーマと、あとはロレッタがいれば回るだろう。
なので、俺は俺のやるべきことに集中させてもらう。
「実はな、オルキオ…………会ってきた」
それだけで伝わったのだろう。
オルキオは「……そうか」と、短く呟いた。
複雑な表情をして、深い息を吐く。
自分は会うことが出来ない最愛の人。
そいつに俺が会ってきたのだ。思うところもあるのだろう。
「元気……だったかい?」
「あぁ。元気だったぞ」
ものすげぇ不健康ではあったけどな。
「そうかい……安心したよ。彼女は繊細で、体が弱いから」
嘘吐けぃ!
あんなに図太い女、そうそういないわ!
二言目には「おかわりおかわり」言いやがって。
だが、俺の言葉を聞いたオルキオは、本当に嬉しそうに笑っていた。
静かな笑みを浮かべて、「そうかそうか……元気だったか」と、幸せそうに頷いていた。
あぁ、本当に好きなんだな……
「なぁ、オルキオ……」
「ん? なんだい?」
「…………ハムとか、好きなの?」
「んんっ? ……ちょっと、言っている意味が分からないんだけど?」
いや、ハム萌えなのかなって。
ボンレス的な。
まぁ、何萌えであろうと、そこは詮索しないが。
一つ確認しておかなければいけないことがある。
オルキオは、シラハに会いたいのかということ。
そして、一緒にいたいのかということ。
年相応に落ち着いた雰囲気で、それでも初恋に夢中な少年のようなキラキラした瞳で、オルキオは静かに幸せを噛みしめている。
無理矢理引き離された二人だが……こいつらの時間は幸せに満ちていたのだとよく分かる。
オルキオの静かな笑みが、俺にそう感じさせた。
「お前たちのルールには反するかもしれないが……」
確認の前に、託されたものを渡しておく。
シラハからの手紙だ。
手紙を見せろと言われ、シラハが差し出してきた自分の書いた手紙。
もう書き上がっているのなら届けてやると言ったら、シラハは嬉しそうに何度も首肯していた。
「シラハからの手紙を預かってきたんだ」
「うっそっ!? マジでっ!? いぃぃぃぃぃっやふぉぉぉぉぉおおおおおいっ! シラぴょんの新着お手紙きたぁぁぁあ! きたで、これぇぇぇええっ!」
ものすげぇテンション上がってる!?
てか、お前誰!?
え、同一人物!?
何か悪い物に憑かれてない!?
豹変し過ぎだろ!?
「読ませろぉ! 貸せぇぇい! シラぴょんのお手紙を、私に読ませろぉぉ! 早くせんかぁ! ドタマ勝ち割って脳みそちゅるるって啜り尽くすぞ小童がぁぁ!」
「怖ぇよ!? 悪霊憑きも真っ青だよ! つか、なんだよ、『シラぴょん』って!? お前、そんなキャラじゃないだろう!?」
「やかましいっ! 『シラぴょん』『オルキオしゃん』と呼び合う、ラブリーな夫婦じゃいっ!」
「『オルキオしゃん』って呼ばれてんのかよっ!?」
オルキオの豹変ぶりと、ジジイババアのラブラブっぷりを垣間見せられたせいで、背筋がゾンゾンしっぱなしだ。一年分の寒気がまとめて襲ってきたんじゃないだろうな。
オルキオは鬼の形相で俺から手紙を強奪し、すっっっっっっっっっっっっっごく丁寧に封を切り、封筒から手紙を引き摺り出し、大切に大切に文字を目で追っていく。
……似た者夫婦か。
「はぁぁぁあぁああ…………愛おしい……っ!」
あのアホ丸出しの歌謡曲風ラップを読んでオルキオが身悶えている。
……愛おしいか? 『雨の雫はテンダネス』だぞ?
