後日譚25 手紙
「持ってきたダゾ!」
「カールが関係ない花をいくつも取ろうとするから手間が増えたデスネ。一人で行けばよかったデスヨ」
カゴいっぱいに花を詰め込んで、ニッカたちが戻ってくる。
やっぱり、カールはダメだったか。
つか、こいつらが花を持ち出すのに障害はなかったんだな。
ギルベルタが付いていくと言わなかったってことは、その必要がないと判断したってことだろうし。
この地に住む虫人族ってだけで信用してもらえるもんなのかもしれないな。
「じゃあ、お前ら。もう一回出て行け」
「はぁ!? ふざけるなダゾ!?」
「扱いが酷いデスネッ!」
「うっせぇな。こっちの話がまだ途中なんだよ。ほら、シラハ。お前からも言ってやれ」
「おかわりぃ……」
あぁ、もう。どいつもこいつも……
「俺の言う通りにしなければ、さっきの蜜は作らない」
「出て行っておくれ。二人とも」
「「シラハ様が人間の言うことをすんなりとっ!?」」
カールとニッカが驚いて声を上げる。見事にユニゾンだ。仲いいなぁ、付き合ってんじゃないのぉ~? ひゅーひゅー。
……つか、俺もちょっとビックリだわ。
ここまで素直に従ってくれるとはな。
「ヤシロ…………ボクは君がちょっと怖くなってきたよ」
「言うな……俺のせいじゃない」
ここまで素直だと、なんだろう……ちょっと引くな。
シラハを思い通りに操るためには、餌付け。これしかないだろう。
俺はさっさと蜜をシェイクしてシラハへと渡してやる。
「あらあら、まぁまぁ。美味しそうだこと」
十数年ぶりに、失踪した我が子に再会したのかというような感極まった表情で花のカップを受け取り、愛おしそうに口をつける。
「はぁぁ…………この一杯のために生きてるのねぇ……」
肉体労働の後のビールかよ。
大袈裟過ぎるだろうが。
「そ、そんなに美味しいダゾ?」
「蜜を混ぜるなんて……変な物ではないデスヨネ!?」
「そう思うなら、お前たちも飲んでこいよ、花園で」
ここにある物は全部シラハ用なのでやることは出来ない。
そう説明して、カールにだけ「花園で蜜を飲んでこい、二人っきりで」と耳打ちをしておく。
「さぁ、行くダゾ、ニッカ! これも、えっと、たぶん、シラハ様のためダゾ!」
「はぁ? 関係ないデスヨネ? ちょっ、カール……ッ! 引っ張らないでほしいデスッ!」
強引に、カールがニッカの腕を引いて連れ出してくれる。
うんうん。男は多少強引な方がいいよな。うん。
あぁ、これで静かになった。
「手を繋いで花園に行くんでしょうね、あの二人は」
出て行く二人を見送って、ウェンディが微笑ましそうに笑う。
いやぁ……あの二人はそんな甘酸っぱいことにはならないと思うぞぉ……
しかしウェンディは、かつて自分もそうした経験があるからだろうが、何かを思い出したかのようにくすぐったそうにしている。
「爆発しろ。セロンが」
「ど、どうして今ここにいないセロンが!? あの、英雄様!?」
やかましい。
リア充が爆発するのに理由など必要ないのだ。
いつでもどこでも爆ぜてればいいのだ。
「さて。気は済んだか、シラハ」
「えぇ。とても美味しかったわ」
わがままモードが終了し、シラハが元の穏やかな表情を浮かべる。
こいつ、あれだな。夜中にお腹とか空いたら泣き出しちゃうタイプだな。
デリアに近いかもしれない。……節制しない分、デリアとは比べ物にならないくらい、シラハの方がもっとずっとはるかに厄介だけどな。
「で、どうなんだ?」
シラハが落ち着いたところで話を戻す。
こいつの本音を確かめるのだ。
「お前は、旦那に会いたいのか?」
こいつがイエスと言えば、そこから先は俺がなんとかしてやれる。
もしノーだった場合は……本人が望んでない以上、ルシアやジネットの協力を得ることは難しくなるだろう。きっと、その二人はシラハの意見を尊重するだろうし、四十二区の連中は、……なんとなくだが……ジネットの意見を聞きそうだ。
だからな、シラハ。
ここは大人しく『イエス』と……
「会いたく…………ない、わね」
………………マジでか。
張り詰めていた空気が少しだけ緩み……重く沈んでいく。
そうか……会いたくないのか。
こいつは、今の生活を……自分を支えてくれる周りの者たちを否定するようなことはしたくないのかもしれない。
「だってね……」
口が渇いたのか、シラハは花のカップに口をつけて、甘い蜜を喉へと流し込む。
んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ、んぐっ!
