後日譚24 それくらいのわがままは

「お待たせしましたぁ」

「ぁのね、すごくきれいだったょっ!」


 おつかいを終えて、ジネットとミリィが戻ってくる。やや興奮気味ながらも、発注した物はきちんと持ち帰ってきてくれたようだ。


「ギルベルタさんのおかげで、スムーズに事が運びました」

「本来は違反、この行為は。けれど、許可が下りた、ルシア様の。その証人、私は」


 花の持ち出しはルール違反だが、ルシアに頼んで特例で認めさせた。

 シラハのためだと言ったら「今回だけだぞ」と了承してくれたが、その表情は冴えなかった。

 当初は、ジネットとミリィだけで行ってもらうつもりだったのだが、花園にいる虫人族が「人間が花の略奪をしている」と騒がないようにと、ギルベルタが同行を申し出てくれた。

 おかげで大きな問題もなく、おつかいは完遂されたようだ。


「はい、てんとうむしさん。これで、あってる……かな?」

「あぁ、上出来だ」


 ミリィが差し出してきたのは四種類の花。

 花園に咲く、蜜がたっぷり入ったあの花たちだ。それぞれに鮮やかな色の花弁を誇らしげに咲かせている。蜜もたっぷりだ。


 シラハの話を聞いて元気がなくなってしまった二人に、花園までのおつかいを頼んだのだ。花園に行って、少しでもリフレッシュしてくれればと思ったのだが……、効果は覿面だったようだな。