しかし、もうわざわざ質問をする必要もないだろう。
この状況を見れば一目瞭然だ。
オルキオも、シラハに会いたいと思っている。
そして、一緒に暮らしたいと思っている。
これで、作戦にゴーサインが出せるな。
役立ってもらうぜ。虫人族と人間の間の深く根深い『溝』を埋めるためにな。
「ヤシロ君。手紙を届けてくれてありがとう」
大切そうに手紙をしまい、満たされた表情で頭を下げるオルキオ。
「ヤシロ君はテンダネス、だね」
「影響されてんじゃねぇよ、あんなもんに」
何がテンダネスだ。
「おい、クソガキ。一体なんの話なんじゃい? さっぱり分からんわ」
俺たちのやり取りをジッと見守りながらみつ豆を食っているゼルマル、ムム婆さん、ボッバ、フロフト、ベルティーナ。
「って、おいこら! 何食ってんだ、ベルティーナ!?」
「いえ。お手紙に夢中でしたので、いらないのかと思いまして」
「客のもんに手をつけてんじゃねぇよ!」
「いやいや。いいんだよ、ヤシロ君。私は胸がいっぱいで食べられそうにない。シスター、是非私の分を食べてください。残すのはもったいないですから」
「では、ありがたく頂戴いたしますね」
「順序が逆だろ……」
頂戴してから食えよ。
「で、なんじゃい? いい加減話せ」
蚊帳の外にいるのが気に入らないのか、ゼルマルたちは不機嫌そうに俺を見ている。
ムム婆さんだけは、にこにことした笑みを浮かべているが。
ま、話してやるか。
オルキオも隠し事は苦手だって言ってるし。
そもそも、どうせバレることだし。
「オルキオと嫁を会せてやろうと思う」
「えぇっ!?」
驚きの声を上げたのは、当のオルキオだった。
そりゃビックリするか。
「し、しかし、アゲハチョウ人族のみなさんが……」
「話はつけてある。ルシアが協力してくれる」
「三十五区の領主様がっ!?」
陽だまり亭の店内がにわかにざわつく。
事情を知らないデリアたちにも、まとめて説明をする。
三十五区で起こったこと。
そして、これから俺が行おうとしていることを。
「セロンとウェンディの結婚式は、四十二区近隣はもちろん、三十五区まで巻き込んで盛大に行う」
ウェンディの家から盛大にパレードを行ってやろうって壮大な企画だ。
全面協力させてやる。
「そのために、オルキオ。お前とシラハの力を借りるぞ」
「……私たちの?」
あぁ、そうだ。
なにせ、虫人族と人間の異種族結婚の大先輩だからな。
「お前たち二人の結婚を、『成功例』として世間に知らしめさせてもらう」
「せ……『成功例』?」
オルキオたちの結婚は様々な妨害に遭い、結果的に虫人族の猜疑心を煽ってしまった。
だが、この結婚自体は間違いではない。
だってよ。
当の二人は、こんなにも幸せそうじゃねぇか。
そのことを、もっともっと世間に見せつけ、知らしめてやる。
「協力してくれ、オルキオ」
「私で……いいのかい?」
「あぁ。お前でなきゃダメだ。んで、協力してくれたら……」
最高のご褒美をくれてやる。
「俺たちが全力をもってサポートしてやる。お前とシラハ……二人が一緒に暮らせる環境作りにな」
三十五区と四十二区、どちらに住むかは二人で決めればいい。
どちらを選んでも、領主バックアップのもと、二人の生活を守ってやる。
誰にも邪魔させない。
離れ離れで暮らしてきた夫婦は、これからは、一緒に暮らすんだ。
残りの生涯を、ずっと。
「やってくれるな、オルキオ?」
「…………」
俯き、肩を震わせるオルキオ。
だが、ガバッと顔を上げると、高々と拳を振り上げた。
「ぃよっしゃあああ! これで毎晩シラぴょんとイチャイチャ出来るぞぉ~いっ!」
…………うん。とりあえず。デカい声で恥ずかしいこと言うな。な?
あと……想像させんな。ジジババのイチャラブを。
ともあれ。オルキオはノリノリだ。
明日の午後、ジネットを迎えに行く時にはいい報告が出来そうだ。
が、その前に――
もうちょっとだけ、片付けておかなきゃいけないことがあるんだよな。四十二区で。
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