……いやいや。潤す程度でいいんじゃないか?
「だって……私…………」
ガブ飲みした後、花のカップを握りしめ、恥ずかしそうに頬に手を添える。
斜め下を見つめるようにして俯いて、ぽつりと、花が恥じらうような音を漏らす。
「……ちょっと、太っちゃったし」
「どの辺が『ちょっと』!?」
『ちょっと』太って『それ』なんだったら、お前は元々物凄くまんまるだったってことだけど!? なら、気付かないんじゃないかなぁ、そんな『誤差』!?
「友達のジネットくらい細かったと聞いている、昔のシラハ様は」
「どこがちょっとだ、おこがましいっ!?」
『精霊の審判』でカエルにすんぞ!?
……いや、もしかしたら、本人が心の底から『ちょっと』って信じ込んでいたら、それは『ちょっと』って判断されるのか?
1トン単位で考えたら、100キロくらいは『ちょっと』の範囲か?
「つまりは、痩せさえすれば会ってもいいと、そういうことでいいんですよね、シラハさん?」
エステラがあいまいになった回答を明確にしようと、シラハに尋ねる。
そこはきちんと、本人の口から確証を得ておかなければいけないもんな。
「そうねぇ…………会いたい……わねぇ」
シワの刻まれた頬を薄く染め、シラハは幸せそうに微笑んだ。
旦那のことを思い浮かべるだけで、こいつはこんなにも幸せそうな顔をするのだ。
会わせてやりたい……よな。
そのためには痩せ…………られるのか、こいつ?
「とりあえず、口をまつり縫いにでもしてみるか」
強制的に食えなくすればなんとかなるだろう。
食い過ぎなんだよ、なんにしても。
「ご飯が食べられないと……私、死ぬわよ? 人殺し」
「穏やかじゃねぇ言葉をサラッと吐くな!」
お前を中心にしたあれやこれやで人種間がぎくしゃくしてるの理解してる!?
「では、健康的に食べて、適度なダイエットが出来れば、シラハさんは旦那さんにお会いすると、そういうことでよろしいでしょうか?」
微かに漂い始めかけた不穏な空気を払拭するように、ジネットが手を鳴らし状況を整理する。
食いながら健康的なダイエット…………出来るのか? なんかもう、すげぇ手遅れ感があるんだが……
「シラハ。お前、運動とか出来るのか?」
「そうねぇ。最近はよく運動するわねぇ」
意外な答えに、俺は柄にもなく目を丸くしてしまった。
正直見直した。
こんな体型になったら、動くのも億劫になりそうなのに……やっぱ、女はいくつになっても美しくありたいってことか。
「どんな運動をしてるんだ?」
「あっちむいてホイ」
「おい、ギルベルタ。何か殴る物を持ってきてくれ」
「申し訳ないが、了承しかねる、私は。生命の危機と判断する、シラハ様の。不許可思う」
あっちむいてホイのどこが運動だ!?
煮豆一個分もカロリー消費しねぇだろ、あんなもん!