 ミリィはすっかり涙の跡を消し、ジネットも嬉しそうな表情を見せている。


「あら、まぁ。花園の蜜ね」


 美しい花を見て、シラハが頬を緩める。


「この花の蜜は私も大好きよ。でも……」


 シラハは少し残念そうな、憐れむような顔をして俺に視線を向ける。


「花園の蜜は、もう全種類いただいちゃったわ」


『この辺にある物で、いまだシラハの知らない美味いものを』――と、俺は言った。

 そうして登場したのが花園の蜜であったことに、シラハは表情を曇らせた。ガッカリというよりかは、「折角考えてくれたのに、悪いわね」という感じだ。

 ルシアも同じような考えを持っていたのだろう。訝しむような表情を隠そうともしない。


「だから、結論を出すのが早過ぎるんだよ、お前らは。言ったろ? お前の知らない美味い物を『作ってやる』って」


 俺が何をしようとしているのか見当がついているジネットやエステラ、ウェンディはにこにことして得意満面だ。


「じゃあ、ジネット。手伝ってくれるか」

「はい」


 ジネットに手伝ってもらい、俺は花の蜜をブレンドしていく。

 あの日、花園で大絶賛された『全部混ぜ』だ。


 別の種類の蜜を混ぜたところで、ルシアが腰を上げた。

 顔には「なんてことをするんだ」と書かれている。


 まぁまぁ、いいから見てろって。


 花と花を合わせて密封し、シェイカーのように振る。気分はバーテンダーだ。

 これで、スペシャルブレンドが完成する。

 ……でもまぁ、ちょっと不安なんで、先にちょっと味見をしておく。


 …………うん。あの時と同じ味だ。

 日によって蜜の分泌量が変わる、なんてことはないようだ。


 蜜が空になった花をカップとして利用して四等分する。

 一つはシラハに、そしてルシアにギルベルタ、最後にミリィに手渡す。


「ぁ……ぁの、ね……」


 花のカップを手渡すと、ミリィが申し訳なさそうな恥ずかしそうな、そんな表情でもじもじし始めた。


「じ、実はね……さっき、花園でね…………お花の蜜、飲んじゃったの……」

「わたしが、おすすめしたんです。この中でミリィさんだけが元の味をご存じありませんでしたので」


 ミリィは、まるでつまみ食いをしたかのような、ちょっと恥ずかしい罪悪感にさいなまれているようだ。しかし……


「ジネット。グッジョブだ」

「うふふ……」


 俺が褒めると、ジネットはどこか誇らしげに照れ笑いを浮かべた。


 俺がやろうとしていることに気付き、そのための布石を事前に打っておいてくれたのだ。

 そうだよな。スペシャルな物の前に、スタンダードな物を味わっておいた方が感動はより大きいよな。

 相変わらず、よく気が利くヤツだ。


 俺は、ミリィに「問題ない」と伝える。

 むしろ、よくぞ味見をしておいてくれたって感じだな。


 そんなわけで、準備は整ったわけだ。


「さぁ、飲んでみてくれ」


 俺が勧めると、まずはシラハが口をつけた。

 そして、「まぁ……」と、目を見開いて口を手で押さえた。

 吐きそうな時のジェスチャーではない。驚愕の時に思わず口元を隠してしまうアレだ。


「……こんなに美味しい蜜は、今までに飲んだことがないわ」


 それだけ呟くと、残っていた蜜を再び飲み始めた。

 ワインのテイスティング程度しかない少ない量を、チビチビと、大切に。


「どれ……」

「飲んでみる、私も」


 ルシアとギルベルタが揃って花のカップに口をつけ、揃って目をまんまるくする。

 そして見つめ合い、破顔して、ルシアが両腕を広げてギルベルタに抱きつこうとして、それをギルベルタがするりとかわす。

 さすがギルベルタ。動作に無駄がない。


「美味しい、コレは。感動した、私は」

「私は、少し寂しいぞ、ギルベルタよ……」


 そして、ミリィは。


「はぁぁ………………すごい……すごいすごいっ! てんとうむしさん、すごいよぅっ!」

「いや、別に俺が凄いわけじゃねぇよ。みんなでいた時に偶然見つけただけなんだ」

「ぅうん! すごい! すごいすごいっ!」


 よほど気に入ったのか、珍しくテンションが上り詰めているようだ。

 ぴょんぴょんと跳ねて空になった花のカップをきゅっと握りしめる。当然、握り潰さない力加減で。


 新しい味を堪能した面々は、各々に違った反応を見せている。

 はしゃぐミリィ、感動するギルベルタにへこむルシア。……おい、ルシア。蜜の感想はないのかよ?


「ヤシロちゃん」


 そんな中、静かな声で俺を呼ぶシラハ。

 誰よりも落ち着き、誰よりも雄大に構え、誰よりも穏やかな表情をしている。

 視線が合うと、にっこりと微笑みを向けてくれた。

 そして――


「おかわり」

「食い道楽に戻ってんじゃねぇよ」


 あとでいくらでも飲ませてもらえよ。

 花園は近所にあるんだからよぉ!


「それよりも、どうだった? この辺りにある物でも、まだまだ知らない物があっただろう?」


 俺はこの、すべてを悟ったと勘違いして諦めきっている頑固者に、まだ見ぬ世界はどこにでも存在し、どこまでも広がっているということを教えてやる。


「だから、そこそこの今に満足なんかすんな。行動を起こせ。本当は叶えたい、絶対に譲れない願いがあるんだろう? だったらもっと我武者羅に前に進めよ」


 少しクサいが、熱い言葉をシラハに投げかける。

 お前が動いてくれなきゃ、この街は変わらない。仲良しごっこの裏側に潜む邪魔な差別意識はなくなりはしない。


 お前が動けば、解消することまでは出来なくても、今よりもずっと楽しくなる。

 もっと単純に仲良くなれるんだってことを、多くのヤツらに分からせてやれる。


「もし、進み方が分からねぇってんなら、俺が教えてやる!」


 お前たちは誰ひとり、現状に満足していない。

 諦めの色が瞳に映っちまってるじゃねぇか。

 そんな目で見つめる未来は、さぞつまらねぇだろ。


「言ってやれよ、聞く耳を持たない善人どもに。お前を心配して、傷付いた心を癒そうと躍起になっている、分からず屋のお人好しどもに」


 お前の口で、はっきりと伝えてやれ。


「『私たちの結婚は、何も間違っていなかった』ってな!」


 周りに迷惑をかけようが、そのせいで何か問題が起ころうが、そんなもんはそん時考えりゃいいんだ。

 気にする必要も遠慮する必要もねぇ。


「『好きな人のそばにいたい』――それくらいのわがままを言う権利は、誰にだってあるだろうが。許されるよ、そんくらいのわがままは」

「ヤシロ、ちゃん……」


 シラハの細い目が、細かく震え出す。

 目尻に水の玉が浮かび、そして溢れ出す。


「ヤ……ヤシ…………ロ、ちゃん…………わ、私…………」


 零れ落ちる涙を拭いもせずに、シラハは丸まると太った体を揺すり、太く短い腕を俺に向かって突き出してくる。


「私…………おかわり欲しいっ」

「聞いてた、俺の話!?」

「おかわりぃ~……!」


 どんだけ気に入ったんだよ!?

 えぇい、腹をぎゅいぎゅい鳴らすんじゃない!

 泣くな! おかわりくらいでっ!


 割と熱く、クサいことをベラベラと並べ立てた俺の、この恥ずかしさよ。

 耳、真っ赤っかだわ。


「…………くくっ…………ヤシロ、完全スルー……ぷっ」

「ぷっくく……」

「黙れエステラ! そしてルシア、お前も笑うな!」


 アホの領主どもが肩を盛大に震わせている。


「カッコよかった思う、私は。グッときた、友達のヤシロの言葉は」


 そんな中、ギルベルタは俺の頑張りを評価してくれたようだ。

 うんうん。可愛いヤツだなぁ、ギルベルタは。


「ただ、メッチャカッコ悪いことも確か、今の流れは」

「お前も敵かっ!?」


 素直過ぎるんだよ、ギルベルタ!

 そこは、友達だからフォローとかしようぜ! そういう空気を読む感じ、そろそろ覚えていこうぜ!


「ぁ、……ぁの……てんとうむしさん」

「英雄様」


 また小馬鹿にされるのかと振り返ってみると、ミリィとウェンディは頬を薄紅に染め、潤んだ瞳で俺を見ていた。……え、爆笑を必死に我慢してる感じ?

 いや、違うな。ミリィとウェンディがそんなことをするはずがない。この二人は味方だ。


「ぃ……ぃい、言葉だった……よ? みりぃ……ちょっと、泣きそう……」


 な? な? ミリィはいい娘だもんな。

 でも、ちょっと恥ずかしいから泣くのはやめてくれな。


「英雄様。私も、甚く感動いたしました。『好きな人のそばにいたい』というわがままを言う権利は……誰にでも……ありますよね」

「ちょっとごめん、ウェンディ! リピートするのやめてくれるかな!? クッソ恥ずかしいからさ!」


 味方のフリをした敵なのかと勘繰ってしまうよね!


「ボ、ボクも……ぷっ……か、感動、したよ…………言葉にはねっ」

「黙れ、敵」


 ここぞとばかりにエステラが意地の悪い顔を見せつけてきやがる。

 日頃の恨みでも晴らそうってのか?

 ……日頃の行い、改めようかなぁ。


「……ヤシロさん」


 そして、最後はジネットだ。

 あぁ、もう。こうなりゃ自棄だ。

 嘲るなり憐れむなり、好きにしやがれ!


 腹をくくって振り返ると……ガシッ! ……と、両手を握られた。

 力強く、しっかりと。

 ジネットの手の温もりが、全身へ広がっていくような錯覚に襲われる。

 …………え?


「嬉しかったです……」


 嬉しい?

 え?

 何が?

 ……え?