「ヤシロちゃん、ヤシロちゃん。ジャン、ケン……ポン」
シラハに誘われて、俺はチョキを出す。
シラハはパー。俺の勝ちだ。
「あっちむいて、ホイ」
シラハを指さし、その指を右に向けると、つられるようにシラハの顔が俺から見て右に向いた。
俺のストレート勝ちだ。
「なんだよ、シラハ。お前凄く弱いじゃ……物凄く汗かいてるっ!?」
シラハの額から滝のように大粒の汗がダラダラ吹き零れていた。
火にかけっぱなしの鍋かというほど、次から次へと汗がしたたり落ちていく。
「はひぃ……はひぃ…………さ、酸素…………」
「お前、もはや手遅れレベルだぞ、それ!?」
あっちむいてホイで酸欠になるようでは、日常動作もろくに出来ないだろう。
こいつはもう一人では生きていけない体になっちまったんだな……
「これは、旦那に会う会わない以前に、痩せさせないと命にかかわるかもしれんな」
「そ、そうですね。もう少し節制をしないと、お体に障りますよね」
ジネット。そこはそんな風に遠慮しないで、「もっと痩せないと死ぬぞデブ」くらい言ってやればいいんだよ。
……いや、実際ジネットがそんなこと言ったらビックリするけどさ。
「けど、ヤシロ。ここにいると、ニッカたちが甘やかし続けそうで……正直ダイエットは無理なんじゃないかな?」
「あいつらの親切で人が死ぬのか? 考えもんだな、善人も」
度が過ぎるお節介はもはや悪だ。
「シラハを連れ出せれば、ダイエットくらいさせてやれるのになぁ……」
陽だまり亭にでも連れて行ければ、ジネットにバランスのとれた食事を作ってもらって、俺とマグダで適度な運動をさせて、ロレッタは普通に仕事して――完璧なダイエットが出来ると思うんだけどな。
「実際問題、連れ出すのは不可能だろうな。何より、私は許可を出せない」
ルシアの意見はもっともで、シラハを連れ出すなんてことになったらニッカたちだけでなく、ここら一帯に住む虫人族たちが猛反発するだろう。
しかも、その理由が『シラハを傷付けた旦那と会うため』ってんだから、尚更だ。
「あ、あの。ヤシロさん」
思い立ったような顔で、ジネットが詰め寄ってくる。
「わたしが、ここに泊まり込むことは可能でしょうか?」
「はぁっ!?」
何を言い出すんだ、ジネット!?
「わたしがここに残って、シラハさんに合うお食事を作ります」
「いや、お前、それは……店はどうするだよ? それに、教会への寄付も」
「お店は…………」
一瞬。本当に一瞬だけ視線をさまよわせて、ジネットはとんでもないことを提案してくる。
「ヤシロさんが料理長になり、期間限定メニューのみの販売ということでどうでしょうか!?」
「ふぁっ!?」
思い切って、陽だまり亭のメニューを全部封印し、期間限定で別の料理を提供する。
もし、ジネットがなんらかの理由で店に出られなくなった際はそうしようと、俺が考えていた緊急処置とまったく同じことを、ジネットが提案してきた。
正直ビックリだ。
ジネットが俺と同じことを考えたってのもそうだが、何より、こいつが自分から進んで店を休むと言い出すなんて……
「お前は、それでいいのか?」
「は、はい。……お客さんには迷惑をかけてしまいますが…………シラハさんをこのまま放っておくわけにはいきません」
「それはそうなんだが……何日かかるか分からんぞ」
「三日……いえ、二日です。その間に、ニッカさんに料理を覚えていただきます。それで、どうでしょうか?」
「お前が教えるのか?」
「はい。簡単な調理の仕方を覚えていただければ大丈夫だと思います」
確かに、それなら二日もあれば十分か…………
「けど、ヤシロ。ここの人たちがどう思うだろう?」
エステラが、物凄く不安そうな顔をして俺に言う。
……説得ならジネットにすればいいものを。否定的な意見は俺の口を通して言わせて、嫌われ役を押しつける気だな。
「人間に対して、あまりいいとは思えない感情を持った人たちばかりなんだよ? ジネットちゃん一人を残していくのは不安だよ。……ボクは、さすがに付き添えないし……」
領主が思いつきで二日も家を空けるわけにはいかないだろう。
「では、私もお供します」
名乗りを上げたのはウェンディだった。
「英雄様から、セロンに伝言していただければ、きっとセロンも理解してくれると思います。英雄様を利用するようで、心苦しくはありますが……」
「いや、伝言くらい構わないけどよ……」
嫁入り直前のウェンディを、突然外泊させていいのか?
一応、ここには男もいるのに……
「では、お供と護衛を引き受ける、私が」
そう言って、ギルベルタが手を上げる。
「この二日は男子禁制にしてもらう、ルシア様とシラハ様の権限で」
「そんなことが出来るのか?」
「そうだな。事情が事情だ。話してみるくらいは構わんだろう。それに……ジネットはカタクチイワシと違って、割と好感を持たれていたようだからな」
「あぁ、さいですか」
ルシアが見せる意地の悪い笑みに眉根が寄ってしまう。
まぁ、確かに、ニッカの反応を見るに、ジネットを悪く思ってはいないだろう。
ルシアの一言は余計だが。
「ぁう……みりぃも、残りたい、けど…………お店、休めないし……ぁの……」
「いいんですよ、ミリィさん。ミリィさんは、お仕事を優先させてください」
「ぅう…………ごめん、ね?」
ミリィは、今回の遠征も無理を言って日程をあけてもらったほどだ。あまり無理はさせられない。
つか……本気なのか、ジネット?