「先ほどの、ヤシロさんの言葉……『好きな人のそばにいたい』それくらいのわがままは……許されると……」

「だから、何度もリピートすんなって……」

「許されるのですよね?」


 ジネットの手に力が入り、俺の手が一層ギュッと握られる。

 すがるような瞳で、真っ直ぐに俺を見上げてくる。

 ……なんだ、これ。視線が外せない…………


「あの日……ヤシロさんが陽だまり亭に残ると決めてくださった、あの日……わたしは、本当は……凄く嬉しくて…………ヤシロさんのお考えや生き方、そういうものを一切無視して……そばにいてくれるということが……ただただ嬉しくて……」


 どうしたことか……ジネットの瞳に涙が溜まっていく。…………どうしたもんか。

 え、えっ……マジで、どうしよう?


「わたしの考えは浅ましいのではないかと……喜んでいるのは、私だけなのではないかと…………本当は、ヤシロさんにはとても迷惑なのではないかと……時に自分を責めたりもしていたのですが…………『好きな人のそばにいたい』――それくらいのわがままは……許される」


 もう、リピートやめてー!

 やめたげてー!


「ヤシロさんの声で、言葉でそう言っていただけて、とても嬉しかったです」


 要するに、だ。

 俺が陽だまり亭に残ったことを、ジネットは本当に喜んでいてくれて、でもそれを浅ましいのではないかと思ってしまう節があって……それを、当の俺自身が「そんくらい、いいんじゃねぇの?」と言ったことで救われたと……そういうことらしい。


 だから、それはつまり……


 俺は、ジネットにとって…………そばにいたいとわがままを言いたくなるような……す、好きなひ………………


「おかわりぃ……」

「うっせぇな、ババア! 今色々考えてんだよ!? 見たら分かるだろう、今どういう状況か!?」

「お~か~わ~りぃ~!」

「あぁ、もう! ニッカ! カール! ちょっと来い!」


 空気を読まないババアのせいでドキドキしている暇もない。

 ……まぁ、正直なところ、ほんのちょっと「助かった」って思っちゃってる俺も、いたりするわけだけどな。


「なんデスカ、カタクチイワシッ! ワタシを呼びつけるとはいい度胸デスネッ!」

「オレたちは人間の言うことなんか聞いてやらないダゾ!」


 肩を怒らせてニッカとカールが入ってくる。

 あぁ、うっせい!