「せ、せめて、にっかさんたち呼んでくる、ね!」
ミリィが駆け出し、部屋を飛び出していく。
シラハのダイエット計画に、ニッカたちの賛同は不可欠だ。
さぁ、あいつらが戻ってきたらまたひと悶着起こるぞ……
「あの、ヤシロさん…………お願い、出来るでしょうか?」
勢いに任せて口にしてみたものの、徐々に不安が大きくなってきているのだろう。
吹けば消えそうな頼りない表情をさらしている。
「店長の不在を守るのは、従業員の務めだろう」
「ヤシロさん……っ」
折角お前が自分で言い出したことだ。
やってみたいんだろ?
なら、やってみればいいさ。
「なんかあったら、すぐに呼べよ」
「はい! ありがとうございます!」
そんな嬉しそうな顔を見せられちゃ、反対なんか出来ねぇよ。
「念のために、ナタリアを派遣しようか?」
「いや、あんま大人数になるのも迷惑だろう。ギルベルタに任せよう」
「そう……だね」
この中で、一番ジネットを心配しているのはエステラかもしれない。
もうちょっと信用してやってもいいんじゃないか?
ここの連中も、まぁ、そう悪いヤツらではなさそうだしよ。
そして、その間に俺はやらなきゃいけないこともある。
「シラハ」
「えぇ。私はもちろん、大歓迎よ」
そうか。それはよかった。
だが、そうじゃないんだ。
「旦那の居場所は分かってるのか?」
「それがねぇ……」
ちらりと、シラハがルシアを見る。
ルシア?
こいつが知ってるのか?
「私もシラハも、その男の所在は分からん。もっとも、会おうと思えば会えるがな」
見えてこないな。
所在が分からないのに会おうと思えば会える?
呼び出す方法があるってことか?
「その男は、シラハとの文通のために私の館へやって来るのだ。自分の書いた手紙を持ってきて、シラハの書いた手紙を持って帰っていく」
「なんだそれ? メンドクセェな」
「シラハに住所を知られないための手段なのだろう」
つまり、ルシアがシラハと旦那の文通の仲介をしているってわけか。
随分とサービスがいいじゃねぇか。
「それで、次に旦那が来るのはいつだ?」
「一ヶ月から二ヶ月後だな」
「そんなにか?」
「実は、今朝手紙が届いたばかりなのだ」
「今朝来てたのか、旦那が!?」
「あぁ。貴様らが来るほんの二十分前にな」
なんて偶然だ。
すげぇ、タイミングが悪い。
せめて、今日の夕方に来るってんならよかったのに……
今日逃したから、最低一ヶ月は消息不明ってわけだ。
「手紙に住所とか書いてねぇのかよ?」
「ないな」
だろうな! あっさり言うなよ。
シラハが会う気になったとしても、向こうが同じ気持ちかどうか分からんのだ。
一ヶ月後を待っていたのでは、いつ会えるか分かったもんじゃない。
しかも、シラハと旦那が会って、シラハの周りの連中の誤解を解く時間も必要だ。
そんなことをちんたらしてたら、ウェンディの結婚式がどんどん延期になっていく。
それは避けたい。
結婚ってのは、タイミングが大切なのだ。
この熱を下火にするわけにはいかない。
「手紙に、何か手掛かりがあるかもしれないよ。例えば、名産品の話とか」
「そうか。そういう特徴的な何かや独特の文化に関する記述でもあれば……」
「……その人が今どこにいるのかを絞り込むことは、可能かもしれないよね」
エステラからもたらされた情報は有益だった。
どこに住んでいるのかさえ絞り込めれば、探し出すことは可能かもしれない。
「シラハ。手紙を見せてくれないか?」
「えぇ……恥ずかしいわぁ」
顔を手で覆い、いやんいやんと体を揺する巨漢のババア。
お前がナマズだったら、今頃地震が起きてるぞ。
「会いたくねぇのか? 手紙を見せてくれたら、俺が責任を持って探し出してやる」
「おぉっ、言い切ったね」
エステラが目を見開いて俺を見る。
そんなに驚くなよ。……俺自身もちょっと驚いちまってるんだからよ。
あ~ぁ、なんで言い切っちまったかなぁ。会わせてやるなんて。
出来なかったらどうすんだよ…………不用意さがうつったんじゃないか……ジネットの。
「ぅえっ!? な、なんですか!? どうしてわたしをそんなにジッと見つめるんですか!?」
不用意な発言の大ベテランにして、殿堂入りすら果たしているジネットだ。他人に感染させるくらい朝飯前だろう。……厄介な。
「あの、シラハさん。ヤシロさんはとても頼りになる方で、いつも周りの人を幸せな結末に導いてくださる方なんです」
おいおい! 滅多なこと言うんじゃねぇよ、プリンセス・オブ・不用意な発言!?
「あら、そうなのぉ? じゃあ、拝むわね」
ほら見ろ!
ババアが意味も分からず拝み出したじゃねぇか!?
お天道様と同じ扱いだ! ご利益なんか何もねぇぞ。
即身仏かよ、俺は!?
「ヤシロさんに、任せてみませんか?」
「そう、ねぇ…………分かったわ。あなたの目は、人を騙す目じゃないものね。信用するわ」
年の功とでも言うべきか、目を見て人を判断出来るらしい。
まぁ、色んな人間を見てきただろうからな。
あの細い目で。
そんな、シラハの細い目が俺へと向けられる。
「ヤシロちゃんも、いい子よねぇ」
あぁ、残念。
曇りまくってるわ、こいつの目。
「それじゃあ、お手紙……恥ずかしいけど、見せるわね」
どっしりと座っている椅子の足元をまさぐるシラハ。
太い足に隠れて見えなかったが、そこに引き出しがあるようだ。
椅子の下の引き出しから一枚の手紙を取り出す。
指触りのいい紙に、薄い墨で書かれた手紙。
そこには、思いの込められた美しい文字が並んでいる。
『 最愛の人へ―― 』
宛名からやってくれる。
オシャレに決めちゃって、まぁ……
ただ、この一言だけで、しっかりと想いが伝わってくる。
お互いがお互いを想い合っているという、温かい思いが…………まったく。やってくれるぜ。
『 雨の雫は テンダネス
会えない時間は ロンリネス 』
…………ん?
『 涙は恋の アクセサリー
あなたは私の ネセサリー
苦い野菜は セロリー パセリー 』
やっちゃったか?
物の見事にやらかしちゃってるな、これは!?
セロリとパセリ、まっっっっっっっっったく関係ないもんな!?
俺は、八十年代の歌謡曲なんだか、勘違いしたラップなんだか分からないラブレターを読みながら、己の側頭部にキツツキが住み着いたのかと錯覚するくらいの片頭痛を覚えていた。
つか、めっちゃラブラブじゃねぇか。
想いが重いわ……
一切脳内に入ってこない薄っぺらい文章に目を滑らせて……無駄に四枚も書きやがって……最後の紙の、その一番下へと視線を向ける。
『 from シラハ 』
「テメェの書いた手紙じゃねぇか、ババア!?」
「えぇっ、だって、手紙が読みたいって……っ!」
「向こうから来た手紙だよ!」
旦那の情報が欲しいんだっつうの!
まぁ、この手紙を見てそっちも期待薄だと感じ始めたけどねっ!
文章と文章の間に『ヨーチェケラッ!』とか書き込みたくなる手紙を突き返す。
「私が持っている、先方からの手紙なら」
椅子に座る肉だるまを殴り飛ばす寸前、ギルベルタが懐から手紙を取り出す。
そういや、今朝手紙が届いたってさっき言ってたっけな。
「……持ってるんなら早く言ってくれよ」
「事情があり躊躇われた、それは」
「事情って……」
『一体なんだ?』と聞こうとした俺を押し退けて……いや、突き飛ばして、シラハがギルベルタの前へ駆け寄った。
……シラハが、立った…………俺を突き飛ばして…………ババァ……
「容易に予測が出来た、こうなることは」
「……あぁ、そうかい」
手紙を見せるとシラハが暴走することは周知の事実だったらしい。
……なら、先に言ってくれ。あばらに無駄なダメージを喰らったぜ。
「凄い……シラハさん、こんなに機敏に動けるんだね」
「はい、驚きですね。」
エステラとジネットも驚き過ぎて半ば放心状態だ。
ウェンディは軽く引いている。…………ってかさ、ウェンディって、軽く毒持ってるよね、最近気付いたけど。
ギルベルタから手紙をひったくるように奪い、丁寧に封を切り、むさぼるように文字を読んで、恋する乙女のようにぽや~んと表情を緩ませる。
緩急が激しいな、こいつの感情は。
「……シラハ、し・あ・わ・せ」
手紙を胸に抱いて、真っ赤に染まった顔でにまにまと不気味な笑みを浮かべる。
怖ぇ……捕食直前のエイリアンみたいな笑みだ。
「……幸せ過ぎて、死んじゃいそう…………ううん、もう死ぬ」
「だから、物騒な発言をサラッとすんなっつうのに!」
今お前に死なれちゃ困るんだよ、俺が!