「お前んとこのババアが駄々捏ねて話が先に進まねぇんだよ! ちょっとひとっ走り使いを頼まれてくれ」

「冗談じゃないデスネ! あと、ババアとは失礼デスネ! 訂正するデスヨ!」

「おババア」

「む…………ちょ、ちょっと丁寧になった、デス……カネ?」


 うむ。こいつもやっぱりちょっとアホの娘だ。

 見た感じ、そういう匂いしてたもんな。


「惑わされてはダメダゾ、ニッカ! 人間は言葉巧みにオレたち亜種を騙して利用する生き物ダゾ!」

「いや。ヤシロは人間だろうと貴族だろうと、平気で利用するよ」

「も~ぅ、エステラ。余計なとこで出てくんなよ、ややこしくなるからさぁ」


 すぐに口を挟みたがるエステラを黙らせて、俺はこの面倒くさいアゲハチョウ人族の二人組を丸め込む作戦にかかる。

 まぁ、簡単なことだ。

 どっちかをやる気にさせて味方に引き込めばいい。

 シラハのためという大義名分もあるし……余裕だろう。


 というわけで、俺はカールに近付き、強引に肩を組む。

 顔を近付け、二人だけで内緒話をする。


「お前とニッカ、『二人きり』で『花園』に行ってくれないか?」

「えっ!?」


 花園とは、虫人族が憧れる定番のデートスポットだ。

 彼氏、彼女が出来たら、俺も、私も、花園へっ! ってな具合だ。


「シラハが花の蜜を飲みたがっている。これはシラハのためだ。断るわけにはいかないだろう?」

「た…………確かに…………それなら……う、うん……しょうがない……ダゾ」


『やらざるを得ないから、しょうがないから、一緒に花園に行かないか?』

 好きな娘の近くにいながらも、見ていることしか出来ないシャイボーイにはこれくらいのコテコテのお膳立てが必要なのだ。

 そして、そういうシャイボーイは、この手の『しょうがないから』という理由にすぐ飛びつく。

 さぁ、俺の口車に乗せられて、存分に踊るがいい。……俺の手のひらの上でな。


「ニ、ニッカ! こ、これは、シラハ様のため……そう! シラハ様のためダゾ! オレたちの使命と言ってもいいダゾ!」

「ど、どうしたデスカ? なんだかカール、今日はやけに燃えているデスネ?」

「し、使命だから! しょうがないから! そ、その…………い、一緒に花園に、行…………って、ほしいダゾ……もしよかったら……」


 あぁもう! 途中でヘタレてんじゃねぇよ!

 語尾、弱っ弱じゃねぇか!


「え? 花園くらいなら、カール一人で行けばいいデスヨ」


 ほら見ろ!

 お前がヘタレるからそういう返事になっちゃうんだよ!

 ノリと勢いに任せて、多少強引に連れ出しゃあよかったのによぉ!


 えぇい、泣きそうな顔でこっちを見るな! 折角俺が渡してやった絶妙なパスを見事に空振りしやがって。


「あの、ニッカさん。実は、シラハさんが飲みたがってらっしゃるのは特別な蜜でして、それを作るには複数のお花が必要なんです」

「そうだね。それに、シラハさんは大量に所望のようだし……カール一人ではちょっと持ちきれないかもしれないな」


 ジネットとエステラがナイスなアシストを入れる。

 おぉ! さすが女子!

 いいところを突いてくるじゃねぇか。

 そういう理由を突きつけられると、断りにくくなるよな。


「う……む…………それなら、仕方ない……デス、カネ?」


 よし、一瞬考えたな? じゃあ、とどめだ。

 大いに揺らいだニッカの心を、使命感の鎖で縛りつけてやる。

 この一言でニッカは行かざるを得なくなる。


「カールだけじゃ不安なんだ。しっかり者のお前に頼めると安心だ」

「しょうがないデスネ。やれやれデスヨ」


 うわぁ、チョロい。

 なんて乗せやすい連中なんだ。

 そりゃ、先祖代々、思い込みと噂で相手の気持ちを決めつけたりするわなぁ。

 流されやす過ぎなんだよ。


「オイ、人間! オレを子供扱いするなダゾ! オレはもう大人ダゾ!」


 黙れ幼虫。

 お前のためにアシストしてやってる面もあるんだっつの。

 分かったら、その臭い角をさっさとしまえ!