「シラハ、その手紙を読ませてくれないか?」
「…………恋敵……っ!?」
「誰がジジイなんぞ奪おうとするか。居場所を探るんだよ」
「……………………恋敵……っ!?」
「聞いてた俺の話!? ちゃんと理解出来てるか!?」
ジジイはいらねぇっつってんだろう!
渋るシラハをなんとか説得し……主にルシアとジネットが活躍してくれたわけだが……俺はその手紙を受け取った。
「どんな内容なんでしょうね。ドキドキします」
他人のラブレターを見るのは初めてだと、ジネットは少し興奮気味に教えてくれた。
……でも、あんま期待出来ないぞ。片割れが昭和の香り漂うラップ調だったしな。
全員が順番に読むということになり……結局、全員興味はあるんだな……最初は俺とジネットが並んで手紙を覗き込む。
……顔が近い。ちょっといい匂いがする。…………なのに、腕には当たってない。何がって? いわずもがなだろう。もっと無防備になってくれればいいものを。
手紙は、男らしく潔い筆致で書かれていた。
『 最愛なる妻、シラハへ―― 』
「あぁ……きゅんきゅんしますね」
隣でため息を漏らすジネット。
こういうのにはめっぽう弱いようだ。乙女だねぇ。
そして、手紙の出だしは、こんな感じだった。
『 僕のハートに住まう、スウィートエンジェルへ 』
男らしい、潔い文字で書かれた『スウィートエンジェル』……やっぱ、こっちもこんな感じか…………
微かに、痛み出した胃をグッと抑えつけ、俺はその続きへと視線を向ける。
きっと内容はまとも……たぶんまとも……絶対まとも……まともでなければ破り捨てる……
『 久しぶり――と、気安く言うにはあまりに時が経ち過ぎてしまった。
伝えたい言葉が溢れ出してしまいそうだよ。
世界中の紙を使い切ったとしても、君への想いは伝えきれないだろう。
それでも、書かせてほしい。
この長い時の中で僕がどう生きていたのかを……
ボクの住む街では、時折冷たい風が吹くんだ。
そんな時、ふと考えてしまう……
隣に君がいれば、二人で温め合えたのに、って。
見上げた高い空の上で、渡り鳥が僕に尋ねるんだ。
「お前は本当に人間か?」
どうしてそんなことを聞くのか尋ねてみたら、
「お前の体には、心が半分しか入っていないじゃないか」
そう……僕の心の半分は、君の心の中にある。
離れていても、僕たちはいつも一緒だよ。 』
「…………」
「…………」
アイタタタタァ……
痛い……痛いよ……
シラハの手紙より真面目に書かれてるから余計痛い……
90年代のトレンディドラマか、もっとこじらせたアングラの舞台演劇のような言葉の羅列だ。なりきりポエマーによる美辞麗句の暴力だ。
なんだよ、渡り鳥って……しゃべんじゃねぇよ、鳥がよぉ。
しかも、これをシラハと同じくらいの年齢のジジイが書いてるのかと思うと……尚更痛い。
さっきからジネットが黙り込んでいる。
きっと、このクソ寒い文章の羅列に胃潰瘍寸前のストレスを感じて絶句してしまっているのだろう……
「…………くすん」
……『くすん』?
「…………切ない、お手紙ですね」
「えっ!?」
隣を見ると、ジネットが半泣きだった。
…………ぇぇぇぇえええっ!?
「でも、……くすん…………、素敵なお手紙です」
マジでかっ!?