「ミリィ。持ってくる花を教えてやってくれ」

「ぅ、ぅん。あのね、この花と、これとね……」


 ミリィが空になった花を見せつつ説明を始める。

 カールが鼻息荒く花を覚える。……いいとこを見せようと空回りするタイプだなぁ。

 ニッカ。ちゃんと覚えといてくれよ。


「もう覚えたダゾ! オレに任せておけば問題ないダゾ!」

「凄く不安デスネ。ワタシも覚えておくデスネ」

「大丈夫って言ってるダゾ!」

「じゃあ、ニッカ。空になった花を持っていってくれ。しっかり頼むな」

「おぉい、人間っ! オレに任せろって言ってるダゾッ!」

「おかわりぃ~……」

「ほら、泣いてるぞ。早く行ってやれ」


 二人を言いくるめて外へ追い出す。

 まったく。なんで俺がこんな苦労をしなきゃならんのか……


 カールとニッカが部屋から出ていく。

 その背中を見送ってから、エステラが俺にこんなことを言ってきた。


「君は、どんな立場の人間をもアゴで使ってしまうんだね。極意を教えてほしいもんだよ」

「やめとけ。変な人種にやたら気に入られる呪いにかかっちまうぞ」


 ネフェリーの言ってた呪い、マジでかかってんのかもしれねぇな。


「ねぇ、ぁのかーるさんって……」

「そうかもしれませんね。うふふ」


 こそこそと、ミリィとジネットが内緒話をしている。


「なんだ?」

「あ、いえ。もしかしたら、カールさんはニッカさんのことがお好きなんじゃないかと思いまして。一緒に花園に行くことになって、なんだかとても嬉しそうでしたので」


 え……、いやいや。


「もしかしたらも何も、あからさまに好き好きビーム発射しまくってただろうに」

「えっ、そんなにですか?」


 え~……超鈍感。

 アレだけあからさまにしてて、ようやく「なんとなく」気付くレベルなのか?


「やっぱり、いいですね。『好きな人のそばにいたい』と思うこと、は…………」

「まだ言うか」


 いい加減にしろよと、ジネットに釘を刺そうかとした時……ジネットの顔が爆発した。

 一瞬で真っ赤に染まり、微かに湯気が立ち上った。


「わ、わたっ……わたし、さっき…………っ」


 俺の顔を凝視し、しかし焦点は定まらず、見てるんだか見てないんだか分からない熱っぽい視線をこちらに向けて、酸欠の鯉みたいに口をパクパクとさせる。


「あ、あのっ! さ、先ほどのあ、あれは……と、特に深い意味があったわけではなくて……」


 先ほどのあれ――

 ってのはきっと、俺が言った言葉が嬉しかったとか、その後に言ってた「浅ましいことだと思っていたが~」ってやつのことだろう。


「す、好…………その、そういうものを示唆する発言ではなくてですね……ひ、人として、大切な従業員として……その、好………………むぁぁぁあああっ!」


 ジネットが、壊れた。


 つまりアレだ。

 こいつは、今になってようやく自分が何を言ったのかを悟ったわけだ。

『俺にそばにいてほしい』と願ったことを浅ましく思っていたが、『好きな人のそばにいたいというわがままは許される』と言われて嬉しかったと。

 その発言はつまるところ――


 ――『俺のことが好きだ』と言っているのと同義ではないか。


 と、そういう風に解釈をすることも不可能ではないのではないかと、穿った見方をすれば完全否定することは容易ではないかもしれなくもないかなぁ、ってことに気が付いたわけだ。

 まぁ、ないだろうけどねっ!

 そうそう。そうだよ、そう。

 人として、従業員としての好………………………………そういう感じのアレだってことだ。


「で、でででで、ですので、先ほどの発言に他意はななななくなくなくもなく……」

「分かった! 分かったから落ち着け!」


 わたわたするな!

 ……余計に恥ずかしい。


「はぅ………………あの…………すみません………………」


 顔を両手で覆い、蹲ってしまった。

 今、ジネットのつむじに水の入ったヤカンを乗っければ、物の数分でお湯が沸くだろう。

 それくらいに熱を発している。


 まぁ、もっとも。

 俺のつむじに乗っければ一分で沸くだろうけどな。

 …………ジネット。それ、わざとじゃないなら、凶悪だぞ。


「ヤシロ……。ジネットちゃんをいじめるんじゃないよ」

「どこをどうすればそう見えるんだよ、お前は?」


 ナタリアにでも言って、眼科に連れて行ってもらえ。

 少し不機嫌そうなため息を漏らし、エステラは俺のわき腹に拳を当ててくる。

 なんだよ? 触りっこなら躊躇いなくぺったんこをぺたぺたするぞ、コノヤロウ。


「おかわりぃ……」


 あぁ、もう、うるせぇなぁ、このババアは!

 お前のせいだからな、なんか後半わちゃわちゃしちゃったの!


「カタクチイワシ。シラハをいじめるな」

「お前もか、ルシア!?」


 なんだ? 