「お手紙って、なんといいますか、こう…………直接心に響く……そんな感じがしますね」
う、うん。
ガンガン響いてきてるよ、この手紙の痛さと寒さが。背筋ぞくぞくするもん、寒過ぎて。片頭痛もするし、胃も痛い。
なのになぜだ、ジネット。なぜお前はそんなに心が温まっているような、穏やかな顔をしているんだ?
「あ、あの、ヤシロさん……次のページを……」
催促!?
えっ!? もっと読みたいの、この手紙!?
俺はもうそろそろ限界で、ここらでやめたいんだけど!?
「素敵ですね……胸がドキドキします」
えぇぇ…………
これの何がいいのかは分からんが、ジネットの心に何かしらが刺さったようだ。
感性の違いか……はたまた、洗脳でもされているのか…………むむ、それはマズい。
ジネットにかかった悪しき洗脳を解除するために、俺は勇気を持って…………手紙を折り畳んだ。
「はっ!? ダメですよ、ヤシロさん! 最後までちゃんと読みましょう!?」
「このアホ丸出しの手紙を、最後まで読めというのか!?」
「えっ、どうしてですか? 素敵なお手紙じゃないですか。わたしは、最後まで読むのが楽しみですよ」
「えぇ……」
「さぁ、ヤシロさんもご一緒に」
この手紙を最後まで……苦行だ……。
こんなもん、高野山の坊さんですら逃げ出しちまうぞ。精神がやられる。
「エステラにパスして、手掛かりがないか探してもらうってのはどうだ? ほら、乙女なエステラは他人のラブレターとか、興味深々だろうし」
「ちょっ!? やめてよ! それじゃあ、まるでボクがデバガメ好きな下世話な人間みたいじゃないか!」
「そんなことは言ってない。真っ平らだと言ったんだ」
「そんなことも言ってなかったよね!?」
言ってなくても常に思ってますぅ!
しかし、この読むだけで脳みそがとろけるプリンになりそうな手紙を最後まで読むのは無理だ…………六枚も書いてやがる……ったく。
ジネットは、あとでエステラたちと一緒に読んでもらうことにしよう。俺には無理だ。
一切読んではいないが、一枚一枚めくって、ざっと眺める。目を通すのすら苦痛だ。俯瞰で眺めるくらいが限界だな。
と、最後の一枚を眺めた時……
「あ……っ」
ジネットが声を漏らした。
そして、手紙の一番下。差出人の署名を指さす。
そこに書かれていた名前は――
『 オルキオ 』
――はて、どこかで聞いた名前だが……
「オルキオさんは、お爺さんのご友人で……」
「あっ!? 旧陽だまり亭常連の『しわくちゃ戦隊ジジババファイブ』の一人か!?」
「そんな名称は付いていませんけどもっ!?」
ムム婆さんの計らいで、再び陽だまり亭に集まるようになった連中がいる。
全員、ジネットの爺さんの友人で、かつての陽だまり亭の常連客だった連中だ。
「けど、同じ名前ってだけかもしれないぞ」
「手紙を見てみましょう。何か手掛かりが書かれているかもしれませんっ!」
「えぇ……」
結局読むのかよ…………しょうがない。神経を集中して…………読むっ! やっぱ無理っ!
開始十一文字で挫折した。
もう、紙全体からバブル期の香りがするんだもんよ……『君の瞳はダイヤモンドよりも美しい』だぞ? 無理だろ?
「あっ、ヤシロさん! これを見てくださいっ!」
俺の分をカバーするかのように、まるでむさぼるように手紙を読んでいたジネットが興奮気味に俺を呼ぶ。何かを発見したようだ。
考古学者が石板から新事実を解明した瞬間って、こんな感じなんだろうなぁ……
「ここに、コーヒーの話が書かれていますっ」
俺からすれば霞み目を誘発するような難解な文字列を解読し、ジネットが有力な情報を手紙の中から見つけ出す。
「ヤダよ~もう見たくないよ~」と拒絶反応を示す脳みそをなんとか説得し、痛む頭と心臓を押さえて瘴気を撒き散らす毒文章へと視線を落とす……と、確かにそこには『コーヒー』という文字が書かれていた。
「……で、なんて書いてあるんだ?」
「え? いえ、ここを読んでいただければ……」
「ごめん無理。内容教えて」
「えっとですね……『あまねく星々の見守る世界の中で僕は……』」
「あぁ、ごめん。現代語訳してから教えてくれるかな? お前なりに噛み砕いて、分かりやすい言葉で頼む」
「えっ……と。は、はい。やってみます…………」
そのまんま音読なんかされたら鼓膜が溶ける。
なんだよあまねく星々の見守る世界って……
「つまりですね、オルキオさんは、シラハさんに会えず寂しい毎日を過ごしていたのですが、最近になって一つ、心が躍るような出来ことがあって、それが…………」
と、そこで言葉を止め、ジネットは震える息を漏らした。
表情を窺うと、少し泣きそうな、とても嬉しそうな顔をしていた。
「……かつて入り浸った店で、あの頃のコーヒーが飲めるようになったこと……だと」
ほんの少し声を詰まらせて、けれど懸命に声を出して……
「に……二代目のコーヒーは…………先代の味を、しっかりと…………再現している……と」
それが、ジネットにとっては何よりも嬉しい褒め言葉なのだ。
爺さんが淹れてくれた思い出のコーヒー。ジネットにとっては特別な、思い入れの深いコーヒー。
当時を知る常連客が、今のジネットのコーヒーをそれと同じ味だと認めてくれたのだ。
そりゃあ嬉しいだろう。何物にも代えがたく。
「ぐすっ……あ、すみません。……はい、もう平気です」
瞼を軽く押さえ、ぬぐい、息を吐いて……ジネットは笑みを浮かべた。
もう泣いてはいない。その喜びは、ジネットの心へとしっかり納められたのだろう。
「あは……すみません。やっぱり、顔が元に戻りません」
「いいよ。嬉しかったんだろ」
「はい。……あ、でも、これで可能性はかなり高くなりましたね」
「あぁ。これで、確実に捕まえられる……」
そして、今すぐ四十二区に飛んで帰って、老い先短いジジイの老い先を今すぐシャットアウトしてやりたい。
「帰ったら、お前の分まで殴っといてやるな」
「なんでですかっ!? やめてくださいね!? そんなに頑丈な方ではありませんので!」
なぜと聞くのか!? 理由が必要か? こんな瘴気を放つ危険物を量産するジジイなのに!?
頑丈ではないからこそ、とどめをさせるというものではないか……まぁ、ジネットがそう言うならやめておくけども。
こんな有害物質を生み出し続ける悪の芽は、早めに摘んでおいた方がいいと思うんだけどなぁ。
「とにかくですね、コーヒーはあまり飲まれず、一部の愛好家さんたちしか嗜んでいないと、以前アッスントさんが言っておられました」
そういえば、そんな話があったな。
おかげで、俺はこの街にコーヒーが存在しないのだと思い込んでいた。
「ですので、このシラハさんの旦那さんが最近もコーヒーを飲んでいらっしゃるなら、常連のオルキオさんである可能性は高いですよね」
「まぁ、そうだな」
一度帰って話を聞いてみるか。
もし人違いでも、『コーヒーを飲んでいるオルキオ』という人物なら、すぐに見つけ出せるだろう。
アッスントに頼んで、コーヒーを買っている人間を紹介してもらうことだって可能だしな。
「…………あぁ……切ない」
「はふぅ…………いいですね」
エステラとウェンディが熱っぽい吐息を漏らす。
……嘘だろ? 嘘だと言ってよ…………
二人は、俺から受け取ったオルキオの手紙を読んだらしい。
……アレのどこにときめく要素があるんだよ?
俺なんか、いまだに鳥肌が収まらないというのに……
この辺り一帯、昭和の名残が強過ぎやしないか?
ここらの街並みといい、ナウい文章といい……まぁ、別にいいんだけども。
「よし! じゃあ、やることは決まったな」
毒文章はもう用済みなので、記憶から抹消して……っと。
俺は前向きに話を進める。
「俺は四十二区に戻ってオルキオに会ってくる」
「はい。では、わたしはシラハさんに喜んでもらえるダイエット食を考え、ニッカさんに伝授しますね」
ジネットは、今日から二泊三日か……
「……大変なことがあったら、すぐに俺を呼べよ」
「ありがとうございます。……けど、きっと大丈夫ですよ」
「そうか」
逞しくなったものだ。
……俺も、少しは成長しなけりゃな。
「なんなんダゾ!? 呼んだり追い出したり、忙しないダゾ!」
「ワタシたちの扱いに関して物申したいデスネッ!」
騒がしい声が室内へと入ってくる。
さてと……とりあえず、帰る前に、あの二人を説得するかね。
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