 領主ってのは現実を真っ直ぐ見つめちゃいけない決まりでもあるのか?

 ヤな生き物だねぇ、貴族って!


「あまりに美味しいものを与えた結果、シラハ様のわがままは」


 ギルベルタがそんなことを言う。が、それは俺を責めるような口調ではなかった。

 しょうがないよと、慰めてくれているようで、ちょっとホッとする。


「きっと許されるべき、『好きな物を食べたい』というわがままは」

「うん、それは違うな」


 人の恥ずかしい名言風黒歴史を勝手にいじくるな。

 悪意がなけりゃ何してもいいってわけじゃないからな?


 …………で、だ。

 シラハの暴走で話が空中分解してしまったが……


「こいつを旦那に合わせてやろうと思う。ルシア、何か問題はあるか?」


 俺の判断で、虫人族が人間に対し武力行使に出る……なんてことになるなら考え直すが。そうでないなら、会わせてやりたい。

 なので、行動を起こした際、一番迷惑を被りそうなヤツにあらかじめ許可を取っておく。


「二人を会わせて、一体何になるというのだ?」


 ルシアは、至って真面目にそんなことを言う。


「二人が結婚をした結果、このような悲劇が起こったのだぞ。それを再び引き合わせて、新たな悲劇を生み出すつもりか?」


 これが、ルシアが積極的な解決策に乗り出せなかった理由か。

 現状でいいとは思っていない。しかし、行動を起こすことで大きな反動が来ることは分かっている。

 それを恐れて、ズルズルと現状維持を続けてしまった。


 ……なんだか、昔の四十二区を見ているようだ。

 ジリ貧になることが確定していても、打開策を打ち出せない。


 そういう時はな、微妙な均衡を保っているものをぶち壊してやればいいんだよ。

 かつての四十二区のように。そして、大食い大会の時の四十一区のようにな。


「悲劇が起こると、お前は思うのか?」

「起こらないという保証はあるまい」


 領主らしい言い方だ。

 だが。


「そうじゃねぇ。悲劇が起こると『お前は思っているのか』?」


 もっとミクロな視点で話してるんだよ。


 ご大層に風呂敷を広げるから重要なことを見落とすんだ。

 もっと自分と向き合え。

 今見つめるのは己の心の中だけでいい。


「……思う。思っている」


 数秒の間、内なる自分と向き合って、ルシアが答えを出す。

 まぁ、そうだろう。

 今更『シラハと旦那を会わせる』なんて言えば、大騒ぎが起こるだろう。

 そんなもんは分かりきっている。

 分かりきっているからこそ……


「そう思うんなら、問題が起こらないように対策を立てればいいじゃねぇか」


 確実に問題が起こるってことは、その問題が起こる前に準備を万全に整えられるってことでもある。

 逃げ出しさえしなければ、どんな問題だろうが対策は打てる。


「食い物スイッチが入った時は別として……」


 いまだ半泣きで「おかわりぃ」と鳴いているババアをチラ見して、……思わず漏れそうになるため息をグッと我慢して……この短い時間で感じた素直な感想を言ってやる。


「こいつは、今でも旦那を想っているし、会いたがっている。俺にはそう見えるぜ」


 シラハに会う前は、人間に傷付けられたアゲハチョウ人族が消し去れない怨嗟を吐き出し続けているのかと思っていたのだが。

 なんてことはない。問題なのは過保護過ぎる周りの環境だ。


「思い込みをぶち壊すのは、揺らぐことのない絶対的なリアルだ」


 シラハが旦那に会って、幸せオーラでも振り撒きゃあ、固定概念に凝り固まった連中の思想もパウダービーズのようにぐにゃんぐにゃんに解きほぐされることだろうよ。


「そこへ持っていくまでに妨害が生じるはずだ」

「だから、そこに対策を立てるんだよ」

「可能なのか、そんなことが? もし失敗すれば、虫人族たちは一層人間に対して……っ!」

「ちょっと待ってください、ルシアさん」


 語調を荒らげ、俺を説き伏せようと息巻くルシアを、横入りしてきたエステラが制止する。

 風に揺れる柳のように、吹き荒れる暴風を受け流すような表情を浮かべて。

 そんな涼しい顔で、エステラは俺を指さした。


「ヤシロがこういう顔をする時は、何かを思いついている時なんですよ。すべてを丸く収める、奇天烈な解決策を。だよね、ヤシロ?」

「誰が奇天烈だ…………あと、買い被んな」


 まぁ、手がないことも、ないけどな。


「あ、あのっ!」


 さっきまで、自分の発言に悶絶していたジネットが、いまだ熱の引かない薄桃色の顔で挙手をする。

 素の状態ではぽや~んとした大きな瞳を、可能な限り鋭くして、真剣な眼差しをしている。

 こういう場で、自分の意見を主張するなんて……やっぱりジネットは少し変わった。


「なんだ、ジネットよ。申してみろ」

「はい」


 発言の許可をルシアが出す。

 下ろした手を胸元に添え、軽く握って、ジネットは口を開く。


「シラハさんの意見を聞いてあげてください。一番重要なのは、シラハさんが会いたいかどうかだと……思います、から」


 もっともな意見だ。

 しかし、ルシアに視線を注がれて少し萎縮してしまったようで、語尾が詰まっていた。

 それでも、きちんと自分の意見を述べきった。

 その言葉はきっとルシアにも届いただろう。


「そうだな」


 短く言って、ルシアはジネットの肩に手を載せる。

 ジネットが肩を震わせるが、ルシアはそんな様を優しい眼差しで見つめていた。


「もし、シラハが会いたいと言うのであれば、……たとえどんな問題が起ころうと、私が責任を持って対処する」


 断言した後、威嚇でもするかのような強過ぎる視線が俺へと向けられる。

 まるで宣戦布告を叩きつけるような、そんな眼差しだった。


「これで、いいのだろう?」


 だが、その宣戦布告は、そこはかとなく心地のいいものだった。


 ルシアがこちら側に動いた。

 均衡を保つことで精一杯だった領主が、ようやく決断を下した。

 ずっと思い続けていても、いざ行動に移すには相当な勇気が必要になる。

 そのきっかけを作ったのは、おそらく……


「ジネット」

「え……?」

「お手柄だな」


 裏表なく、純粋に他者を思いやることが出来る者の、思いやりの気持ちだったのだろう。


「い、いえ。そんな、わたしは何も……」


『シラハの気持ちが一番大事』

 そんな当たり前のことを明確に分からせた。それは実は相当凄いことなのだ。

 その何気ない一言が、今は重要だったのだ。

 手柄だよ、お前の。


「わたしは、ただ…………好きな人のそばにいたいという気持ちは……分かりますから」


 俯いて、恥ずかしそうに呟くジネット。

 …………うん。なんか、蒸し返してないか?

 嫌な予感がして、さっさと話を切り上げようとしたところ……俺より早く悪魔が動きやがった。

 そう。真っ赤な髪の毛をした悪魔が。


「そうだよね、ジネットちゃん。その気持ちは大切だし、誰にも邪魔させちゃいけないことだよね。だって……」


 エステラがジネットの肩を優しく抱き寄せ、二人揃って俺の方へと体を向ける。

 そして、この上もないほどのドヤ顔で、……おまけに、声まで揃えて……こう言いやがった。


「「『好きな人のそばにいたい』ってわがままは許される」」


 …………お前ら、覚えとけよ。


 もし時間が巻き戻せるのなら、さっきの俺をぶっ飛ばしてでも黙らせてやるところだが、そんなことは不可能なのでさっさと忘れることにする。

 風化しろ、こんな忌まわしい言葉っ!





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